2016/07/07

今日は七夕。

 

青空が広がっているから、今夜は天の川が見えるかしら。

 

小学校の頃は、近所の空き地からでも天の川が見えた気がした。

 

”天の川”で一番の思い出があるのは千葉の九十九里海岸のそばにあった親戚のおばさんの家の芝生に寝そべって見上げたあの空。

 

澄んだ空気を胸いっぱい吸いながら、夜空を仰ぎ見ると、まるで雲のような星の集まりがずーっと帯状に続いている。

 

芝生の柔らかい感触を背中で感じながら、双眼鏡で流れ星を探していると、人工衛星が見えたりして、夜空を眺めているのがとっても楽しかった。

 

しばらく星空を眺めていない。

 

フッと高村光太郎の智恵子抄のあのセリフが思い出される。

 

日常の忙しさにかまけて、あの満天の星がいつの間にか自分の頭から抜けてしまっていた。

 

あの星空をもう一度見てみたい。

 

空いっぱいに広がるあの星空を何も考えないで仰ぎ見たい。

 

 

 

 

 

 


2016/07/06

家の中で「俺は偉い教祖様なんだ!」と暴れているお子様の相談を受けさせていただいたことがあった。

 

病院では「統合失調症ですね!」と言われた。

 

引きこもって家から一歩も出れないのに「偉い教祖なんだ!」と言っている姿を両親は受け入れられなかった。

 

そんな両親に「時代が違ったら、息子さんの様な症状の方は確かに教祖様とあがめられていたでしょうね!」とお話をした。

 

お告げが聞こえてしまったり、人には見えないものが見えてしまったら「おー!この人はただ者じゃない!」と昔だったら教祖様に祭り上げられていたかもしれない。

 

でも、今は「ハイ!病気ね!お薬を飲んで!」と情緒ない対応をされてしまう。

 

「なんて情緒の無い時代なんだ!」と言ったら、両親は笑ってくださった。

 

この方の場合、どこかの教祖様と接触してから「俺の本当の姿は教祖様だ!」となってしまったから、脳のネットワークでその新興宗教の教祖様とつながってしまって、教祖様の脳内のストレスを請け負ってしまって動けなくなっている(という仮説)。

 

たくさんの信者さんを抱える新興宗教の教祖様だったら、ストレスを抱えている信者さんたちの脳と繋がってストレスを請け負わされてしまう可能性がある。さらに新興宗教だったら、脱退した人たちとその家族からも恨まれていたりするから、さらに教祖さんが請け負うストレスはものすごい物だったりする。その脳と繋がってしまったら「ドカ〜ン!」となってものすごい恐怖を感じてもおかしくない(ドカ〜ン!って何?)。

 

人間のドロドロしたストレスを一気に請け負ってしまったら、もの凄い恐怖に襲われるんだろうな〜!なんて考えてみると、息子さんの症状の見え方が変わってくる。

 

教祖さんが教祖になるためには、色んな人を犠牲にして、その人たちを踏み台にしてのし上がっていく。その過程でいろんな感情や感覚が麻痺していく。純粋さや繊細さなどが一切必要なくなれば、他人からストレスを流されてもそれなりに対応できてしまったりする。

 

でも、純粋さや繊細さを持っている男性がその教祖さんのストレスを請け負わされた時に、何かが崩壊していく。

 

そんなことを考えていると、本当につながる人って大切なんだよな〜!と思ったりする。

 

「私はあの人のせいでこんなになってしまった!」と人が言うと「そんな人のせいにばかりして!」と否定されてしまう。

でも、脳のネットワークが存在していてデータのやり取りをしている、という仮説を立てた時に「それってあり得るかもしれない」となる。

 

こんな仮説を立てて、目の前の男性のハンディーを差っ引いて計算していくと、本来の男性の姿が見えてきて「この方ってすごいかも!」と思えてくる。

 

その面接を終えた後に、表参道の道を歩いていたら、夏の暑い日の中に青いバンに4人のスーツを着た男性が窓を開けて乗っていたのを見た。

 

そのとき「え!?」と自分の目を疑った。

 

さっき、会ったあの教祖様の男性とと同じ顔の男性がスーツを着て暑い車内を微妙な表情をして同僚とみられる男性と一緒に座っていた。

 

