2016/05/30
アマゾンでレビューを書いてくださってありがとうございます。

こうして本を読んでつながってくださる皆さんの知恵を使わせていただいて書いているので、私自身ではないのですが、素直につながってくださってうれしいです。

ちなみに、ブログの中でこれまでの本の内容を読んでいただいても、本になった後から読んで下さっても、読んでくださっている方の脳は内容に影響します。

なぜなら、脳のネットワークは時空を超えるから。
私は、脳のネットワークが存在すると仮説を立てています。でも、今の人間の科学ではその波長を測ることができません。
となると「光よりも早いのでは?」と思うのです。
無線LANは光よりも遅いですが、脳のネットワークのLANはそれよりも早かったら、時間を越えて過去、そして未来へとつながっていきます。

現在思ってくださったことが、過去の文章を書いている私の脳に影響して内容が変わっていく、という仕組みがあるかもしれない、ということです。

読んで共感してくださった時に、文章を書いている私(過去)の脳のネットワークがつながって、私自身が想像もしなかった世界を紡ぎ出していきます。

今、ここで読んで共感してくださる方々の脳のネットワークで、過去の私が変わっていく。
そして、どんどん未来が切り開かれていく、ってものすごく面白い気がしてます。

ですから、これまでの本はみなさんのおかげ。
これからの本も、みなさんの脳と繋がって自由に美しく輝くための道しるべが出来上がっていく予感がしております。
なぜなら、私はそれをずっと求め続けてきたから。

そして、同じ思いを持った方々とつながって、どんどん自由になっていきます。

本当に感謝します!!

本をたくさんの人に手に取っていただいて、脳のネットワークを広げてさらなる可能性を広げたくて「本がたくさんの人に読んでいただけたらセミナーや講演会」とたわけたことを言っていましたが、これだけたくさんの方々が応援してくださるので、その感謝として9月11日の日曜日 9時から「読者感謝祭!!」を開きたいと思っております。

トラウマ治療のこと、催眠療法のことなどをお話ししながら、皆さんとつながって素敵な時間を過ごすことができたら、と思っております。

楽しみにしております。

大嶋 信頼お礼

2016/05/30
波にのまれてばかりで全然サーフボードに乗れないのに満足そうにボードを抱えています(アホでしょ!)。

「人間ってイメージしてください!」と言われているのに、影しか浮かんでこない。
自分の想像力の無さなのか?と思って「自転車」とか「車」をイメージするといくらでもイメージできてしまう。
「○○さん」と誰かを特定すれば3Dで人のイメージできるのだが「人間」となると陰になってしまう。

自分以外の人間が影、だから人と一緒に仲良く話していても”孤独感”が消えない。
「自分はみんなと違っていてどこかおかしい」と思って緊張しちゃうのも、自分以外の人間が陰にしか見えていないから。
「誰も自分のことを覚えていないし、誰からも相手にされない」と思ってしまうのも「みんな影」と頭の中のどこかで思ってしまっているから。

だから、他人に対してちょっとでも「すごい!」と思うと、影が神の存在のように思えてしまう。
「この人はネ申かもしれない〜!」となるのは自分と同じ人間である、という認識ができないから。

でも、ちょっとでもその人がミスをしたり、不快な言動をしたりすれば「得体のしれない黒い存在」に見えるから、恐怖で相手のことをこき下ろしてしまう。

これが「理想化とこき下ろし」の仕組みとなる。

理解ができないものに対しても「得体が知れないもの」となるから、必ず人はこき下ろしたくなる(面白い!)。

0歳の時に母親から愛情を持って抱きしめられたか?否か?というのが、自分以外の人間を自分と同じ人間と認識できるかどうか、に影響する。これは発達心理学者であり精神分析家のエリク・H・エリクソンの心理社会的発達理論からヒントを得た。
エリクソンは0−1歳で心理的な課題が、基本的信頼感 vs 不信 であると提唱している。

学生時代は「え〜?人間に対する信頼感とかは18歳ごろまでに形成するんじゃないの?」と反発してみていた。
でも、臨床の中で実際にクライアントさんの話を聞いていると「エリクソンってやっぱり天才かも〜!」となる。

もっと面白い話がある。

(つづく)


 

2016/05/28
さっきまで書いていた大量の文章が消えてしまいました。

あは!

