2019/12/28

誠に勝手ながら、12月29日〜1月5日まで冬季休業とさせていただきます。

新年の営業は1月6日月曜日10時からとなります。

よろしくお願い致します。

皆様、良いお年をお迎えください。

 

スタッフ一同


2019/12/28

公園のそばを歩いていたら、そこで遊んでいた幼い子供が私のところに「タッタッタッタ」と駆け寄り近づいてくる。

 

そして、私のことを見上げて「あなたには、お友だちがいるの?」と幼い小さな声で心配そうに聞いてきました。

 

私が一人で下を向いて歩いていたから、その子は私のことを心配してくれのか?

 

風が吹き、木の葉が揺れて「ザーッ」という音がするのを聞きながら、私はその幼い子供の目線に合わせるように屈んで「お友達はいるよ」と答えてみます。

 

すると、幼い子供は「ねえ、どこにいるの?」とキョロキョロ見渡します。

 

その素直な姿を見ていたら、可愛くて吹き出しそうになります。

 

暖かい日差しが優しく照りつける中で、その子のことを眺めながら「どう説明をしたらいいんだろう?」と考えています。

 

「今ここにはお友達はいない」というべきなのだろうか。

 

「いつも、私を思ってくれているお友達は私と一緒にいてくれるんだよ」と伝えるべきなのか。

 

そんなことを考えていたら、自分が子供の頃に、近所の子供達と遊んでいた時のことを思い出します。

 

あの頃、一緒に遊んでいた子供たちは私の友達と呼べたのだろうか?

 

私は、いつもみんなに置いていかれないように一生懸命にみんなについて行っていました。

 

一緒にいるからお友達なの?と子供の私にはわからないけど、舗装されていない砂利道をみんなで一緒に歩いている時は「私たちはお友達」とゴツゴツとした砂利を踏みしめながら確かめていた、そんな想いが蘇ってきます。

 

時折、車がその砂利道をガタゴトと音を立てて通り過ぎる時に、みんなと一緒になってその車と運転している人を眺めていた。

 

雨が降ると、その砂利道には水たまりがたくさんできて、その水溜りに雨が落ちる時の「ザーッ」という音に耳を澄ませていた。

 

家の中で薄いガラスに耳をつけて、外の雨音を聞いていたのは、同じ音をお友達も聞いているかもしれない、と思っていたから。

 

みんなこれと同じ音を聴いているのかもしれない。

 

そして、こうして窓ガラスに耳を当てて、その冷たい感触を確かめているのかもしれない。

 

そして、目の前に降り注ぐ雨が見えていて、その雨が空気をきれいにしてくれている、その様を感じてるのかもしれない。

 

雨が地に落ち、その独特の匂いがしてきて、私は小さい胸の中でいろんなことを感じていました。

 

外に出られなくて、お友達と会えなくても、お友達も感じているかもしれない、この感覚を今確かめながら、お友達にこの私がしている体験を無性に話したくなってきます。

 

ねえ!ねえ!見た!あの雨だれが落ちる様を。

 

雨が止んで屋根から落ちてくる、雨だれを眺めながら、私は心の中でお友達と会話をしています。

 

ねえ!聞いた!あの雨が強くなったときの雨音を。

 

ザーッと再び雨が降ってきて、その音で周囲の音が打ち消されていくあの音を心の中で友達に確認している。

 

それを眺めながら、掌を広げて水が自分の手を濡らしていく感覚が思い出されてきます。

 

心地よい、リズムで雨が手に降り注ぎ、私の手を潤していく。

 

そして、私の手を伝わって、水は地面へと落ちていき、その奥深く流れる水源へと帰っていきます。

 

多くの雨だれと水源の中で合流して、そしてその流れの勢いを増していき、木々の根を潤し、地面の養分をその葉に運んでいく。

 

その葉が太陽の光に照らされて、温まって立ち込める蒸気がやがて空に上って白い大きな雲と合流し、そして雲の中でお互いがぶつかり合いながら雨として地上に戻ってくる。

 

落ちてくるときに、心地よい音を他の雨粒と共に立てながら、地面へとそれが吸収されていき、私の掌のように地上をきれいに潤していく。

 

そんなことを私はお友達に心の中でお話ししながら、もしかしたら、お友達も同じことを感じているのかもしれない、と心のどこかで思っていた。

 

そう、今感じている感覚は、自分だけのものではないのかもしれない。

 

お友達も、私と同じことを考えていたりするのかもしれない、と私は心の片隅で感じていた。

 

そんなことを考えていたら、目の前の幼い子供に「私のお友達はどこにいると思う?」と質問したくなっていた。

 

すると、幼い子供は「ここにはいないから遠く離れたところ」とちょっと申し訳なさそうに答える。

 

私は「そうだよね、ここにはいないよね」と呟いた時に、自分の中にある感覚を感じる。

 

その感覚をその幼い子供が受け取ったのか、「じゃあ、今、お友達になってあげる」と笑顔で言ってくれた。

 

私は、その幼い子供の優しい言葉を聞いて、屈んでいる私の足をグッと踏ん張って何かを堪えている。

 

私の中からこみ上げてくる、いろんな感情があって、私は暖かい太陽の光に照らされて、私の中から蒸気が立ち込めるのを感じていた。

 

私から離れていった蒸気がやがて雲になり、そして優しい雨となって私の頬を伝っていく。

 

幼い子は、そんな私の顔を見て満足そうに「わーい!お友達〜!」と飛び跳ねながら私の元から去って、他の子供の元へと帰っていった。

 

そんな後ろ姿を眺めながら、私はしっかりと立ち上がり、歩き出していく。

 

私の心の中では、あの幼子の「わーい!お友達〜」という声が暖かく響いている。

 

そんな声と共に、私は今は舗装されている道路をしっかりと踏みしめながら、私が進みたい方向へとお友達と一緒に歩き始めていた。

 

ひとーつ!爽やかな空気が頭に流れていきます!

 

ふたーつ!身体がだんだんと軽ーくなっていきます!

 

みっつ!大きく深呼吸をして!頭がすっきりと目覚めます!!

 

今年一年の心の傷を洗い流し、そして来年がワクワクした一年でありますように、という催眠のスクリプトです(催眠スクリプトは「催眠ガール」清流出版を参照してください)。

 

ここで読んでくださっている皆さんに感謝を込めて。

 

大嶋 信頼

 

「片付けられない自分が今すぐ変わる本」(あさ出版)のAmazonのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

By the rule すごい。片付けが止まらない、と書いてくださってありがとうございます。わーい!この本を読んでくださって、心の傷を整理する方向に進んでいるのはとても嬉しい〜。無意識さんが編み出してくれるスクリプトは本当に面白いですよね。体験されていることがすごいな!!この本は、編集者さんが真面目にスクプト的に仕上げてくださったので「頭に残らない」となってしまうことがあります。意識的にやっても戻ってしまうから、無意識さんに任せた方がいい、と無意識さんの不思議な力を体験した編集者の粋な計らいです。By the ruleを使ってみての体験を書いてくださって嬉しいです。今年いちばんのヒットって私はちょっと複雑な気分ですが、無意識さんはちゃんとこの本に合わせてこの呪文を用意してくれた気がしています。しかしすごいな!この本に載っているあの「やめる」の暗示もいいですよね。どんどん本来の自分に戻っていく〜。いつも応援してくださってありがとうございます。

 

すきとおったほんとうのたべもの、と書いてくださってありがとうございました。このタイトルを見てジーンときてしまって、そして、不覚にも涙が溢れてきてしまいました。なぜだかわからないけど、泣けてきた。指が震えてきて書けなくなってしまった。ありがとうございます。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼


2019/12/27

「By the rule(バイ ザ ルール)」はとっても便利。

 

