2019/11/26

質問コーナー:

職場でのハラスメントを無視していたら、SNS等で誹謗・中傷され、更に写真を掲載されているようです。諸事情ですぐに職場を離れられない場合に、写真等を拡散されてハラスメントを受ける状態をなくす方法を教えて頂けると嬉しいです。 ハラスメントとしては、主にセクシャルハラスメントで役職の高い立場の方から、飲みに行ってホテルに行くというお付き合いの申し出をされ、かわしたら余計にひどくなりました。 知能指数が高すぎるのが原因と分かっていますが、誹謗・中傷が、行動する際の邪魔になります。

 

「職場におけるハラスメント対策マニュアル」が厚生労働省から出ています。そのマニュアルに従って客観的な情報を収集し、会社のセクハラの担当者に相談しながら対応していく必要があります。

私は、カウンセリングとか催眠とかをやっているから「いつも適当でいい加減!」と思われがちなのですが、このような厚生労働省のマニュアルがある場合は、それに従って客観的に対応していくことが最優先となります。

 

DV(家庭内暴力)や児童虐待なども法律に基づいたマニュアルがありますので、まずはそれに従って公的機関を使いながら客観的に行動することで道が開ける、ということを願いつつ私たちは行動していきます。

 

ルールに従って客観的に行動する時に、無意識がそこに働いてくれて助けてくれるんです。

 

そのルールは、地域によって対応が微妙に違ったりするので、その地域のルールを調べて、そこのルールに従う必要があります。

地域が違うと対応が全然違ってしまったりするので、それを知らないと大変なことになったりするので「自分の常識がみんなの常識である」というのは捨てなきゃいけないんです。相手の地域ではどんなルールになっているのか、をまず聞いて、そしてそれに柔軟に合わせつつ、客観的に対応していくと、無意識が働いてくれます。

 

「そんな対応は全てやりました!」という体で書いていきます。

 

週末に無意識の力を借りて書き終えたのが「人との距離感の本」でした。

 

その中で「好きな人」とだけ付き合うの?というお話が出てきます。

 

「あの人好き!」とか「あの人嫌い!」というのは幼子のような感覚。

 

イエスは「幼子のようでなければ神の国に入ることができません」と言っていたから、確かに「好き!」とか「嫌い!」という純粋な感覚で人間関係を決めていったほうが楽になれるんです。

 

でも、大人と子供の差って何かと言うと「あの人は嫌い!」と子供が思ったら「近づかない」ということをしますが、大人は「嫌い!」という感情を元に「相手に対する嫌悪感でいっぱいになる!」となってしまう。

 

嫌いな相手のことを考えただけで嫌な気分になって、というのが”発作状態”になっています。

なぜ”発作”かというと、「嫌な人のことを考えたら自分の思考がコントロールできなくなって、止まらなくなる〜!」となるから。

 

ここで気をつけなければならないのが「発作を起こす私がいけないの?」と自分を責めちゃうことです。

 

責めない!

 

なぜなら、発作を起こしている相手に注目することで、脳のネットワークを通じて「ビビビッ!」と電流が流れてくるから「発作に感染してまうやろ〜」という感じで発作を起こしてしまうから。自分ではコントロールができません。

 

発作を起こしてしまえば「どんどん現実が悪夢になっていく〜」という感じで、現実が最悪色に塗り替えられてしまう。

 

「それは頭の中で起きていることなの?」というのは「ノー!」です。

 

現実に「これは悪夢であって欲しい!」と思うようなことが発作が起きてると次から次へと起きてしまう(ヒエ〜!)。

 

専門家は「それはあなたの頭の中で作り出しているもの!」と言いますが「事件は現場で起きているんじゃい!」と言いたい(想像の産物じゃなくて本当に不幸なことが起きるし、悪意の塊の人間が存在するのよ)。

 

発作って、連続して起きてしまうと、どんどん地獄絵図が現実になっていきます。

 

これを見事に防ぐ方法を無意識さんが教えてくれた。

 

本に書いちゃったから、ちょっとだけよ!(懐かしいな〜、このフレーズ。「こんなの下品だから見ちゃいけません!」と親にチャンネルを変えられたな〜)。

 

発作って「アレルギー反応と一緒!」とイメージしてみる。

 

私の場合、小麦製品を食べると「発作が起きてまうやろ〜」と体がだるくなって「何もやる気がない」という状態に陥ってイライラして集中力も全くなくなってしまう。

 

「アレルギーの物質である小麦を止める」と思うと「結構辛い!」となるけど「体が元気になる食べ物を食べる!」と思ってみると「野菜が食べたい!」とか「ラム肉大好き!」とテンションが上がる。

 

元気になる食べ物を食べる、をしていると「どんどん元気になって、身体に悪いものには見向きもしない!」となるんです。

 

昨日もラム肉を圧力鍋で玉ねぎと一緒に蒸し焼きにして、セリと一緒に食べたら「美味しい!」となって、朝から元気でジョギングに行っちゃうぞ〜!と走り出していた。

 

「小麦を食べないようにする」と思っていると、どうしても「周りに小麦製品しかない!」という感覚になっていく。

 

「元気になる食べ物を探して食べよう!」とイメージしてみると、いつのまにか体の中にあった毒素が抜けて、発作から自由になっていつのまにか無意識の世界へと羽ばたいていけるようになっていく。

 

「身体にいい人間関係」を探して、そんな人たちと一緒に繋がってみると「身体に悪い人間関係」の毒素がいつのまにか身体の中から排除されていく。

 

身体が喜ぶものを食べるとデトックス(毒素抜き)。

 

人間関係も同じで、デトックスができちゃうと、悪夢の現実から、自分が理想としていた現実へとシフトしていく。

 

ちなみに私は、美味しいサラダの上にクルトン(パンのちっちゃいやつ)やチーズはかけません。

だって、せっかくの身体が喜ぶ食事が変わってしまうから。

 

身体にいい人間関係を探してみると、どんどん元気になって無敵になっていく。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 


2019/11/25

質問コーナー:

ヨガ教室に通っているのですが、みんなで一斉に同じ呼吸をします。「あれ?これって催眠なのでは?」と思ったのですが、意識的にする呼吸だから無意識さんとは違うのかな?それとも催眠にかかっているのかな?とか思いながら、ヨガ中に眠くなって、最後の「シャバアーサナ」という屍のポーズの時に寝ちゃいます。私は催眠にかかっているのでしょうか・・・?

