2017/05/17

アメリカのドラマが好きでお風呂に入りながら観ているのですが、最近のアメリカ版のシャーロック・ホームズのドラマの薬物依存症の描写が「うまいな〜!」と思うんです(どこをみているの!あんたは!)。

 

ドラマの中でホームズが薬物依存症になってしまって、薬物依存症のミーティングに通っています。

「ちょっとでも油断してしまうと薬物依存症にあっという間に戻ってしまうよ!」という心理描写がめちゃくちゃすごい!

 

薬物依存症の遺伝子を検索してみると6500もヒットします(関係ない遺伝子もたくさん引っかかっている可能性がありますけど)。

そのうちの21%が”発作”と関係してる遺伝子になります。

 

私が考えるに、薬物依存症は”発作”が薬物に条件づけられちゃているから、ちょっとでもやっちゃったら「おりゃ〜!」と連続発作が起きちゃうから「薬物が止まらない!」となるので「薬物依存症って大変ですよね〜!」になります。

 

アルコール依存症も一緒!!

薬物依存もアルコール依存も発作がそれに関連するものに条件づけられているから、薬物友達と接触するだけで「発作が起きちゃうよ〜!」となります。アルコール依存の場合はお酒の自動販売機やお酒の宣伝を見ただけで「おりゃ〜!飲んじゃるぜ〜!」と脳が着火しちゃうんです。

 

そして、例えば”失恋”や“恋愛”なんかでも”発作”が起きちゃうから「また、いつのまにか薬物に戻っちゃった〜!」とあっという間に戻ってしまうんです。

 

逆に言ってしまうと、失恋やショックなことで脳が“発作”を起こしている時に、薬物やアルコールでさらに発作を強化することで、発作がアルコールや薬物に条件づけられちゃって「依存症のいっちょあがり!」となってしまう可能性があるんです。

 

人ごとのように聞こえますが、私も「人の気持ちを考えるのが止められな〜い!」というのは”発作”ですから、もちろん依存症と同じ扱いになっちゃうんです(やめられない!止まらない!〇〇えびせん!って違うか!)。

 

人の気持ちを考えて脳が「ビビビ〜!」と発作を起こしてしまって「怒りじゃ〜!」とか「不安じゃ〜!」になって考えることが止まらなくなります。

 

先々のことを考えてしまって「不安じゃ〜!」とか「なんで僕はこんなに不幸なんだ〜!」も発作が連発してしまうので同じこと。

 

もちろん嫌なことを考えて”苦痛”になった時に分泌される脳内麻薬が欲しいから「嫌なことを考えるのが止められな〜い!」というタイプもありますけど、私の場合、それだけじゃない気がしてます。

 

「ビビビッ!」と発作を起こすことで別人格になってしまうから「止めたくても止められない!」となってそこから抜け出すことができなくなるんです。

 

アルコール依存症の方や、薬物依存症の方が「発作の遺伝子を唱えていたら、記憶が飛ぶことがなくなって、一定量以上、酒が飲めなくなった!」というびっくりすることが起きます。

 

ほんまかいな〜!?と不謹慎なことを思いながら「あれ?そういえば自分も算数障害と発作の共通遺伝子を唱えていたら、人の気持ちを考えてぐるぐる考えることがなくなっているじゃん!」となっていることにびっくり(やっぱり自分では自分の変化は気がつかないものなんですね〜!)。

 

あんなに一生懸命に、電車の中でも「人の気持ちを考えないようにしなきゃ!」と努力していたのに、気がついたら、いつの間にか「考えるのが止まらな〜い!」となってしまっていたのに。

 

あはは〜!

 

でも、ここで「なんで算数障害の遺伝子が人の気持ちを考えない!発作が起きない!ということと関係しているの?」という疑問が湧きます。

 

そうなんです!

 

そこが面白いところなんですよ〜!

 

(つづく)


2017/05/16

公園でバラがきれいに咲いていて、めちゃくちゃいい香り!!

花によって香りが違うのがはっきり分かるんです!

 

ジョギングを中断してしばし香りを楽しんでいました。

 

これまで、いつもずっと人の気持ちを考えて「あの人は私のことをどう思っているのかな?」とか「あの人は困っているのかな?何を感じているのかな?」なんてずっと考えて「なんとかしなきゃ!」や「なんとかしてあげなければ!」と考えちゃって頭の中がいつも騒がしくて緊張していました。

 

色々考えて相手になんかしてしまうと「あんなことをするんじゃなかった!」と後悔します。その時にも相手の気持ちを考えちゃうから頭の中でぐるぐるしちゃうんです。

 

でも、考えてみたらこの緊張状態って面白いですよね!

