2017/05/13

人に振り回されちゃっている時って、“発作”が起こっている時。

 

脳が発作を起こしているから「大変だ〜!」とか「なんとかしなくっちゃ〜!」という幻想を目の前に作り出しちゃいます。

 

それは“幻想”だから「ジェニファーは彼氏とアツアツで、困っていなかった!」という哀れな現実に直面します。

 

臨床心理の教授は「精神疾患の特徴を覚えさせるために演じていただけ!」という現実を目の当たりにして「悔しい!」と地団駄を踏みます。

 

「なんで私ばっかり、人に振り回されちゃうんだろう!」と悔しい思いをこれまでたくさんしてきました。

 

なんで普通の人は引っ掛からないのに、自分ばっかり引っ掛かってしまうのだろう。人に振り回されちゃうんだろう?

 

そんなことを考えていると、子供の頃にバッティングセンターに行った時のことを思い出します。

 

周りの人は「パッカーン!」と快音を立ててボールを気持ちよさそうに打っているのに、私のバットはボールが飛んできても空を切ってしまいます。

 

たまに球にバットがかすることがあっても、バットの芯に当てることが全くできません(運動音痴か!)。

 

「なんで当たらないの?」

 

答えは簡単でした。

 

バットをカッコ良く振ることばかり考えていて、全くボールが見えていなかったんです。

 

ボールを見ることだけに集中した時に「かっき〜ん!」と私のバットから快音が響きます。

 

人の話を聞いてしまって、“発作”が誘発されちゃうと、現実というボールが見えなくなってしまうから、バットを振っても当たらない!というように、人に振り回されちゃう、という虚しい結果が待っています。

 

その”発作”を止める方法が「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法に書いてある「浮き輪モード!」だったり、その他に書いてある暗示の言葉だったりするんです(発作を止めるコマンドで〜す!)。

 

唱えて“発作”を止めて見ると、ちゃんと現実というボールが見えてきます。

 

すると空振りすることなく「かっき〜ん!」とヒットが打てます。

 

発作によって幻想を見ちゃってボールから30cmも離れたところでバットを振っていたらいつまでも当たりませんよね。

 

でも、暗示の言葉を使って“発作”を止めて現実のボールが見えたら「あ!簡単に当たった!」となるんです。

 

発作って、連発してしまうと、その状態が脳に定着してしまうような気がしています。

常に発作を起こしていて、いつも“幻想の世界”にいるような感じ。

 

逆に言ってしまえば、その発作を連発して止めていけば、幻想の世界から抜け出して現実の世界で生きられます。

 

発作が無い状態が“凪”の状態で「静か〜!」な状態になります。

 

常に現実が見ているから、無駄な動きが一切なくて疲れません。

そして、考えることなく、目の前にやってくるチャンスを自動的に掴んじゃう。自分でチャンスを掴んじゃう、なんて面倒臭いことをしなくてもチャンスが自ら飛び込んでくる、というような美味しい現実がそこにあります。

 

でも、脳の“発作”を鎮火する、というのに掛かる時間は個人差があります。

 

まあ、常識で考えたら、そんなに脳は簡単には変わるわけないじゃん!ということになるんです。

 

私は難行苦行が好きじゃないから、だったら簡単にその“凪の世界”を手に入れちゃおう!というのが「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法に書いてある“心に聞く”という手法です。

 

“心”に聞けば“発作”の向こうにある“現実の世界”に簡単にアクセスすることができます。

 

もっと簡単に言ってしまえば“心よ!”というキーワードが“発作を解く”という役目をしていて、その発作の裂け目に質問をすることで、発作のない“本来の自分”から答えが聞ける、という仕組みになっているんです。

 

(つづく)

 

 

 

 

 


2017/05/12

なぜ、教授が妄想性障害の演技をしていることにベンは気がついて、私は最後までそれに気がつくことができなかったのか?

 

ここが面白いところなんです!!

 

多分、普通の専門家だったら「観察力の欠如」とか「経験不足(疑うことを知らない)」や「客観性がないから(冷静に話を聞いていないから)」などと判断するんでしょうね〜!

 

まあ、単純に言ってしまえば「修行が足りない!」ということになります。

 

でも、たくさんのカウンセラーとともにこれまで成長してきた私は「いくら素晴らしい教育を受けてもベンのようになれる人はなれるし、あれ〜!って相手の話を真に受けて振り回されちゃう人は振り回されちゃう」って思うのです。

 

だって、それは遺伝子的に人の話を真に受けちゃうからでしょ!と言ってしまえばそれまでなんですけど、もっと面白い仕組みがあるんです。

 

それは“人の話を真に受けちゃう”の遺伝子を持っている私が、なぜ“心”に聞くと、ベンを超えられることができるのか?ということになります(だからベンを基準にするなっちゅうの!)。

 

ポイントは“発作”にあります。

 

ちょっと話は戻って、“英雄妄想”のジェニファーの場面に移ります。

 

ジェニファーは可愛らしいブルネットの髪をした女性で優しい笑顔でいつも話しかけてくれます。

 

