2018/08/27

反省しなければ、いい子になれないし、いい子じゃなければ愛されない、と私はずっと思っていました。

 

だから、いつでも「何であんな失礼なことを言ってしまったんだろう?」とものすごく後悔して苦しみます。

いや本当に反省している時って「苦痛」なんです。相手に対して申し訳ない気持ちでいっぱいで、自分をポワしてお詫びした気持ちになります。「ポワってそんな大げさな!」と思うでしょ。いや、後悔して襲ってくる不快感があまりにも苦しくて生きていられない感じになるんです。

 

そんな苦しみを味わいたくないから「心機一転、いい子になろう!」と決意するのですが、いい子で生きようと決心すればするほど嫌なことが起きちゃって「いい子で生きられない!」と必ず失敗します。そして、一人反省会で地獄の苦しみを味わっていました。

 

今、こうして成長して、あの幼い自分に「おい!反省すればするほど、人から嫉妬されて除け者にされるぞ!」と言ってあげたい。反省しちゃったら、脳のネットワークで嫉妬の発作の電気が飛んできて、それに感電させられて「自分が思っているように行動できない!」となっちゃうんだから。

 

こんなことを幼い自分に伝えたら「すみません、反省してしまう自分がいけないんです!これから反省しないように心がけます!」って幼い自分は言っちゃいます。

 

いや、君、それを言っている時点で反省しちゃっているから。

全然、私の言っていることが伝わっていないよね!

 

すると幼い自分は「すみません、ちゃんと理解していなくて、自分の中でよく理解できるように努力してみます!」と言っちゃいます。

 

あーあ!何でこんな子ができてしまったんでしょう?というのがポイントになります。

 

周りを見渡していると「ちっとも反省しないで自由に生きている人がいるのになぜ?」という感じになります。

 

たくさんの反省がやめられなくて苦しんでいる人をカウンセリングの中で見ていると、一つの共通点が見えてきます。

 

それは「ファミリーシークレット」という問題です。

 

ファミリーシークレットは「家族の中での隠し事がある」ということです。

 

私の場合は「姑のいじめがあって、母親が長男を出産した時に死産になってしまった」ということでした。

 

母親が調子悪そうに床に伏している時に、子供はその理由がわかりませんから「自分が悪い子だから母親があんなに苦しんで悲しそうな顔をしている」となってしまうんです。

 

本当の原因は、姑からのいじめだったのに。

 

子供は「自分は何でもできる!」という万能感があります。

 

エレベーターに乗っていると、子供は明らかに自分の身長よりも高い位置にボタンがあるのに「僕が押す!僕が押す!」って騒ぎます。両親が持ち上げなければ押すことができないのに。

 

どんなことでもできるんだ!と幼い頭で思ってしまうのが「幼児的万能感」です。

 

「どんなことでもできる」という万能感は「あんなことも私の責任」と思ってしまう特徴があります。

 

私の場合がそれで「母親が苦しんでいるのは私のせい!」と原因を自分にしちゃうんです。

 

母親が苦しまないようにいい子にならなければ、と思って「いい子」を演じようとすると、母親が嫉妬の発作を起こして「ビビビッ!」となりますね。それに感電して私は失敗して、母親が「ほら見なさい!あんたはダメな子!」と怒鳴りつけられます。

 

すると「やっぱり私がダメな子だから母親が苦しんでいる」というのが正解になってしまって、反省して「いい子になろう!」と努力する悪循環が作られてしまうんです。

 

ちょっとでも不機嫌な人がいると「私のせいであの人が不機嫌」と自分に原因を帰属しちゃいますから「私がいけないんだ!」と反省して、「優しく親切に接しなければ!」といい子を演じると「何この子!気持ち悪い!」とものすごいひどい扱いを受けて傷つきます。

 

それが相手の発作であることを知らないから「自分が気持ち悪い子だから嫌われる」と反省して「いい子にならなければ!」と逆をやってきてしまったんですね。

 

親としては「こんなことを子供に言っても理解できないだろう」とか「こんなことを子供に話してしまったら、子供の将来に影響を及ぼすんじゃないだろうか?」と心配して「子供には話さない!」となります。

 

すると子供は「自分が両親の不快感の原因」と幼児的万能感で自分に原因を結び付けて「反省」をして、それが周囲の嫉妬を誘発してしまうから「裏目!裏目!」に出ちゃって「反省してもちっともいい子になれない!」となってしまう。

 

親の浮気、経済的な問題、親の病気、家族の犯罪、家族の死の原因など「子供に話さない方がいい」と判断してファミリーシークレットを作れば作るほど、子供は「自分のせいで家族が変なことになっている!」となります。そして「反省していい子にならなければ!」とすれば家族や周囲の人たちは嫉妬の発作を起こしますから、見事に家族の嫉妬の発作を請け負う子供になってしまうんです。

 

ですから、過去のファミリーシークレットを暴いてあげるって結構大切なことで、それをすることによって過去の自分は「反省」から解放されて自由に生きられるようになるんです。

 

「あなたのせいじゃないんだよ!」ってわかるから。

 

(つづく)


2018/08/25

「断れなくて損をしている」を簡単になくせる本(宝島社)のアマゾンのレビューを書いてくださってありがとうございます。

何だかうれしいな〜!そうなんですよね!モンスターやモンスターに憑りつかれている人がいるから「断れない」があって当然。「断れなくていいんですよ!」ということを書いてください、と言ってくださった編集長の優しさが感じられた最後でした。モンスターは苦しまない、という言葉が深いですね。だから「申し訳ない」とか「かわいそう」と思う必要が無い、というのがミソなんですね。すごいです。

 

スルースキル−”あえて鈍感”になって人生をラクにする方法(ワニブックス)のアマゾンのレビューを書いてくださってありがとうございます。

わーい!大変なうちのサラブレッドだ〜!というのは「私とおんなじ!」と思って読ませていただきました。確かに、本を出し過ぎ、と言われます。でも、書いている私が「うわ〜!こんなことがあったんだ!」とこの本を書いてるときに新たなる発見が次から次へと。やっぱり人の脳を使って書くって面白いんです。うれしい言葉をありがとうございます。「スルースキル!」っていい言葉ですよね。やっぱり心の答えは面白いです。皆さんと脳がつながっていますね。

「終わりに」を拾ってくださったのはうれしいです。“正しさ”のところは、まさに今日ブログで書いていたところになりますね。すごーい!やっぱりつながっている。ブログを書いた後に読んでびっくり!深いです。自動運転、さすがです。

私もこの本を書いている時に「ここまで書いていいの?」と思っていましたから。でも、みなさんの脳と編集者の脳が「止まらせな〜い!」というのがこの一冊。いいや、仕事がなくなっても!という感じ。海で漁師になろう!あはは〜!「失敗しませんから!」はいいな〜!あのテレビドラマの女医さんが浮かんできました。あのドラマ結構好きなんですよね。べた凪って面白い〜!

