2016/09/07

「空の鳥を見るがよい」という言葉がものすごく好きです。

 

空の鳥のように生きている人は、何も考えないで「その場、その場」で行動していて、欲しいものはいつの間にか手に入れます。

 

考えない人が最も委ねて、任せて、そして受け取って、という循環が出来上がります。

 

「自分で何とかしなければ!」と考える私は、委ねることもせず、自分でコントロールしようとして失敗して、持っているものをすべて失って、欲しくないものばかり手にしてる、という毎日になります。

 

だから「自分で何とかしなければ!」という傲慢な気持ちを捨てて”謙虚”に生きなければ、と心掛けるのですが、これも「謙虚に生きる」と自分の気持ちをコントロールしているわけだから”委ねる”ができていない。

だから、外から見るとものすごく偽善的に見えるんです。

 

人から理解されず「なんで誰もわかってくれないんだ!」と怒るのは自分でコントロールしようとしているから。

怒りでストレスが脳に帯電して「ビビビ!」の発作が起きて、再び「自分で何でもやらなければ!」と委ねられない自分に変身して孤立と孤独の穴に落ちていく惨めな私。

 

全て委ねられない傲慢な私が悪い、とずっと思ってきました。

 

でも、もしかしてビビビ!の発作って血糖値の乱れから来るの?と仮説を立てて、血糖値の乱れを作るリーキーガットの関連遺伝子を唱えてみると「あれ?考えなくなった!」と面白い現象が起きる。

 

気が付いたら、人の気持ちも、将来のことも何も考えていない自分がいて「あれ?こんなことこれまでなかったのに〜!」とびっくりします。

 

これまでは電車に乗っていても、自転車に乗っていても、車に乗っていても、考えることが止まりませんでした(すべて乗り物か〜い!)。

常に不幸を想定して「それに備えなければ!」と必死にいろんなことを考えて対策を巡らせていました。

 

でも、血糖値が安定するようになると目の前のことを淡々とやるようになって不思議と物が捨てられます。

そして、目の前の空間がだんだん綺麗になっていき、さわやかな空気が流れます。

 

すると気持ちがいい知らせが次から次へと流れ込んできて「自分が何もしなくてもうまくいくのかも〜!」と思いながらも余計なことを考えずにその喜びに浸ることができます。

 

委ねて、そこにある恩恵を素直に受けることができる喜び。

 

これまで人から褒められても素直に受けられなかったのは、委ねられていなかったから。

 

でも、委ねられなかったのは、自分の精神的な未熟さなどではなく、単なる遺伝的な血糖値の乱れだった、となると「なんじゃこりゃ〜!」と叫びたくなる。

 

目の前の空間がどんどん広がって明るくなっていきます。

 

 

 

 

 


2016/09/06

以前も書きましたが、アパートの階段を下りているときに、同じアパートのおじさんから「何でそんなにいつもジョギングをしているの?」と聞かれて「糖尿病になりたくないからです」と答えたら、おじさんはあっけにとられていた。

そして、そこから会話が続かなくなってしまった。

 

多分、もっと別の答え方があって「気持ちがいいからです!」とさわやかな笑顔で言っておけばよかったのですが、どうも正直になってしまいます。

 

糖尿病の家系だと、血糖値の乱れが起きやすくなってしまうんです。

 

血糖値の乱れが起きると「ビビビ!」の発作が起きやすくなります。

 

空腹で車を運転していて、車間距離をそんなに開けていないのに、車が横から入ってくると「ビビビ〜!」とスイッチが入って「おりゃ〜!」となってしまいます。

まるで「サーキットの狼」のようにアクセルを踏んで、そして前の車を追い越し、急ブレーキをかけてしまいます(サーキットの狼って古!)。

「ビビビ!」の発作で140馬力しかない車が、突然300馬力に変身したかのような走りをしてしまいます(ブ〜ン!ブ〜ン!)。

 

低血糖からの発作の魅力って、ここなのかもしれません。

 