「惚れてまうだろ〜!」となるのはフェニルエチルアミンという恋のホルモンが分泌されるから。

 

「恋は盲目!」なんて言ったりします。単純に言ってしまえば、恋のホルモンで脳が麻痺してしまって「判断能力が低下しています!」となっているから「僕がなんとかしてあげなければ〜!」となっているのかも?と思うのですが、それだけだと”英雄妄想”は成立しないような気がしているんです。

 

ちょっと話は飛びますが、薬物依存やアルコール依存になりやすい人って、それを摂取した時に“発作”が起きる体質かどうか?にかかっているような気がしています。

発作って、お酒だと、飲んで気が大きくなって「俺は凄いんじゃ〜!」と変身してしまうタイプの人(まさに英雄妄想か!)。

「私は不幸なんです〜!シクシク」と急に泣き出してしまうのも感情失禁という発作になります。

 

アルコール依存では“万能感(俺はなんでもできるんじゃ〜!)”という状態になりますが、その“万能感”自体が発作なんじゃないかな?と思っているんです。

 

発作のことを検索してみると、発作を持っていた有名人でジャンヌ・ダルクやナポレオン、そしてユリウス・カエサル(「ブルータスお前もか!」の人)がいます。まさに英雄。

 

以前「カリスマの作り方」と書いていましたが、発作を連発しちゃうと英雄になれちゃいます。

 

薬物摂取をしてると“発作”を起こしやすいので「俺は凄いんじゃ〜!」となり、面白い行動をとります(昔のアメリカのミュジシャンなんかは部屋で拳銃をぶっ放したり、ベランダからプールへとピアノを落としたりやっていましたね〜!)。

 

万能ですからなんでもあり!

 

話を元に戻すと、フェニルエチルアミンの薬物摂取状態の私がジェニファーから「ね〜え?」と優しく微笑まれてしまうと「ほ!発作が起きてまうやろ〜!」になり“英雄”になってしまいます。

 

ちなみにフェニルエチルアミン(恋のホルモン)と発作で検索をかけてみると「優しさで発作が起きちゃう!」というGABRG2がトップで引っ掛かります(まさにあの時の俺やろ!)。

 

発作をジェニファーに誘発されて、自分の危険を顧みずに夜中に車を30分も運転していってしまいます(「盗んだバイクで走り出す〜!」のあの方も発作かも!)。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/05/11

大学の臨床心理学の教授が、ある日、悲しげな顔をして教室に入ってきました。

 

「どうやら、心理学の学部長が私の教育方針を理解してくれていないようなんです」とおっしゃった。

 

え?なんのこと?とちょっと普段の調子じゃないのでびっくりしてしまいます。

 

「生徒たちが学部長に私の授業のクレームを言っていたみたいで、それを真に受けた学部長が私を排除しようとしているみたいなんです」とおっしゃった。

 

私は、心の中で「誰だ!そんなことをする奴は!あいつか!」といつも教授に不満げな態度をする奴を睨めつけたい衝動に駆られます。

 

教授は「どうやら教授たちの間でも、私の教育方針の問題が議論されているみたいで、みんなの態度が突然冷たくなったんです」と悲しげにおっしゃった。

 

私は心の中で「なんで本人に直接尋ねないで、本人を外してそんなことを勝手に議論するんだろう?とんでもない奴らだな!」と怒り始めます。

 

「今回は、私が発注していた臨床心理の最新の教科書が学部長によって勝手にこのテキストにすり替えられていたんです」と教授は大きくため息をつきます。

 

私たち生徒は、改めて目の前に置いてある教科書を眺めて「そんなことがあったんだ!」とかわいそうな教授に同情します。

 

そんなエピソードがたくさん教授から語られて「私たち生徒が先生の味方になって、先生を助けてあげなければ!」と先生の意図を理解した気がしました。

 

教授は「最近では、私の庭に嫌がらせでビールの缶が投げ入れられているんです。禁酒が校則のこの学区内ですから、明らかにあの教授が指示をしてやらせているんだと思います」とおっしゃった。

 

私は「誰だ〜!そんなビールを飲んで缶を投げ入れて嫌がらせをする奴は!」と頭の中で思い当たる人物を検索していました。

 

教授のそんな話を聞いていて、私はすっかり悲しい気持ちになって、同時に「この教授のためにしてなんとかあげなければ!」と思っていた時に、能面のような顔をしていた教授の顔から、笑みがこぼれてきます。

 

そして、私の隣に座っていた優等生のベンも先生と一緒に笑い出します。

 

教授は「これが“妄想性障害”の患者さんの特徴です」とおっしゃって「ベン!いつから私が演じていたことに気がついた?」と嬉しそうにおっしゃった(妄想性障害=その文化において共有されない誤った確信のことが”妄想”ですが、「もしかしてあるのかも?」と思えるそんなに違和感がないギリギリの妄想が一ヶ月以上続いてしまい、それ以外の症状がないのが特徴です)。

 

わたしは「え?ベンはそんなに早く気がついていたの?」と悔しくなります。

 

