2017/03/02

私の友達が催眠に興味を持ったのは高校生の頃でした(あくまでも友達の話です)。

 

彼は、週末になると友人たちと一緒に友人の家でパーティーをやっていました。

その友達の中にマイキーという子がいて、そのマイキーは普段はとっても謙虚で「すみません、僕が悪かったんです!」とすぐに謝るような子で、悪い子たちのパシリに使われていました。

 

そんなマイキーは、お酒を飲むと人格が変わってしまいます(ビビビ!)。

お酒を飲むと、目が座ってしまいます(ビビビ!)。

「なんだ、この野郎!眼飛ばしてんじゃねえぞ!」と突っかかってきます。

そして「お前!生意気なんだよ!」と殴りかかってきます(ひえ〜!)。

 

マイキーは、散々パーティーを引っ掻き回して、次の日に学校に行ったら「ケロッ!」としています(ビビビ!だったから記憶が抜けちゃいます!)。何にも覚えていなくてマイキーは「何だか、みなさんお疲れの様ですね〜!」とのんきなことを言っています。

「マイキーのせいじゃ!」といっても「え〜?ぼく、そんなことしませんよ〜!」って全く覚えていません。

「また、皆さんで話を作っちゃって!」とヘラヘラしています。

 

最初は見ていて面白かったのですが、何度かやられていると「マイキー!いい加減にしろよ!ちょっとは飲むペースを考えろよ!」と注意をするのですが「ビビビ!の発作状態ですから!うるせ〜!大嶋!お前!生意気なんだよ!」と絡んできます(あくまでも友達の話です)。

 

友人宅で夜中で大声で騒ぎだすので「近所迷惑だし、これからパーティーが開けなくなったら困るでしょ!」と言ってもマイキーは「お前!勉強もできないくせに生意気なんだよ!」と痛いところをついてきます(やるな!ビビビ発作人格!)。

 

みんながうんざりとした表情をしていたので、友達は、マイキーを寒空が広がるベランダに連れて行きます。

マイキーが「お!やるのか!相手になってやろうじゃないか!」とふらふらしながらファイティングポーズをとります。

 

そんな時に、友達は小声で「マイキー!チルチルとミチル、という兄弟がね!」とメーテルリンクの青い鳥の物語をささやくと「ペシッ!」とマイキーの頬をはたきます。

「何すんだよ!」とマイキーが叫びそうになった瞬間に「青い鳥を探してね〜!」とささやきながら、反対の頬を「ペシッ!」とはたきます。

 

マイキーは頬を抑えながら「お前〜!」と言いそうになったら小声で「旅に出たんですよ〜!」と「ペシッ!」とはたきます。

すると、マイキーは寒空の下で、黙って友達が語る物語を聞きます。

 

マイキーが「いいか加減に!」と言いそうになったら「鳥かごに〜!」といいながら「ペシッ!ペシッ!」と頬をはたくので、再び「もういい加減に〜!」となるのですが「ペシッ!」となるので、話を最後まで聞くことになります。

 

話終わった時は、マイキーはちょっと酔いからさめた状態になり、いつものように寝てしまいました。

 

次の日に学校でマイキーはやっぱり何も覚えていませんでした。

「え?ぼくが喧嘩を売ったんですか〜?本当に〜?」ありえない!という反応だったのですが、そこで友達が「マイキー!青い鳥がね!」と明るくいったら、マイキーはビクッとして背筋を伸ばしたんです。

「どうしたの?マイキー?」聞いても「何でもありません!」というだけで何も覚えていない様子。

 

次の飲み会の時に、マイキーが「また飲み過ぎになりそう!」というタイミングで「青い鳥がね〜!」と友達が話し始めるとマイキーの酒を飲むペースが遅くなります。

そして、マイキーがビビビ!の発作を起こして暴れることなく、みんなで楽しく時を過ごすことができたんです(やった〜!)。

 

この話は、行動心理学の”条件付け”じゃないですか?と言われると確かにそうなんです(行動心理学はパブロフの犬が一番イメージしやすいですね。ベルが鳴ると餌が与えられ、それを続けているうちにベルが鳴っただけで「涎が出る〜!」とベルに食欲が条件づけられる、というお話)。

 

マイキーの場合、酒を飲んでビビビ!の発作で記憶が飛んで暴力的な別人格に変身している時(変性意識状態=催眠状態)に青い鳥のスクリプトを読み上げて、そして「ペシッ!」と「寒い!」という嫌悪刺激を入れることで、酔っ払ったときの行動を変えようとしました。

 

今考えたら、本当に友達はマイキーに対して申し訳ないことをしたな、と思います。

あの時、本当は、マイキーに青い鳥のスクリプトを静かに読み上げるだけでよかったんですよね!

駄目な友達!ダメでしょ!め!

 

カウンセリングの中で、交通事故にあってから、身体が思うように動かせなくなってしまった旦那さんを奥さんが治療に連れてきていました。

 

何度かカウンセリングをやって「あれ?もうちょっと動けるようになるはずなのに、おかしいな〜?」と思っていました。

 

そんな疑問を持ちながら、待合室を見たら、奥さんが硬直して固まって座っている旦那さんの背中をさすりながら「苦しいよね〜!」、「辛いよね〜!」と囁いている姿が目に入ってきました。

 

そのとき「やった〜!」と叫びたくなりました。

 

この旦那さんは、人から触られると「ビビビ!」の発作を起こしてしまう方だったんです。

 

だから、旦那さんに奥さんは一切触れることができずにいて、この事故をきっかけに背中をさすったりすることができるようになったということだったんです。

 

でも、誰かが触れれば「ビビビ!」の発作が出ちゃいます。

 

その発作で変性意識状態が起きているときに「動けないよね〜!」と暗示を入れると見事に暗示が入ってしまいます。

 

「辛いよね〜!」と言われると本当に苦痛になります(キャッピ〜!)。

 

奥さんにお願いして、旦那さんに触れることを止めていただいたら、見事に事故前の奥さんを振り回す傍若無人の旦那さんに戻っていきました(あ〜れ〜!)。

 

こう考えてみると、誰でも催眠は使えるってことになります。

相手がどんな刺激でビビビ!の発作を起こすか、を見極めて、そこで”暗示”を入れればいいわけですから(お!危ないことを書いているぞ!良い子は決して読まないでね!)。

 

でも、お師匠さんの使っていらっしゃった催眠はどこかこれとは違っていたんです。

 

でも、お師匠さんのテクニックを知るためには、違うテクニックも知っておく必要がありますでしょうか?

う〜ん?悩む〜!

