2017/01/28

“万能感”って「自分は何でもできる〜!」と思ってしまうこと。

 

「それの何が悪いんじゃ!」と怒られるのですが、もっとちゃんと言ってしまうと「何でもできる!」というのは「神のごとく何でもできる!」になります。

 

道を歩いていて貧困妄想(貧乏になる〜!)という感覚は、脳のネットワークで祖母から入れられたもの、ということを”心”が教えてくれました。

 

それは、脳のネットワークで祖母が「お前は貧乏になる〜!」という呪いを入れている、というように聞こえます。祖母が「この子は無駄遣いばかりするから将来お金に困る」という無言の”暗示”が起動して、私を苦しめている、というように見えます。

 

でも、ポイントは祖母の万能感にあります。

万能感は、神のように何でもできる、という感覚です。

 

イエスが出てくる興味深いエピソードの中で、律法学者やお堅い人たちが姦淫(浮気?)をしちゃった女性を連れてくる場面があります。

イエスがいた国では、そんなことをした女性はみんなに石を投げられて死刑にされてしまいます。

 

律法学者などの偉い人たちは、もしイエスがこの女性を許してあげなさい、と言ったら、「法律を破った無法者!」として訴えて陥れ、もしイエスが石を投げたら「人殺し!」として訴えて陥れる予定にしていたと思われます。

 

そんな時にイエスは地面に何かを書きながら「あなた方の中で罪のないものが、まずこの女に石を投げつけるがよい」と言いました。

 

イエスは地面に絵をかいて、しばらくして顔を上げたら、その女性を裁く人は誰もいなくなっていました(すげ〜!)。

 

罪が無い人のみが人を裁ける、ということだったら「神しか人を裁けないじゃん!」となります。

 

その流れていくと「人を裁くことをしているというのは神を演じていること」になります。

 

「この子は無駄遣いをしている駄目な子で、将来、貧乏という罰が与えられる!」という裁きを下しているのは神を演じていることになるから、まさに”万能感”になります。

 

その祖母の万能感を受けて、私は「自分の不幸な将来を予知できる」”万能感”に憑りつかれてしまいます。

 

未来のことなんて、まさに「神のみぞ知る(神様だけが知っている)」なんですけど、まるでそれが自分も手に取るようにわかる、っていうすごい感覚に憑りつかれているんです。

 

そして、こんな最悪な状況に陥れた”神”に怒り文句を垂れます(プン!プン!)。

神に文句を垂れるって、どれだけ万能感〜!ってなるんです。

 

そう!最悪な状況を嘆くって、結局、直接的にも間接的にも神にいちゃもんをつけていることになるので「どんだけ〜!万能感〜!」となっているのに、それに気が付かないんです。

 

万能だから。

 

万能感に憑依されて「自分の感覚がすべて正しい」になってしまうから(ひえ〜!)。

 

「でも、安心してください!履いていますから!」

 

じゃなくて!!

 

「安心してください!心に聞けますから!」

 

(つづく)

 

 

 

 


2017/01/27

職場までの道を歩いていたら、突然「仕事ができなくなってしまったらどうしよう!」って不安が襲ってきました。

 

別に、何を見たわけでもなく、何も考えないで歩いていたのに「貧乏になって惨めな生活を強いられて苦しみながら生きていく〜!」って想像がどんどん膨らんできたんです(ひえ〜!)。

 

自分の中では、この”思考”が浮かんでくる理由が万と考えられます。

 

「仕事関係のあの人からのメールの返信が無いから、この先みんなから嫌われて貧乏になる〜!」とか「時計が壊れちゃって新しいのを買わなきゃいけなくなってしまったら、無駄遣いで貧乏になる〜!」って結びついちゃったのかな?とどんどん理由は考えられますが、この貧困妄想(貧乏になるのでは、と思い込む症状)の原因を考えれば考えるほど、雪だるま式に膨らんでまるで現実のように思えてきてしまいます。

 