私の「人の話を真に受けちゃう!」のSHANK3の遺伝子があったから、私は教授の顔が緩むまで気がつくことができませんでした(情けない〜!え〜ん!エン!えん!)。

 

でも、遺伝子の問題だから、自分ではどうすることもできなかったんです。

多分、以前は、これを人は「才能がある、無い」という話にしてしまっていたのだと思います。

 

SHANK3の遺伝子の問題が無い優等生のベンは「患者さんの話に振り回されないからカウンセラーとしての才能があり!」となります。

そして、話を真に受けて振り回されまくっちゃう私は「才能なし!」となっていたわけです。

 

才能があるベンは、途中から「また、この教授、俺たちで遊ぼうとしてるぜ!」と心の中で笑っていたんだと思います。

 

その頃、私は「このかわいそうな教授をなんとかしてあげなければ〜!」と真剣に振り回されていたわけです。

 

でも、遺伝子の問題だから、どうしょうもないでしょ!

 

そこで出てくるのが「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法に載せている「心に聞く!」なんです。

 

“心”に聞いてみるとちゃんと“心”は面白いことを教えてくれます。

 

あの優等生のベンがこの“心に聞く”の手法を知ったら悔しがるだろうな〜!

 

ベンよ!あなたはもっと私のように人に振り回されて苦しむ必要があったんです!

 

あはははは〜!(これは誇大妄想の人の特徴です!)

 

“心”に聞くを繰り返していると、見事に人に振り回されなくなり、ベンを超えられるような気がしているのです(だから、ベンて誰やねん!)。


2017/05/10

8歳のお師匠様が「自分が犠牲になっても他人を助けたい!」と言っていたのは、美しいようにも聞こえます。

 

でも、なんか違う!って感じるんです。

 

実際、私が「肥やしになりたい!」と思っていたのは、結局は「誰からも理解されないで、そして虚しくこのまま終わっていくならば」という前提がありました。勉強もできない、そして、努力する気にもなれない。そしたら、このまま将来真っ暗だから、一層のこと人のためになって終わりにしたい、となります。

 

人は「努力すればいいじゃない!」とか「もっと自分を生かすために真剣に取り組めばいいじゃない!」と言うのですが、どこか達観していて「そんなことやっても無駄!」と思ってしまっていて動くことができなかったんです。

 

もしかして、8歳のお師匠様も私と同じような状態に陥っているのでは?

 

自分のために生きる大切さをお師匠様に教えてあげなければ、とアホなことを一瞬考えます。

でも、頭の中でお師匠さんを説得している場面をシミュレーションしてみますが、ことごとく失敗してしまうんです。

頭の中で、いろんな方向から説得をしようとしても、お師匠様を論破することができません。

 

頭の中で考えられるあらゆる説得術を失敗した先に「あ!この自分が犠牲になって他人を助けたい!っていうのは“英雄妄想”なのかも?」というのが閃きます。

 

そこで「師匠!この”自分が犠牲になって他人を助けたい”って“英雄妄想”なんじゃありませんか?」と恐る恐る師匠にお尋ねしてみます。

 

すると8歳のお師匠様は「う〜ん!」と一瞬唸るような感じで“心”に聞いて「確かにそうですね!それは“英雄妄想”ですね!」とおっしゃられたんです。

 

「え?そんなにすんなり納得してしまうの?」と心の中で思ったのだが、同時にこの8歳のお師匠様の偉大さを感じさせられました。

 

「師匠!この“英雄妄想”に対応する遺伝子のコードは何ですか?」と尋ねてみます(おい!おい!カウンセラーのプライドはないのか?!ありましぇ〜ん!こっちは必死ですからプライドもへったくれもありません!)。

 

お師匠さんは「う〜ん!」と一瞬だけ天を仰ぎ見てから「SHANK3ですね!」とおっしゃられた。

 

このSHANK3の遺伝子はスイッチが入っていると「人の話を真に受け過ぎてしまう」という性質を持っている、と私の方では考えています。

 

この「人の話を真に受けちゃう!」というSHANK3で私の中の英雄妄想の概念がガラリと変わってしまいました(また間違っていたかも〜!)。

 

私は、人が英雄妄想に入って、自分が自分を犠牲にしてまで他人を助ける!というストーリー展開をしてしまうのって「何一つ思い通りにならない現実から逃れたいからだ!」と思っていました。

 

ところで、“妄想”で代表的なものって“統合失調症”の症状になります。

統合失調症は、底なし沼に引きずり込まれていくような“恐怖”があるから、その恐怖から逃れるために“妄想”が必要となり「私は神だ〜!」とか「有名人だから付け狙われている〜!」となんてなっているのかな?と考えます。

 

だから“英雄妄想”をやってしまうのは、何一つ自分の思い通りに生きられない現実の辛さから逃れるためにやっている、と考えていました。

 

でも、8歳のお師匠様は「人の言葉を真に受けすぎちゃうから”自分を犠牲にして人を助けたい”になる」と仰います。

 

「あ!そういえば!」と私の大学時代の恥ずかしい話が思い出されました。

 

