2017/01/18

トラウマの治療中にカウンセラーの頭の中で面白い現象が起きます。

 

トラウマの治療中クライアントさんは何も話をしていないのに、カウンセラーは突然、小学校の時に虐められていたあの惨めな記憶がよみがえってきて、肥溜めに浸かっているような感覚になります。

めちゃくちゃリアルに記憶がよみがえってきて、まるで過去に引き戻されたような錯覚に陥るんです。

 

クライアントさんが小学校のいじめのトラウマを話しているときに、自分の体験も思い出されて「共感できる〜!」って涙を流すんだったらわかるんです。いじめのことなんか一言も話していらっしゃらない方の治療をやっているときにこのような現象が起きるので「自分はやっぱりダメダメ人間なんだ〜!」なんて気持ちになって苦しくなるんです(エ〜ン!エン!エン!)。

 

何が起きているかというと、クライアントさんのトラウマ体験時の苦しみが脳のネットワークを通じてカウンセラーに伝わってきます。それが、母親から無視をされて育児放棄をされた状態であっても、トラウマになってしまうとその幼少期の場面じゃなくて「惨めでものすごく哀れな感覚」だけが強烈に脳にこびりついてしまいます。

 

カウンセラーがクライアントさんの「惨めでものすごく哀れな感覚」を受け取った時に、脳は自動的に「惨めで哀れな感覚の記憶」を検索して引き出してきてしまいます。脳の記憶は感情や感覚で整理されています。

たとえば、マドレーヌを食べたら過去の記憶が一気によみがえった、という有名なエピソードがプルーストの「失われた時を求めて」の中にあります。

 

感情や感覚で整理されているので、同じような感覚になった時に、脳が自動検索をして「こんな記憶がありましたけど!」ってひっぱり出してきます。

 

ここでそのいじめの記憶に浸ってしまって「自分はこんなに苦労して苦しんできたのに、この惨めさは何も変わっていないしダメダメ人間のままなんだ〜!」って思ってしまったら「ハイ!ダメダメ人間の暗示が入りました〜!」ってなっちゃいます。

 

暗示によってすべての認知が歪んでしまいます。だから、全ての人が自分を馬鹿にしているように見えて自分の将来が絶望的なように感じられます(ひえ〜!)。

 

言葉の暗示ってすごいんです!

「自分はあの頃と何も変わっていなくて惨めなんだ!」っていう言葉を使ったら、それが見事に暗示になってやることなすこと「ダメダメ!」にしちゃうことができるんです。

 

そして「ダメダメ!」の自分の過去の嫌な記憶が芋づる式に引き出されてきて、悪夢状態。

まさにドロドロ!

 

それが、治療が終わって水を飲んだら「スッキリ!」。

 

何だったんだ、あの嵐のような過去の不快な記憶は?ってなるんです。

 

トラウマの治療をしているから、「クライアントさんの不快な感覚を受け取ってしまったんだな」って理解できるから「大丈夫!」ってなるんですけど、電車に乗っていても同じような体験をするんです。

 

突然、昔の上司から叱られた記憶が「ドド〜ン!」と蘇ってきて「惨めになる〜!」って。

 

「誰のだ〜!この不快な感覚は〜!」って探してみると面白いんです、これが!

 

(つづく)

 

 


2017/01/17

FAP療法(Free from Anxiety Program)はトラウマ治療の為に開発された療法です。

 

FAP療法は、トラウマの方から飛んでくる不快感をうまく利用する治療法になります。

 

人は、緊張してる人のそばに行くと「緊張する〜!」ってなります。

相手が緊張している、ってわかっていなくても、自然と伝わってきちゃうのは、脳が緊張している人の脳の状態を自動的に真似しちゃうから。

 

FAP療法は、その仕組みを利用して、トラウマ(心的外傷)によって記憶が抜けちゃって不快感がいつまでもフレッシュなままとれないトラウマ記憶を整理します。

 

トラウマの人の脳の状態を真似して、そして真似した状態をもう一度トラウマの人にお返しすることで、”不快”の脳の状態を打ち消し合います(雑音で雑音を消すノイズキャンセリングヘッドフォンや消音スピーカーと同じような仕組みです)。

 

治療中にトラウマの脳の状態を真似するから、治療者はものすごく苦しくなったりします。

以前「娘の治療を見学します」と仰ってカウンセリングルームに入ったお母さんは髪の毛が抜けて脱毛症になってしまったこともあります。

同じように、電話相談で部屋にワンちゃんがいたりするとやっぱり脱毛症になることがあります。

 

トラウマの種類によってその辛さは違うのですが、先日などは、治療中に40度の熱が出た時のように、全身の関節筋肉が痛み、悶えるような苦しみを体験しました。

 