「残業が続いて、緊張のホルモンを出しっぱなしにしちゃったからうつ状態になって貧困妄想が出たのかも?(貧困妄想はうつ症状の一つだから)」とか、「睡眠不足だから貧困妄想になったのかも?」って考えてもちっとも楽にならず「このままどんどん貧乏になってしまうのかも〜!」って苦しくなります。

 

「お!そういえば!」と”心に聞く”を苦しいながら思い出します(まあ、苦しいから藁をも掴む気持ちで思い出したんですけど)。

 

「心よ!この貧乏になる、という感覚って私自身のもの?」って聞いてみます。

 

すると”心”は「違います!」と質問が終わる前に、まるで私自身の考えのようにぱっと浮かんできます。

 

「自分自身が勝手に”違う”って言っているのかな?」と疑いたくなったので「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」って聞いてみると「あります!母親です!」って(またですよ!いつもありがとうございます!)。

 

そんなくだらないことをやって、という母親の声が響いてくるような感覚が浮かんできます。

 

「心よ!母親からの邪魔を排除してください!排除できたら教えてね!」ってお願いして「ハイ!」と浮かんでくるのを待ちます。

 

もう一度邪魔があるかを確認して、ないのを確かめて、もう一度、先ほどの質問を繰り返しても、この貧困妄想は私のではない!と心は断言します(へ〜!自分としては本当にお金が無いと思っているのに違うんだ〜!)。

 

「心よ!誰がこの感覚を入れてきてくれているの?」と聞いてみると父方祖母の顔が浮かびます。

 

心に「そうなの?」って確認してみると「そうです!」と言われてびっくり!

 

祖母は、私が子供時代に家が貧乏でおもちゃを買ってくれなかった時に、会いに行くたびにおもちゃを買ってくれた人で、私に対してはニコニコしていて、悪い印象は全くなかったので「え?」ってなります。

 

「心よ!祖母が私にどんな感覚を入れてこうなっているの?」と恐る恐る聞いてみると「好き勝手にお金を使っている駄目な子でいつか貧乏になる」って入れてくださっている、って教えてくれます。

 

「ひえ〜!」その時真っ白だった祖母の印象から「あ!そういえば、私の前ではニコニコしていたけど、祖母って陰で私のこといろいろ言っていたんだっけ!」って思い出します。

 

ついでに「心よ!祖母は誰かに万能感を入れられて、私を”駄目な子だから助けなきゃ”って裁くことをしているの?」って聞いてみます。

 

すると”心”は「違うよ!誰からも入れられていない。オリジナルだから!」って言われます。

 

おい!おい!心よ!オリジナルってなんやネン!

 

万能感の元になる人、と心は教えてくれます。

 

万能感は親から受け継いでいるんじゃなくてその元になる人がいるんだ〜!

 

なんだか楽しくなってきた!

 

(つづく)

 

 


2017/01/26

ある子供が突然学校に行かなくなり、引きこもってしまいました。

 

お母さんは困って「この子を何とかしなければ!」といろんな病院に行って相談し、そして子供を連れて行きます。

 

すると、あんなにやさしかった子供が「あんたのせいでこうなった!」と母親を責めるようになり「本当は凄いことができたはずなのに、どうしてくれるんだ!」と家で暴言を吐くようになってしまったんです(怖〜い!)。

 

お母さんはカウンセリングに来て泣きながら「私のせいで息子があんなになってしまったんです」と仰っていました。

「私がもっと息子のことを理解していたらこんなことにはならなかったのに〜!」と後悔していました。

 

まあ、普通のカウンセリングだったら「お母さんのせいではありませんよ!」と優しく伝えて、専門家だって息子さんの病理を早期発見することは困難なんですから、とお母さんの罪悪感を軽くするような言葉がけをします。

 

でも、ここで「本当かな?」って疑問に思ってみます。

 

「本当にお母さんのせいで息子がこんな状態になってしまったのかな?」ってダウトしてみます。

 

そこで「心よ!」ってお母さんの心に聞いてもらいます。

 

お母さんの”心”に「心よ!私は子供のことを気にしている?」って斬新な質問をしてみました。

 

「子供がこんなことになっているんだから気にしていて当たり前でしょ!」という常識から疑ってみるんです。

 

お母さんの”心”は「気にしてない!」って答えて、お母さんと私はびっくり!(ギョ!ギョ!ギョ!)