会社の年末大掃除、という時に「自分はどう動けばダメ出しをされないかな?」とか「みんなから嫌われないかな?」と以前だったら考えてやっていると「面倒くさい!」になってしまう。

 

一生懸命に掃除をすれば「あんたがやっているところはポイントが違う!」とダメ出しをされる。

 

だから、何も言われないように指示を待っていると「自分から積極的に動こうとしないダメなやつ!」と冷たい目で見られてみんなから無視されるようになる。

 

みんなが自分を見て発作を起こせば「自分はやっぱりどこに行ってもこうなってしまう」といじけモードになってしまい「もうどうでもいいや!」で自暴自棄になっていた。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」を唱えてみると「目の前のことにコツコツと」が自動的にできて「あっという間に時間が過ぎて掃除の時間が終わってしまった!」で気がついたら自分のデスクの周りがきれいになっている。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」で職場に流れるルールに自動的にしたがって、無意識さんの自動運転で考えもしないで適切に掃除をして片付けが終わる。

 

ちょっと寂しいのは、悪目立ちをしないこと。

いつもだったら、注意されたり、ダメ出しされて「あ、ああ〜」となっていたのがなくなるとちょっと寂しい気がする。

みんなが自分で発作を起こしてくれないと、自分の価値がないような感覚になるのだが「By the rule(バイ ザ ルール)」で「たまにはこんな体験もいいのかもしれない」と思えるから不思議。

 

忘年会や新年会、そして親戚の集まりなど「面倒くさい!」ともう思う必要がなくなるのは「By the rule(バイ ザ ルール)」でその場の流れに乗ってしまうから。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」を唱えてみると「スーッ」と自分の存在感が消えていき、ワイワイガヤガヤとみんなの雑音の中に塗れていく。

「By the rule(バイ ザ ルール)」を唱えていると、以前だったら自分の発言でみんなが固まって凍りついてしまっていた、あの特殊能力がなくなる(「みんな凍りつけ!」ってアナ雪じゃ〜!)。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」を唱えていると、みんなのルールに従って「ちょ〜適当」なことが口からポンポン出てくる(超適当のことです)。

 

人の気持ちが気になったら「By the rule(バイ ザ ルール)」でその場の空気に従うと、自然と相手の気持ちを無視して考える必要がなくなる。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」でどんどん自分の特殊能力が削がれていき身軽になって、自分という存在がそこから消えて無くなっていく。

 

いちいち考えなくていいから便利。

 

そして、念願の「目立たなくなる」が実現されるからいい感じ(アナに教えてあげたい!もう、誰も凍らせなくていいのよ!)。

 

そうなのよね!誰かに発作を起こさせられてしまって凍ってしまうと、その特殊能力がどんどん高まって「みんな凍ってしまえ〜!」と吹雪が舞う(う〜さぶい〜!ブルブル!)。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」は便利な言葉。

 

この「By the rule(バイ ザ ルール)」の言葉の仕組みは簡単。

 

場の空気を凍らせてしまう時って、誰かに「なんであなたはあんなことを言ってしまったの?」とか「あそこで固まってしまったの?」と注意されると「分かっているんです!」と言いたくなる。

 

その場で自分がどう行動したらいいのか分かっているのに、それが不思議とできなくなって、みんなから嫌われる、拒否される、または気を使い過ぎて相手から見下される、などをしてしてしまう。

 

そんなことをしたら自分にとって不利になるのに「分かっちゃいるけどやめられない!」になってしまうのは「意識」が働くから。

 

アメリカの研究では「高速道路でパトカーがパトランプを点滅させていると、そこにぶつかってくる」というのがあります(パトランプはパトカーの屋根についているチカチカするランプです)。

 

「あそこにぶつかってはいけない!」と意識をすればするほど「ハンドルがそっちに向かってしまう〜!」になってしまう訳ですね。

 

もちろん、意識では「そっちに向かっていけばおまわりさんにぶつかって最悪な事態になる」と分かっているんです。

 

でも「意識すればするほど自分でコントロールできない!」となる訳です。

 

ですから「パトランプに意識を向けなければいい」という単純な話。

 

パトランプに意識を向けなければいいのだから「運転に集中!運転に集中!」を唱えると「逆説」というのが働いて「やっぱりパトランプが気になる!」になってしまいます。

 

ですから逆説が働かないワードの方がいい。

 

それと同じ仕組みで「あの人から怒られる〜!」と意識してしまうと「ハンドルがそっちの方向に向いてしまう〜!」と自動運転になってしまうですね。

 

「あの人のことを気にしないようにしよう!」と思うと逆説がかかり、余計に意識的になる、という失敗を私は生まれてからずっと繰り返してきました。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」は無意識を起動させる。

 

無意識にはありとあらゆる知識が詰まっているから「分かっている!」と自分で思っている以上のことが自動的にできて、最善の結果が得られちゃいます。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」は面白い。

 

婚活パーティーなどでも使えます。

ドキドキ感がなくなって、ちょっと面白味にかけますけど「壁の花」にはならなくなります(悪用は消してなさりませんように)。

 

無意識の自動運転は高性能です。

 

(つづく)

 

 

「片付けられない自分が今すぐ変わる本」(あさ出版)のAmazonのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

片づけ本も片付く???のタイトルで笑ってしまいました。まさに矛盾ですね。好きだな〜私矛盾が。レビューが素敵すぎる。ブッダやフランチェスコがすべてを捨てて新しい道を進んだこと、と書いてくださって、私はなぜかこの文に勇気をもらいました。「嫌な思い出の服を捨てる」というのは、実は「強迫性」を刺激してしまうんです。脳的に言うと前帯状回の活動を活発にさせちゃう。すると「やっぱり捨てなきゃ」という後悔が起きるのは、前帯状回が活発になっていると思考のシフトチェンジができなくなるから。こだわりが捨てられなくなる、ということです。後悔しちゃう人は「前帯状回が活発になっている!」と思って脳にフィードバックしてあげると、その活動が治まります。バイオフィードバックじゃ〜!

 

ただの片づけのメソッドを超えています、と書いてくださってありがとうございます。あはは〜、書いてくださっているのを読んでみたら私も強迫性の人だった。70点から80点ぐらいって素晴らしい気づき。無意識さんをうまく使っていらっしゃるな〜。びっくりです。「使わないのに捨てないのは間違っている」という裁きはわかるな〜。それが本当にストレスになりますからね。おー!本にはいいことが書いてありますね。「物には記憶が宿っている」って。他人の場合は「過去の執着を断ち切ってほしい!」って思ってしまうんですよね。そうなんですよね。「すべてのものに時があり、それが時にかなってすべてが美しい」と思えた時に世界が変わるんですよね。おー!今はちょうど「時空を超える」という内容の本を書いているんです。書いてくださっていることがものすごく鋭い。目からうろこです。うれしい!楽しみです。

 

お部屋と頭が片付いていきます、と書いてくださってありがとうございます。いや!この本を書いてよかった!!!とレビューを読ませていただいて心から思えました。やっぱりつながっていますね。レンタルっていう選択肢が湧いてきたのは本当に無意識の力ですね。無意識さんが使えてる〜。いや、書いてくださって本当にうれしいです。年末でごちゃごちゃしていた私の心が読むことで片付けられたようにすっきりしました。さわやかな風が吹き抜ける〜。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

年末だからか、雨だからか、あまり人が走っていませんでした。

 

 

 

 


2019/12/26

ライフハッカーにて書籍が紹介されました。

https://www.lifehacker.jp/2019/12/book_to_read_katazuke-1.html 

 


2019/12/26

素敵な花束をいただきました。

美しいバラもいただきました。

ありがとうございます。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」は、便利な言葉でそこにある見えない法則を受け取って「みんなと同じ!」ことができるようになる。

 