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


2017/03/01

「先生!催眠にかけてください!」とお願いされることがあります。

 

多分、私の本を読んで、その中に出てくる催眠のお師匠さんの話から「催眠状態で暗示を入れてもらったら不快な症状からどんどん自由になって自分がやりたいことがたくさんできちゃう!」というイメージがあるからだと思います。

 

確かに、私は、催眠のお師匠さんに物語を聞かされている途中から催眠に入れられちゃって、その後の記憶が抜けちゃっているんです。

 

そしてしばらくは「何にも変わらないじゃん!」と思っているのですが、それから5年後に「無性に本が書きたくなった!」となってただひたすら文章を書き始めます。

そして「何だかネタが尽きてきたな〜!」と思った瞬間に、頭の中に満天の星空が広がって「あれ〜!この場面ってお師匠さんに催眠に入れられた時に見た風景〜!」と思い出します。

「無数の星たちが輝く星空の下で〜!」ってお師匠さんの懐かしい声が頭の中に響くと、私は再び、頭の中に複雑なようで単純なアイディアがたくさん浮かんできて、キーボードをたたき続けるんです。

 

「やっぱり催眠のお師匠さんの暗示で書いているんじゃン!」とちょっと悔しくなります。

 

その時は、何にも覚えていないので「何にも変わらない!けどボーっとする!」となっていました。

 

それなのに徐々にだんだんと自由になって、楽しくなっていくんです(ヒエ〜!)。

 

「そんな催眠を私は”かける”ことができるのだろうか?」という疑問が私の中に湧きます。

 

ここにお師匠さんが使っていた催眠療法の最大のポイントがあるような気がしているんですよね!

 

催眠はかけるものじゃなくて共有するもの(なんのこっちゃ!)。

 

ちゃんと説明すると、私が相手を催眠にかけて、相手の人生に影響を及ぼす暗示を入れます!なんて言ってしまったら「どんだけ万能感なの〜!」ということになります。

 

「人生を変えてあげましょう!」という私の万能感に相手の方は影響を受けて”万能感”バリバリになり「私は絶対に人には影響されません!なぜなら私は完璧だから!」となります。そうなると「あんたの催眠なんかに絶対に掛からないから!」となってしまうんです。

 

まあ「催眠にかけてください!」と仰っている時点で、過去に何人もの万能感バリバリの催眠療法を受けて来られた経験があるから「あのお師匠さんと一緒だった方だったら、私の万能感を解いてくれるかもしれない!」と思ってくださるのかもしれませんね(あ!一番大切なところを書いちゃった!)。

 

ちなみに私が学会で”催眠療法”の発表なんかしたら、催眠の専門家の方から「あんたは催眠状態の定義を何にもわかっていない!」と怒られちゃいます。

 

そうなんですよね、私はお師匠さんの催眠療法しか勉強していなくて「すみません!」という感じです。

ですから、この先は、アホが書いていることなので、すばらしい専門家の方は読む価値もないのでご遠慮ください。

 

テレビでたまに催眠術師が芸人に催眠をかけている場面を見るのが好きです。

「はい!」とパチンと指を耳元で鳴らし、そして、両手で芸人さんの頭を持って左右にグン!と振ります。すると芸人さんは硬直状態になって動けなくなり「叩かれても痛くない!」なんて状態になります。

そんな時に白目をむいていたりすることがあるんで「あ!ビビビ!の発作が起きてる!」と思ったりするんです(ビビビ!の発作は「あなたを困らせる遺伝子のスイッチオフ!」を参照)。

 

ビビビ!の発作はお酒を飲んで記憶をなくしちゃう人も起こしています。

酒をある一定量以上飲むとビビビ!でそれまで優しかった人が「なんだこの野郎!」と人格が変わってしまいます。

ある意味で変性意識状態が起きるんで催眠状態じゃん!と思ったりするんです(変性意識状態は日常的な意識状態以外の意識状態のこと)。

 

お酒でビビビ!の発作が起きやすい人は、お薬でもビビビ!となりやすいです。

 

人によっては、人の大きな声でビビビ!の発作が起きて、さらに人から触られたり、頭を動かされたりしたら「ビビビ!」となっちゃって脳が電気の嵐状態で「固まって動けない!」となってしまいます。

 

映画の中では、くるくる回るキラキラのディスクを患者さんに見ていてもらい、そこに光を当てて”催眠”に入れる方法を使っていました。

光がちかちかする〜!でビビビ!の発作を起こしやすい人もいるんです(テレビの前の子は部屋を明るくして離れて見てね!)。

 

矛盾したことを同時に言われるとビビビ!の発作が起きる人がいます。

 

どのタイプのビビビ!の遺伝子をいくつ持っているかで、催眠療法師の催眠の導入にはまるかはまらないかが決まってしまって、そしてビビビ!の遺伝子が療法とマッチしなければビビビ!がないので「催眠にかからない!」となってしまいます(これらはみんなアホのたわごとです。でも、こうやって書くと”矛盾でビビビ!”の人が発作を起こしてしまいます。矛盾じゃ〜!って)。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/02/28

「”心に聞く”って難しいです〜!」と言われる。

 

特に男性なんか「心よ!」なんてことやるのに抵抗があるんじゃないですか〜?って言われる。

 

「実に興味深い!」(あの俳優さんが博士役で出てたドラマ好きなんですよね〜!)

 

「難しい」という暗示を使って自分の思考を止めて「何も浮かんでこない〜!」とさらに暗示を掛けて頭を真っ白にして催眠状態を作り出しています(催眠って、ただ暗示を受けやすい意識状態のこと。私なんかいつも暗示を受けやすいから「いつも催眠状態だ〜!」あはは〜!)。

 

「男性はこんなことをやるのに抵抗がある」というのもステレオタイプの男性像で、これも「心に聞けない!」という暗示になります(ステレオタイプとは多くの人に浸透している先入観、思い込み、偏見、差別などなど)。

 

「今、頭で何を考えていますか?」と質問します。

 

「こういうのやるのってすごく抵抗があるな〜!」って考えてました。

 

「それでいいんです!」って言ったら「なんのこっちゃ?」という顔をされた。

 

今、頭の中で考えている考えを教えてくださったように、”心よ!”と先頭に付けて質問をした次の瞬間に考えたことを教えてください。

 

「あ!なるほどね!でも、それって普段自分がやっている自問自答と同じじゃないですか?」と言われた。

 

普段と違うのは、先頭に”心よ!”と付けるんですよ!それだけで、後は普段の自問自答と同じでいいんですから。

 

「それはいつもやっています!」と仰られる。それを昔っからやっているからいつも暗い気持ちになるんです!と自信たっぷりに。

 

「え〜と?自問自答の先頭に”心よ!”ってつけてますか?」と一応尋ねてみます。

 

「いや、付けてません!」と仰られる。

 

「心よ!ってつけて質問をしてみていただけますか?」と笑顔でお願いしてみます。

 

「だから、こころには聞けないんですって!」と返ってきます(キャ〜!)。

 

「先程、自問自答はやってる、と仰っていましたよね」

 

「いつもの、自問自答の先頭に”心よ!”って付けていただくだけでいいんですよ!」とお伝えしてみます。

 

「だから、それはいつもやっていて、それで気持ちが暗くなるから嫌なんですって!」と返ってきて「キャ〜!」っとなります。

 

ちょっとだけ”邪魔”が入っているかどうかチェックしていいですか?とお願いしてみます。

 

「心よ!私と心の間に邪魔がある?」と自問自答していただきます。

 

「何にも浮かびません!」と仰います。

 

「心よ!誰が心と私の間を邪魔しているの?」とお聞きしても「真っ白で何も浮かびません!」と。

 

え〜?本当?