信号待ちで止まっていたので、目をこすってもう一度見てみたがやっぱりあの男性と同じ顔(幻覚か?)。

 

両親が望む別時間軸に一瞬、迷い込んでしまったのかもしれない、と思ったらちょっと面白くなってきた(妄想か!)。

 

人の中にはいろんな姿がある。

 

それがとっても興味深い。

 

 

 

 

 


2016/07/05

大学を卒業して、クリニックで働くようになってから、同僚に知能検査をしてもらった。

「あれ〜!」という結果だった。

自分が思っているよりも比較的低く出てしまって「ショック!」。

そこで、日本語の語彙の部分だけ、25歳レベルから高校生の18歳のレベルで計算しなおしてみた。

すると「これだったら納得!」という点数になった。

 

大学の時はほとんど日本語で勉強していなかったので語彙レベルが高校生で止まっている(という仮説)で計算したら、自分でも「まあ!こんなレベルだよね」という感じになる。でも、普通のカウンセラーはこんなことはやってくれない。

「ハイ!あんたの知能は低い〜!」とされてしまう(どんだけ語彙の点数が低かったんだ〜!)。

 

アメリカで知能検査を受けた時はぴったり高校生の平均点だった(日本で受けた知能テストとは全く違うやつ)。

語彙を使ったIQテストでぴったり平均点。

「俺ってあほだ〜!」と言ったら「お前は母国語で受けていないからこの点数で当然だ!」と怒られた。

 

じゃあ、何で日本で知能テストを受けたときに、日本にいなかった期間を差っ引いて計算ができないの?ということになる。

ここが問題である。

 

目の前のクライアントさんに対して「すげ〜!」とカウンセラーが言うと「また、このカウンセラーは商売でおべんちゃらを言って!」と言われてしまう。

 

でも、それは違う。

様々なハンディーキャップの分を計算しなおして、その方本来の姿を見ているから「スゲー!」と見えてくる。

 

ものすごい両親に育てられたハンディーキャップ。

誰からも理解されず四面楚歌の中でストレスにさらされ続けたハンディーキャップ。

両親のストレスを請け負わされたハンディーキャップなどなど、育ってきた環境を聴取すると様々なハンディーキャップがあって、それを加味した計算をしていくとその人本来の姿が見えてくる。

 

だから「すげ〜!」と本心で思える。

 

もしかしたら一般の人も無意識でその計算をして相手の本質を見ているのかもしれない。

だから「自分はダメだけどあの人は凄い!」と思えてしまうことがある。

 

でも、この「自分はダメだけど!」というのがポイントである。

 

ここで、一見、相手と比較して「相手と比べたら自分はダメだ」と言っているように聞こえる。

実は「ハンディーの無い自分と比較して」ということがこの言葉には隠されていたりする。

 

私の知能テストのように、もし日本の大学に行っていたらもっと知能テストの点数が高く出ただろうに、というのは別時間軸の話になる。

一生懸命に勉強して日本の大学に進学していた時間軸の自分と比べたら「駄目だ〜!」となってしまう。

もし、あの時、日本の学校を選択していたら、という事を考えるということは、別時間軸が存在していて、別の人生を歩んでいる自分が存在している。

 

カウンセリングでは、そんな別時間軸の姿も計算に入れながら見る必要がある。

 

面白いのだが、私の場合は「日本にとどまっていたら」ということを想像してもその世界は展開していかない。

30歳までは想像できたが、それ以降の人生がイメージできなくなってしまう、ということは、別時間軸の自分の人生はそれほど長くなかったかも?と考えると面白い。

 

もしかして、あのお師匠さんに出会ってから、私の時間軸は割れなくなってしまったのでは?と考えることがある。

 

他の時間軸の自分をイメージして、その自分のストレスを背負うことが無くなる。

いつも単一の時間軸で自由に生きることができている。

 

いつの間にか別時間軸がイメージできなくなっている自分がここにいる。

 

それがとっても興味深い。

 

 

 

 

 


2016/07/04

素晴らしいレビューをありがとうございます!

 

読んでくださる方が、楽に、自由になってくださったら本当にうれしいです!!