 

呼吸は無意識でしています。

無意識さんが、自動で呼吸をしてくれていて体の状態を保ってくれている。

そんな呼吸に注目を向けるだけで「無意識さ〜ん」の力に触れることができちゃう。

 

催眠とは「自分の力で何とかしなければ」という意識の状態から「無意識」の力に任せる状態のことを指しています(私の催眠の解釈では)。

 

「催眠ガール」(清流出版)の高校生の主人公が「催眠のテクニックを身に着けちゃおう!」と電車の中で練習したのが「呼吸合わせ」でした。

乗客の呼吸に注目を向けて、相手の呼吸に合わせて肩を動かすことで「相手を催眠に入れられたぞ!」となります。

意識でいろいろ考えていたであろう乗客が寝てしまった。

寝る、というのは、自分で考えるのをやめて無意識に任せちゃおう、という状態。

 

相手の呼吸に注目を向けているときって、相手の無意識に注目を向けている。

すると私も無意識の世界に入ってしまって「催眠状態」になっています。

 

無意識に任せる、という催眠状態に入ると、どんなことが起きるの?

 

そう「わからなかったことがわかるようになってきて、見えなかったことが見えるようになってくる」という便利な状態になる。

 

簡単に言ってしまえば「賢くなる」そして「美しくなる」ですかね。

 

自分の力で何とかしようとしないでいい。

「無意識さーん!」と手放して任せてみると「おー!どんどん面白い展開になってきた!」となります。

そして、催眠にかかって無意識に任せた人たちが美しく輝いていきます。

 

私は、お師匠さんの催眠を見ていて「催眠って人を美しく輝かせるものなんだ!」と思った。

 

催眠を掛ける人も、催眠状態に入るから無意識の力に触れて美しく輝き、そして、催眠を掛けられる側も無意識にはぐくまれて優しく美しく輝いていく。

 

あー、お師匠さんの催眠は美しかったな〜。

 

でも、みなさんがこうして「催眠」を意識するようになって、無意識の力を使ってどんどん美しく輝いていってくれています。

知らず知らずのうちにお師匠さんの催眠を使いながら。

 

そして、催眠をちょっとだけ意識するだけで、周りの人たちも催眠状態に入れることができて、美しい世界を作り出していきます。

 

質問してくださった通り「呼吸合わせ」が催眠のテクニックになります。

そして、呼吸合わせをするだけで、無意識の力に触れることができる。

自分も相手も一緒に。

 

楽しみ。

 

大嶋 信頼

 

 

 


2019/11/22

質問コーナー:

小学校の教師を しています。いつも不思議なのが、子どもとは楽しく過ごしたりコミュニケーションもスムーズに行えていると思います。しかし大人同士になると思ったことが言えず(それこそ、あばばばば〜になったり)故に会議が苦手です。ここにも嫉妬が関わっているのでしょうか?

 

 

人との関係では「尊敬」がそこにあれば無意識(グローバルネットワーク)につながって、お互いに新しい発見の中で楽しむことができます。

 

お互いの「尊敬」がそこになければ意識的(ローカルネットワーク)になって「あれはダメ!」とか「これもダメ!」と相手を捌いてしまって「ビビビッ!」と怒りと怯えが止まらなくなる。

 

他人の子供である生徒さんと一緒にいる時は楽しめる、ということは「そこに尊敬がある」となります。

生徒さんが先生を尊敬して、先生は幼子の心を持つ生徒さんを尊敬しているから、無意識につながることができちゃう。

 

無意識につながるって、具体的には「子供たちと一緒に何をやっても楽しい」と感じられる柔軟な心を手に入れること。

子供たちが、どんなことをしても「それは間違い!」と決め付けずに「その経験が必ずその子の役に立つ」という優しい目で見られる力を手に入れられる。

無意識につながると、子供たちが訳がわからないことを言っていても「そこに意味があるのかもしれない」と傾聴して「なるほど!」とそれまで大人の目線では気づかなかったことに気づくことができて、子供たちと一緒に新しい世界へと踏み出すことができる。

 

無意識につながっていれば、子供たちの成績がそれぞれ違っていても、それをその子たちの特徴として捉えることができる。それぞれの違いが教室内のバランスを保って、お互いがお互いを支え合っている、優しい力関係が成績の違いからも見えてくる。

 

先生が無意識につながることで、子供たちがどんなに過酷な家庭環境で生活していても、その教室に入ることで「尊敬」という無意識の世界に繋がることができ、人生に希望を見出せる。

 

こんな先生がいたら、他の先生から嫉妬されてしまいますね。

だって、嫉妬してくる先生のクラスの生徒との関係性とは違うわけですから。

 

他の先生たち、そして両親たちも「ビビビッ!」と発作を起こしてしまいます。

 

「え?素敵な先生で子供が喜んでいるのにどうして両親が嫉妬するの?」

 

それは、両親も動物だからですね。

嫉妬って動物的な発作なんです。

「自分よりも下の立場なのに、自分よりも優れたものを持っている」という条件で起きちゃいます。

 

良い先生で、子供が先生を尊敬している場合、両親からしたら「自分の方が子どもと過ごしてきた時間も長くて子供のことをよく知っている」というのが「自分の方が立場が先生よりも上!」となっています。「それなのに私よりも先生の方が尊敬されている!」という条件で「ビビビッ!」と発作を起こしちゃいます。

 

同僚の先生だったら「私の方が長年やっているから、私の方が立場が上!」とか「私の方が教育理論を知っているから私の方が上!」や「私の方が心を鬼にして生徒を指導しているから私の方が上!」などと思ってしまうから「あなたの方が尊敬されてずるい!」となって「ビビビッ!」と頭の中で電流が流れてきます。

 

楽しそうに生徒と接すれば、大人たちからの電流が大きくなり「楽しめない」という状況が作られてしまう。

 

だから、ある意味で「嫉妬されないように」ということで「私は何もできません」という感じで「あわわわわ」と会議の場で何も発言ができなくなったり、「緊張して覚えていたことが頭から抜けちゃって、何もアイディアが出てこない」という状態になってしまう。

 

嫉妬を避けるために「弱者」を演じる条件付けがなされています。

でも、弱者になればなるほど、相手が嫉妬の発作を起こす条件が揃ってしまうから「ビビビッ!」と感電させられてしまって「あーあ、また同じことの繰り返し」という感じになります。

 

これまで、この嫉妬の発作に対応する手法をたくさん書いてきました。

 

昨日も、長年一緒にやってきてくださっている仲間とお話をしていて「発作が起きている」と唱えるだけでいいってずるいよね!という話になりました。

 

なんで、そんな話になったかというと、「自分に発作が起きている」と認めることが一番効くじゃないですか!ということに気がついてくださったから。

 

「食べるのが止まらない!」とか「嫌なことを考えるのが止まらない!」や「どんどん相手に対する怒りが溢れてくる!」ということが「発作」というのはなんとなくわかっていた。

 

ストレスで脳に負荷がかかって、過剰な電流が「ビビビッ!」と電流の波が起きた時に「嫌なことをするのが止まらない!」と自分でコントロールできなくなるのが「発作」。

 

以前から「発作を止めようとしたら、余計に発作がひどくなる」ということは、なんとなくわかっていました。

 

発作を自分でコントロールしようとしても無駄、というか逆効果。

 

そう「発作が起きていることを認めるだけでいいんだ!」という原点に戻ってきた。

 