 

「誰が邪魔してる?」と自問自答したら頭の中に「誰だろう?」って何人か浮かぶでしょ!と思って聞いてみました。

 

すると、さっきからずっとお母さんが頭に浮かんでいるけど、それはいつもだから。

 

「だって、お母さんが邪魔なんて言ったらかわいそうじゃないですか!」と仰います。

 

うん!うん!よくわかります!そう、かわいそうですからね!

 

別にお母さまを邪険にしてるわけじゃなくて、ちょっと”心”に質問する間だけ、ちょっと外出していただくだけですからね!

 

「心よ!母親からの邪魔を排除してください!」っていうのは、質問の時だけですから安心してくださいね!と言いながら、やっていただきました。

 

「あ!母親の顔が浮かばなくなった」と仰ったので「心よ!私のことを助けてくれる?」と質問したら「いいよ!」っていつもの自問自答の思考だけどいつもの様にはひねくれていません。

 

「あ!いつもの自問自答とは違う!」って。

 

「今みたいに、”心”に聞く間だけ、お母様や他の方には退室頂いて、いつもの自問自答の先頭に”心よ!”って付けるだけでいいんですよ!」とお伝えします。

 

「こんなの簡単じゃん!」と自信満々におっしゃったのでちょっと安心。

 

 

”心に聞く”をやっていると、昔流行った卵型のゲームを思い出します。

 

小さい画面に卵があって、その卵が孵って、その生物を育てて「こんな風に育ったよ!」って自慢しあうような感じ。

 

”心に聞く”も最初は「YES」とか「NO」だけで「性能が悪いな〜!」と思っていたのに、根気よく聞いていると「そうだよ!」とか「それでいいよ!」と言ってくれるようになり、そのうちに「そっちも面白いけど、ほかの方法もあるよ!」なんて教えてくれるように一緒に成長していきます。

 

まあ、自問自答と同じだから、最初から「それは本当は自分が求めてることじゃないでしょ!」ってちゃんと浮かんでいるのですけどね。

 

夫婦とか、家族で、お互いに心に聞き合ってるとあの卵型ゲームを別々に育てているような感じになって「心がこんなことを言ってますけど!」的に楽しくなってきます。

 

大学受験をするために、地元の予備校に通うか、それとも都会で一人暮らしをして都会の予備校に通うのか?

 

心に聞いてみたら「都会の予備校で一人暮らしをする!」と言ってくれました〜!と大喜び。

 

さっそくお父さんに「心が都会の予備校に行けって言った!」と伝えたら、お父さんは「心が言ったんだったら何もいえね!」ってなりました。

 

でた〜!天下の宝刀”心に聞く!”だ〜!

 

水戸黄門の印籠よりもスゲ〜!

 

あはは〜!

 

”心よ!”って自問自答の先頭に付けるだけなんですけど、めちゃくちゃ面白いんです。

 

 

でも、ここで私の中に声が響きます。

 

普段、人と接するときのテクニックなんかが欲しいんですけど!って。

 

ですから、人と接触している時でも”心”に聞けばいいですよ!とお伝えしてみます。

 

でも、人と接触してる時って、”心”に聞いてる余裕が無いじゃん!と言われます。

 

「心に聞いてる余裕が無い」ってそれは相手に振り回されちゃう、という”暗示”からですよね。

 

本当は”心に聞く”が一番のショートカットなんですけど、回り道をしてみるのも面白そうですか!とひらめきます。

 

その瞬間に催眠のお師匠さんが微笑んでいる姿が浮かびます。

 

「催眠を使えるようにしちゃいますか〜!」

 

誰でも簡単に〜!

 

そんなテクニック書いちゃって大丈夫ですか〜!

カウンセリングのブラックボックスを開けることになりますけど。

 

お師匠さんの分身がどんどん世界中に広がっていくイメージが浮かんできます。

 

そんなことになったら、世界は平和になるのでしょうか?

 

もしくはアホになってしまうのかも?(失礼やろ!)

 

あはは〜!たのしみ〜!


2017/02/27

「謙虚な人にならなければ!」と思っていたのは、人から「あいつは傲慢で何もできない奴!」と責められるのが怖かったから(謙虚は、自分をえらいものと思わないで、素直に学ぶ気持ちがある姿)。

 

”心”にお願いして「あの人から嫌われているかも?」という不安な気持ちを母親に返してもらったら「傲慢で何もできない奴!」と思われることをなんで私はあんなに恐れていたのだろう?とおかしくなってきます。

 

謙虚さも傲慢さも私にとっては両方とも演じるモノ、演じさせられるものであって、私自身ではありません。

 

持っているものすべて奪われて、どん底に落とされることを恐れて謙虚さを演じてきました。

でも、謙虚さを演じたって、人からの評価を求めた時は「嘘つき!」や「偽善者!」呼ばわりされて、これまで築き上げてきたものをぶち壊され、そしてどん底に落とされます。

 

ある意味”嘘つき”や”偽善者”というのは合っているのかもしれません。

だって、責められないように演じていて、それが本来の私ではないのですから。

 

ここで人は「人から糾弾されることで謙虚さを演じる自分から解放されたのだから、それに意味があったのでは?」と意味づけをしたくなります。

「あなたが本当の自分で生きるために、用意された人なのでは?」と勝手な解釈をします。

 

「目の前にある苦しみは必ず益になるものに変えてくださる」と信じたくなるんですよね(益になる=ためになる)。

 

ここで面白いのが”心よ!”って聞いてみると「そんなのない!」とすぐさま却下されます。

 

「目の前に起きていることについて解釈する必要はない!」と言われてしまいます。

 

”心よ!”何で解釈する必要が無いの?と聞いてみます。

 

次の瞬間に私の中にイメージが展開されます。

 

「あなたを助けるために今の苦しみがある」という解釈のバックグラウンドには”大いなる力”の存在が仮定としてあります。

人によっては解釈が違いますが、神のような存在となります。

 

その神がしていることを自分が解釈する、ということは”神のしていることを理解する”ということになります。

「神がしていることを理解する」ってどれだけ万能感なの〜!となって楽しくなってきます。

 

でも、これ結構してたよね!私!あはは〜!