 

私たちが求めている”自由”ってどこかに存在しているんですよね。

 

多くの人はそれは「夢物語だ!」と否定します。

もしかしたら、以前は私もその一人だったと思います。

 

お師匠さんがFAPのセミナーを見てくださった時に「いつか、治療に指の順番を使う必要がなくなる時が来るかもしれませんね〜!」と仰っていた。

 

その時、アホな私は「いいえ、先生、指の順番が大切なんです!」と豪語していた(アホだ〜!)。

 

クライアントさんたちからも「先生、話はいいから呪文だけ下さい、呪文だけ!」と言われた時に「こうして話を聞いて治療者が共感することが大切なのに、なんでそんなカウンセラーを否定することを言うのだろう?」と思っていた。そして「そんな簡単に楽になる呪文なんてありません!」と言い切っていた。

 

お師匠さんもクライアントさんたちも、未来を見ていた。

 

みんなの願いがどんどんかなっていく。

 

そんな興味深い体験を本を読んでくださった皆さんと一緒にしている気がしています。

 

本を読んでくださる皆さんと一緒に、私の中のこれまでの常識がどんどん変わっていく。

 

そして、常識に縛られていた私自身が皆さんと一緒に楽になっています。

 

本当に感謝です。

 

大嶋 信頼お礼

 

 

 


2016/07/04

昨日はものすごく暑かったですね〜!

 

ちょっと外で作業をしていたら汗だくになってしまって、15分と持たなかった(ちょっと外に出て作業をして、そしてまた部屋に戻ってを繰り返していた)。

 

「普段、クーラーの効いている部屋で仕事をしているから余計に外の暑さに弱いんですよ!」とサーフィンの仲間から言われてしまった。

 

「確かに!」

 

夕方からお友達と一緒にサーフィンをして「楽しい―!」(海水浴シーズンになってしまったので朝は海に入れなくなってしまった。もっと早くに起きなければ。厳し〜!)。

 

やっぱり、一人でやるよりもみんなと一緒にやったほうが楽しい。

 

「あ〜!早く波に乗れるようになりたいです!」

 

でも、大切なのはそこに至るまでの工程(プロセス)。

 

 

「時間軸の話は難しい!」と読者はどんどん離れていく。

 

でも、この話って、何でクライアントさんが「やらなければ!」とか「やりたい!」と思っていることができないのか?という現象への仮説を立てて、そして、その呪縛から解放される為のスクリプトも兼ねている。

 

仮説は斬新であればあるほど興味深くなる。

 

カウンセリングにやって来られる方の知能の高さには驚かされる。

あ!そういえば、昨日、サーフィン仲間が「そんな人生のことで悩んでいる人がいたらみんな海に入ったらいいんですよ!海に!」と言っていた。

 

カウンセリングにいらっしゃる方が、海に行くことを想像すると、そこで発生する人間関係のトラブルや、海での事故のリスク、そして体力の問題や紫外線の問題などを考えてしまって、疲れ果ててしまう。

 

一般の人からすると「何もしていないのになんでそんなに疲れているの?」とあきれる。

「何か行動して疲れるのだったらわかるけど、何にもしてないのに?」と白い目で見られてしまう。

 

この疲れは一般の人たちには伝わらない。

でも、カウンセリングをやっていると、そのものすごい疲れは伝わってきて「これは何をするにも難しいよね」と思ってしまう。

 

思考するだけで疲れてしまう。

 

単純な仮説では、考え始めて緊張のホルモンが分泌され始めたら、普通の人の脳だったら「もう十分に分泌されたぞ〜!」と止まるのだが、止まらない脳だから分泌され続けて緊張が止まらず、それで疲れてしまう。

 

緊張のホルモンが分泌され続けて、ずっと考え続けてしまうので、ありとあらゆるリスクや問題がシミュレーションできる。

それを一般の人から見れば「頭でっかちで何も行動できない人」とされてしまう。

 

口先だけで何も行動できない人、という枠組みでくくられて、そこから出られなくなる。

 

でも、臨床の中でそんな方を見てると「ただ頭で考えを巡らせている頭でっかちとは違う!」と思える。

ただ考えて、いろんなシミュレーションを弄くり回しているだけとは何かが違う、ということから、時間軸の話が出てくる。

 

 

