2017/02/03

書店チェーンの「ブックスタマ」で毎年開催されるタマダービー。

ビジネス書の売り上げを競うものらしいのですが、

『「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法』がなんと、2位を獲得しました!

すばる舎さんからご連絡をいただきました〜

うれしいです。ありがとうございます!

すばる舎HP記事http://www.subarusya.jp/news/n9182.html


2017/02/03

学生さんの“心”に聞いて「(勉強に)集中はできる!」と言われて、注意欠陥障害の仮説が却下されちゃいます。

 

そこで「心よ!でも、普段の勉強は集中できていないんじゃないの?」と意地悪な質問をしてみます。

 

すると”心”から「ゲームにはあれだけ長時間やっても集中できているでしょ!」と言われて、学生さんも「あ〜!そうだよな!」って言ってました(おい!おい!)。

 

 

だったら「心よ!なぜ、勉強には集中できないの?」と聞いてもらったら、心は「だから、集中はできる!って言ってるでしょ!」と叱られます(あは!)。

 

いじけた子供の様な気持ちになって「心よ!だって勉強はできていないじゃないですか!」と学生さんの代弁をします。

これを聞いて、学生さんは「うん、うん!」とうなづきます。

 

心は「勉強はできる!だから、する必要が無いだけ」とわけのわからない答え。

これを聞いて私の思考が止まります(???)。

 

あ!もしかして、と私が親からしょっちゅう言われていたことを思い出します。

「この子はやればできる子なんですけどね〜!ちっともやらないから!」と大人に言われていた。

そのうち私は自分でも「やればできるってわかっているんです!」と口癖のように言っていて、勉強には一切手が付けられなかった。

あの時代の記憶がよみがえってきます。

 

「心よ!何をやればいいか、最初からわかっちゃっているから、やる必要が無いだけなの?」と聞いてみます。

 

要するに、万能感で未来がすべて見えちゃっているんです。

自分の能力がどれぐらいで、何をどれぐらいやったらどうなるか、やる前から知ってしまう”万能感”があって”全ての結果が見えてしまっている”ので、やっても虚しいから「勉強をする必要ない」ということをこの質問では指しています(無意識で、ですけどね!)。

 

すると学生さんの”心”は「そうです!」と言います。

学生さんは、この質問の内容が理解できなかったみたいで「え?何のこと?」と言っています(いいから、いいから!ってよくないやろ!)。

 

「心よ!”やる必要が無い”という感覚は私の感覚なの?」って聞いてみます。

すると”心”は「違う!」と答えたので「心よ!誰のですか?」と聞いてみると、「先生!母親って言われるんですけど!」と本人も驚いていた。だって、母親が学生さんを「勉強に集中できるようにしてもらいなさい!」って連れてきたからである。

 

学生さんが”心”に聞いていて理解ができなくなってきたので「心よ!本当の私は何を求めているの?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「自由を求めている!」と仰った。

「へ〜!さっき、私が小学生の思い出に浸ってたやつだ〜!」とちょっとびっくり。

 

子供の頃の思い出も重なって「心よ!ゲームをすることが自由じゃないの?」と質問してみます。

 

すると”心”は「本当にしたいことじゃない!」とはっきり学生さんの口を通じて教えてくれます。

 

「だったら”心”よ!どうやったら本当にしたいことがわかってできるの?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「母親が入れてくる感覚と自分の感覚を分ければいい」って教えてくれます。

 

「心よ!具体的にどうやってそれをやればいいの?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「そこにある感覚に浸ってみれば、自分のかどうかの区別がつくから」と教えてくれます。

 

”心”は、「勉強しなきゃいけないのはわかっているけどゲームのことが気になって集中できない」と思ったら、その感覚に浸ればいい、と教えてくれます。「浸るとは、繰り返し”勉強しなきゃわかっているけどゲームのことが気になって集中できない”と頭の中で唱えるだけで自分のものじゃないって気が付くから」と教えてくださった。

 

心に聞き終わった後に、学生さんと一緒に実験をしてみたら「あれ?唱えていたら、母親の顔が浮かんできて、さらに唱えたら、いつの間にかあの焦りの感覚が無くなった」と教えてくれました。

 

「勉強は嫌だけどやらなきゃいけないんだよな〜!」というあの焦る感覚が嫌で居ても立ってもいられなくなってゲームをしちゃてたんだよな〜!っておっしゃっていて「へ〜!」ってなります。

 

