2017/09/08

昨日、久しぶりに林副編集長にお会いしたら「あ!綺麗になっている!」とびっくりしました。

 

スリムになっていて、キラキラ輝いていて「まぶしい!」っていう感じ。

 

仕事もバリバリこなされていて1.5ヶ月に一冊のペースで本を出されているとのこと(ひえ〜!)。

 

「すぐに不安になってしまう」が一瞬で消える方法(すばる舎)ってすげ〜!

 

なんなんでしょうね!あの呪文を唱えるって。あんな簡単なことなのに、やっているだけで人は変わっていきますね。

 

自分ではあまり変化に気がつかないんですけど、周りが「すげ〜!」ってなるんです。

 

「何よ!あの人!」と嫉妬されちゃったりして「チャリ〜ん!」とますますパワーアップしてステキ度が増していく。

 

自分はどう変わっているんだろう?

 

今日、ちょっと面白かったのが「夏休み明けの惨めな学生時代の自分」をこのブログを書く前に思い出そうとしていました。

 

「あれ?奴がいない!」

 

「あいつめ〜!真面目に算数障害のコードを唱えやがったな〜!」

 

過去の自分が変わっちゃっているのがなんとなくわかるんです。

 

過去の自分が変わると、現在の自分も変わっていて「あれ?本当に算数障害の問題がないかも!やばい!」と焦ります。

 

脳のネットワークって離れていても、人から影響を受けるし、そして、自分も相手に影響を及ぼすことができちゃいます。

 

私がこのブログで「ブラックホール!」と書く2日前に二人のクライアントさんが「あ!ブラックホールだ!」と考えていたことを教えてくれます。

 

それを考えていた後に、私の記事を読んで「あ!びっくりした!」となるのは、多分クライアントさんの脳のネットワークに繋がって私の思考が影響されたから、私は「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法(すばる舎)に載っている“心に聞く”をやっていたら「ブラックホールだよ!」という声を聞いちゃいます(心の声、と言っても自問自答なので「考えが浮かんでくる」の方が正しいんですけどね)。

 

このブログを読んでくださっている方は、同じような経験をなさっているかもしれません。

 

私は、本を書くときはこれを利用して「編集者さんの脳を利用して書く」をしています。

 

林副編集長の脳だったらあんな感じ。ちょいワル編集者の脳を使うと「あれ〜!」という感じになります。

 

編集者の方が原稿を読んでちょっとでも「これ大丈夫なのかな?」と迷いが出ると、筆がピタッと止まって「重い〜!」となってしまうんです。

 

「ちょっと!迷ったでしょ!」というと「なんでわかったんですか!」となるんです。

 

編集者の方が信頼してくれていると「お〜!この原稿ってすげ〜!」ってなるんです。

 

話を戻すと、脳のネットワークで他の人の脳から影響を受けます。

 

この脳のネットワークは現在の科学では証明できません。

 

脳のネットワークの周波数を計ることができない、ということは「光よりも早いんじゃない?」と妄想を膨らませます。

 

光よりも早かったら時間軸を超えます。

 

要するに過去の自分とも脳のネットワークで繋がって「過去の自分に影響を与えちゃって過去を変えちゃおう!」ということができるかもしれない、ということ。

 

これまでの常識って「過去と他人は変えられない」でした。

 

だから、心理療法などでは「記憶を整理する」ということしかできません。

 

でも、もし、脳のネットワークで過去の自分に影響を及ぼせるのであったら、と考えます。

 

そして「人は簡単には変わらない!」という常識があるのですが「呪文を唱えちゃえばいいじゃん!」という面白い手法を使って「過去の自分を簡単に変えることができちゃうのかも!」というマッドサイエンティスト的なことを考えているんです(「あっははっはっは〜!」はマッドサイエンティスト的な笑いです。古いか!)。

 

ほら!そう考えると、これまでの本の呪文が全て役に立つでしょ!

 

バックトゥーザフューチャー!で私は32歳の自分にアクセスします。

 

その時の自分に「ちいさなことにイライラしなくなる本」(マガジンハウス)の「人の話を真に受けすぎちゃう!」の呪文を唱えさせたい!

 

32歳の自分にアクセスして「おい!あんたは真面目すぎるから、これを7回ワンセット毎日50セットずつ唱えておいて!」とお願いします。

 

この頃から「有言実行」とか言って、なんでも真面目にこなしていて体調を崩してしまった時期でした。

「トイレとお友達!」が毎週のようにあって「もう嫌だ〜!」と苦しんでいた時期だったんです。

 

「なんでその時の自分を変えてみたいんだろう?」とちょっとわけがわからないのですが、とりあえず32歳の自分に話をしてみると「え〜?なんでそんな怪しい呪文を唱えなきゃいけないの?」と返ってきます。

 

人の話は真に受けるくせに、自分の思考はちっとも信用していないダメな奴!!

