2019/05/24

今日は、雲ひとつない五月晴れです。

五月晴れって、本当は梅雨と梅雨の合間の晴れのことなのでこの時期ではない。

だから、本当はこんな空は「蒼空」なんでしょうね。

 

https://www.asahiculture.jp/special/n_oshima

朝日カルチャーセンターでお話をさせていただきます。

七月には大阪八月は福岡九月は東京で、そして十月に名古屋に行かせていただきます。

 

大阪、福岡、名古屋では「嫉妬と劣等感」のお話をさせていただきます。

嫉妬については、あの「嫉妬の本」を書いてから、さらに興味深い仕組みが見えてきて、すごいことになってきています。

嫉妬から自由になるだけで自己肯定感が上がっていくわけですから、ものすごい影響を受けているんですね。

3会場とも時期が離れているので、どんどん違った展開になっていくと思います。

 

この前、35年ぶりに会った友人に「お前、老けたな〜!」と言われて笑ってしまいました。

嫉妬のメカニズムを知っていると、人の言葉を真に受けなくなります。

真に受けなくなると、変な暗示を入れられなくなるし、妙な上下関係になって蔑まれるあの嫌なパターンが見事に消えて無くなります。

 

「大嶋、お前、老けたな〜!」と言われて、周りの同年代の女性陣がものすごい嫌な顔をしている時に、私は「俺と〇〇君は仲が良かったよな〜!」と伝えると能面のような顔から嬉しそうな笑顔に。

 

嫉妬のメカニズムを知らなかった時の展開とは全く違った流れになって、自分でも「おー!」と驚きます。

 

嫉妬の仕組みを知ることで人間関係がものすごく楽しくなって、自己肯定感が上がっていく。

そんな流れをみなさんとともに見ることができたらな、と思っています。

ただ、講演はライブ(生モノ)なので、参加してくださる方に合わせて展開が変わってきます。

それがまた楽しみです。

 

そして、十月の新宿朝日カルチャーの会場はイイノホールです。

実は、この会場は、私のジョギングコースでいつも通るところで「いいな〜!こんなところで講演ができたら!」と走りながら時々思っていました。

 

ですから、かなり気合が入っていて「周りを変える力」を手に入れる方法、という内容でお話しさせていただきます。

その流れて「自己効力感」の話をここで書かさせていただいていました。

無意識の力を使って周りに影響を与えて、自分が楽しい環境を作り上げていく、というお話です。

 

ここで書いていた「〇〇さんの背後に無意識が働いている」ということを唱えていただいて「おー!」という面白い体験を報告してくださった方がたくさんいます。

 

私の無意識がどのように働いて十月の講演を見せてくれるのかがものすごく楽しみです。

 

そう!私がするのではなくて、私の無意識が働いてくれます。

 

もっとすごいのは、私の無意識だけじゃなくて、参加してくださる皆さんの無意識が繋がって作り上げる講演会。

 

私は一人じゃない、みなさんが二人、三人、と参加してくださることで、無意識で繋がっていくので面白い展開になります。

 

コンピューターを何台も繋いで計算させることで、ものすごいスピードの計算ができるように、会場では私だけの無意識じゃなくてみなさんの無意識も活性化してものすごいことになります。

 

楽しみです!!

 

みなさんが本やブログを読んで、こうして繋がってくださるおかげでどんどん広がっていきます。

 

みなさんがどんどん自由になって、その自己効力感でこの日本が元気になりますように。

 

「自分を苦しめる嫌なこと」から、うまく逃げる方法(光文社)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

第5章 家族の嫌なことから抜け出したい、と書いてくださってありがとうございます。結婚、とか「幸せ」を想起させるイベントになるとものすごいことになりますから。電気ショックの嵐ですよ!!本当に。それで「チ〜ン!」ですから。だから「幸せ」という方向に向かおうとすると、固まって動けなくなってしまったり、怒りが出てくるのが電気ショックの条件付けですね。その条件づけを解除する方法がこの本に書いてあることなんですね。さすがです!!記憶の虫食い、ってわかります。私たちは「記憶の断片化」と呼んでいますが、トラウマの証拠です。使っていただいて嬉しいです。頼りにしていた人が「え?!」というのは分かります。私もそうでしたから。でも、そこから切り離されると、人生の展開が全然違っていきます。私も本当に嬉しいです。

 

カウンセリングを受けているみたいな本です、と書いてくださってありがとうございます。確かにおっしゃるように「孤独の発作を認める」って勇気がいることなのかもしれません。「怖い」と感じながら唱えてくださっているのはすごいっす!!あ!ちなみに頭が痛くなるのは、ご自身のじゃなくて、相手のもの〜!です(周りの人のもの)。とっても興味深い体験をされていますね!!私も同じ体験をしました。効果があるものについては、必ず反対の言葉が浮かんでくるので「あ!これは効くんだ!」と逆に私にバレてしまって「ヘッヘッヘ!」と唱えていると「お!やった!」となっていました。しかしすごいですね!!母親のお腹にいる胎児の孤独を読んだ後に感じたって。これってすごいことなんです!!嬉しいな〜!読んだ後にこれが浮かんでくるなんて。いや〜。これからの展開が楽しみです。「孤独」というのがとっても意味があることで「孤独って何?」というのが見えてきます。一緒に旅をしていますね。楽しみです。

 

孤独の犠牲から卒業します、と書いてくださってありがとうございます。本当にそうですね。周りの人の孤独の犠牲って。

「幸せ」もそうですが「楽しそう」にしていると、やられますよね。だから、条件づけて「楽しい」が選択できなくなってしまう。楽しいことをしていると罪悪感を感じるようになってしまう。でも、それが周りの人の孤独の影響だったなんて。気がついたら本当に自由になってきます。「美しさ」を基準に、って素敵です!!それが無意識さんの生き方。今を献上してもいいと思える人たちと人間関係を築くのはいいですね〜!私もこの本のイラストに救われました。

 

待ちに待った大島先生の新刊!と書いてくださってありがとうございます。一時間で読んだんですか!!!速!やっぱり脳は繋がっていますね。すごいタイミング。読んだだけでスッキリしちゃいました!の言葉に私が救われました!!え?一時間で読んだのに?と嬉しくなってしまいました。無意識さんのメッセージは美しいです。ちゃんといつでも無意識さんは働いています。「美しい!」と感じてくださったのは感動です。感謝です!!いつもありがとうございます。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/23

出版のお祝いで素敵なバラの花をいただきました。

ありがとうございます!!