以前、私は「ちゃんとやらなきゃ!」とか「一生懸命にがんばらなきゃ!」と思ってやっていたけど空回り。

 

なぜなら「ちゃんと」というのは自分の中の基準だから、自分の中の「正しい or 間違っている」の判断が働いてしまって「間違っている!」で発作を起こして「どーん!」と破壊的な人格になって全てをぶち壊してしまっていました。

 

ちなみに私が「間違っている!」と反応してしまうのが「嘘」で発作の元ですね。

 

「ちゃんと片付けなきゃ」と思っていますよね。

この時の「ちゃんと」は自分の中の基準なのですが、その瞬間に私は「母親基準から見た“ちゃんと”と自分の基準は違う!」となってしまい「ちゃんとできない自分は嘘つき!」となって”嘘”で発作を起こしてしまいます。

 

だから「片付けができない」になる。

母親の基準からずれている「ちゃんと」は“嘘”になるから、「私は嘘つきだ!」で発作を起こして破壊的な人格に変身して「自分にはできない」と自暴自棄になってゴミだらけの部屋で心もぐちゃぐちゃになる。

 

まあ、私の場合、子供の頃に「ちゃんとあなたは勉強をしたの?」と母親から聞かれて「ちゃんとしたよ!」と言っても、母親がそれをチェックして「ちっともちゃんとできていないじゃない!」とダメ出しをされて「嘘つき!」となって、私は「ちゃんと」に嘘つきが条件づけられてしまいました。

 

多分、一般的に言ったら「親の顔色を見る」ですね。

それは「親の基準に合わせなければいけない」となっているわけです。

でも、子供って「親離れをしなければならない」というのがあるから“反抗期”というものがある。

反抗期を通じて「自分は親とは違う人格である」というのを獲得します。

 

だから「親に言われたことができなくなる」というのが普通なのですが、そこに「嘘つき」と入れられてしまうと「嘘」で発作を起こすようになってしまう。

 

そしたらどんな時でも「ちゃんとやらなきゃ」は“親の基準”がその言葉に含まれているから「嘘つき」が親に条件づけられてしまっているから、発作を起こして「ただひたすら時間を無駄にする」という破壊的な行動になってしまいます。

 

そんな私が就職をして「ちゃんと仕事をしなきゃ」と思えば、その場にいる上司が親の代わりとなり「いくら努力をしても上司の基準に満たない嘘つき」という感じになってしまうから「どんどん仕事でミスをする」とか「全然仕事が覚えられない」になってしまう訳です。

 

「相手が何を望んでいるんだろう?」と相手に注目をして考えてしまったら、様々な方向から「嘘つき」になってしまい「破壊的な人格に変身してまうやろ!」でその環境や関係を壊してしまいます。

 

人に注目を向けないで「By the rule(バイ ザ ルール)」と自分の中で唱えて目の前にあることをコツコツとやってみる。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」と唱えることで、無意識が働いてくれて、そこにあるルール(法則)に自動的に従わせてくれます。

相手から「ちゃんとできていないじゃないか!」と注意されても「By the rule(バイ ザ ルール)」と唱えていくと、その場で適切な返答の仕方、態度を無意識がさせてくれます。

 

自分で考えて対処する必要がなくて「By the rule(バイ ザ ルール)」で無意識がそこにある文化にちゃんと合わせてくれる。

 

満員電車に乗っている時に、私は「あの人、マナーを守っていない」と頭の中で裁いていたから「自分はちゃんとルールを守っている」と思っていたんですよね。

誰よりもルールを守っているから、ルールを守らない人のことが気になって、それで怒って損をしている、と信じていた。

 

ところが、満員電車の中で「By the rule(バイ ザ ルール)」と唱えてみると「あ!周りの人に注意を向けないのがルールなんだ」と衝撃を受ける。私がルールだと思っていたのに「By the rule(バイ ザ ルール)」と唱えてみたら、全く違う感覚がそこにありました。

 

「ルールなんて分かっている!」と思っていたのに。

 

でも、違う電車に乗って「By the rule(バイ ザ ルール)」と唱えてみると「スマホを取り出してゲームに集中し始めた!」といつもだったら毛嫌いをしてるスマホゲームに集中する。

 

そう、そこに流れているルールは、その場所で違っているし、時と共に移り変わっている。

私の常識がみんなの常識ではなくて、その場にあるルールは柔軟に緩やかに変わっていく。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」と唱えてみると、その場のルールに自動的に合わせることができるのだが、それがものすごく楽しくなる。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」でみんなのルールと一瞬で合わせてしまうので「カメレオンみたい!」と一瞬で自分の存在を消し去り、目立たない存在になることができます(ピンクレディーの歌で「カメレオン」があったなー)。

 

それまでは「なんで自分は変な人から注目されたり絡まれたりするんだろう?」で悩んでいました。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」でカメレオン状態になってみると「あ!ちょっと寂しいかも」と思うから、やっぱり私は「愛」を求めていたんだな、というのがわかります。

注目されて愛されたい、という気持ちがあって、いつでもどこでもそれを求めてしまうから悪目立ちをして、嫌な思いをたくさんしてきてしまいました。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」で目の前にあることをコツコツとやっていくと、目立たなくなるけど「一体感!」が得られる。

「By the rule(バイ ザ ルール)」で自然とみんなと同じことをやっているので、相手の脳の真似をするミラーニューロンが活性化して「脳のネットワークのつながりが強くなった!」で一体感が感じられる。

 

でも、その一体感も私が求めていたものではないのかもしれません。

 

さらに「By the rule(バイ ザ ルール)」で淡々とやっていくと「あ!無意識さんとつながったかも!」と自分の中からありとあらゆる知識が湧いてきて、自分がバージョンアップしていく。

 

自分がバージョンアップすることよりも、無意識さんとつながる瞬間が楽しい。

 

そう、これを私は求めていたのかもしれない。

 

(つづく)

 

「片付けられない自分が今すぐ変わる本」(あさ出版)のAmazonのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

この本もいつも持ち歩いてみたい本です、と書いてくださってありがとうございます。夜中の2時〜!ヒャ〜!そんな時間まで読んでくださったのね〜。読んで寝たら、無意識さんがバリバリ働いちゃいますね。こわーい!じわじわと無意識さんがやってくる〜!私もワクワクしてきました。

 

片付けが得意な人が読んでも何かがわかる、と書いてくださってありがとうございます。いつも本もブログも読んでくださってありがとうございます。片付けが得意な人が読んでも、って嬉しい。でも、無意識って本当にすごいですよね。読んでいて、体験された素敵な感覚が伝わってきます。なんか心が整理整頓された不思議な感覚。いつも応援してくださってありがとう。

 

片付けができる人にも、と書いてくださってありがとうございます。この本を読んでくださって嬉しい!!本の目的はもちろん外見的な「片付け」なのですが、それを通じての無意識さんの起動と心の傷の癒し。片付け、を通じて心の傷が癒されて、そしてさらに無意識さんが働いてくれるから、面白い展開になっていきます。自分自身のことなので淡々としていて気づかないけどじわじわと。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

なあ、なあ、母さんがな、本屋さんで面白い本を見つけたんやて。

 

「え?どんな本なの?」

 

なんか、部屋がきれいになるみたいなんや。

 

「それって、片付けの本でしょ!」

 

いやいや、片付けの本とはちょっと違うみたいなんや。

なんかな、無意識さんが関係しているみたいなんや。

 

「だから、それって片付けの本でしょ!」

 

いや、片付けとはちょっと違うって、母ちゃんが言ってた。

だって、過去にあった嫌なことがだんだん片付けをすることで軽くなっていくんだって。

 

「おい!今、片付けって言ったやないか!」

 

いや、違うって「片付けられない自分が今すぐ変わる本!」

 

だから、片付けの本やろ〜!