万能感というのは「自分は本当は何でもできるんだ〜!」という状態。

 

何でもできるはずなのに、現実の自分は、と落ち込むのは、ビビビ!の発作時の自分の精神状態とそうでないときの差から起きているのかも?と考えたりします。

 

逆に言ってしまえば、血糖値が安定していてビビビ!の発作が無ければ、万能感が無いから「いつも幸せ〜!」と今の自分のままで満足することができちゃいます。

 

夜、決まった時間に寝て、食事も規則正しく生活する、というのに抵抗があるのは「万能感バリバリの自分」を捨てることになるから、それに対する未練からできないのかも?と分析家だったら分析するかもしれません。

 

でも、実際は、血糖値の乱れを起こしてしまう遺伝子のせいでそれができなくなっているだけ。

 

この血糖値の乱れを起こしてしまう遺伝子の中でも興味深いのが「リーキーガット」です。

 

リーキーガット(腸管壁浸漏症候群)は腸管壁に穴が開いてしまって、バクテリア、毒素、食物が漏れ出す症状になります。

 

この遺伝子を調べてみたら、面白いことがわかりました。

No.1がPER2で、No.2がCLOCKで、両方とも昼夜逆転などに関連している遺伝子(ほ〜!)。

 

やっぱり、夜遅くなってしまって血糖値を乱す生活になってしまうのは意志の力じゃなくてリーキーガットの原因遺伝子だったんだ、とおもったら、面白くなります。

 

ちなみに私は「CLOCKの還元」でした。

怖いな〜!これ。

 

もしかしたら「血糖値の安定」×7でも効果があるかもしれませんが、「リーキーガットの修復」×7でもいいかもしれません。

でも、睡眠の乱れがリーキーガットの原因になっているのだったら「PER2の還元」か「CLOCKの還元」なんですよね。

 

奥が深いですが、面白いです。

 

どんどん「ビビビ!」の発作から解放されて自由になっていきます。

 

そう、そこがミソ。

 


2016/09/05


あまりここで書いてしまうと、日曜日の”読者感謝祭”で喋ることがなくなってしまうかも?と不安になります。

 

でも、書かずにはいられないアホな私。

この「書かずにはいられない」というのも遺伝子の仕組みがあるのですが、それまた新しい発見なので日曜日にお話ししようと思っています。

 

ちょっと脇道にそれます。

 

ある男性が心臓の病気で手術を受けるために入院をしました。

そして、手術を受けた後に”夜中に動き回る”という徘徊のような症状が出てしまって「この人は痴ほう症になってしまった!」と看護師さんや医師が判断をし、男性の患者さんを監視します。

 

単純に考えると「手術の身体的、精神的ダメージから痴ほう症を発症してしまった!」ということになります。

 

でも、その男性は手術前から糖尿病の問題があり、術後の血糖値が200になっていました。

 

さらに、6人の大部屋に入れられていて、部屋には体にお絵かきがしてある人がいたり、アルコール依存症さんが夜中に暴れたりして、ということで眠れません。そして、お医者さんは眠剤を処方していました。

 

よく眠剤を飲んでいる方が、眠剤を飲んだ後に「ネズミが出るんです!」ということを仰ったりします。

眠剤を飲んだ後に、冷蔵庫を開けて、冷蔵庫のものを食べてしまって、朝になって「え!誰がこれを食べたの?」とびっくりします。

 

単純に考えると「眠剤を飲んで夢遊病状態になって」ということが考えられます。

 

でも、何で食べるの?ということになります。

 

説明をはしょってポイントだけ書いてしまうと、血糖値の乱勾配(アップダウンが激しいこと)が脳内の「ビビビ!」を誘発しちゃうから発作で夢遊病状態を作り出してしまう、ということが考えられます。

 

メリル・ストリープが出ている、「誤診」という映画では、てんかんの子供を持った両親がケトン食療法にたどり着いて、子供の発作から解放される、というストーリー。

 