 

最近、電車に乗っていても、道を歩いていても「みんなスマホをいじっている!」という世界に変わってしまいました。

 

「スマホをいじっていて、前を見て歩いていないから危ない!」と以前は、私もイラっとしていたことがありました。

 

でも「友達の本」で”異文化間交流”というのがあって「私が育った文化とは違う新しい文化なんだ!」と思ったら、スマホをいじっている歩いている人に興味が持てるようになってきました。

 

そして「新しい文化」と思って見たときに「スマホをいじって歩いている人は幸せなのかもしれない」ということを感じます。

 

歩きながらゲームをやったり、LINEを読んでいたり、充実した時間を過ごしている。

 

考えて見たら、以前は「友達」と言ったら「家の電話で友達に電話をする」とか「わざわざ会いに行かなければ友達と会話ができない」という世界でした。

 

今は、どこにいてもネットワークで友達と繋がれる〜!という素敵な世界。

 

LINEで友達の近況を知ることができる。

そして、やりとりが簡単にスマホでできてしまう。

 

「何をそんなにコミュニケーションを取ることがあるんだろう?」と思ったりするのですが、そこがスマホをやりながら歩いている人に対しての尊敬のポイントです。

 

常に、いろんな言葉が浮かんでくるんでしょうね。

そして、絵文字とかスタンプとかを駆使して、相手を不快にしないように、相手を楽しませるようにコミュニケーションができている。

 

一人で歩きながらも、ネットワークで繋がっている人の気持ちを考えて、そして相手のことが大切であることを伝えようとしている。

 

私は、ただ、だらだら目的地まで歩いているだけ。

 

電車に乗っている時も、一人でぐるぐる考えているだけ。

 

人生の満足感から言ったら、スマホをいじっている人の方がはるかに高いのでは?と思えるようになってきた。

 

そう!みんな幸せ!

 

スマホでゲームをやっている人を見たときに「異文化」という視点で観察していると、やっぱり「この人たちは幸せなのかも!」という感覚になります。

 

スマホをやりながら歩く人の普段の人生は、壮絶で大変なものなのかも知れません。

 

でも、ゲームをやっているときは、ゲームの世界の中に入り込むことができる。

 

歩きながらゲームができちゃうっていうことは、すごい集中力ですよね。

 

「無意識」という観点で言ったら「同じ単純作業を繰り返す」ということで無意識の世界に入ることができちゃう。

 

考えて見たらそうですよね、だってゲームをしながら道を歩いているって、無意識の力のほか何でもない。

 

電車に揺られいてるのに、立ったままゲームを続けられるあの姿はまさに無意識の力。

 

そう「ゲームをしながら歩いている人の背後に無意識が働いている」ですね(決してスマホをやりながら歩くことを推奨しているわけではありません)。

 

そう考えてみると、道を歩きながらスマホをやっている人がたくさんいるので「そんな国民が増えてきた日本は無意識の力が働いてすごいことになるんじゃないか?」という期待感が高まります。

 

みんな知らず知らずのうちに無意識の力を使い始めている。

 

そして、無意識の力がどんどんこの世界を幸せな方向へと導いてくれる。

 

私は、スマホをやりながら歩く人を、無意識の力を使って避けている。

 

そして、私の無意識の力もどんどん鍛えられてきた。

 

なんだか、この日本がすごいことになる気がしてきた。

 

(つづく)

 

「自分を苦しめる嫌なこと」から、うまく逃げる方法(光文社)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

大嶋先生がドラえもん、と書いてくださってありがとうございます。ドラえもんの話って、本当にうまくできていますよね。おっしゃる通り、私は、泣き虫だった過去の自分を変えてあげるために、たくさんの道具を生み出して、そして過去の自分へと送り出しているのだと思います。「過去は変わらない」という意識的な常識がありますが、無意識には不可能はないですから「過去は変えられる」という感覚があります。過去の悲惨な体験にあんなに縛られていた私がこんなに自由になったのですから。そして、こうして皆さんと繋がってお友達になり、私は戦友とともにさらに自由で幸せな世界に導かれていきます。こんな私でも「自分はちっとも変わっていない」と他の人と比較して思ってしまうことがあります。心の中をのぞけば、惨めで泣き虫なのび太の姿が成長しないままそこにいる。そんな私は、みんなから見捨てられてしまって、一人ぼっちになってしまうのでは?と不安になるんです。でも、以前と違っているのは、こうして繋がってくれる友達がいる、ということ。どんなに惨めな気持ちになっても、この本を通じて繋がってくれる友達がたくさんいて、ともに歩んでくださっていることを感じられる。どんなに泣き虫で、惨めで、ダメ人間であっても。どんなにみんなが素晴らしい方であっても、私の中で繋がっています。しかし、すごいスクリプトを書かれますね。脱帽です。お師匠さんが読んだら、喜びますね。いや、喜んでいらっしゃる。ヤコブの階段を登りながら。

 

美しさで判断する、と書いてくださってありがとうございます。このメソッドはすごいですよね!いや、この編集者の脳はすごいや!と私もびっくりしていました。美しくないものは捨てる!そして美しいものだけを楽しむ、ということをしていくと、迷わない!!時間が無駄にならない、という体験を私もしています。「もう、美しくないものはいらない!」という感じになっています。しかし「美しさ」を基準に支配者のことを異文化として勉強されているのはすごいな〜。「美しさの基準が違う」という言葉が私に刺さりました。素敵です。さらに美しさの判定でこの本のレビューを書いてくださったのも嬉しいです。そうなですよね、美しさに無意識が宿るんです。私へのヒントを心が教えてくれたのが嬉しいな〜。そうなのね!まだ終わりじゃないのね。心は怖いわ〜。あれを書かなきゃいけないのね。ふ〜。書いてくださってありがとうございます。

 

感謝!!

 

「本当の友達がいなくてさびしい」と思ったとき読む本 のアマゾンのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

”弱者”をやめてもいいんじゃない?と書いてくださってありがとうございます。いいですね〜、思い出すだけで繋がれる安心感がある、って。いや、本当に便利ですね。いやー、わかるな〜。私もずっと「友達ができない」と思い悩みながら、どんどん自分が下に落ちていきました。弱者をやめると友達ができるんですよね。すごいっす!!そうです!弱者じゃありません。不快な感覚に苛まれてしまうときは、自分のGPSの位置がずれているとき。高低差を間違えちゃって、ひたすら地面の中を潜っている状態です。ちゃんと調節してみると「あ!美しい風景が見えてきた!」となるから面白いですよね。「私にだって友達ができるのだから」という力強いお言葉が本当に嬉しかったです。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 


2019/05/22

今朝の空は、とっても爽やかでした。

そうか!昨日、大雨が降ったから空気が澄んでいるんだ。

ちょっと、特をした気分。

 

ある食事会で、旦那さんの仕事でずっとアメリカに行っている人の話を聞いていて「苦手な人から逃げられないんです!」という話が出てきた。

 

「へー!」

 