 

あはは〜!

 

M-1の優勝者のネタは面白かった〜。

リスペクト。

 

 

 

 

 

 

 


2019/12/25

ブッダの話でも「あ!わかった!」と意識的にわかっても「あれ?何にも自分の役に立っていないかも?」となってしまいます。

 

ブッダが「家族を亡くしたことがない家からカラシ種を借りてきなさい!」と訳のわからないことを言われた時に「カラシ種?」と意識で理解できないメタファーが無意識に働きかけてくれます。

 

そして「悲しい時」に「はっ!」とカラシ種が頭に浮かんで涙が溢れてきたりする(インドだったらカラシ種ですけど日本だったら「味噌」ですかね。味噌だとちょっとアイテム的に弱いかな?)。

 

でも、インターネットが誰でも仕えるようになって「本を読まなくてもいくらでも知識が簡単に得られる」という時代になってしまったら「わからない」と意識的に考えるのを諦めて無意識に任せることが難しい。

だから「カラシ種」と言われたらウィキペディアですぐに調べちゃって「黒カラシ」の種のことで一粒の大きさは0.5ミリほど、というのがすぐにわかってしまって「へー!」となる(ちなみにウィキペディアでからし種をしらべてみたら、いきなりイエスの言葉が出てきた)。

 

まあ、無意識よりも意識的にわかるものを求められる時代に変わっています。

 

だから、昨日の虎の巻も「だったら具体的にどうしたらいいの?」と一般の人が具体的に生活に取り入れられるように例題を入れながら、わかりやすく書く必要があるんです。

 

私がアメリカで有名な心理カウンセラーのワークショップに参加した時に、参加してしばらくして、その先生とお話をする機会を得た時に「私ってカウンセラーに向いていますかね?」と聞いてしまいます。

 

なぜ?と聞かれたら「自分がカウンセラーを向いているかどうかわからないでこの仕事を続けていたら、時間の無駄になってしまうから」と私は答えます。

 

でも、それは嘘で、本当は「この素晴らしい先生だったら、私の本当の力を見抜いてくださってあなたなら大丈夫!って言ってくれるはず!」と思っていたから。

 

その大先生の答えは「私がこの人、カウンセラーに向いていない、と思っていた人がカウンセラーを続けたりしているから、わからないのよねー」と言われてしまって「ガーン!」となって、そこから私は「どうしたらいいんだ?」と迷ってしまって何年も時間を無駄にします。

 

今、その時のことを考えてみると、私はあの大先生から「私はカウンセラーに向いていない、と思われているんじゃないか?」と不安に思っていたから「カウンセラーに向いていますか?」と聞きに行ってしまったことがわかります。

 

先生から批判され、否定されているような感じで「自分は間違ったことをしているのかも?」と思ってしまったことが原因。

 

この時にイエスの催眠的スクリプトが私に働き、無意識が動き出して「間違っていることをしている」を堂々としてやろうじゃありませんか!とコツコツと仕事をやり続けます。

 

ここが「小さいことに忠実な人」になる訳です。

 

毎日ブログでカウンセリングのネタを書いています。

「正しい or 間違っている」で言ったら、カウンセリングの手法のネタを大放出!は間違っている!と批判されちゃう。

 

でも、読んでくださる方が、そのカウンセリングのネタを使って少しでも楽になることで「世界が変わる」となっているから。

 

私は、ある出版社の方から「あなたが書いているのは心理学じゃありませんね」と言われたことがありました。

 

いや、心理学をものすごく詳しく勉強された方であったら「結構、細かい心理学のルールに忠実ですね」とわかるんです。

 

細かい心理学のルールの集合体をコツコツ集めていると、無意識が働いて「面白い手法」が生まれてきます。

 

そこが「大きなことにも忠実」になります。

 

ですから「人から認めてもらいたい!」という時は、すでに「この人から認めてもらいたい」という人から批判的な視線を浴びせられている可能性がある、ということです。

 

それを真に受けてしまうと「アウト〜!」になってしまう。

やる気がなくなって、全てを投げ出したくなるのは、相手の批判的な暗示の術中にはまってしまうから。

 

「認められたい!」と思った時に、そこに注目するのではなくて「目の前のことをコツコツと(by きよし師匠 きよし師匠のやつは「ちっちゃなことからコツコツと」でした)」でやっていると「おー!無意識が働いて大きな世界が開けてきた、という感じに変わっていきますよ、ということです。

 

この目の前のことをコツコツとやるコツは「By the rule(バイ ザ ルール)」ですね。

「ルールに従ってやってますよ!」という意味です。

 

ただ、頭の中で「By the rule(バイ ザ ルール)」と唱えるだけ。

 

唱えながら目の前のことをこなしていくと「おー!これまでと違って物事の法則が見えてきた!」となって「新たなる発見!」が起きるんです。

 

どんな時でも「By the rule(バイ ザ ルール)」と唱えて仕事でも掃除でもやってみると、物事の理(ことわり)が見えてきます(理とは「物事の道筋」のことです)。

 

それは無意識に通じる道が見えてくる、ということ。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」って便利な言葉。

 

掃除をする時でも、片付けをする時も、料理を作る時でも「By the rule(バイ ザ ルール)」と唱えながら私はやっています。

 

すると「小さなことに忠実な人」になってきて、今度は「大きなことに忠実な人」にシフトしていきます。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」と唱えていると、自分だけがちゃんとルールを守るようになって、その他の人のことが気にならなくなります。そして「大きなことに忠実な人」への扉が開かれます(理という言葉mいい響きだな〜)。

 

すでにお亡くなりになった大先生が「大嶋さんはずるいことをやっているわね!私の弟子にしてあげる!」と私に言ってきます(妄想か!)。

 

そこで私は「ありがとうございます!」と笑顔で答えます。

 

「By the rule(バイ ザ ルール)」

 

(つづく)

 

「片付けられない自分が今すぐ変わる本」(あさ出版)のAmazonのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

捨てて捨てて、捨てて、と書いてくださってありがとうございます。読み終えましたが、内容をほとんど覚えてません、で笑ってしまいました(笑)。そして心に聞きながらレビューって(笑)。でも、これを読んでいてびっくりしてしまったのは、昨日、クライアントさんの心が全く同じことを言っていたから(びっくり!!)。ぎゃ〜!これからブログに書こうとしていたネタが〜!読んでいて鳥肌が立ってしまいました。なんで、このタイミングで「片づけ」の本が出て、そして私が「嘘」のことを書き始めていたのかの謎が解けてきます。すべて、みなさんの無意識がさせていること。こわ〜い!

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

昨日、この本を買ってくださった方が「これって読まなくても持っているだけで効果があるんですよね!」とおっしゃってくださって、私は笑顔で「うん!」と答えていました。

 

お守りか!(タカアンドトシのツッコミ風に!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/12/24

昨日のイエスの不思議な物語を解説してもいいのか?と朝、1時間ぐらい自分の中で葛藤をしていました。

自分が解説してしまったら、せっかくのイエスの美しい物語の効果を減らしてしまわないだろうか?