発作が起きちゃうと「発作が起きてることを素直に認められない!」というのが、「否認」と言います。

 

この「認めない」という「否認」は、発作が起きている証拠だったりする。

 

だから「発作が起きている」と認めちゃうと「あれ?発作が!」と解放されて自由になっていきます。

 

ちなみに「発作が起きていると認めるだけでなんで発作が消えるの?」というのは「フィードバックがかけられるから」というのが理由だと思っています。

 

「認めるだけでいいんだ!」というのは、ちょっと私もびっくりしてます。

 

それもただ言葉で「発作が起きてる」と唱えるだけでいいってとっても便利。

 

大嶋 信頼

 

 

 


2019/11/21

質問コーナー:

個人レッスンて習い事をしています。私の前に練習をされてる方が、何時からか私のお稽古を始めから終わりまで見学する様になりました。それからは持ち物や他の方との挨拶の仕方、髪型まで真似をされる様になりました。この頃は、先生が私を褒めた事まで、自分が褒められてると仰るので、参っています。似た様な感じの「梅の方」を見ていると、憑依されてるか、私の脳がダダ漏れしてるかと感じます。ミラーニューロンが繋がってるなら、切断したいです。

 

テレビ番組で「モノマネコンテスト」みたいな番組は「うーん、苦手だな」とチャンネルを変えてしまいます。

でも、あの番組も長く続いているから沢山の人が見ているんでしょうね。

 

私は、人がモノマネをしているのは興味がないのですが「カウンセリングのモノマネは大好き」となっています。

 

催眠のお師匠さんのモノマネをしちゃおう、と思ったのはお師匠さんの技を身につけるため。

 

その前もクリニックの院長の真似、そしてボスの真似、Dr.サイツの真似など、沢山の人の真似をして「その人たちの見ている世界をみた〜い!」と思っていました。

 

要するに、私が「家族の脳にネットワークでつながっている」というのがローカルネットワークになります。

 

自分のプライド、知識、感情、判断、記憶などを全て捨てて「相手の真似をする」ということをすると、自分のローカルネットワークを切り捨てることになるんです。

 

自分を形成しているローカルネットワークを切り捨てることで「おー!こんな世界が広がっていたんだ!」とお師匠さんがみていた素敵な催眠の世界が目の前に広がって見える。

 

「児童虐待をメインで見ていたボスはこんな風景を見ていたんだ!」とボスが見ていた世界が見えるようになる。

 

カウンセリングの中でクライアントさんのお話を聞きながら「クライアントさんの真似をする」ということを頭の中でしています。

 

すると「この方はすごいな!」とそれまでの過酷な人生を生き抜いてきた、その世界が見えてきます。

 

真似をするのはローカルネットワークを切断して「無意識の世界」であるグローバルネットワークにつながるため。

そこにつながってみると、無限の知識と可能性があります。

 

この「自分のローカルネットワークを切断してグローバルネットワークにつながるための真似」には、”尊敬”が鍵となります。

 

私の場合「自分には何もない」となっていたから「ボスってすげ〜!」とすぐに尊敬することができちゃう。

 

プライド、知識、記憶、判断力なども乏しいので「捨てるものがあまりない!」となっていた。

 

だから、どんな相手に対しても「すげ〜!」とリスペクトできちゃって、いつの間にか真似をしていて「この方の見ている世界ってすごい!」とさらに尊敬しちゃう。

 

カウンセリングの講座の時に「グロリアと3人のセラピスト」という面白いビデオがありました。

 

3人のセラピストがぜんぜん違う手法を使うのですが「すげ〜!」と思ったら、それぞれを真似するのが楽しくなって、一緒に講座を受けていた人からびっくりされた。

 

真似をするコツは簡単で「尊敬」ですね。

 

尊敬って、無意識につながる鍵。

 

尊敬って難しいことじゃなくて、ただ「この方、すげ〜!」と頭の中で唱えるだけで良い(「あなたを困らせる遺伝子をスイッチオフ」(青山ライフ)に書いていました)。

 

ただ唱えるだけ。

でも、それだけなのに人が躊躇してしまうのは、ローカルネットワークにつながっていて、そこから足を引っ張られるから。

 

そう、自分の知識や知恵に頼りたくなってしまう。

それはローカルネットワークの人たちが尊敬に値する人たちだからなのかもしれません。

それはそれで美しい。

 

今回質問してくださった「真似をされるのが不快」の場合は、「尊敬」じゃなくて「嫉妬」が真似の動機になっているから「不快」と感じる。

 

映画でわかりやすいのが「ルームメイト」(1992年アメリカ版)ですかね。

ちょっと話は違いますけど、アラン・ドロンが主演だった「太陽がいっぱい」にも「嫉妬」で真似というのが出てきて、すごい展開になります(最近では「太陽がいっぱい」がリメークされてマッド・デーモンが主演で「リプリー」という映画がありました)。

 

「嫉妬」で「相手のものを奪ってやる」と破壊的な人格に変身してモノマネをする、というのは「怖〜い!」です。

 

でも、この「嫉妬」でモノマネの特徴は「何この人!ストーカーじゃない!」と嫌悪感を感じれば「どんどん相手がエスカレートする、となってしまう。

 

なぜなら相手のモノマネに対して嫌悪感を感じれば、相手は「相手から嫌われているかも?」という「孤独」を感じてしまう。

 

孤独を感じれば「発作」が酷くなるから「どんどん相手が嫉妬の発作を起こしてモノマネが止まらなくなる!」となります。

 

「お!ストーカー!」と認識してしまって、嫌悪感を抱けば、相手の孤独は刺激されてますます嫉妬の発作は燃え上がり、相手に執着してしまう、というのをうまく使って商売している芸能プロダクションもあります(こわ〜い!そんなところ滅多にありませんけど!!)。

 

相手が真似をしている、と不快感を感じたら「おう!おう!おう!発作を起こしとるやないか!」と認識してみると発作が収まっていきます。

 

そして「あんたの発作で私まで発作を起こしてまうやろ!」と心の中でツッコミを入れると、自分の不快感の元になっている相手から伝染してきた発作も止まり「どうでも良いか〜」と思えるようになります。

 

「尊敬」のモノマネと「嫉妬」のモノマネは明らかに違っています。

 

そして、確かにおっしゃるように、優劣の錯覚を持っていらっしゃる方は「嫉妬の発作が起きやすい」から、嫉妬の発作を起こして感電させられて、ということが起きやすくなります。

 

そんな時でも「発作が起きている!」と相手の発作も自分の発作も認めてしまえばただの人、となる。

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 


2019/11/20

質問コーナー:

世間話などたわいもない会話をしているだけなのに、よく相手のコンプレックスや心の闇を投影されて、私がマイナス思考やそういう内容のことは言っていないのに、相手の好き勝手に、私サイドがコンプレックスや闇をかかえているとか、生きずらさを感じているということにされてしまいます。相手も自分が正当だということを認めさせようと、そして押し通してきます。自分の心の不具合を隠そうとするとか、認めたくないからといってなすりつけられてばかりなのはとても不快です。迷惑です。投影のまとにならない為にはどうすれば良いのでしょう?