 

「ちょっとは自分のことを信じろよ!おい!」

 

「俺はまともなカウンセラーなんだからそんな怪しい呪文なんて唱えられるわけがないだろ!」と返ってきて「ごもっともです!」となります。

 

自分のことは自分が一番わかっているので「これを唱えていると、スラスラ本が書けるようになってたくさん出版できるようになるかもよ〜!」と32歳の自分に伝えると「うん!やってみる!」と返ってきます(単純!単細胞!)。

 

それが返ってきた途端に、過去の後悔が次から次へと襲ってきます「なんであの時ちゃんと論文を発表しておかなかったんだろう?」とか「なんであの時、あの教授と仲良くしておかなかったんだろう?」なんていう後悔が次から次へと。

 

「お!あいつ真面目に唱えているな!」というのがわかるです。

 

32歳の自分が「俺って、世の中の常識を真に受けすぎちゃっていたんだね!」と言ってきて「お〜!わかるんだ!」と感心します。

 

そして、今の自分自身が変化していくのを感じるんです。

 

どんどん解き放たれて自由になっていくのを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/09/07

学生時代の夏休み明けって、ドキドキしていましたね!

 

「みんなどんなふうに変わっているんだろうな!」って。

 

夏休み明けの、女の子は垢抜けていて、そして、男子はより男らしく成長しているのがわかります。

 

でも「私はちっとも変わらない惨めなまま!」というのが常でした。

 

緊張が高くてビクビクしていて、落ち着かない感じは変わらない。

 

夏休みに何か新しいことを体験したのか?

 

「何にもありません」

 

勉強もせず、お金がないのに街をぶらぶらして、時間を潰して、そして夕方になったら家に帰ってきて夕食を食べて、ゴロゴロする、という何にもない夏休み。

 

「また、何もしないで終わっちゃった!」と後悔するんですよね。

 

夏休みに入る前は「今年の夏休みこそは勉強をして、みんなに追いつくぞ!」と決心していたのに「明日からやるから!」と自分に言い聞かせて「今日は街に出てちょっと洋服を見て見たい」と買えるわけもないのに、自転車で30分かけて街に出かけて、人混みの中で疲れてしまい「疲れちゃってやっぱりダメだ!」と勉強なんかやりもしませんでした。

 

みんなが勉強していない時に勉強して追いつくぞ!と思っていたのに、何もできなくて、そして新学期が始まったら「みんな変わっているのに、自分だけ!」と惨めな思いになり、何もしなかった自分への怒りが止まらなくなります。

 

あの時の自分が「ちいさなことにイライラしなくなる本」(マガジンハウス)を読んでいたらな〜!

 

あの時の自分に本を読ませて「君!絶対に算数障害の呪文毎日100セット唱えて!」と言いたい!

 

算数障害の呪文を唱えていたら「みんなは100変わったのに、自分は1しか変わっていない。それも惨めな方向に」なんて計算をしなくなるから。

 

私の算数障害の問題がなくなれば、みんなの変化の計算間違いをしなくなり「なんだ!みんな結局、夏休みが終わっても大したことないんじゃん!」と思えて「みんな自分と一緒なんだ!」となって、いじけて勉強を放棄することだってなかったのに!と考えるのが結構面白いんです。

 

「あの時の自分がこの本を読んでいたら」

「この呪文を唱えていたら」と考えるのが結構面白い。

 

こうして学生時代の自分に思いを馳せていると、その当時の自分の脳とつながって私の過去が変わって行く。

 

過去の自分のやりとりが結構楽しい。

 

「なんでそんな呪文なんか唱えるんだよ!」と反抗的な学生時代の自分。

 

「君は計算が苦手でしょ!」と学生時代の自分を説得しようとするが「俺、文系に進むからいらんし!」と手強い私。

 

でも、自分のことは自分が一番知っています。

 

「唱えているとお金持ちになれるかもよ〜!」と言われると「うん!やってみようかな!7回ワンセットを100セットでいいの!」と突然素直になる私。

 

あは!こいつ完全にアホや!

 

今のこのやりとりがあったから、大学に行った時に「数学と物理の授業が一番楽しい!」となったんだろうな。

 

だって、本当にそれまでは計算ができなかったんですから(本当に算数障害レベルでした)。

 

そうしていると、学生時代の自分から突っ込まれます。

 

「あんたは、今、何を唱えているの?」って。

 

「他人の気持ちを考えすぎちゃう呪文を唱えているよ!」

 

「え〜!俺ってまだ、人のことを気にしちゃっているんだ!」とがっかりされて「すみません!」と謝ります。

 

「でも、先生(学生時代の自分のこと)、人の気持ちを考えるのはお仕事に役に立っていますから!」と伝えると「でも、考えすぎちゃって疲れているんだろ!」と突っ込まれて「やっぱり、当時から私は生意気だったんだ!」と再認識するんです。

 

確かに、1日のカウンセリングの仕事が終わると廃人のようになって「何も喋れましぇ〜ん!」となっていることを思い出す。

 

「やっぱり無理をしすぎているのだろうか?」と自分で反省しかけていると、学生時代の自分が「おい!本の中に空腹時に唱える呪文を要所要所で唱えればいいじゃんか!」と指摘され「はっ!」とする。

 

あ!そうか!父親は血糖値の問題があるから、私が感じる疲れは血糖値のバランスの問題からかも!と思って「今日からちゃんと唱えます!」と学生時代の自分に伝えた時に「ちゃんとやれよ!」と返ってきます。

 

その時、私は「お前もな!」と学生時代の自分に返した時に、目から熱いものがこみ上げてきます。

 

「一人で何をやっているんだろうな〜!」と思いながらもなんだか嬉しい気持ちになっている自分がここにいるんです。

 

戦友とともに。

 

 

 

 

 

 

 


2017/09/06

以前、外に出るのが怖いお子さんが「アニメのナルトが好き!」とおっしゃっていたので「勉強するか!」と思って見てみました。

 