確かにこの本は「嫉妬の発作」をかわすスキルになっていますね。「嫉妬の本」の続編と言ってもいい感じなんだ、と私もでき上がった本を読んで思いました。書いている時は全く意識していなかったんですけど。スルースキルを身に付けるとそうなんです!美しさが見えてきますよね。確かに万能感の対極ですね。さすがです。

「何でこんな誤解を招く表現をそのまま出版するんだ!」というのを読んで「確かに!」と思ってしまいました。でも、その改善案が浮かんでいる間に自分のことがおろそかになってしまう、というのはよくわかります。嫉妬をエネルギーに変える、という遺伝子コードはまだ見つかっていないので「嫉妬をエネルギーに変える」という方法を書いてみます。お腹をへこましながら息を吐くときに、周りからの嫉妬のエネルギーをどんどん吸収していきます!そして、今度はお腹を膨らませて息を吸うときに「どんどん自分がエネルギッシュに大きくなっていきます!」というのを繰り返して嫉妬を吸収して自分がどんどんグレイト!になっていく、というのはいかがでしょうか?私は使っています。息を吐いている時に、身体全体の毛穴から周りからの嫉妬をエネルギーとして吸収!

 

感謝!!

 

大嶋 信頼


2018/08/25

私の場合「神から見捨てられないように反省する」ということを繰り返していました。

 

神から見捨てられない清く正しい子にならなければ!とずっと思っていました。

 

“神”という堅苦しい表現をしないとしたら、たとえば、たくさんの兄弟がいたとして、その中の一人の子が「良い子!」を演じた時に、親が「あなたは良い子だね!」とその子を可愛がった時、他の兄弟が「ビビビッ!」と嫉妬の発作を起こしてしまいます。

 

物語で12人の兄弟がいた中で、一番下の子がものすごく賢くて良い子でした。両親はその子供を一番可愛がっていたら、兄弟がその子を乾いた井戸の中に落として、見捨ててしまった、という場面があります。

 

この物語を聞いた時に、自分を井戸に落とされた子供と重ねてしまうのですが「他の兄弟の立場だったらどうだろう?」と考えた時に「うん!やっぱり嫉妬しちゃって嫌な性格になっちゃうかも!」と思うんです。嫉妬って動物的な発作だから、抗えない。

 

「反省する」という時にはどうしても「相手から好かれる存在にならなきゃ!」と思うわけでしょ。

 

すると、周りの人と私は脳のネットワークに繋がっているから「兄弟」みたいなもので「あいつだけ良い子になりやがってずるい!」という反応が起きる。

 

だから、反省すればするほど、脳のネットワークで繋がっている人の嫉妬の発作を誘発してしまう。

 

もちろん、脳のネットワークに繋がっている自覚はないから「今私はあいつに嫉妬しています!」ということにはなりません。

あくまでも、意識できないところで、この嫉妬のやり取りが起こっていて、反省している側では、脳のネットワークを通じて嫉妬する側から電気が飛んでくるので「どんどんダメ出しが浮かんでくる〜!」となります。嫉妬している側では「なんかわからないけどイライラする!」という感じになっている。

 

そして、この二人が遭遇した時に、反省している側は「ヒエ〜!」となって、嫉妬する側は「なんかこいつムカつく!」と因縁をつけてくる。反省して「良い子!」になろうとしている人は「神(親)から好かれる存在」となっているため「なんでこいつが!」という感じで、好かれる理由を打ち消す部分を指摘したくなる、というのが「ダメ出し!」になる。

 

そうなんです!嫉妬する側の「ダメ出し!」を反省しちゃう人は真に受けちゃう。するとますます「親(神)から好かれる良い子」になるわけだから「キィ〜!」と嫉妬の発作がひどくなって「ここも!あそこも!あんなところもダメじゃないか!」とダメ出しがさらにひどくなる。

 

そのダメ出しを真に受けて反省すればするほど、相手の嫉妬の炎上はひどくなるから、さらにダメ出しが増えていき「無価値な人間」とか「全くに面白みのない人間」になってしまうんですね。

 

そう!嫉妬する側はそれが目的なんです。

「愛される存在」から格下げすること。全く面白くない存在にして、その存在自体を忘れさせることが目的。

 

なぜ?

 

それは発作で破壊的な人格に変身しちゃったから。

 

11人の兄弟が好かれている末っ子を井戸に落として帰ってきて「これで父親から愛される!」と思ったわけではないと思うんです。「ビビビッ!」と発作で破壊的な人格になってやってしまった。当然、家に帰ってきて「おとうさん、末っ子が荒野で獣に襲われて死んでしまいました」と報告をしたら、父親は悲しみに暮れてしまうから「ますます愛されないやろ〜!」という感じでさらに嫉妬の発作がひどくなる。

 

嫉妬の発作を起こしている側は、破壊することで「愛されようとしている」ということではなくて、ただ破壊する、ということしか選択肢がなくなってしまう。

 

そんな存在が投げかけてくる言動で反省すればするほど破壊されていく、ということで「無価値」になる。

 

脳のネットワークに注目してみるとこんな面白いことが見えてきます。

 

だから、反省したら相手から好かれる、ということはありません(お〜!断言しちゃった!)。

 

「反省しない!」で「これも自分!」、「あれも自分!」とありのままを受け止めて、自分を変えようとすることをやめた時に「あれ?自分の中のダメ出しが静かになった!」となるのは、脳のネットワークを通じて嫉妬の発作が飛んでこなくなるから。

 

さらに因縁をつけられなくなるのも「愛される子!」という認識がなくなり、嫉妬の対象じゃなくなるから、なんですね。

 

ここで問題が起きます。

 

それは「良い子じゃなければ愛されないのではないか!」という不安が起きること。

 

