2017/01/25

親の万能感に憑依されると自由に生きられなくなってしまいます。

 

例えば「この子を何とかしてあげなければ!」とダメダメな子供を心配している状態は、自分の親の万能感に憑依されている状態だったりします。

 

ここで普通「だって、親なんだから心配するのは当たり前!」っていう思考が浮かんできます。

「子供のことを心配しない親なんかいない」という常識からその考えになります。

 

でも、親が心配すればするほど、子供は勉強をしなくなります(ひえ〜!)。

なぜなら、親の万能感に憑依されてしまって、心のどこかで「俺は凄い人間なんだ〜!」というのがあるから勉強なんてする必要が無くなってしまうんです。

 

親が「この子がちゃんと働けて社会に適応できるようにしなければ!」と思えば子供は働かなくなります。

なぜなら、親の万能感に憑依されて「俺のすごさは一般人には理解できないから普通の職場では働けない!すごい仕事じゃなきゃできない!」ってなってしまうから。

 

実際にアルバイトを始めてもちょっと注意されただけで「この俺様に注意するなんて!」って万能感から人格を全部否定された気持ちになって「辞めてやる!」となってしまいます。

一般の人は「メンタルが弱い」と判断しますが、弱いんじゃなくて、相手の間違っていることを受け流すことができないから。

注意されたことなどをグルグル考えて眠れなくなってしまいます。そして注意した相手に「お前のせいで眠れなくなった!」と怒りを爆発させてしまって関係性を壊してしまうんです。

その元にあるのは「こんな完璧な自分に間違っているお前が注意するなんて!」という万能感です。

弱いんじゃなくて”凄すぎる”んです。

 

子供のことを心配して何とかしてあげなければ、と思えば思うほど、子供は万能感に憑依されて一般人とかかわるのが難しくなるのですが、心配してる親も、その親の万能感に憑依されているから、それを自分で止めることができないんです。

 

こんな時に「だったら万能感を捨てればすべてうまくいくんですか?」と質問をされることがあります。

 

それが自分でできたらいいですね〜!

 

失敗して、人は一時、弱気になり「私はもう駄目なんです〜!」って万能感を捨て去って謙虚になったように見える時があります。

 

失敗して「何もかも捨ててやる〜!」ってなっているときは、まだ万能感バリバリなんですけどね。

 

万能感を捨て去っても、必ずまた「俺は何でもできるんだ〜!」っていう時期が波のように襲ってくるんです。

 

だから、一時は捨て去ることができるんですけど、時がたてばまた飲み込まれていく、という体験を何度もして涙を流していました(エ〜ン!エン!エン!)。

 

この万能感が脳のネットワークで伝わってくるんだ!と認識を変えて、そして、自分が頭で確信したことでも「もしかしたら!」って疑って”心”に聞くようになると、万能感に飲み込まれなくなるんです。

 

流されてくる万能感に飲み込まれなくなると、目の前にあんなに混沌とした世界が広がっていたのが一変して、凪の世界が広がっていくんです。

 

 


2017/01/23

優しかったアルコール依存症のおじさんたちが「万能感」の一言で豹変してしまいます。

 

まるで憑依されたように怒ることから「もしかして、脳のネットワークで邪魔が入ってしまうのかも?」って考えるんです。

 

単純に考えて、“見捨てられ不安”を感じて「母親を自分の中に取り込みたい」という欲求から酒を飲む、ということは「脳のネットワークで母親としっかり繋がっちゃう!」ってことが考えられます。

 

母親を取り込んで眠って、酔いから醒めて「俺は何だってできるんだ〜!」という万能感こそ、ご本人の感覚じゃなくて、脳のネットワークを通じて母親とつながってしまっている状態。つまり母親に憑依されてしまっている状態になっている可能性があるんです。

 

人が憑依された状態に出逢ったのは中学生の時でした(まあ、自分が憑依された状態は分かりにくいですから他人ので)。

中学生の時に優等生の友達の家に行って、友達のお母さんが「○○ちゃんハンカチをちゃんと持ったの?」と心配そうな声で尋ねたら、普段はおとなしくて優しい友達が「うるせい!く○ば○あ!」と母親のことを怒鳴りつけたんです(ショック!)。

 

「自分の母親のことをそんな呼び方をするなんて!」というのと、あんなに普段は大人しいのに、そんな怖い形相で母親に怒鳴りつけるなんて、とショックを受けた覚えがあります。

