2016/06/23

未来のことを考えることで別時間軸が作り出されて、そのときの自分が体験したであろうストレスを脳のネットワークでもらっちゃう。

 

だから、将来の不安、これから起きるかもしれない嫌なこと、などは考えなくてもいいよ!という話を書いていた。

 

これを読んでくださった一人の方が「それって、旧約聖書に書いてある“善悪を知る木”が原因なんですか?」と質問してくださった(すごい!)。

 

エデンの園に植わっていた“善悪を知る木”の実を食べた時に、神と同じように善悪を知る者となる、とヘビがエバを誘惑し、そしてアダムもそれを口にした時に「裸でいることが恥ずかしい!」となった。

 

聖書によると神が人を造った時に「われわれのかたちに、われわれをかたどって人を造り...」となっている。

 

ここの所を大胆に解釈すると「人は神と同じように作られた」となると、神と同じように創造することが出来るかもしれない、となる(こりゃまた大胆な!)。

 

多くの人が大好きな「思考は現実化する!」というのは、神と同じように作られて神と同じような力を持っているから、考えたことが現実になる、という現象がある、と考えてみる。

 

そこでせっかくの神のような力を“善悪を知る実”が邪魔をする。

 

「それは正しい!」or「間違っている!」の判断をしてしまう。

 

「良いことが起きる!」or「悪いことが起きる!」の判断をした時に、“悪いこと”を想像することが止められず、その想像した世界が創られる(ひえ〜!)。

 

せっかく神が人間にとって最も心地よい世界を創っているはずなのに、人間が神を演じて善悪の判断をすることで、別世界が作り上げられてしまい「こんな人生嫌〜!」となってしまう。

 

でも、その「こんな人生嫌〜!」というのを作り出しているのが人の想像であり、それが単純に神の意思に逆らって、善悪の判断で世界を創造しているだけ、と考えて見ると面白い。

 

「思考は現実化する!」は魅力的である。

 

でも、人間は“善悪を知る実”を食べたときから、神を演じてカオスを作り出してしまう。

神が試練を与えているわけじゃなくて、自分が想像したことが現実になってるだけですから〜!なんて思って見ると興味深い。

 

だから、考えない、というのがとっても大切。

 

思い悩まない。

 

思い悩んでいる瞬間に、そこで想像した世界が創られてしまうから(ヒエ〜!)。

 

 

 

 

 

 


2016/06/22

昔、看板屋さんで取り付け工事のアルバイトをやっていたときに、銀座や表参道の歩道で作業をしていた。

 

表参道のタバコ屋さんの看板を付け替えていた時、作業をしている脚立の下にはスーツを着ている人たちが颯爽と歩いていた。

 

「いいな〜!」

 

自分は汚い作業服を着て、汗まみれになって作業をしている。

 

スーツを着た大勢の人が歩いているのに誰ひとり私のことを見ようとはしないで歩き去っていく。

まるで、ここではスーツを着ていなければ人間扱いされないような感覚になっていた。

 

あのおしゃれな街で自分が石ころのように感じたあの感覚はとっても新鮮だった。

 

おしゃれなスーツを着て、高い靴を履いて、そして高級時計を持っていなければ注目されないのかな?と看板を固定するボルトをレンチを使って締めながらそんなことを考えていた。

 

「きゃ〜!あの人のボルトの締め方カッコイイ〜!」なんてなればいいのに、とアホなことが頭に浮かぶ(暑さのせいかも)。

 

街を行き交う人を観察していると面白い。

 

スーツを着ている人を観察していたら、そんな、作業服を着た過去の自分が脳のネットワークを通じてアクセスしてくる。

 

「あなたはそのタバコ屋さんの角を曲がった2件先のオフィスで面白い仕事をすることになるから!」と炎天下のなか汗だくになって作業をして疲れ切っている自分に声を掛ける。

 

そう、あの時、自分はあんなスーツじゃなくてジーンズを履いてこの町のオフィスで仕事をしてるイメージが浮かんできて、惨めな気持ちが不思議と消えていったことを思い出す。

 

そんな夏のことを思い出していたら、涼しげな日暮の鳴き声が頭に響いてきて、何だか急にお腹が空いてきた。

 

脳って面白い。

 

 

 

 

 

 

 