そして、興味深い現象は「嫉妬の対象じゃなくなるってことは、自分に価値がなくなるのでは?」という不安に襲われてしまう。

 

これは、意識できない現象で意識できるレベルでは「なんか落ち着かない!」や「なんか足りない!」という感覚。

 

反省をしてきた人は、嫉妬を受け続ける、ということが基本になっているので、それがなくなった時に「何かが足りない」という感覚に襲われてしまい、ぽっかりと自分の中に穴が空いたような感じになり、反省したくなる、という現象が起きちゃいます。

 

これは、単純に「お酒をずっと飲んで寝ていた人がお酒を飲まなくなったら調子が悪くなって、眠れなくなった!」というのと一緒になります。

 

ずっと嫉妬の攻撃を脳のネットワークで受け続けることで「反省」を繰り返していました。その時に常に「苦痛」が伴うので、脳内麻薬が分泌される〜!となっているのがお酒が入っているのと同じ状態。

 

脳内麻薬が切れた時に「落ち着かない!」とか「イライラする!」などの症状が起きますが、2週間で落ち着きます。

 

「落ち着かない!」とか「イライラする!」という時に、それに対して「反省」をしてしまうと「ワーイ!」と脳のネットワークを通じて嫉妬の嵐が戻ってきて「あ!元の状態に戻った!」とすぐになれます。

 

「落ち着かない!」とか「イライラする!」という時でも「反省しない!』ということを繰り返していると「あれ?静かになった!」となる。

 

ちょっぴり嫉妬されないのは寂しい気持ちが起きます。

 

そこはまあ、軽く受け流していきましょう。

 

(つづく)


2018/08/24

「断れなくて損をしている」を簡単になくせる本(宝島社)が本日発売されました。

この本のすごいところは「断れなくて当たり前」というのが最後の方に書いてあるのですが、それって編集長のリクエスト。

そして、その内容を書いていたら「あれ?しまった!支配者のことを書いちゃった!」となりました(「支配されちゃう人たち」青山ライフ参照)。その原稿を編集長に提出したら「え?OKなの?」とびっくりします。え?支配者のことを当たり前のようにこの編集長受け入れちゃったよ!とその懐の深さに感動しました。NOとはっきり断れなくてもいいんです。でも、何度か読んでいくうちに「あれ?自然と不快なことをしなくなっている!」と変わっていくように仕組んである、面白い一冊に仕上がっています。そうなんですよね!「したいことができない!」という状態になっている時って「不快なことばかりやっている!」という時。だから、自然なNO!で不快なことをしなくなると「好きなことが自然とできるようになった!」と素敵に美しく変わっていけるんです。

 

スルースキル−”あえて鈍感”になって人生をラクにする方法(ワニブックス)が本日からアマゾンで発売となりました。

カウンセリングの中では「固着した考え方に変動を加える」というために、かなり過激な発言が出てきたりします。多分ここでそれを書いてしまったら炎上してしまうような発言が。ポイントは「高潔」であると嫉妬されて潰されてしまうので「ありのままで〜!」を目指すために、”高潔”の逆をかけたりするんですね。「自分は罪けがれている」と思って入ればいるほど「高潔〜!」になってしまうから「カウンセラーの方がもっと罪けがれている〜!」とするわけですね。すると「どんだけ〜!」になって「あれ?私ってカウンセラーほど汚れていないかも?」と高潔さが落ち着く算段。この原稿を書いている時でも、つい、そんな言動をそのまま書いてしまって、イケメン編集者から「これは炎上します!」と指摘していただいたことが何度かありました。この今現在書いている「高潔さ」を催眠的に打ち消すように書いているのがこの一冊です。高潔であればあるほど「敏感!」だから「鈍感っていいよ〜!」っていう感じですね。嫌〜!あのイケメン編集者はやるな〜。ってなんの感想やねん!

 

アマゾンの消したくても消せない嫉妬・劣等感を一瞬で消す方法(すばる舎)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

嫉妬の発作は最高〜!みんな同じで一体感だから〜!一緒に遊ぼうよ〜!あ!もう遊んでいるか!あはは〜!

いや、本当に、自由な方向にあゆみ出せば出すほど「足を引っ張られる〜!」という現象が起きるんですね。これってやっぱり脳のネットワークがあるから、と私は思っています。伝わってしまうんですよね、蜘蛛の糸で上に登っていることが。だから、下を見たら「足を引っ張られている〜!ヒエ〜!」って感じ。あの時のカンダタのとるべき行動は?と考えてみると興味深くなります(カンダタは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」から)。多分、キリスト教的に言ったら「神を信じて蜘蛛の糸が切れないことを信じる」と登っていけば「いっちょあがり!」となっていた。ブッダの世界では「足を引っ張られる」というのも「幻想」である、と上だけ見て登り続ければいい、となるんでしょうね。嫉妬の発作を起こした亡者たちが「ホンギャ〜!」と魑魅魍魎した世界が下に広がっている。その人たちを助けようとして優先させてしまうと「自分が引き摺り下ろされる」という恐怖に襲われますね。足を引っ張られるのを気にして蹴落とそうとすると「プッチン!」と糸が切れてしまう恐怖が。あのお話って面白いですね。多分、とにかくひたすら自由に向かって登り続けていけば、足を引っ張られる幻想からいつか解放される。だって、みんながみんな自由になりたい、という同じところを目指しているわけではないから。私が自由になった時に、本当に自由を求めている人は、その細い糸をしっかりとつかんでちゃんと登り始めるから。

しかし「過去の自分」という話はすごいです!!読んでいてびっくりしました。最後がかっこいいな〜!嬉しいです。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼


2018/08/24

なぜ「反省は毒」なのか?