どんなに苦しくなっても「でも、大丈夫!お水を飲めば!」ってことになります。

 

水を飲んで、トイレに流してしまえば「スッキリ!」って治療を始める前の状態に戻ります。

 

この治療法を後輩のカウンセラー達に教えて「水を飲めば大丈夫だから!」とトラウマを抱えたクライアントさんたちの治療を任せました。

 

すると治療後に大量の水を飲んでいるのにもかかわらず、後輩たちがみるみるボロボロになってやつれて顔色が青ざめていきます(ひえ〜!)。

 

あるカウンセラーは2Lのペットボトルの水を抱えて飲みながら治療をやっているのに「なんで?」ということになります。

 

その時に「あ!」って気が付きます。

 

私の場合、面接室には飲み物を持ち込みません。

 

飲む水は面接室の外に置いてある水だけです。

 

「なるほど!確かに、見学しているお母さんやワンちゃんが影響を受けるんだったら、同じ部屋にある水も影響を受けちゃうのかもしれないな!」って思って、外に置いた水を飲んでもらったら「大丈夫!」ってなるから興味深いんです(「早く教えてよ〜!」って怒られました)。

 

この現象を見た時に「本当に自分が感じる苦しみって、自分のモノじゃないかもしれない!」って思ったんです。

 

音を聞こうとして聞くんじゃなくて自然と耳に入ってきてしまうように、音のように飛んでいる苦しみも自然とキャッチしてしまっているんです。

 

音の場合、自分が発している音と他人の出している音の判別はつきますが、飛んでくる不快感の場合は、他人のと自分のものの区別がつかなくなります。

 

だから、飛んできた不快感をいつの間にか自分のモノにして「私が苦しんでいるんだ」と自分のモノにしてしまうと苦しみは固着します。そして、原因が自分ではないので、なかなか苦しみが解消できなってしまうんです(ひえ〜!)。

 

「でも大丈夫!水を飲めば!」

 

「人からの苦しみを受け取っちゃった〜!」って水を飲んでトイレでジャー!って流しちゃったら「ハイ!大丈夫!」って面白いんです。

 

ちなみに私の場合は水道水はダメでした(東京の水でしたけど)。

 

お勧めはミネラルウォーターで沸かしていないものが一番いいみたいです(なんのこっちゃ!)。

流せるのって”水”なんですよね〜!お茶とかコーヒーじゃ駄目だったりするんです。

 

ちなみにこの「水を飲めば流せる」っていう方法を思いついたのは「手を洗うピラト」からでした(説明すると長くなるのでまたいつか)。

 

(つづく)


2017/01/16

前にもちょっと書きましたが、ジョギングをしていて、突然「今、大地震が起きて津波に襲われたらどうしよう!」って不安になるんです。

どこに逃げたらいいのかな?って高い建物を探して、走りながらその入り口を確認します。

 

「俺って走りながら何をやっているんだろう?」って思うんですが、それが止められません。

 

そんなことを考えても仕方がないのに!って自分ではわかっているのですが、それを止められません。

 

走ってて、急にそんな感覚になるのはなぜだろう?

自分は不安障害(過剰な反芻や心配、恐怖の特徴を有する一般的な精神障害を含んだ総称 ウィキペディアから)だからかな?って考えます。もちろん、震災があったから、いつ地震が来てもいいように備えておかなければ、という気持ちからきているかもしれません。

 

でも、何でジョギングをしている途中なの?って疑問に思います。

 

すると、ある時、ジョギングコースを地図で調べていて気が付きます「あ!自分がいつも災害のことを考えちゃう場所って気象庁の前なんだ!」って。

 

私は、知らずに気象庁の前を通った時に、災害のことを考えてしまっていたのです。

 

多分、あそこのビルにいる方々が最も災害のことを想定しているのかもしれません。

 

その職員とか関係者の方の不安や緊張を私がその職場の近くを走っているときに、キャッチしてしまって「震災になったらどうしよう?」って逃げ場を考えてしまいます。

 

このときに「自分が不安になっているからこんなことを考えてしまう」って思ったら、私は延々とそれを考え続けてしまい、それを止めることができません。

 

でも「あ〜!気象庁の職員の人たちのモノなんだ〜!」ってなったら、考えることをしなくなります。

 

ということは、普段、歩いていて、突然、過去の嫌なことを思い出したり、不安なことを考え出したりするときって、その周辺に浮かんでいる、その感覚を受け取ってしまって「自分のもの!」にしちゃうから、ってことが考えられます。

 