その時に、主人公の少年が「仙人モード!」というのになる修行をしていたんです。

 

身体、精神のエネルギーをおへそのあたりで渦巻きのように練って、そして、そこに自然のエネルギーを吸収してきて「仙人モード!」になって「パワーアップ!」するっていうお話。

 

「へ〜!」と思って「面白いな!これ!」と思って、ジョギング中におへその下あたりに渦巻きがあるようにイメージして、それを走りながらぐるぐる回していきます(頭の中で丹田に渦巻きをイメージして、それをグルグル回す感じです)。

 

すると確かに「楽に走れるぞ〜!」となっていました。

私のイメージの中では「自然のエネルギーを吸い込んで疲れが取れるのかな?」なんてことを考えながら走っていました(中二病か!)。

 

実は今でもそれを使っている時があります(疲れて「走りたくないよ〜!」となっている時など)。

 

心が教えてくれた「ブラックホール」も同じ形状で感覚的に同じだったのでびっくりしてしまいました。

 

「あ!同じなんだ!」って気がついたのは後になってからですけど。

 

「仙人モード!」って走っている時「何で体が軽くなったんだろう?」と思っていたけど「あ!脳のネットワークで流れてくる不安を全てあそこで吸い込んでいたから軽くなっていたのかも!」と思ったら面白くなってきました。

 

でも、そう考えていくと、やっぱり脳のネットワークから流れてきた不快感を請け負っちゃうと動けなくなっちゃうんだ!

 

「小さなことで感情を揺さぶられるあなたへ」(PHP)では「この不快感は私のじゃない!」となった時に、その不快感を流してくる人にお返ししちゃいましょう!という呪文が書いてあります。

 

あれも、めちゃくちゃ効きます!

自分でやってみて、他の呪文じゃ楽にならなかったけど、あれを唱えたら楽になった!ということから、「本当に自分のじゃなくて他の人から流されてきていた不快感だったんだ!」と気がついてびっくり。

 

楽になって初めてわかること。

 

だったら、最初からそれを使っていればいいじゃん!と突っ込まれますが「確かにそうです!」。

 

長年の癖で「私が請け負わなければいけない!」ような気がしてしまって。

 

これが“万能感”なんですよね。

 

いつのまにか「自分が人の不快感を背負って処理しなきゃいけない」なんていう神的なことを考えてしまって“万能感”に取り憑かれて「お返しする」ということができなくなって苦しんでいました。

 

部屋やカバンの中が片付けられなくなって、ゴミだらけになってしまって「勉強も何もできない!」となっていた学生時代を思い出します。

 

ゴミの責任も自分で取らなきゃ!となって捨てられなくなってゴミにまみれて身動きが取れなくなっていたあの頃。

 

何が必要で何が必要じゃないか、判別できなくなってしまっていたんです。

 

心にブラックホールを教えてもらった時に、ブラックホールは光でさえ吸い込んで行きますから「夢や希望でさえ吸い込まれていく〜!」となります。

 

ブラックホールですから分け隔てなく吸い込んで行きますから。

 

でも、吸い込んでもらって「あ!あれも自分のものじゃなかったんだ!」と気がつきます。

 

未来を想像するから、希望も湧くけど不安に取り憑かれちゃいます。

過去を振り返るから様々な矛盾で苦しみ、そして怒りが止まらなくなります。

 

過去も未来も全て吸い込まれて無くなって「今を生きる!」とだけになります。

 

未来も過去も無くなって「今を生きる!」という時に時間の流れが変わります。

 

「アルファでありオメガである」は「始まりであり終わりである」というように、永遠の時を感じるんです。

 

不思議な安堵の中で。

 

 

 

 

 

 

 


2017/09/05

本を読んでくださって、実践したら「あ!楽になってきたかも!」と思っていたら、突然不快な気分に襲われて「うわ〜!また元の状態に戻っちゃったかも!」となってしまった、なんていうことがよくあります。

 

これって、元気になることで周囲から嫉妬されちゃうから、周りの嫉妬の発作の「ビビビッ!」の電気ショックで「不快な気分に襲われたかも〜!」となってしまうから(あくまでも仮説です)。

 

何でこんなことを書いているかというと、私自身がそれを体験しているからです(現在進行形です!)。

 

毎日、仕事をしていて、そして原稿を書いて、ということを繰り返していて「突然、不快感に襲われる〜!」ということがありました。

 

急に「この先、私は大丈夫だろうか?頭がおかしくなったらどうしよう?」とか「心臓の病気にかかったらどうしよう?」や「みんなに迷惑をかけるようなことをしてしまったら?」なんてことが浮かんできちゃって、苦しくなるんです(実際に息苦しくなってしまいます)。

 

普通の人から見れば「ストレスでしょ!」となります。

 

でも、その「ストレスって何?」という話になります。

 

仕事のペースはこれまでとは変わっていません。

ちょっと変わっている、といえば原稿の量だけ。

それにしたって、朝の2時間程度の問題だから「そんなにストレスの負荷は変わらないでしょ!」と思うんです。

 

ただ、原稿を書くために運動量は以前よりも減っています。

運動量が減っているために、ストレスの発散がうまくなされていないかも?ということが確かに考えられちゃう。

 

こんな時は「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法(すばる舎)に書いてある“心”に聞くを実践して見ます。

 

こうして朝、ブログを書いている時が、苦しさのピークになっていて「何じゃ〜!この苦しさは〜!』というところで「心よ!何なのこれ?」と質問をして見ました。

 

すると、私の中から「簡単に楽になる方法を書け!」と浮かんできます。

 

「はい?私は何で苦しくなっているかが知りたいんですけど?」と心に再度質問をしても“心”は「今までにはない、楽になる方法を書きなさい!」と再度言われたんです。

 

も〜わがままだな〜!心は!