食堂でいつも一緒に食事をしているジェニファーから「私の彼氏ってものすごい酷い奴だから、あなたに懲らしめて欲しいの!」と涙ぐみながら相談されました。

 

私は「何とかしてあげなければ!」と真剣に考えてしまいます。

 

ジェニファーからは「あいつ空手の黒帯を持っているけどあんたは大丈夫よね!」と言われて、心の中では「そんなの大丈夫なわけないだろ〜!」と思うのですが「自分を犠牲にしてもジェニファーを助けてあげたい!」となっていました(アホだ〜!SHANK3じゃ〜!)。

 

そして決戦の金曜日の夜に、意を決してジェニファーが教えてくれた彼氏の家に車を走らせます。

今考えたら“英雄妄想”の極みじゃ〜!となるのですが、頭の中ではものすごい想像が膨らんでいました。

 

そして、30分の運転ののちに到着してみたら「あれ?ジェニファーと彼氏がイチャイチャしている〜!何じゃこりゃ〜!」となります。

 

そしてジェニファーは私に「あ!もういいの!もう大丈夫だから!」とにこやかな笑顔で。

 

あはは〜!

 

そっか!英雄妄想って人の言葉を真に受けちゃうから起きるんだ!と私の中でパズルのピースがはまります。

 

世の中の仕組みには表と裏があって、表の世界では一見「かわいそう〜!」と見えるのですが、裏では「全然大丈夫でしょ!」となっています。このSHANK3の遺伝子の問題があると、表しか見れなくて「私が何とかしなければ〜!」と表面的なものに振り回されちゃって“英雄妄想”に繋がるんだ!ということが見えてきます。

 

そして師匠のお母様が「私は前回いただいたSHANK3の還元を唱えていたら、ママ友と会話をしていると以前だったら疲れ切ってしまっていたんですけど、まったく疲れなくなったんです!」とおっしゃってくださいました。

 

人の話を聞いていて疲れちゃうのって相手の話を聞いて真に受けちゃうからか!

 

確かに!

 

お母様もすごいな〜!

 

「私も以前はSHANK3のスイッチがバリバリ入りまくっていたな〜!」なんて懐かしく思えるんです。

 

 

 

 


2017/05/09

最近、8歳のお師匠様がカウンセリングにお母様と一緒にいらっしゃると「先生はどんなことで困っていらっしゃるんですか?」と先に聞かれてしまいます。

 

私は正直に「今、万能感の遺伝子が見つからなくて困っています!」と8歳の師匠に打ち明けてしまいます。

 

「万能感って?」

 

「あいつは間違っている〜!」って発作を起こしちゃうやつです!と簡単な説明をするだけで8歳の師匠は「それは困った症状ですね〜!」と言って、すぐに師匠の”心”に聞いてくださって「それはFOXP3が関係していますね〜!」と教えてくださいます。

 

え?FOXP3って食物アレルギーに関連している遺伝子なんですけど?とちょっとびっくり。

 

確かに「自分に合う、合わない」を判断すればするほど、合わない食物が増えてしまう。

 

全てを受け入れるが謙虚な姿勢だったら、合う合わないを判断すればするほど“万能感”なんですね〜!と妙に納得。

 

私も試してみます!!と実験する気満々になります。

 

ところで、師匠が困っていらっしゃることはないんですか?とお尋ねしてみると「特にはありませんね〜!」と言われてしまいます。

 

すると、横でお母様が「〇〇ちゃんは“自分が犠牲になって人を幸せにしたい!”って言ってたよね!」とおっしゃいました。

 

どうやら、師匠は「自分がどんな犠牲になっても人の役に立てればいい!」と思っていらっしゃるらしく「自分の幸せなんてどうでもいいんです!」とおっしゃっていらっしゃった。

 

普通の人が聞いたら「すばらしい方ですね〜!」となったり、あるいは「自分が幸せじゃないのに、人の幸せなんて与えられるわけがないのに!」と反発したりします。

 

これを聞いて私は「その感覚って懐かしいな〜!」と思っていました。

 

私も、お師匠様の歳の頃には同じようなことを思っていました。

 

自分は何の役にも立たないから、せめて飢饉が起きているアフリカの大地で死んで農作物の肥やしとして使われたい、と思っていました。

 

(つづく)


2017/05/08

連休中は、サーフィンだけしかやりませんでした〜!あはは〜!