 

カウンセリングの仕事をやるようになって、中学時代の疑問が解消されます。

 

成人したのに母親が子供のことを心配して世話をしてしまうと、子供は「俺は何でもできるんだ〜!」と万能感を持ってしまいます。万能感を持っているから「完璧にやらなければ!」、「人よりも物凄く優れていなければ!」となってしまいます。

すると、”完璧”なんてありえないので何かやる前から諦めてしまいます。

 

そして、何かをやって人よりも優れていないのが露呈するのが怖くて、何にも挑戦することができなくなるんです。

 

口ばかり達者で偉そうなことを言っている子供を心配して母親は「私がこの子を何とかしてあげなければ」と思ってしまいます。

まさに「私が何とかしてあげなければ」という思いこそが”万能感”になります(キリスト教的な考えでは人を救うことができるのは神のみとなっているから「自分が子供を救う」と考えていることで神を演じていることになるとここでは考えます)。

その母親の万能感の感覚に憑依されて子供が「俺は何でもできるんだ〜!」となっている、って考えたらとっても興味深いんです。

 

駄目な子供であればあるほど、親は「私が何とかしなければ」という思考になります。

言い換えれば「私が救ってあげなければ」という”神的思考”になり、その心配を受けた子供の脳が親と繋がりその万能感から失敗を繰り返し親から心配されて、親と脳のネットワークで繋がり続ける、という素晴らしい循環になってしまいます。

 

親の脳につながって万能感でいっぱいになっている子供は、完璧でない他人への批判が止まりません。

「どうしてあいつは間違ったことを言っているんだ!」、「どうしてあいつは礼儀がなっていないんだ!」、「どうしてあいつは下手な文章を書いているんだ!」など次から次へと湧いてきて、相手のちょっとした間違いも受け流せなくなってしまうのも万能感から、ということになります。

 

自分が神のような存在で間違っている人を正さなければ!という感覚に陥ってしまいます。

でも、それが親の万能感に憑依されてそのような状態になっていることは気が付かないんです。

 

「自分は正しい!」と確信してしまうんです。

 

それが親からの万能感であることに気付けなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/01/22

アルコール依存症の治療をやっていた時はこの”万能感”がとっても大切なキーワードとなっていました。

 

お酒を飲みたくなる時って、ちょっとしたきっかけで、人から「見捨てられたかも?」って不安になった時です(アルコール依存症の方の特徴として)。

 

そして、お酒を飲んだ時に、お母さんをお腹の中に取り入れたような温かい感覚になって、まるで“見捨てられ不安”が解消されたかのように安らかに眠ることができます。

 

酒を飲んで起きたら「俺には見捨てられ不安なんかない!」って認めません。

そして「俺は何でもできるんだ〜!」って“万能感”が湧いてきて「やってやるぞ〜!」って、万能感のまま突っ走ってしまいます。

 

すると、万能感で失敗して、周囲から冷たい目で見られているような感覚になり「見捨てられる不安」が再び襲ってきて、そして酒を飲んで母親を取り入れたような陶酔感で眠る、ということを繰り返してしまいます。

 

だからアルコールの治療で”万能感”が出てきたら要注意なので、アルコール依存症さんが集まってお話をするミーティングでは「今日のテーマは万能感です」ってそれぞれの万能感について語ってもらうことがあったんです。

 

でも、万能感をお話のテーマにすると、途端に和やかだったミーティングの空気が一転してピリッとしてしまいます。

 

そして、参加者の方は「なんでそんな話をしなきゃならないだ!」と怒り出します(ヒエ〜!)。

 

あんなに穏やかだったおじさんたちが「万能感」の一言で般若のような顔になって「おりゃ〜!」って怒り出すから興味深いんです。

 

もちろん、いろいろ仮説は立てられます。

 

”万能感”なんて難しいテーマにしたから、何を話していいのかわからなくて怒ってしまった、ということも考えられます。

 

万能感は「自分は何でもできる!」って感覚ですけど、一般的にはあまり使わない言葉だから「わけがわからない!」って怒っているのかも?ってなります。

 

そこで「万能感のことをちゃんとミーティングの時に説明してからやればいいんだ!」となります。

 

「万能感とは、自分が何でもできるんだ、そんなのわかっている!そんなこと知ってる!という感覚なんです。それがきっかけでお酒を飲んでしまうからここで万能感のことを語るんです」って説明してから始めてみました。

 

そしたらますます「おりゃ〜!」っておじさんたちが怒り始めます(ぎゃ〜!)。

 

「そんなことわかっていりゃ!(チャキチャキの江戸っ子弁!だけど”はい!万能感いっちょ入りました〜!)」。

 

あんなに温和なアルコールのクライアントさんが「こんなテーマを俺たちに話させるな!」ってまるで何かに憑依されたように怒ったんです。

 

万能感でなぜ荒れてしまうのか?というのがものすごく興味深かったです。


2017/01/21

新刊JPにまた新たな記事が載りました〜!