 

「人との距離感」という本の原稿を今書いていて「あ!今書いている内容だ!」とちょっと嬉しくなりました。

 

人の主観(決めつけ)は、すごいですよね。

 

距離が近くなればなるほど「決めつけが多くなって、余計なことを言ってくる!」となってしまいます。

 

だったら、そんな相手から離れて距離を開ければ良いじゃない!と言われるのですが、すぐに「さびしい」となってしまって「決めつけ魔!」に近づいてしまう。

 

私はそんなことの繰り返しをしていました。

 

昨日も書いていましたが「家族の脳のネットワーク」であるローカルネットワークにつながっていると主観的(決め付け)になります。

 

家の中の知識で判断しちゃうから。

そして、ローカルネットワークの知識を超えた存在に対して「ビビビッ!」と嫉妬の発作を起こしてしまって、破壊的な言動で相手にダメージを与えます。そして、ローカルネットワークの中に閉じ込めてしまう。

 

私も子供の頃に「お前!気持ち悪い!」と言われて仲間外れにされました。

 

「何が気持ち悪いんだろう?」と悩みます。

 

鼻水を垂らしているから気持ち悪いのかな?と思ったけど、他にも鼻水を垂らしている子供はたくさんいました。

 

今振り返ってみれば、キリスト教の家庭で育ったから「人の悪口を言ったら罪で地獄に落ちる」と思っていたので「悪口を言わない!」とか「暴力は振るわない!」というローカルネットワークのルールで動いていて、それが他の子たちのローカルネットワークの規範に合わないから「ビビビッ!」と発作を起こして「気持ち悪い!」という破壊劇な言動になる。

 

でも、私は「気持ち悪い!」と言うのは私の容姿や言動のことだと思って、その言葉が深く刺さって心の傷になり「自分は醜くて気持ち悪い存在なんだ」という最悪な気持ちになっていた。

 

ちなみに「自分は醜くて」と言うのも「決めつけ」ではありませんか?

そうなんです!

 

ローカルネットワークから外れてしまったら、相手は「ビビビッ!」と発作を起こしますが、その発作を脳のネットワークで浴びて、自分も「ビビビッ!」と発作を起こします。

発作を起こして「相手に対する怒りが止まらない!」となってしまうのは、私もローカルネットワークに閉じ込められてしまって「主観的な判断が止まらない!」となるから。「相手は私をバカにしているに違いない!」とか「自分のことを下に見ている」と思い込んでしまう。

 

実際に、ローカルネットワークの母親に「〇〇ちゃんに気持ち悪いって言われた!」と泣いて訴えた次の瞬間に「パシン!」という音が響いて「あんたがそんなみっともない態度でいるからそんなこと言われるんでしょ!」と怒鳴りつけられる。

 

私は、母親からいきなり殴られて「え?なんで?」と一瞬固まってしまって、次の瞬間に痛みと惨めさが襲ってきて「びえ〜ん!ごめんなさーい!」と泣きじゃくる。

 

今考えれば「みっともない態度」ってなに?

多分、母親からしたら「メソメソした態度」のことを言っていたのだと思いますが、どうしてそれがみっともないの?となります。

 

その主観的な判断も母親のローカルネットワークから来ているもので、私をローカルネットワークに閉じ込めておくためのもの。

 

ローカルネットワークに私は長年閉じ込められてしまって「う!貧乏!」という惨めな生活を強いられていた。

ちなみに「貧乏」というのも主観的な判断ですからローカルネットワークの檻の中。

 

「実際にお金がないじゃないですか!」と私はお金で発作を起こしてムカついてしまう。

 

「お金」というのは簡単に主観的な判断が起きやすい。

だから「お金」というだけでローカルネットワークにつながって「ビビビッ!」と発作を起こして「ローカルネットワークから出られない!」という状態になっていました。

 

こう考えてみると面白いですよね。

「あの人はお金持ち」というのも主観的な判断だから「ビビビッ!」と発作を起こしてしまう。

 

主観的な判断をすれば、ローカルネットワークにつながって、発作を起こしてしまうからローカルネットワーク内に閉じ込められてしまう。

 

そのローカルネットワークの中には条件付きの愛が満ち溢れている。

 

ローカルネットワークの住民は、その愛を多くの人に分け与えようとしてくるとっても親切な方(これら全てが主観的な判断でございますが、ここでは“物語”として書かせていただいております)。

 

だからといって「決めつけ(主観的判断)がダメ」ということではありません。

 

人が主観的な判断で発作を起こして、その発作を浴びて「私も発作を起こしている!」ということでローカルネットワークに閉じ込められてしまう。

ローカルネットワークに閉じ込められたら、決めつけバリバリになりますから「現実がなにも変わらない!」と主観的な判断で発作を起こしてローカルネットワークから2度と出ることができない、という決め付けに縛られる。

 

ローカルネットワークからグローバルネットワークにつながるのは簡単!

 

それは「あ!発作を起こしている!」と認めちゃうこと。

 

相手が発作を起こしているのは、どうでもいい。

なぜなら、ローカルネットワークの愛に満ち溢れている中で生き続けられるのですから(これは物語として書いています)。

 

問題は、自分はそのローカルネットワークの愛じゃ満足できない!となっていること。

 

グローバルネットワークの無限の知識の中で、無条件の愛に浸りながら自由に生きたい。

 

そのためには「あ!(私は)発作を起こしている!」と自分の中で唱えて認めちゃうこと。

 

すると、発作は消えて、無意識の世界につながることができる。

 

人前で固まってしまう時、イライラしちゃう時、ふてくされて黙りこくってしまう時、お金がないと焦っている時、惨めな気持ちになっている時、相手に怯えている時、など「あ!発作を起こしている!」と唱えてみると、発作を起こしていることを自動的に認めてしまうから「発作が収まった!」となります。

 

そして、無意識の世界の扉が開き、無限の知識を使って自由に羽ばたくことができる。

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/11/19

素敵なお花をいただきました。

ありがとうございます。

 

質問コーナー:

嫉妬が起きるは無意識的であることを感じます。無意識の中からすれば意識の感情も勝手に沸き上がってくるから無意識のように感じています。嫉妬も無意識も実は一緒ですか??

 

嫉妬は「自分よりも低い立場なのに、自分よりも優れたものを持っている」という条件で起きてしまう「発作」です。

 

この条件で「ビビビッ!」と脳に過剰な電流が流れて、破壊的言動を起こさせる脳の部位などを刺激してしまうから「あいつめー!」と破壊的な言動が止まらなくなる。

破壊的な衝動が自分に向かってしまうと「自分自身を破壊してしまう!」と人間関係やチャンスを全て打ち壊していきます。

 

そして、発作を起こしている人と一緒にいるだけで「私も発作を起こしてしまう!」となってしまうのは「相手の脳を真似る」というミラーニューロンがあるから。そして、ミラーニューロンは脳のネットワークを作っていて「どんどん嫉妬の電流が流されてくる〜」と大変なことになってしまうんです。

 

この嫉妬の発作は「意識的に起こしているもの?」と悩んだことがあります。

なぜなら、相手から突然、嫌なことを言われたり嫌味を連発されて「あれ?私って何か悪いことをしたっけな?」と自己反省をしていたから。

 

私の目つきが悪いから?