 

催眠のお師匠さんのスクリプトもそうだったのですが、「考えても訳がわからない!」と混乱して考えるのを止めた時に無意識が働いて助けてくれます。

 

催眠的な物語って、ものすごい鉄壁のセキュリティが働いているところに「わーい!」と入っていけるトロイの木馬のよう。

「なんだ!別に何の意味もないじゃん!」と思った頃に、内側からじわじわと変わっていく。

そして、鉄壁のセキュリティで閉鎖されたローカルネットワークから自由なグローバルネットワークへと誘ってくれます。

 

あのイエスの物語は、実は一つのことわざで簡単に読み解くことができます。

皆さんもよく知っているやつです。

でも、それをいきなり持ってきてしまったら「な〜んだ〜!」となってしまって無粋なので、楽しく解説していきます。

 

イエスの物語に出てくる使用人は、初めから「主人のお金を使い込んでいるぞ!」と現代の世の中的には受け入れられない存在で「ダメダメ〜!」な人ですね。

 

そして「主人から解雇されちゃう!」となったら、使用人は主人の資産を使って友達を作って面倒を見てもらおう!というズルいことをしちゃう。

 

こんなことをイエスが現代のSNSで書き込んだら「炎上じゃ〜!」となってしまうかも。

 

私自身も過去には、これが全く理解できない子でした。

 

ですから、就職活動をしていた時に、大企業の面接をわざわざニューヨークの高級ホテルの一室で受けに行った時も「何か、うちの会社に質問はありますか?」と聞かれたら「御社のパンフレットに“社会貢献”と書かれていましたが、具体的にどんなことをされていらっしゃるんですか?」と聞いてしまって、相手を固まらせてしまった。

 

「おたくの会社で社会貢献なんかできへんやろ!」と面接の場で会社の嘘を暴いてしまい、面接官を固まらせてしまった。面接官から「遠いところまでご足労ありがとうございます」とにこやかに部屋から出されたが、見事に後から「不採用!」という通知が来てしまった。

 

その時は「何で?」と理解できませんでした。

 

英会話の会社で働いている時に「バリバリ仕事をやりまっせ!」と真面目に仕事をやっていて「社長は間違っている!」と指摘したら営業所に左遷されてしまった。

そして、営業所で「正しいやり方!」を貫こうとしたら、みんなからいじめられて「お腹がイタタ」と倒れてしまう。

 

そして、営業成績を上げれば「自分がお客様を騙しているみたいで嫌だ!」と思い悩んでしまって、結局仕事が続けられなくなった。

 

そして、私は神に「なんで私をこんなに貧乏にするんだ!」と文句を言う。

 

どうしてみんなは幸せそうにクリスマスを過ごしているのに、自分だけこんなに惨めな思いをしなければならないんだ!と不平不満ブーブーでした。

 

私はいつも、私基準で正しいことをやろうとしていた。

 

私基準ってキリスト教の教え基準だったから「あれも罪!これも罪!」ということでものすごい相手を裁くし、自分に対してもダメ出しの連続になってしまって、行動の制限がかかる。

 

駄菓子屋に友達と行ったって「自分は無駄遣いという罪を犯している」と罪悪感バリバリで「楽しめない」になっていて、一緒にいる友達も心の中で裁いていた。だから友達になれる訳がないよね!で孤独でしたね〜。

 

自分が正しい、と思っていることに対して「自分は嘘をつけない!」となっていたから「友達がいない!」、そして「お金がちっとも貯まらない!」で常に惨め。

 

そんな私にイエスは

 

「不正の富を用いてでも、自分のために友達をつくるが良い。そうすれば、富がなくなった場合、あなたを永遠の住まいに迎えてくれるであろう」と言ってくれる。

 

でも、私は「そんなこと間違っているからできません!」とイエスに反抗的なことを言ってしまう。

 

するとイエスは

 

「小さいことに忠実な人は、大きなことにも忠実である。そして、小さいことに不忠実な人は大きなことにも不忠実である」

 

だから、もしあなた方が不正の富について忠実でなかったら、誰が真の富を任せるだろうか。

 

また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなた方のものを与えてくれようか。

 

と教えてくれます。

 

わたしは「あー!そうか!」と頭の中でパズルのピースがはまっていく。

 

そして、いつもの悪い癖が出る。

 

「郷に入りては郷に従え」ですね!と無粋なことを言ってしまう(ある組織に属した時は、その組織の規則に従うべきだ、という意味です)。

 

私は、赤ちゃんの頃に「お母さんから長時間放置されっぱなしだった〜」ということから、赤ちゃんにとっては「ミルクがない」ということで「私の恐怖」があった訳ですね。

 

まあ、幼少期に臨死体験をすると「サバイバル能力」というものが高まる。

嗅覚、味覚、そして触覚などの感覚が研ぎ澄まされるのは「食べ物を自分で吟味して毒を食べないようにする」からですね。

 

常に頭を高速回転させて「殺されないように」という戦術を考えている。

だから、他の人の話を聞いていると「ちっともわかっていない!それじゃダメじゃん!」とツッコミを入れたくなってしまう。

 

サバイバル能力で感覚や思考が常に過敏だから、違いがわかる男(「ダバダ〜、ダバダ〜、ダバダ〜」はインスタントコーヒーの宣伝でありましたね)。

 

違いがわかることが自分の取り柄で勲章のようなものだと思っていて、それを私は振り回していた。

 

違いがわかって、みんなを正してあげることが自分の使命だと思っていた。

 

嘘と真実の違いが自分にはわかるが、他の人たちにはわかってもらえない、ということで発作を起こして破壊しまくってた。

 

私は正しいことをやりたいの?

 

それとも友達を作りたいの?豊かになりたいの?

 

私は、昔は「二兎追う者は一兎も得ず」ということわざを覆したかったです。

運命に逆らうというか「自分だったらそれができる!」という変な自信があった。

 

だから、正しいこともやって、友達もできて、お金持ちにもなれるって、みんな思っている、と信じていた。

 

でも、イエスはうまいことを言うんですよね。

 

「どの僕(しもべ)でも、二人の主人に兼ね仕えることができない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなた方は、神と富とに兼ね仕えることはできない」。

 

確かに!

なぜなら、人間は動物で必ず嫉妬の発作というものを起こすから。

二人の主人がいたら、必ずどちらかが「下」となって「ビビビッ!」と発作を起こして破壊しちゃう。

今だったら、二つを追うことができない法則がわかるのよね。

 

私も人間で動物だから。

 

あれ?私って神じゃなかったの?と過去の自分を振り返るとちょっと怖くなります。

 

そう、私は一人の人間でみんなと同じ。

 

(つづく)

 

「片付けられない自分が今すぐ変わる本」(あさ出版)のAmazonのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

待望の片付けの本!!と書いてくださってありがとうございます。私も「この本、薄!」と手にした時は思ったのですが、いや〜、編集者さんが磨きに磨きをかけてくれて、この人は催眠のスクリプトをの天才じゃないかしら?と思うぐらい、シンプルにしてくださいました。催眠の天才であるミルトン・エリクソン博士も40回以上もスクリプトを何度も書き直していた。そして、多分書き直すたびにシンプルになっていくんでしょうね。この編集者さんはすごいです。キレイ好きな夫の暗示がすご〜い!そんな夫には「暗示返し!」で「あなたはものすごくカッコ良くて美しい!」ですね。これを夫が暗示の言葉を呟いた時に返したら面白いでしょうね〜。あぶな〜い!脳内がどんどんシンプルになって美しくなっていく予感。とても嬉しいです。

 

やべえ本です、と書いてくださってありがとうございます。真剣に読んだつもりなのにどこか記憶が虫食い状態になる、というのはうれしいな〜。無意識さんが働いてくれる〜。わーい!まあ、確かに大嶋節炸裂かもしれませんね。書いている時は、完全に無意識の状態で編集者さんの脳を使っていますので「ナンジャコリャ〜!」ということが次から次へと出てきます。これまでの私の文化になかったことまで出てくるから面白い。要は「意識がついていけない」=「無意識」なんでしょうね。そして無意識さんが自動運転をしてくれます。「意識が置いてきぼりになっただと・・・??」で朝からニヤニヤと笑ってしまいました。でも、脳のネットワークって本当にすごいですね。脳のネットワークは時空を超えてますね。日記については、自分をどうしたいのか?によって方向性が変わると思います。過去をベースに自分に磨きをかけたい、という場合は、日記が役に立ちますね。自分というデータを収集して、その過去のデータを利用して、未来の自分に役立てることができちゃいます。もう一つの使い方は「人に公開しちゃって自分自身を捨てる」という書き方があります。過去の自分を次から次へと「過去」として捨てていく。すると、無意識さんが働いてくれて「どんどん自由になっていく!」ということが起きます。どっちを選んでも楽しいです。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 