何でケトン食糧法が?ということになりますが、やっぱり”血糖値の乱勾配”が脳内の「ビビビ!」を引き起こしている、と仮説が立てられるんです。

 

糖尿の問題があって、さらに術後で緊張のホルモンが分泌されちゃうから、さらに血糖値が乱勾配しやすい状態になっているところに眠剤を投入すれば、夜中に「ビビビ!」を起こして「徘徊〜!」となります。

 

そこで看護師さんたちが痴ほう症扱いをすれば、さらに怒りで血糖値の乱勾配「ビビビ!」で記憶が飛んだり、別人格に変身してしまうから「この人は本当に痴呆症になってしまった!」となり、ますます扱いが「痴ほう症の人!」となってビビビ!を誘発して「痴ほう症〜!いっちょ上がり!」になってしまうんです。

 

もちろんこんな簡単で単純なメカニズムはお医者さんはご存じだと思います。

 

ある程度年齢がいってらっしゃる方だと「痴ほう症!」となって、若い方だと「危ない人!」という扱いを受けてしまいます。

 

以前、娘さんの職場の対人関係の問題でカウンセリングをしていて、職場の人間関係は変わって親からも離れて自由になったのに、お母さまから「娘は全然変わっていない!あのぽっちゃり体型は全然変わっていないじゃない!」と怒られたことがありました。

 

体型から考えると確かに血糖値の乱れが起きやすいから「ビビビ!」と発作を起こして「ぎゃ〜!」という状態にすぐに戻ってしまう、ということをおっしゃっていたのだと思うんです。

 

「ビビビ!」は様々な症状に関係しています。

そして、その陰には血糖値の乱れ、という単純なしくみがあります。

 

ものすごく単純化してしまえば、血糖値が安定している人は、精神的にも安定している人、になっちゃいます。

 

興味深いのは、血糖値を安定させる生活を送りましょう!と言ってもだれも見向きもしない、という仕組みです。

 

それは「ビビビ!」の発作にちょっとした魅力があるから、それを失ってしまったら、ある能力を失くしてしまう錯覚に陥るからだったりします。

 

ここら辺のメカニズムが興味深いです。

 

 

 

 


2016/09/03

このブログで新しい手法のことを書くたびに「前に書いていた手法はどうしちゃったの!」とか「以前とは全然言っていることが違うじゃない!」と言われることがあります。

 

「一貫性が無いじゃない!」と怒られてしまうこともあります。

 

でも、本当は一本の線でつながっているんです。

 

その種もいつかは明かさなければいけないんでしょうね。

 

これまでは、自分の中にあるブラックボックスの部分を「絶対に他人にはわかるまい」と思って外に出さないでいました。

 

いつかは誰かが私が思っていることを表現してくれるはず、と思ってずっとひたすら耐え忍んできました。

 

でも、ある時に「全部開けちゃおう!」とブラックボックスをオープンにすることにしました。

 

全部、いっぺんに、というわけにはいかないので徐々にゆっくりとオープンにしています。

 

だから、つながりが見えにくいかもしれませんが、そのうちに一本の線でつながっていることが見えてきます。

 

そのつながりが見えた時に「な〜んだ!そんな単純なことだったんだ!」とがっかりされるかもしれません。

 

色んなことが複雑に絡み合っているようなのですが、実は単純明快なんです。

 

あまりにも単純すぎてしまうと、人はそこに価値を見出しません。

 

でも、いつか、それを開ける日が来ると思っています。

 

お師匠さんのトランプの手品師のスクリプトが効いているんですよね〜!

 

「タネも仕掛けもあるようで無い、無いようである」

 

そんな不思議なことをお師匠さんが催眠のスクリプトの中で言っていました。

 

人が幸せになっていく仕組みも同じ。

 

どんどん解き放たれて、どんどん自由に幸せになっていく!