2016/06/21

人と会話をしていて、自分が発言したら「しら〜!」っとなってしまう。

みんなに話を合わせて発言したはずなのに、なんか的が外れてしまっている。

 

何が間違っていたのだろう?と考える。

 

ジョギングから帰ってきて、アパートの階段を上っていたら、すれ違ったおばちゃんから「蒸し暑いですね〜!今日は!」とさわやかに声を掛けられた。

 

その時に「結構、気持ちいいですよ!」と答えてしまって「しまった!」と心の中で思う。

汗びっしょりになっている私を見て、おばちゃんは怪訝な顔をしながら「そ〜お〜?」とそこから会話が続かなくなってしまう。

 

言語性知能が高いと、過去の体験からありとあらゆるシミュレーションをしてしまう。

「これを言ったらこうなる」、「あれを言ったらこうなる」とその言動をした結果どうなるのかを何通りも想定する。そして相手の気持ちも勝手に想像してしまう。

「これを言ったら相手からおかしな人と思われるかもしれない」とか「馬鹿にされるかも?」や「場の空気を読めない人って思われるかも?」っていろいろ考えてしまう。

 

おばちゃんに話しかけられて、会話が続くような返答ができなかった私は言語性知能が低いのか?ということになる。

だって、ちゃんと想定しているのだったら、会話が続くような返答ができるはず。

 

でも、問題は、言語性よりも動作性知能にあるような気がしている。

動作性知能は、言語性がいろんなシミュレーションをした情報を時間軸で整理する。

未来に起きるかもしれないことは未来、そして、過去のことは過去だから、”今”は何も心配することが無いよね!と想定したデータを脳内でちゃんと整理してくれる。

 

整理されたら”今”だけになるから未来のことで取り越し苦労することがなくなる。

過去のことで後悔する必要が無くなる。

 

動作性知能と言語性のバランスが取れていたら、相手との関係性で言語性が想定する情報を整理する。

「おばちゃんに嫌われちゃうかもしれない!」というのがまるで恋人から捨てられてしまうかもしれない、というようなパニックになってしまうのは明らかにおかしい。

「他人は他人で、自分は自分でしょ!」と動作性知能によって関係性に合わせて情報が整理されると他人の気持ちがそんなに気にならない。だから、パニックにならないで冷静に対処することができる。

 

言語性知能と動作性知能のバランスが崩れていると、言語性知能が生み出したたくさんのシミュレーションの情報を動作性が整理することができない。だから、未来に起きるかもしれないことが”今”起きている感覚になってパニックになる。

おばちゃんとの会話では、話しかけられた時点ですでに「自分が返答するとしらけちゃう〜!」とパニックになっているのは、動作性の処理が追いついていなくて、未来のことが”今”起きてるような感覚になっているから。

 

おばちゃんの「何この人、変!」と思われたのがまるで恋人から嫌われた時のような感覚になってしまうのは、言語性知能が暴走して、動作性知能がこの関係性で情報を適切に整理していないから。

 

動作性知能と言語性知能のバランスに関連している遺伝子のコードを唱えてみると面白いことが起きる。

 

今まで、人に話しかけられるかもしれないシチュエーションでドキドキしていた。

 

それが無くなる。

 

動作性知能が適切に言語性のシミュレーションの情報を整理するので、取り越し苦労が無くなり”今”を生きられる。

話しかけられても、相手の感情がまるで自分のように感じられなくなるのは動作性が関係性に合わせてシミュレーションを整理しているから。だから、パニックにならない。

 

「今日は蒸し暑いですね〜!」と言われたら、何も考えずに「本当に蒸し暑い季節になりましたね〜!」と返すことができる。

 

あれ?何も考えないで発言できてる。

 

ドキドキしない!