 

目の前に起きた”不幸”な事象に対して勝手に自分で解釈してしまいます。

他人のことでもすぐに解釈したがります。

 

万能感に乗っ取られているから、”神”を演じて、神がしていることを解釈し、そしてダメ出しをします。

 

今、目の前にある不幸は私を正しい方向に導いてくれるためのものなんだ!と解釈すれば「正しい方向に進まなければ不幸になる」という恐怖が付きまといます。

すると必然的に私は”正しい方向”を自ら模索しなければなりません。

 

すると「何が正しくて、何が間違っている!」という観念で生きることになります。

そして正しい、間違っているの評価を人の中に求めてしまうと、また同じことの繰り返し。

 

「嘘つき!」や「偽善者!」という人からの批判に怯える振り出しに戻ってきてしまいます。

 

だから”心”が「解釈は必要ない!」って言ったんだな、ということが初めて自分の中で腑に落ちます。

 

「解釈したら不幸になる!」とか「解釈したら駄目!」でもなくて、ただ同じところをぐるぐる回ってしまうだけ。

 

”万能感”で神を演じ、その”神的な力”で不幸な現実を作り出してしまい、そこから抜け出せなくなるだけ。

 

でも、逆に考えてみると、この”万能感”から解放されることで、無限の可能性が見えてくる予感。

 

心よ!「万能感から解放されると、たくさんの可能性が見えてくるの?」と聞いてみます。

 

すると「そんなのも必要ない!」と言われてしまいます。

 

そうか!”無限の可能性”と”無限”という言葉を使っている事態が”万能感”か!

 

心に確認しないとこんなことわからない。

 

心に聞いて、その万能感から解放されていくたびに、私の中で”無”の静けさがどんどん広がっていきます。

 

その”無”の中で何とも言えない安心感が私の中にあるんです。

 

 

 

 


2017/02/25

「私はあの人から悪く思われているかもしれない?」と思って確認したくなります。

 

そしてあの人の友達に「ねえ、ねえ!あの人私ことなんか言ってなかった?」と聞いてしまったらもう大変!

 

その友達に「あなたのことなんかなんとも思ってないみたいよ!」と言われたら「何とも思っていない」で引っかかります。

 

「何とも思っていないってどういうこと?」と聞いてしまったらそこから転落してしまいます(あれ〜!)。

 

友達から「あなたはちゃんと仕事をしないから相手にされてないんじゃない?」と言われて血の気が引いていきます。

 

私って、ちゃんと仕事をしていない、って思われているんだ〜!ということになります。

 

そこで「え〜!他の人よりも仕事はしているつもりなんだけどな〜!」と言ってしまうと、友達は「その態度が駄目なんだよね!あなたって全然自覚が無いでしょ!だからあの人からも相手にされないんだよ!」と言われてしまい「態度も悪い!」という悪評価がさらに加わってしまいます。

 

「え?どんな態度のことを言っているの?」と確認をしてしまうと「周りがフォローしてあげているのにちっとも感謝しないで”私一人でやってます”的な態度のこと」と言われて、今度は怒りが湧いてきます。

「私って世間知らずのナルシスト」と思われているんだ!となってしまいます。

 

こんな調子で「私は人からどう思われているのだろう?」と聞けば聞くほど地獄絵図が完成していきます。

色んな人に確認すればするほど、賛否両論になり「素晴らしい!」と褒めてもらっても「社交辞令で言ってんだろ!」と思ってしまうからそれは自分の中には残らず、「あなたって最低!」という言葉だけが自分の中に残って「私って最低なんだ!」とさらにその最低の評価を覆したくなって、説明してしまうとそれらはすべて否定されて「最低な人間」というのがまるで実際の私のような感覚になってしまうんです。

 

だから人に確認する前に”心”に聞いちゃいます。

 

「心よ!私はあの人から嫌われているかも?というのが気になっているの?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「いいえ!」と答えます。

 

「心よ!だったら何でこんなにあの人の評価が気になるの?」と聞いてみます。

 

すると「それはあなたの感覚じゃないから!」と教えてくれます。

 

「心よ!誰の感覚なの?」と聞いてみると「母親の感覚だから!」って。

 

”心”は、母親が「あんたは生意気でいい気になるとすぐにクズになるから、私が裁いて罰して救ってあげなければ」と入れている、と教えてくれます。

 

お〜!母の愛じゃ〜!

 

「いい気になって調子に乗っていると、大変なことになる!」という感覚は小さいころからあって、だから良い事があっても心から楽しんだことがありませんでした。

 

”心”に聞いていくと、母親の「子供を裁いて罰して救わなければ」という神的な万能感に私は憑依されてしまうから「万人から好かれてみんなを幸せな気持ちにしてあげて救わなければ!」という”万能感”に乗っ取られてしまう、という仕組みでした(なるほど!)。

 

そして「素晴らしい人になって救ってあげなければ!」という私の”万能感”に相手は憑依されて「この傲慢な人を裁いて救ってあげなければ!」という親切(万能感)になってしまいます。

だから、相談した相手からはどんどんダメ出しがあふれ出してきちゃうんです。

 

私が泣いて罪を悔い改めるまで。

 

そうならないために、私は、謙虚な人間を演じて「私なんか、ダメなんです〜!」となって、自分を低くします。

 

自分を低くして「生意気な奴!調子こいてるんじゃね!」と裁かれないように弱者を演じていると「嘘つきの偽善者!」と裁かれて、その”裁く”人の”万能感”に憑依されて私は「こんなに謙虚に接しているのにあの人は!」と謙虚じゃないあの人のことを頭の中で裁いて罰してしまう、という面白い循環の中にいました。

 

「心よ!だったらどうしたらいいの?」と聞いてみます。

 

”心”は「みんないらない!」と言います。

 

”みんないらない”の意味が解らなかったのですが、「心よ!あの人から嫌われているかも?」という不安な感覚をとりあえず”万能感”の方に返してもらえます?」とお願いしてみます。

 

すると”心”は「いいよ!」と軽い返事。

 

「心よ!返し終わったら教えてね!」と言ったらすぐに「返した!」と言われたのですが、私の中には何の変化もありません。

 

「何にも感じね!」

 

返してもらったら、自分の周りが明るくなって、見ているものがキラキラするのかな?なんて期待してたけど「何にもない!」と。

 

そうなんです、心の中が凪になったから何も感じなくなっていたんです。

 

シーン、と静けさだけがそこにあります。

 

この凪を私は求めていたのね、とその時に気が付きます。

 

心って、いい!