女性は、嫉妬されるような容姿だったし、旦那さんも仕事で成功しているみたいだし「まあ、嫉妬されているから逃げられなくなるんですよ」という話をした。

 

すると女性はまた「私は苦手な人から逃げられないんです!その人はすごく癖のある人で」という話を繰り返した。

 

「あれ?」さっきと同じ話だ。

 

私は、再び”嫉妬”の話をして学習性無力で「逃げたくても逃げられなくなる」という話をします。

 

そしたら女性がまた「私は苦手な人から逃げられないんです」と同じことを繰り返した。

 

そんな時に「あ!」と気がつく。

 

私の意識的な常識では「まあ、嫉妬で動けなくなっているんだろうな」ということがわかる。

 

でも、無意識の力を借りてこの女性のことを見たらどうなるんだろう?と興味が湧いてきた。

 

そこで「わからない!」と意識がわかっていることをいったん白紙に戻して無意識を起動しちゃう。

 

「わからない!」と自分の頭の中にあったいろんな考えを次から次へと白紙に戻していくと「あ!この人の父親が関係している!」ということが浮かんでくる。

 

確認してみると、その方のお父さんは、その方がアメリカに行っている時に亡くなってしまって、死に目に会えなかった。

 

女性が「苦手な人」と言っていた人は女性だけど「父親そっくり!」で変わった人だった。

 

その方は、お父さんが亡くなる前に「帰るべきか、それとも苦手なお父さんを避けるべきか」ということで悩んだのだと思う。

 

そして、帰らなかったことで「罪悪感」が心の傷とともに残ってしまった。

 

その罪悪感が心の傷として残ってしまったからこそ、お父さんとそっくりな不快な人から「逃げられない!」となっていた、ということが見えてきて「なるほど!」となるわけです。

 

その女性も「不快な人から離れられない自分はおかしい」とそれまでは自分を責めていました。

 

でも「あ!父親への罪悪感から不快な人から離れられなかったんだ!」とわかった時に「自分を責める必要がないんだ!」と一つのことから自由になります。

 

さらに苦手な人と父親を重ねていたことから「あ!本当に父親に傷つけられてきたんだな」ということで自分を許すことができる。

 

そんな流れを無意識は見せてくれたんです。

 

無意識って、意識できない世界を見せてくれます。

 

そして、私は、その世界に美しさを感じるんです。

 

(つづく)

 

「自分を苦しめる嫌なこと」から、うまく逃げる方法(光文社)のレビューをさっそく書いてくださってありがとうございます。

ツッコミが面白すぎです!ツッコミの三段落ちで、そして最後の「お母さん、さようなら〜〜」は核心つきすぎです!!面白い!!

 

「苦手な人から逃げられない」とか、自分を苦しめているのに「なんで?」と普通の人だったら思うんですけど、そこには興味深い仕組みがあります。

今日書いた、女性のお父さんのお話にもさらにもう一段深い仕組みが隠されています。そんな仕組みが見えてくる面白い本になっています。

 

自分のことって「否認(認めたくない!)」という力が働いてしまう。

でも、人のケースを読むことで「あ!なるほどね!」とその仕組みが理解できていくにつれて、段々と自分の仕組みもわかってきて「あ!これで逃げられなくなっていたんだ!」といつのまに足枷が外れていく、という仕組みになっています。

 

「なんであの人は苦しみから逃げられなくなっているのか?」と興味を持って人のことを見ることができて、その仕組みをわかってあげるだけで、相手の無意識が起動して「あ!逃げられているじゃん!」という風になっていきます。

 

人を自由にする力を手に入れることができる。

 

そして、それを使うことで自分自身も嫌なことから逃げられるようになって自由になっていきます。

 

皆さんの脳のネットワークに繋がって、どんどん自由になっていく。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 


2019/05/21

昨日は動画撮影のテストをしていました。

しかし日焼けしているなー。

 

今朝は、雨が降っていたのでジョギングにはいけませんでした(ラッキー!)。

雨のおかげでサボれるぞ〜!

 

 

ある方とお話をしていて「体力の限界!」と仰っていた。

 

仕事を頑張りすぎちゃって「急にドーンときた!」と身体がボロボロで「もう動けない!」という感じ。

 

実は、私もその朝にそれと同じ体験をしていたんです。

 

走っていて「急にドーンときた!」という感じで「もう走れない〜」と身体がものすごく怠くなってしまった。

 

真面目に歩道の真ん中で倒れようかな、と思うぐらい辛くなってしまって「このまま走り続けられない」と苦しむ。

 

「昨日、サーフィンをやった後に、部屋の片付けを頑張ってしまって疲れちゃったからかな?」とか。

 

「もう、年齢的に無理をしてはいけないのかな?」や。

 

「心臓や肺に何か問題が生じているのかな?」と不安になってくる。

 

そんな時に、目の前を走っていた、ちょっとぽっちゃりとした男性を抜かした途端に「あれ?さっきの辛さが何処かに行ってしまった!」とビックリしました。

 

あれれ?

 

どんどんスピードが速くなってきた〜!というのが、昨日の写真の国立劇場前でした。

 

ふっと思い出してみたら、ぽっちゃりとした男性がものすごい勢いで私のことを抜かしていった、そのあとから「苦しい〜」と私は急に自分の体力の限界を感じ始めていた。

 

でも、それって、私のじゃなくてあのぽっちゃりとした男性が無理をして走っていて「苦しい〜」となっていたのを私が脳のミラーニューロンで受け取ってしまっていたから。

 

目の前を走られてしまって、ずっとその方の背中を見続けていた時に「あ!脳のネットワークで繋がって苦しみをもらっていたんだ」となっていた。

 

これって、職場や学校でも結構あったりします。

 

「あいつムカつく!」と思ってしまうときって、私がぽっちゃりした人の背中を見ながら走っている状態。

 

相手に注目を向け続けてしまうから「相手の不快感がどんどん伝わってくる〜」となっています。

 

不快感を感じたときって、人は「自分の身体の不快感だから、自分に原因がある」と思ってしまうんです。

 

だから「あれ?あいつに精神的なダメージを与えられたから辛くなっているのかな?」とか、いろいろ原因を考えちゃって「この辛さは自分のもの!」としてしまう。

 

これが意識が作り出す世界です。

 

意識では、いろんなことが瞬間的にわかってしまう。

 

そして、意識でいろんなことを考えてしまうと、意識は私を暗い狭い意識の檻の中に閉じ込める。

 

そんな時に「わからない!」と無意識を起動してみると「あれ?この苦しみって私のものじゃない!」となっていつの間にか狭い檻が幻想であったことに気がつく。

 

そう、意識の壁という限界がない無意識さんの世界で自由に楽しむことができる。

 