私のサーフィンの例を取れば、去年の9月から「これからサーフィンを始めよう」と考えて、脳のネットワークを使って現在の自分の脳と繋がってしまったら、去年の自分は「やっぱり怠いし面倒臭いからやめよう」となっていただろう(何も考えなかったから始められた、と思っている)。

 

サーフィンを始める時、一週間に4,5回のペースでジョギングをしてるから、ある程度の筋肉がついているから大丈夫だろう、と思っていた。

でも、ジョギングで使う筋肉はサーフィンでは全く使えなかった。だから、海に行くたびに全身筋肉痛が一週間続く時期が4カ月以上続いた。

 

去年の自分の筋肉量で、現在の自分の脳のネットワークにつながった時。

全く違うので「無理〜!」となってしまう。さらに、そこに至るまでの筋肉痛の記憶も脳のネットワークで受け取ってしまうので「こんなに苦痛だったら無理〜!」となってあきらめる。

 

「何も挑戦しないであきらめている」と他の人は思うのだが、実際は「サーフィンを始める」と想像したときに、サーフィンを始めて10か月後の自分の脳とネットワークでつながって、その自分の情報をいっぺんに受け取ってしまうから、身体が怠くなり、いろんな失敗の経験も一気に受け取ってしまうから「やっぱり面倒くさい」となって「始めるのをあきらめる」という結果になる。

 

そして、サーフィンをしていた時間軸とは違う時間軸を歩むようになる。

 

別時間軸の自分は合気道のことを例にして”別時間軸”の仮説を展開していたかもしれない。

 

 

「何かやろうとしても一歩踏み出せない」とか「楽しめない」というのは、未来に思いをはせた段階で、未来の自分の経験値を一気に受け取ってしまうから。それは、精神的なストレスだけじゃなく、身体的な負荷も受け取る、と仮説を立ててみるとさらに面白い。

 

だから、考えてしまうと何もできなくなる、という興味深い現象が起きている(という仮説)。

 

 

そして、この時間軸を使ったスクリプトの方が、いつの間にか考えることを止めて、身体的、精神的ストレスから自由になっていけるような予感がしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016/07/02


魚屋さんで買い物中。


朝から人がいっぱい。

 

見ていると朝からうなぎ食べたりして「うらやまし〜!」。

 

まあ、自分も食べればいいのだけど、食べちゃうと頭の働きが鈍っちゃうような気がして怖くて食べられない(弱虫〜!)。

 

そうなんですよね!いつもと違うことをしてみないことには新しい世界は開けない。

 

ここに来ていらっしゃる観光客の方々は、いつもと違うことをして自分の世界を広げている。

 

ちょっとニューオリンズの市場に行ったときのことを思い出した。

あの時は、朝からザリガニを食べていたな〜!

あの時は、楽しかったな〜!

なんて思い出してタイムスリップする。

 

記憶が変わっていって、誰と一緒に行ったかなんて抜けてしまっている。

ただ、楽しかったあの思い出だけが残っている。

 

ジャズバンドの演奏とザリガニの美味しさ。

 

中学の時にラジオの音楽番組でジェットストリームという番組があって、城達也さんが曲の合間に旅行の場面の話をあの渋い声でしてくださる。

 

その時にニューオリンズでのオイスターの話が出てきた。

 

「オイスターを12個下さい」と注文したら、店員さんが「それは多いよ!」と止めた。

 

「いや!食べられるから大丈夫!」

 

太った定員さんは「そりゃむりだって!」と一生懸命にとめている。

 

でも、せっかく来たのだから、12個ぐらい食べたいのだから、と無理やり注文したら12ダース(12個×12)が来てしまった。

 

確かそんな話が頭に残っていて、ニューオリンズに思いをはせて、自分もそこに旅行に行った。

 

でも、貧乏学生だったので注文したのはザリガニばかり。

横目でオイスターを食べている人を見ながらザリガニを「おいしい!」と言いながら一生懸命に食べていた。

 

あの時の思い出がよみがえってくる。

 

非日常って素敵かも。

 

 

 


2016/07/01

FAP療法のセミナーが10月29日と30日の二日間で開催されます。

 

以前、このブログでFAP療法のことは紹介したのですが「誰でも簡単に心の傷の治療ができるように」と開発されました。

 