相手が目の前にいないのに、ずっと相手の気持ちを考え続けることができちゃうんですから。

「なんであの人はあんなことを言ったんだろう?」と考えて「きっと私のことをバカにしたからに違いない!」と相手の気持ちになって予測ができちゃいます。

 

目の前に相手がいないわけだから、自分の中で相手の立場になって考えるわけだから、一人何役もこなしていることになります。

電車の中で隣に座ったおじさんの立場になって、そして、職場の上司の立場になって、そしてニュースに出てくる独裁者の立場になって、物を考えていくと、ものすごい役をいくつも演じることになります。

 

これをやっていくとどんどん緊張が高くなって、自分の感覚がわからなくなってしまいます。

かなり前に流行った「多重人格〜!」なんていうのがありました。

専門用語では”解離性同一性障害”になります。

 

自分の人格がどんどん別れてしまって「自分が何者なのかわからな〜い!」となっている状態。

興味深いのは、本物の”解離性同一性障害”では、一つの人格から他の人格になっている時の「記憶がな〜い!」となります。

それって”発作”が起きている時と一緒じゃないですか!

 

相手の立場になって相手の気持ちを考えれば考えるほど、緊張が高まるってことは〜!

脳の過活動が起きている、ということになります(過活動とは活発に働きすぎ〜!という状態。脳は満遍なく動いていれば問題はないのですが、過剰に動いちゃうといろんな不具合を起こします。まあ、発作が起きちゃうんですけどね!)。

 

そう考えてみると「なんであの人は!」と相手の気持ちを考えれば考えるほど脳内の緊張を高めて「発作を起こせるかも!」という可能性が見えてきます。

 

「あの人は私のことをどう思っているのだろう?」と相手の立場になって考えることで発作を起こして「別人格に変身!」なんてことをしてしまっていたんですよ!(あ!仮面ライダーだ!って違うか!)

 

そして、人の気持ちを考えて発作を連発させれば、それが脳に定着して「常に緊張している〜!」という状態になり、人格がコロコロ変わって定まらない〜!となります。

 

まさに、自分の人生を生きられない状態ですよね!

 

いや〜!自分の人生を生きていない時間が長かった〜!

 

多分、この話の流れの意図は「人の気持ちを考えてしまうと発作が起きてしまうから考えないようにして自分の人生を生きましょう!」となってしまいます。

 

そうなると「常に人の気持ちを考えないように気をつけなければ!」となってしまいます。

常に、発作と隣り合わせの生活で、それを起こさないように気をつけなければ!となってしまっている状態。

 

違うんです!自分の努力で人の気持ちを考えなくなったんじゃなくて、算数障害の遺伝子コードを唱えていたら「あれ?いつの間にか人の気持ちを考えなくなった!」となっていてびっくり!

 

「考えないようにしなきゃ!」という努力が全く必要ないから不思議〜!

 

以前だったら自動的に人の気持ちをあっちこっちで考えちゃって、脳の緊張が収まる時がない〜!とずっとこの呪われた脳の状態を恨めしく思っていました。

 

「歳をとったから?成長したから?」と思ったけれど、いや〜!そんなに変わらないでしょ!

 

私と同じような悩みを持ったクライアントさんも同じように「あれ?確かに算数障害の遺伝子を唱えていたらいつの間にか人の気持ちを考えなくなった〜!」と同じようなことを体験されていたから「本当に算数障害の遺伝子のせいだったんだ!」となるんです。

 

本当に面白いです。

 

でも、同時に、本当に別人格によく変身していたんだな〜!って懐かしく思えるんです。

 

あはは〜!

 

 

 


2017/05/15

本のために書いた原稿が、編集されて返ってきました〜!

 

読んでみて「なんじゃこりゃ〜!」とびっくり!!

 

めちゃくちゃ綺麗に、丁寧に編集されていて「読みやすい!」と感動します。

 

途中から「これは私が書いた本じゃないな〜!だって読みやすいんだもん!」と編集の人に嫉妬モード(大人気ないぞ!俺!)。

 

ある編集者の方からは「てにをはだけ直しましたから!」とおっしゃっていただいていたので「それじゃ本を購入してくださる方が読みにくいからだめでしょ!」と思って読んでみたら「全然”てにをは”だけじゃないじゃん!」とめちゃくちゃ文章が綺麗に整えられているからびっくり!

 

私のわかりにくい説明が綺麗に整っていて「これって芸術でしょ!」という感じ。

 

編集者の世界で文章をものすごく綺麗に整えることを「てにをはだけを直しておきました!」というのかな?

 

編集者の方って本当に素晴らしいです!