 

お母さんは「これは私が勝手に作っている答えじゃないんですかね?」と私に聞いてこられたので「心よ!私が都合のいいように私が勝手に作っている答えなの?」って聞いてもらいます。

 

次の瞬間に「違う!」って頭に浮かんできたんですけど、これ本当に大丈夫なんですかね?と聞かれます。

 

「心よ!これで大丈夫なの?」って聞いてもらうと「大丈夫!大丈夫!」って調子のいい感じ。

 

お母さんは乗り慣れていないジェットコースターに乗ってしまったときのように固く目をつぶって相談室の椅子に座って心に聞きます。

 

「心よ!この”子供が心配”っていう感覚は誰から入れられているの?」って質問をします。

 

するとお母さんは再び「え〜!」って言って動揺して答えをすぐには教えてくれません。

 

「”心”は、子供が入れている!って言うんですけど〜」!

 

え〜?!お母さんのお母さんが万能感を入れていると思っていたのに〜!と私も動揺してしまいます。

 

「心よ!子供が何のために”子供が心配”を入れているの?」と聞いてみると「お母さんを支配するために子供が”心配”を入れている」と答えます(ひえ〜!)。

 

「心よ!子供がこうなったのは私(お母さん)のせいじゃないの?」って聞いてみると「違う!」って言った後に「子供が作っている幻想」って浮かんでくるんですけど!ってお母さんは動揺して私に伝えてくださいます(きゃ〜!)。

 

「このお子さんって万能感のオリジナルの方なの?」と質問をしたかったのですが、現在のお母さんの主訴とは関係ないので、その質問を飲み込みます。

 

「心よ!だったら私は子供に対して何を感じているの?」って質問してみます。

 

すると「何にも感じていない!」って言います。

 

お母さんは動揺して「うそでしょ!そんなの!」と叫びます。

でも、口元は笑っています。

 

「心よ!子供のことは心配する必要はないの?」と確認してみると「必要ない!」と返ってきて「心配すればするほど自由を奪われてしまうから必要ない!」って(へ〜!)。

 

「心よ!”子供のことが心配”って居ても立ってもいられなくなったらどうすればいいの?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「子供から入れられたものだから子供に返してあげればいい!」と言います。

 

お母さんは「え〜!返しちゃって大丈夫なんですか?」と不安そうだったのですが、「心よ!この子供に対しての不安感を子供に反してください!返し終わったら教えてね!」とお願いします。

 

しばらくして”心”が「ハイ!」と言ったときにはお母さんの顔はジェットコースターから降りた後のようにスッキリ!

 

そしてお母さんは「私、あの子に振り回されている、ってなんとなくわかっていたんです」って笑顔で仰った。

 

家で子供を見て不安になるたびに「心よ!」とお願いして返していったら、不思議と子供は一人で動き出します。

 

私が全く予測できなかった展開を”心”は見せてくれるんです。

 

(続く)

 

 


2017/01/25

親の万能感に憑依されると自由に生きられなくなってしまいます。

 

例えば「この子を何とかしてあげなければ!」とダメダメな子供を心配している状態は、自分の親の万能感に憑依されている状態だったりします。

 

ここで普通「だって、親なんだから心配するのは当たり前!」っていう思考が浮かんできます。

「子供のことを心配しない親なんかいない」という常識からその考えになります。

 

でも、親が心配すればするほど、子供は勉強をしなくなります(ひえ〜!)。

なぜなら、親の万能感に憑依されてしまって、心のどこかで「俺は凄い人間なんだ〜!」というのがあるから勉強なんてする必要が無くなってしまうんです。

 