「心理カウンセラーが教える 中間管理職の「板挟みストレス」改善法」

中間管理職向け解説として、ものすごくよくまとめてくださっています。

ありがとうございます!

 

新刊JP https://www.sinkan.jp/news/7485?ref=recent_embed


2017/01/21

普通の人に、この”心に聞く”とか、今感じている不快感は他の人から伝わってきている感かも知れませんよ!なんて記事を読ませると「そんなの知ってるよ!」と言います。

 

「自分の心に聞けばいいんでしょ!」そんなの直感で動くみたいなものだから「いつもやっているし!」ってなるんです。

 

そんな当たり前のことを何をたいそうなことのように書いているのか?ってね。

 

「人に影響されるのだってあたりまえじゃない!」自分一人で生きているわけじゃないんだから、常に人に影響されているし、ってなっちゃいます。

 

この「そんなの知っている!」とか「そんなのわかっている!」っていう思考がとっても興味深いんです。

 

”万能感”というのは「自分がなんでもできる」という感覚を意味する言葉になります。

 

この万能感が働いている時こそ、人からの影響を受けている時であって本来の自分自身とはかけ離れた存在になってしまっています。

 

万能感が働いていると「そんな面倒臭いこと知りたくもない!」と思ってしまいます。

 

「自分が他人の影響を受けているなんて面倒臭いこと知りたくない」とちょっとでも思ったら「お!来たな!」ってなります。

 

そこで「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」って聞いてもらいます(このときはこれを聞くことすら億劫になってしまうから興味深いんです)。

 

もし「・・・」と答えが返ってこなくても「ほら〜!やっぱり心なんてないんだ〜!」って言わずに「心よ!誰が邪魔しているの?」って聞いて、次の瞬間に浮かんできた人を捕まえて「母親からの邪魔を排除してください!」って心にお願いします。

 

そしてもう一度「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」って確認して、浮かんできた人を「心よ!祖父からの邪魔を排除してください」って繰り返します。

 

心に聞いて「もう邪魔はないよ!」と教えてくれたら「あれ?さっきまでの万能感が無い!」ってなるから面白いんです。

 

私は、子供の頃に親からも先生からも「心の目で見なさい!」って言われていました。

 

何なんだ?それ?ってずっと思っていたんです。

 

でも、この「わかっている!」と”万能感”をもってしまって心の目を閉ざしてしまう自分自身の体験から、初めて「あ!こういうことだったんだ!」って腑に落ちたんです(30年もかかってしまいました)。

 

脳のネットワークを通じて邪魔があると”心の目”で見られない。

 

でも、簡単に心の目で見ることができるようになります。

 

心の目で見てみるとものすごく面白い世界が目の前に広がっています。

 

何だか心の邪魔を排除してもらうのが楽しくなってきた〜!

 

 

 

 

 


2017/01/20

普段の生活でちょっとしたきっかけで次から次へと不安なことが頭に浮かんで来たり、頭が怒りでいっぱいになってしまう場合は「他の人から飛んできている感覚かも〜!」となります。

 

一つの感情を整理するためには、その感情の元になっている状況記憶が必要になります。

 

例えば「悲しい!」だったら、「昨日割ってしまったお皿」で感情と記憶が一致すれば「悲しかったよね、さよなら!お皿さん!」となります。

 

でも「悲しい!」に対して「過去の失恋体験」を持ってきてしまうと、本当はお皿を割ったことが悲しいのに、失恋体験をはめようとしてしまうから合いません。すると「過去の仕事の失敗」とか「人から否定されたこと」とか「両親から拒絶された体験」なんかをひっぱり出してきて「悲しい!」とマッチさせようとします。

 