 

編集者の方からお題をいただいて書いた本だったのですが「お〜!この暗示の言葉は無敵でしょ!」と読んでいて感動。

 

「お金持ちになる”暗示”まで書いてあった!」とびっくりしました(お前が書いたんじゃないのか〜い!)。

 

早速、唱えて「宝くじ買っちゃろ!」と思ってその“暗示の言葉”を唱えていたら、頭の中で、宝くじの当選確率の計算が自動的に始まってしまって「宝くじはいらないやろ!」となるから面白いんです。

 

これがお金持ちの人の思考なんだ!とちょっとびっくり。

 

追いかけるものじゃなくて、向こうが寄ってくる、っていう感じ。

 

おもしろ〜い!これを構成した編集者ってすご〜い!

 

今回は、読んで修正したりしなきゃいけないのですが「すみません!何一つ手を入れるところがありません!」という感じ。

 

情けない話なのですが、2回読んでもつっこめるところが一つもありませんでした!

いつも、人の文章にはものすごく赤ペンを入れるのが得意なのですが、今回は、完敗です。  

 

ち〜ん!

 

朝から何をやっているのか。

 

6月と7月に発売予定です!

 

楽しみです!

 

 

 

 


2017/05/13

人に振り回されちゃっている時って、“発作”が起こっている時。

 

脳が発作を起こしているから「大変だ〜!」とか「なんとかしなくっちゃ〜!」という幻想を目の前に作り出しちゃいます。

 

それは“幻想”だから「ジェニファーは彼氏とアツアツで、困っていなかった!」という哀れな現実に直面します。

 

臨床心理の教授は「精神疾患の特徴を覚えさせるために演じていただけ!」という現実を目の当たりにして「悔しい!」と地団駄を踏みます。

 

「なんで私ばっかり、人に振り回されちゃうんだろう!」と悔しい思いをこれまでたくさんしてきました。

 

なんで普通の人は引っ掛からないのに、自分ばっかり引っ掛かってしまうのだろう。人に振り回されちゃうんだろう?

 

そんなことを考えていると、子供の頃にバッティングセンターに行った時のことを思い出します。

 

周りの人は「パッカーン!」と快音を立ててボールを気持ちよさそうに打っているのに、私のバットはボールが飛んできても空を切ってしまいます。

 

たまに球にバットがかすることがあっても、バットの芯に当てることが全くできません(運動音痴か!)。

 

「なんで当たらないの?」

 

答えは簡単でした。

 

バットをカッコ良く振ることばかり考えていて、全くボールが見えていなかったんです。

 

ボールを見ることだけに集中した時に「かっき〜ん!」と私のバットから快音が響きます。

 

人の話を聞いてしまって、“発作”が誘発されちゃうと、現実というボールが見えなくなってしまうから、バットを振っても当たらない!というように、人に振り回されちゃう、という虚しい結果が待っています。

 

その”発作”を止める方法が「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法に書いてある「浮き輪モード!」だったり、その他に書いてある暗示の言葉だったりするんです(発作を止めるコマンドで〜す!)。

 

唱えて“発作”を止めて見ると、ちゃんと現実というボールが見えてきます。

 

すると空振りすることなく「かっき〜ん!」とヒットが打てます。

 

発作によって幻想を見ちゃってボールから30cmも離れたところでバットを振っていたらいつまでも当たりませんよね。

 

でも、暗示の言葉を使って“発作”を止めて現実のボールが見えたら「あ!簡単に当たった!」となるんです。

 

発作って、連発してしまうと、その状態が脳に定着してしまうような気がしています。

常に発作を起こしていて、いつも“幻想の世界”にいるような感じ。

 

逆に言ってしまえば、その発作を連発して止めていけば、幻想の世界から抜け出して現実の世界で生きられます。

 

発作が無い状態が“凪”の状態で「静か〜!」な状態になります。

 

常に現実が見ているから、無駄な動きが一切なくて疲れません。

そして、考えることなく、目の前にやってくるチャンスを自動的に掴んじゃう。自分でチャンスを掴んじゃう、なんて面倒臭いことをしなくてもチャンスが自ら飛び込んでくる、というような美味しい現実がそこにあります。

 

でも、脳の“発作”を鎮火する、というのに掛かる時間は個人差があります。

 

まあ、常識で考えたら、そんなに脳は簡単には変わるわけないじゃん!ということになるんです。

 

私は難行苦行が好きじゃないから、だったら簡単にその“凪の世界”を手に入れちゃおう!というのが「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法に書いてある“心に聞く”という手法です。

 

“心”に聞けば“発作”の向こうにある“現実の世界”に簡単にアクセスすることができます。

 

もっと簡単に言ってしまえば“心よ!”というキーワードが“発作を解く”という役目をしていて、その発作の裂け目に質問をすることで、発作のない“本来の自分”から答えが聞ける、という仕組みになっているんです。

 

(つづく)

 

 

 

 

 


2017/05/12

なぜ、教授が妄想性障害の演技をしていることにベンは気がついて、私は最後までそれに気がつくことができなかったのか?