 

それとも私の喋り方?

 

いや、話の内容が不適切だったから?

 

こんなことを悩みながら私はずっと私の人生を苦しみながら生きてきました。

 

わかったことは「あ!相手は意識的に発作を起こしてるわけではないんだ!」と言うこと。

電車に乗った瞬間に「ビビビッ!」と嫉妬の電流が飛んでくることから「何も言わなくても、どんな態度でいても嫉妬はされる!」ということで「私のせいではない!」となります。

 

そして、嫉妬の発作を起こして破壊的な人格に変身してしまっている相手のせいでもない。

なぜなら、脳のネットワークで自動的に「自分よりも低い立場なのに、自分よりも優れたものを持っている」という判断をしてしまって発作を起こしているから。

 

接触した瞬間に「ビビビッ!」は起きます。

だから「この嫉妬自体も無意識でやっているんでしょ!」という疑問につながるわけです。

 

この嫉妬の発作を起こしてしまうベースは「家族(両親)の脳のネットワーク(ローカルネットワーク)」になっています。

「優れている or 劣っている」、「きれい or 醜い」、「お金持ち or 貧乏」、「かっこいい or 気持ち悪い」、「頭がいい or おバカ」、「素敵 or 恥ずかしい」などの基準は「主観的判断」となります。

 

主観的とは「ものの見え方、感じ方が自分だけの見方にとわられているさま」のことです。

 

最近も、すごく興味深いことがあったのですが「人とコミュニケーションが普通の人と同じように取れない」という特徴を持ったお子さんが「夜中に暴れる〜!」と両親が困っていました。

夜中に突然、歌い出してしまって「眠れない〜」と大変な毎日。

 

このお母様は、このコミュニケーションの特徴を持ったお子様が「みんなと一緒にいて嫌なことがあったから不機嫌になっている」とか「道を歩いている途中で人から嫌なことをされたから、怒っているのかも」と想像して、それで対応します。

そして、夜中にお子様は歌い出す。

 

ある時、このお母様が「主観的な判断はもうしない!」ということが自然とできるようになって「お子様の気持ちを考えないで自分のために生きる」ということをしました。

 

そうしたら「あれ?お子様が静かになった!」と私がびっくり。

以前だったら、お子様とお会いした時に「おー!私の心がブルンブルン振り回される〜」という落ち着かない感じだったのが「シーン」としていて落ち着いていられる。

 

そのお子様と一緒にいて不思議な安堵感が得られた。

「これが無意識の状態なんだ」と嬉しくなりました。

 

発作は、両親の脳のネットワークの影響を受けて起きているもので「ローカルネットワーク」の賜物です。

 

発作は、ローカルネットワークから出ようとするものを阻止するセキュリティーのようなもの。

 

無意識はグローバルネットワークでありとあらゆる知識と知恵に繋がれるので「主観的な判断がなーい!」という状態。

だから発作が起きない。

 

発作がないのがグローバルネットワークに繋がっている状態で「ありとあらゆる知識につながることができる」という状態なんです。

 

発作も自分が意識していなくて起こすものだから「無意識がやっているのでは?」と思ってしまいますが、ローカルネットワークの影響を受けているもの。

 

私たちの「無意識さ〜ん!」との違いは「そこに愛があるんか?」です(あのCMが頭から離れない)。

 

無意識の中には「無条件の愛」があります。

「どんなあなたでも良いよ!」となっているから「上 or 下」がないから嫉妬が起きない。

 

嫉妬が起きたら「お!ローカルネットワークの影響を受けている!」ということで、「無意識さ〜ん!」とグローバルネットワークに繋がり、愛のない世界から愛がある世界へと。

 

ちょっと話はズレますが、あの元宝塚の女優さんがやっているCMを見て「不快だ!」と反応してネット上で書き込んでいる人がいるみたい。

 

「あのそこに愛があるかのCMぜんぜん意味がわかんなくて嫌だ」とか「あのCMウザくない?」と反応をしている。

 

「ぜんぜん意味がわからない!」というのは「ごもっとも!」です。なぜならローカルネットワークですから「限られた知識」の中で判断しようとするから「脳がショートする!(ショートとは、思考の限界を超えてしまって大波電流が流れる様を表現しています)」と発作を起こして破壊的な言動で相手を破壊する。

 

グローバルネットワークに繋がっている人だったら「無限の知識」に繋がって考えられちゃうから、「ありとあらゆる可能性でどんなものにも美しさを見出すことができちゃう!」となるわけですね。

 

インターネット上で発作を起こしている書き込みを見ると「自分も発作を起こしてしまう!」となるから「こんな書き込み不快!」と嫌な気分になるわけです。

 

不快な気分になったら「あ!発作起こしている!」と自分の中で呪文を唱えると「発作が収まってグローバルネットワークにつながれる〜!」となります。

 

あ!発作を起こしてる!」は結構便利。

 

そう、発作が収まって、無意識につながることができたら、この質問をしてくださった人のように、嫉妬の発作を起こしている方の中にも無意識さんが働いている姿が見えてくるから。

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/11/18

たくさんのリクエストをいただき、オンラインカウンセラー養成講座が始まりました。

 

プログラムの3巻まで、私が実際にカウンセリングをやっている場面を撮影しています。

 

そして、私は「頭の中で考えていること」を説明しながらカウンセリングを進めています。

 

普通だったら50分のカウンセリングなのですが、説明をしながらカウンセリングをしているので「倍の時間が掛かった!」と自分でもびっくり。

 

なんだかやっていて自分の頭の中を開けてさらけ出しているような感じで撮影は興味深かったです。

 

一般の人がこれを見て得られるものは「カウンセラーマインド」ですね。

カウンセラーマインドは「相手をできるだけ客観的に見てありとあらゆる可能性を探る」というものです。

 

私が普通の会社で仕事をしていた時には、このカウンセラーマインドがすごく仕事で役に立ちました。

 

様々な場所でカウンセラーマインドを身に着けることで「相手の不快な感情に巻き込まれない」という具合になっていきます。

 

3巻目では「自己肯定感」が低いあなたがすぐに変わる方法(PHP研究所)で紹介した「過去を変える」というのを面接の場面で使っています。

 

どこで呼吸合わせをしていて、どこで呼吸合わせをあえてしないのか?というのも見ていると面白いです。

 

 

質問コーナー:

無意識さんの頃から拝読しております。本を読んだ直後は「おお〜、これからはきっと良くなる」と思いますが、いつもいつの間にか元に戻っており、尚且つ本の内容も身に付いていない有様です。感動だけは残っていますが。これを乗り越える呪文はありますか。どうぞ宜しくお聞かせ下さい。

 

有名な女優さんがMDMAの薬物所持で逮捕されました。MDMAは「愛の薬」などと呼ばれて共感作用があって、アメリカでは心的外傷後ストレス障害に対しての治療に使えるのではないか?と研究が進んでいます。

 

ちょっと前には、薬物依存症のテーマでNHKに体験者として出演していた芸能人の方が「え?また薬物で捕まってしまったの?」となってしまった。

 

薬物って「私はもう絶対に薬物は使用しません!」と意志を固く持っていても、ストレスが掛かってしまって脳に電気が帯電して「ビビビッ!」と発作を起こすと「破壊的な人格」に変身してしまうから「また、使ってしまった!」と元の状態に戻ってしまいます。

 

「発作」で大量の電流が記憶を整理する脳の海馬ちゃんを刺激してしまって「ご破算願いましては」という感じで積み重ねてきたものをすべて「ゼロ!」に戻してしまう。

 

そして発作で脳の怒りの部位である偏桃体を刺激してしまうと「すべて破壊してやろうか!」という感じになって、人間関係、仕事、そしてチャンスなどをすべて破壊する。

 

発作が起きてしまうと、自分の思考はコントロールできなくなって破壊行動が止まらない、となっちゃう。

 

「発作」が起きてしまうきっかけは「孤独」だったり「お金」や「人の嫉妬」などです(代表的なのは)。

 

「大河ドラマで抜擢された!」となったら、周りの女優さんから「嫉妬の嵐じゃ〜!」となってしまいます。

 

自分が発作を起こしていなくても、周りの人の発作が脳のネットワークで伝わってきて「ビビビッ!」と感電してしまうから、発作が起きてしまう。

 

テレビに出ちゃったり注目されれば「ビビビッ!」と周りの人が発作を起こしてしまうから、自分がいくら発作を起こさないように、と気を付けていても「発作を起こさせられちゃう!」という恐ろしい現実があります。

 

「お金」なんかもそうで「お金がない」で簡単に発作が起きちゃう。

 

先日、私がコンビニに行ったときにレジで「あ!財布にお金がない!」となっていて、「ビビビッ!」で自分が能面のような顔になって、そして頭の中がパニックになって思考がコントロールできない状態になってしまった(きゃ〜!はずかしいー!)。

もっと興味深かったのが、私が発作を起こしてパニックになったときに、レジのお姉さんも能面のような顔になって「お!発作を起こしてる!」と不貞腐れた態度になった。

 

発作は脳のネットワークで伝染しちゃいます(ごめんね!店員のお姉さん!)。

 

でも、この時に「あ!発作を起こしている!」と自分の頭の中で認めて唱えてみると「シーン」と頭の中が静かになった。

 

「お!発作を起こしているんだ!」と再び唱えてみたら「お金を忘れたからあとで買いに来るね!」と余裕の笑顔を取り戻して答えることができた。

たぶん、その対応が年齢相応の態度なんでしょうね。

 

以前だったらそれができなくなって「あわあわあわ」という感じでパニックになって、何も言わずに走って逃げてしまっていた。

それは「ビビビッ!」と発作を起こして、記憶を整理する海馬ちゃんが刺激されたときに「みんなからいじめられて学校から何も言わずに飛び出してしまった子供時代に帰ってしまった!」となっていたから。

この状態を「子供がえり」で退行症状と言われています。

 

発作で「ビビビッ!」で記憶がシャッフルして精神年齢が5歳児に戻ってしまう。

 

これを「発作」と認めちゃって「発作が起きている!」と自分自身でフィードバックをしてあげると「発作が止まってちゃんと今の経験を積み重ねた精神年齢になった!」という具合になります。

 

また、元の自分に戻ってしまった、というのは「発作」が連発している可能性があります。

そして「発作が起きてる」と発作を認めちゃうと「あ!本来の自分に戻った!」となります。

 

そう、たくさん無意識さんの力が詰まった本来の自分へと戻っていきます。

 

大嶋 信頼

 


2019/11/16

質問コーナー:

感情と記憶が一致すれば感情は整理されるということですが、トラウマ等により記憶がない場合でも「心に聞く」や「遺伝子コード」で、影響はなくなりますか? また、両親や近しい人のトラウマを自分のものとして扱うパターンもあるのでしょうか?

 

私は「女性と一対一で話をするのが苦手」というのがありました。

緊張しちゃって、声が震えてきて、脂汗が出てきて、頭が働かなくなり自分の思うように話ができなくなります。

話が続かなくなって、沈黙になり「自分はダメだ〜」と焦ってしまうのですが、何もできずに「チ〜ン!」となってしまうのです。

 

女性からしたら、そんな私を見て「男らしくなくて気持ち悪い!」とか「異性を意識しているから緊張している最低なやつ!」という感覚になって「嫌悪感」を持たれてしまいます。

 

相手が残念な気持ちになっていくのが私に伝わってきます。

そうなればなるほど「どんどん緊張が高まって、止まらない!」となってしまって「女性と仲良くなりたいのだけど、自分には絶対に無理!」となってしまっていた。

 

一般的には、確かに「性的妄想に普段からふけっているから、余計な緊張をするんだ!」と思われても仕方がありません。だって、同じ人間と話をするだけでそんなに緊張する必要がないでしょ!というのが常識だから。

 

だって、家族とは普通に話ができるんでしょ!

だったら、変なことを妄想していない限り普通に喋れるはずじゃない、と言われる。

 

だから「こいつ、いやらしい妄想をしているから緊張しているんだ!」と思われてしまう。そして、女性から嫌われる。

 

ちょっと優しい一般の人だったら「女性と付き合いなれていないから緊張するんじゃない?」とかばってくれる。

女性と付き合いなれたら、緊張しないんじゃない?と言われるが「ちっとも慣れないんですけど!」となると「やっぱり、こいつは邪なことを考えているから緊張しているのかも?」となってしまう。

 

本当に女性に近付いただけで「呼吸がまともにできなくなる」という状態になって「自分はいやらしいことを考えているからこうなるのかな?」と自己嫌悪感になっちゃう。

 

本当はただ楽しくお話がしたいだけなのに、自分が緊張すれば、相手に不快感を与えちゃって、そして嫌われていく、というのはわかるのだが、自分ではどうやっても止まらない。

 

この原因が「幼い頃に母親から引っ叩かれていた、記憶から抜けちゃっている心の傷」だった、というのはいまだに信じられない。

 

なぜなら、本当に記憶から抜けちゃっていたから。

 

母親が私に「躾(しつけ)」と称して叩いていたのを見て「そんなに叩かなくてもいいんじゃない?」と止めた、というエピソードを聞かされたことがあるが、私には一切その記憶がない。

 