いろんなことを頭の中で考え出して、不快感が湧いてきたら「わからない」と無意識を起動してみると不思議なことが起きます。

 

「仕事や人間関係でプレッシャーを感じて苦しくなっている?」と思った時に「わからない」と意識じゃなくて、無意識に委ねてしまう。

 

「自分の無意識はありとあらゆるものに素晴らしい影響を与えることができる」という自己効力感を高めて無意識の力をもっと楽しく使いたい、という方は「あの人の背後に無意識が働いている」と唱えてみると面白いことが起きます。

 

確かに「わからない」と唱えて無意識を起動するよりも「あの人の背後に無意識が働いている」の方がお得な感じがします(お得ってなんやねん!)。

 

どんな人に対しても「あの人の背後に無意識が働いている」と唱えてみると「あ!自分の世界が変わってきた!」となる。

 

私は走っていて、目の前を走っている人に対して「あの人の背後に無意識が働いてる」と唱えればいい、とは思いつきませんでした。

 

でも、そういうことなんでしょうね。

 

無意識さんの世界って。

 

みんなの無意識を起動させて、自分の都合がいい世界を作り出すことができる。

 

(つづく)

 

「自分を苦しめる嫌なこと」から、うまく逃げる方法(光文社)がアマゾンから発売されました。

 

この本は、面白いです(自分で言うな〜!)。

 

サクッと読めちゃうんです。

短時間で読めちゃう本って「あれ?何も残っていない?」となるはずなんです。

 

でも、この本って、変な表現かもしれませんけど「自分が一段上がった」という感覚が出てくる(私が感じた感覚です)。

 

もしかしたら「泥沼状態から抜け出した」というか「足を洗うことができた」というか、なんかさっぱりした感じになっていて「あー!スッキリした!」という気分にさせてくれました。

 

自分に関係あるケース、無いケースと読み飛ばす感じじゃなくて、なんか、いろんなケースが中に散りばめられていて、それが自分の周りの人達の謎を解いていく感じでスッキリしていく。

 

あ!だから、母親は、あの父親と結婚したんだ!とか。

 

あの人って社交的なのは、そんな理由だったんだ!

 

そんなことがわかってくると、その人たちにかけられていた呪縛から解かれていきます。

 

いや、本当に人は、周りの人の影響を受けているんですね。

 

周りの人たちが「嫌なこと」から逃げられない仕組みが見えてくると、いつのまにか自分が自由になっていきます。

 

もちろん、自分のためにも役に立つのですが「あ!これってあの人のことだ!」と読んでみるのも面白い。

 

謎が解けていくと、その人たちとの付き合いが楽になっていくから。

 

この編集者の脳はすごいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/20

「自分を苦しめる嫌なこと」から、うまく逃げる方法(光文社)が令和1年5月21日にアマゾンから発売されます!!

書店さんは22日になるかも。

 

「やりたいことがわからない」とか「楽しいことがわからない」という悩みがあるのは「自分の感覚が麻痺している」から。

 

なんで感覚が麻痺してしまうかというと「嫌なことがヤメられない」から。

 

「嫌なこと & 不快なこと」をしない!と全部やめてしまうと「お!自由になってきた!」となって、やりたいことが見えてきて、楽しい、と感じられるようになる。

 

でも、大人の社会では「嫌なことをしない、と甘ったれたことを言っていたら社会が成り立たないでしょ」と嫌な顔をされる。

 

「嫌なことを率先してやって、人は成長していく」と私はこれまで信じてやってきた。

 

だから「逃げちゃダメでしょ!」って、どんな時でも嫌なことに正面から向き合ってきた。

 

この「成長」というのが一つのポイントなのかもしれない。

 

人は、なぜ成長を求めるのか?

 

成長の先に、何があるのか?

 

それが、今回、この本を書いていて見えてきて「なるほど!」となっていました。

 

そして、私は、自然と不快なことは「もういいかな」と逃げられるようになります。

 

この本の編集者の脳をお借りして書いたこの一冊は、私を自由にしてくれました。

 

知らず知らずのうちに。

 

読んでくださる皆さんと共有できたら嬉しいです。

 

いつも、ありがとうございます。

今朝は、国立劇場前を走っていました。

起きた時は「あー、身体が重い」となっていたのは昨日のサーフィンのせい。

でも、この怠いまま身体を放置していたら、一日がだるくなってしまう〜、と思ったから外に走り出した。

何をやっているんだか!

 

人と会話をした後って「あー、あんなことを言わなきゃよかったのに」と自分が発言したことを検証したくなってしまう。

 

「あの私の一言はあの人にとって不快だったのでは?」

 

「なんであの時、あんな余計なことを言ってしまったんだろう?」

 

「あの私の発言は、的外れで相手から軽蔑されたかも?」と検証すればするほど、どんどん不快な感覚が押し寄せてきます。

 

私の場合「周りのみんなを不快にしたんじゃないか?」と気になってしまう。

 

そして、みんなから嫌われることがものすごく心配になる。

 

私の嫉妬の理論からすると、もし、脳のネットワークが存在しているのだったら「自分が相手に申し訳ないことをしたかもしれない」とか考えた時点で「弱者」になってしまうから、私が思い出していた人たち脳と繋がって、相手から嫉妬の発作の電流が「ビビビッ!」と流れてくる〜、となってしまう。

 

だから、過去の会話を反芻して、自分一人で「悪いことをしたのかも?」と検証している、と思っているのだが、実は「脳のネットワークで電気ショックが飛んでくるから、同じことを繰り返し考えてしまう」となっている。

 

興味深いのは、これを理論的にわかっていても「どんどん不快な感覚にはまってしまう」という感じで意識的には抜け出すことができない。

 

意識的に抜けよう、としても、不快な感覚は私に絡みついてきて、不快な沼へと引きずり込もうとする。

 

それを断ち切ろうと、私は一生懸命に自分のしてしまったことを反省したり、言い訳をしている。

 

でも、それをすればするほど不快感は増していく。

 

そんな時に「無意識に任せる」ということをする。

 

多分、多くの人が「無意識なんて目に見えないものにまかせることができない」と思ってしまう。

 

自分がコントロールすることができる意識を信じている。

 

そして、自分の意識だけじゃなくて周りの人たちの意識的な常識に頼って、自分が間違っていないことを検証したい、と思ってしまう。

 

意識で「無意識に任せる」と思っても、意識が働いているから「そんなの無理」となってしまう。

なぜなら、意識は常識的だから。

自分の常識から外れた無意識などに任せることは、意識は到底受け入れられない。

 

無意識に簡単に任せられる方法は「わからない」と頭の中で唱えてみること。

 

「あの私の一言はあの人にとって不快だったのでは?」

 

「わからない」と頭の中で唱えみると、あれ?不思議。

 