 

「次の原稿の用意をしなければ!」と思っていたのですが、サーフィンをして「気持ちがいい〜!」と帰ってきたら、すぐに寝てしまって「あれ〜!また、朝になってる!」という繰り返し。

 

朝になって、サーフィンに行かなきゃ!と半分以上、修行の気分。

 

そんなことを続けていたら、今度は「筋肉痛で夜中に起きちゃう!」という状態になってしまいました(何をやっているのかな?もう!)。

 

全身が痛くなって「イタタタ!」と目が覚めて、そして、痛くてしばらく眠れなくて、うとうとして、そして朝になったら「あれ?そんなに痛くないかも?」と思って、また海に繰り出す、ということをやっていました。

 

でも、楽しかったんです。

こんなの久しぶりでした。

 

休みから明けてみたら早速「心って間違えるんですか?」という質問がありました。

 

ストレートな答えですと「間違いは人の言葉によって作られるもの」です(とんちみたいな答えですね)。

 

消えてしまったブログの最後に「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」という有名な言葉を載せてありました。

 

キリスト教の聖書の中では、この世界のもの全てが言(ことば)で作られています。

 

「光あれ!と言ったら、光と闇とが分けられた」というところから初まります。

 

言葉はなんでも作り出すことができちゃうんです。

 

その言葉で“間違い”や“罪”そして“症状”をお創りになるのが“神”なんですね〜!

 

だから人は誰でも、神を演じられちゃうんです(これも謎かけみたいですね)。

 

先日、ものすごいことを体験しました。

 

学校で嫌な目にあって、学校に行けなくなった、という方がお母様といらっしゃいました。

 

その嫌な目にあった心の傷を治療して「嫌なことは思い出さなくなりました!」と仰っていただいたのに、その方は私の目や顔を見て話をしてくださいません(そんなに私はひどい顔なの〜!)。

 

私がそこに注目を向けたらお母様は嬉しそうでした。

「そうなんです!この子には対人恐怖の症状があるんです!」と言いたげな表情。

 

普通の専門家だったら「人が怖いんですね?」と質問しちゃうでしょうね〜!

そんな質問をしたら「この人はわかってない!」とその方は判断しちゃって「はい」と答えてそこから症状が変わらなくなってしまいます。

 

そこで”心”を通してその方に質問をします。

 

「どうして人の目を見るのを避けるのですか?」と(“怖いんですか?”では治療者側の勝手な決めつけになっちゃうから)。

 

すると、その方は「自分が相手の目を見て相手から嫌われてしまうのが不安だから」とおっしゃいます。

 

ここで治療者の「人が怖いから人の目を見ることができない」という仮説が一気に打ち崩されます(ガラガラガラ〜!)。

 

「自分が相手を見て相手から嫌われちゃう」というのは”自己視線恐怖症”という症状になります。

 

でも、”自己視線恐怖症”というのも治療者の勝手な決めつけになりがちなので、さらに“心”に聞きながら、遺伝子のコードを使って「その“嫌われてしまう”って何?」というのを探っていきます。

 

遺伝子のコードで「人の目を見ると発作を起こして頭が真っ白になって固まっちゃう!」というCASKというのがあります。

 

それを唱えていただいたら、確かに私の目を見ることができるようになったのですが、今度は目を見たまま、視線を逸らすことができなくなってしまいました。

 

私は、この時、私の頭の中で「ビビビ!」の発作が起きるのを感じて、学生の頃に「お前!ガン飛ばしてんじゃねえぞ!」と不良連中に絡まれた場面のことが思い出されました。

 

不良連中って、発作の持病持ちで、相手の目を見ちゃうと発作を起こして「おりゃ〜!」ってキレてしまいます。本人たちは、発作を起こして怒るので、怒った場面の記憶が発作によってスッポリ抜けちゃうから「キレてなーい!」となります(これが面白い!)。

 

一見、自信がなさそうにビクビクしているような子に見えるのですが、その眼力はすごかったんです。

 

確かに、この眼力で相手のことを見ちゃったら「喧嘩売ってんのか〜!」となっちゃってトラブルになるから見られなかったのね!ということがやっとここで理解できるんです。

 

不良少年と同じような脳内の発作の遺伝子コードを唱えてもらったら「あれ?目を見ても大丈夫になった!」となるから面白いんです。

 

私の目を見てもらっても、凝視することがなくちゃんと視線を合わせて、そして逸らして、また合わせてということが自然とできるようになり、視線が合っても私の脳内で発作が起きなくなります。

 

もし、初めに「この子は対人恐怖があるんだ!」と決めつけてしまったら“対人恐怖症”という症状を勝手に私が創ってしまうことになります。

 

“自己視線恐怖症”という言葉にしても同じです。

 

「わからない!」が一番面白くて、自分が言を使って神を演じなければ「全て時にかなって“美しい”」ということがクリアに見えてくるんです(“美しい”は有名な本の伝道者の書3章11節からです)。

 

“心に聞く”をやって見ると、他の人とはちょっと違った美しい世界が見えるんです。

 

それがものすごく楽しい。

 

やめられない!止まらない!

 

あはは〜!