諸行無常の響きあり。

ち〜ん!

また、書きます!

2016/05/28

朝から夕食の事を考えてしまう。
市場にGO!

今日は、今が旬の生桜エビをゲット!!
桜エビの桜色のピンクががものすごくきれいだった。


 

2016/05/27

「理想化とこき下ろし」の現象は「人間はみんな自分と同じである」という認識が無いから起きる現象である。

最近では、バラエティー番組に出ていた快活な女性タレントさんは「ものすごくいい子!」とか「素敵な子!」と認識されていたのが”理想化”となる。
そして、不倫問題が表面化したら「うそつきの薄汚いとんでもない奴!」と”こき下ろし”が始まってしまう。
あんなに可愛く見えていたのに、急に気持ち悪い存在として目に映るようになってしまうから不思議である。

0歳の頃に母親から愛情を持って抱きしめられていないと、人に対する”安心感”の条件づけがなされなくなってしまう。

”安心感”の条件づけがなされないと、人を見た時に「自分と同じ人間である」という認識ができなくなる。

ここでテストです。

「”人間”の姿のイメージをしてみてください」

「どんな姿が頭に浮かんできましたか?」

トイレのマークのような姿がイメージされたら「アウト〜!」となる。

他にも原始人や日本昔話のアニメのキャラクターだったり「人間」って言っているのに「豚」などが頭に浮かんでしまったりする。

「人間の姿をイメージしてください!」と言って次の瞬間に出てきたイメージで、その人の対人関係の問題が見えてきたりするから興味深い。

トイレのマークのような姿がイメージされた場合は「人は利用するべきもの、そして利用されるもの」という対人関係となる。
汚物を流し、流される、という感じの関係になってしまうパターンがある。「人の都合のいいように利用されちゃう」というのもこのタイプの人となる。

「豚」などの家畜がイメージとして出てきた場合は「通じ合えない存在であるが愛でるべき存在」として他人を認識していたりする。

進撃の巨人の姿だったり、ゾンビが出てきたり、と人によってイメージが違うのは、親から抱きしめられなかったことで、対人関係に関する特徴的な遺伝子のスイッチが入ってしまったから?と仮説を立てている。

ちなみに私は「人間のイメージ」をしてみたときに人の影しかイメージできなくてショックを受けてしまった(あれ〜?)。
幼い頃に、一人で留守番をさせられた時に、黒い影が部屋の中を行ったり来たりしていたのを今でも鮮明に覚えている。

(つづく)

P.S

レビューを書いてくださってありがとうございます。
本を読んで「意識的な人は、その不快感にも気づける」って深いですね。
何だか読んでいてにんまりしてしまいました。

感謝!!お礼

大嶋 信頼

 

2016/05/26

「先生は私のことを馬鹿にしている!」と怒りをぶつけられた(承諾を得て加工して書いております)。
「カウンセリングを受けたって、私の頭の悪いのはちっとも治っていないし、その頭の悪い私のことを先生は馬鹿にしている!」と言われた。

これを言われた瞬間、ショックを受ける。
自分の態度が馬鹿にしているように見られてしまうの?