 

一つは「正しい or 間違っている」という判断を自分の中でする時に「正しく生きたい」けれども「それができない」という葛藤が脳内に電気を生み出します。一人で「反省、反省」とグルグル考えているうちに、脳内に電気が帯電して「ビビビッ!」と発作を起こして破壊的な人格に変身して「正しく生きる!」をぶち壊してしまい「どうでもいいや!」と投げやりになる。または、同じダメな言動を繰り返しちゃう、ということになる。

 

二つ目の仮説は脳のネットワークが関係してきます。

「反省」ということをすれば「自分の間違いを正して生きる」ということになります。この「正しく生きる!」とした時に、それが脳のネットワークで周囲の人につながり「私の正しい姿!」というのが伝わってしまう。それを受け取った側は「嫉妬の発作じゃ〜!」と脳内で「ビビビッ!」と発作を起こして、それが私に伝わってきて「ヒエ〜!」と感電して「正しく生きる!」の決意が揺らいでいく。正しく生きれば生きるほど、攻撃がひどくなる〜!という恐怖を脳内で体験するから。

 

本人は「一人で反省している」と思っているわけです。

でも、脳のネットワークで反省した正しい姿に対して「ビビビッ!」と周囲からの嫉妬の発作で感電させられちゃうから「脳に電気が帯電する!」となります。その周囲から送られてきた電気が帯電して、ちょっとしたストレスで「ビビビッ!」と発作を起こして「正しく生きる」が「ご破算願いまして〜!」になる仕組み。

 

私は、キリスト教の過程で生まれ育ちました。

だから、毎週土曜日、日曜日は教会に行って「罪を悔い改めなければ天国には入れない」と教えられてきて、家でも「罪を犯したら天国には入れなくて地獄に落ちる」という恐怖がありました。

 

罪ってなによ?と他の子から見たら思われるのですが「人のことを悪く思ったら罪」だし「嘘をついたら罪」でしょ。「人のものを欲しがったら罪」で「いやらしいことを考えても罪」という暗黙の了解みたいなものがありました(ここでの「暗黙の了解」というのは、はっきり「それは罪」というメッセージじゃなくて「あーそんなことをしちゃったの」という冷たい目線で「罪を犯している」と裁かれている感じで受け取ってきたもの)。

 

「これも罪!」そして「あれも罪!」という感じで、両親から怒られるたびに、私は罪人になっていくわけですね。

 

だから「このままだと天国になんかは入れない!」と恐怖を感じるんです。

 

他の本にも書いたかもしれませんが、キリスト教には「再臨」というのがあって「イエスキリストが帰ってきた〜!」となったら「罪びとは地上に残されて、それ以外の人は天国にイエスと一緒に登っていく」という。

 

ですから、夏の入道雲なんかを見ると「聖画」に出てくる「雲に乗って神が降りてくる」という感じで「ヒエ〜!私は取り残される〜!」という恐怖を感じていました。慌てて家に帰って「え?親がいない!」と焦ります。「罪人の自分だけ取り残されたのかも!」って。そして、慌てて走って、牧師のおじいさんのところに行きます。「いない!」となると涙目になって「どうしたらいいんだ〜!」と泣いていたことがあったんです(結構頻繁に)。

 

キリスト教では「イエスを神と信じて、自分の罪を悔い改めて救われる」というのがあります。

 

ですから「イエスを信じます!」というのが「信仰の決心」となり、そこから「罪が許されクリスチャンになった!」となるわけ。

 

一般的に例えると「間違ったことをやっていた!」と反省して「これからは正しく生きます!」と決心すること。

 

私は、小学校の頃にずっと「自分だけ天国には入れない」と毎晩怯えていて、教会学校で「イエス様を信じます!」と手を上げてクリスチャンになる決心をします。

 

私は、これまでの罪を悔い改めて(反省)して「これからは神様にふさわしい清く正しい生き方をしなければ!」と思うわけです。

 

そんな私がクリスチャンとして生きる決心をした時に、両親が喜んでくれるのか?と思ったら「あれ?母親の目が冷ややかだぞ!」となります。

 

私がクリスチャンとして生きる決心をしたのに、冷たい目で「あんたなんかが罪から解放されて生きられるわけがない!」という無言のメッセージを受け取るわけです。

 

「え?それってあなたの思い違いじゃないの?」と多分、みんなから言われると思います。だって、実際にはそんなことはなにも言われていないわけだから。

 

でも、なぜあの時に喜んでくれなかったのか?というのはどのように説明するのか。

 

そして、あの母親の目を見た時に「あんたはまた罪を犯すから」という冷たい視線を感じたのはなぜ?となるわけです。

 

実際に、友達に誘われて駄菓子屋で駄菓子を買ってしまって、母親から「あんた!お小遣いはなにに使ったの!」と怒鳴られた時に、私はとっさに「友達に貸した」と嘘をついてしまいます。

 

母親は事前に私が駄菓子屋にいたことを知っていて聞いているのですが「ほら!嘘をついた!」という感じで「罪人、いっちょ入りました〜!」という感じになるわけです。

 

「なんで嘘をつくの!」と母親からひっぱたかれて、私は「ビエ〜ン!」と泣きながら「ごめんなさ〜い!」と謝ります。

 

父親が最悪の職場から帰ってきてイライラしているところに「あんたの子供が嘘をついて買い食いをしていた!」ということを言われて「おりゃ〜!」と怒りが爆発して、私は床に叩きつけられながら「こんな罪人は地獄に落ちてしまう!」と恐怖を感じていたんです。

 

貧乏の両親がなけなしのお金をお小遣いとして渡してくれているのを無駄に使ってしまった罪。そして、それを問い詰められた時に隠した罪。さらに嘘をついた罪、が加わって「ほら!やっぱり罪を犯した!」となって私は再び地獄に落ちる恐怖に打ちふるれて、罪を悔い改めて「明日こそは、清く正しい子になって生きる!」となるわけです。

 

すると学校に行って「清く正しく生きる!」と決心していると「なに!おまえ!大嶋のくせに生意気な!」と小突かれるわけです。

 

「右の頬を打たれたら左の頬を出せないのが罪」になるからグッと堪えます。でも、堪えればこらえるほど「なんだ気持ち悪い!」と突き飛ばされて、机に頭をぶつけて「ビエ〜ン!」と泣いてしまって「人前でみっともなく泣いてしまう罪人!」というのが出来上がって、私は汚れた気分になっていました。

 

周りの子からは「あの子って泣き虫ね!」と言われていて「人からバカにされる罪」が加わって、さらに私は罪に汚れていきます。

 

そして、先生から「おい!大嶋は宿題をやってこなかったのか!」とみんなの前で怒られて「廊下に立っていろ!」と怒鳴りつけられて、泣きながら廊下に立たされて、授業が終わった後に「あいつ!みっともないよね!」とみんなからバカにされる罪。

 

その罪のループから抜け出せなくなる面白い仕組みがそこにありました。

 