次にお会いしたときに学生さんが「結構、俺って勉強好きなのかもしれない!」と仰っていたのでびっくり。

 

「ゲームがしたい」という気持ちになっても、「ゲームがしたい」と繰り返し唱えていると”母親の顔”が浮かんできて「うわ!これ、母親の感覚なんだ!気持ち悪い!」となってゲームをしたくなくなるんだよね!と教えてくれました。

 

そのとき「なるほど!」と思ったんです。

心理学的に見たら「ゲームばかりしてちっとも勉強しない!」と繰り返し母親が言ってたのが学生さんへの”暗示”になってた可能性があるんだ。

 

そのを嫌わずに感覚に浸ってみると「自分のじゃない〜!」って暗示から解かれるってすごい!

 

心ってすげ〜!と改めて思ったんです。

 

心は、面白いことを教えてくださいます。

 

 


2017/02/02

小学校の頃に、先生が「次の時間はどうしましょうか?」と生徒たちに聞いたら、「自由時間〜!」と声をそろえて言いました。

 

すると「ちゃりら〜!ちゃりら〜!」と先生の表情がまるで任侠映画のやくざが見えを切るような怖い顔になって「あんたたち!本当の自由ってわかっているの?!」って怒られました(なんのこっちゃ!)。

 

それから、先生を囲んで「自由とは何か?」というテーマでディスカッションをさせられて、子供たちが「好きなことをやること〜!」と発言すると「あんたは自分が本当に好きなことがわかっているの?」と無茶な返しをされて黙らされてしまいます。

 

結局、先生が言いたかったのは「ルールがあるから自由があるんだ!」ということだったみたいです(よく覚えているなー!って自分で言うな!)。

 

そんなことを「勉強に集中できない」ということが問題で母親に連れられてきた学生さんを目の前にして思い出していました。

 

学生さんは、ネットをみたり、ゲームをだらだらやってしまって勉強する時間が無くなって、学校の成績がめちゃくちゃなんです、と仰っていました。

でも、隣にはお母さんの厳しい目が「キラリん!」と光っています。

「これも言わされているんだろうな〜!」と心の中で思いながら「どうなりたいと思われているんですか?」と質問します。

 

「いや!勉強に集中できるようになりたい!」と思っているんですけど、と学生さん(「いや!」って回答の始めに付けるのは無意識の否定形だから「本当はそう思っていないでしょ!」ってなるんです。本当はね。)。

 

「勉強に集中できない」というお題だと、ものすごくたくさんの原因が考えられちゃいます。

 

注意欠陥障害、学習障害、適応障害、内分泌ホルモンの問題、栄養の問題、回避性人格障害の問題、などなど他にもたくさん。

 

注意欠陥障害はスケジュールや金銭管理ができない。集中力が無くて、計画しても完成させることができない、先送りにしちゃう。すぐに気が散って人の話が聞けないし、相手の気持ちを考えないで喋っちゃう。そして決められた手順や指示に従えない、などの特徴があります。

 

それ一つとったって、脳の前頭葉(おでこの方の脳)の血流低下しているかも?とか、集中力のホルモンの問題かも?とか(そのホルモンも何種類もあります)、脳の栄養の問題かも?とか、性腺刺激ホルモンの問題かも?やゲーム画面を見ているときの脳の電気発作の問題なんかも考えられます。

 

家系図を聞いたら、お父さんが切れやすい人(怒りっぽくて、怒ってる時に前後を考えられなくなるタイプ)だったので「もしかしたら脳の電気発作の問題?」なんて仮説を立てます。

 

でも、お母さんの厳しい目がどうしても気になったので「そうだ!心に聞こう!」と提案してお母さんには外に出ていてもらいます。

 

学生さんは「それって催眠ですか?」と興味津々。

 

「ま!ま、まあね!」と言いながら「心よ!私と心の間に邪魔がある?」って聞いてもらいます。

 

すると学生さんは「え?あるって浮かんできますけど」と不満げ。

 

「心よ!誰が邪魔しているか教えてくれる?」と聞いてみると、学生さんは「お母さんの顔が浮かんできたんですけど」と教えてくださった。

 

「心よ!母親からの邪魔を排除してください!」とお願いして、何度かこれを繰り返して学生さんと心の間の邪魔をクリアにしていきました。

 

そして「心よ!僕は勉強に集中できないの?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「集中はできる!」と教えてくれます。

 

ここで「ハイ!ここで注意欠陥障害が消えちゃいました〜!」と私の頭の中で「ひゅ〜、ひゅ〜、ひゅ〜ひゅ〜ん!」と残念な音が流れてきます(あんなに一生懸命に考えたのに〜!)。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 


2017/02/01

“万能感”を解明していくと本当に面白いんです!