 

 

 

 

 

 

 


2017/04/28

藤の花が綺麗に咲いていました。

花の香りを嗅ごうと思ったのですが、満開じゃないからか、まだ香りがなくて残念。

代わりに、ハゴロモジャスミンの香りを満喫してきました。

 

ある方が「人の感じていることが感じられないんです!」とおっしゃっていました。

 

多分、人の苦しみ、怒り、憎しみなどを身体で感じ取る“共感能力”が欲しい、とおっしゃっていたのだと思います。

 

カウンセリング中に、クライアントさんの話を聞いていて「ドス!」とボクサーからお腹にパンチを思いっきり食らわされたように痛みが走って「苦しい〜!」となります。

その痛みを感じながら話を聞いていくと、やっぱりものすごい心の傷が。

 

ある時は、お話を聞いていたら、頭をバットで殴られたように「が〜ん!」と突然痛くなります。

それも話を聞いていくと、親から暴力を受けていた記憶が出てきます(ヒエ〜!)。

 

痛みを感じるから「本当にすごい心の傷だな!」と身体で感じることができます。

 

でも、面接が終わるとフラフラ。

寮生活をしていた時に「ホールボクシング!」と廊下で素手で友達と殴り合ってテストのストレスを発散していた時のことを思い出します。殴り合っている時はいいのですが、終わった時はボロボロになって「いや〜!」となるんです。

 

私からすると、この身体に伝わってくる相手からの感情は「苦しい〜!」でしかないので「そんなのがなくて淡々とお話を聞きたい!」って思ったりするんです。

 

だから「人から不快な感覚が伝わってこない方が羨ましい」と思ってしまうんです。

 

そこで、その方の“心”に聞いてもらって「そんなの必要がない!」と“心”に諭してもらおう!と思ったんです。

 

ところが“心”は、共に感じる喜びがあるから、それは必要、と言ったんです(モ〜!)。

 

「うそ〜!ほんとに〜?」

 

私にとってはこの“共感能力”って呪いでしかない、と思っていたのですが、心は、その苦しみの向こうにある共に感じる喜びよ!とおっしゃっていたんです。

 

確かに、共に苦しみを感じていく時に、自分の苦しみが相手に伝わって、その苦しみが相手から返ってきた時に、苦しみによって苦しみが打ち消されていきます。

 

そして、やがてそれが凪になって“無”になった時に不思議な喜びを感じられるんです。

 

確かに、私はこうして皆さんと繋がって苦しみを感じながら、

やがてそれが皆さんとの繋がりのなかで苦しみが打ち消されていく時にどんどん自由になってきたんです。

 

苦しみばかりが頭に残っていて、その向こう側にある”自由の喜び”に注目を向けられなくなっていた私。

 

確かに、共に感じる喜び!ってあるんですね“心よ!”

 

私はみなさんと一緒にどんどん自由になってきたんです。

 

知らず知らずのうちに。

 


2017/04/27

5月27、28日開催 FAP上級フォローアップへご参加いただく方へ懇親会のお知らせです。
セミナー1日目終了後に、希望者がある程度の人数集まるようでしたら、懇親会を行ないます。
なお、会費5,000円(予定、相談中・・)は、

当日開催場所にて集めさせていただきます。

参加ご希望の方は弊社までご連絡下さい。人数制限がございますのでお早めに!

TEL:  03-3433-2721

メール: support@insight-counseling.comル: 

 申込期日: 5月17日(水)18時

 

FAP上級懇親会

日時:5月27日(土)19:40〜21:40

会場: 個室 肉バルVS 魚バル

港区新橋1-15-5-10F   TEL 050-3469-2214

セミナー会場から歩いてすぐ!

 

リラックスした雰囲気の中でワイングラスビール、FAPに関する感想や質問などお互いにシェアし合い、楽しみましょう!

 

 

 

 

 

 

 


2017/04/27

ある方が「“心”に聞きながらやっていたら、旦那に巻き込まれなくなって、生活が安定したはずなのに、なんか鬱っぽくて外に出たくないんですよね!」とおっしゃっていた。

 

ゴールデンウィークに入る頃は、人が楽しそうにしているから“嫉妬”で発作のスイッチが入って鬱気分になるのかな?とも考えます。

 

もしかしたら、旦那との関係の緊張状態が収まったので、緊張が緩んだ反動でうつ状態になってしまったのかな?(PTSDの原理で、戦場から帰ってきて平和になったら症状がでてうつ状態になる)。

 

春になって脳内のウィルスが活性化されて、発作が起きやすくなります。それが原因しているのかな?などなど、他にもたくさんの仮説を立ててお話を聞いていきます。

 

普通のカウンセリングだったら“嫉妬で発作”を選択する場合「楽しそうな家族を見て、どんなことを感じますか?」と質問をします。そして「自分の家族はこんなに大変なのに、それと楽しそうな家族を比べてしまったら苦しくなる」とお答えになります。カウンセラーは「なぜ苦しくなるんですか?」と質問をして「自分が一生懸命に温かい家族を作ろうと思ったのにそれができなかったから悔しいんです」という答えを引き出します。

 

「一生懸命に努力したことを誰も認めてくれないことが悔しいんですか?」と質問をすると「そうなんです、こんなに家族のために努力してきたのに誰もそれに応えてくれないことが悔しいんです」とお話になります。

これを語った後に、ご本人の中で「え?待てよ!」となります。「私の努力に応えてくれない家族に怒っているんじゃなくて、家族のためと称して自分の貴重な時間を無駄にしている自分に怒っているんだ!」ということ気がつきます。

 