2019/12/23

美しいお花を送っていただきました。

ありがとうございます😀

 

私は「人の話を真に受けちゃう」で悩んでいました。

 

子供の頃からそうだったのですが、人の嘘を真に受けちゃっていました。

 

大学の時に、イケメングループたちと勉強をしていた時に「Newsweek(アメリカの有名な雑誌)でうちの学校がアメリカの大学のトップ100内に入っていたよ!」言われて、私は「ふーん」とその時は聞き流しているふりをしていたのですが、後になって図書館に行って「これは自慢できるかも!」と思って、雑誌を何時間も探しまくって「あれ?ない!」と、ものすごい時間を無駄にしてしまいました。

 

だいぶ後になって「あ!あれはただ単に冗談だったんだ!」と気がつきます。

そこに何人も一緒にいたのに、誰もその話を真に受けていなかったのに私だけが真に受けてしまって「ちくしょ〜!」と悔しい思いをします。

 

人から批判されたら、それが嘘なのに真に受けて「自分はダメ人間」と何時間も反省して頭の中でぐるぐる考えて時間を無駄にしてしまう。

 

嘘を真に受けてしまい、嘘がつけないから「いけてる子たちと友達になれない!」で惨めな思いをしてしまいます。

「あ!こいつ冗談を言っているな!」と嘘をちゃんと受け止めて、そして冗談(嘘)で返すことができれば「100点合格です!」とみんなの仲間に入ることができることは知っていた。

でも、それが私にはどうしてもできませんでした。

 

そんな私が、相談室で鳥の声のCDをかけていたら、クライアントさんから「偽物の鳥の声を聞いているとイライラするんです。止めてください」と言われて、「へー、そんなことが気になってしまうんだ」と理解することが難しかった。

でも、今になって考えてみると「本物の鳥の声じゃ無い、嘘!」に反応していたんだ、ということがわかります。

 

今度はクラッシック音楽でピアノの演奏曲を待合室でかけていたら、他の方が「スピーカーから出てくるピアノの音程がずれているのが気になってイライラするのでやめてください」と言われて「へー!そんなのがわかるってすごいな!」とびっくりします。

 

でも、それも「本物のちゃんと調律されたピアノの音じゃ無い!嘘!」に反応していることになります。

 

まあ、ここで「嘘!」に結び付けているのは「嘘をきっかけに発作を起こしてしまう」という現象があるから。

 

発作を起こして「聞き流すことができない!」とか「イライラしちゃう!」となってしまう。

 

人の嘘で発作を起こして破壊的な人格に変身しちゃって「人間関係を破壊するのがやめられない!」になる。

 

最近、日本では「嘘」に対するアレルギーを持っている人が増えている気がします。

 

まあ、確かに花粉症の人もたくさん増えましたからね。

昔は、花粉症の人はそんなにいなくて寂しかった。

でも、今は季節になると「あ!みんなマスクをした仲間だ!」と嬉しくなってしまう。

 

でも「嘘」で発作を起こしている人が増えちゃうと「発作で破壊的な人格に変身」になっているから「大変だな〜」と思う。

多分、嘘で発作を起こしてる人を周りが見ている時って「腫れ物に触るよう」な感じ。

それで、周りも発作を起こしてしまって「嘘」をついてしまうから、どんどん嘘で発作を起こす人がおかしくなっていく〜、と大変なことになる。

 

この「嘘」で発作を起こしてしまう人の「原因」は、意外とシンプル。

 

隣人でも自分自身でも「死」の体験をしてしまうと、その死の向こうにある「無意識」の世界に触れてしまう。

”無意識”の世界の「無条件の愛」を知ってしまうと、親の愛や友人の愛で「嘘」と傷つき「アレルギー症状がどんどん酷くなってしまう〜!」になっている。

 

要するに「臨死体験」を直接的や間接的にすることで「無意識」の世界に触れた時に「真実の愛」に触れてしまう。

すると「真実を求め続けるのがやめられない!」という現象が起きてしまう。

でも、人間の中には真実はない。その人間が「無意識」になった時に真実が見え隠れするので「もしかしたら、この人の中に真実があるかもしれない!」と求めて「嘘」に傷つき、そして発作を起こしてその関係を破壊してしまう。

 

だから「発作」は真実を求めて得られなかった時に、その関係を破壊して、その向こうにある無意識の真実を求めている。

破壊すれば「無」になるから、本当だったら「無意識の世界」につながるはず。

ところが、破壊してしまったら、後悔をして、捨てないでその残骸に執着し続けてしまうから「いつまでたっても真実が得られない」となっています。

 

自分が破壊してしまった、その残骸の中に真実の愛が隠れているのかもしれない、と探し続けてしまう。

 

いや、そこじゃなくて「破壊してなくなってしまった」という「無」の中に真実があるのに、嘘で固められたこの世の中の常識でそれを見てしまうと「無の中にある愛」が見えてきません。

 

ですから、一度「無意識の中の真実の愛」に触れてしまった人は、この世の中の「嘘」で発作を起こし続けてしまう。

 

だったらどうすればいいの?

 

イエスは、面白いお話をしています。

 

あるお金持ちのところで働いていた使用人が「あいつ!主人の財産を浪費してる!」と告げ口をされてしまった。

 

主人から「会計報告を出しなさい!もうあなたを使用人としておいておくことができないから!」といわれて、使用人は「ガ〜ン!」となります。

 

使用人は「どうしようか。主人が私の職を取り上げようとしている。土を掘るには力がないし、物乞いをするのは恥ずかしい。そうだ、わかった。こうしておけば、職を辞めさせられる場合、人々が私をその家に迎えてくれるだろう」と閃いた。

 

使用人は、主人の負債者のひとりびとりを呼び出して「油を百樽お借りしてます」と言ったら「ここの証書に50樽と書きなさい」と書き換えさせた。

 

ある負債者は「麦を百石お借りしてます(一石は1000合で、たしか150kg)」といったら、使用人は「八十石と書きかえなさい」と言った。

 

ところが主人は、この不正な使用人の利口なやり方を褒めた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。

 

イエスは、こんな物語を話した後に

 

またあなた方にいうが、不正の富を用いてでも、自分のために友達をつくるが良い。そうすれば、富がなくなった場合、あなたを永遠の住まいに迎えてくれるであろう。

 

そして、イエスは、その後に名言を言います。

 

「小さいことに忠実な人は、大きなことにも忠実である。そして、小さいことに不忠実な人は大きなことにも不忠実である」

 

だから、もしあなた方が不正の富について忠実でなかったら、誰が真の富を任せるだろうか。

 

また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなた方のものを与えてくれようか。

 

どの僕(しもべ)でも、二人の主人に兼ね仕えることができない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなた方は、神と富とに兼ね仕えることはできない。

 

イエスは、面白ことを言っているのよね。

 

読んでみると混乱しますでしょ。

 

その混乱の中に無意識が働いて、無意識さんが面白いことを教えてくれます。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/12/21

私が「嘘」に興味を持ったのは「おっぱいの出る男性が女性をダメにする」というパターンを見つけた時からでした。

 

ちなみに「おっぱいの出る男性」って「ものすごく優しい男性」のことです。

 

外ではいつもニコニコしていて、奥さんのいうことをできるだけなんでも聞いてしまう。

 

そして、周りの人から「お宅の旦那さんって、優しそうで羨ましいわ〜」と言われちゃう。

 