「なんであの時、あんな余計なことを言ってしまったんだろう?」

 

「わからない」

 

「あの私の発言は、的外れて相手から軽蔑されたかも?」

 

「わからない」

 

不快なことが浮かぶたびに「わからない」と唱えてみると「ちょっと自分が無責任になった気がする」という後ろめたさが出てくる。

 

その「無責任」という感覚が「無意識さんに任せているから」なんです。

 

私が責任を取らなければ、無意識さんが勝手に良きに計らってくれる。

 

「わからない」で無責任になればなるほど、無意識さんが責任をもって対処してくれる。

 

(つづく)

 

「本当の友達がいなくてさびしい」と思ったとき読む本 のアマゾンのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

一体感が少しつかめたかも、と書いてくださってありがとうございます。私は、子供の頃に寝る前に「植村直己さんのような冒険心とソロモン王の英知を与えてください!」と祈っていました。そしたら、上村さんまでとはいかないけど、英語が全くわからないまま、留学をした冒険心は得られた気がします。本当にアホですね。おっしゃる通り「〇〇の背後に無意識が働いている」が一番しっくりくるかもしれません。いろいろ試して、検証していくってとっても面白い。無駄なことをやっているようで、その背後に必ず無意識が働いている。意識が無駄だと思えば思うほど、そこには無意識が宿ります。どんなに遠く離れていても、無意識の力は無限ですからいけまっせ!遠く離れていても、みんなつながっていて「お友達」です。一体感の解釈は大正解です!!さすが!バラはいいですよね。嬉しいな。私も、さすがに暑くなってきたから早く走ることができなくなってきたけど、バラの香りは楽しめました。少子化解消大作戦!あはは〜。

 

いつも応援してくださってありがとうございます。感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/18

走っていたら「あれ?道端に若者たちが落ちている」となっていた(お前はどっちを見てんねん!)。

歩道で何人もの若者が、携帯が鳴っているのにも関わらず、それを手にしながら眠っていた。

ゴールデンウィーク明けなのに、みんなすごいな!と感心しながらそれを見ていた。

黄色いバラがものすごく綺麗!

その向こうに「あ!そうか!」と若者たちがなんで道端で力尽きていたのかの理由がわかった。

オクトーバーフェストというのはドイツビールのお祭りで、日比谷公園では昨日からスタートしたんです。

なるほどね!このお祭りであの子たちは楽しんじゃって、力尽きて道端で寝ていたのね。

私の中で謎が解けました。

 

感情は一瞬だけ。

 

一瞬で感情は湧いて、そして消えていきます。

 

私は、一つの感情を感じたら「いつまでもその感情を引きずっちゃう〜!」となっていた、

それは、一つの感情をきっかけに、ぐるぐると考えてしまって意識が作り出す幻想の世界に閉じ込められていたから。

 

「こうなったらどうしよう?」とか「あの人があんなことになったらどうしよう?」と感情をきっかけに先のことを考え始めてしまって、そこから未来に起きるかもしれないことで「ムカつく!」とか「不安だ〜!」や「絶望的だ〜!」とものすごい重い感情に取り憑かれてどんどん気分が沈んでいってしまう。

 

よく考えてみたら非常に興味深い。

だって、起きてもいないことでも絶望できちゃうから。

意識の作り出す幻想って本当にリアルだから、相手とのやりとりを頭の中でしていて「ムカつく!」と怒りを感じて、どんどん疲れてしまう。そして、相手の顔を見るのも億劫になり、仕事や学校に行くのも嫌になっていく。

 

これって無駄なことなの?と自分では疑問に思ったことがありませんでした。

 

なぜなら「石橋を叩いて渡る」と言うことわざがあるぐらいだから「頭の中でいろんなシミュレーションをしておいて危機に備えることが必要」と本気で信じていたから。

 

でも、私の場合、どれだけ意識的に考えて、頭の中でいろんな相手とやり取りをしても「自分の想定外のことは起きない!」となっていた。

 

想定内のことしか起きない、というのは「何も現実が変わらない」ということ。

 

頭のどこかでは「人生の一発逆転」のようなものが起きて欲しいのだが、頭の中で作られる幻想のやり取りで疲れ切ってしまって、想定外のことを起こす力が残っていない。

 

こんな風に書くと「頭の中でぐるぐる考えることがいけないのか?」と思ってしまう。

 

頭で意識的に考えてしまえば、幻想の牢屋に閉じ込められて、そこから抜け出すことができなくなってしまう、という感じ。

 

でも、この一つの感情をきっかけに嫌なことを考えるのが止まらない、というのは意識的にやっていることなの?というと「?」となる。なぜなら「不快なことを考えるのが嫌だな」と思っていても「自分ではやめられない!」となっているから。

 

そう、ここにも無意識が働いてる、と思ってみると展開が全然違ってくる。

 

私は、一人で頭の中でぐるぐる考えることは意味がない!と思っていた。

 

「意味がないのかわからない」とすればそこに無意識が働く。

 

そう、脳のネットワークで目の前に相手がいなくても、思い浮かべている相手とつながることができるから、ありとあらゆる情報のやり取りができちゃう。

 

無意識の世界では、意識が「無駄」とか「意味がない」と判断してしまうことにこそ意味があって、無駄が何一つない。

 

一つの感情をきっかけにどんどん想像が膨らんでいってしまって「嫌なことをどんどん考えちゃう!」というのを「意味がないこと」と判断しちゃうのが「意識」なんです。

 

ここで「これにも無意識が働いている」と思ってみると展開が全く違ってくる。

 

想定外のことがどんどん起きて「現実の世界が変わっていく〜!」となる。

 

「自分は変わらない」とか「変えることができない」という意識的な判断をきっかけに、周りの人たちに怒りや憎しみが湧いてきた時でも「ここにも無意識が働いている!」とすると「何一つ無駄なことがない!」という展開に変わっていく。

 

「自分はちっとも変わらない」という意識的な判断に閉じ込められていた、という所にも無意識が働いていた、ということを思うだけで想定外の展開が巻き起こる。

 

「変わらない」というためには、体内のホルモンのバランスを均等に保ち続けなければらない。

もちろん、そこには無意識が働いている。

そんな無意識がホルモンの均等を保ち続けながら「変わらない」を助けてくれている。

 

ちょっとでも無意識さんがいたずら心を出せば、ホルモンのバランスは大きく崩れてしまい、変わらない自分を保つことができなくなってしまう。

 

常に無意識はありとあらゆる方法を使って、均等を保つ助けをしてくれていて「変わらない」を助けてくれている。

 

無意識の力を感じた時に、いつのまにか無意識は私の味方となってくれて、私を助けてくれます。

 