セミナーの中ではFAPの仕組みの説明や、どのようにして治療をするのか、などを皆さんと一緒に治療方法を実際に使ってみながら学んでいきます。

 

カウンセリングの中で一番大切なことって”悩みの本質にあるものを探ること”だったりします。

 

例えば「息子がちっとも朝起きなくてだらだら生活して社会適応できないんです」というお母さんの訴えがあったら、一般の人だったら「お母さんが過干渉だから子供が甘えて動けなくなる」と判断してしまう。

 

でも、専門家が話をきちんと聞いて「もしかして息子さんの脳に何か異常があるのかも?」と病院で検査をしてみると、「脳内に腫瘍が見つかってホルモンのバランスが崩れていたから動けなかったんです!」と分かったりする。

 

お母さんの過干渉、と責めていたらいつまでも問題は解決しない。

 

でも、この”悩みの本質にあるものを探る”というのはものすごい知識と経験が必要になる。

 

でも、FAPを使うと誰でも簡単にそれができるようになってしまうかも?という方法。

 

さっきのケースだったら「お母さんの過干渉の問題なの?」とFAPを使って確かめると「違う」という回答が出ちゃう。

 

「息子の身体の問題!」とFAPで確かめると反応が出るから興味深い。

 

FAPを使っていくと、実際に自分たちが見ている世界と全然違う世界が見えてくるから面白い。

 

「お母さんの過干渉」は思い込み。

 

FAPを使っていくと、その思い込みから簡単に解放されて、問題の本質が見えてくる。

 

自分に試してみるとさらに興味深い。

 

「え〜!自分ってこんなことを考えていたんだ〜!」と意外なことが見えてくる。

 

そんな手法を実践を交えながら紹介します。

 

FAPはどんどん進化しているので、新しい情報が満載。

 

ただ心の傷を癒す手法ではなくて、問題の本質を見極めてから心の傷をいやす治療法をセミナーの中では紹介していきます。

 

食べもや飲み物が心理的、身体的に及ぼす影響なども紹介していくので、FAPを学んだあとの生活が楽しくなっていきます。

 

参加してくださる方と一緒にFAPを楽しめたら、と思っております。


2016/06/29

ある方が「心に未来のことってあまり聞かない方がいいんですね!」とさわやかな顔をして教えてくださった。

 

テストの前に「心よ!私は良い点数が取れるの?」と聞いたんです。

 

そしたら”心”が「取れるよ!」と言ってくれたから安心しちゃったんです。

 

安心しちゃったら、何だか勉強する気が起きなくなって、テストの直前になって「やばい!全然勉強していなかった〜!」と大変なことになってしまったんです。

 

「心よ!全然違うじゃん!」と思ったのですが、未来のことを知った段階で未来が変わってしまうんだな!って気が付いたんです(お〜!すげ〜!)。

 

”心に聞く”がインチキじゃんか!というクレームの話だと思ったら、ものすごい深い話をしてくださった。

 

多分、一度目に心に「心よ!私は良い点数が取れるの?」と聞いた時と2回目に聞いた時は答えが違ってくる。

 

それは、未来の結果を知ってしまったらその後の行動が変わるから。

 

確かに「良い点数が取れるよ!」と言われたら、私も安心しちゃって勉強しない(あるある!同じ経験が!)。

 

小学生の時に、いじめっ子に対する対応を一晩中、考えて学校に行ったら、まるでその対処方法をいじめっ子が知っていったかのように裏をかかれて、ますます酷い虐めにあって悔しい思いをした経験が何度もあった。

 

本当に、私の対処方法を知っていたかのようにいじめっ子が動いたのは、いじめっ子が無敵ですごいから、と思っていた。

 

でも、実際は、未来のことを考えてしまったら、その時点で考えている時間軸とは別の時間軸が作られてしまう。

 

未来のことを想像してるようで創造している。

 

考えているようで、いじめっ子にうまく対処している時間軸を作り上げてしまっている。

 

うまく対処している自分の未来を知っているからこそ、その知識があるがゆえに別の時間軸が出来上がってしまう(あ〜あ!もっと簡単に書こうと思ったのに難しくなっちゃった!)。

 