「なんで自分はこんなことを突然考え始めてしまうんだろう?」って原因を自分に帰属してしまったら、他人の感覚を自分のモノにしてしまうことになるので、その不快な感覚は解消されなくなり、ぐるぐると強迫的に考えることになってしまいます。

 

その不快感を何とか打ち消そう、って携帯ゲームをやったり、ダイエットのことを考え続けたり、ってしてしまえば、余計にその不快感が増幅されちゃうので、さらにそれをやり続けなければならなくなり「止めたくても止められな〜い!」ってなるんです。

 

チックなんかの症状もそれが原因だったりします。

 

不快な感覚を打ち消そうとして「ムカつく!」とか「馬○!」ってつぶやいてしまうと、他人の感覚を自分のものにして固着させてしまうからそれが止められなくなるんです。

 

不快な感覚が消えなければ「もしかして、自分のじゃないのかもしれない!」って思って、水を飲んでトイレで流してみると「スッキリ!」となるから興味深いんです。

 

(つづく)


2017/01/14

トラウマの治療をやっているときに私は興味深い体験をしました。

 

毎日たくさんのケースをみさせていただいていて「胃が痛い〜!」ってなっていました。

毎日のように胃薬のお世話になります。

 

「どうして胃が痛くなるの?」と考えた時に「どうしてお腹が減るのかな♪喧嘩をすると減るのかな♪仲良くしてても減るもんな〜♪」っていう歌が浮かんできます。

 

休みになるとあまりにも胃が痛くて「トイレとお友達〜!」となって寝込んでしまいます。

 

病院に行って胃カメラを飲んで検査をしてもらったら胃潰瘍の跡があって「真面目すぎるからこうなるんだよ!」ってお医者さんからは説教をされます。

 

確かに真面目で、家に帰ってきてからもケースの治療のことをずっと考えています。

でも、それをやらないと治療できないし、ってものすごく悩みます。

 

あるとき「今日は比較的に胃の調子がいいかな?」って日がありました。

 

受付に「次の方お願いします」って次の方を案内するように内線を入れて、次のクライアントさんが面接室のドアノブに手を掛けた瞬間、「胃が痛〜い!」って突然痛みが襲ってきたんです(あれ?さっきまで調子が良かったのでは?)。

 

痛みに耐えて脂汗をかきながら、淡々とお話になっているクライアントさんの話に耳を傾けます。

 

「何じゃこれは〜!」

 

耐えている瞬間に「この胃の痛みって、クライアントさんが部屋に入ってくる直前に始まったよな〜!」って考え始めます。

すると、クライアントさんが私のことを意識したときに、私の胃の痛みが始まったことになります。

 

「もしかして、この痛みってクライアントさんの怒りかも知れない!」って考えたんです。

 

そこで淡々とお話になっていらっしゃるクライアントさんに「もしかして、怒ってらっしゃいます?」って尋ねてみると「なんでわかるんです!」ってうれしそうな表情になって「実は夫に対して」って堰を切ったように怒りが飛び出してきたんです(ひえ〜!)。

 

クライアントさんが夫に対しての怒りを吐き出して、その怒りが軽減されて行けばいくほど、私の胃の痛みも軽減していきます(ひゅ〜!よかった!)。

 

この痛みって、クライアントさんの”怒り”だったんだ!ってわかったらスッキリ!

 

それまで「食べ過ぎたのかな?」とか「冷たいものを飲んでいるからかな?」や「寝不足がったたっているのかも?」なんていろいろ考えて、一生懸命に胃薬を飲んでいたんですけど、ちっとも痛みと気持ち悪さは解消されませんでした。

 

その痛みは実はクライアントさんから伝わってきていて、クライアントさんの怒りが解消されない限り私の胃の痛みは消えなかったんです。

 

クライアントさんから伝わってきてるものなのに「私の食べ過ぎで」と原因を自分に帰属してしまうと”痛み”は私のモノになってしまって、いくら努力しても解消しません。

なぜなら、原因が私にないから。クライアントさんの怒りが解消されない限り消えないんです。

 

「それって困る〜!」ってなります。

 

もしかして「この痛みを感じた時に”クライアントさんから伝わってきた”と思うだけでいいのかもしれない!」ってひらめきます。

 

実際に、次に胃が痛くなったときに「この痛みはクライアントさんから伝わってきたもの!」って自分で念じてみるんですが、つい、さっき食べたものや昨日の夜の不摂生が頭に浮かんでしまい「自分が悪いのかも?」ってなって「痛みが消えない〜!」ってパニックになり苦しみ続けちゃいます。

 

そしたら「クライアントさんから伝わってきたもの!って条件づけるために”水”を飲めばいいのかも?」って考えて、胃が痛くなったら、200ccぐらいの水を飲むようにします。

 

水を飲んでトイレで排泄した瞬間に「あれ?胃の痛みが消えている!」ってなるから面白かったんです。

 

本当に私のモノじゃないんだ!ってちょっと感動。

あんなに胃薬にお金を賭けたけど無駄だったんだ!って。

 

胃薬を飲んでいる時も水と一緒に飲んでいるけど、結局原因の帰属を自分にしちゃっているから「自分の胃の痛み」として固着してしまいます。

 

「クライアントさんの怒りが伝わってきているから流しちゃおう!」って水を飲んでトイレで流したら本当にスッキリ!