 

アルコール依存症の治療をやらせていただいていた時に「万能感ってすげ〜!」ってその威力に感動していました。

 

依存症の家族の方のミーティングを担当させていただいた時は、依存症さんの家族の話を聞いて「なるほど!」って思ったんです。

 

家族の方が「私がこの人の依存症を何とかしてあげなければいけないんです!」ってみんなの前で語っているときは「キャッピ〜!」って旦那さんやお子さんがお酒を飲みまくってしまいます。

 

依存症は病気です。

 

その病気を愛の力で治せちゃう、というのは「神〜!」となるわけです。

 

その”神の力”に依存症本人が脳のネットワークで感染したときに「俺は自分の力でお酒なんかコントロールできる〜!」となります。

 

そして「ぐびぐび」って飲んじゃって「どっか〜ん!」って暴れちゃって、家族は「ヒエ〜!」ってなるんです(なんじゃこの音は!)。

 

家族は、依存症の病気に振り回されて「もう私には無理かも?」と一時は万能感が解かれるのですが、本人が苦しそうにしていたり、寂しそうにしていたら「かわいそう!」となって、また再び「私が何とかしてあげなければ!」とやってしまったら「どっか〜ん!」を繰り返しちゃうんです。

 

でも、この依存症の家族も、その親から「あんたの教育が悪いから旦那が依存症になった!」と頭の中で裁かれてしまっていたりします。

「あんたが悪いからこうなった!」というのは“善”と“悪”の判断になります。

善悪の判断をできるのは「神のみ〜!」ってなるから、万能感で子供のことを裁いていることになります。

 

裁かれた子供は親の万能感に憑依されて「私が何とかしてあげなければ〜!」と”万能感”に振り回されてしまうんです。

 

でも、一番興味深かったのは、援助者の万能感でした(援助者って医者、看護師、保健師、心理士、ケースワーカーなどです)。

 

「私がこの患者さんを何とかしてあげなければ!」と誰から見ても熱心な治療関係者がいると、そのターゲットになった患者さんは、やっぱり「どっか〜ん!」となってしまいます。

 

ターゲットにされた患者さんが「自分で飲酒量をコントロールできる」という”万能感”に憑りつかれるのは、治療関係者の万能感に憑依されちゃうから(ひえ〜!)。

 

ある時、クリニック内で依存症さんの知能テストを実施しようとお名前をお呼びしたら「嫌だ!嫌だ!」ってごねていらっしゃいました。すると、熱心な援助者が横から「かわいそうじゃない!止めなさい!私の許可も無く!」って入って来たんです。

 

この時に、私は、この援助者に「イラッ!」とします。

 

一般常識的に「仕事の邪魔をされたら苛立つでしょ!」となるのですが、それだけじゃないんです。

私は、この援助者の万能感に憑依されちゃうから「何を勝手なことを言っているだ!」と相手を裁いてしまうから怒ってしまうんでです。

 

「この精神状態は危険!」と思ってその素晴らしい援助者から離れます。

 

すると、その援助者は守ってあげた患者さんに、外で食事をさせてあげました。

もちろん「お酒ばかり飲んでまともなものを食べていないかわいそうな状態だったから」ということでした。

 

何度かそんなことがあって、やがて患者さんはお部屋の中で一切お酒が必要ない姿になります。

 

「あの素晴らしい援助者から離れてよかった〜!」って思った瞬間でした。

 

万能感のオリジナルの方と一緒に居ると妙な罪悪感が湧いてくるんです。

 

この素晴らしい援助者と険悪なムードになった後に「何とかこの方との関係を修復しなければ」と不安に駆られたりするんです。

なんか自分が距離を置いたことで悪いことをしているような感覚に陥ってしまうのは「私がこの関係を修復できるのにしていない」という万能感に駆られているからなのかもしれません。

 

「心よ!そうなの?」って確認してみると「そう!」って返ってきます。

 

やっぱり、心に確認しなければわからないんです。

 

「そんなことわかっている!」と思っている時こそ万能感に憑依されている可能性があるから確認してみるんです。

 

万能感は忌み嫌うものでも恐れるモノでもありません。

 

それは私のなの?って”心”に確認するもの。

 

違ったら、”心”にお願いして丁重に送り主に返していただくと、自由に生きられるようになるんです。

 

どんどん自由に生きられるようになります!