元は「お皿を割ってしまった!」ということなので、それに「悲しい」をマッチさせなければ記憶として整理されないので、「悲しい!」という感覚がいつまでも消えず、「あれ〜!」って”悲しい”にまつわる記憶をぐるぐる引き出してはさらに不快になる、を繰り返してしまうんです。

 

トラウマになるとこの現象が顕著になります。

なぜなら「怖い!」の元の記憶が抜けちゃうのがトラウマですから。

だから「怖い!」を何とか消そうとして、トラウマの人はトラウマと同じような体験を繰り返して「怖い!」を消そうとします。

両親から育児放棄されて「ぎゃ〜!」っていう恐怖を体験して、その幼少期の記憶が無くなってしまった場合、「ぎゃ〜!」を消すために「人から拒絶されるようなこと」をして両親からの育児放棄の場面を再上演(もう一度同じ体験をすること)を繰り返してしまいます。人と親密になりそうになったら、関係を壊してしまうタイプの方、がそれだったりします。

 

自分では記憶が抜けちゃっているので「なんでそんなことをしちゃうの?」って全く分からないのがトラウマです(恐ろしや〜!)。

 

それらと同じように「人から伝わってくる感覚」を自分のモノにしてしまうと、やっぱりトラウマと同じように「これも合わないぞ〜!あれも合わないぞ〜!」って次から次へと不快な感覚をひっぱり出してしまって、どんどん不快感が増幅しちゃうんです。

 

一般の人から言わせれば「気にし過ぎだよ〜!」とちょっと神経質な人になります。

専門家から言わせれば「強迫性障害ですな!」と不安障害にされてしまいます。

 

それらの答えも「マッチしないよ〜!」って不快感が消えないんです。

 

そこで”心に聞く”が出てくるんです。

 

(つづく)

 

 

 


2017/01/19

電車に乗っていて、突然、昔やらかしてしまった恥ずかしい記憶が浮かんできて「いや〜!」ってなります。

 

仕事のことを考えていたら、突然、その場面の記憶につながってしまって「何でこんなことを突然思い出して恥ずかしい気持ちになるんだろう?」って考えます。

 

ここではこんなに冷静に書いていますが、その時はパニック状態。

思いっきり恥ずかしい場面が出てきていて、みんなの冷たい視線が突き刺さっていたのがめちゃくちゃリアルに記憶の中で再現されていて、電車の中なのに居ても立っても居られない感じ。

パニックになっていたら、お腹も痛くなってくるし「大変!」って泣きそうになります。

 

お腹が痛くなったら、また別の恥ずかしい場面が出てきて、どんどん気分が惨めになっていって落ち込んでいきます。

 

子供の頃のあの惨めな感覚に戻ってしまい「自分は本当に恥ずかしい人間なんだ〜!」ってなってしまいます。

 

すると、今度は、こんな惨めな自分を助けてくれなかった人たちへの怒りが湧いてきます。

 

「なんでこんなに大変なのに、私の苦しみを理解して助けてくれないんだ!」ってものすごい憎しみのような怒り。

 

そんな怒りを感じていると、再びお腹が痛くなってきて、また、惨めな恥ずかしい思いが襲ってきます。

 

それはまるでジェットコースターの様。

怒ってどんどん高く上がったと思ったら〜!今度は、恥ずかしい惨めな気持ちがよみがえってきてドーン!と落ちる〜!を繰り返します。

 

「なんで自分はこんな状態になってしまうのだろう?」って考えてしまったら、どツボにはまってしまいます。

 

だから、ここは”心に聞く”をしてみます。

 

「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」って聞いてみます。

 

「…」何も返ってきません。

こんなにパニックになっているんだから、そんな”心”に聞いている余裕なんてないから!って頭では考えてしまいます。

でも、違うんです。

この「…」の状態が心との間に邪魔がある証拠なんです。

 

そこで「心よ!誰が邪魔しているの?」って聞いてみます。

 

すると母親の姿が浮かんできます。「何でやネン!」って一応突っ込んで「心よ!母親からの邪魔を排除してください!」ってお願いします。そして「心よ!邪魔を排除できたら教えてください!」ってお願いしておきます。

 

「できた!」

 

「心よ!今、私と心の間に邪魔はある?」って確かめます。

 

「無い!」って思考が浮かんできます。

 

「心よ!この惨めで恥ずかしい感覚って私のですか?」って聞いてみます。

 

すると思考で「違います!」って浮かんできます。

 