そして「自分は自分のために時間を使っていいんだ〜!」と思えたら悔しさや鬱から解放される、なんて展開がその先にあります。

 

これが一般的なカウンセリング。

 

旦那さんとの緊張状態から解放されたからうつ状態になった、という内容でも同じような展開が普通のカウンセリングだったら可能です。

 

カウンセラーとしては、それをものすごくしたい気持ちもあるのですが、“心”だったらどんな展開を繰り広げてくれるんだろう?と思ってクライアントさんの“心”に「心よ!私は本当にうつ状態なの?」と聞いてもらいます。

 

“心”は無情にも「そうだよ!」と応えてくれます。

 

思い切って「“心”よ!このうつ状態の原因は何?」と改めて聞いてみると「血糖値の問題だから!」と心から答えが返ってきて思わず「げ!」と叫んでしまいました。

 

しまった〜!そうだ〜!血糖値の問題があったんだ〜!

以前から、血糖値の問題があったのは分かっていたのですが、今回のうつ状態とは全く結びつけておらず「あんた、専門家失格やろ!」という感じになってしまいます(ひえ〜!お許しを〜!)。

 

「心よ!なんでもっと早く教えてくれないの?」と聞いてもらうと「あなたが、嫌なものをちゃんと“嫌!”と感じる必要があったから」と教えてくれます。

 

そうなんです!この方は鬱状態になっている時に、これまでお客様と思ってサービスしすぎていたのを「関わるのが嫌!」とちゃんと不快な気分にさせるお客さんを他のスタッフに任せることができて、手放すことができるようになっていたんです!

 

心ってすげ〜!

 

“心”に聞いていくと、今、ベストタイミングで、ちゃんと血糖値をコントロールする術を教えてくれます。

それがまた、無理がなくて完璧なんです!ますます「専門家は失格じゃ〜!」と烙印を押された気分になります(まあ!ちょっと爽やかな感じなんですけどね!)。

 

そうなんです。

この方の「うつ状態だ〜!」というのは低血糖で脳が“発作”を起こしている状態。

でも、“心”よ!と質問にタグをつけた時に、発作の向こうにいる本来の自分の思考とアクセスできるから、本来の自分の声を聞くことができるんです。

 

その本来の自分の答え(心)は完璧なんです。

 

知らず知らずのうちに、人から振り回される人生から解放してくれていたんです。

うつ症状まで使って。

 

「いつも誰かに振り回される」って本当に面白いんです。

 

 

 


2017/04/26

ゆっくりお休みをいただいてしまいました〜!

 

いや〜!3ヶ月間で同時に4冊の本の原稿を書いちゃおう!なんてアホなことをやっていたから、ちょっと休憩。

 

この3ヵ月は朝の9時か10時から仕事がスタートして、やはり21時か22時終わりで、そこから食事をして寝て、4時半に起きてちょっと運動をして4冊分の原稿を書いて、という生活をずっと続けていました。

 

フランスの作家のデュマが書いた「三銃士」が大好きなのですが、その冒頭では若き銃士のダルタニアンが田舎から上京した当日に3人の凄腕の銃士とぶつかったりして「決闘だ!」次から次へと決闘の約束をしちゃって「こいつ、大丈夫かよ!」というところから話が展開していきます。

 

原稿の依頼があった時は、私の気持ちはダルタニア〜ン(ってアホか!)。

「こいつ、大丈夫かよ!」というところから始まっていました。

でも、結果的に、すべての原稿を書き終えて、ほっと一息(ちょっと締め切りが伸びてしまい出版社の方にはご迷惑をおかけいたしましたm(_ _)m)。

 

「そんな4冊同時に進行して混乱しないの?」と聞かれたのですが、私の中では「学生時代には、全く別の科目を3ヶ月で18単位とか取っていたわけだから大丈夫でしょ!」と思っていました。

 

実際には、もっと面白いことが展開していきました。

4冊同時だったからわかったこと。

 

私は、“心”に聞きながら本を書いていきます。

心に聞きながら書くったって自動書記が起こるわけじゃありませんぜ!(自動書記って、自分の意思とは関係なくてがスラスラと文章を書いてしまう〜!というやつです。実際にそれが起こっているところを目撃したこともあります)。

 

青山ライフの社長だけは「あなたの苦しみはあなたのものではない」のタイトルでこれまでのまとめを書いてください!との依頼だけで、打ち合わせも一切ありませんした(どんだけ〜!むちゃぶり〜!)。

 

他の出版社の方は、だいたい書いて欲しい内容を章立てにしてあって、それぞれのタイトルが構成案として決まっています。

例えば”怒り”が本のテーマだったら、1章で「あなたはなぜ怒る!」というのが決まっていて、そしてさらに「怒りの根本的な原因とは」と書いてあって、それに合わせて文章を書いていきます。

 

“心”に聞きながら、その与えてくださったテーマに沿って書いていくと、多分、その編集者の方の脳とつながっているので、それぞれの本の文体が全く違ってしまいます。そして、本の展開もそれぞれが全く違っていて「お〜!この編集者の人ってすげ〜!」という具合になります。これまでの心理学の常識を打ち砕くような展開があったりして「へ〜!こんな仕組みになっているんだ〜!」とまるで他人事のように感心します。