 

場の空気がしらけない!というのがとっても面白い。

 

発言した後で後悔することも動作性が働いていたら起きない。

 

「過去は過去」ってちゃんと情報を整理してくれるから、何度も反芻して反省しなくても、自動的に学習して次回からは適切に発言することができちゃう。

 

今までは、あんなに反省しても同じ失敗を繰り返していたのに「あの失敗が無い!」なんて感動もなくなる。

 

なぜなら「過去は過去」になり”今”に生きるようになるから。

 

これが自由に生きる、ってことなのかもしれない。

何も考えなくなった姿を見て、フッとそんなことを考える。

 

 


2016/06/20

不幸な将来を想像してしまうと、その別時間軸につながって不幸な結末を迎えている自分の脳のストレスを請け負って「疲れた〜!」となってしまう。まだ、その不幸を体験したわけじゃないのに、身も心もボロボロになるのは、それを体験した未来の私から脳のネットワークを通じてストレスを流されてしまうから。

 

過去の自分の不幸な体験を何度も思い出すことで、その時の自分のストレスをフレッシュなまま脳のネットワークを通じて請け負ってしまう。怒りや憎しみに伴う身体的不調も請け負って「動けな〜い!」となってしまう。

 

この別時間軸の話は、誰にでも通じるわけではない(飛び抜けてアホな仮説だから、というのもある)。

 

これを体験している人と、これを体験したことが無い人がいるのでは?と思っている。

 

これをしょっちゅう体験してしまう人は、もしかして「自分以外の人間が人間に見えていない人」ではないのか?という一つの仮説が立てられる。

 

もし、自分以外の人間が自分と同じ人間、に見えているのであれば、脳のネットワークは”今”の人間関係でお互いにつながり合える。この”今の人間関係のネットワーク”が”現在”にとどめておく錨(アンカー)の役目を果たし、過去や未来に飛ばされなくなるのでは?と仮説を立てている。

 

自分以外の人間が同じ人間と見えていない場合は、脳のネットワークを周囲の”人”とつなげるのが困難になる。だから、別時間軸の”自分の脳”と勝手につながってしまう。

 

人は一人では生きられない。

脳のネットワークが必ず必要となるのだが、それを別時間軸の自分の脳で代用しているから「飛びます!飛びます!」となってしまうのでは?と仮説が立てられる(「飛びます!飛びます”」って坂上二郎さんか!)。

 

もう一つの仮説は、言語性知能と動作性知能の問題である。

普通の人が、知能テストをやると、この二つの知能のバランスは取れているから同じような点数が出てくる。

でも、アスペルガー障害などの「人と通じ合えない」タイプの方がテストを受けると言語性と動作性の点数に15点以上の開きが出てしまう。

 

もしかして動作性知能の問題で時間軸を飛んでしまう脳になっているのかも?という仮説がある。

 

動作性知能の問題を遺伝子のコードでクリアしてしまえば、もしかしたら時間軸を旅しなくなり”今”を生きられる。

かんたんに”解脱”ができちゃうかも〜!ってアホなことを考えている。

 

でも、そうなったら僕のお仕事が無くなってしまうかも〜!ってクオンタムリープを起こしている(飛ぶな!飛ぶな!)。

そうなれば素晴らしいことである。

 

楽しみ〜!

 

言語性と動作性知能のことは軽く次回作で扱っています(”軽く”っていうのはどんなんやネン!)。

 

 

 


2016/06/18

罪悪感と後悔や人からの批判などにまみれて、これまでずっと苦しんで生きてきた。

 

いつも、何をするにも怯えていて、そして何をしても結果に満足できず人からの評価を気にして心から楽しめることは無かった。

 

「自由に美しく生きることができたら」といつも夢に描いていた。

 

そして美しく、自由に生きる人たちと楽しむことができたら、というのが夢だった。

 

そんな夢がいつの間にか実現してるような気がしている。

 

ここでつながってくださっている皆さんと一緒に自由に楽しんでいる自分がここにいる。

 

みなさんと一緒にどこまで自由になれるのか、それが楽しみで仕方がない。

 

これからの展開が楽しみである。


2016/06/17

将来の不安が形を変えてぐるぐる頭を巡り、そして、過去の後悔が何度も何度も襲ってくる。
ブッタ的に見たら、これが輪廻だったりするのかもしれない。
時空を超えて過去の自分の脳と脳のネットワークでつながって、同じことを何度も何度も繰り返してそこから抜け出すことができなくなってしまう。将来の不安は将来の自分とつながって、不快な時間軸をいくつも作り出し不幸な結末を脳のネットワークで再体験する。

でも、今の自分が特徴的な遺伝子のスイッチをオフにすることで、脳のネットワークでつながっている過去の自分のスイッチまでオフになり、不快な時間軸が消えていく。一般的に見たら過去の執着から解放されて自由になっていく。

将来の不安が起きた時に、特徴的な遺伝子のスイッチをオフにすることで、未来の自分の遺伝子のスイッチもオフになり、別時間軸で起きている不幸な結末は消え去っていく。そして、未来への執着も無くなり”今”を生きることができるようになる。

過去や未来の執着によってぐるぐるとまわる輪廻。
そこから解放された状態で”今を生きる”という”解脱”だったら面白い。
そう考えてみると、やっぱりブッタって天才だったんだな〜!