「心よ!これって誰から入れられている感覚なの?」と聞いてみます。

 

すると「この電車に乗っている乗客の人の感覚〜!」って浮かんできます。

 

目の前に座ったおじさんがだらしなく足を広げながら新聞を読んでいる姿が目に入ってきたので「心よ!このおじさんの感覚なの?」って聞いてみます。

 

「違う!」って返ってきます。

 

隣に立っているおばちゃんとか、ドアに寄りかかってマンガを読んでいる学生などを確認してみましたが「違う!」って言われます。

 

「心よ!だったら誰から伝わってきてるの!」って聞いてみると、フッと、一番端っこに座ってる髪の長い顔立ちの整ったきれいな女性が目に入ってました。

 

「心よ!あの人からなの!」って聞いてみると「そう!」って言います。

 

え〜!容姿端麗だし、背筋もピンと伸びていて外見からはすごく自信がある人に見えて、一番、恥とか惨めさとは縁遠い人だと思ったのに〜!

 

「心よ!あの女性に何があったの?」って聞いてみました。

 

すると「知らなくていい、どうしたらいいのかを尋ねなさい」って頭に浮かんできます。

 

私は、その意味が解らなくて「あの女性に何かをしてあげられるかってことかな?」ということなのかな?

自分が、あの女性の代わりにこの惨めさと恥ずかしさを請け負ってあげなさいってことを言われるのかな?って想像します。

 

「心よ!あの女性から伝わってくる感覚をどうしたらいいの?」って聞いてみます。

 

すると「私に頼んで返しなさい」って返ってきます。

 

え〜!こんな、惨めで恥ずかしい感覚をあの綺麗な女性に返しちゃっていいの?ってちょっと悪いような気持になります。

 

「心よ!本当に返しちゃって大丈夫なの?」って確認します。

 

その質問をしたときに、トラウマ治療でクライアントさんの感覚を受け取って、そして受け取った感覚を再びお返しすることでトラウマの不快な感覚を打ち消すことができる、っていうメカニズムが頭に浮かんできて「そうか!返しちゃっていいんだ!」ってひらめきます。

 

「心よ!この惨めで恥ずかしい感覚と怒りの感覚もあの女性にお返しください」ってお願いします。

 

もちろん、私の中では「本当かよ!返すなんてできるんかよ!」って猜疑心バリバリでした。

 

でも、心にお願いした次の瞬間から「スーッ!」ってあの不快感が嘘のように消えていき、お腹の痛みもありません!

 

あ!あのお腹の痛みも女性からのモノだったんだ!って思ったらさらに楽になっていきます。

 

さっきのあの苦しみが嘘のよう。

 

「心よ!ありがとう!」ってつぶやいたら「感謝する必要はない、なぜなら元々あなたのモノではなかったのだから」って言われちゃいました。

 

ちぇ!

 

あはは!

 

(つづく)


2017/01/18

トラウマの治療中にカウンセラーの頭の中で面白い現象が起きます。

 

トラウマの治療中クライアントさんは何も話をしていないのに、カウンセラーは突然、小学校の時に虐められていたあの惨めな記憶がよみがえってきて、肥溜めに浸かっているような感覚になります。

めちゃくちゃリアルに記憶がよみがえってきて、まるで過去に引き戻されたような錯覚に陥るんです。

 

クライアントさんが小学校のいじめのトラウマを話しているときに、自分の体験も思い出されて「共感できる〜!」って涙を流すんだったらわかるんです。いじめのことなんか一言も話していらっしゃらない方の治療をやっているときにこのような現象が起きるので「自分はやっぱりダメダメ人間なんだ〜!」なんて気持ちになって苦しくなるんです(エ〜ン!エン!エン!)。

 

何が起きているかというと、クライアントさんのトラウマ体験時の苦しみが脳のネットワークを通じてカウンセラーに伝わってきます。それが、母親から無視をされて育児放棄をされた状態であっても、トラウマになってしまうとその幼少期の場面じゃなくて「惨めでものすごく哀れな感覚」だけが強烈に脳にこびりついてしまいます。

 

カウンセラーがクライアントさんの「惨めでものすごく哀れな感覚」を受け取った時に、脳は自動的に「惨めで哀れな感覚の記憶」を検索して引き出してきてしまいます。脳の記憶は感情や感覚で整理されています。