その無意識の助けを求めた時に、私は、いつのまにか感情から解放されていることに気づくことができたんです。

 

不快な感情が何一つ自分のものじゃない、と気がつかせてくれた。

 

優しい無意識さんの力で。

 

(つづく)

 

「本当の友達がいなくてさびしい」と思ったとき読む本 のアマゾンのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

解放された、と書いてくださってありがとうございます。暗示から解放されたのは嬉しいです。この本って後からジワジワ効いてきますよね。やった〜!この本は、視力矯正じゃないけど、読んだ後に「あれ?ちょっと今までのことがクリアに見えてきた!」と私もなりました。本来の自分に戻ることができて、その本来の自分の感覚を使うことができるようになる、って素敵です。いや、本当に嬉しいです。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/17

昨日、帰ってきてから「あ〜!」と座椅子に座ってしまって、目を開けたら朝でした。

「あか〜ん!」と思って、慌てて走りに行く私。

でも、しっかりバラの香りを満喫してきました。

 

意識が作り出す現実があります。

 

「やりたいことができない」、「時間がない」、「周りにろくな人間がいない」、「自分だけいつも嫌な目にあう」など。

 

無意識には限界がない。

 

そして無意識の世界に入るには「やりたいことができるかどうか、わからない」としてしまう。

 

「時間がないかどうかもわからない」

 

「周りにろくな人間がいないかどうかもわからない」

 

「いつも自分だけ嫌な目にあっているかどうかもわからない」と”わからない”を連発しているとアホになった気分になるのですが、そこに無意識が宿ります。

 

「やりたいことができるかどうかわからない」と自分の中でしていると「お!隙間の時間にやりたいことをちゃっかりやっちゃっているじゃん!」という感じになっていた。

 

「時間がないかどうかわからない」と唱えてみると「あれ?すっぽりと時間が空いちゃったじゃん!何をやったらいいのかわからない!」となったりする。

 

「わからない」で意識が作り出す現実が、無意識の世界へと塗り替えられていく。

 

5月に入って、仕事で疲れきっている旦那を見て「この人はもう仕事を続けられないかもしれない」と不安になるのが意識の世界。

 

これを「旦那は疲れているのかどうかわからない」としてみると面白いことが起きます。

 

「この人が仕事を続けたいのかどうかもわからない」と片っ端から無意識を起動していきます。

 

そして無意識を起動していくと「私はこの人と一緒にいたいかどうかもわからない」というところにたどり着いて「あ!自由かも!」となる。

 

ブッダのいう「執着から解放された状態」になるんでしょうね。

 

自由って。

 

意識的な常識では「家族は辛い時に支え合わなければ!」となっていますけど「相手が辛いかどうかもわからない!」が無意識の世界。

 

意識では「だって辛そうな顔をしているじゃない!」と突っ込みたくなる。

 

「本人だって”辛い”と言っているもん!」と文句を言いたくなる。

 

でも、そこで無意識の世界では「辛いっていうことがわからない」となる。

 

「辛いって、何が辛いのかわからない」としてみる。

 

「体調がすぐれなくて辛そう」と意識は現実を作り出します。

 

「現実に顔色だって悪いし」と思ってみると意識の現実は確実なもののように感じられます(さあ!どうする!無意識!)。

 

無意識は「人のことはわからない」という強力なカードを出します(確かに!)。

 

確かに、自分の体調がすぐれなかった時に、誰かに「辛そう」と言われた時に「あ!わかってもらった!」という感覚よりも「ちょっと違うんだよな〜!」と余計に辛さが増した時のことを思い出します。

 

「人の辛さはわからない」というのは意識的な世界では「相手の痛みがわからない冷たい響き」に聞こえますが、無意識の世界では「相手の無意識の中にある自己治癒力を信じる」という温かさに満ちています。

 

「わからない」で無意識の世界を生きると、現実の世界が変わっていくんです。

 

無意識によって世界が「美しく」変わっていきます。

 

意識的な世界では「辛そうにしている旦那のことを心配して精神的に支えてあげることが美しいのでは?」と思うわけです。

 

「旦那が辛いかどうかもわからない」としてしまったら”心配”という優しさに満ちた感情が排除されてしまって人間的に何かが欠けてしまったような気がして「感情を手放したくない!」となってしまう。

 

そんな時でも「旦那が辛いかどうかもわからない」と無意識に委ねてみると、バラの花を思い出したりするんです。

 

そう、一輪の花は、美しく咲き誇り、そしてその花びらは時とともに朽ち果てていきます。

 

その朽ち果てていく姿は「かわいそうかどうかもわからない」。

 

花びらが落ちて、そして控えていた蕾が開いて見事な香りを放つ。

 

次から次へと咲き誇るバラよ。

 

「あ!美しいバラには”心配”という感情が必要ない」と気づく。

 

そう、バラには感情があるかどうかわからない。

 

でも、そんなバラは美しく咲き誇り、それをみる人々の無意識に働きかける。

 

バラは、人の無意識に何を働きかけているのかわからない。

 

そんな風に無意識に委ねてみると、バラの香りが漂ってくるような気がしてきた。

 

そして、世界がどんどん美しく変わっていく。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/16

「意識には限界があるけど、無意識には限界がない」

 

人は意識で「もうだめだ!」とか「もう限界!」と判断しちゃう。

 

そんな時に、無意識の力を使うには「わからない」とする。

 

「わからない」というのは「ダメかどうかはわからない」とや「限界かどうかわからない」ということ。

 

「わからない」って否定的な言葉のように聞こえますけど「わからない」ということは”無限の可能性がある”ということなのかもしれません。

 

意識は「いろんなことがわかっている」となっていて「自分の限界をちゃんと知っている」と信じています。

 

例えば、職場の中で「あの人は私のことを見下していて、私のことを排除しようとしている」とちょっとした相手の言動でわかってしまいます。

 

そんな人は「これって私の被害妄想なの?」とか「私の態度が弱気だから、こんな状況になってしまうの?」という気持ちを行ったり来たりしちゃう。

 

意識的な専門家がこれを聞いたら「思い込みが激しい、被害妄想の傾向あり」と判断したりします。

なぜなら「相手から直接”あなたを見下している”とか”この場から排除してやる”という言葉を言われていないのに、そのように信じてしまっている」から。自分が考えたことが「真実である」と思い込んでいるから「病気の傾向があり!」と思ってしまう。

 

無意識的な専門家の場合「わからない!」となる。

「わからない」なんていうのは専門家としてどうなの?と普通の人だったら信じられなくなってしまう。

 

「わからない」というのは、それが思い込みかどうかがわからない、ということ。

 

なぜなら「脳のネットワークを通じて相手の考えていることが伝わっているかもしれない!」ということ。

 