 

どんどん楽しくなっていく〜!

 

 

 


2017/01/31

不安や不満、そして怒りに満ち満ちている時は、脳のネットワークで誰かの“万能感”に憑依(乗っ取られている)されている可能性があるんです(万能感のオリジナルの方以外は)。

 

私の場合、未来のことが予測できちゃって「貧乏になる〜!」と結果を勝手に決めることができる万能感に取り憑かれてしまって「不安だ〜!」となりました。

 

「貧乏になる〜!」って惨めな状況を想像しているのだから万能感とは無縁でしょ!とずっと思っていました。

むしろ、社会の底辺を想定しているのだから”謙虚なのでは?となります。

 

でも、問題は”貧乏”よりも”未来を見越せる能力”で、貧乏の状況を脳内で勝手に“創造”する“万能感”にあったんです。

 

これも、”心”に指摘されなければ全く気がつくことができませんでした(やっぱり、心ってすげ〜!)。

 

そして「なんでみんなは、そこそこの努力で幸せそうに生きているのに、私はこんなに次から次へと不幸な目にあって苦しまなければいけないの!」と他者と比べて”不満”でいっぱいになります。

 

「弟の方がケーキが大きい!」って不満でいっぱいになって、せっかくのケーキの美味しさを楽しめなくなっていた子供の頃のことを思い出します。あの頃は”幼児的万能感”で「全てが平等であるべきである!」と平等でない人を神のように裁いていました。

 

そうなんです、他の人と比べて待遇が違っている、と世の中の仕組みや運命に対して不満を持ち「こんなの間違っている!」と裁いている時点で「はい!万能感、いっちょ入りました〜!」となります。

 

なぜなら、その状況を与えている“神”に不満を持っていることになり、神に“不満”を持つことは、神と対等かそれ以上の存在である、という感覚がそこには存在しているんです。

 

そして怒りに満ち満ちている、という時が一番“万能感”に気がつきにくいのは、完全に“万能感”を入れてくる人の脳に憑依されてしまうから。でも、よくよく考えてみると怒っている時って「あの人は間違っている!」って人の”罪”を裁いているのだから”神”を演じていることになります。

 

朝、ジョギングをしていて、平気で信号無視とかしちゃうのに、車が一時停止をしないのを見てしまうと「間違っている!」って怒りに憑依されちゃいます。「危ないじゃないか!」って言いながら「赤信号でいっちゃえ〜!」っていう自分がそこにいてものすごい矛盾ですけど、「間違っている!」の“怒り”に支配されているときは、万能感に憑依されているからその矛盾が自分では全く気がつきません。

 

万能感で”神”になってしまっているから「間違っている!」って平気で頭の中で相手を刑罰に処しちゃいます(怖い〜!)。

自分がそんなことで罰せられたら「なんて不条理なんだ!」って不満を言うくせに。この矛盾が”万能感”のなせる技なんです。

 

「自分が不幸」とか「みんな不公平」や「みんな間違っている!」などの表面的な“不快”があるから「万能感という神的な甘味な力で酔わされて本来の自分自身の感覚ではない」ということに気がつきません。

 

「無理!」です。

 

だって、万能感は神の力に匹敵する感覚ですから。

 

でも「心よ!この怒りは私自身の怒りですか?」って聞いてみると「違う!」って教えてくれます(簡単〜!)。

 

「心よ!誰がこの怒りを入れてくるの!」と確認してみると。

 

心は「あの人だよ!あの人!」っていってくれます(あはは〜!)。

 

「心よ!どんな感覚を私に入れているの!」って聞いて見ます。

 

心は「間違ったことをするあなたは不幸になる!」って入れている、と教えてくれます。

 

「おいおい!心よ!一時停止をしなかった相手に対して怒りを入れているんじゃないの?」聞いてます。

 

心は「あなたを裁く万能感を入れられているから、あなたが人を裁いて怒りに満ち満ちているだけ」と教えてくださって「へ〜!」ってなります。

 

祖母の時と同じように、裁かれているのですが、その万能感に憑依されて、自分が”万能感”バリバリで人を裁いて不幸になる、っていう面白い構造。

 

心よ!この怒りをあの人に返していただくことはできます?って聞いてみます。「いいよ!」って軽く心が答えてくださるので「心よ!この感覚をあの人に返してあげてください!」ってお願いします。