遺伝子のスイッチをオフにする方法は実に簡単。

キリスト教のスイッチオフのキーワードは「神を恐れよ」である。
ここでの”恐れよ”は”尊敬”である。
尊敬が特徴的な遺伝子のスイッチをオフにする。

人間は見える人に対しては”尊敬”するのが難しい。
なぜなら、必ず理想化とこき下ろしをしてしまうから(やっちゃうよね〜!)。
だから、見えない神を恐れよ!というのが最もショートカットである、ということになる。

お!この尊敬のメカニズムは次の本に書いてあるから、ここで止めておかなければ。

よく考えてみると面白い。

そういえば「心に聞いても、答えがいつも違うんですけど〜!」というクレームを受ける。
いつも、この時間軸の説明をするのが大変だから「心の答えに揺らぎがあったほうがいいんですよ〜!」と言っている。

ちゃんと時間軸の話をした後だったら、この心の答えが変わるというのは簡単に理解できる話である。

例えば、心に「心よ!ヨガマットを買ってもいいですか?」と一度、聞いてみる。
心は「買ってもいいですよ〜!」と言ってくれた時に、買ったときの時間軸が出来上がる。

買っても結局時間が無くて、使わずに物置のごみと化す(南無〜!ち〜ん!)。

そんな未来の自分とつながっているので、もう一度心に「心よ!ヨガマットを買ってもいいですか?」と尋ねたら”心”は「買わなくていい!」という。

一度聞いて、買ったときの時間軸を体験しているのだから、次に聞いた時は、本人が求めているのは別時間軸ということになり、執着から解放された状態のこととなるから「いらない」となる。

でも、ここで買わなかった時の時間軸が出来上がり、ヨガマットを使ってストレッチをしなかったらお腹が出て、せっかくの夏なのにTシャツを着るのが恥ずかしい!と後悔している自分の脳と繋がる。

だから「やっぱり買った方がいいのかも!」と焦ってくる。

「こころの言っていることは信頼できな〜い!」となってしまう時間軸がここででき上がる。

本当は心に聞くの奥義は、心に聞いて行動して、という”心に対しての尊敬”である。
わけのわからない心に聞いてそれに従い行動してみる、というのは究極の”尊敬”になる。
その”尊敬”により特徴的な遺伝子のスイッチがオフになるから、すべての結果が変わってくる、という面白い仕組みになっている。

さらりと書いてしまいました(ち〜ん!)。


 

2016/06/16

自分の頭の中に浮かんでくる思考は、別の時間軸の自分の脳のネットワークでつながって伝わってきているもの、と考えてみると興味深い。

別時間軸の自分が助けを求めている。

ミラーニューロンのSF的なアイディアを取り払って「先に起こるかもしれない嫌なことを想像しちゃう」というのを単純に考えてみれば「嫌なことが起こらないように前もって不快なことを想像して、その出来事が起きないようにしている」ということになる。

「泥棒が入ったらどうしよう?」と思って玄関のカギを何度も確認する。
未来に起きるかもしれない不幸なことを想定して、そして、それを防ぐために何度も確認している、と考えたらごく普通のことである。

SF的に考えてみると、泥棒に入られてしまった未来の別時間軸が存在している。
後悔と怒りがその時間軸の自分の脳と繋がってしまいリアルに感じられてしまうから、何度も何度も確認したくなってしまう(悔し〜!)。何度も確認しても、その不安と怒りが消えないのは、その未来の時間軸の状況が変わっていないから。
未来の自分は「そんなに何度も確認するだけじゃ、未来は変わらないよ〜!」と怒り後悔で訴えてくる。でも、その感情の意味が解らず逆に強迫的に確認したくなってしまう。