 

 

 


2017/02/24

「みんなから責められて地獄に落とされる〜!」という感覚はものすごくよくわかります。

 

男性の場合「嘘つき!」、「二枚舌!」、「裏切って人の心を傷つける最低人間!」、「奥さんの人生を無駄にさせた詐欺師!」、「人の心を傷つけて人生を歪める悪魔!」なんて責めがいつも頭のバックグラウンドで流れています(ヒエ〜!)。

 

だから、いい人を演じて「みんなから責められて地獄に落とされないように」と努力します。

でも、必死に努力すればするほど「なんで会社のために私の約束を破るの!最低人間!」と責められ「部下に仕事をやらせて自分だけさっさと帰るなんて!最低上司!」と責められてしまいます。

頭の中に流れている責めを回避するために、一生懸命に動いているのに、逆にその責めが現実となって、奥さんや部下、そして上司の口から責めの言葉が飛び出してくるんです。

 

奥さんから、上司から、そして部下からも心の中で責められても、男性は「どんなことを言われても反省しないダメ人間」的な反応をしてしまいます。その時は神妙な顔をして相手の責めを受け止めている体なのですが、ちょっと時間がたつとすぐに忘れた風でヘラヘラとまた約束を破って奥さんを傷つけ、そして、部下を失望させます。

 

本人としては、別に反省していないわけじゃないんです。

「早く立ち直っていい人を演じなければまた責められる!」と思っているからニコニコして対応しているのに「反省もしないでヘラヘラしている!」と責められてしまいます。

 

本人からしたら「理不尽じゃ〜!」となるのですが、周りからしたら「どんなに叱っても責めても、変わろうとしないダメ人間!」と見ちゃうんです(悪夢じゃ〜!)。

 

確かにこの男性は、人からどんなアドバイスを受けてもそれを実行しません。

そして、同じことを何度も繰り返して、奥さんを怒らせ、ということをしていて「この方は本当に変わらないのかも?」って周りを何度も失望させてしまうんです。

そして、奥さんからは「あんた!変わりたいと思っていないでしょ!」と責められます。

 

「え〜?そんなことないけど」と言うのですが、奥さんは「だったらちゃんと努力しなさいよ!」と責めます。

 

実は、ここにトリックがあります。

 

この男性は、周りからの自分の評価を変えようとします。

自分が相手の望んでいることをしてあげて「ありがとう!あなたって素晴らしい人ね!」と感謝されて評価されて、自分自身の力が高まっていく、という幻想があります。

 

よく「僕は褒められると伸びるタイプなんです!」と上司に言ってしまう新入社員がいます。

 

自分に対する人の評価が良好になればなるほど、自分は変わっていける、って思っているんです(わ〜い!)。

 

実は「人の評価は変わりません!」とここで断言してみます。

 

男性が奥さんの地獄絵図から解放された時に「みんな自分のことしか考えていないから誰も私のことを嫌っていないんですね!」という一言にそのポイントがあります。

 

人は、自分のことしか考えていない、というのは興味深いんです。

 

人が事象の原因を何に求めるのか、という帰属理論があります。

 

例えば良い事があったとします。

 

人は自動的に「成功したのは自分のおかげ」と原因を自分に帰属します。

 

失敗したときは「あんたのせい!」と原因を他人に帰属してしまいます。

 

日本人の場合、なんかいいことがあったら「おかげさまで!」という言葉を使います。

「良いことがあったのは、相手のおかげで助かりました」と言っているように聞こえますが、実際は「成功を嫉妬されて潰されるのを回避する」という仕組みが含まれている社交辞令だったりします。

 

ちゃんと心のどこかでは「私のおかげ!」となっています。

 

失敗したときも「私が悪いんです」と反省するのですが、それも「あの時、○○ちゃんが!」と言ってしまうと「人のせいばっかりして!ちっとも反省しないから駄目なんでしょ!」と責められることを回避するために自動的に言っていること。

 

ちゃんと心の中では「あの人のせいでこんなことになった!」と責めてしまいます。

 

「うまくいったら自分のおかげ、失敗したらあんたのせい!」になっている人間に評価を求めてしまったら「ヒエ〜!」ということになります。

 

人の評価を変えようとしても、一時は「変わった!高評価を得たかもしれない!」と思っていても、必ず元に戻す力が働いて「失敗して総攻撃にあった〜!」となってしまうんです。

 

お酒を飲んだ時に「キャッピ〜!」と楽しくなります。

でも、身体の中で「真ん中に戻す!」という恒常性機能というのが働きますから「キャッピ〜!」を真ん中に戻す「気持ち悪い〜!飲むんじゃなかった〜!」という力が働きます。

 

それと同じように人の評価も「ありがとう!素晴らしいね!」と言われて「うれしい!」となっていたら、真ん中に戻す力が働いて「あんたなんて最低!」となって「ヒエ〜!」になるのが世の常なんです。

 

アイドルの子が「あの人すごくない!」とみんなからもてはやされていたのが、ある時をきっかけに「あの人裏切り者で最低!」となってやることなすことダメ出しをされるようになります。

 

最も有名な話が「神の子〜!」と地上に降りてきたイエスでさえ、人は「罪人」と裁いて極刑にしてしまいました。

 

だから、自分が変わらないんじゃなくて、他人の評価を基準にしてしまうと決して変わらない、となっているだけ。

必ず真ん中に引き戻されてしまうから。

 

だったら何を基準に生きればいいんだ〜!となります。

 

「心でしょ!心!」って私の”心”がささやきます。

 

 


2017/02/23

奥さんが怒るのが怖いから「僕が何とかするよ!」と軽く約束をしてしまいます。

 

そして、上司や部下に飲み会に誘われたら、みんなから仲間はずれにされるのが怖いから「いいですよ!是非、行きましょう!」と言ってしまいます。

調子のいいことを言ってしまった瞬間に「あ〜あ!妻にどのように伝えようか?」と考えますが「まあ、なんとかなるか!」と思いながらいつまでも伝えません。

当日になって伝えた瞬間に、案の定、妻の逆鱗に触れます(ぎゃ〜!)。

 

上司から頼まれたことは「怒られるのが面倒臭いから」とか「上司からの評価が下がったら今後大変だから」と思って断りません。でも、いつまでたってもやる気になれないんです。結局上司から怒られて、となってしまいます。

 

部下の会社の愚痴は聞くには聞くのですが、上司から怒られてばかりだから自分が部下を代弁して上司に主張するなんてことも考えられません。調子のいいことばかり言って何も仕事ができないダメ人間、と部下から思われているのは何となくわかっているのですが、何か部下のためにしてあげたいんだけどふがいない自分じゃ何もできないことがわかっているんです。

 

この男性の奥さんから言わせれば「嫌われるのが怖いから、周りのことを考えないでその場その場で調子のいいことばかり言ってしまう卑怯者!」となります。

元々奥さんと約束をしていたのに、会社の人に言われたら、その約束を簡単に反故にしてしまいます(反故(ほご)は約束を破ることですけど、不要なものとして捨てる、という意味があります)。