そんな旦那さんがいると、奥さんは旦那さんに対してものすごい暴言を吐くようになったり、「身体の調子がどんどん悪くなる」と寝込んでしまったりする。

外から見たら「なんて酷い奥さんなんでしょう!旦那さんはあんなに優しいのに」というふうに見られてしまうのですが、これにはトリックがあったんです。

 

旦那さんが優しくすればするほど「どんどん身体がボロボロになっていく〜」という症状はとっても興味深い。

 

実はこれは、奥さんが旦那さんの「嘘」で発作を起こしてしまうから「破壊的な人格になって暴言が止まらなくなってしまうやろ〜!」となり「身体がボロボロになる〜」になってしまう。

 

ちなみに発作で身体がボロボロになるのは、脳内で「ビビビッ!」と過剰な電流が発生して身体の痛みを感じる部位を刺激しちゃうから「腰が痛い!」とか「背中が痛い」という感じで痛みを感じてしまう。そして、そんな痛みは移動する特徴があります。

さらに「破壊的な人格」になっているから、旦那さんを責めるのが止まらない、というのと同時に「自分を責めるのが止まらない!」となってしまうから、「本来ばい菌や異常細胞を攻撃するはずの自己免疫が暴走しちゃう!」となって正常な細胞まで攻撃してしまうから「肌がボロボロになる!」とか、「身体のありとあらゆる部分が故障してきた!」になってしまいます。

 

奥さんの発作の餌となっている旦那さんの嘘は「あなたのことを愛してる」ですね。

 

男女間の愛は、ギリシャ語では「エロス」ですから「ギブアンドテイクの愛〜!」になります。

単純に優しくしてくれたら、優しくし返してあげる、というものがエロスです。

 

ところが旦那さんは「どんなあなたでも愛しているよ〜!」という無条件の愛(アガペ)を演じてしまうわけです。

 

ちなみにギリシャ語では、無条件の愛はアガペで「神の愛」になっているわけです。

 

ですから、人間がアガペを演じてしまうと「嘘〜!」になるわけ。

 

だってそうでしょ!

 

奥さんから「なんであんたはちゃんと私の気持ちを汲み取って動いてくれないのよ!」と言われた時に、おっぱいの出る男性が「ごめんね、自分がちゃんとあなたの気持ちを受け取れるように努力するからさ!」と言った時の「嘘!」に反応して、奥さんはビビビッ!と発作を起こしてしまう。

 

なんで?

 

それは、おっぱいの出る男性が口で言っていることと頭で思っていることは違うから。

おっぱいの出る男性は「あー、また出たよ!ここで“努力する”って言っとかないと、また2時間ぐらい説教をされて眠れなくなるから、反省した顔で言っておくか!」という具合になっています。

 

100歩譲って、この男性が「女性からいじめられると興奮する」というマゾヒスティックな特徴を持った方でも「暴言を吐くあなたが好き」となっているから「無条件の愛」じゃないわけです。だから「こいつ、気持ち悪い!」と奥さんの方は嫌悪感がどんどん湧いてきてしまう。この「気持ち悪い!」も「愛しているのは嘘!」で発作を起こしている。なぜなら、そこには「無条件の愛」はないから。

 

だから、奥さんは無条件の愛を試すために「ものすごく酷いことをいうのが止まらない!」となる。それを、“テスティング”と言います。

「あなたは本当に私のことを思って愛してくれているの?」と試す(テスト)するということです。

でも、神じゃないから無条件の愛はない。だから「嘘!」になるから「発作が止まらなくて破壊的な言動が止まらない!」とどんどんボロボロになっていく。

 

ちなみに旦那さんの方も発作を起こしている。

まあ、これはわかりやすいですよね。

自分と一緒にいてくれる、ということは、自分のことを愛してくれているはずなのに、酷いことを言われる、ということから「愛は嘘!」となるから発作を起こしてしまう。

 

自分を愛してくれているから自分の愛がテスティングされているはずなのに、奥さんからは「愛がちっとも感じられない!」ということで「嘘!」と発作を起こしてしまう。

 

旦那さんの場合は、「受動攻撃」というのが発作の特徴で「発作を起こして記憶が抜ける!」ですね。

 

だから、奥さんから3つ頼まれると「必ず一つは忘れちゃう!」ということをしてしまいます。

 

奥さんは「こいつ、私を怒らせるためにわざと忘れてきてるだろ!」と表面的にはそんなふうに怒っていますが、実際は「私を愛しているのだったら、私のお願いを忘れるなんてあり得ないだろ!」ということで「無条件の愛なんて嘘!」ということで発作を起こす。

 

奥さんは旦那さんの「嘘」を暴こうとしますね。

でも、旦那さんは、その嘘を暴かれまいと隠そうとする。

なぜ隠そうとするのかというと、嘘を暴かれてしまったら、自分が捨てられてしまう恐怖があるから。だから嘘をつき続けちゃう。

すると、その嘘の影に「真実の愛があるかも?」という発作が見せる幻想によって「旦那への怒りが止まらない!」という感じで執着させられ続けて時間があっという間に過ぎていく。

 

「そこに、愛があるんかい?」と発作を起こしている時に思ってみると面白い。

 

無条件の愛は、人にはなくて無意識の中にある。

 

だから「愛はそこにない」と認めてしまうと無意識が働いて、現実の時間軸へと戻してくれる。

 

無意識が戻してくれる時間軸を恐れるのは「これまで失ってきた時間があまりにも多すぎるから」という理由ですね。

 

無意識の蓋を開ける、ということは、浦島太郎が玉手箱を開けるような感覚があるのかもしれません。

 

幻想の愛の世界で失ってしまった時間が大きすぎる。

 

いや、でもね、無意識には時間軸は関係ないんですよ。

 

1日は千年のようで、千年は1日のよう。

 

無意識が戻してくれる現実の時間軸はまさにそれで「今ここで」のときが光り輝く。

 

(つづく)

 

「片付けられない自分が今すぐ変わる本」(あさ出版)が今日から書店で本格的に発売になりました〜!

新宿の紀伊国屋書店さんでは昨日から平積みをしてくださっているみたいで、写真を送ってくださった方がいらっしゃって「すごい!」とびっくりしてしまいました。

 

今日、このブログの記事を書いていて、「片付けられない」って幻想の愛にまみれていたからできなかったんだ、ということが見えてきました。

 

ゴミみたいなものも「捨てられない」となっていたのは「もしかしたら、そこに愛があるかも」となっていたから。

 

ある意味で「どんなものでも捨てられない」というのは「どんなあなたでも愛している」になる「無条件の愛」の象徴ですよね。

 

さらに捨てないでグチャグチャでボロボロの私でも、もし無条件の愛があるのなら、愛してくれるはず、というテスティングになる。

 

そんな私を受け入れてくれるのは、もしかしたら相手の中に無条件の愛があるから(怖〜い!)。

 

そして「嘘!」で発作を起こさせられて「どんどん片付けができなくなる!」となっていました。

 

「愛は私の中にない!」と片付けをして物を捨ててしまったら、すっきりした部屋の中で「あ!無意識さんが働いてくれる!」となっていきます。そう、幻想の愛の象徴を全て捨て去ってみたら、そこには無意識だけが私に残ってくれていた。

 

すっきりとした部屋の中で感じられる無意識さんの愛。

 

大嶋 信頼

 

 

 

 


2019/12/20

昨日の私が体験した牢獄の正体は「人の嘘で発作を起こしちゃった!」でした。

 

目の前に高くて2度と越えられない灰色の壁が立ちはだかっていて、そこに閉じ込められて出ることができないような絶望感と怒り。

 

それは「人の嘘」で発作を起こしているのですが、「相手が嘘をついている」ということに気がつかないと「発作が止まらなくて絶望感と怒りで何もできなくなってしまった!」となります。