 

すると不思議な感覚。

 

あれ?いつもだったら、走っている間はずっとあの車のことが頭にあって、ぐるぐる考えちゃって嫌な気持ちがずっと消えないんだけど、「無い!」。

 

どんだけ自分はあの取り憑かれた怒りで大切な時間を無駄にしていたんだ〜!って怒りを覚えます。

 

「いけないいけない!」

 

「心よ!この怒りは私自身の怒りですか?」って聞いてみると「そうだよ!それは万能感の人たちを斬る怒り!」と教えてくれます。

 

「へ〜!心よ!やっぱり聞かなきゃわからないもんですね〜!」

 

「いつも、一緒にいるから」って”思考”が浮かんできて、なぜか涙が溢れてきてしまいました。

 

 

 


2017/01/30

ある女性が「会社のみんなは仕事ができて、楽しそうに交流して、そして出世していくのに私だけは出世できない」と仰っていました。

 

そして、女性は「私は、みんなよりも仕事が遅くて、会話の輪に入っていくこともできないし、だから出世もできないで惨めな仕事をやらされ続けているんです」と不満そうに語っていらっしゃった。

 

その当時は「尊敬できる人の真似をすれば脳が変わるかも!」という内容の文章を書いていた時期だったんで「尊敬できる人はいますか?」と聞いてみます。

 

するとその女性は「いません!」と考えもしないで即答しました。

 

「え?子供の頃に尊敬していた人でも構いませんよ!誰かいるでしょ!」って再度聞いてみても「いません!」とはっきり仰ったんです(お〜!)。

 

この女性の話を聞いていると「自分自身の能力の無さを嘆いてる」とも取れるのですが、よくよくお話を聞いていると「子供の頃から不幸な環境で育って自分はこんなになってしまった運命を嘆いている」という話が出てきます。

そして、この状況を変えることができない、運命に絶望を感じている、ということも仰っていて「なるほど!」となるんです。

 

この女性に「どうしてこんな状況になっているのか、一緒に心に聞いてみましょうか?」といっても、女性は「そんなの聞いても無理!」と断言します。

 

「心との間に邪魔が入っているかどうかだけ確認してもいいですか?」と聞いてみると、女性は渋々「心よ!誰が邪魔しているの?」って聞いてくださいました。

 

「母親が出てきますけど!」と仰ったので、「心よ!母親からの邪魔を排除してください!」ってお願いして「排除できたら教えてね!」とします。

 

「排除できましたけど!」と仰った時の女性はさっきとはちょっと違っています。

 

もう一度、邪魔があるかどうかを確認して、今度は父方の祖母の邪魔を心に排除してもらいます。

 

すると、さっきの”心に聞く”の抵抗感がなくなっています。

 

そこで「心よ!この絶望感は私自身の感覚ですか?」と質問してみます(ざっくりした質問だな!)。

 

すると”心”は「違います!母親からだよ!」と教えてくれます。

 

「心よ!母親はどんな感覚を入れてきているの?」と尋ねてみると「母親は、あなたは家族やみんなの不幸を背負って生きていかなければいけない」と入れていると。

 

その時に、十字架を背負った人のイメージが私の中に浮かんできます。

 

え?もしかして、みんなの不幸を背負って犠牲になっている、という高尚な感覚を入れているの?と思って確認してもらうと、”心”は「そうだ!」と言います(え〜?この方の実家って仏壇があったと思ったのに〜!って関係ないやろ!)。

 

まあ、高尚な感覚だからいいか?とスルーしたくなりましたが、一応「心よ!この感覚を入れられちゃうと、私はどうなるの?」と聞いてもらいます。

 

すると”心”は「自由に動けなくなる!」と言います(確かに!)。

 

念のために「心よ!私の魂は何を求めているの?」と確かめてもらいます。

 

すると「自由を求めています!」と浮かんできたんです。

 

そこで「心よ!この自己犠牲的な感覚を母親にお返ししていただくことはできますか?」と聞いてみると、「いいですよ!」と答えてくださったので、お願いしてもらいます。

 

すると、何だか軽くなった感じが私に伝わってきます(全然違う〜!)。

 

多分、この方のお話を聞いたら「なんで、会社の中でコミュニケーションを取る努力をしないんだろう?」とか「出世するために点数稼ぎをしないのかな?」って疑問に思うんです。

 

”万能感”があると、その努力をする必要は一切なくなってしまいます。

 

なぜなら”万能”だから「なんですか?努力って!」ということになるから。

 

尊敬する人なんているわけがありません。

自分が”万能”だから、ということになりますが、それはその人自身の感覚じゃなくて、お母様から入れられている感覚。

 

お母さまからの万能感から解放されたら、出世に必要な英語の勉強をコツコツするようになるから不思議です。

”万能感”があったら確かに勉強なんて必要ないんだろうな〜!って自分自身の過去を振り返るんです。

 

あの頃、バリバリ万能感漬けだったな〜!