「面白い!」ってなったんです。

 

(つづく)

 

 


2017/01/13

「苦しい〜!辛い〜!」で代表的な”強迫性障害”というのがあります。

 

不合理な行為や思考を自分の意に反して反復してしまいます。

 

一番わかりやすいのが「汚いものを触ったら手を洗わなければ!」という行為ですが、それを一日に合計1時間以上費やしてしまったら「ハイ!それは強迫性障害です!」ってなります。

 

同じ思考を繰り返してしまう、というのも強迫性障害の症状になります。

 

例えば、職場で言われた同僚の中年女性からの一言がぐるぐる頭の中を回ってしまって、その人との会話のやり取りを何度も繰り返してしまって、気が付いたら一時間以上もそれをやっていて止まらない、というのもそうです。

 

はたから見れば「そんな終わったこといつまでも考えたって変わらないじゃない!」って思われるのは分かっているんです。

 

でも、それが止められないし、止まらない。

 

一回手を洗ったら大丈夫ってわかっているんだけど、どうしても洗い残しがあるような気がして、また洗いたくなってしまって、それをしちゃったら、どんどん手を洗う時間が増えちゃって、ということになります。

 

自分でも「おかしい」とわかっているのに、それを止めることができません。

 

もうちょっと身近なのは「自分は醜いかもしれない!」って自分の容姿のことをぐるぐる考えちゃうのも、症状になります。

 

さらには「太っているかもしれない」ってダイエットのことをぐるぐる考えたり、食べ物をいちいち確認したりするのも症状の一つになります。

 

この症状は、気にし始めて「止めなければ」と思って止めようとすればするほど、それが止まらなくなってしまって、その思考や症状に乗っ取られる感じになってしまいます。

考えることが止められなくなっちゃうんです。

 

トラウマ理論的に考えると、トラウマによって生み出された記憶から抜けちゃっている”恐怖”の感覚を回避すればするほど、根底にある恐怖が増幅するので、さらに増幅した恐怖を回避するために何かをやらなければいけない、というパターン。

 

それをわかりやすいケースに置き換えると、小学校の頃にいじめを受けた子供が、そのいじめの記憶を失くしてしまいます(私はこれを小学校のキャンプの時に体験しました)。記憶をなくしちゃったということは、ちゃんと記憶が整理されていない、ということになります。記憶が整理されていない、となると、そのいじめを受けた時の惨めさ、怒り、恐怖などの感情も整理されないので、そのまま劣化することなくフレッシュのまま残ってしまいます。

 

でも、人間ですから、時間がたてば、多少、その恐怖や怒りは慣れが生じて軽減するはずなのですが、この虐められたこの子の場合、その時の感覚がフッと出てきそうになると「ゲーム!」とゲームに没頭して、トラウマの感情を回避します。

 

この仕組みを人間の視神経で説明すると、人間の視神経は、一点を集中して凝視していると”消失(extinction)”が生じて色彩を認識しなくなります。眼球をちょこまかと動かして絶えず視神経を刺激しているので、人は常に色彩や物の輪郭をリアルに認識します。

 

視神経と同じように、襲ってくる”恐怖”に向き合って一点凝視してしまえば、その感覚はやがて”消失”していきます。でも、ちょこまかちょこまかと眼球を動かしているように、回避を繰り返すと常に神経を刺激することになるので、その不快な感情は常にリアルにそこに残ってしまう、ということになるんです。

 

いじめのときの”惨めさ”が突然襲ってきたら「ゲーム!」って回避すればするほど、当時のフレッシュなままの感情で残ってしまいます。

フレッシュなままの惨めさが常に襲ってくるので「ゲーム!」と強迫的にゲームをし続けて”惨めさ”を回避しなければならなくなってしまう、というのが症状になります。

 