そこで”怒りで記憶が飛んでしまう遺伝子”のスイッチをオフにしてみる。

すると「あれ?泥棒のことが気にならなくなった!」となるのは未来の泥棒に入られてしまう時間軸が消えてしまったから、と考えてみると、面白い。

誰かに怒って頭がテンパった時に、記憶が飛んじゃって忘れ物をする傾向が確かにあった。
その遺伝子のスイッチがオフになった時に、泥棒が怖くなくなったのは、記憶が飛ばなくなったから。

未来の別時間軸の自分が「それだよそれ!」と喜んでいる(そして、さようなら〜!別時間軸の自分よ〜!)。

子供の頃に母から罵倒された場面が頻繁に浮かんできてしまう(あれ〜!)。

一般的に考えれば「記憶がちゃんと処理されなかったトラウマでしょ!」となる。
でも、トラウマと分かったところでその記憶は消えないし、苦しみも変わらない場合がある。

子供の頃の自分が助けを求めている。

そこで”ダメ出しの遺伝子”を唱えてみたら「あれ?母親から罵倒された記憶が消えていく〜!」ってちょっと焦ったりする(記憶が抜けてしまう痴呆症になったのか〜!)。詳細が思い出せなくなっていく、自分がここにいる。

消えゆく瞬間に「あ!そういえば、子供の頃から”余計な一言が多い”って学校の先生からも言われてたっけ!」と思い出す。
母親が落ち込んでいるときに、ダメ出しをしていた自分の姿がふっと浮かんできて、そして、ゆっくりとそれが消えていく。

「ありがとう!」と幼い自分が手を振っている。
そして、静かに消えて今のことしか考えられなくなる。
過去の自分の脳とつながって、過去の自分が変わり、そして別時間軸が作られて、今の自分がどんどん自由になっていく。

いま、この時、この瞬間を生きられるようになる。

こんな仮説が”遺伝子を唱える”の背景にある。




 

2016/06/15

昨日は、アパートの床板の修理があったのでオフィスの近くのホテルに泊まらせていただきました(快適〜!)。
「これが自分の書斎だったらいいな〜!」なんてくだらないことを考えてしまいます。

過去を振り返ってしまったら、過去の自分の脳につながり、脳のネットワークでストレスを流し込み、そして自分の成長がリセットされてしまうから「苦しみが変わらな〜い!」となってしまう。
将来の成功体験を考えても、その成功の裏に隠れている莫大なストレスを脳のネットワークで流されてしまうから「動けな〜い!」となる。

そんなことを考えていると、イエスが言った「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった」という言葉の意味が理解できるような気がした。

過去の失敗から賢く学習しても、将来の計画を立てても、その時間軸の自分からストレスを請け負ってしまう。さらに周囲の人たちの気持ちを考えたりしても、脳のネットワークを通じてその人たちのストレスが脳に流し込まれていく。

花は「枯れて醜くなってしまったらどうしよう」なんて未来のことなんか考えない。「他の花に生まれればよかった」なんて過去を振り返って後悔なんかしない。
人の気持ちを考えて「きれいに咲こう!」何て思ったりしない。

「花は、今、この時、この瞬間に咲き誇る」から“この花の一つほど着飾っていなかった”とイエスは言ったのだと考える。

思い悩み、思いを馳せる時に時空を超えてストレスが流されてきてしまい、思うように自由に動けなくなる=美しくない、と考えて見ると興味深い。

映画のタイトルで「今を生きる!」とあったが、脳のネットワーク的に考えて見るとものすごく奥が深くなる。

「過去のことや、未来のことなんか考えないで”今”を生きればいいんです!」なんてことは色んな人が説教っぽく言っていたりするけど、それが出来たらソロモンはいらないよね!と思ってしまう(ソロモンは伝説になるほど賢かったイスラエルの王様)。

催眠のお師匠さんは、空っぽなポケットを左右交互に叩きながら「パン!パン!パン!アホセラピ〜!」と踊っていらっしゃった(無意識さん参照)。
アホになることで過去や未来のことを考えなくなり、「今、この時」の美しいセラピーを実践されていらっしゃった(あの踊りを思い出すと泣けてくる〜!)。