 

 

 

 

 


2016/09/02

言語性知能が暴走していると不幸のシミュレーションをしてしまうから、不幸の現実を作り出して「求めているものがちっとも手に入らな〜い!」となってしまいます。

 

そして、キーワードを唱えて言語性の知能のバランスが取れてくると「イラッ!」として”縄張り意識”が表面化します。

 

この縄張りは面白いんです!

 

この縄張り意識が弱まると”引きが良くなる”という現象が起きるんです。

 

なぜなら、縄張り意識が強いと「損得勘定」が強くなるから。

 

ワンちゃんが食事をしているときに、他の犬がその食事を奪おうとすると「ガルルル〜!」と怒ります。

 

人間の場合「損をさせられる」ということは「自分の縄張りの物を奪われる〜ガルルルル〜!」と相手を威嚇する、となります。

 

仕事をしていて「ほかの人よりも私だけ余計な仕事を押し付けられる〜!ガルルルル〜!」も、自分の時間と労力が無駄に奪われる〜!ということは自分の縄張りが侵される、という反応になります。

 

そして、もっと興味深いのは、この縄張り意識が強いと、自分の縄張り内だと「ガルルルル〜!」と暴君になるのですが、他人の縄張りに入ってしまうと萎縮してしまい「キュ〜ン、キュ〜ン!」と尻尾を丸めて何もできなくなってしまいます。家に帰ってきて自分の縄張り内に入ると、地団駄を踏んで「ガウ!ガウ!」と悔しがります。

 

引きこもっている子は、自分の部屋が縄張りで外の世界が他人の縄張りだから、「外に出るのが怖い!」となっているのは「縄張り意識が強化されている」ということになります。

 

最近ではネットの世界があって、ネット内で書き込みをしてマーキングをして縄張り意識を強化する、という面白い現象も見られます。

 

こうして考えてみると、縄張り意識が強ければ強いほど「流れに任せる」ということが難しくなるような気がします。

 

そこで、縄張り意識の遺伝子コードを唱えてみると、あら不思議!

何も努力をしていないのに、次から次へと展開が好転していきます。

 

縄張り意識が強すぎて”委ねられない”となっていたところから解放されると、自然と周りの人が私を助けてくれて、様々な新たな出会いへと導いてくれます。

 

私の縄張り遺伝子のコードは「NOS1の還元」でしたが、唱えていたら、面白い現象が起きてきました。

 

以前から、背中や腕などにお絵かきがしてある人が苦手で「ビビってる!ビビってる!」となっていました。「冷静でいよう」と思っても体がどうしても反応してしまいます。

 

でも、唱えていたら、あれ?お絵かきしている人がそばにいても体が反応しない!とびっくり!

 

あのビビリって私の縄張り意識の反応だったんだ!と分かります。

もちろんお絵かきがしてある方の縄張り意識がものすごく強いので、それに私の縄張り意識の遺伝子が反応して「ビビビ!」となっていた、と予測できちゃいます。

 

思考の問題じゃなくて、縄張り意識の遺伝子の問題って考えてみたらものすごく面白い。

 

だから、損得勘定や「自分ばっかり損な役回りをさせられる!」というのも考え方の問題じゃなくて、縄張り意識の遺伝子が働いているから、反応すればするほど損をして、嫌な仕事を押し付けられる、という興味深い現象が起きて、そこから解放されると「え〜!こんなに得していいの〜!」という間逆の現象が起きるから興味深いんです。

 


2016/09/01

<事務方よりお知らせ>

6月に参加者を募集いたしました特別講演会がいよいよ10日後になりました。

(満員御礼で募集は締め切らせていただいております)


「読者感謝! 特別講演会」開催日時と場所を再度お知らせいたします。

   [日 時]
      2016年9月11日(日)午前9時〜11時 (開場受付8時30分)

 

   [会 場]