こんな子供に対して親が「なんでいつまでもそんなくだらないゲームをやっているの!」って叱ってしまうと「グルルル〜!」と子供は暴れ出します。

なぜなら、ゲームを止める、ってことは、あの惨めな思いに浸れ、っていうことになるから。

いじめの記憶が抜けてしまっているから、得体のしれない”恐怖”と”惨めさ”になっているから余計に怖いんです。

それと一人で向き合え!って言われているのと同じなので、子供が怯えた子犬のように「グルルルル〜!」と怒るのは当然だったりするんです。

 

ゲーム、ってわかりやすい形にしましたが、トラウマによって処理されない感情が襲ってきたときに、お酒を飲んで回避したら「お酒を飲みて〜!」ってアルコールに対する強迫症状になり、やがてアルコール依存症になります。

 

「痩せたい」っていう思考で回避した場合「ダイエットしなきゃ〜!」っていうのと「食べたい〜!」っていうのが交互に襲ってくる摂食障害という症状になったりします。

 

 

 


2017/01/12

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2017/01/12

単純に考えてしまえば、子供の頃から親に育てられているわけですから、親の考え方の影響は受けています。

 

例えば、私の場合、父親が「人は苦しんで日々の糧を稼がなければいけない」と苦しんでいるのを見ていたので「働くことは楽しいことじゃなくて苦しいこと」の常識が私の中にいつの間にかでき上がっています。

楽しんで仕事をしていると「悪いことをしているかもしれない」って後ろめたい気持ちになるから興味深いです。

 

母親の方は、いつも「お金が無い」と言っていたので、私の思考はいつも「貧乏」でケチって安いものを買って損をする、ということを繰り返しているから本当にお金がたまらなくて「う〜!貧乏!」っていうのがいつの間にか私の常識になっています。

 

これらは長年かけて親から学習した結果、このような思考パターンになるようになってしまった、ということが考えられます。

でも、興味深いのは、このパターンから抜け出そう!って思って意識的に努力すれば抜け出すことができるんですけど、いつの間にかまた同じ思考パターンに戻っている、というのが興味深いんです。

 

そうなると「遺伝的特徴を受け継いでいるからそのような特徴になる」って考えられます。

苦労性の遺伝子や貧乏性の遺伝子を受け継いでしまったから、そのような思考パターンになってしまって、努力して変えてもその遺伝子を持っている限りまた元に戻る、っていう仕組み(怖〜い!)。

 

その苦労性や貧乏性の遺伝子を持っている限りは変わることができない、っていう常識が私の中にありました。

でも、それを変える努力をしなくても「あ〜!簡単にこれが変わるんだ〜!」って思った瞬間がありました。

 

それは、楽しく仕事をしている人と一緒になって仕事をしたときは「あれ?楽しく仕事をしていても効率よくできるし後ろめたくないかも!」ってなりました。そしてお金に余裕がある人を尊敬してその人の真似をしたときに「あれ?お金ってちょっとたまるかも!」ってなったんです。

 

何も努力をしなくてもこんなに簡単に変わることができるんだ!って思った瞬間でした。

 

でも、両親のことを思い出してしまうと、途端に苦労性の貧乏性が戻ってきてしまいます(ヒエ〜!)。

戻ってしまっても、また、仕事を楽しんでいる人に注目を向けると「楽しく仕事ができるかも〜!」って戻れるから興味深いんです。

 

ということは、私の思考は注目を向ける人に影響されている、ということが考えられます。

そして、両親のように共通の遺伝子を持っている人の影響は受けやすいだけで、それが自分の中に確固たるものを持って定着しているわけではない、ということです。

 

長年かけて、両親から苦労神様、貧乏神様を受け継いでしまったので、それが自分の中に定着してしまっているわけではありません!

 

その苦労性、貧乏性は両親の思考の中にあるので、無意識に両親に注目を向けてしまった時に思考は影響を受けて、自分の思考パターンがそのようになってしまうだけ。

 

だから、いくらでもそこから自由になることができちゃいます。

 

 

 

 

 

 

 


2017/01/11

1947年10月14日以前は「大気中には「音速の壁」という見えない壁が存在するために、物体が音速を超えることは不可能である」という理論を唱える人がいました(ウィキペディアから)。

 

アメリカの空軍テストパイロットのチャック・イエガーが音速の壁を越えてからは、音よりも早く飛ぶことは”不可能”ではなくなりました。

 

何だか、そのことを考えていると面白くなってきます。

 

私は、”常識の壁”を越えることができない、って思っていました。

 

その常識の壁にぶち当たると、私はいつも失速して思い通りに生きられなくなり墜落してうつ状態になっていました。

 

自由に生きようとすればするほど”常識の壁”が迫ってきて、そこを越えられず閉じ込められて不自由に生きてきました。

 

そう!「「常識の壁」は越えるためにあるものではない!守るためにあるんだ!」って、人は言うんです。

 

”心”に聞くときに、その「常識の壁」が何で作られているのかがだんだんわかってきます。

 

「さあ!”心”に聞いてみよう!」と思ったときに「そんなことをやったって無駄!意味が無い!」って浮かんできます。

 

そんなの自問自答じゃん!