そんなことされたら「私は大切にされていない!」と思って当然だ!となります。

 

でも、男性は、普段は奥さんが怒るのが怖いから、って出来るだけ残業しないで、仕事は部下に任せて帰っているんです。だから、家族をいつも優先しているじゃない!と思うのですが、その一発の反故で「やっぱりあなたは家族を大切にしていない!」となるんです。

 

中途半端な気持ちで家族を優先して残業もせずに帰っていると、部下からは「自分のことしか考えないダメ上司」って見られてしまいます。

 

嫌われたくないから、”いい人”を演じているのに、”良い人”を演じれば演じるほど逆にみんなから嫌われていくような結果になってしまうんです。

 

”良い人”は「みんなの幸せは私の幸せ!」という精神で人に接します。

でも、根底に「嫌われたくないからそれをする!」というのがあると、その精神が決して役に立ちません。

 

なぜなら”嫌われるかも?”と思っているときに「妻が愛層を尽かして自分から去ってしまい、自分は孤独になる」という恐怖に支配されていて”幸せ”のイメージの欠片もないから「みんなの幸せ」というのが”嘘”となってしまうのです。

幸せのイメージが全く持てないんですから〜!

 

部下から陰口をたたかれていて、馬鹿にされていることがわかっているんです。

そんな部下の幸せなんて願えるわけがありません。

 

上司からは「口ばっかりで何もできないダメなやつ!」と思われているのがわかっているのに、上司の幸せなんてイメージできるわけがないんです。

 

だから、いくら自分を犠牲にしてみんなのために尽くしているのに!と思っていても「この、偽善者が!」と裁かれてしまいます。

 

どう考えたって袋小路で抜け道が無いから「逃げるしかない〜!」っていうループに入っていることがあります(この!卑怯者〜!あれ〜!)。

 

”良い人”でダメだったから、今度は”悪い人”を演じてしまって、人間関係をバンバン切ってしまいます。

相手が傷つくようなことを言ってしまったり、やってしまったりして「なんであんなことをやってしまったんだ〜!」と後悔するんです。

後悔して、いい人になって、そして、相手から失望されて傷ついて「こんなに一生懸命にやっているのに分かってもらえない!悪い人になってやる!」って”悪い人”になって浮気しちゃったりする人もいます。

 

こんな時は”心”に聞いてみます。

 

男性の心に「この”嫌われちゃう”という感覚は私自身の感覚ですか?」と聞いてみます。

すると”心”は「違うよ!妻から入れられている感覚だよ!」と教えてくれます。

 

「心よ!妻からどんな感覚を入れられているの?」と聞いてみたら、心は妻から入れられている感覚をイメージで見せてくれました。

みんなから白い目で見られて糾弾されていて、突き上げられている。まるで地獄絵図のような風景がそこに広がっていました。

 

子供の頃に地獄絵図の本を見せられて怯えさせられて「こうなりたくなかったらいい子になりなさい!」って言われて、泣きながら「いい子になります!」って言ったのを思い出しました。

 

こりゃ”良い人”を演じずにはいられないですよね!

でも、いい人を演じても、すぐに失敗して地獄に落とされて、という繰り返しでずっと”良い人”を演じ続けなければいけない地獄絵図がここにあります。

 

「心よ!この地獄絵図はどうしたらいいの?」と聞いてみると「妻に返す!」と仰ってくださった。

 

「心よ!返し終わったら教えて!」とお願いしてみて、男性の顔を観察しているとみるみる光が顔にさしていった。

 

男性は、みんな自分のことしか考えていないから誰も私のことを嫌っていないんですね!とすっきりした顔で仰った(ほ〜!)。

 

地獄に落ちて裁かれる、と神的な万能感を持った奥さんから心の中で裁かれ続けていた男性は、いつの間にか奥さんの万能感に乗っ取られて「自分を犠牲にして人を幸せにしなければ」となっていました。

 

そこから解放された時に、男性は「みんなは大丈夫!」って相手の力を信じることができるようになるから面白いんです。

 

上司に「その仕事はあなたにしかできません!」って断れるのは、万能感から解放されて相手の力を信じることができるようになっているから。

 

部下の愚痴も聞きながら「頑張って会社の体制を変えてみてね!」と背中を押してあげることができます。

 

そう!自分が何とかしなければ、と思っていたのは私の感覚じゃなかった、ということに男性は何となく気が付いて、そこから自由になって輝きだしたんです。


2017/02/22

ある男性は「人間関係で困っている」とカウンセリングにいらっしゃいました。

大企業の役職についている男性がどんな人間関係で困っているのだろう?と話を聞いていると、妻の問題、会社の上司の問題、そして部下の問題へと話が飛んでしまいます。

 

男性は一生懸命に妻に尽くして、妻の為にさまざまなことを犠牲にしてきているのに、妻は突然、怒って男性を怒鳴りつけそして一晩中説教をします。「酷いでしょ!」と男性は言います。

毎週のようにそれをやられて男性は睡眠不足で疲れていて、確かに怠くて眠そう、というのは伝わってきます。

 

「なんでそんなに妻は怒るんですか?」と聞いてもなかなかそれに対して答えてくださらない。

奥さんの精神状態がおかしいのかな?と思ったけど、男性は「妻の問題」じゃなくて「人間関係の問題」と言って相談に来ているわけだから、男性の問題のことだよな〜!と思いながら話を聞いています。

やっと聞き出すことができたのは、前から奥さんと約束していた時間に、会社の人との飲み会が入ってしまいました。でも、奥さんに言って不機嫌になられるのが怖くて、直前まで言えず、その日になってからメールで「ごめん!会社の飲み会が入っちゃった!」と。

うやむやに書いたつもりなのですが、奥さんには、なぜか、前から決まっていた飲み会なのに直前まで言えなかったことがばれてしまいます。そして、返信メールでも「なんであんたはそんなに優柔不断なの!」とはじまり、散々酷いことを書かれていたのですが、家に帰ったら、怒鳴りつけられて、明け方まで説教をされた、ということでした。

 

この男性の気持ちはものすごくわかります。

不機嫌になられるのが怖いから言えないんだよな〜!

でも、怖がってちゃんと伝えないと後で大変なことになるんだよな〜!