ちょっと懐かしくもあるあの感覚。

 

今は、時折乗っ取られる万能感を”心”にお返ししてもらうのが楽しみになっています。

 

そして、女性は会社の中で同僚と適当に話ができるようになります。

 

「あ〜!万能感があったから、下々の者と話せなくなっていたんだ!」って思ったらちょっとスッキリ。

 

自分は劣っているから「みんなの輪に入っていけない」と思っていたのは違っていて「みんなの下世話な話が退屈でついていけない」と思っていたことに気が付くから面白いです。

 

”万能感”から解放されるって面白い。

 

 

 

 


2017/01/28

<事務方より>おじゃまいたします。・∀・

前回の上級コースにご参加頂いた方には少しお伝えしておりましたが、

フォローアップのセミナーの開催が決まりましたのでお知らせいたします。

 

日時:5/27(土)15時〜19時、28(日)10時〜16時

参加費:4万円

内容:バージョンαのフォロー及び、催眠の基礎

会場:新橋カンファレンスセンター

 

今回のセミナーは、FAPバージョンαを受講された方限定です。

αの最新情報だけでなく、催眠の基礎もやりますよ〜

その他詳細はインサイト・カウンセリングHPにてご確認ください。

HPにアップした直後に、参加のお申し込みをいただき、びっくりしました笑顔

ありがとうございます!!!

 

今年から上級は、初級の方や、上級でもVer.αを受けるのが初めての方と

分けて行うことになりました(うまくいくようでしたら、毎年こんな感じで行う予定です)。

初級の方にもお申し込みいただける上級コースは、いつものように秋に開催予定です。

 


2017/01/28

“万能感”って「自分は何でもできる〜!」と思ってしまうこと。

 

「それの何が悪いんじゃ!」と怒られるのですが、もっとちゃんと言ってしまうと「何でもできる!」というのは「神のごとく何でもできる!」になります。

 

道を歩いていて貧困妄想(貧乏になる〜!)という感覚は、脳のネットワークで祖母から入れられたもの、ということを”心”が教えてくれました。

 

それは、脳のネットワークで祖母が「お前は貧乏になる〜!」という呪いを入れている、というように聞こえます。祖母が「この子は無駄遣いばかりするから将来お金に困る」という無言の”暗示”が起動して、私を苦しめている、というように見えます。

 

でも、ポイントは祖母の万能感にあります。

万能感は、神のように何でもできる、という感覚です。

 

イエスが出てくる興味深いエピソードの中で、律法学者やお堅い人たちが姦淫(浮気?)をしちゃった女性を連れてくる場面があります。

イエスがいた国では、そんなことをした女性はみんなに石を投げられて死刑にされてしまいます。

 

律法学者などの偉い人たちは、もしイエスがこの女性を許してあげなさい、と言ったら、「法律を破った無法者!」として訴えて陥れ、もしイエスが石を投げたら「人殺し!」として訴えて陥れる予定にしていたと思われます。

 

そんな時にイエスは地面に何かを書きながら「あなた方の中で罪のないものが、まずこの女に石を投げつけるがよい」と言いました。

 

イエスは地面に絵をかいて、しばらくして顔を上げたら、その女性を裁く人は誰もいなくなっていました(すげ〜!)。

 

罪が無い人のみが人を裁ける、ということだったら「神しか人を裁けないじゃん!」となります。

 

その流れていくと「人を裁くことをしているというのは神を演じていること」になります。

 

「この子は無駄遣いをしている駄目な子で、将来、貧乏という罰が与えられる!」という裁きを下しているのは神を演じていることになるから、まさに”万能感”になります。

 

その祖母の万能感を受けて、私は「自分の不幸な将来を予知できる」”万能感”に憑りつかれてしまいます。

 

未来のことなんて、まさに「神のみぞ知る(神様だけが知っている)」なんですけど、まるでそれが自分も手に取るようにわかる、っていうすごい感覚に憑りつかれているんです。

 

そして、こんな最悪な状況に陥れた”神”に怒り文句を垂れます(プン!プン!)。

神に文句を垂れるって、どれだけ万能感〜!ってなるんです。

 

そう!最悪な状況を嘆くって、結局、直接的にも間接的にも神にいちゃもんをつけていることになるので「どんだけ〜!万能感〜!」となっているのに、それに気が付かないんです。

 

万能だから。

 

万能感に憑依されて「自分の感覚がすべて正しい」になってしまうから(ひえ〜!)。

 

「でも、安心してください!履いていますから!」

 

じゃなくて!!