自分の都合のいいことを作っているだけでしょ!

何をおかしいことやっているの?ばっかじゃない!とやる気が失せてきます。

 

そんな時に「心よ!私と”心”の間に邪魔がある?」って聞いてみます。

 

すると、母親の顔が浮かんできます(でたな〜!)。

 

「心よ!母親からの邪魔を排除して!排除できたら教えてね!」ってお願いして「できた!」って思考が浮かんでくるまで待ちます。

 

「できた!」と言われた時に「確かにクリスチャンである母親は聖書と牧師さんからの説教以外はちょっとね〜!」という人だから「”心”の声を信用するなんてとんでもない!」って否定するんだな、と見えてきます。

 

「心の声なんかありっこない!」っていう常識はお母さまからの贈り物!!

 

心に”常識の邪魔”を排除してもらうと、今度は「悪いことをしているんじゃないかな?」っていう後ろめたい気持ちになってきます。

 

そんな時も「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」って尋ねてみると「あるよ!母方祖父が邪魔しているよ!」って教えてくれます。

 

私はこの罪悪感にものすごく長い年月苦しめられてきました。

 

「心よ!祖父からの邪魔を排除して!」ってお願いすると「ハイ!出来た!」と思考が浮かんできたときには、気分が軽く「何を心に聞いてみようかな?」っていう感じになっています。

 

「”心に聞く”なんて常識的におかしいことをして罪深いことをしている」という”常識の壁”は祖父からの贈り物、っていうことになります。

 

それらを”心”に排除してもらうと、自由に心に聞けるようになります。

”心”は、私の行動を縛っていた様々な常識から解放してくれて、発想も思考も自由になり、いつの間にか自由にのびのびと生きられるようになっていきます。

 

「最近、ホームページの閲覧数が少なくなってきて、お客さんが減ってきてしまっているんです」って悩んでいらっしゃる方がいらっしゃった時に、その方の”心”に「心よ!お客さんは増えるの?」って質問をしてみます。

 

すると「増えるよ!」とその方の”心”は答えてくれます。

 

その答えに対して「そんな、急に増えるわけないでしょ!」っていうのが”常識の壁”なんです。

 

そんな時に「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」って聞いてみると、やっぱり、その方のお父様が常識の壁を作ってくださっていることがわかります。

 

それを排除してもらって、心に質問をしていくと「毎日、温泉に行くとお客さんが増えるようになるから!」って教えてくれます。

 

「本当かよ!」って私の方がその方の”心”に突っ込みたくなります。

 

すると”心”は「あなたが楽しんでいれば、人はどんどん寄ってくるから!」と教えてくれて「なるほど!疑って申し訳なかった!」ってなります。

 

その方は、当然始めのうちはそんなことを信じられないから、数回温泉に行ったきりになって「お客さんが来ないんだからそれどころじゃない!」って焦ってしまいます。

 

でも、やっぱり、焦れば焦るほどホームページの閲覧数は減っていくんです(不思議〜!)。

 

そして、もう一度”心”に聞いてみると、やっぱり「温泉に毎日行きなさい!」っていうんです。

 

その時はさすがにその方も「はっは〜!(御意!の体で)」って従ったら、本当に閲覧数が増えてお客さんがコンスタントに来るようになったからびっくり!

 

”心”は私の常識を打ち砕きました。

 

そんな温泉なんかのんびり入っていないで、企業努力をしなければ!!って意識で思っています。

 

でも、心よ!って聞いてみると、それも私のお父さんからの”常識の壁”であることを教えてくれて「あなたの魂はそんなことは思っていないよ!」って教えてくれます。

 

確かに父親は「苦しんで日々の糧を得る」っていう聖書の言葉を言っていて、父親の会社の社員もそれを口癖のように言っていたよな、って心に言われると思い出すから面白いんです。

 

こうして常識の壁を越えて、自由に飛んでいかれる方を見るときに「私の思考は一体何でできているんだ?」って疑問になるんです。

 

 

 

 


2017/01/10

心は、私が考えていた展開とは全く違った世界を見せてくれます。

 

私の中には「母親は子供の幸せを願っているもの」という”常識”があります。

 

その常識があるから「せっかく学校に行けるようになった子供の邪魔なんかするわけがない!」って思っています。

 