親が「この子がちゃんと働けて社会に適応できるようにしなければ!」と思えば子供は働かなくなります。

なぜなら、親の万能感に憑依されて「俺のすごさは一般人には理解できないから普通の職場では働けない!すごい仕事じゃなきゃできない!」ってなってしまうから。

 

実際にアルバイトを始めてもちょっと注意されただけで「この俺様に注意するなんて!」って万能感から人格を全部否定された気持ちになって「辞めてやる!」となってしまいます。

一般の人は「メンタルが弱い」と判断しますが、弱いんじゃなくて、相手の間違っていることを受け流すことができないから。

注意されたことなどをグルグル考えて眠れなくなってしまいます。そして注意した相手に「お前のせいで眠れなくなった!」と怒りを爆発させてしまって関係性を壊してしまうんです。

その元にあるのは「こんな完璧な自分に間違っているお前が注意するなんて!」という万能感です。

弱いんじゃなくて”凄すぎる”んです。

 

子供のことを心配して何とかしてあげなければ、と思えば思うほど、子供は万能感に憑依されて一般人とかかわるのが難しくなるのですが、心配してる親も、その親の万能感に憑依されているから、それを自分で止めることができないんです。

 

こんな時に「だったら万能感を捨てればすべてうまくいくんですか?」と質問をされることがあります。

 

それが自分でできたらいいですね〜!

 

失敗して、人は一時、弱気になり「私はもう駄目なんです〜!」って万能感を捨て去って謙虚になったように見える時があります。

 

失敗して「何もかも捨ててやる〜!」ってなっているときは、まだ万能感バリバリなんですけどね。

 

万能感を捨て去っても、必ずまた「俺は何でもできるんだ〜!」っていう時期が波のように襲ってくるんです。

 

だから、一時は捨て去ることができるんですけど、時がたてばまた飲み込まれていく、という体験を何度もして涙を流していました(エ〜ン!エン!エン!)。

 

この万能感が脳のネットワークで伝わってくるんだ!と認識を変えて、そして、自分が頭で確信したことでも「もしかしたら!」って疑って”心”に聞くようになると、万能感に飲み込まれなくなるんです。

 

流されてくる万能感に飲み込まれなくなると、目の前にあんなに混沌とした世界が広がっていたのが一変して、凪の世界が広がっていくんです。

 

 


2017/01/23

優しかったアルコール依存症のおじさんたちが「万能感」の一言で豹変してしまいます。

 

まるで憑依されたように怒ることから「もしかして、脳のネットワークで邪魔が入ってしまうのかも?」って考えるんです。

 

単純に考えて、“見捨てられ不安”を感じて「母親を自分の中に取り込みたい」という欲求から酒を飲む、ということは「脳のネットワークで母親としっかり繋がっちゃう!」ってことが考えられます。

 

母親を取り込んで眠って、酔いから醒めて「俺は何だってできるんだ〜!」という万能感こそ、ご本人の感覚じゃなくて、脳のネットワークを通じて母親とつながってしまっている状態。つまり母親に憑依されてしまっている状態になっている可能性があるんです。

 

人が憑依された状態に出逢ったのは中学生の時でした(まあ、自分が憑依された状態は分かりにくいですから他人ので)。

中学生の時に優等生の友達の家に行って、友達のお母さんが「○○ちゃんハンカチをちゃんと持ったの?」と心配そうな声で尋ねたら、普段はおとなしくて優しい友達が「うるせい!く○ば○あ!」と母親のことを怒鳴りつけたんです(ショック!)。

 

「自分の母親のことをそんな呼び方をするなんて!」というのと、あんなに普段は大人しいのに、そんな怖い形相で母親に怒鳴りつけるなんて、とショックを受けた覚えがあります。

 

カウンセリングの仕事をやるようになって、中学時代の疑問が解消されます。

 