 

「安心してください!心に聞けますから!」

 

(つづく)

 

 

 

 


2017/01/27

職場までの道を歩いていたら、突然「仕事ができなくなってしまったらどうしよう!」って不安が襲ってきました。

 

別に、何を見たわけでもなく、何も考えないで歩いていたのに「貧乏になって惨めな生活を強いられて苦しみながら生きていく〜!」って想像がどんどん膨らんできたんです(ひえ〜!)。

 

自分の中では、この”思考”が浮かんでくる理由が万と考えられます。

 

「仕事関係のあの人からのメールの返信が無いから、この先みんなから嫌われて貧乏になる〜!」とか「時計が壊れちゃって新しいのを買わなきゃいけなくなってしまったら、無駄遣いで貧乏になる〜!」って結びついちゃったのかな?とどんどん理由は考えられますが、この貧困妄想(貧乏になるのでは、と思い込む症状)の原因を考えれば考えるほど、雪だるま式に膨らんでまるで現実のように思えてきてしまいます。

 

「残業が続いて、緊張のホルモンを出しっぱなしにしちゃったからうつ状態になって貧困妄想が出たのかも?(貧困妄想はうつ症状の一つだから)」とか、「睡眠不足だから貧困妄想になったのかも?」って考えてもちっとも楽にならず「このままどんどん貧乏になってしまうのかも〜!」って苦しくなります。

 

「お!そういえば!」と”心に聞く”を苦しいながら思い出します(まあ、苦しいから藁をも掴む気持ちで思い出したんですけど)。

 

「心よ!この貧乏になる、という感覚って私自身のもの?」って聞いてみます。

 

すると”心”は「違います!」と質問が終わる前に、まるで私自身の考えのようにぱっと浮かんできます。

 

「自分自身が勝手に”違う”って言っているのかな?」と疑いたくなったので「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」って聞いてみると「あります!母親です!」って(またですよ!いつもありがとうございます!)。

 

そんなくだらないことをやって、という母親の声が響いてくるような感覚が浮かんできます。

 

「心よ!母親からの邪魔を排除してください!排除できたら教えてね!」ってお願いして「ハイ!」と浮かんでくるのを待ちます。

 

もう一度邪魔があるかを確認して、ないのを確かめて、もう一度、先ほどの質問を繰り返しても、この貧困妄想は私のではない!と心は断言します(へ〜!自分としては本当にお金が無いと思っているのに違うんだ〜!)。

 

「心よ!誰がこの感覚を入れてきてくれているの?」と聞いてみると父方祖母の顔が浮かびます。

 

心に「そうなの?」って確認してみると「そうです!」と言われてびっくり!

 

祖母は、私が子供時代に家が貧乏でおもちゃを買ってくれなかった時に、会いに行くたびにおもちゃを買ってくれた人で、私に対してはニコニコしていて、悪い印象は全くなかったので「え?」ってなります。

 

「心よ!祖母が私にどんな感覚を入れてこうなっているの?」と恐る恐る聞いてみると「好き勝手にお金を使っている駄目な子でいつか貧乏になる」って入れてくださっている、って教えてくれます。

 

「ひえ〜!」その時真っ白だった祖母の印象から「あ!そういえば、私の前ではニコニコしていたけど、祖母って陰で私のこといろいろ言っていたんだっけ!」って思い出します。

 

ついでに「心よ!祖母は誰かに万能感を入れられて、私を”駄目な子だから助けなきゃ”って裁くことをしているの?」って聞いてみます。

 

すると”心”は「違うよ!誰からも入れられていない。オリジナルだから!」って言われます。

 

おい!おい!心よ!オリジナルってなんやネン!

 

万能感の元になる人、と心は教えてくれます。

 

万能感は親から受け継いでいるんじゃなくてその元になる人がいるんだ〜!

 

なんだか楽しくなってきた!