「嫉妬のメカニズム」を知った時に「あ!あれって周りの嫉妬の発作を浴びていたんだ!」ということがわかるようになりました。

 

嫉妬って「自分よりも下の立場なのに、自分よりも優れたものを持っている」という時に起きますが「高潔」に対しても嫉妬の発作は起きちゃいます(高潔=気高く立派、汚れのないこと)。

 

「反省」や「決心をする」ということをした時に、頭の中で「高潔な存在」になっているわけですね。

 

一般的な見方をすれば反省して高潔に生きようと決心している人がいたら、その様を見て「言動が生意気に見える!」という判断をしちゃうから「ビビビッ!」と発作が起きちゃう、となるわけです。

 

「高潔」ですから「謙虚な態度」や「紳士的な態度」そして「優しさ」ということが言動や態度で醸し出された時に、周りの人は「ビビビッ!」と嫉妬の発作を起こしちゃって、その態度や優しさをぶち壊すような破壊的な態度をとったりします。相手を無視したり、とか。

 

無視とかは無言の暴力。その暴力を受けて「え?私なんか悪いことをしたかしら?」と「反省」すると、ますます相手は「こいつは何にもわかっていない!」とさらに無視や否定的な言動が酷くなっていきます。

 

無視とか否定的な言動って、暴力ですからね。ダメージを受けて、さらに反省をして、という悪循環で人は潰されていくわけであります(チ〜ン!)。

 

まあ、こんなことを書いている段階で「アウト〜!」なんですけどね(嫉妬の発作を誘発させないように、このようにカッコで「ヒエ〜!」とか「チ〜ン!」を入れていたのを気づいている方がいるから怖い)。

 

だから「ありのままの自分で生きる」という言葉がある。

 

なぜなら、反省したら危険だから。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2018/08/23

スルースキル−”あえて鈍感”になって人生をラクにする方法(ワニブックス)が8月24日にアマゾンから発売になります。

この本の編集者はイケメンです(って関係ないか!)。いや〜!いい男だったんです。それだからかな?この編集者から構成案をいただいて書き始めてから「え〜?全然葛藤が無い!」というのでびっくり。いつもだったら「どう書いたらいいのかな?」と時々、筆が止まって自分の中で「こんなことを書いちゃまずいかな?」という葛藤が起きます。編集者の脳と繋がっているので、編集者が迷うような内容だと「葛藤が起きてたいへ〜ん!」と苦しむのですが「あれ?それが全然ない!」という感じですらすらと書けちゃう。確かこの本は嫉妬の本と同時並行で書いていたのですが「全然、嫉妬の内容に引っ張られない!」という感じでちっともぶれずに「鈍感っていいよね!」でしっかりとまとまっている。イケメン編集者の脳につながって葛藤を起こさずスラスラと書いてしまった一冊。イケメンの脳って面白いです!(なんのこっちゃ!)

私たちがやっているカウンセリングの中では「こんな風に面倒くさい人に対応した方がいいですよ!」という具体的なアドバイスをすることは少ないんです。なぜなら、その下にある「葛藤」の方が問題だから。でも、たまに「こんな対処の仕方がありますよ!」という方法を伝えることがあります。実は、それも一つの催眠療法のテクニックだと思っています。その対応方法を聞いている時に「自分がそんな風に振る舞ったらどうなるんだろう?」という想像を働かせます。その時に”無意識”が「あ!そうか!」と自分の中にある葛藤を解消させてくれる。ですから「こんな対処方法がありますよ!」と書いているのですが、実際はそのストーリー自体がスクリプトになっていて無意識さんに働きかけているんです。「こんな大変な状況があって!」という本の中のケースを頭の中でイメージするだけで催眠状態を作り出します。そして「スルースキル!」という一見テクニックに見えるものを自分が頭の中でやってみることで、無意識がそこにあるメッセージ(花束)を受け取り自分の中の葛藤が解消されて「あれ?」と自分が思っている所とは全然違うところが変化していきます。そんなことを狙った一冊になっております(あ!またネタバレしちゃってる!みなさんの脳につながって書いていると「も〜!」という感じ。これは本当は書いちゃいけないのに!あはは〜!)。

 

アマゾンの消したくても消せない嫉妬・劣等感を一瞬で消す方法(すばる舎)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

レビューを読むと私が周囲の嫉妬の攻撃を知らずに苦しんでいた時代に引き戻されて「あれ〜!」となります。そして、読み続けていくと、そこから次第に解放されて行き、自分が自由になっていくさまが実感できるから不思議だな〜!も〜!免許皆伝、という感じですよね。あの曲はタイトルを読んだ時から私の頭の中で流れてきて、私の目から涙があふれてきます。無意識って本当にすごいですよね!!もう咲いていますね。素敵な花が。

レビューを書いたことがなかった方が「書かなきゃ!」と思って書いていただけるのは本当にうれしいです!!

 

感謝!!

 

「自己肯定感」が低いあなたが、すぐに変わる方法(PHP研究所)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

家族全員に読ませたい、というのはうれしいです。確かにお子さんに読んでいただけたら嬉しいな〜!この本の編集長の編集って「え?どこを編集してくださったの?」とわからないぐらい綺麗に編集してくださるから、本の中の催眠のスクリプトがちゃんと生きています。だから「わけがわからん!」という具合になるんですよね。何で催眠を使うかというと、やっぱり意識に働きかけても効果が継続しないから、というのを身をもって知っているから。無意識さんに種をまいたほうが時間が掛かろうがいつかは花が咲く。この本に反応して怒りが湧いても。うれしいです。

私の名前って「芸名ですか?」と聞かれることがありますが、本名です。子供の頃は「信頼できない奴!わ〜い!」とからかわれていてこの名前が嫌いだったけど、今では、この名前でよかったのかも?と思えるようになりました。お子さんのことをきっかけに読んでいただいてうれしいです。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼


2018/08/23

ここで「反省しない」の本質的なことを書くのか、それとも一般的なことを書くのかで悩みます。

 

「反省しない」で一般的な考え方では「反省すればするほどストレスが帯電するから発作が起きやすくなり、自分の思ったことの逆をやってしまう、というのがあります(あ!これも一般的な考えじゃなかったか!あはは〜!だって普通のことを書いたって面白くないんですもの!)。

 