成人したのに母親が子供のことを心配して世話をしてしまうと、子供は「俺は何でもできるんだ〜!」と万能感を持ってしまいます。万能感を持っているから「完璧にやらなければ!」、「人よりも物凄く優れていなければ!」となってしまいます。

すると、”完璧”なんてありえないので何かやる前から諦めてしまいます。

 

そして、何かをやって人よりも優れていないのが露呈するのが怖くて、何にも挑戦することができなくなるんです。

 

口ばかり達者で偉そうなことを言っている子供を心配して母親は「私がこの子を何とかしてあげなければ」と思ってしまいます。

まさに「私が何とかしてあげなければ」という思いこそが”万能感”になります(キリスト教的な考えでは人を救うことができるのは神のみとなっているから「自分が子供を救う」と考えていることで神を演じていることになるとここでは考えます)。

その母親の万能感の感覚に憑依されて子供が「俺は何でもできるんだ〜!」となっている、って考えたらとっても興味深いんです。

 

駄目な子供であればあるほど、親は「私が何とかしなければ」という思考になります。

言い換えれば「私が救ってあげなければ」という”神的思考”になり、その心配を受けた子供の脳が親と繋がりその万能感から失敗を繰り返し親から心配されて、親と脳のネットワークで繋がり続ける、という素晴らしい循環になってしまいます。

 

親の脳につながって万能感でいっぱいになっている子供は、完璧でない他人への批判が止まりません。

「どうしてあいつは間違ったことを言っているんだ!」、「どうしてあいつは礼儀がなっていないんだ!」、「どうしてあいつは下手な文章を書いているんだ!」など次から次へと湧いてきて、相手のちょっとした間違いも受け流せなくなってしまうのも万能感から、ということになります。

 

自分が神のような存在で間違っている人を正さなければ!という感覚に陥ってしまいます。

でも、それが親の万能感に憑依されてそのような状態になっていることは気が付かないんです。

 

「自分は正しい!」と確信してしまうんです。

 

それが親からの万能感であることに気付けなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/01/22

アルコール依存症の治療をやっていた時はこの”万能感”がとっても大切なキーワードとなっていました。

 

お酒を飲みたくなる時って、ちょっとしたきっかけで、人から「見捨てられたかも?」って不安になった時です(アルコール依存症の方の特徴として)。

 

そして、お酒を飲んだ時に、お母さんをお腹の中に取り入れたような温かい感覚になって、まるで“見捨てられ不安”が解消されたかのように安らかに眠ることができます。

 

酒を飲んで起きたら「俺には見捨てられ不安なんかない!」って認めません。

そして「俺は何でもできるんだ〜!」って“万能感”が湧いてきて「やってやるぞ〜!」って、万能感のまま突っ走ってしまいます。

 

すると、万能感で失敗して、周囲から冷たい目で見られているような感覚になり「見捨てられる不安」が再び襲ってきて、そして酒を飲んで母親を取り入れたような陶酔感で眠る、ということを繰り返してしまいます。

 

だからアルコールの治療で”万能感”が出てきたら要注意なので、アルコール依存症さんが集まってお話をするミーティングでは「今日のテーマは万能感です」ってそれぞれの万能感について語ってもらうことがあったんです。

 

でも、万能感をお話のテーマにすると、途端に和やかだったミーティングの空気が一転してピリッとしてしまいます。

 

そして、参加者の方は「なんでそんな話をしなきゃならないだ!」と怒り出します(ヒエ〜!)。

 

あんなに穏やかだったおじさんたちが「万能感」の一言で般若のような顔になって「おりゃ〜!」って怒り出すから興味深いんです。

 

もちろん、いろいろ仮説は立てられます。

 

”万能感”なんて難しいテーマにしたから、何を話していいのかわからなくて怒ってしまった、ということも考えられます。

 

万能感は「自分は何でもできる!」って感覚ですけど、一般的にはあまり使わない言葉だから「わけがわからない!」って怒っているのかも?ってなります。

 