日曜日に教会に行かされて、私がちょっとでも落ち着きをなくすと、母親が私の太腿を「ぎゅー」っとつねった。

そのエピソードは、誰かから聞いて、母親が「私も厳しくされたのだから」と言われたのはなんとなく覚えている。

でも、その場面の記憶が私の記憶からすっかり抜けてしまっている。

 

私の母親は学校の友達から「お前の母ちゃん、綺麗で優しそう」と羨ましがられていた。

 

私にとって自慢の母親だったし、そんな母親を悲しませる自分が嫌だった。

 

「あれ?」

 

いつも、私が勉強ができなくて、学校の友達からいじめられて泣いて帰ってきて、母親を失望させるから、母親は寝たきり状態になって「いつも体調が悪い」となっていた。母親を苦しませる自分が本当に嫌いだった。

 

「あれ?」

 

殴られていた記憶が抜けてしまっていて、そして母親の姿が美化されてしまう。

いつも、私のために心を痛めて苦しんで、そして体調を崩していたかわいそうな母親、という感じ。

 

心の傷って、記憶から抜けちゃって、そして傷の部分がきれいに加工されちゃうから「私には心の傷なんてありません」という状態になってしまう。

 

でも、確実に「母親と同じ女性」や「綺麗な女性」の前に行くと「トラウマ記憶」の感情が喚起されて「恐怖」がフラッシュバックしてくるから「喉が締まって苦しい!」とか「心拍数が上がって汗が出てくる」となるのだが、それを「性的興奮」と間違って解釈してしまうと「いつまでもそれが消えないじゃない!」と苦しみ続けちゃう。

 

「あ!女性の前で緊張するのって心の傷だったんだ!」と気がついて心理療法のミーティングで話をしても「ちっとも緊張感は変わらない」となっていた。ところが「幼少期の心の傷の治療」をしてみたら、「やった〜!女性の前で緊張しなくなったぞ!」と以前のような「女性の前でまともに呼吸ができない感覚」が消えちゃった。

 

あれって女性に対して性的に意識していたんじゃなくて「本当に心に傷だったんだ!」と自分でもびっくりした。

 

「心に聞く」は、これまでの本に何度か書いてきた「簡単に無意識さんの力使えちゃう!」という便利な方法です(「無意識さん」(青山ライフ)「いつも誰かに振り回される」(すばる舎)、「リミットレス」(飛鳥新社)など)。

 

「心に聞く」はものすごく簡単な方法ですが「ご家庭でプロの味を」という感じで、プロのカウンセラーと同じような効果を発揮してくれるので「記憶から抜けていたトラウマを見つけてくれた!」ということが起きたりします。そして、心に聞いていくと「心の傷の癒し方までちゃんと教えてくれる!」ということが起きてびっくりします。

 

「心に聞く」は最初は「こんなおもちゃで何ができるの?」と馬鹿にするような感覚が私の中にありました。地方のお土産屋さんに売っているプラスチックの刀みたいな感じ。

 

「本当かよ!」という気持ちで使っていた(心よ〜!ごめんなさい!)。

 

ところが使い続けていくと「あれ?これって、木刀みたいにちょっと威力がある?」と使えば使うほど筋肉がついてきた、とメンタルがタフになってくる。知らないうちに心に聞きながら、トラウマが癒されていく。

 

そして、さらに使いづつけていくと「あれ?これって切れ味がものすごい日本刀?」という感じで使うのがちょっと恐れ多くなってきた。

 

最初はプラスチックの刀のように振り回していたのに、使い続けていたら「名刀じゃ〜!」とビビり出す。

プロのカウンセラー真っ青!(いや、たくさん素晴らしいプロの方はいらっしゃいます)。

 

遺伝子コードを使った療法は「トラウマを受けちゃうと普通の人と同じようにストレスに反応できなくなる」という研究から発見された。

 

私が女性の前で緊張しちゃうのは「ストレスに対してまともに反応できなくなる!」という状態になっていたから。

 

これが「遺伝子のスイッチがトラウマによって入ってしまったから!」ということで、「遺伝子のスイッチを切り替えたらまともにストレスに反応できるようになった!」ということがストレス検査で確認ができたことから「遺伝子のコードは使えるじゃないですか」となっている。

 

唾液採取のストレス刺激検査では「どの心理療法よりも的確にストレスに反応できるようになった」というケースがたくさんありました。

 

実際に私も使っていて、身体的な変化が起きる、ということを確認していることから「遺伝子コードでトラウマによってスイッチが入ってしまったビビリや緊張のスイッチをオフにできる」ということが見えてきています。

 

PTSDの関連遺伝子は、まだ少なくて197個だけです。

 

その中から

「FKBP5(えふけーびーぴーふぁいぶ)の還元」×7

「SLC6A4(えすえるしーしっくすえーふぉー)の還元」×7これは私が愛用しているやつです。

「CNR1(しーえぬあーるわん)の還元」×7などがあります。

 

どれも試してみると興味深いです。

そして、自由になっていきます。

 

大嶋 信頼

 

 

アマゾンの「催眠ガール」(清流出版)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

催眠ガール誕生、と書いてくださってありがとうございます。何だか読んでいて鳥肌が立ってしまいました。「諦めきれない自分の声」って素敵だな。私もずっとそれを聞いてきました。それは無意識の声、そして未来の自分の声だったのかもしれません。お出汁のメタファーは私の中で優しく広がっていきます。家族に怪しまれる、って確かに。娘さんに「催眠ガール」を渡して、その後がものすごく嬉しい。お子さんがお腹にいる時に、催眠のお師匠さんの催眠を受けていた方のお子様が「無意識の子じゃ〜」とびっくりするほどすごいことになっていた。無意識の力をちゃんと使っていて「無敵」なんです。別にお母さんが無意識の力を教えたわけではないのに、ちゃんとお腹を通じてお子さんにお師匠さんの温かい言葉が伝わっていた。そんなお子さんに感じた不思議な感覚を今ここで感じています。

 

楽しみ。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 


2019/11/15

泉 園子のカウンセラー養成講座!