 

まさに、怒りと絶望間の牢獄に閉じ込められてしまった状態。

 

「何が嘘なの?」

 

「嘘」は、私が子供の頃に言われ続けていた「罪を悔い改めなければ地獄に落ちる」という教え(ギャ〜!書いてしまいました〜!)。

 

だって「あなたは地獄に落ちた人を見てきたんですか?」というツッコミができる。

 

「罪って勝手にあなたが作り出しているものじゃないんですか?」と言いたい。

 

第二次世界大戦の時は「ユダヤ人であることが罪」として刑務所に入れられていた。

その当時の人たちには、それを信じてしまっていた人たちがたくさんいたが、今度は「ユダヤ人を迫害した人が罪」となって捕まえられてしまう。

 

南アフリカのアパルトヘイト時代は「アフリカ系民族の自由を訴えたら罪」となってネルソン・マンデラ氏は27年間も牢獄に閉じ込められて、毎日、岩を砕く無意味な作業をやらされていた。アパルトヘイトが廃止されたら、マンデラ氏は南アフリカ共和国の大統領になって、そしてノーベル平和賞を受賞した。

 

こんなふうに書くと「え?でも罪ってあるでしょ!」と言われる。

 

「なんで人の罪のことがそんなに気になるの?」

 

だって、被害者がかわいそうだから、罪を裁かなければ、とその人は言う。

 

「私の中に被害者の方を哀れむ愛があるから、罪を憎み罰したいと思うのは当然」という理由がそこにあります。

 

まあ、親からしたら「子供が罪を犯して地獄に落ちないように心配して愛している」という理由から「罪を犯したら地獄に落ちると言っていました」になっている。

 

そんなふうに考えてみたら、ユダヤ人を捕まえていた人たちだって「あれは愛国主義からやっていました!」となっているし、アパルトヘイトだって「白人社会を愛していたからそれを汚す連中を捕まえていました」と愛に満ち溢れている。

 

「愛」に満ち溢れている人たちは、「地獄に落ちる」とか「罪に裁きを下す」と残酷なことがいくらでもできちゃう。

 

間違っている人に被害を受けてしまう人たちを愛しているから、守るために、思いっきり間違いを指摘して、ネット上などで正しいことを書きまくって相手を叩き潰したくなってしまう。

 

また、会社では相手を傷つけないように影で相手のことを批判して、相手のことを無視したりする。

 

私は「愛」と言われた時に自動的に「無条件の愛」をイメージしています。

 

だから、それ以外の「愛」に触れた時に「嘘!」となってしまって発作を起こして、脳内では“怒り”の部位が活発になりすぎて、他人に対しての怒りを超えて「自分を破壊してまうやろ〜!」となって完全に自分を怒りと憎しみの牢獄に閉じ込めちゃう。

 

私のアホなところは、キリスト教の文化で育って「人は本質的には神と同じ部分を持って生まれてきている」という性善説を信じていたところ。

 

だから「人の中には愛がある」と本気で信じていたから「人の話を真に受けちゃう」を繰り返していた。

 

人から厳しいことを言われたり、酷いことを言われても「この人の中には愛があるから、私のことを思って言ってくれているはず」と信じて真面目に受け止めていた。

 

間違いを指摘されたり、注意されても、疑うことなく「この人は私を正しい方向に導くために言ってくれている」と信じていたから、真に受けて「それにちゃんと答えることができないダメな私」という感じで自分を責めて傷ついていました。

 

催眠のお師匠さんと出会い、そして催眠で無意識の世界を知った時に、「あれ?無意識の中には愛がある」ということに気がつきます。

 

無意識は、どんな私でも裁かないし、罰することをしないで受け止めてくれる。

 

それがどんな自分であっても。

 

その無意識の愛に触れた時に私の目から涙が溢れてきて「あ!人間には愛がないんだ〜」ということに気がつき、爽やかな気分になります。

 

人間の中に愛がなくていいんだ〜。

 

そこに愛を探して苦しまなくていいんだ〜、という不思議な開放感。

 

私が人から間違いを指摘された時に、発作を起こすのは「そこに愛がある」と思って探してしまうから「嘘!」となってしまうから。

 

もうちょっと一般の人向けに書くと「間違いを指摘してくる人の中に真実がある」と思ってしまうと発作を起こす。

 

なぜなら「相手の中に真実なんかないから、嘘!」となるでしょ。

 

「義人はいない、一人もいない」なんです。

 

人から攻撃的なことをされたり言われたりした時に、私が「ビビビッ!」と発作を起こしてしまうのは「周りの人が愛を持って守ってくれる」というのを信じてしまっているから。

 

学校でいじめられた時は「教師の中の愛」を信じていたし、職場でみんなから無視された時は「誰かの愛」を信じて求めていたけど、「嘘!」となって発作を起こして教室から飛び出していた。

 

私にとって「人の中に愛がなくていいんだ」というのは絶望感ではなくて、解放でした。

 

なぜなら、無条件の愛に満ち溢れている無意識に頼ることができるから。

 

発作を起こして絶望感の檻に閉じ込められてしまっても「無意識さ〜ん」と頭の中で唱えれば、そこに愛がある世界が展開していく。

 

そう、人間の中には愛がない。

だから、愛がある無意識の世界に私は誘われていきます。

 

私が「お金がない!」とか「自分はちっとも変われない!」と嘆いている時って「無意識さんはどうして私を愛して助けてくれないの?」と思っているのかもしれませんね。

無意識さんが私を愛してくれているんだったら、もっとお金が稼げるようになっているはず!

そして、もっと人よりも幸せになっているはず!って思うんです。

 

そんな嘆きの時に「無意識さ〜ん!」と心の中で叫んで、無意識さんに問い詰めてみると、不思議と私の中から笑いがこみ上げてくる。

 

そこには、無条件の愛がある。

 

人の言動で「ビビビッ!」と発作を起こした時は「そこに愛があるのかい?」と自分に問いかけてみる。

 

そう、人の中には愛がなくていい。

 

なぜなら、私とともにいてくれる無意識の中に無限の愛がそこにあるから。

 

そして、私は牢屋から解放されて、自由な世界へと歩み出す。

 

(つづく)

 

「片付けられない自分が今すぐ変わる本」(あさ出版)が今日からAmazonで発売になりました〜!

 

わーい!

 

だいぶ昔の話なんですけど、相談室の待合室で「鳥の声」のCDをかけていたら、ある方から「私はあれを聞くと怒りが湧いてくるんです!止めてください!」と言われて「え?」とびっくりしたことがありました。

 

今考えたら、「嘘!」であの方は発作を起こしていたんだな、とわかるんです。

実際の鳥の声じゃなくて、スピーカーから流れてくる鳥の声は「嘘」となって発作を起こしていたんですね。

 

「嘘」で発作を起こしてしまうのでしたら、私は「妥協して買ったもの」で発作起こしていて「次から次へといらないものを買ってしまう!」という悪循環を起こしていた。

本当の自分の欲しいものを偽って買ってしまって「自分に嘘をついてしまった」というものが家にあると「発作が止まらない!」となって物が増える。

偽物はいらな〜い!とバンバン捨てていったら「あれ?欲しがらなくなった!」となるのは「嘘」の発作が鎮火したから。

「いらないもの」なのに「必要になるかも」と自分に嘘をついていると「発作が止まらない〜!」と片付けができなくなっていました。

 

この本のいいところは「発作を止める」というよりも、「無意識さ〜ん!」が働いてくれるように編集者さんが本の中にたくさん催眠を練り込んでいるところ。

 

無意識さんが働いてくれて、自動運転で愛の方向へ導いてくれます。

そう、自分を愛することができる方向へ。

 

いつも、応援してくださってありがとうございます。

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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