たとえば、マドレーヌを食べたら過去の記憶が一気によみがえった、という有名なエピソードがプルーストの「失われた時を求めて」の中にあります。

 

感情や感覚で整理されているので、同じような感覚になった時に、脳が自動検索をして「こんな記憶がありましたけど!」ってひっぱり出してきます。

 

ここでそのいじめの記憶に浸ってしまって「自分はこんなに苦労して苦しんできたのに、この惨めさは何も変わっていないしダメダメ人間のままなんだ〜!」って思ってしまったら「ハイ!ダメダメ人間の暗示が入りました〜!」ってなっちゃいます。

 

暗示によってすべての認知が歪んでしまいます。だから、全ての人が自分を馬鹿にしているように見えて自分の将来が絶望的なように感じられます(ひえ〜!)。

 

言葉の暗示ってすごいんです!

「自分はあの頃と何も変わっていなくて惨めなんだ!」っていう言葉を使ったら、それが見事に暗示になってやることなすこと「ダメダメ!」にしちゃうことができるんです。

 

そして「ダメダメ!」の自分の過去の嫌な記憶が芋づる式に引き出されてきて、悪夢状態。

まさにドロドロ!

 

それが、治療が終わって水を飲んだら「スッキリ!」。

 

何だったんだ、あの嵐のような過去の不快な記憶は?ってなるんです。

 

トラウマの治療をしているから、「クライアントさんの不快な感覚を受け取ってしまったんだな」って理解できるから「大丈夫!」ってなるんですけど、電車に乗っていても同じような体験をするんです。

 

突然、昔の上司から叱られた記憶が「ドド〜ン!」と蘇ってきて「惨めになる〜!」って。

 

「誰のだ〜!この不快な感覚は〜!」って探してみると面白いんです、これが!

 

(つづく)

 

 


2017/01/17

FAP療法(Free from Anxiety Program)はトラウマ治療の為に開発された療法です。

 

FAP療法は、トラウマの方から飛んでくる不快感をうまく利用する治療法になります。

 

人は、緊張してる人のそばに行くと「緊張する〜!」ってなります。

相手が緊張している、ってわかっていなくても、自然と伝わってきちゃうのは、脳が緊張している人の脳の状態を自動的に真似しちゃうから。

 

FAP療法は、その仕組みを利用して、トラウマ(心的外傷)によって記憶が抜けちゃって不快感がいつまでもフレッシュなままとれないトラウマ記憶を整理します。

 

トラウマの人の脳の状態を真似して、そして真似した状態をもう一度トラウマの人にお返しすることで、”不快”の脳の状態を打ち消し合います(雑音で雑音を消すノイズキャンセリングヘッドフォンや消音スピーカーと同じような仕組みです)。

 

治療中にトラウマの脳の状態を真似するから、治療者はものすごく苦しくなったりします。

以前「娘の治療を見学します」と仰ってカウンセリングルームに入ったお母さんは髪の毛が抜けて脱毛症になってしまったこともあります。

同じように、電話相談で部屋にワンちゃんがいたりするとやっぱり脱毛症になることがあります。

 

トラウマの種類によってその辛さは違うのですが、先日などは、治療中に40度の熱が出た時のように、全身の関節筋肉が痛み、悶えるような苦しみを体験しました。

 

どんなに苦しくなっても「でも、大丈夫!お水を飲めば!」ってことになります。

 

水を飲んで、トイレに流してしまえば「スッキリ!」って治療を始める前の状態に戻ります。

 

この治療法を後輩のカウンセラー達に教えて「水を飲めば大丈夫だから!」とトラウマを抱えたクライアントさんたちの治療を任せました。

 

すると治療後に大量の水を飲んでいるのにもかかわらず、後輩たちがみるみるボロボロになってやつれて顔色が青ざめていきます(ひえ〜!)。

 

あるカウンセラーは2Lのペットボトルの水を抱えて飲みながら治療をやっているのに「なんで?」ということになります。

 

その時に「あ!」って気が付きます。

 

私の場合、面接室には飲み物を持ち込みません。

 

飲む水は面接室の外に置いてある水だけです。

 

「なるほど!確かに、見学しているお母さんやワンちゃんが影響を受けるんだったら、同じ部屋にある水も影響を受けちゃうのかもしれないな!」って思って、外に置いた水を飲んでもらったら「大丈夫!」ってなるから興味深いんです(「早く教えてよ〜!」って怒られました)。