そこで「万能感のことをちゃんとミーティングの時に説明してからやればいいんだ!」となります。

 

「万能感とは、自分が何でもできるんだ、そんなのわかっている!そんなこと知ってる!という感覚なんです。それがきっかけでお酒を飲んでしまうからここで万能感のことを語るんです」って説明してから始めてみました。

 

そしたらますます「おりゃ〜!」っておじさんたちが怒り始めます(ぎゃ〜!)。

 

「そんなことわかっていりゃ!(チャキチャキの江戸っ子弁!だけど”はい!万能感いっちょ入りました〜!)」。

 

あんなに温和なアルコールのクライアントさんが「こんなテーマを俺たちに話させるな!」ってまるで何かに憑依されたように怒ったんです。

 

万能感でなぜ荒れてしまうのか?というのがものすごく興味深かったです。


2017/01/21

新刊JPにまた新たな記事が載りました〜!

「心理カウンセラーが教える 中間管理職の「板挟みストレス」改善法」

中間管理職向け解説として、ものすごくよくまとめてくださっています。

ありがとうございます!

 

新刊JP https://www.sinkan.jp/news/7485?ref=recent_embed


2017/01/21

普通の人に、この”心に聞く”とか、今感じている不快感は他の人から伝わってきている感かも知れませんよ!なんて記事を読ませると「そんなの知ってるよ!」と言います。

 

「自分の心に聞けばいいんでしょ!」そんなの直感で動くみたいなものだから「いつもやっているし!」ってなるんです。

 

そんな当たり前のことを何をたいそうなことのように書いているのか?ってね。

 

「人に影響されるのだってあたりまえじゃない!」自分一人で生きているわけじゃないんだから、常に人に影響されているし、ってなっちゃいます。

 

この「そんなの知っている!」とか「そんなのわかっている!」っていう思考がとっても興味深いんです。

 

”万能感”というのは「自分がなんでもできる」という感覚を意味する言葉になります。

 

この万能感が働いている時こそ、人からの影響を受けている時であって本来の自分自身とはかけ離れた存在になってしまっています。

 

万能感が働いていると「そんな面倒臭いこと知りたくもない!」と思ってしまいます。

 

「自分が他人の影響を受けているなんて面倒臭いこと知りたくない」とちょっとでも思ったら「お!来たな!」ってなります。

 

そこで「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」って聞いてもらいます(このときはこれを聞くことすら億劫になってしまうから興味深いんです)。

 

もし「・・・」と答えが返ってこなくても「ほら〜!やっぱり心なんてないんだ〜!」って言わずに「心よ!誰が邪魔しているの?」って聞いて、次の瞬間に浮かんできた人を捕まえて「母親からの邪魔を排除してください!」って心にお願いします。

 

そしてもう一度「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」って確認して、浮かんできた人を「心よ!祖父からの邪魔を排除してください」って繰り返します。

 

心に聞いて「もう邪魔はないよ!」と教えてくれたら「あれ?さっきまでの万能感が無い!」ってなるから面白いんです。

 

私は、子供の頃に親からも先生からも「心の目で見なさい!」って言われていました。

 

何なんだ?それ?ってずっと思っていたんです。

 

でも、この「わかっている!」と”万能感”をもってしまって心の目を閉ざしてしまう自分自身の体験から、初めて「あ!こういうことだったんだ!」って腑に落ちたんです(30年もかかってしまいました)。

 

脳のネットワークを通じて邪魔があると”心の目”で見られない。

 

でも、簡単に心の目で見ることができるようになります。

 

心の目で見てみるとものすごく面白い世界が目の前に広がっています。

 

何だか心の邪魔を排除してもらうのが楽しくなってきた〜!