 

その時に「あれ?もしかして、この苦しさって「楽になりたい!」と思っている人の苦しみが脳のネットワークを通じて伝わってきているからなの?と閃いたので「心よ!そうなの?」と聞いて見ました。

 

心は「それもあるかも!」としか答えてくれません。

 

いじわる〜!

 

これまで心が教えてくださった、楽になる方法をブログの中で辿っていくと「もっと簡単に楽になる方法!」という言葉が私の中で繰り返されます(幻聴か!)。

 

そして、私の脳は「自分の力じゃ思いつかない!」となったので「心よ!簡単に楽になる方法ってなに?」と質問をします。

 

すると“心”は「物理だよ!物理!」と教えてくれます。

 

何で物理が心理的に楽になる方法と関係があるんじゃい!と思っていたら、小さなことにイライラしなくなる本(マガジンハウス)の中にある「怒りを鎮める絵!」が浮かんできました。

 

アルファとオメガって「無限?」

 

「心よ!何のこっちゃ!」と質問をすると、心はしびれを切らしたのか「ブラックホールだよ!宇宙にある!」と教えてくれます(最初からストレートに教えてくれればいいのに!何で物理やねん!でも、確かにブラックホールは物理なんですよね)。

 

ブラックホール、と言われた瞬間に私の中に真っ暗な穴が空いて「お〜!不快感が全て吸い込まれていく〜!」となったんです。

 

その時に感じていた胃の気持ち悪さまで全て吸い込まれていって「すげ〜!」と感動。

 

でも「心よ!何で今これなの?」と質問をして見ます。

 

すると、“心”は「本を出して、あなたの脳のネットワークに繋がっている人が増えた、と思っているでしょ!」と言われます。

 

確かに本が出版されればされるほど重圧のようなものを感じていたんです。

 

「こうして人は潰されていくんだな〜!」と何となく感じてはいたんです。

 

“心”に「繋がっている人が増えると、あなたの脳のストレスの許容量を超えてしまうのでは?と不安になっていたでしょ!」と言われて「ドキッ!」とします。

 

本を手に取る人が嫉妬の発作を起こして、それが私のエネルギー資源として使えるとしても「許容量があるやろ!」と確かに思っていました。

 

そしたら“心”が「あなたの中の物理の法則を変えちゃえばいいんだよ!」と教えてくれて、それを私の中で実践してくれたんです。

 

「すげ〜!自分の狭い常識でパンクしそうになっていたのが一瞬で解消されちゃった!」

 

一人二人からの嫉妬だってかなりきついのに、それが何百人となったら「ひえ〜!」ってなりますでしょ!

 

でも、ビビってしまったら「弱みを出す!」ということになりますから、ますます「嫉妬の発作の総攻撃や〜!」になってしまうから大変!

 

そんな概念も含め、不安や不快な感覚などすべてを私の中に渦巻くブラックホールがぐるぐると吸い込んでくれるんです。

 

こんなことを書いていたら「あれ?これって前にも使っていたことがあったな!」と思い出しました。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/09/04

人って、自分が嫉妬されていることに気がつかないんですよね。

 

「私には嫉妬されるようなものはありませんから!」と仰られるのですが「あーあ!嫉妬されて出会う人、出会う人から足を引っ張られているのに気がつかないんだ!」と思うんです。

 

本人は「自分ってダメだな!」、「なんてだらしないんだ!」とか「こんなみっともない姿を見せられない!」と自分にダメ出しをしている、と思っています。でも、それって実は周囲の人からの嫉妬が脳のネットワークで伝わってきたものを「自分の考え」に変換しているだけだったりするんです。

 

昔、原宿で仕事をしているときに「あ!有名な芸人さんがロケをしてる!」とロケ現場の横を通り過ぎようとしたときに、金髪の芸人さんから私は睨み付けられます。

 

「え?何で私を睨みつけるの?他にもたくさんあなたのことを見ているじゃん!」とちょっとびっくりします。

 

「私って人を不快にさせる何かを持っているのかな?」と真剣に悩んじゃったんです。

 

ある時は、ある大学の構内をぶらぶらしていたときに、元首相のお子さんで俳優さんになりかけていた人が歩いていて「あ!あの俳優さんだ!」と気がつきます。

 

その次の瞬間、その方からも睨み付けられて「え?なんで?そんな別にガンを飛ばしたり凝視したわけじゃないのになぜ?」となるんです。

 

「自分の視線は他人を不快にさせるんだ!」と思うようになってしまいます。

 

自分って人から好かれる素質はなくて、逆に不快にさせて嫌われてしまうんだ、と本気で思ってしまいます。

 

トラウマ理論的に考えれば、貧乏な家庭で育って、緊張が高くて、さらに子供の頃からいじめられていたから「対人緊張が高くて、その緊張感が相手に伝わって、私の過緊張の不快感に反応して相手が攻撃的になった!」となります。

 

だから「私はどこに行っても緊張が高いから仲間に入れずに、みんなからいじめられる」となってしまうんです。

 