 

この現象を見た時に「本当に自分が感じる苦しみって、自分のモノじゃないかもしれない!」って思ったんです。

 

音を聞こうとして聞くんじゃなくて自然と耳に入ってきてしまうように、音のように飛んでいる苦しみも自然とキャッチしてしまっているんです。

 

音の場合、自分が発している音と他人の出している音の判別はつきますが、飛んでくる不快感の場合は、他人のと自分のものの区別がつかなくなります。

 

だから、飛んできた不快感をいつの間にか自分のモノにして「私が苦しんでいるんだ」と自分のモノにしてしまうと苦しみは固着します。そして、原因が自分ではないので、なかなか苦しみが解消できなってしまうんです(ひえ〜!)。

 

「でも大丈夫!水を飲めば!」

 

「人からの苦しみを受け取っちゃった〜!」って水を飲んでトイレでジャー!って流しちゃったら「ハイ!大丈夫!」って面白いんです。

 

ちなみに私の場合は水道水はダメでした(東京の水でしたけど)。

 

お勧めはミネラルウォーターで沸かしていないものが一番いいみたいです(なんのこっちゃ!)。

流せるのって”水”なんですよね〜!お茶とかコーヒーじゃ駄目だったりするんです。

 

ちなみにこの「水を飲めば流せる」っていう方法を思いついたのは「手を洗うピラト」からでした(説明すると長くなるのでまたいつか)。

 

(つづく)


2017/01/16

前にもちょっと書きましたが、ジョギングをしていて、突然「今、大地震が起きて津波に襲われたらどうしよう!」って不安になるんです。

どこに逃げたらいいのかな?って高い建物を探して、走りながらその入り口を確認します。

 

「俺って走りながら何をやっているんだろう?」って思うんですが、それが止められません。

 

そんなことを考えても仕方がないのに!って自分ではわかっているのですが、それを止められません。

 

走ってて、急にそんな感覚になるのはなぜだろう?

自分は不安障害(過剰な反芻や心配、恐怖の特徴を有する一般的な精神障害を含んだ総称 ウィキペディアから)だからかな?って考えます。もちろん、震災があったから、いつ地震が来てもいいように備えておかなければ、という気持ちからきているかもしれません。

 

でも、何でジョギングをしている途中なの?って疑問に思います。

 

すると、ある時、ジョギングコースを地図で調べていて気が付きます「あ!自分がいつも災害のことを考えちゃう場所って気象庁の前なんだ!」って。

 

私は、知らずに気象庁の前を通った時に、災害のことを考えてしまっていたのです。

 

多分、あそこのビルにいる方々が最も災害のことを想定しているのかもしれません。

 

その職員とか関係者の方の不安や緊張を私がその職場の近くを走っているときに、キャッチしてしまって「震災になったらどうしよう?」って逃げ場を考えてしまいます。

 

このときに「自分が不安になっているからこんなことを考えてしまう」って思ったら、私は延々とそれを考え続けてしまい、それを止めることができません。

 

でも「あ〜!気象庁の職員の人たちのモノなんだ〜!」ってなったら、考えることをしなくなります。

 

ということは、普段、歩いていて、突然、過去の嫌なことを思い出したり、不安なことを考え出したりするときって、その周辺に浮かんでいる、その感覚を受け取ってしまって「自分のもの!」にしちゃうから、ってことが考えられます。

 

「なんで自分はこんなことを突然考え始めてしまうんだろう?」って原因を自分に帰属してしまったら、他人の感覚を自分のモノにしてしまうことになるので、その不快な感覚は解消されなくなり、ぐるぐると強迫的に考えることになってしまいます。

 

その不快感を何とか打ち消そう、って携帯ゲームをやったり、ダイエットのことを考え続けたり、ってしてしまえば、余計にその不快感が増幅されちゃうので、さらにそれをやり続けなければならなくなり「止めたくても止められな〜い!」ってなるんです。

 

チックなんかの症状もそれが原因だったりします。

 

不快な感覚を打ち消そうとして「ムカつく!」とか「馬○!」ってつぶやいてしまうと、他人の感覚を自分のものにして固着させてしまうからそれが止められなくなるんです。

 

不快な感覚が消えなければ「もしかして、自分のじゃないのかもしれない!」って思って、水を飲んでトイレで流してみると「スッキリ!」となるから興味深いんです。

 

(つづく)



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