それも、相手が「自分は嫌われている」とか「この場にふさわしくない」と思っているのをミラーニューロン(脳の鏡のように真似をする細胞)が真似しちゃって「相手の考えていることを自分のものにしちゃっている」という可能性だってある。

 

さらに「無意識が”見下している”とか”排除されそう”と思わせている」という可能性だってある。

 

無意識がそんなことを思わせて、反骨精神を掻き立て「会社全体を変えちゃる!」というエネルギーを燃やさせている、という可能性だってある(反骨精神とは、世の中の不正や、因習などに果敢に立ち向かっていく精神のこと)。

 

無意識は限界がないから、書いていくときりがないのですが、普通の人が「弱気」と思ってるようなことの中にも美しさを見出すことができる。

 

そのためには「わからない」とすることがとっても大切。

 

世間的には「知識がある方が美徳」となっているかもしれません。

 

テレビをつければ、頭のいい人たちがクイズ番組をやって正解を出している。

 

そんな時に「わからない」というのは「自分は劣っているのかもしれない」と不安になります。

 

でも「わからない」から知りたくなるし「わからない」からいろんな可能性を考えてしまう。

 

「それは不正解です!」と言われても「不正解かどうかもわからない」というのは、不正解を出したことで、ちゃんと正解の回答を記憶することができるから。

 

次におんなじクイズを見たら「あ!私、それ知っている!」と自慢げに答えを披露するのは「不正解!」を体験したから。

 

この「わからない」というのは、非常に面白いキーワードで「感情を打ち消す」という効果があります。

 

その場で怒りにまみれたり、パニックになったり、焦ったりした時に「わからない」とすると「あれ?不快な感情がなくなる!」という現象が起きます。

 

無意識の世界には不快な感情がなーい!

 

でも、世間的な常識では「感情がないと気持ち悪〜い!」となっている。

 

「わからない」で不快な感情にとらわれないでいると無意識が起動して「おー!美しいものが見えてきた!」となる。

 

そりゃそうだ!

 

不快な感情にとらわれていたら、不快なものしか見えてこない。

 

「わからない」で不快な感情から解放された時に、そこにある本質が見えてきて、その美しさを体験する。

 

「わからない!」は無意識さんへの入り口。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/15

バラはやっぱりいいですね!

香りがものすごく素敵。

日比谷公園にはいろんな種類のバラが咲いています。

 

「バラの花の香りはいい香りですよ!」と言われた時に、以前の私だったら「花粉症の私が花の香りなんか楽しめるわけがない!」と思っていました。

 

試しに、花の香りを嗅いだだけで「ヘックション!」とくしゃみが出ていた。

そこから花粉症の症状が出て「チーン」という気分と、私に花の匂いを嗅がせた人に対しての怒りが止まらなくなってしまう(確かに怒りが止まらなくなっていたな〜!)。

 

「無意識の力」で自己効力感を高めちゃおう!という話を書いていました。

 

でも「お金」というキーワードで、ぎゃ〜!となってしまって「無意識どころじゃないでしょ!」となってしまうのは、私の以前の花粉症と一緒。「無意識」という香しい匂いを楽しもうと思ったら「アレルギー反応が〜!」という感じになって「それどころじゃない!」という感じになる。

 

ちょっとでも「損をした!」ということがあると「パニックになって、まともに考えられない!」というのは、メンタルの問題とされているけど、私はそれだけではないと思います(おう!おう!強気の発言!)。

 

アレルギー体質になっているから「お金を損した」というきっかけで「悲観的な考えが止まらなくなる」という症状が起きてしまう。

 

ちなみに「時間を無駄にした」とか「感謝されない」も間接的に「お金」と関連している。

 

ですから自分とか他人を責める思考が止まらなくなった時って「あ!アレルギー反応なんだな!」という見方をすると興味深い。

 

思考パターンが「悲観的」なのではなくて、それ自体がアレルギー反応、と捉えてみる。

 

そして、その反応から解放されたら「あ!頭がスッキリした!」となっていく。

 

まあ、一般的には「アレルギー体質を改善するのは難しい」という感じになっています。

 

そんなアレルギーの反応が「私は〇〇を許します」という言葉で反応が止まったのは、非常に面白いです(もちろん個人差があります)。

 

このような現象があるから、最近の医療でも「物語(ナラティブ)」というものが注目されるようになっているんだと思います。

 

もう、鋭いみなさんは気がついていると思いますが、この「アレルギー体質」自体も「無意識的なアプローチ」になります。

 

意識的な世界では「そんなアレルギー体質なんかあるわけがない!」という常識的な判断が働きます。

 

意識の常識的な世界で生きるのは、素晴らしいことです。

 

常識という素晴らしい現実の中で生きられます。

 

そして、意識的な世界では「症状から抜け出せないのは、因果応報が関係しているから」という話になってしまう(因果応報とは、良い行いをすれば良い報いがあり、悪いことをしちゃうと悪い報いがある、です)。

 

「あの人が病気になったのは、不規則な生活をしていたから」とか「あの人が仕事ができないのは、素直じゃないから」など(まあ、ちょっと因果応報とは違う例ですけど、なんとなく分かりますでしょ。どんだけアバウトやねん!)。

 

意識的な判断って本当にシンプル。

そして、ベタな結果が得られちゃう。

 

無意識の世界というのは、限界がある常識的な世界を超えていきます。

 

意識には限界があるけど、無意識にはない。

 

そうなると「無意識的に生きる人って非常識なのでは?」と意識的な人は思ってしまう。

 

確かに、意識的な人には常識がある。

 

かと言って、非常識な人が無意識的な生き方をしているか?というと「わからない」というのが正直な答えです。

 

ただ、私のお師匠さんは無意識的な生き方をされていたけど、非常識ではありませんでした。

 

お師匠さんのことを振り返ってみると、意識的な人の基準は常識だけど、無意識的な人の基準は「美しさ」である、と思うんです。

 

無意識の持つ美しさ。

 

それが無意識的な人の基準。

 

どんなものの中にも、美しさを見出す無意識の力。

 

そう、意識的な私には、その美しさを見出すことができないから、私は無意識に委ねます。

 

だから「この人の背後に無意識が働いている」と頭の中で唱えてみる。

 

すると、相手の無意識と私の無意識が起動して「おー!美しい!」というものを見せてくれる。

 

無意識の力を使って見てみると、全てが時にかなって美しい。

 

自分の中に渦巻く悲観的な思考は「美しい」なんて思えません。

 

でも、そこで無意識的なアプローチを使って「アレルギー反応」としてみると「あ!自己免疫が私のことを過剰に守ろうとしてくれている!」という美しさがその背後に見えてきます。

 