まるで、自分のことのように感じられて頭を抱えます。

 

そして、会社でも同じようなことが起きます。

上司から「お前、これをやっといてくれ!」と頼まれて、男性は心の中で「これは僕の仕事じゃないでしょ!」と思うのですが、それを言えずに「わかりました!」と言ってしまいます。

引き受けたのはいいのですが、部下の面倒などやらなければいけないことは他にたくさんあるので、日々の仕事の時間はあっという間に過ぎてしまいます。

そして何日かたって、上司から「お前、あれをやったのか?」と言われて「いや〜!部下の問題がいくつも起きてしまって、それに時間をとられてしまって〜」と言ったら上司から怒られます。

「なんでお前はいつも言い訳ばかりしているんだ!」と「そんなフラフラした態度だから部下がお前の言うことをちゃんと聞かないで問題を起こすんだ!」とそれからだらだらと説教をされて時間が過ぎていきます。

心の中で男性は「あれって本当はおれの仕事じゃないのに〜!」と思いながらも言えず、私に向かって「酷い上司でしょ!」と言います。

 

確かに!

よくわかる〜!

断っちゃったら上司の機嫌を損ねて嫌味を言われるのが怖いから安請け負いをしちゃうのよね〜!

そして、後からそれがものすごく負担になって、いつまでも手を付けられず「怒られる〜!」と思いながら何もできなくなるのよね〜!ってわかるんです。

もっと度量が大きい上司だったらなんでも言えて、楽しく仕事ができるのにね〜!って思います。

 

部下は部下で「この会社のシステムは間違っている!」と勝手なことを言ってきます。

男性に対して「何でこんな非効率的なことをやらなければいけないんですか!」とか「私は地方になんか出張に行きたくありません」と言ってくるんです。男性は「お前、そんなこと言ったってな」と思いながらも「ふん、ふん、そうなのか」と部下の話を聞いてしまいます。

すると部下は「聞いているだけじゃなくてちゃんと行動してくださいよ!」と生意気なことを言ってきます。

「そうだよな!」と反省した表情で答えると部下は調子に乗って「僕らばかり残業をしてあなたはすぐに家に帰っちゃうじゃないですか!」と部下に言われて、何にも言えなくなってしまいます。

男性から「酷い部下でしょ〜!」と言われます。

 

分かる、わかる!

こっちの立場を理解しないで勝手なことを言ってくる部下っているよね〜!

男性の上司が横暴な人だってわかっているから、その上司に従わなければいけないから、部下に突き上げられたところで聞くだけで何にもできないのはよくわかる〜!

会社なんだから、上司に言われたことを文句言わずにやるのが仕事でしょ!って思いますよね〜!うん!うん!

遅く帰ると妻が不機嫌になってしまうから「早く帰らなきゃ!」って毎日思っているから、部下に後ろめたくて何にも厳しいことを言えなくなっちゃいますよね〜!

こりゃ大変だ!

 

どうすりゃいいんだ?こりゃ!

 

(つづく)


2017/02/21

「人の気持ちを考えちゃうから苦しい!」という悩みを人に話したら「そんなの考えなきゃいいじゃない!」と簡単に言われてしまいます。

でも「不機嫌な人、辛そうな人のことを見たら自動的に考えちゃうんです!」と訴えたら「見なきゃいいじゃん!」と笑われます。

見ないようにしても、その時はいいのですが、フッと気を抜いた瞬間に「また視界に入っちゃった!」と目に入った人のことが頭に焼き付いてしまって、その人のことをぐるぐる考えてしまいます。

 

特に頭にストレスが帯電している「ビビビ!」系の人の目なんか見ちゃったら、私の脳で「ビビビ!」の発作が起きちゃうから、一気に怯える小鹿のようになって、目が泳いでしまって「怯えちゃう〜!」になります。

その怯えを打ち消すために相手の気持ちをぐるぐると考えてしまいます。

 

なぜそれが苦しいのか?

どうして苦しいのに止められないのか?

 

様々な原因を自分で考えますが「これかも!」と思う原因を見つけて自分で納得しても苦しみは楽になりません。

 

「なんで?」と別の原因を考えて「こっちでしょ!」と思って、うれしくなってちょっとは苦しみが治まるような感じがあるのです。が、またすぐに人の気持ちを同じように考えて苦しくなってしまいます。

 

でも、心に聞いた時に「なるほど!」とこれまでと違った感覚になります。

 

心が導いてくれて教えてくれた答え。

この私が感じていた”苦しみ”って「本来の自分じゃない自分になっている苦しみなんだ!」ってこと。

 

私は「他人を暗闇の人生から救う!」という”神的”な思考に憑りつかれていることが”不快”で「苦しい!」って感じていたんだ、ということがわかりました。

 

人の苦しみを見て、自動的に「救わなきゃ!」思ってしまう”万能感”に本来の自分が封じ込められてしまっていることが”不快!”だったんです。

 

だから、周りから理解されなかったんだ!とここでわかります。

 

周りからすれば「他人の人生が相手を見ただけでわかっちゃうんだったら凄いじゃない!」とその”万能感”が醸し出す甘美な匂いに焦がれます(焦がれるは=切に思い望むこと。子供の頃「超能力が欲しい!」と思ったような感覚)。

 

他人から「それっていいじゃない!」と言われて、私は「こんな迷惑な能力いらない!」となるのですが、心のどこかで「これがもし本当に能力だったら捨てるのが惜しいような気もする」と複雑な気持ちになります。

 

複雑な気持ちになりながらもやっぱり苦しいから「いらない!」ってなるんです。

 

これまでのパターンで「苦しい!」というときに、”心”に私は切に聞いていました(無意識で)。

そのたびに、心に私の進路を修正してもらっていたんです。

だったら、こころが苦しみを与えて「そっちは間違った方向に進んでいるよ!駄目だよ!」と教えてくれているの?ということになります。

 

でも、今回、心に聞いていてはっきりわかったんです。

心が私に苦しみを与えているのではなくて、本来の自分で生きられないことが最大の苦しみなんだ、ということを。

 

私にとっては「他人の人生のことを考えながら生きる」という”万能感”は、私自身のものではありませんでした。

でも「人を救わなければ」という”万能感”に乗っ取られていたので、その感覚からずっと逃れることができずにいました。

 

そして苦しんでいるときに”心”に始めて尋ねることができます。

「これって私の感覚なの?」って。

 

そして「自分のものではない!」ということを教えてもらったときに、”万能感”から解放されて”自由”になるんです。

 

苦しみは、本来の自分で生きられなくなったときに感じる感覚、と考えるとものすごく興味深くなります。

 

「この苦しみを何とかしなければ!」と自分で何とか処理しようとしてしまっていた状態こそ”万能感”になっていたんですね。

 

自分の”心”に頼る、ということが万能感からすでに解放された状態。

 

自分の力で何とかする、から解放されて”心”に聞いて委ねてみると確かに私は自由を感じていったんです。

 

 

 

 

 


2017/02/20

電車に乗っていると、周りにいる乗客の気持ちを考えてしまいます。

携帯電話をいじっているサラリーマンを見て「この人はゲームのことばかり考えていて仕事ができない人なのかな?」なんて考えてしまいます。「どうして、そんなに携帯ゲームをやるんだろう?」とその人の心情まで考えてしまいます。

「嫌なことから逃れるためにやっているのか?」それとも「ただ単にゲームが好きだから」と思った瞬間に、その人と母親との関係が浮かんで「ゲームなんてくだらないこと止めなさい!」って言われている姿が。

母親から否定されればされるほど、ゲームが止められずそれのことしか考えられなくなるダメな私、というサラリーマンの気持ちにいつの間にかなっていて、苦しくなってしまいます。

 

「何でこんなことを考えちゃうんだ!」と我に返ります。

 

何でいちいち、人の人生のことを考えて苦しくならなければいけないんだ?