ストレスで脳に帯電した電気で「ビビビッ!」と発作を起こすと「破壊的な人格に変身しちゃうぞ!」となってしまう。

お母さんにものすごく優しかった青年が、お母さんが「う!苦しい!」と倒れた時に「おりゃ〜!」と殴る蹴るの暴行をしてしまったのも「発作」が起きて破壊的な人格に変身しちゃったから。

 

幼い頃に「好きな子に意地悪をしちゃう!」というのも「発作で破壊的な人格に変身じゃ〜!」になるから。「好きなのに自分の気持ちを素直に伝えられない!」という葛藤が脳内に電気を帯電させて、好きな子の前に行った時に「ビビビッ!」となるから「あれ?何であんな意地悪なことを言っちゃったんだろう?」となる。

 

反抗期になった子供の場合は、成長過程のホルモンの影響と社会的な立場での葛藤で脳内に電気が帯電しやすくて「ビビビッ!」としょっちゅう発作を起こしまくってしまうから「破壊的言動じゃ〜!」という感じで親や教師を困らせます。

 

この反抗期の子供の社会的な葛藤とは、成長してきて「子供扱いして欲しくないのに子供扱いされる」という中で、だからと言って「自分では何もできない」という葛藤が脳内で電気を発生させて「ビビビッ!」と発作を起こさせる。

青年期では「大人扱い」されたいのだが「まだ社会的な責任を負いたくない」という矛盾する葛藤から脳内に大量な電気が発生して「ビビビッ!」と発作を起こさせやすい環境を作ってしまう。

 

葛藤とは、心理学的に言ったら、二つの対立する選択肢の中から「一つを選ばなきゃいけない!」という時に迷って、自分の中で戦っている時に起きる状態。

 

ですから「反省する」というのは、自分の言動を「正しい or 間違っている」で判断しています。そして「正しく生きなければ!」と思うのですが「それができない!」という二つが頭の中で行ったり来たりしていると脳内に電気が大量に発生して「ビビビッ!」と発作を起こした時は「思っていることと逆の行動をしちゃう!」となる。

 

二つのものでこすって摩擦で静電気を発生させたりするのと一緒。

発電機も磁石とコイルをグルグルと何度も回転させることで電気を発生させますよね。

 

頭の中で「正しく生きたい」と思って「でもできない!」とグルグルと葛藤を繰り返すことによって、脳にどんどん電気を発生させてしまって「ビビビッ!」とサージが起きた時に「破壊的な人格じゃ〜!」と全てをぶち壊すような言動をしてしまうから「思ったことと逆をやってしまっている!」と反省の材料が毎日作られる、となってしまう。

 

ですから、反省する人は自分の言動を「正しい or 間違っている」の二つで判断して、それをグルグルと考えれば考えるほど

「優秀な発電機や〜!」という感じで脳内に帯電させてしまうから「ビビビッ!」と築き上げたものを破壊しちゃって、反省してまた初めから作り上げる、ということをやらされている。

 

発作で破壊的な人格に変身してしまった言動を「反省」すればするほど、脳内で電気が発生させられるから「発作が止まらない」となって反省の材料が尽きない、となります。それを繰り返しているうちに「チ〜ン!」と「何をやっても無駄!」という感じで無力状態になり動けなくなる。

 

動けなくなったら脳内に電気が発生しなくなるのでは?と思いますでしょ。

 

でも「動けるのになんで動かないんだろう?」という自分の中の「反省」の葛藤で電気を発生させるから、脳内は「ビビビッ!」とずっと連続で発作を起こしているから「チ〜ン!」で動けなくなっているだけ。

 

「反省」する人って常に「これをしていてはいけないことはわかっている」という“葛藤”が必ずある。「正しいことがわかっている自分」と「それができない自分」の二つを行ったり来たりするから、電気が脳内で発生して自己破壊的な言動をしてしまう。

 

だから「反省しない!」というのは「発電しない!」ということであり、破壊的な人格に変身するのではなくて、本来の自分であり続ける、ということにつながります。問題は本来の自分ではなくて、ストレスが脳に帯電して、それが「ビビビッ!」となった時の破壊的な人格なんです。それがなければ、本来の自分で生きることができて、その本来の自分が求めていた方向に進むことができるようになるんです。

 

こんな説も考えてみると興味深いのですが、私はもう一つの説の方が有力だと思っているんです。

 

(つづく)

 

青山ライフの原稿だから書いちゃお!


2018/08/22

「断れなくて損をしている」を簡単になくせる本(宝島社)が8月24日に発売されます。

「自己肯定感」を書く前は本気で「自己肯定感って低くていいじゃない!」と私は思っていました。でも、書いてみたら「あれ?」となるから面白い。

今回のこの「断れなくて損をしている」も「断らない方がいいじゃない!」と思っている人が書いているから不思議である。

最近「何で、あんたはこんなに次から次へと本を書くんですか?」と聞かれて、私はおもむろにこの本の表紙を相手に見せます。「そう!断れないから書いている!」ってね!(あはは〜!)出版社の方にキラキラとした目で「書いてください!」と言われてしまうと「ハイ!」とつい言ってしまって「え?来月から4冊同時進行なの〜!」という感じになって、地獄の3か月間がスタートする。「なんで断れなかったんだろう?」と書いてる時は後悔するのですが、また頼まれると「断れない!」となってしまうアホがここにいます。そんな人が書いたんだったら説得力がないじゃない!と思うのですが、書いてみて「あ!断るっていいかも!」と書いているうちに思えるから不思議。あの自己肯定感の時とまさにいっしょ。この本のおかげで充実した夏休みを過ごすことができたと思っています。「断ろう!」と思った時から、この本の流れが変わりましたもんね(昨日書いたエピソードのことです!)。「断る!」ということで「自分で抱えない!」となると美しい流れになっていきます。この本のエンディングがまさにそれ。断ることで出会えた編集長に感謝です。

 

アマゾンの消したくても消せない嫉妬・劣等感を一瞬で消す方法(すばる舎)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

「好きなことをしていい」って素敵な気付きです。嫉妬のメカニズムを知れば知るほど「あ〜!私のやってきたことは何だったんだ!」と後悔したくなってしまいます。本当に「何だったんだ!あれは!」という感じです。「義人はいない、一人もいない」なんですね。みんな同じ!そう考えるととっても楽に生きられますね。うれしいです。