そして「私はお金持ちを許します」と唱えてみると、あれだけ悲観的な思考が渦巻いていたのに、いつのまにか静かになり「あ!自己免疫が攻撃しなくなった!」という面白いアプローチができます。

 

そう、無意識は「罪と罰」の世界から解放してくれて、美しさと面白さが広がる世界を私たちに見せてくれます。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/14

今日は、公園でバラがものすごくたくさん咲いていて「あー!いい香り〜!」と香りを満喫していました。

バラのあの香りが大好きです。

 

「お金アレルギー」と「幸せアレルギー」があるかもしれない、という面白いお話。

 

私は赤ちゃんの頃から「お金がない」ということを親から聞かされ続けてきました。

 

だから、私の体内では「お金」に対するアレルギー体質ができてしまう。

 

「お金って思考が影響しているんだから脳の問題なんじゃないの?」と思われるかもしれません。

 

貧乏生活をしていて、周りの子供たちから虐められ仲間はずれにされた、というのが心の傷になった。

その心の傷が影響をして「お金!」ということをきっかけに「心の傷が痛む〜」となってしまいます。

 

そして心の傷がちゃんと癒えていないと「周りからいじめられるようなことをしてしまう」というのがトラウマの再上演ということ。

 

トラウマの再上演とは「心の傷を打ち消すために、傷ついた時と同じことをしてしまう」という症状のことです。

 

暴力的な親に育てられた人がいたら「絶対に暴力を振るう人は嫌!」となるはずでしょ。

 

ところが「あれ?暴力を振るう男性と結婚しちゃった!」というのがトラウマの再上演。

 

だから「お金がない」という家庭内の状況で「ポワするしかない!」と親が思ったりしたら、子供はそれを感じ取って「トラウマじゃ〜!」となってしまう。

 

「お金」が「死の恐怖」と結びついてしまう。

 

「だったら、お金を貯めればいいじゃない!」となるのですが、暴力を振るう人と結婚しちゃった、と同じ原理で「お金を失うことをしちゃう!」というのがトラウマの再上演。

 

要するに貧乏くさい両親とは同じにならないぞ!と思っていたのに、やることなすこと「あれ?どんどん貧乏になる!」となってしまうのはトラウマ化しているから。

 

そんなケースもあります。

 

 

もう一つは「本を読むことができない」という学習障害の問題がありますが「計算ができない」という学習障害があるから「お金がちっともたまらないで貧乏になる」です。

 

「計算ができない」というのは「そんな大したことはない!」と軽く見られちゃいます。

 

「100ます計算を毎日したら、計算ができるようになるよ!」と努力の問題として見られちゃいます。

 

いや、違うんですって!

 

信号の色を識別できない、となってしまう色彩認識と同じレベルで「計算ができない」という症状があるんです。

 

そして、もう一つの「お金」で症状になってしまうのが「花粉症と同じアレルギー反応」ですね。

 

なぜなら、昔から「貧乏臭い」と言いますでしょ。

 

今朝も花の香りを嗅いできましたが、アレルギーの人には花粉はきつい。

 

貧乏の臭いでアレルギー症状が起きてしまって、花粉症と同じ症状になってしまう。

 

花粉症の場合は「花粉という異物を排除するために、くしゃみ鼻水が止まらない!」となりますね。

 

お金アレルギーの場合は「お金を排除するために、余計なことをすることが止まらない」となってしまう。

 

そして、アレルギー症状になると「体がだるい」とか「やる気が出ない」となってしまいます。

 

頭痛がしたり、めまいがしちゃう人もいますね。

 

そんな症状が「お金」でも出ているんじゃないか?という疑いをかけているんです。

 

きっかけは、両親からの心の傷だったり、学習障害だったりするのですが「お金がない」という不快感を繰り返しているうちに「アレルギー体質」というものが出来上がってしまう(本当は抗体の説明をしたいのですが、ちょっと難しくなってしまうから控えます)。

 

だから「お金がない!ギャ〜!」とものすごく悲観的になったりすることがあります。

 

これって「アレルギー反応」として捉えます。

 

要するに「くしゃみ鼻水が止まらない!」のと一緒。

 

「お金がない!」と反応を起こせば、私の場合「お金を失うような余計なことをしてしまう!」という言動をしちゃうんです。

 

「損をした!」でも同じですね。

 

それが頭の中をぐるぐるしちゃう時って「アレルギー反応」として捉えてみると興味深い。

 

周りの人は平気なのになんで私だけ、こんなに頭の中をぐるぐるしているの?というのは「アレルギー反応を起こしてるから」と考えると「なるほどね!」となる。

 

私が花粉症で「くしゃみ、鼻水が止まらない!」となった時に「私は花粉を許します」と7回唱えます。

 

すると「あれ?症状が治まった!」となるのは、自分を守ってくれる免疫が花粉を「敵だ!」とみなして攻撃しなくなるから。

 

「損をした!」とか「損をさせられた!」ということでグルグルしたら「私はお金持ちを許します」と7回唱えてみると「あ!グルグルしなくなった!」となり心の中が静かになった。

 

ここで「何?唱えたからってお金持ちになるんじゃないの?」とがっかりされちゃうかもしれませんが、花粉症の症状で苦しんでいたことが「え?唱えるだけで症状が治まった!」となったら嬉しいでしょ。

 

それと同じ感じ。

 

お金アレルギーの症状って「絶望的」や「悲観的」そして「嫉妬や怒りにまみれる」とか「惨めな気持ちから抜けられない!」という思考からなかなか抜け出せない。

 

そして、トラウマの再上演と思われているものって、もしかしたらアレルギーの症状から起きるんじゃないか?と思うんです。

 

だから、症状が起きなくなったら「あれ?お金を失うようなことをしなくなった!」となるわけです。

 

アレルギーの症状が落ち着いた時に、一番の変化は「人間関係が変わった!」となることかもしれませんね。

 

豊かな人が自分に近寄ってくるようになった!という感じで変化します。

 

お金の不安」の本に書いていた〇〇神さまを「かわいそう」と思わなくなる。

 

お金アレルギーから抜け出しちゃうと「ドライ!」という感じになって、人間関係がものすごく整理整頓されていく(あー!スッキリ!)。

 

アレルギー体質から抜け出すと、体力は上がって、集中力や記憶力もアップして「どんだけ〜!」という感じになっていきます。

 

これまでの人生が手かせ、足枷、さらには首輪までついていた感じで常に息苦しくて不自由だったけど、それが外れてみたら「すっごいんですけど!」という感じになっていく。

 

私たちの悲観的な精神状態をアレルギー体質、と捉えてみると、面白い展開が見えてきます。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 



新着記事

カレンダー

<< June 2019 >>
SunMonTueWedThuFriSat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      

アーカイブ

プロフィール

検索

著書のご紹介

mobile

qrcode

others