もう一つの仮説は“嫉妬”になります。

 

この“嫉妬の仮説”にたどり着くまで私はこんなことを考えたことはなかったのですが、相手は動物的な本能で私のカリスマ性を感知して嫉妬をした、ということが考えられるんです(自分で書いていて恥ずかしいわ!)。

 

芸能人だったらカリスマ性があってなんぼ、となります(カリスマ性が高ければ高いほど価値がある、ということです)。

 

ちなみにここでのカリスマ性とは「人を惹きつける力」という意味で書いています。

 

相手が私を睨み付けた、ということは、もしかしたら、動物的に相手よりも私の方が“嫉妬”されるカリスマ性を持っていることになります。

 

でも、そんなことは理解できないし、これまでもずっとそんな仕打ちをいろんな人から受けてきたので「私が気持ち悪い存在だから、私は人から睨み付けられる!」となってしまいます。

 

ここで起きていることは、見事に嫉妬される資質を相手から睨まれた原因の解釈で打ち消してしまっているんです。

 

私は人を魅了する力なんてなくて、逆に、人に不快感を与えてしまう醜い存在だ、という感じ。

 

相手の嫉妬の発作で見事に、嫉妬される資質が打ち消されちゃうから「私には嫉妬されるような素晴らしいものは何もない!」となってしまいます。

 

そして、自分にダメ出しをして低くすればするほど、嫉妬の法則(自分よりも低い存在が自分よりも高いものを持っていると発作が起きる)が働くから、嫉妬の攻撃が連続して「ますますダメ人間になるやろ〜!」となってしまうんです。

 

(つづく)

 


2017/09/02

お金持ちがいて、貧乏な私がいて、幸せな人がいて、いつも不幸な私がここにいる、という不公平な世の中から抜け出した〜い!

 

瞑想とか修行とかそんな面倒臭いことやりたくな〜い!

 

心に聞くなんて面倒くさ〜いから嫌〜!

 

保険に入らなくてもワンアップしたい(最近気に入っている保険会社のコマーシャルから1UP⤴)。

 

要するに努力をしたくない!

 

努力しなくても簡単に自由になって、思い通りに生きられるようになりたい!

 

ちょっとすると「あんた!そんなわがまま言って!」となりますが、それは違います。

 

時代が違うんですよ!時代が!

 

以前は、得られなかった知識が簡単に手に入れられちゃいます。

 

そして、以前だったらわからなかった現象の説明がどんどんつくようになってきています。

 

いろんな情報が飛び交っている中で「人を尊敬し続ける」なんてことは「到底無理!」となっている世の中であることは知っています。

 

”尊敬”がないのなら、余計な遺伝子のスイッチがどんどん入っちゃって、人はどんどん壊れていくのでは?という危惧があります。

 

でも、人は簡単に変われるような気がしているんです。

 

実際に変わっていく方々を目の当たりにしているから、こんなことが言えちゃうんでしょうね!

 

でも、変わっていく方の条件としてやっぱり何かあるんですよね。

 

結局、それは“リスペクト”なんです。

 

尊敬があるとものすごく簡単に変化が起きちゃうんです。

 

でも「尊敬がなくても変われるはず!」というのがあります。

 

「努力をしなくても、尊敬がなくても、簡単に変わることができるはず!」というのがこうして書いているとバンバン脳のネットワークを通じて伝わってくるんです。

 

遺伝子のコードとか、呪文とかを唱える努力なんて全く必要なくて、難行苦行が必要ない変化の方法。

 

脳に帯電する電気で”嫉妬の発作”とかが一切関係なくなる方法。

 

それは簡単でした。

 

「あ!自分の中にブラックホールを作ってしまえばいいんだ!」

 

ブラックホールって、極めて高密度かつ大質量で、強い重力だからなんでも吸い込んじゃって光すらもそこから抜け出すことができない天体のことです。

 

大学で「自分の心理学の理論を論文として書きなさい!」と教授から言われて、私は「人格は惑星」と例えました。

 

重力でお互いが引っ張りあって絶妙なバランスを取り合っている。

 

他者との関係で他人を中心にしたときには、自分自身の重力の密度や質量が弱くなり健康度が低くなります。そして、自分を中心にしたときに重力の質量が高くなり健康度が増す、ということを書いていました。

 

教授からは「ナンノコッチャ?」という感じでしたが、私の中ではその当時から他者との関係性は惑星のような感じでお互いに微妙な重力で引っ張られている、思っていました。

 

自分を中心にして行けば行くほど健康度が上がり、そして他の人よりも光を吸収できる、と考えていました(光を吸収って、世の中の恩恵を受ける、という意味)。

 

そして今回「どうしたら簡単に楽になれるのか?」ということを書いていたら「あ!ブラックホールだ!」と教えてもらえました。

 

自分の中にブラックホールを作って、不快な思考、感覚、そして記憶に至るまで全てそこに吸い込まれていきます(あ〜れ〜!)。

 

ある宗教の神は「光あれ!」と言われた。すると光があった。

 

神はその光を見て、良しとされた。というのがあります。

 

「ブラックホールよあれ!」と言ったら、そこに光でさえ脱出できないブラックホールが出来上がります(ウ!!便利!)。

 

ブラックホールの中に、全ての不快感が飲み込まれていきます。

 

雑念や不快感も全てそこに吸収されてしまうんです。

 