だから、世間一般の方は「この子が母親の愛情に甘えているに違いない!」となって「学校に行かないのは母親に甘えているから!」と心の中で責めます。

 

責められた子供は、その責める冷たい目に「嫌だな〜!僕のこと責めているんだな〜!」ってなって気持ちがうつ状態になります。

うつ状態になってしまえば「学校に行きたい!キャッピ〜!」なんてなるわけがない。

それでも人は、この学生のことを心の中で責めるんです。

 

あるカウンセラーは「この学生は母親から気に入られて良い子ちゃんでいるために無理をして学校に行っていただけで、本人は学校に行くことを求めていない!」って断言します。

 

やりたくないことをずっと無理をしてやってきてしまったから、そのストレスが蓄積して睡眠障害が突然発症して、そしてやりたくないことをやらなくなった、という解釈をします。

 

その解釈をしても、学生さんはちっとも楽になることは無かったんです。

「確かに、始めから半分親が決めた学校なんか行きたくなかったのかもしれない」ってその時は納得して解放された感じはするのですが、やっぱり「あとちょっとの所で自分はあきらめてしまった、最後までやり遂げることができない無責任」って責めが頭の中に響いてきて頭の中が休まりません。

 

カウンセリングの中でAI(人工知能)のように使っている”心”に聞いた時、「母親が駄目な子の面倒を一生みなければいけない」と思っている感覚が伝わってきているから「学校に行きたくない!」となっている、って教えてもらって、母親の感覚と学生さんの感覚を分離したときに「何でも無いじゃん!学校に行くのって!」ってなるから興味深いんです。

 

”心”は”常識”を超えたことを教えてくれます。

 

一つ目は、カウンセラーの一般常識が違っていて「母親自身の手元に駄目な子として置くことが子供の幸せ」だと思っている方もいらっしゃる、という世界。

 

二つ目は、本人が「学校に行きたくない!」って思っている、というのは本人の思考じゃなくて、脳のネットワークを通じて母親から伝わってきているモノ、ということ。

母親が「駄目な子を私が一生面倒を見ることになる」と思っていたら、それが学生の脳に伝わってきたときに「何もかも最後までやり遂げることができなくて母親を苦しめる駄目な自分」というイメージになります(怖い〜!)。

 

一般常識的に言ったら「そんな他人の思考なんか入ってくるわけがない!」と一笑されて相手にされません。

 

でも、一般常識に長けた天才的な精神科医やカウンセラーが束になって掛かったところで本人の苦しみは消えることがありませんでした。助言をして本人を一番いい方向に進めようと努力をすればするほど、本人の苦しみは増えていったような感があるんです。

 

「心に聞くときにカウンセラーが誘導していたんじゃないの?」って突っ込まれるのですが、自信を持って立てた18通りの原因と解決策がすべて”心”によって却下された私としては「心ってすげ〜!」としか言えないです(意外と私は常識人なんですよ〜!)。

 

ある方にこれを伝えたら「あなたが18通りの仮説を立てていたから、問題を固着させる多くの意識的な仮説に対して、無意識さんが発動して本人が一番楽になる答えが導き出されたのでは?」とフォローしてくださいました。

 

その仮説を伝えてから、本人の心に聞いているのだったら「仮説を利用して、その真逆の答えを出したのかも?」って思えるのですが、仮説は本人には一切伝えずに私の頭の中にあるままに”心”に聞いているわけですから、それが脳のネットワークを通じて漏れて”心”が利用しているのであったら、やっぱり脳のネットワークってあるのかもしれない、ってなるんです。

 

脳のネットワークが存在するんだったら、やっぱり学生の脳に母親の”駄目な子を一生面倒見る苦悩”が伝わって、それが学校に条件づけられて「学校行くのが苦痛〜!」ってなっていた、ということが可能性として考えられます。

 

そう考えると、私が普段生活していて「嫌だな〜!」とか「不快な記憶がよみがえってきちゃた〜!」ってなっているのって、脳のネットワークを通じて伝わってきているモノなの?となります。

 

「”心よ!”そうなの?」って”心”に邪魔を排除してもらってから聞いてみると「『そう』でいい!」って言われます(この答えは私の思考と同じように浮かんできますが、私の場合、”心”の答え方に特徴があります)。

 

そして、私の”心”は「意識的に理解しよう、って思えば思うほど脳のネットワークを通じて足を引っ張られるんだから、ただ”心”に聞けばいいんだよ!」って教えてくれます。

 

え〜!”心よ!”それってどういうことなの〜?って、”心”に聞くのが楽しくなってきます。

 

(つづく)

 

 

 


2017/01/09

言葉の持つ力って素晴らしいんです。

 