 

(つづく)

 

 


2017/01/26

ある子供が突然学校に行かなくなり、引きこもってしまいました。

 

お母さんは困って「この子を何とかしなければ!」といろんな病院に行って相談し、そして子供を連れて行きます。

 

すると、あんなにやさしかった子供が「あんたのせいでこうなった!」と母親を責めるようになり「本当は凄いことができたはずなのに、どうしてくれるんだ!」と家で暴言を吐くようになってしまったんです(怖〜い!)。

 

お母さんはカウンセリングに来て泣きながら「私のせいで息子があんなになってしまったんです」と仰っていました。

「私がもっと息子のことを理解していたらこんなことにはならなかったのに〜!」と後悔していました。

 

まあ、普通のカウンセリングだったら「お母さんのせいではありませんよ!」と優しく伝えて、専門家だって息子さんの病理を早期発見することは困難なんですから、とお母さんの罪悪感を軽くするような言葉がけをします。

 

でも、ここで「本当かな?」って疑問に思ってみます。

 

「本当にお母さんのせいで息子がこんな状態になってしまったのかな?」ってダウトしてみます。

 

そこで「心よ!」ってお母さんの心に聞いてもらいます。

 

お母さんの”心”に「心よ!私は子供のことを気にしている?」って斬新な質問をしてみました。

 

「子供がこんなことになっているんだから気にしていて当たり前でしょ!」という常識から疑ってみるんです。

 

お母さんの”心”は「気にしてない!」って答えて、お母さんと私はびっくり!(ギョ!ギョ!ギョ!)

 

お母さんは「これは私が勝手に作っている答えじゃないんですかね?」と私に聞いてこられたので「心よ!私が都合のいいように私が勝手に作っている答えなの?」って聞いてもらいます。

 

次の瞬間に「違う!」って頭に浮かんできたんですけど、これ本当に大丈夫なんですかね?と聞かれます。

 

「心よ!これで大丈夫なの?」って聞いてもらうと「大丈夫!大丈夫!」って調子のいい感じ。

 

お母さんは乗り慣れていないジェットコースターに乗ってしまったときのように固く目をつぶって相談室の椅子に座って心に聞きます。

 

「心よ!この”子供が心配”っていう感覚は誰から入れられているの?」って質問をします。

 

するとお母さんは再び「え〜!」って言って動揺して答えをすぐには教えてくれません。

 

「”心”は、子供が入れている!って言うんですけど〜」!

 

え〜?!お母さんのお母さんが万能感を入れていると思っていたのに〜!と私も動揺してしまいます。

 

「心よ!子供が何のために”子供が心配”を入れているの?」と聞いてみると「お母さんを支配するために子供が”心配”を入れている」と答えます(ひえ〜!)。

 

「心よ!子供がこうなったのは私(お母さん)のせいじゃないの?」って聞いてみると「違う!」って言った後に「子供が作っている幻想」って浮かんでくるんですけど!ってお母さんは動揺して私に伝えてくださいます(きゃ〜!)。

 

「このお子さんって万能感のオリジナルの方なの?」と質問をしたかったのですが、現在のお母さんの主訴とは関係ないので、その質問を飲み込みます。

 

「心よ!だったら私は子供に対して何を感じているの?」って質問してみます。

 

すると「何にも感じていない!」って言います。

 

お母さんは動揺して「うそでしょ!そんなの!」と叫びます。

でも、口元は笑っています。

 

「心よ!子供のことは心配する必要はないの?」と確認してみると「必要ない!」と返ってきて「心配すればするほど自由を奪われてしまうから必要ない!」って(へ〜!)。

 

「心よ!”子供のことが心配”って居ても立ってもいられなくなったらどうすればいいの?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「子供から入れられたものだから子供に返してあげればいい!」と言います。

 

お母さんは「え〜!返しちゃって大丈夫なんですか?」と不安そうだったのですが、「心よ!この子供に対しての不安感を子供に反してください!返し終わったら教えてね!」とお願いします。

 

しばらくして”心”が「ハイ!」と言ったときにはお母さんの顔はジェットコースターから降りた後のようにスッキリ!

 

そしてお母さんは「私、あの子に振り回されている、ってなんとなくわかっていたんです」って笑顔で仰った。

 

家で子供を見て不安になるたびに「心よ!」とお願いして返していったら、不思議と子供は一人で動き出します。

 

私が全く予測できなかった展開を”心”は見せてくれるんです。

 

(続く)

 

 



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