人の中に入ると必ずこの症状が出てきてしまいます。

ちょっとした人の表情などで相手の気持ちを察してしまったり、その人の苦しみ悩みを探ってしまう。

 

そんなことをしたって何もならないのに、ついついそれをしていて、苦しくなって、サラリーマンの気持ちを考えるのを止めたら、今度は、携帯をいじっている女子高生を見てその子の今後の人生について考えてしまいます。

 

何でこんなことをしちゃうのだろう?と自分の頭で分析します。

 

幼い頃から不機嫌だった親の顔色を見ながら生きてきました。

3歳の頃に、父親が借金苦から一家心中を図ろうとしていたところを「自殺したら地獄に行くんでしょ!」と幼い私が父親に言った、というエピソードが思い出されます。

人の顔色を見て、その人の気持ちなどを察することで殺されずに生き残ってきたから、それが身についてしまっている。

だから、人を見るとサバイバル能力的に人の人生を瞬時に考えてしまう癖が残っている、と考えます。

でも、サバイバル能力といっても、これが私の人生でちっとも役に立っているとは思えません。

だって、人の人生を考えれば考えるほど暗い気持ちになるだけなんですもの。

 

ここで催眠のお師匠さんだったら「ほかにどんな原因が考えられますかね?」と顎に手を当てながら笑顔で質問してくださいます。

 

まあ、ベタな考え方だけど、カウンセリングの仕事をしているから、人の人生を考えるのが癖になっている?

でも、考えてみたら、この癖って子供の頃からなんです。子供の頃から、この癖が嫌で、電車の中で一所懸命に本を読んだり、切符に書いてある数字で足し算をしたり、という事をして人にできるだけ注目を向けないようにしていました。

さらに、カウンセリングの時は、その人の人生を考えるのではなくて、成育歴や症状などのデータに基づき、もっと客観的にとらえているので仕事をしていて不快になることはこれまでも一度もありませんでした。

電車やファミリーレストランの店員さんを見て、自動的に相手の気持ちや人生を考えてしまうのは、めちゃくちゃ不快なんです。

 

再び催眠のお師匠さんが笑顔で出てきて「ほかにどんな原因が考えられますかね?」と聞いてくれます。

 

自分のうつ的な症状に目を向けないために、人に注目している可能性もあるかもしれない?と考えます。

自分の人生を考えてしまったら、奈落の底に落ちていくような絶望感がありました。「この先自分はどうなってしまうのだろう?」って不安しか浮かんできません。

人に注目を向けていないと、自分の人生を考えてうつ状態になってしまうので、それを回避するために、人の人生を考えるから、絶望的な自分の人生を相手に映し出しているから、相手の不快な人生を作り出してしまうのかも?

 

この考え方は、ちょっと意外でしたけど、自分の中ではしっくりきました。

さっきまでの仮説だと、ちょっと目をそらすと窓際で立って外を見ている人の人生を考えてしまっていましたが、この仮説だと人に目がいきません。

でも、問題は「自分はやっぱりうつなのかも?」って暗い気分になること。

自分の絶望的な人生のことしか考えられないから、人の人生のことばかり考えて暗くなる気分をうすめているのかも?って。

 

ここで催眠のお師匠さんが私の頭の中で「では、それを”心”に確認してみましょうか!」と仰ってくださいます(おい!お師匠様!最初っからこれを言ってくださいませんか!そしたらこんなに暗い気持ちにならずに済んだのに)。

 

「心よ!私はうつを回避するために、人の人生を考えてしまっているのですか?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「違う!」と。

 

「心よ!だったら、この、人の人生を考えちゃう、って私自身がやっていることなの?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「やらされていることであなた自身の感覚ではない!」と教えてくれます。

 

「心よ!誰にやらされているの?」と聞いてみると、祖父にやらされている、と教えてくれた瞬間に、私の中でパッと情景が浮かびます。

 

人の真っ暗い人生を作り出して、それを自分が救わなければと一生懸命にもがいている姿。

 

「うわ!自分って万能感バリバリなんじゃない!」と一瞬、そんな自分が気持ち悪くなった。

でも、”心”が「だから、それはあなた自身の感覚じゃないよ!」と優しくたしなめてくださった。

やっぱり、自分の頭の中で原因を考えてしまうと気分がどん底まで落ちてしまう。

 

“心”に聞いてみるとその苦しみからどんどん解放されていく。

 

そんな時に、ものすごい不安が襲ってきた。

「もしかして、このカウンセリングの仕事も”万能感”に憑依されてやらされているのかも?」って。

そしたら、みんなの迷惑になるから仕事を変えなければいけないかも?って。

 

すると”心”は「あなたはこれまで苦しみの時は必ず私に聞いてきたでしょ!」と仰ってくださった。

 

え?この職業になりたいと思ったときって、高校生の時だけど、その時の記憶がない。

ちょっと不安になる。

でも、待って!大学生の時に、一度、専攻を心理学から宗教学に変えようとしたことがあったっけ!と思い出した。

 

あまりにも心理学の授業が難しくて「もう駄目だ!」とすべてを投げ出し、得意だった宗教学に変えてしまおう!って決断したときに、ものすごい苦しみに襲われて、寮の壁を殴りながら「心よ!私は心理学を諦めた方がいいですか!」って聞いていた瞬間を思い出した。

 

あ!あの時も確かに「”心よ!”」って聞いていたっけ。

 

その後の記憶が抜けていて、いつの間にか心理学の専門に戻っていて、卒業した場面が浮かんできた。

 

その後も何度もあきらめそうになって苦しくなって「心よ!」って聞いていたんだっけ、とその場面が次から次へと浮かんでくる。

 

常に”心”はともにいてくれた。

自分一人で考えて決めてきたこと!って思っていたけど違っていました。

 

そんな時に「あ〜!もしかして!苦しい!って言うときって”心”に聞いたほうがいい時なの?」って気が付いちゃいました。

 

心よ!って問いかけて確かめてみます。

 

心はさらりと「そうだよ!」って。

 

もっと早く教えてよ〜!

 

えらい遠回りをして損をしている気持ちになったが、ちょっとおかしくなってきた。

 

あは!

 

 

 

 

 

 



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