私が以前、クリニックに勤めていた時に、そこにいた同僚の看護師さんが脅威でした。

 

「あれ?ちょっと顔色が悪いみたいだけど大丈夫?」って心配そうに声を掛けられてしまうと「ズン!」と身体が重くなって「だるいかもしれない」ってなってしまいました。

 

さらに看護師さんが「もしかしてちゃんと眠れていないんじゃないの?」って言われたら「確かに眠れていないかも〜」ってなって、顔色の悪さと怠さが確定してしまって、次に頭痛が襲ってきます(ひえ〜!)。

 

「大丈夫〜!無理し過ぎているんじゃないの〜!」って言われると「確かに無理をし過ぎているかもしれない」って思えてきて「自分はこの職場に向いていないんじゃないのか?」っていう気分になってきます。

 

だんだん気分がすぐれなくなって「早退しようかな?」って、気持ちが揺れてきて、院長先生に相談しに行ったら「ガッハッハッハ!」って笑われて「お前!暗示に掛かりやすいな〜!」って(あれ?)。

 

「ちっとも顔色なんか悪くないぞ〜!」って言われたら、さっきまでの身体の怠さが嘘のように消えて無くなって、頭も痛くない!(あれ?)

 

院長は笑いながら「しょうがねえな〜!飯でも連れて行ってやるか!」と言われたら、私は途端に元気になり「心理テストやってきま〜す!」と軽やかなステップで院長室を後にしたことを元気に学校に行っている学生を目の前にして思い出していました。

 

あの看護師さんと仲良くなると、次から次へと職員が退職していく、という面白い現象があって、結局「院長のお気に入りのスタッフは、あの看護師さんしかいない」という結果になっていたんです(危な〜!)。

 

白衣を着た、きれいな看護師さんだから「私のことを心配して言ってくれているんだろう!」というのが一般的な常識となります。優しい顔で心配されているものだから「え?それって僕に暗示を掛けているの?」って疑いもしません(この!未熟者が〜!)。

 

何人ものスタッフが、その看護師さんに心配されて、優しい声を掛けられていくと顔面が徐々に蒼白になっていき、やがて、仕事を休みがちになって「私にはこの仕事は合っていません!」って辞めていく姿を見ていくと「あ〜!言葉の力ってすごいのね〜!」ってなるんです。

 

私にはこの”常識”というフィルターがあるから、”心”が導き出した見事な心理療法の最短ルートを思いもつかなかったんだな、って思ったのです。

 

学生の母親は「学校に行けなくなった息子のことが心配なんです!」とカウンセリングに連れてきました。

 

この時点で「子供のことを心底心配している優しいお母さん」という枠組みが私の中にできてしまいます。

 

実際に学校に行けるようになったら、母親は「いつまであんなカウンセリングなんか通っているのよ!」って言っていたことを後で学生から聞かされます(ほ〜!)。

 

そして、卒業試験まじかになったら、あの看護師さんのように「あなた、ちょっと顔色が悪いんじゃない!」って顔を合わせるたびに言われていた、ということを聞かされます。

そして、同じように「ちゃんと眠れていないんじゃない?」と言われて、だんだん眠れなくなって「だったら私の処方されている薬を飲みなさいよ!」って息子に薬を渡しちゃっている愛に充ちあふれたお母様(お〜!マイ!ゴッド!)。

 

学生に「カウンセリングの時は”眠れていない”なんて一切言っていなかったですよね」と聞いてみたら「お母さんから薬をもらっていて眠れていたから」とボソッと。

 

「でも、美術館で好きな絵を見て、寝るときにその絵を思い出すようになったら、お母さんの薬なしで眠れるようになったんです!」って普通に朝起きて学校に行けるようになった学生さんはおっしゃっていた(ひえ〜!心ってすげ〜!)。

 

お母さんに眠剤が処方されていた、ということは「お母さんは睡眠の問題があった」ということになります。

 

だから”心”が学生に「今は、自分の感覚と母親の感覚の区別がついていないから」と言ったんだな、というのが理解できます。

 

外在化テクニック的に言ってしまえば、学生の「眠れない、そして起きられない!」というのはあなたの感覚じゃなくて、脳のネットワークを通じて母親の感覚を自分のモノにしてしまっているから、ということになります。

 

「なんでいつもちゃんと眠れないんだ!」と自分を責めてイライラしていればいるほど「眠れない〜!」ってなってしまいます。

 

外在化で「これは母親の感覚であって自分のじゃないんだ〜!」ってなって、絵を見ていて自分の感覚を取り戻した時に「スヤスヤ!スヤスヤ!」って眠れちゃうのは自分を責めなくなったから、という考え方ができるんです。

 

(つづく)



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