今朝、これをやる前に「胃の調子がおかしい!」と不快感を感じていたら「あ!それも吸い込まれていった!」という瞬間にその症状が消えたので「怖!」と思いました。

 

昔、“分裂病”と呼ばれていた精神病性障害の統合失調の患者さんは「底なし沼に飲み込まれて行くような恐怖を常に感じている」と大学時代に教えられました。

 

闇に引きずり込まれて行くような恐怖を回避するために、妄想、というのが必要になります。

 

このブラックホールの実験をやって見たら「あ!その恐怖すら飲み込んで“無”になるんだ!」という体験が不思議でした。

 

底なし沼とか恐怖とか全てが吸い込まれてしまって、何にも感じなくなります。

 

とにかく全てがそこに吸収されていきます。

 

「なんでそれが幸せになることにつながるの?」と質問をしてみると

 

「不幸を請け負わなければ幸せになれる!」って教えてくれました。

 

確かに、これは簡単だ!

 

みなさんの要望にお応えする形で出てきた、面白い方法です。

 

みなさんの脳って面白い!!

 

 

 

 

 

 


2017/09/01

「きゃ〜!この先どうしよう!」と不安になったら「不安に対処しなければ!」と普通だったらやってしまいます。

 

ブッダは「マーラがやってきた!」とするわけですよね。

 

マーラにすることによって“不安”に対して対処をする必要がなくなります。

 

対処をしなければ、脳の過覚醒が起きなくなり、脳に電気が帯電して不幸を引き寄せることもなくなり「チーン!」と静けさが戻ってくる、という仕組みになります。

 

“先の不安”にちゃんと対処しなければ!と思って考えたり、行動したりすればするほど、脳内に電気が帯電します。

 

すると、脳のネットワーク内で溜められた電気がその帯電した脳に流れ込んできて「ビビビッ!」ってなって「不幸が現実になった〜!」と見事に不幸が作り出されちゃうわけです。

 

そして「不幸だ〜!」と思ってしまったら、ますます脳に帯電してしまうから、その帯電した電気に誘われて、ネットワーク内で帯電した電気が「ど〜ん!」と流されてきて「どうして私ばかり不幸な目にあうんだ!」となるんです。

 

単純に考えてしまうと、ポイントは「脳に帯電させないこと!」になります。

 

だから、不幸なことを考えてしまって、となったら「それは認知の歪みですから、その歪みを修正しちゃいましょう!」というのが認知行動療法になります(すみません!ざっくりとした説明で)。

 

最近では、脳に負の感情を帯電させないように、って「マインドフルネス認知療法」なんていうのもちょっと前から流行ってますよね。

 

こっち「認知行動療法」はやっぱりキリスト教文化で作られたものだから、イエスに近くなります。

 

イエスと弟子たちがハンディーキャップの人を見たら弟子は「あの人やあの人の家族が罪を犯したからあんな状態になったのか?」と歪んだ認知バリバリで症状を見ます(脳に帯電してまうやろ〜!)。イエスは「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したものでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」と見事に認知の歪みを修正します(帯電が消えてまうやろ〜!)。

 

全ての現象を見るときに、脳に帯電するような解釈は歪んでいて、帯電しない解釈こそ真実に近いのかも?なんてことを考えるんです。

 

こんな真面目なことを書いていると「そんなことはどうでもいいから現世で幸せになる方法を教えろ〜!」という声が頭に響いてきます(幻聴か!)。

 

「簡単にお金持になる方法を教えろ〜!」ってね!

 

要するに2・6・2のシステムから抜け出す、なんて面倒臭いことをしないで「常にトップの2割でいて美味しい生活がしたいんですけど〜!」ということですよね。そして「条件として他人を不幸にしないで」ですよ!。

 

多分、その一番簡単な方法が「すげ〜!」なんだと思うんです。

 

一人の人を「すげ〜!」とリスペクトして真似をする、ということで遺伝子のスイッチがその人と同じようになって「お〜!これまでと見え方が違う!」となって行って「どんどん自分の周りが変化していく!」という現象が起きます。

 

最近、原稿に追われていて「ジョギングができない!」という状態に陥っていて「時速11kmでしか走れなくなっている!」とショックを受けます。以前は時速13〜14kmで平気で走れていたのに「息が苦しくなるから、もう無理かも!」となっていました。

 

そんなときにカモシカのように走る男性が後ろから迫ってきて「すげ〜!」となります。「あの人の走り!すげ〜!」とリスペクトした瞬間に「ついていこう!」と不思議と思えて、その人の背中を追っているうちに、私の走り方のフォームがガラッと変わっていきます。車が変形してロボットになるっていうSF映画のトランスフォーマーっていうのがあるのですが、まるであの感覚。背骨の歪みが「シャキーン!」と修正されていき、そして、骨盤の動かし方も次第に整えられていきます。そして、腕の振り方まで「あ!肩甲骨を軸に振るようになった!」と全てが自動修正されて「あ!時速14kmで平気で走れている!」となるんです。

 

「すげ〜!」と感動していたのですが、あるとき、その人から注目を自分にシフトしてしまうと「苦しくなって急にスピードが落ちた〜!」と焦るんです。

 

慌てて、その人の背中に注目を戻して「すげ〜!」を繰り返していると、元のスピードに戻ります。

 

「目を離さないでいた方がいいんだ!」ということがわかるんです。

 

でも「もっと簡単な方法がいい!」という声が頭に響いてきます(ひえ〜!無茶振りじゃ〜!)。

 

さて、どんな方法があるんでしょう!