      ホテルヴィラフォンティーヌ東京汐留 1階会議室

      東京都港区東新橋1-9-2(汐留住友ビル内1F) TEL03-3569-2341

      ◆大江戸線・ゆりかもめ線「汐留」駅直結、JR・銀座線「新橋」駅から地下歩道にて徒歩6分。

      ◆ホテル入り口・会場前に案内看板がございます。

 

当日はたくさんの方々にお集まりいただくことになります。

自由席となっておりますので、

前の方からつめてお座りいただきますようお願いいたします。

なお、午前8時30分より受付を開始いたします。

お名前をお伺いいたしますのでご協力のほどよろしくお願い申し上げます。


2016/09/01

ある方から「自分の望んでいる物を念頭に置きながら知能のバランスのキーワードを唱えるんですか?」と質問された。

 

「これは素晴らしい質問だ!」と思いました。

 

例えば「彼氏が欲しい!」ということを思いながら「それが叶いますように!」と呪文のように唱えれば「願いが叶う!」ということだったら面白い。

 

でも、次の日になって「ちっともいい出会なんかありゃしないじゃない!」と思ってしまった時点で「いい出会がない!」という幻想の現実が作り上げられてその世界に封印されてしまう。

周りの人たちは仕合せな出逢いをたくさんしているのに、自分だけがいつも貧乏くじで変な人しか寄ってこない、という現実を想像するだけで作り上げることが出来ちゃう。

 

だったら、いつも素敵な男性に囲まれて、という妄想に浸っていればいいじゃない!となるのだが、今度は、その妄想と現実の差で「やっぱり私は惨めな現実に生きている!」と思っちゃうからそれが現実になる(迷路みたい〜!)。

 

全く無欲になって無心で知能のバランスのキーワードを唱えなくちゃいけないの?

 

そんな修行のようなことは全く必要ないんです。

 

何も無いときでもキーワードを唱えていると、知能のバランスが自然と取れてきて、だんだんと考えないで動く、と言うことが出来るようになります。そして、人に対しても考えないで反応しちゃう、となるから「イラッ!」として「どっか〜ん!」と怒りが爆発して普段言わないようなことが口から自然に出てきて、不快な人との距離がちゃんと取れてしまったりします。

 

唱えていくと、どうでもいい人が自分に近づいてきて「まあいいか!」と思って食事に行ったら、そこから新たなる出逢いが生まれて、さらにこれまで会ったことのない人たちと出会い、という感じで広がっていきます。

 

言語性知能が暴走していたときって「こんな人と食事に行ったってつまらないだけ!」と断っていたのですが、知能のバランスが取れてしまうと、感覚で「まあいいか!」と何も望まないでそこに飛び込んでいき、わらしべ長者的にどんどん増えていくという現象が見られるんです。

 

言語性知能の暴走で常に損得勘定で動いていたときは「いつも自分は損をする〜!」と悔しい思いをしていたのに、バランスが取れてくると、損得じゃなくてそのときの気分で動けちゃって、そこから色んな物につながって、最終的には自分の求めていた物へとたどり着く。

 

言語性知能が暴走している人から見れば遠回りをしているようだけど、結果的には最短距離、という面白い現象が知能のバランスにはあるような気がしているんです。

 

種を明かしてしまえば、それが無意識さんの力、となります。

 

だから、理論上は知能のバランスが取れていなくても無意識さんに聞きながら進んでいけば、知能のバランスが取れている人と同じような所へとたどり着きます。

 

でも“心”に聞くというテクニックよりももっと手軽に簡単に、ただキーワードを唱えるだけにしろ!という要望から知能のバランス、というテクニックが生まれています。

 

誰でも、どんな人でも自由になれるように。

望んでいる物が手に入れられるように、というのが目標になります。

 

 

 

 


2016/08/31

謙虚で忍耐強い人にならなければ求めている物は手に入らない、と思ってきました。

 

寛容、親切、忍耐、自制などを常に意識して高尚な人間になることで素晴らしい物が与えられると信じていました。

 