 

最後の方になると編集者さんの意図が手に取るようにわかって「やっぱり優秀な人の脳っていいな〜!」なんて感心します。

 

まあ、このブログで書く時は、読んでくださる皆さんの脳とつながって書いていくので「皆さんの脳ってすげ〜!」という展開になるんです。

本の場合は、もちろんつながってくださる皆さんの助けも借りているのですが、メインはやはり編集者の人なんだ〜!というのがはっきりわかります。

 

ちょいワルっぽい編集者の方の原稿だと、その方とは2回しかお会いしていないし、メールのやり取りも殆どないのに、ちょいワル的なテイストになってしまいます。

 

めちゃくちゃ真面目な編集者の方の原稿だと「お〜!内容が重い〜!」となって超ヘビー級の原稿が出来上がってしまいました(でも、最後の展開はすごかったです)。

 

これを考えてみると「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法はすごいんだな〜!と思うんです。

 

あの本を書いた時に林副編集長から「心に聞く!」を書きましょう!とおっしゃっていただいて「一般の人にもわかるのかな?」なんてことを思っていました。

 

でも、こうして原稿を書くために自分で“心に聞く”を毎朝乱用してみて「あ!心に聞くって本当にただの自答自問なんだ!」ということがわかります。

 

ただの自答自問なんだけど「心よ!」とタグをつけるだけで悪い自己暗示から解放された”本来の自分”に戻って自答自問するから「すごい!」ということがスラスラと出てきちゃうんです。

 

普段、自分の頭で考えている時は、悪い催眠に掛かっている状態だから「そんなの書けっこないよ!」とか「あんたの文章なんて気持ち悪くて読めないよ!」なんていうのが浮かんできちゃって「書けない〜!」となってしまうです。

この悪い催眠状態というのが、普段の私の思考。

 

“心よ!”と自答自問の冒頭につけることで、悪い催眠から解き放たれて、本来の自分の姿に戻ります。すると、本来の自分には限界がなくて、編集者の方の脳と自由につながって「知識を拝借しちゃお!」とスラスラと書けちゃうだけ。

 

“心よ!”と問いかけて神の声が頭に響いてくる、と思っている方がいらっしゃいます。

 

まあ、それもあながち間違いじゃないのよね!

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち神の形に創造し、男と女とに創造された」とあの有名な本に書いてあるから、自分から浮かんでくる思考は「神〜!」なのかもですね。

 

「心よ!」と問いかけて「なんにも聞こえませんけど!」というのもちょっと興味深いです。

「私には思考がありませんけど!」と言っているのと同じなんですよね。

 

でも「自分の思考がわからない!」と状態こそが”悪い暗示”に入っている状態だったりするから、きちんとそこのところをケアしなければならないんです。人によって入っている暗示が全然違うんです。

 

この”悪い暗示”こそが脳の発作だったりします(脳の発作とは、脳血流が過多になっていて筋肉で言うところの痙攣や麻痺を起こしている状態)。脳が痙攣を起こしていたら「悪い思考が止まらないぜ〜!ピク!ピク!」なんて具合で。脳が発作で麻痺したら「何も浮かばないし、意欲がない!」なんてことになったりします。

 

その発作で悪い暗示に入っている状態こそが「人に振り回されちゃう」という現象になります。

人に振り回されちゃうとどんどんと発作が連発して悪い暗示から抜けられなくなっちゃいます。

 

悪い催眠術師が催眠をかけちゃうと「あなたは人に対して攻撃的になる〜!」とか「仕事にやりがいを感じられなくなり、続けられなくなる〜!」なんて暗示から「もう、私はここにはいられない!」なんっていう錯覚に陥ってしまいます(悪い催眠術師はあくまでも振り回す人の比喩です)。

 

「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法には、その“悪〜い暗示”を打ち消すカウンター暗示がたくさん散りばめてあります(何気なく!シンプルに)。

 

その代表で、最も強力なのが“心よ!”と質問の冒頭につけて自答自問するというものです。

 

あの本こそ”オッカムの剃刀”(シンプルなものに真実がある)なんですよね。

 

今になって、私もやっとあの本と意図が理解できるようになってきました。

やっぱり編集者の方ってすごかったのよね、あの本の。

 

実際に、自分があれを使ってみて4冊も同時に書けちゃったから面白いです。

 

”悪い暗示”から解放されるって素敵です。

4ヶ月間それを繰り返していたから、なんだかすごくさっぱりした気持ちなんです。

 

そして、応援してくださっている皆さんに感謝!!です!!

 

本当にいつもありがとう!

 

P.S

たくさんの励ましのお手紙を書いてくださってありがとう!!

読んでいて思わず泣いてしまいました。

一人じゃないって改めて実感。

一人じゃないって素敵ですね!!

 

いつも皆さんとつながっている喜びよ。

 

 

 

 

 

 

 



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