 

ここが面白いところなんです!!

 

多分、普通の専門家だったら「観察力の欠如」とか「経験不足(疑うことを知らない)」や「客観性がないから(冷静に話を聞いていないから)」などと判断するんでしょうね〜!

 

まあ、単純に言ってしまえば「修行が足りない!」ということになります。

 

でも、たくさんのカウンセラーとともにこれまで成長してきた私は「いくら素晴らしい教育を受けてもベンのようになれる人はなれるし、あれ〜!って相手の話を真に受けて振り回されちゃう人は振り回されちゃう」って思うのです。

 

だって、それは遺伝子的に人の話を真に受けちゃうからでしょ!と言ってしまえばそれまでなんですけど、もっと面白い仕組みがあるんです。

 

それは“人の話を真に受けちゃう”の遺伝子を持っている私が、なぜ“心”に聞くと、ベンを超えられることができるのか?ということになります(だからベンを基準にするなっちゅうの!)。

 

ポイントは“発作”にあります。

 

ちょっと話は戻って、“英雄妄想”のジェニファーの場面に移ります。

 

ジェニファーは可愛らしいブルネットの髪をした女性で優しい笑顔でいつも話しかけてくれます。

 

「惚れてまうだろ〜!」となるのはフェニルエチルアミンという恋のホルモンが分泌されるから。

 

「恋は盲目!」なんて言ったりします。単純に言ってしまえば、恋のホルモンで脳が麻痺してしまって「判断能力が低下しています!」となっているから「僕がなんとかしてあげなければ〜!」となっているのかも?と思うのですが、それだけだと”英雄妄想”は成立しないような気がしているんです。

 

ちょっと話は飛びますが、薬物依存やアルコール依存になりやすい人って、それを摂取した時に“発作”が起きる体質かどうか?にかかっているような気がしています。

発作って、お酒だと、飲んで気が大きくなって「俺は凄いんじゃ〜!」と変身してしまうタイプの人(まさに英雄妄想か!)。

「私は不幸なんです〜!シクシク」と急に泣き出してしまうのも感情失禁という発作になります。

 

アルコール依存では“万能感(俺はなんでもできるんじゃ〜!)”という状態になりますが、その“万能感”自体が発作なんじゃないかな?と思っているんです。

 

発作のことを検索してみると、発作を持っていた有名人でジャンヌ・ダルクやナポレオン、そしてユリウス・カエサル(「ブルータスお前もか!」の人)がいます。まさに英雄。

 

以前「カリスマの作り方」と書いていましたが、発作を連発しちゃうと英雄になれちゃいます。

 

薬物摂取をしてると“発作”を起こしやすいので「俺は凄いんじゃ〜!」となり、面白い行動をとります(昔のアメリカのミュジシャンなんかは部屋で拳銃をぶっ放したり、ベランダからプールへとピアノを落としたりやっていましたね〜!)。

 

万能ですからなんでもあり!

 

話を元に戻すと、フェニルエチルアミンの薬物摂取状態の私がジェニファーから「ね〜え?」と優しく微笑まれてしまうと「ほ!発作が起きてまうやろ〜!」になり“英雄”になってしまいます。

 

ちなみにフェニルエチルアミン(恋のホルモン)と発作で検索をかけてみると「優しさで発作が起きちゃう!」というGABRG2がトップで引っ掛かります(まさにあの時の俺やろ!)。

 

発作をジェニファーに誘発されて、自分の危険を顧みずに夜中に車を30分も運転していってしまいます(「盗んだバイクで走り出す〜!」のあの方も発作かも!)。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/05/11

大学の臨床心理学の教授が、ある日、悲しげな顔をして教室に入ってきました。

 

「どうやら、心理学の学部長が私の教育方針を理解してくれていないようなんです」とおっしゃった。

 

え?なんのこと?とちょっと普段の調子じゃないのでびっくりしてしまいます。

 

「生徒たちが学部長に私の授業のクレームを言っていたみたいで、それを真に受けた学部長が私を排除しようとしているみたいなんです」とおっしゃった。

 

私は、心の中で「誰だ!そんなことをする奴は!あいつか!」といつも教授に不満げな態度をする奴を睨めつけたい衝動に駆られます。

 

教授は「どうやら教授たちの間でも、私の教育方針の問題が議論されているみたいで、みんなの態度が突然冷たくなったんです」と悲しげにおっしゃった。

 

私は心の中で「なんで本人に直接尋ねないで、本人を外してそんなことを勝手に議論するんだろう?とんでもない奴らだな!」と怒り始めます。

 

「今回は、私が発注していた臨床心理の最新の教科書が学部長によって勝手にこのテキストにすり替えられていたんです」と教授は大きくため息をつきます。

 