でも、アホになることはものすごく難しい。
ちょっとしたきっかけで、瞬時に過去の不快な体験が頭に浮かんできて、そして将来の不安がババババ〜!と連続して襲ってくる。
いつの間にかホームレスになる時間軸が作り上げられて、そして、孤独で惨めに死んでいく別の時間軸の自分の脳のストレスを請け負ってしまい苦しくなる(う〜苦し〜い〜!そりゃそうだ!)。

そうだ!別時間軸が浮かんできたら未来を変えちゃえばいいんだ!というのが遺伝子のコードを唱えるである。

自分の中にある特徴的な遺伝子のスイッチがONになるから将来おかしなことになっているのだから、唱えてスイッチオフにすると「あれ?不幸な未来が消えたかも?」というのが「未来が変わる」ということになる。

例えば、戦士の遺伝子のスイッチがONになりっぱなしだったら「おりゃ〜!」と人間関係を破壊しまくって仕事を失い、そして孤独になってしまう。そんなスイッチをオフにしちゃえば、将来の自分の運命が違ってくる、と考えて見ると面白い。

過去の自分が未来の私にアクセスしてくる時に「あの時あんな風に虐められた〜!悔し〜!」となって怒りで眠れなくなる。そんな時に「スイッチオフ!」と特徴的な遺伝子のスイッチをオフにすることで、現在の脳にアクセスしている過去の自分の遺伝子のスイッチもオフになるから「あれ?別の時間軸が出来ちゃったかも!」とあの出来事がいつの間にか自分の中から消え去っていく。

アホになって今に生きるのは難しいから、今の自分にアクセスしてくる過去の自分や未来の自分を変えちゃう!

そんなアホな仮説が実は「遺伝子のコードを唱える」には隠されている(あはは〜!)。

「パン!パン!パン!アホセラピ〜!」

もちろん、これは他にあるたくさんの仮説の中の一つであるが、スクリプト的な意味を含めてもとても興味深い。


 

2016/06/14
素晴らしいレビューをありがとうございます!!
これまでの本を全部読んでくださっていて、何だかちょっと恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちでいっぱいです。
多分、本当は心から嬉しいのだと思いますが、こんな体験をしたことがあまりないので、どう表現したらいいのかわかりません。
いつも、まどろっこしい文章の書き方でみなさんを混乱させてしまってすみません。

いつも、みなさんの脳とつながりながら書いています。
その時その時につながってくださっている方々の脳とのライブみたいなものだから同じフレーズが繰り返されたりするんですが、それを出版社の方は私よりも理解してくださってそのまま残してくださっているから面白いです。
まさに、ここで書いているのはみなさんとのライブみたいなものですよね。

どんどん面白い仮説がみなさんから伝わってきます。
身体の不調の原因が脳のネットワークのつながりやすさ、というのはものすごくよくわかります。
それを唱えていただいて楽になった、っていうのはものすごく嬉しいです。

心に聞きながらレビューを書くことにされた、というのは嬉しいです。
心よ!ありがとう!

「脳のネットワークで未来の自分とつながって」ということで今書いていますが、仰る通り、現在の自分が解放されるのは、未来の自分が解放されている時間軸とつながっていくから、と思っています。
そんな仮説をここでは書いていこうと思っています。

無意識に任せる、というのが遺伝子的なメカニズムでちょっとわかってきたかもしれないんです。

これからもみなさんの脳とつながっていくのが楽しみかも。

本当にありがとうございます!

大嶋 信頼お礼
 

2016/06/14

将来、自分が成功している場面を想像する。

大学に入り直して、そして、大学での研究や文章が認められて、人からの称賛を浴びて年収が上がって、そして立派な家を買う。
自分の年収が上がったことを想像して、物件までインターネットで探してしまって「ここに住んだらどうなるのだろう?」と夢を膨らませる。

フッと我に返って見ると、全く気力がない自分がここにいる。
かったるくて、面倒臭くて、何もする気持ちになれない。成功を夢見るのだったらもっと勉強すればいいのに、と自分ではわかっているのに、それが出来ない。本すらまともに読むことができない。

こんなことを考えていたって何も変わらないことも重々わかっているのに、気力が湧かないから何もできない。

そして「他の人のように恵まれた環境で生まれ育っていればもっと状況が変わっていたのに?」と嘆く。
こんな過酷な環境に育っていなければ、自分はもっと成功していたのに、と再び成功している場面の想像の世界へと戻っていく。