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/08/31

(事務方より)

FAP療法セミナー初級コースにたくさんの方にお申し込みいただきありがとうございます!

本日定員に達しましたので、本日以降ご希望される方は申し訳ございませんがキャンセル待ちとさせていただきます。

なお、仮申込の方でまだお振込されていらっしゃらない方は早急にお振込みくださいますようお願い致します。

仮申込の方でキャンセルをされる方は、インサイト・カウンセリング(03-3433-2721)までご連絡ください。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。


2017/08/31

今回「ずるい人」が周りからいなくなる本(青春出版社)の原稿を書いていて「あ!2・6・2の下の2割をみんな勘違いしているんんだ!」ということに気がついちゃいます。

 

2・6・2の下の2割は「働けない!」となって仕事をするストレスを請け負う側になってしまう、ということで貧乏くじを引かされてしまう不幸な人、というイメージがあります。

 

だから「もし、自分が下の2割から抜けちゃったら、他の人が不幸になるから嫌だ!」という高尚な方がいらっしゃるんです。

 

でも、下の2割って、会社の社長さんなんかがそうなんです。

 

働かないで「接待です!」と言いながら毎日ゴルフに行っていたりします。

 

会社の役員さんなんかも朝からオフィスで新聞読んで、それからオンラインの囲碁を一日中やっていたりします。

 

それから、何もしないのに人の業績を持って行ってしまう「ずるい人!」なんかもその2割だったりするんです。

 

原稿を書いていて「あ!私がせかせか働いてイライラしちゃうから、その私の脳に帯電した電気を受けて”ずるい人”というのが出来上がっちゃうのかも?」という気づきがありました。

 

ストレスを請け負う側が不幸か?といったら必ずしもそうじゃなくて、外から見たら「おいしい生活!」に浸っている人もたくさんいるんです。

 

ある意味で、2・6・2の働いているアリの美味しいところを働かないアリが全部持っていってしまう、というテイだったりするんです。

 

こういう人のストレスを請け負わされたり、搾取されたりする世の中の循環が嫌だから「その循環から抜け出しちゃおう!」というのが“解脱”でブッダが成し遂げた状態ですよね。

 

2・6・2のシステムから抜け出すのって意外と簡単で、全て捨てちゃえばいい!んですよね。

 

ブッダのように。

 

そして、“生”への執着も捨てちゃうと「ち〜ん!」と出来上がり!

 

「そんなの言うのは易し、行うのは難し」というダメ出しが頭に浮かんできます。

 

それも2・6・2のシステムからやってくるものだから「捨てちゃおう!」という感じで全てのダメ出しを切り捨てていくという単純な作業。

 

人からの批判、ダメ出しが脳のネットワークで伝わってきます。

一人になって、それを全て「いらない!必要ない!」と断ち切っていくと、やがて2・6・2の外に出ることができちゃいます。

 

やれたのはブッダとイエス、そして”ヨブ記”に出てくるヨブかな?

 

ブッダはマーラに邪魔されて、イエスは悪魔に試みられます。そして、ヨブは友達と奥さんからダメ出しをされて、不幸のどん底に陥れられようとしました(どのエピソードも圧巻ですよね!)。

 

私自身は「このシステム自体を何とかして日本を元気にしたい!」と思っているアホな子なのでいろんな可能性を探っています。

 

2・6・2のシステムの中で「ずるい!」と自分の座が人に取られるたびに嫉妬して、そして、自分自身がどんどん動けなくなっていきます。

 

ここで興味深いのは「ずるい!」と怒れば怒るほど、どんどん自分の周りにずるい人が増えていって、そして私はどんどん貧乏くじを引くことになります。

 

買い物で損をしたり、車をこすってしまったり、原稿で失敗して、そして腹痛を起こして苦しみます。

 

そして、私の周りでは、宝くじが当たった人が出て、高級車を何台も乗り回している人がいて、そして、努力していないのに本がバンバン売れているすごい人がいて「ずるい!」と悔しくなります。

 

単純に考えれば「ずるい!」と嫉妬をすることで脳に怒りが帯電して、判断力や決断力が鈍ってしまうから、買い物で失敗して、運転ミスを招いて、原稿も頓珍漢なことを書いちゃうんです。

 

「だったら怒らなければいい!」となるのですが「それができたら苦労しないだろ!」と私の中では不可能のように思えるんです。

 

だから「脳のネットワークで伝わってきている」という“外在化”が役に立ちます(外在化って原因を自分の中に設定しないで、外に設定すること)。

 

「この怒りは2・6・2で伝わってきていて自分のものではないんだ!」という外在化を使うことで「あ!本当に自分は怒っていないかも!」と思えて怒りの執着から簡単に解放されちゃったりするんです。

 

ここで鋭い人だったら「あれ?それってブッダやイエスもやっていたよね!」ということに気がついちゃいます。

 

ブッダの目の前に起こる恐怖の現象や誘惑は「全てマーラがやっている!」ってね!

 

イエスが荒野で低血糖状態や脱水状態で幻聴を聞いて幻覚を見ているときも「悪魔が試みをしている!」ってね!

 

脳のネットワークが本当に存在しているのかどうかなんて定かではないので、一般の人からしたら妄想でしかありません。でも、そんなことを言ったらマーラも悪魔も同じですよね!