私たち生徒は、改めて目の前に置いてある教科書を眺めて「そんなことがあったんだ!」とかわいそうな教授に同情します。

 

そんなエピソードがたくさん教授から語られて「私たち生徒が先生の味方になって、先生を助けてあげなければ!」と先生の意図を理解した気がしました。

 

教授は「最近では、私の庭に嫌がらせでビールの缶が投げ入れられているんです。禁酒が校則のこの学区内ですから、明らかにあの教授が指示をしてやらせているんだと思います」とおっしゃった。

 

私は「誰だ〜!そんなビールを飲んで缶を投げ入れて嫌がらせをする奴は!」と頭の中で思い当たる人物を検索していました。

 

教授のそんな話を聞いていて、私はすっかり悲しい気持ちになって、同時に「この教授のためにしてなんとかあげなければ!」と思っていた時に、能面のような顔をしていた教授の顔から、笑みがこぼれてきます。

 

そして、私の隣に座っていた優等生のベンも先生と一緒に笑い出します。

 

教授は「これが“妄想性障害”の患者さんの特徴です」とおっしゃって「ベン!いつから私が演じていたことに気がついた?」と嬉しそうにおっしゃった(妄想性障害=その文化において共有されない誤った確信のことが”妄想”ですが、「もしかしてあるのかも?」と思えるそんなに違和感がないギリギリの妄想が一ヶ月以上続いてしまい、それ以外の症状がないのが特徴です)。

 

わたしは「え?ベンはそんなに早く気がついていたの?」と悔しくなります。

 

私の「人の話を真に受けちゃう!」のSHANK3の遺伝子があったから、私は教授の顔が緩むまで気がつくことができませんでした(情けない〜!え〜ん!エン!えん!)。

 

でも、遺伝子の問題だから、自分ではどうすることもできなかったんです。

多分、以前は、これを人は「才能がある、無い」という話にしてしまっていたのだと思います。

 

SHANK3の遺伝子の問題が無い優等生のベンは「患者さんの話に振り回されないからカウンセラーとしての才能があり!」となります。

そして、話を真に受けて振り回されまくっちゃう私は「才能なし!」となっていたわけです。

 

才能があるベンは、途中から「また、この教授、俺たちで遊ぼうとしてるぜ!」と心の中で笑っていたんだと思います。

 

その頃、私は「このかわいそうな教授をなんとかしてあげなければ〜!」と真剣に振り回されていたわけです。

 

でも、遺伝子の問題だから、どうしょうもないでしょ!

 

そこで出てくるのが「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法に載せている「心に聞く!」なんです。

 

“心”に聞いてみるとちゃんと“心”は面白いことを教えてくれます。

 

あの優等生のベンがこの“心に聞く”の手法を知ったら悔しがるだろうな〜!

 

ベンよ!あなたはもっと私のように人に振り回されて苦しむ必要があったんです!

 

あはははは〜!(これは誇大妄想の人の特徴です!)

 

“心”に聞くを繰り返していると、見事に人に振り回されなくなり、ベンを超えられるような気がしているのです(だから、ベンて誰やねん!)。


2017/05/10

8歳のお師匠様が「自分が犠牲になっても他人を助けたい!」と言っていたのは、美しいようにも聞こえます。

 

でも、なんか違う!って感じるんです。

 

実際、私が「肥やしになりたい!」と思っていたのは、結局は「誰からも理解されないで、そして虚しくこのまま終わっていくならば」という前提がありました。勉強もできない、そして、努力する気にもなれない。そしたら、このまま将来真っ暗だから、一層のこと人のためになって終わりにしたい、となります。

 

人は「努力すればいいじゃない!」とか「もっと自分を生かすために真剣に取り組めばいいじゃない!」と言うのですが、どこか達観していて「そんなことやっても無駄!」と思ってしまっていて動くことができなかったんです。

 

もしかして、8歳のお師匠様も私と同じような状態に陥っているのでは?

 

自分のために生きる大切さをお師匠様に教えてあげなければ、とアホなことを一瞬考えます。

でも、頭の中でお師匠さんを説得している場面をシミュレーションしてみますが、ことごとく失敗してしまうんです。

頭の中で、いろんな方向から説得をしようとしても、お師匠様を論破することができません。

 

頭の中で考えられるあらゆる説得術を失敗した先に「あ!この自分が犠牲になって他人を助けたい!っていうのは“英雄妄想”なのかも?」というのが閃きます。

 

そこで「師匠!この”自分が犠牲になって他人を助けたい”って“英雄妄想”なんじゃありませんか?」と恐る恐る師匠にお尋ねしてみます。

 

すると8歳のお師匠様は「う〜ん!」と一瞬唸るような感じで“心”に聞いて「確かにそうですね!それは“英雄妄想”ですね!」とおっしゃられたんです。

 