 

 

 

 

 


2017/01/20

普段の生活でちょっとしたきっかけで次から次へと不安なことが頭に浮かんで来たり、頭が怒りでいっぱいになってしまう場合は「他の人から飛んできている感覚かも〜!」となります。

 

一つの感情を整理するためには、その感情の元になっている状況記憶が必要になります。

 

例えば「悲しい!」だったら、「昨日割ってしまったお皿」で感情と記憶が一致すれば「悲しかったよね、さよなら!お皿さん!」となります。

 

でも「悲しい!」に対して「過去の失恋体験」を持ってきてしまうと、本当はお皿を割ったことが悲しいのに、失恋体験をはめようとしてしまうから合いません。すると「過去の仕事の失敗」とか「人から否定されたこと」とか「両親から拒絶された体験」なんかをひっぱり出してきて「悲しい!」とマッチさせようとします。

 

元は「お皿を割ってしまった!」ということなので、それに「悲しい」をマッチさせなければ記憶として整理されないので、「悲しい!」という感覚がいつまでも消えず、「あれ〜!」って”悲しい”にまつわる記憶をぐるぐる引き出してはさらに不快になる、を繰り返してしまうんです。

 

トラウマになるとこの現象が顕著になります。

なぜなら「怖い!」の元の記憶が抜けちゃうのがトラウマですから。

だから「怖い!」を何とか消そうとして、トラウマの人はトラウマと同じような体験を繰り返して「怖い!」を消そうとします。

両親から育児放棄されて「ぎゃ〜!」っていう恐怖を体験して、その幼少期の記憶が無くなってしまった場合、「ぎゃ〜!」を消すために「人から拒絶されるようなこと」をして両親からの育児放棄の場面を再上演(もう一度同じ体験をすること)を繰り返してしまいます。人と親密になりそうになったら、関係を壊してしまうタイプの方、がそれだったりします。

 

自分では記憶が抜けちゃっているので「なんでそんなことをしちゃうの?」って全く分からないのがトラウマです(恐ろしや〜!)。

 

それらと同じように「人から伝わってくる感覚」を自分のモノにしてしまうと、やっぱりトラウマと同じように「これも合わないぞ〜!あれも合わないぞ〜!」って次から次へと不快な感覚をひっぱり出してしまって、どんどん不快感が増幅しちゃうんです。

 

一般の人から言わせれば「気にし過ぎだよ〜!」とちょっと神経質な人になります。

専門家から言わせれば「強迫性障害ですな!」と不安障害にされてしまいます。

 

それらの答えも「マッチしないよ〜!」って不快感が消えないんです。

 

そこで”心に聞く”が出てくるんです。

 

(つづく)

 

 

 


2017/01/19

電車に乗っていて、突然、昔やらかしてしまった恥ずかしい記憶が浮かんできて「いや〜!」ってなります。

 

仕事のことを考えていたら、突然、その場面の記憶につながってしまって「何でこんなことを突然思い出して恥ずかしい気持ちになるんだろう?」って考えます。

 

ここではこんなに冷静に書いていますが、その時はパニック状態。

思いっきり恥ずかしい場面が出てきていて、みんなの冷たい視線が突き刺さっていたのがめちゃくちゃリアルに記憶の中で再現されていて、電車の中なのに居ても立っても居られない感じ。

パニックになっていたら、お腹も痛くなってくるし「大変!」って泣きそうになります。

 

お腹が痛くなったら、また別の恥ずかしい場面が出てきて、どんどん気分が惨めになっていって落ち込んでいきます。

 

子供の頃のあの惨めな感覚に戻ってしまい「自分は本当に恥ずかしい人間なんだ〜!」ってなってしまいます。

 

すると、今度は、こんな惨めな自分を助けてくれなかった人たちへの怒りが湧いてきます。

 

「なんでこんなに大変なのに、私の苦しみを理解して助けてくれないんだ!」ってものすごい憎しみのような怒り。

 

そんな怒りを感じていると、再びお腹が痛くなってきて、また、惨めな恥ずかしい思いが襲ってきます。

 

それはまるでジェットコースターの様。

怒ってどんどん高く上がったと思ったら〜!今度は、恥ずかしい惨めな気持ちがよみがえってきてドーン!と落ちる〜!を繰り返します。

 