「先生は、人の話を聞いたって”ハイ共感しました”と義務的にやっているだけ」と言われた。
「人の話なんてちっとも聞いちゃいない!」

そんなことを聞いているとものすごく悲しくなってきてしまう。
「カウンセリングに来て全然共感してもらえないし、何も変わっていないと思うんですね」と聞いてみた。

すると「今年になって本は読めるようになって、漢字も一回見ただけでちゃんと書けるようになったけど、ちっとも変わっていない!」と断言された。

え?知らない漢字を一回見ただけで覚えられるなんて、僕にもできないかも?とちょっとびっくりした。

聞いてみると、それまで漢字があまり読めなくて本を読むことができなかったのが、最近、スラスラと読むことができていた。

「それって、あの失読症の遺伝子を唱えてからですか?」と恐る恐る聞いてみた。

すると「そう」と答えてくださった。

「だって、家にじっとしていて、ストレスをぶつける相手が誰もいないから先生にぶつけるしかないだもん!」と仰ってくださった。

カウンセラーにどんなことを言っても傷つかないし、ダメージも受けないと思っていらっしゃる。
だから、サンドバックのように怒りをぶつけても平気でしょ!と。

「いやいやいや!」
ものすごいダメージを受けて、ものすごい悩んで、夜になると枕を濡らして寝ることが多々ある。
なぜなら、みんなと同じ人間だから。

それを伝えたらびっくりされていた。

0−1歳の間に母親から優しく抱きしめられないと、自分以外の大人が自分と同じ人間である、という認識が持てなくなってしまう。

すると、自分以外の人は、化け物か、人の形をした物体か、神か、という感じに認識するようになってしまう。

カウンセラーは神聖化されて「神だったらなんでもぶつけても大丈夫」となってしまい、そこでカウンセラーが他の人間のように感情を出すと「この人は化け物だ〜!」とまるで悪魔のような扱いを受けて弾圧されてしまう。
一般的に、この症状は「理想化とこき下ろし」という。

「同じ人間」という認識が持てない。
それは0歳の頃に情緒的にネグレクトされてしまったから、同じ人間である、と認識できなくなってしまう。


 

2016/05/25

「人が怖い」と考えたとき、自分は相手の冷たい反応や怒りに怯えていることがわかる。
それが気になってしまって、勉強に集中できない。テスト中もそんなことを考えてしまって注意散漫になって点数が取れなかった。

「人は何で生きるのか」

「人はパンのみで生きるのでは非ず」を「家族や他人の反応だけで生きるのに非ず」と置き換えてみるとわかりやすい。
自分は、人の反応という小さなドットに注目し過ぎてこれまで生きてきたと思っていた。でも、実際は気が付かないうちに、それ以外でも生きていた。

周囲の人の反応がすべてと思っていたが、それがただのホワイトボードのドットにしか過ぎないと思ったら、自分はそれ以外で生きてみたいと思った。

周囲の人の反応だけに気を取られていると、自分が薄汚い醜い存在に見えてきてしまう。

目の前のドット以外の世界に目を向けてみると、そこには無限の世界が広がっている。

無限の世界で自由に美しく羽ばたくためには「目の前のドット以外で生きる」と思ってみたら、目の前のドットがものすごく大切なものに見えてきた。

否定的な人の反応のみで生きるのか?

それ以外で生きる?

トルストイの奥さんはものすごい悪妻だった。
その妻が死の床で「お父さんが死んだのは自分のせい」と発言したら、子供たちは誰も否定しなかった、という興味深いエピソードがある。
妻の否定的な反応はトルストイにとっても貴重なドットだったのかもしれない。
なぜなら、それ以外で生きていたから、あんなに壮大なストーリーが生まれたのだと思う。

「人は何のために生きるのか」

目の前のドットの為に生きるのか。
それともそれ以外?

ドットはそれを思い出させてくれる。

2016/05/24

「人はパンのみで生きるのでは非ず」というのは、有名な本の中に出てくる。
イエスが荒野で40日40夜断食して、空腹になった時に、試みる者がやってきて「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」と言った。

その時にイエスは「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」と書いてある、と答えた。

この試みる者とイエスのやり取りは非常に興味深い。

この話をもとに「人は何で生きるのか」という問いを再度考えてみる。

私がこの話からトルストイのタイトルを見て感じたのは、パンのように人が作ったものだけじゃなくて、それ以外で生きる、ということになる。

「パンを作る人がいないと生きられない」というように「人は人に依存していないと生きられない」ということから「人から失望されて見捨てられてしまったら死んでしまう」という考えになる。