「え?そんなにすんなり納得してしまうの?」と心の中で思ったのだが、同時にこの8歳のお師匠様の偉大さを感じさせられました。

 

「師匠!この“英雄妄想”に対応する遺伝子のコードは何ですか?」と尋ねてみます(おい!おい!カウンセラーのプライドはないのか?!ありましぇ〜ん!こっちは必死ですからプライドもへったくれもありません!)。

 

お師匠さんは「う〜ん!」と一瞬だけ天を仰ぎ見てから「SHANK3ですね!」とおっしゃられた。

 

このSHANK3の遺伝子はスイッチが入っていると「人の話を真に受け過ぎてしまう」という性質を持っている、と私の方では考えています。

 

この「人の話を真に受けちゃう!」というSHANK3で私の中の英雄妄想の概念がガラリと変わってしまいました(また間違っていたかも〜!)。

 

私は、人が英雄妄想に入って、自分が自分を犠牲にしてまで他人を助ける!というストーリー展開をしてしまうのって「何一つ思い通りにならない現実から逃れたいからだ!」と思っていました。

 

ところで、“妄想”で代表的なものって“統合失調症”の症状になります。

統合失調症は、底なし沼に引きずり込まれていくような“恐怖”があるから、その恐怖から逃れるために“妄想”が必要となり「私は神だ〜!」とか「有名人だから付け狙われている〜!」となんてなっているのかな?と考えます。

 

だから“英雄妄想”をやってしまうのは、何一つ自分の思い通りに生きられない現実の辛さから逃れるためにやっている、と考えていました。

 

でも、8歳のお師匠様は「人の言葉を真に受けすぎちゃうから”自分を犠牲にして人を助けたい”になる」と仰います。

 

「あ!そういえば!」と私の大学時代の恥ずかしい話が思い出されました。

 

食堂でいつも一緒に食事をしているジェニファーから「私の彼氏ってものすごい酷い奴だから、あなたに懲らしめて欲しいの!」と涙ぐみながら相談されました。

 

私は「何とかしてあげなければ!」と真剣に考えてしまいます。

 

ジェニファーからは「あいつ空手の黒帯を持っているけどあんたは大丈夫よね!」と言われて、心の中では「そんなの大丈夫なわけないだろ〜!」と思うのですが「自分を犠牲にしてもジェニファーを助けてあげたい!」となっていました(アホだ〜!SHANK3じゃ〜!)。

 

そして決戦の金曜日の夜に、意を決してジェニファーが教えてくれた彼氏の家に車を走らせます。

今考えたら“英雄妄想”の極みじゃ〜!となるのですが、頭の中ではものすごい想像が膨らんでいました。

 

そして、30分の運転ののちに到着してみたら「あれ?ジェニファーと彼氏がイチャイチャしている〜!何じゃこりゃ〜!」となります。

 

そしてジェニファーは私に「あ!もういいの!もう大丈夫だから!」とにこやかな笑顔で。

 

あはは〜!

 

そっか!英雄妄想って人の言葉を真に受けちゃうから起きるんだ!と私の中でパズルのピースがはまります。

 

世の中の仕組みには表と裏があって、表の世界では一見「かわいそう〜!」と見えるのですが、裏では「全然大丈夫でしょ!」となっています。このSHANK3の遺伝子の問題があると、表しか見れなくて「私が何とかしなければ〜!」と表面的なものに振り回されちゃって“英雄妄想”に繋がるんだ!ということが見えてきます。

 

そして師匠のお母様が「私は前回いただいたSHANK3の還元を唱えていたら、ママ友と会話をしていると以前だったら疲れ切ってしまっていたんですけど、まったく疲れなくなったんです!」とおっしゃってくださいました。

 

人の話を聞いていて疲れちゃうのって相手の話を聞いて真に受けちゃうからか!

 

確かに!

 

お母様もすごいな〜!

 

「私も以前はSHANK3のスイッチがバリバリ入りまくっていたな〜!」なんて懐かしく思えるんです。

 

 

 

 


2017/05/09

最近、8歳のお師匠様がカウンセリングにお母様と一緒にいらっしゃると「先生はどんなことで困っていらっしゃるんですか?」と先に聞かれてしまいます。

 

私は正直に「今、万能感の遺伝子が見つからなくて困っています!」と8歳の師匠に打ち明けてしまいます。

 

「万能感って?」

 

「あいつは間違っている〜!」って発作を起こしちゃうやつです!と簡単な説明をするだけで8歳の師匠は「それは困った症状ですね〜!」と言って、すぐに師匠の”心”に聞いてくださって「それはFOXP3が関係していますね〜!」と教えてくださいます。

 