普通の人がこんな悩みを聞いたら「口ばっかりで何もやらない弱虫!」と判断してしまう。
頭でっかちでちっとも現実の世界のことをわかっちゃいないし、見ようともしない、と馬鹿にする。

専門家が見ると「自己愛性人格障害の可能性が」とか「妄想がちょっと入っていて現実見当識が低いかも?」となる(=妄想に取り込まれて現実を適切に判断できない状態)。
成功に対するイメージを膨らませているのにも関わらず、行動するエネルギーが欠如していることから「精神的な病かも」という判断になっていく。

私は、この方の話をお聞きしていて、その知能の高さから「もしかしたら、成功することはあり得るのかもしれない」と思ったりする。むしろ、この方の場合、実際に別時間軸で実際に成功を収めて、そして家を購入しているのかもしれない、と考えてみると実に興味深い。

ちょっと話は変わるが、最近、サーフィンを始めてみて自分のアホさ加減にあきれることがある。
沖にスイスイと出て行って、そして、大きな波に気持ち良さそうに乗っているサーファーたちを見て「いいな〜!」とうらやましくなる。なぜか悔しくなって、自分も大きな波に何度も飲まれながら沖に出てみるが、その頃には腕の力が全く無くなり、波が来ても波のスピードに合わせてボードを漕いで波に乗ることができない(ひえ〜!)。せっかく必死の思いで沖まで来たのに、いい波が来ても全て乗ることが出来ずに逃してしまう。そして、一つも波に乗れず、惨めで哀れな気持ちなって、身も心もボロボロになって岸に帰っていく(チ〜ン!)。

要するに、サーフィンを何年もやっている人は、それまでの経験値があるから、力を使わずに沖に出るスキルがあるし、波が来た時に力を使わずにボードの角度を適切に波に合わせて「ひょい!」と乗るタイミングを身体で覚えている。色んな波で何度も何度も経験しているうちに身につけたスキルを短期間で、ということは難しいのはわかっているのだが、何とも悔しいもの。

将来、成功している場面を想像してしまって、その想像からなかなか抜けられなくて、それをした後に妙な惨めさと落ち込みと気力のなさに苛まれるのはこれと同じようなことが起きているのかもしれない、と考えた。
10年後にサーフィンをスイスイ乗りこなしている自分を想像して夢見心地になる(10年も続ける気かい!)。脳のネットワークを通じて未来の自分と脳をつなげることが出来るから、そのイメージは鮮明に画けたりする。そして、実際にボードを漕いだときは、自分の実際の身体はその経験をしていないから、体力が追いついてこない(あ〜れ〜!)。そして、波のスピードに合わせることなんかできやしない(ひーえ〜!)。

成功しているかもしれない自分の姿をイメージする時に実際に成功している自分の脳と同期する。すると、成功したら人から批判や嫉妬に曝されて脳はダメージを受けてしまうことが計算に入っていない。明るいサイドばかりに注目を向けるが、必ず光があれば影があるから、成功を失う恐怖に取り憑かれていたり、人から陥れられる体験から人間不信になっていたり、と様々な成功に伴うストレスがそこには隠されていて、それを知らず知らずのうちに受けてしまうから「ど〜ん!」とダメージを受けて「何もする気にならな〜い!」と無気力状態になってしまう。成功した自分の苦しさや虚しさが現在の自分の惨めさ、虚しさに変化してしまって「自分は嘆いてばかりで何もしないダメ人間だ〜!」となってしまう。

そう考えると全てが私の中で腑に落ちる。
あり得ないことを想像しているわけじゃなくて、ある世界で自分自身は成功しているけど、そこに思いを馳せた時に、成功している自分の脳とつながって、その成功の代償ともいえるストレスを受け負ってしまい苦しくなる。そして、無意識的にそこに行くのを拒絶したくなる。なぜなら成功は表面的には美しいが、その裏にある苦しみや孤独は堪え難いから。

無意識で何も無いブッタの中道の世界の方がよっぽど楽であるから、知らず知らずのうちに「動かない」ということで成功を拒否する選択をして別時間軸を作っているのかもしれない、と考えると興味深い。

(つづく)




 


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