「なんで自分はこんな状態になってしまうのだろう?」って考えてしまったら、どツボにはまってしまいます。

 

だから、ここは”心に聞く”をしてみます。

 

「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」って聞いてみます。

 

「…」何も返ってきません。

こんなにパニックになっているんだから、そんな”心”に聞いている余裕なんてないから!って頭では考えてしまいます。

でも、違うんです。

この「…」の状態が心との間に邪魔がある証拠なんです。

 

そこで「心よ!誰が邪魔しているの?」って聞いてみます。

 

すると母親の姿が浮かんできます。「何でやネン!」って一応突っ込んで「心よ!母親からの邪魔を排除してください!」ってお願いします。そして「心よ!邪魔を排除できたら教えてください!」ってお願いしておきます。

 

「できた!」

 

「心よ!今、私と心の間に邪魔はある?」って確かめます。

 

「無い!」って思考が浮かんできます。

 

「心よ!この惨めで恥ずかしい感覚って私のですか?」って聞いてみます。

 

すると思考で「違います!」って浮かんできます。

 

「心よ!これって誰から入れられている感覚なの?」と聞いてみます。

 

すると「この電車に乗っている乗客の人の感覚〜!」って浮かんできます。

 

目の前に座ったおじさんがだらしなく足を広げながら新聞を読んでいる姿が目に入ってきたので「心よ!このおじさんの感覚なの?」って聞いてみます。

 

「違う!」って返ってきます。

 

隣に立っているおばちゃんとか、ドアに寄りかかってマンガを読んでいる学生などを確認してみましたが「違う!」って言われます。

 

「心よ!だったら誰から伝わってきてるの!」って聞いてみると、フッと、一番端っこに座ってる髪の長い顔立ちの整ったきれいな女性が目に入ってました。

 

「心よ!あの人からなの!」って聞いてみると「そう!」って言います。

 

え〜!容姿端麗だし、背筋もピンと伸びていて外見からはすごく自信がある人に見えて、一番、恥とか惨めさとは縁遠い人だと思ったのに〜!

 

「心よ!あの女性に何があったの?」って聞いてみました。

 

すると「知らなくていい、どうしたらいいのかを尋ねなさい」って頭に浮かんできます。

 

私は、その意味が解らなくて「あの女性に何かをしてあげられるかってことかな?」ということなのかな?

自分が、あの女性の代わりにこの惨めさと恥ずかしさを請け負ってあげなさいってことを言われるのかな?って想像します。

 

「心よ!あの女性から伝わってくる感覚をどうしたらいいの?」って聞いてみます。

 

すると「私に頼んで返しなさい」って返ってきます。

 

え〜!こんな、惨めで恥ずかしい感覚をあの綺麗な女性に返しちゃっていいの?ってちょっと悪いような気持になります。

 

「心よ!本当に返しちゃって大丈夫なの?」って確認します。

 

その質問をしたときに、トラウマ治療でクライアントさんの感覚を受け取って、そして受け取った感覚を再びお返しすることでトラウマの不快な感覚を打ち消すことができる、っていうメカニズムが頭に浮かんできて「そうか!返しちゃっていいんだ!」ってひらめきます。

 

「心よ!この惨めで恥ずかしい感覚と怒りの感覚もあの女性にお返しください」ってお願いします。

 

もちろん、私の中では「本当かよ!返すなんてできるんかよ!」って猜疑心バリバリでした。

 

でも、心にお願いした次の瞬間から「スーッ!」ってあの不快感が嘘のように消えていき、お腹の痛みもありません!

 

あ!あのお腹の痛みも女性からのモノだったんだ!って思ったらさらに楽になっていきます。

 

さっきのあの苦しみが嘘のよう。

 

「心よ!ありがとう!」ってつぶやいたら「感謝する必要はない、なぜなら元々あなたのモノではなかったのだから」って言われちゃいました。

 

ちぇ!

 

あはは!

 

(つづく)



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