テストと同じで「いい点が取れる!」と安心しちゃったら、それを知らなかった時と、知っている時では結果が変わってしまう。

 

「いじめっ子にこれだったらうまく対処できる!」と想像してるようで、実際は成功している未来の自分の脳にアクセスしてその経験値を受け取る。でも、その未来の知識につながった時に勉強と一緒で未来が変わってしまう、という面白い考え方である。

 

「物事が裏目に裏目に出てしまう」という人生を歩んできた。

その”裏目”というのは”成功体験”を想像しているから”未来が変わる”という体験をしているだけ。

 

そんな風に考えてみると、あの有名な映画の女優さんが最後の最後で「明日は明日の風が吹く」と言ったセリフの深さがわかるような気がする。

 

アホが一番得をする(パンパンパン!)。

 

 

 

 


2016/06/28

ある方から「心に聞くって変ですね!」と言われた(確かに!)。

 

「だって、自答自問みたいなもんだもの」と仰っていた。

 

確か、無意識さんの本にも「自答自問みたいなものだけど、”心よ!”とつけるだけで」というようなことを書いていたかもしれないが、改めて他の人の口から”自答自問”みたいなものと言われると妙にこそばゆい感じがした。

 

自答自問をしているとぐるぐると頭の中で空回りをしてしまう、という体験を長年続けてきた。

 

でも、”心よ!と質問の初めにタグを付けることで”無意識さん”からの答えが得られて、いつの間にか空回りから抜け出せるのは興味深い。

 

この”心よ!”というのは、催眠のお師匠さんが観念運動応答法の時に使っていたのを「すごい!」と思って使ったのがきっかけだった。

 

お師匠さんは、ある学会の基調講演の記録のあとがきで「思えば、<無意識>という言葉自体が、ある文脈において間違いなくクライアントをそれだけでトランスに誘うのである。それは確かに、人の意識的な内容を次第に解体しうる作用を持っている」(ブリーフサイコセラピー研究10(2001))と書いていた。

 

「無意識」という言葉を使うだけでクライアントさんを催眠状態に入れてしまう、という。

 

そのお師匠さんが使っていた”心よ!”という言葉にも”無意識”と同じような効果があって”意識=支配されている思考”を解体する力を秘めている、と考える。

 

だから、心から面白い答えが返ってくる。

 

「人間の本質は矛盾と葛藤と逆説である」と教えていただいたのもクライアントさんの”心”に聞いたからである。

 

「そんなこと知っていたの?」と聞いても「なんだかどっかで聞いたことがあるのかもしれないけど」となんだかうやむやな感じでリソースはモヤモヤするが、クライアントさんの心から聞いた答えはものすごく力強く聞こえている。

 

クライアントさんは”自答自問”のような感覚なので「え〜!自分がどこかで聞いたことを喋っているんじゃない!」と思うから「こんな答え大したことじゃないのでは?」と思うのだが、こうして私が書いていると「皆さんの心ってすごいですね〜!」と感心する。

 

内心「あなたの心もすごいんですけど!」と思っている。

 

隣の芝は青く見える。

でも、隣の芝にあこがれてせっせと手入れをしていると、芝の密度が上がっていつの間にかフカフカの芝に横たわることができる(なんのこっちゃ!)。

 

「みんなの心は凄いな〜!」と思いながらせっせと心に聞いていると、いつの間にか自分は違う次元に到達していた。

でも、自分ではそのことに気が付き難い。

 

だから、せっせと心に聞いて知らず知らずのうちにどんどん無意識さんとお友達になって自由になっていく。

 

 

 


2016/06/28

「FAP療法のセミナーってなにをやるんですか?」と質問をされた。

FAP療法って、トラウマ治療の為に編み出された方法で「誰でも簡単にトラウマが治療できる!」というもの。

 

当時は、クライアントさんのいじめのトラウマの話なんて聞いてしまうと、子供時代の惨めな体験が思い出されて、当時の惨めな感覚に引き戻されて苦しんでいた。

家に帰ってからも、惨めなあの感覚がよみがえってきてしまって自分の頭を叩きたくなる(ドン!ドン!ド〜ン!)。

 