本に書いてあることを実践してくださってうれしいです。「奇跡」って他の人が信じないようなことをちょっと試してみることで得られるような気がしています。他の人が信じていることをやってもそれは「常識」なので何も変わらないんですよね。そして、みなさんがこれを試していくことでやがて「常識」となり世の中の常識が変わるんですね。とっても嬉しいです。

自分の嫉妬の発作に向き合うって素敵です!!嫉妬って発作だから、それと向き合うのって普通の人はできません。発作で破壊的な人格に変身しちゃうから「自分が発作を起こしてる」という自覚は全く無くて「相手が悪い!」と断言できちゃう状態になるんですよね。そこから抜け出すのって常人では非常に困難。今ブログに書いている「見ない、聞かない、反省しない」で「帰属エラー」のことを書きました。感情って一瞬のものだから「長続きしない!」んですよね。長続きするものって「帰属エラーを起こしてる」という可能性があるんです。適切な原因とマッチしたときに「シュ!」って感情は泡のように消えて行く。専門家でもそれをするのは不可能に近いのですが、心に聞いている皆さんは知らず知らずのうちにやっているからすごいです!

正直、私はお師匠さんのあの凄さを見てしまったから「催眠ボーイ」を名乗ることなんてできません(「催眠をやっています」と看板を出すという意味です)。この前テレビを見ていて、子だくさんのお父さんで「柔道をやっていないのに柔道家を育てている!」という方が出演していて「いいな〜!この人!」と思っていました。でも、あれ?これって私も一緒じゃん!と見ているうちに思いました(どんだけ自己肯定感が上がっているの〜!私〜!)。本を読んでくださる皆さんが、本の中に書いてあることが「催眠」のエッセンスを使っているから「催眠ガール」であり「催眠ボーイ」なんですね。レビューを書いてくださる人なんか、知らず知らずのうちに催眠のスクリプトを書いていて、読む人をいつの間にか催眠の中に誘導しています。お師匠さんだったら「ガッハッハ!」と笑いながら「免許皆伝!」と言ってくれるような気がしています。いつの間にか、読んで眠るうちに「催眠ガール!」に変身している。職場の中で知らず知らずのうちに「催眠ボーイ」が会社の中の人たちを変えています。家族をそして、友達を知らず知らずのうちに催眠に入れている。それを意識してもらおうとしているのが「催眠ガール」の小説の意図なのかもしれませんね。あーあ!書いちゃった!ネタばらしが早いから。この本を読んで寝てしまったら「あなたはすでに催眠ガール!」なんですね。

 

その苦しみはあなたのものではない(SIBAA BOOKS)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

大作じゃ〜!まるで大河ドラマを見ているみたいです。すごい方が本を読んでくださっているな〜!私が尊敬する作家はジェラシックパークを書いたマイケル・クライトンです。あの人が自伝のように書いた「インナートラベルズ」を思い出しますね。あの本が私のカウンセリングの基礎みたいになっています。あーあ!またネタを明かしてしまった。読ませていただいていて「まるであの本に書いてあるようなことだ!」と感動しておりました。感謝!!

「無意識の超濃ゆいのカモーン!」で思わず一人で笑ってしまいました。本質をつかむのが凄いな〜!発作が起きている時は、どちらを選択しても「ポチャン!」なんですよね。いいな〜!書いてみると自分が変わったことに気が付くってうれしいな〜!私も同じ体験をしています。私はギフテッドパートナーですから、みなさんの脳の中のものをプロットしているだけです。私が沢山学ばせていただいております。

心の聞き方のコツを書いてくださってありがとうございます。すごいうれしいな〜!読んでいて感動。まさにこの感動するのが催眠でしょうね。目の前にないものを想像させて催眠状態に導き、私の頭にある発作の一つ一つを打ち消してくださいます。私も「心の邪魔を排除するのは面倒臭い」という発作がありました。読んでいて、それが打ち消されていくのがわかって、いいな〜!と思っています。一つの物語の中に含まれる催眠的要素が素敵。

 

感謝!!

 

書いてくださってありがとうございます。

 

大嶋 信頼


2018/08/22

後悔って、しちゃったことを後から「何であんなことをしちゃったんだろう?」と悔やむこと。反省は、自分がしてきたことを振り返って「よかった!」とか「ダメだった!」と何らかの評価を下して、そしてそれを改めようと心がけることになります。

 

子供の私は、人間関係でも「余計なことを言ってしまったらバカにされちゃうし、相手を傷つけてしまうから喋るまい!」と思って「黙っていよう!」と夜に反省して「明日からはいい子になろう!」とか「立派な人間として生きよう!」と思うわけです。

 

そして「心機一転!」と学校に行くと友達から「なにをお前はいい子ぶっているの?」とつっ突かれて「いい子ぶってなんかいないよ!」とできるだけ黙っていようとする。するとさらに「何で黙っているんだよ!むかつく!」と言われて「え?私は相手を不快にさせちゃっているの?」という感じになります。こんな感じで揺さぶられて10分後には「また、僕は余計なことを話しちゃっているよ!」という感じで元の状態に。

 

人間関係の反省なんて、こんなことが毎日でした。

「明日からは、バカにされない人間になろう!」ってね。そして、自分の失敗から反省して、言動を変えようとしたのですが何一つうまくいきませんでした。いっつも惨めな自分に逆戻り。そして、布団の中で「反省会!」が始まります。

 

一番わかりやすかったのが「勉強」ですね。

「明日からはちゃんと勉強をしよう!」と試験の点数が悪くて反省して決心します。

「時間を決めて勉強をしよう!」とか「帰ってきたら、テレビを見ないですぐに勉強する体制に入ろう!」とテストのあまりにも悪い点で親から殴られて、そして布団の中で泣きながら反省をして決意する。

 

でも、次の日になったら「あれ?できない!」という繰り返しで、そのできなかったことを反省して、そして「明日からは!」と決意する。「あれ?これって昨日もやっていなかったっけ?」と自分でまるで悪夢を繰り返しているような感じになる。

できなかったことで「ズン!」と頭やお腹に杭が刺さったような重さを感じて悶え苦しみながら「何とか自分をかけなければ!」とあれだけ思っていたのに「何で?」と自分でも不思議に思う。

 

反省すればするほど、常に何らかしらの悪魔の誘惑のようなものがやってきて「また、元の惨めな状態に引き戻された!」となっていた。

 