え?FOXP3って食物アレルギーに関連している遺伝子なんですけど?とちょっとびっくり。

 

確かに「自分に合う、合わない」を判断すればするほど、合わない食物が増えてしまう。

 

全てを受け入れるが謙虚な姿勢だったら、合う合わないを判断すればするほど“万能感”なんですね〜!と妙に納得。

 

私も試してみます!!と実験する気満々になります。

 

ところで、師匠が困っていらっしゃることはないんですか?とお尋ねしてみると「特にはありませんね〜!」と言われてしまいます。

 

すると、横でお母様が「〇〇ちゃんは“自分が犠牲になって人を幸せにしたい!”って言ってたよね!」とおっしゃいました。

 

どうやら、師匠は「自分がどんな犠牲になっても人の役に立てればいい!」と思っていらっしゃるらしく「自分の幸せなんてどうでもいいんです!」とおっしゃっていらっしゃった。

 

普通の人が聞いたら「すばらしい方ですね〜!」となったり、あるいは「自分が幸せじゃないのに、人の幸せなんて与えられるわけがないのに!」と反発したりします。

 

これを聞いて私は「その感覚って懐かしいな〜!」と思っていました。

 

私も、お師匠様の歳の頃には同じようなことを思っていました。

 

自分は何の役にも立たないから、せめて飢饉が起きているアフリカの大地で死んで農作物の肥やしとして使われたい、と思っていました。

 

(つづく)


2017/05/08

連休中は、サーフィンだけしかやりませんでした〜!あはは〜!

 

「次の原稿の用意をしなければ!」と思っていたのですが、サーフィンをして「気持ちがいい〜!」と帰ってきたら、すぐに寝てしまって「あれ〜!また、朝になってる!」という繰り返し。

 

朝になって、サーフィンに行かなきゃ!と半分以上、修行の気分。

 

そんなことを続けていたら、今度は「筋肉痛で夜中に起きちゃう!」という状態になってしまいました(何をやっているのかな?もう!)。

 

全身が痛くなって「イタタタ!」と目が覚めて、そして、痛くてしばらく眠れなくて、うとうとして、そして朝になったら「あれ?そんなに痛くないかも?」と思って、また海に繰り出す、ということをやっていました。

 

でも、楽しかったんです。

こんなの久しぶりでした。

 

休みから明けてみたら早速「心って間違えるんですか?」という質問がありました。

 

ストレートな答えですと「間違いは人の言葉によって作られるもの」です(とんちみたいな答えですね)。

 

消えてしまったブログの最後に「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」という有名な言葉を載せてありました。

 

キリスト教の聖書の中では、この世界のもの全てが言(ことば)で作られています。

 

「光あれ!と言ったら、光と闇とが分けられた」というところから初まります。

 

言葉はなんでも作り出すことができちゃうんです。

 

その言葉で“間違い”や“罪”そして“症状”をお創りになるのが“神”なんですね〜!

 

だから人は誰でも、神を演じられちゃうんです(これも謎かけみたいですね)。

 

先日、ものすごいことを体験しました。

 

学校で嫌な目にあって、学校に行けなくなった、という方がお母様といらっしゃいました。

 

その嫌な目にあった心の傷を治療して「嫌なことは思い出さなくなりました!」と仰っていただいたのに、その方は私の目や顔を見て話をしてくださいません(そんなに私はひどい顔なの〜!)。

 

私がそこに注目を向けたらお母様は嬉しそうでした。

「そうなんです!この子には対人恐怖の症状があるんです!」と言いたげな表情。

 

普通の専門家だったら「人が怖いんですね?」と質問しちゃうでしょうね〜!

そんな質問をしたら「この人はわかってない!」とその方は判断しちゃって「はい」と答えてそこから症状が変わらなくなってしまいます。

 

そこで”心”を通してその方に質問をします。

 

「どうして人の目を見るのを避けるのですか?」と(“怖いんですか?”では治療者側の勝手な決めつけになっちゃうから)。

 

すると、その方は「自分が相手の目を見て相手から嫌われてしまうのが不安だから」とおっしゃいます。

 

ここで治療者の「人が怖いから人の目を見ることができない」という仮説が一気に打ち崩されます(ガラガラガラ〜!)。

 

「自分が相手を見て相手から嫌われちゃう」というのは”自己視線恐怖症”という症状になります。

 

でも、”自己視線恐怖症”というのも治療者の勝手な決めつけになりがちなので、さらに“心”に聞きながら、遺伝子のコードを使って「その“嫌われてしまう”って何?」というのを探っていきます。

 

遺伝子のコードで「人の目を見ると発作を起こして頭が真っ白になって固まっちゃう!」というCASKというのがあります。

 

それを唱えていただいたら、確かに私の目を見ることができるようになったのですが、今度は目を見たまま、視線を逸らすことができなくなってしまいました。

 