このオンライン講座を視聴することによって、カウンセラーにとって必要な知識を身につけられる内容となっています。
これからカウンセラーを目指す方、または、既にカウンセラーとして独立していて、今一度必要な知識を勉強したい方が対象です。
また、視聴内容についてのフォローセミナーも開催する予定です。

 

【養成講座プログラム】
1. インテーク面接
2. 2回目の面接
3. 再アセスメントと簡単な催眠療法
4. 心理職の職責とアセスメント上級編
5. 精神医学(DSM5)
6. 一般身体疾患・薬理学
7. 福祉
8. 教育(学校)
9. 司法・犯罪
10. 産業労働関係
11. 発達(乳幼児、児童、青年)
12. 依存症
13. 認知症
14. DV(ドメスティック・バイオレンス)
15. 心理テスト、心理療法(個人・グループ)
16. 催眠療法
17. 論文・報告書の書き方
18  FAP療法


2019/11/15

素敵なバラをいただきました。

奇跡の薔薇の花束です。

ありがとうございます。

 

質問コーナー:

団体行動が苦手です。複数人で食事などをしたりする際に 会話の中で質問されたり目線が集まるととても居心地が悪くなり、おちゃらけてふざけたり、笑いを取りにいってしまったり…してしまいます 他の人はどうして自然な返しができるのでしょう?そんな時どんな思考をして受け答えをしているのでしょうか?  その場の空気を壊さずにそつなく過ごしたいだけなのですけど、とても難しいです。  質問と言っても普通世間話などなのですが、帰宅してからもっときちんとすれば良かったと、ひとり反省会をしてしまいます。

 

私の場合、家庭の緊張が高くて「ちょっとした事で怒鳴られて殴られる」という恐怖があったので「質問されるのが怖い」となっていました。「この前の学校の試験の点数はどうだったの?」と母親から食事中に聞かれてしまったら「うん、なんとか終わったよ」というごまかし方しかできません。

 

私がごまかしたことが声の調子でわかってしまうので、イライラしている父親は「だったらテストを持ってきなさい」と明らかに「これから怒ります」という口調で言われてしまいます。

 

テスト用紙を持ってくると「8点/100点」と赤ペンで書いてあって、それを渡した途端に父親が「お前、どうして嘘をつくんだ!」と冷たい語調で返します。

 

私は「ごめんなさい」としか言えませんよね。

 

すると父親が「親に嘘をついていて、ごめんなさいじゃないだろ!」とそこから切れて怒鳴りつけられ、私の記憶はそこから飛んでしまいます。

 

その当時のことを振り返ると、父親は会社の経営が最悪で仕事ができない社員をたくさん抱えていてイライラしたストレスを会社で貯めてきます。そして、母親は、姑から虐められていた怒りのストレスで「動けない」という感じで寝たきり状態になっていました。

 

そして、私がダメなことをして帯電した家族の怒りの避雷針役になっていた(避雷針は雷の電気を受けて地面に流す役割のことです)。

 

家族は外で「良い人」を演じれば演じるほど「どんどんストレスが脳に帯電してしまう」ということになり、私はその溜まった電流を発散する受け口として機能していた。

 

一般の人がこんなことを書いているのを読んだら「あんたがちゃんと集中して勉強をしないからそんなことになったのに親のせいにするなんて」と白い目で見られてしまいます。まあ、こんなことは世間的には理解されません。

戦争中の子供たちだってちゃんと緊張下で勉強に集中している子だっているんだから、あんたは何を言い訳をしているんだ、と怒られる。

 

でも、そんな一般の人も「パワハラやモラハラはダメ!」や「セクハラなんかとんでもない!」と厳しい目を向けます。

 

パワハラやモラハラ、そしてセクハラもストレスを脳に帯電した人が、嫉妬の発作を起こして「破壊的な人格」に変身しちゃって破壊的な言動で相手に物凄いダメージを与えてしまうから「ダメ!」となっているわけです。

 

「そんな言葉なんかでダメージを受けるのか?」と弱者の立場に立ったことがない人は疑問に思うみたいですが、確実にダメージは受けます。

 

いや、言葉がなくたって、冷たい視線や無視などでも、精神的なダメージを受けてしまって「まともに生活できない」ということにだってなります。

 

それは脳のネットワークというものがあって、相手が脳内に帯電したストレスの電流で発作を起こして、その電流が相手に注目を向けられた時に大量に流されて「ビビビッ!」と感電させられちゃうから「ダメージを受けちゃう!」となるわけです。

 

この脳のネットワークで流されてきた発作の電流でどんなダメージを受けるのか?というと「発作を起こす」という現象が起きます。

 

嫉妬の発作を起こしているときは「破壊的な人格」になってしまいますが、その電流が流されてきた時に「発作を起こさせられる」という状態になります。

 

発作を起こすと「人格のコントロールができなくなる」という状態。

 

ある人は「良い人」に変身しちゃって人にやさしくするのが止まらなくなります。

 

またある人は「ピエロ」に変身して人前でおちゃらけるのが止まらなくなります。

 

そしてある人は「親切な人」に変身しちゃって、人のお世話をするのが止まらなくなってしまう。

 

「モラルポリス」に変身しちゃって「間違っている人に対する批判や怒りが止まらない!」という人もいます(モラルポリスは道徳警察のことで自警団的な感じ。本当はインドのちゃんとした言葉なのですが、私はマナーの悪い人が気になった時に「あ!モラルポリスになっている!」と自分でツッコミを入れると止まるので気に入って使っています)。

 

あれ?これらの変身しちゃう人格の特徴ってアダルトチルドレンの特徴じゃない!となります(アダルトチルドレンはアルコール依存症や機能不全家族で育って、生きづらさを抱えている人のことです)。

 

要するに、あれって「発作」を起こしてしまって、人格のコントロールが自分でできなくなっている状態。

 

自分で「もう良い人はやめよう」とコントロールしようとすればするほど「脳にストレスが帯電しちゃう!」となるから、人の中に入ってみんなの帯電している脳のネットワークにつながった時に「ビビビッ!」と発作を起こしてしまう。

だから「あーあ、またやっちゃったよ!」という繰り返しになってしまう。

 

「発作」はコントロールしようとするとストレスになり、逆に発作を起こしやすくなってしまいます。

 

発作は「あ!発作を起こしてる!」と自分で気がつくだけで「あれ?発作が止まった」となるから面白いです。

 

みんなのストレスに脳のネットワークで触れてしまった時に「お!発作を起こしてピエロを演じそうになっている!」と気がつくだけ。すると「やーめた!」という感じで、いつも発してしまう言葉を飲み込むことができる。

言葉を飲み込んだ時点で「発作がひどくならない!」となる。

 

家に帰って「人に迷惑をかけてしまったかもしれない」という独り反省会も「発作」ですね。

 

脳のネットワークって「どんなに距離が離れていてもつながる!」という便利な機能が備わっている。

「家に独りだからみんなの脳のストレスに触れないだろう」と思うでしょ。それが大きな間違いで「不機嫌だった相手のことを思い出しただけで相手と脳のネットワークとつながる!」となるから「ビビビッ!」と感電しちゃって「良い人」に変身しちゃって「申し訳ないことをした!」と独り反省会が止まらなくなる。

 

そんな独り反省会が始まったら「あ!発作を起こしてる!」と自分で呟くだけで「あれ?発作が続かない!」という感じになります。

 

こんな感じで「あ!発作を起こしている!」と呟いているだけで「どんどん発作が起きなくなっていく」となり、本来の自分で堂々と座っていられるじゃん、と変わっていきます。

 

発作って、本当に癖になるのよね。

 

そこから自由になっていくと本当の自分で生きられるようになります。

 

「あ!発作を起こしてる!」だけで大丈夫。

 

本来の姿は美しい。

 

大嶋 信頼



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