大学に入って、一番初めの授業で教授から「心理学部に200名入ったけど、この中で卒業できるのは5%だけ」と言われて「本当かよ!」と思うわけです。

 

本当に1年経ったら30名しか残っていなくて、成績が悪かった私は「このままだと振るい落とされる!」と毎晩寝る前に反省しながら「明日はもっと勉強するぞ!」と思いながら寝て「あ!やっぱり思い通りにできない!」と失敗の繰り返し。多分、あの学校で誰よりも反省して勉強をしていたと思うんです。でも、ちっとも成績が上がらなかった。

 

これは別の本にも書きましたが、ある時、グループミーティングに参加して、それまで一人で反省して苦しんでいた私が、みんなの前で「私は辛いんです〜!」と泣いてしまいます。私は「こんなところでこんな風に泣いてしまった私はみんなから責められる!」と怯えていたら誰も私を責めずに、みんな私と一緒に涙を流して、私の背中に温かい手を置いてくれた。

 

あの体験から「反省しない!」ということが自然とできるようになった。

それまでは、自分の1日の行動を反省して、自分を責めて裁いていたのに「そんなことは必要ないかも!」という感じで反省しなくなった。

 

すると「え!」という感じで成績がみるみる上がっていった。

 

あれだけ反省しても勉強がちっともできるようにならなかったのに「反省しな〜い!」となった途端に「勉強するのが楽しくなった!」となって「わかることが増えた!」と変わる。

 

なに!なに!みんなこんなに楽に生きていたの?とちょっと悔しくなるぐらい「勉強って楽しいんですけど!」になった。

 

反省している時も、勉強時間は同じようにしていたはず。

でも、反省なくなったら、明らかに成績はアップしたので「反省っていらないんだ!」ということがわかってしまった。

 

「親の教育って絶対に正しい!」とあれだけ殴られていたから、信じて疑ったことはなかったが、こうして成績が変わったことから、私の中で何かが剥がれ落ちていった。

 

でも、人間関係においては、まだまだ「何であんなことを言っちゃったんだろう?」と後悔して、そして「明日からは、もっと大人らしく振舞うぞ!幼稚なことを言わないようにしなきゃ!」と反省していて、同じ失敗を繰り返していた。

 

今考えてみれば、何で、勉強では「反省しない」で美味しい体験をしたのに、それを人間関係でも使わなかったんだろう?と不思議に思う。

 

この「反省しない!」が本当に有効なんだ!と実感したのは、精神科のクリニックでしばらく働くようになってからだった。

 

アルコール依存症の治療をさせていただいていて「お酒を飲み続けたらお亡くなりになりますよ」と一生懸命にお伝えするのだが「チ〜ン!」となってしまう(ここでの「チ〜ン!」は鈴の音です)。

 

「チ〜ン!」となってしまう人を見ていると「私はお酒を飲んで本当に大変な過ちを犯してしまった!これからは酒を止めて償いの人生を歩むようにします!」と立派な反省をする人だった。

 

そして、見ていると「あれ?反省をしなくなったらお酒を飲まなくなった!」という矛盾がそこにあった。

 

患者さんが反省していると「チ〜ン!」となる。

 

反省しなくなると「あ!回復しているぞ!」っていうのがわかるようになって「本当に反省って毒なんだ!」ということがわかって怖くなった。

 

(つづく)

 

 


2018/08/21

「断れなくて損をしている」を簡単になくせる本(宝島社)から、8月24日に発売されます。

この本のエピソードはとっても面白いんです。最初に「本を書いてください!」と連絡をくださった編集者の方が「え?退職しちゃったの?」という感じで「あーあ!企画が流れちゃった!」とがっかりしていました。すると「担当が変わって私がやります!」と新しい編集の方が企画を練り直して私の所に持ってきてくださって「お〜!元都知事が書いた”NO!と言えない日本人”みたいで面白い!」と構成案に従って原稿を書き始めます。が、ある時に「ピタッ!」と筆が止まります。「あれ?おかしいな!」と思っていて、編集者の方からも何にも連絡が無くてしばらく放置していたら「今度退職するんで、新しい編集者を連れてきました!」となったわけです。

面白かったのは、筆が止まった時に「辞める!」ということが決まっていたこと。やっぱり脳がつながっているんだ!という感じ。そして、新しく連れて来られた編集者は「私はNO!と言えるからこの本は必要ないかも!」と言われて「え?」という感じ。

元担当から何にも連絡が無かったんで原稿を止めていたら「1カ月ずれちゃいましたけど!」となっていて、新しい編集者が「私が編集長に1カ月ずれるって言っておきますから!」と言われて「ホー!」と新しい編集者の脳を使って書き進めます。編集者の脳を使って書く、という説明は前もってしてあって、ある時、編集者から「これからハワイに行ってきます!」とメールが来て「へ〜!いいな〜!」と思っていました。編集者がハワイから帰ってきて「原稿はどうなりました?」とメールで聞かれた時に「ハワイ気分で書いていました!」と返信したら「そんなことを言われるのは不快です!」というような返信が来て「びっくり!」となります。「先生は締め切りをどのように考えているんでしょうか?やる気はあるんですか?」と書いてあって「あーあ!」となってしまいます。1か月締め切りをずらすって言ってたのに!

「まあ、この原稿はいいか!これまでの原稿はブログに乗せちゃお!」と思っていたら、うちのスタッフが「私が話をつけましょう!」と請け負ってくれた。

そして、なんとスタッフは「編集長が担当になりました!」というので「え〜!すごいかも!」と。編集長とお会いしたら「スゲ〜優秀な人!」という感じ。

でも、それが実感できたのは編集長が担当になってからの原稿を自分で読んでみて。「編集長の脳ってすごい〜!」とちょっと感動。スラスラ書けて「あっという間に終わっちゃったんですけど!」とうれしくなってしまいました。

モーツアルトの作曲したレクイエムが「途中から作曲者が違う!」というのが曲を聞いているとわかるのですが、この本もそんな感じでパートでドラマがあり「全然違う!」というのが皆さんだったらわかるかもしれません。

私にとっての課題の本であり、この本を書くことで私は変わることができました

。今書いている「見ない、聞かない、反省しない」はこの本の流れがあるのかもしれません。

 

楽しみです。

 

他の本のレビューをたくさん書いてくださって感謝です。

内容が凄いんで、明日、じっくりと書かせていただきます。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 



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