私は、この時、私の頭の中で「ビビビ!」の発作が起きるのを感じて、学生の頃に「お前!ガン飛ばしてんじゃねえぞ!」と不良連中に絡まれた場面のことが思い出されました。

 

不良連中って、発作の持病持ちで、相手の目を見ちゃうと発作を起こして「おりゃ〜!」ってキレてしまいます。本人たちは、発作を起こして怒るので、怒った場面の記憶が発作によってスッポリ抜けちゃうから「キレてなーい!」となります(これが面白い!)。

 

一見、自信がなさそうにビクビクしているような子に見えるのですが、その眼力はすごかったんです。

 

確かに、この眼力で相手のことを見ちゃったら「喧嘩売ってんのか〜!」となっちゃってトラブルになるから見られなかったのね!ということがやっとここで理解できるんです。

 

不良少年と同じような脳内の発作の遺伝子コードを唱えてもらったら「あれ?目を見ても大丈夫になった!」となるから面白いんです。

 

私の目を見てもらっても、凝視することがなくちゃんと視線を合わせて、そして逸らして、また合わせてということが自然とできるようになり、視線が合っても私の脳内で発作が起きなくなります。

 

もし、初めに「この子は対人恐怖があるんだ!」と決めつけてしまったら“対人恐怖症”という症状を勝手に私が創ってしまうことになります。

 

“自己視線恐怖症”という言葉にしても同じです。

 

「わからない!」が一番面白くて、自分が言を使って神を演じなければ「全て時にかなって“美しい”」ということがクリアに見えてくるんです(“美しい”は有名な本の伝道者の書3章11節からです)。

 

“心に聞く”をやって見ると、他の人とはちょっと違った美しい世界が見えるんです。

 

それがものすごく楽しい。

 

やめられない!止まらない!

 

あはは〜!

 

 

 

 

 

 

 


2017/04/28

藤の花が綺麗に咲いていました。

花の香りを嗅ごうと思ったのですが、満開じゃないからか、まだ香りがなくて残念。

代わりに、ハゴロモジャスミンの香りを満喫してきました。

 

ある方が「人の感じていることが感じられないんです!」とおっしゃっていました。

 

多分、人の苦しみ、怒り、憎しみなどを身体で感じ取る“共感能力”が欲しい、とおっしゃっていたのだと思います。

 

カウンセリング中に、クライアントさんの話を聞いていて「ドス!」とボクサーからお腹にパンチを思いっきり食らわされたように痛みが走って「苦しい〜!」となります。

その痛みを感じながら話を聞いていくと、やっぱりものすごい心の傷が。

 

ある時は、お話を聞いていたら、頭をバットで殴られたように「が〜ん!」と突然痛くなります。

それも話を聞いていくと、親から暴力を受けていた記憶が出てきます(ヒエ〜!)。

 

痛みを感じるから「本当にすごい心の傷だな!」と身体で感じることができます。

 

でも、面接が終わるとフラフラ。

寮生活をしていた時に「ホールボクシング!」と廊下で素手で友達と殴り合ってテストのストレスを発散していた時のことを思い出します。殴り合っている時はいいのですが、終わった時はボロボロになって「いや〜!」となるんです。

 

私からすると、この身体に伝わってくる相手からの感情は「苦しい〜!」でしかないので「そんなのがなくて淡々とお話を聞きたい!」って思ったりするんです。

 

だから「人から不快な感覚が伝わってこない方が羨ましい」と思ってしまうんです。

 

そこで、その方の“心”に聞いてもらって「そんなの必要がない!」と“心”に諭してもらおう!と思ったんです。

 

ところが“心”は、共に感じる喜びがあるから、それは必要、と言ったんです(モ〜!)。

 

「うそ〜!ほんとに〜?」

 

私にとってはこの“共感能力”って呪いでしかない、と思っていたのですが、心は、その苦しみの向こうにある共に感じる喜びよ!とおっしゃっていたんです。

 

確かに、共に苦しみを感じていく時に、自分の苦しみが相手に伝わって、その苦しみが相手から返ってきた時に、苦しみによって苦しみが打ち消されていきます。

 

そして、やがてそれが凪になって“無”になった時に不思議な喜びを感じられるんです。

 

確かに、私はこうして皆さんと繋がって苦しみを感じながら、

やがてそれが皆さんとの繋がりのなかで苦しみが打ち消されていく時にどんどん自由になってきたんです。

 

苦しみばかりが頭に残っていて、その向こう側にある”自由の喜び”に注目を向けられなくなっていた私。

 

確かに、共に感じる喜び!ってあるんですね“心よ!”

 

私はみなさんと一緒にどんどん自由になってきたんです。

 

知らず知らずのうちに。

 



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