「あ!そうだ!自分で治療しちゃえばいいんだ!」と思って、朝早く朝日が昇る頃にアパートの階段のところに座って「10歳のトラウマ」とかつぶやきながら治療をしていた。

 

「お!これって効く!」と自分で言うのもなんだったけど、どんどん惨めさが軽くなっていくのが自分で分かった。

 

あの時「あ!本当に過去って変わるのかも!」と思った。

 

あの惨めな悲惨な過去が幻想の世界としてちゃんと見られるようになる。

そして、未来の自分がどんどん自由に変わっていく。

 

自分自身にFAP療法を使ったあのとき、とても面白かった。

 

 

ちょっと話は変わるけど、催眠のお師匠さんのことを知ったのは「現代催眠入門」という本を池袋の大きな本屋さんの心理学コーナーで手に取ってからだった。

大学時代に友達が催眠療法の本を読んで、実験してみたら覚醒させられなくなって問題になった、ということから「お〜!催眠療法ってすげ〜!」と関心を持っていた。

 

お師匠さんの本には現代催眠の基礎の講座の案内のチラシが挟まっていて、それを大切に持っていた。

自分の性格からして「行きたい!」と言いながら実践しない、という傾向があった。

「勉強しなければ」と言ってもなかなか実践しない、と自分では「だらしない人間」と思っていた。

 

だから、このチラシも持っていながら申し込まないんだろうな〜!と内心思っていたが、ある時、家庭内暴力のケースで行き詰って、自分の臨床の限界を感じて、お師匠さんの講座の申し込みの電話をかけてしまった。

 

「現代催眠入門」の本読んでから私の中ではものすごい”神聖化”が起きていた。

素晴らしい場所で、素晴らしい人たちと一緒に素晴らしい講師の方に催眠療法を教えてもらって、催眠療法を完璧に使えるようになって帰れる!と期待していた。

 

お師匠さんのオフィス?の住所に行ってみたら、普通の古いマンションの一角で、懐かしい鉄の扉を開けてみると、メガネをかけたサラリーマンのようなおっさんが受付をしていた。

 

神聖化から一気に私の中で”こき下ろし”に変わる。

 

「こんなところに居たくない」と逃げたい気持ちを一生懸命に抑える。

 

そんな私の気持ちをお師匠さんは多分見抜いていたんだと思う。

 

絨毯の上に鉄パイプの椅子があって、そこに参加者と思われる人たちが丸く座っていた。

 

「専門家じゃないじゃん!」と見て一発でわかってしまった。

 

「え〜!」と私の中で何かが崩れていく。

 

逃げたい気持ちを抑えて渋々、自己紹介までたどり着いたら「やっぱり専門家じゃないじゃん!」となって「こんなんでどうやってみんなで催眠療法を学ぶんだ!」という絶望的な気持ちになった。

 

そして、私の自己紹介の番になったら、急にお師匠さんが「大嶋さんは苦労人でして、若くして5人のお子さんを育てていらっしゃるんです」と勝手に紹介してしまった。

 

「ひえ〜!」

 

でも、この時、一瞬でお師匠さんの意図を受け取った。

 

「お師匠さんは、私がこの参加者の女性と男女関係のトラブルになると思って先手を打ったな〜!」

 

「や〜る〜な〜!このおっさん!」とお師匠様の見方が全く変わってしまった。

 

そして、みんなの前で「そうなんです、子供がたくさんいて貧乏で...」とお師匠さんの投げたパスをしっかりと受け止めてドリブルをする。

 

このとき、参加者の皆さんの見方が自分の中で全く変わった。

 

「なるほど!この場って実践の場にしろってことなのね!この方怖いかも!」と思った。

 

ほんの一瞬で、お師匠さんは状況をすべて変えてしまった。

 

そして、私の臨床のスタイルを変えて下さった。

 

私に足りなかったのは”リスペクト”だったとその時、衝撃的に気付かされた。

心のどこかで「自分には学ぶことなんかない!」とどこかで思い上がっていた自分がちょっと恥ずかしくなったが、5人の子供を抱えている身としては、そんなことはどうでもよくなっていた。

 

出会いって、本当に面白い。

 

あんな凄い技は私には無い。

私には何もないが、なぜか出会えるのは楽しみである。

 

そこに新しいものが生まれるから。

 

 



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