 

マーラや悪魔は「脳のネットワークで伝わってきているなんて、ただ責任逃れをしているだけ!現実を見ようとしてないだけ!」と言うのかもしれません。

 

現代に合った脳のネットワークという外在化を使うことで、目の前の恐怖や不安が「全て脳のネットワークで伝わってきているもの!」と自分のものにしないことで、怒りや恐怖によって引き起こされる脳の過活動から解放されて、静かな脳の状態で世界を俯瞰してみることができるようになります(マーラや悪魔が時代遅れ、と言っているわけじゃありませんよ!)。

 

あの方々がやったように。

 

どんどん種明かしをしてしまっている〜!

 

なぜだ〜!

 

誰の脳がこんなことをさせるんだ〜!も〜!

 

あはは〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/08/30

「すげ〜!」の反対が「ずるい!」と考えると面白いですね。

 

「すげ〜!」の“尊敬”の反対が「ずるい!」で”嫉妬”になるわけです(ちなみに、尊敬の対義語は“軽蔑”や“侮辱”です)。

 

今回、この「ずるい!」の本を書いていて「へ〜!そうなっているんだ!」と感心しました。

これまで自然に「ずるい!」をやっていて、気がつかないことがたくさんあって、書いていて面白い発見が。

 

自分自身を振り返ってみて「ずるい!」と嫉妬をしているところがものすごく面白いんです。

 

子供の頃に「あの子!テストで100点取っていてずるい!」とわけのわからない嫉妬をしていました。

 

「これって、面白くないですか!」(それは、あんたの頭がでしょ!)。

 

今考えれば「だったら、勉強しろよ!」と思うのですが「ずるい!あんないい成績をとって!」と嫉妬をしながら勉強できなかったんですから。

 

「勉強ができない!」じゃなくて「勉強をしなかったんでしょ!」と多分当時の私を知る人から突っ込まれるのかもしれません。

 

私の中のこの「ずるい!」は「本来、私が取るべき良い成績をあいつが奪った!」というような感覚なんです。

 

「いや、いや、いや!ちゃんと勉強していないからでしょ!」と言われるのですが、私の中では「私の座るべき座を奪われた」という感覚が何処かにあるから「ずるい!」となっているんです。

 

クラスの中で可愛い子がいて「いいな〜!あの子!」と思っていると、女ったらしの男子が、その子にアプローチをしていて、いつの間にか手を繋いで歩いています。

そんな時に「ずるい!」となって「悔しい〜!」という感覚になるんです。

 

当時の私を知る人だったら「あんたみたいに勉強できないダメダメっ子があんな可愛い子に振り向いてもらえるわけがないじゃない!」と言われてしまいます。

 

本来はあの子の横で手を繋いでいるのは私のはずなのに「あいつに奪われた!ずるい!」というテイにどこかなっている感覚があるんです。

 

これを人は「妄想」と処理をしてしまいます。

 

想像の中で「あの子と仲良く手を繋げたらいいな〜!」という想像が膨らみすぎてしまって、まるで、それが現実のような錯覚を起こしてしまって「私のあの子を奪った!ずるい!」という感覚なんだ、ということ。

それが妄想になります(妄想=根拠がない想像)。

 

でも、ちょっと戻って100点を取ったやつに「ずるい!」となるのはなぜ?

 

それも妄想?

 

これをアリの世界の2・6・2で考えてみると「ずるい!」の嫉妬の構造が楽しくなってきます。

 

これまでに出版された本の中にもたくさん書いていますが、アリは巣に100匹いたとしたら働くアリは20匹しかいません。そのほかの60匹は働いているフリをして、その下の20匹は全く働いていないんです。

 

だったら働いているアリを集めてきて100匹の優秀なコロニーを作ろう!としても、必ず2・6・2になってしまって「やっぱり働いているアリは20匹しかいない!」となるんです(私はこのありの実験を実際にやったわけじゃないので社会学者の説を信じるしかないのですが、会社で働いているときは必ずそうなっていました。働ける人が倒れると、あ!あんなに働かなかった人が働くようになった!ってシフトチェンジ!が起きちゃうんです)。

 

私の説では、アリの世界でも脳のネットワークがあって、働くアリのストレスを働かないアリが処理をしている、という感じ。

だから、動かないアリは「何もしていないのにストレスがどんどん溜まるんですけど!」となるわけです。

 

そこで100点のテストの私の事例に戻ってみると「ずるい!」というのは、100点を取ったあいつは「トップ2割に居座っているから、私が下の2割にならされてずるい!」となってしまうんですね。

 

モテモテのトップ2割の座をあいつが奪ったから「ダサダサの座が私に押し付けられた!ずるい!」となっている、という話です。

 

こうして考えるとあの「持っているものはますます豊かになり、持っていないものは持っているものまで奪われる」というマタイの法則が見事に当てはまります。

 

「ずるい!」というのは、妄想なんかじゃなくて現実なんです(私の説では)。

 

でも、真ん中の働いているフリをしている6割の人たちにとっては、そんなことは無縁ですから「そんなの妄想やろ!」となります。

 

請け負わされている感が全くなくて淡々と生きているわけですから。

 

ここでの問題は、実際に貧乏くじを引かされたから「ずるい!」となるのか、それとも「ずるい!」と言うから下の2割の落ちていくのか?

 

そこが問題です。

 

(つづく)

 

 

 

 

 



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