「人が作った物だけじゃなくて、それ以外で生きる」を対人関係に当てはめてみると、目の前にいる人の反応は、単なるホワイトボードに人が書いた黒い小さなドットだったら、その小さなドット以外となるとホワイトボードに広がる白い部分、もしくはそのドット以外の部屋全体、さらには世界から、宇宙まで広がっていく。

無意識さんの本にも書いたが、意識はホワイトボードに書いてある黒いドットで、それ以外が無意識さんである。

目の前の人の反応は、小さな小さなドットで、それ以外のすべてで自分は生きている、と「人は何で生きるのか」というタイトルから気が付いた。

目の前の人の反応以外で生きるって、ちょっと面白い思考なのかもしれない。

でも、そこにはものすごい自由が広がっていた。

無限の自由がそこにある。

「人は何で生きるのか」という言葉は奥深い。

2016/05/23
学生時代に「なんで自分は人が怖いのだろう?」と思っていた。

人から馬鹿にされて惨めな思いをさせられるから人が怖いのか?

大学に行っているときは、英語が喋れなかったから”馬鹿にされる”の最上級の状況だったのかもしれない。

喋っていて、自分が知的障害があるように思えてくる。
思っていることが相手に伝わらないし、聞いている相手の目の光が無くなって興味を失っていくのがわかる。
英語がしゃべれない自分は、馬鹿にされて相手にされない、という状況になっていく。

まさに「人が怖い」の悪夢が現実となった。

毎日、ものすごく惨めで、人としゃべるのが怖くなる。

そんな時に、トルストイの本のタイトルで「人は何で生きるのか」という言葉が浮かんできたことがあった。

多分、あのタイトルは「何の目的で生きるのか?」というよりも、キリスト教のバックグラウンドがあるから「人はパンのみで生きるのではあらず」という言葉が隠されている(そうです、日本人はパンじゃなくてごはんで生きています!じゃないって!)。

この「人は何で生きるのか」という言葉は奥が深かった。

(つづく)
 

2016/05/20

「カウンセリングを楽しめる人」ってどんな特徴があるんですか?と質問された。

フッと頭の中に、荒波をスイスイとサーフボードで乗りこなしてきらきらと輝いている人たちのことが思い浮かんだ。
そんな姿を下から眺めながら「すげ〜!」と尊敬する。
いつかはあんなふうに波を乗りこなしてみたい、と思いながら波に飲み込まれて「ぜ〜!ぜ〜!」と息切れをしている。

去年の海水浴シーズンが終わったころからサーフィンを始めて、いまだに波を乗りこなすことができていない惨めな現実がある。
何度も何度も波にのまれて、ボードの上に立とうとしてもうまく立つことができない。

はたから見ていたら「そんなに何度も挑戦してもダメなんだから向いていないことを認めて止めたら〜!」というかもしれない。
早朝から2時間ぐらい一生懸命に波に乗ろうと必死に腕を動かして、何度挑戦しても波に飲まれて波に乗れない現実が目の前にある。

外から見たら変わったのは肌の色だけ。

誰が見ても肌の色以外の変化はわからないかもしれないが、自分の中ではいろんな部分が変わってきている。

その変化がものすごく面白い。

何もしなくても人は時とともに変化していく。

そして、人は知らず知らずのうちにその変化を楽しんでいる。

そしていつの間にか「すげ〜!」と思っていた人たちの仲間になっていたりする。

あはは〜!

P.S

レビューを書いてくださってありがとうございます!!
意識的な方に向けた本も書いてみたいな、と思うのですが「私の無意識が〜!」

「いつの間にか無意識さんの方へ引っ張っていく〜!」

「おっ師匠さん!なんてことをしてくれたんだ!」
ってお師匠さんのせいにしています。

本当にありがとうございます。

大嶋 信頼


 


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