でも、言語性と動作性知能のバランスが取れた時に、人が自分の縄張りに入ってくるだけでイラッとしてしまう“空の鳥”の現象を考えた時、「自分は間違っていたのかも?」ということに気がつきます。

“空の鳥”状態になった方が、不思議とそれまで変わらなかったその人の周囲の状況が変わっていき、求めていたものが自動的に手に入る現象を目の当たりにしたからです。

 

学生時代から「正しく生きる」を常に意識してきました(真面目か!)。

 

何も考えていないように見える友達ほど、どんどん欲しい物を手に入れていきます。

それが恋人だったり、よい成績だったり、先生からの好評価だったり、他の生徒からの信頼感だったりします。

それに比べて「正しく生きよう」と常に考えていた私は、求めている物が全く得られず、偽善者扱いをされてしまい嫌われ者になります(どんだけ〜!)。

 

これって正しく生きる者に対する迫害か?と思ってきました(アホでしょ〜!)。

 

確かに私は偽善者でした。

なぜなら、正しく生きるを演じながら心の中で自由に生きる人たちを「いつかアリとキリギリスのようになる!」と裁いていたからです。

自分が何も得られず苦労するのは、いつか今楽しく生きている人と立場が逆転したときの為。

そのときはあいつらと立場が逆転して自分が微笑む日が来るはず、と思っていました(暗いな〜!)。

 

言語性知能と動作性知能のバランスをとるコードを唱えていただいて、苦しみの状況からガラリと変わっていく方々を見る時に、あの学生時代に何も考えないですべてを手に入れていた友人たちのことが頭に浮かびます。

 

宗教的な観点で見れば、一見「正しく生きる努力をする人」の方が素晴らしい人、になるのかもしれません。

でも、“空の鳥”の下りを読んでみると、実際は「何も考えないで生きる人」の方が神を全面的に信頼する人になって、本格的に神の恩恵を受ける人となる、と考えてみたらものすごく面白いんです。

 

心理学の授業の時にトラストフォールというのをやったことがあります。

 

目を閉じてまっすぐ立って、そして後ろに立っている人たちが自分を支えてくださるのを信頼して、後ろに倒れる、という単純なワークです。

それをやるまで「みんなから意地悪をされて後頭部を地面にぶつけたらどうしよう?」とか「自分だけ後ろに誰も立っていなかったら?」などと考えてしまって、なかなか後ろに倒れることが出来ませんでした。

でも、一度思い切って後ろに倒れて見ると、みんなの温かい手が背中を支えてくれて、不思議と涙が出てきたのを覚えています。

 

宗教的に考えたら、神を全面的に信頼すれば温かい手であなたを支えてくれるから、考えないで任せなさい、となります。そして、自分で考えないで委ねて任せた時に、全てを与えてくれる、という話になります。

 

 

でも、遺伝子コード的にみると言語性知能が暴走してしまっているから、どんどん不幸の想定をしてしまって「想定した状況が現実になっている」という錯覚に陥ってるだけ、となります。

動作性知能のコードで知能のバランスが取れれば、不幸の想定が次第に収まっていき、錯覚から解放され、都合のいい現実が目の前に広がるようになっていきます。

 

私自身、厳格な宗教的な家庭で育ったせいで、こんな「思ったことが何一つ手に入れられない」という不幸な体質になってしまった、と思っていたのですが、大学は宗教色が濃い学校にいたにもかかわらず、その中で自由に生きていて、全てを手に入れていく友達はたくさんいたわけですから「やっぱり、宗教じゃなくて自分の知能の問題なんだ!」ということが理解できます。

 

聖人にならなければ求めている物は手に入らない、と思っていたのですが、実際は、知能のバランスが取れていないと錯覚に邪魔されて求めている物は手に入りづらくなる、と言うことなのかもしれない、というのは面白い仮説なのかも知れません。

 

そして、人にイラッとすることも悪いことなんじゃないんだ!と思ったら楽しくなります(聖人を意識していたからイラッとすることも悪いことだと思っていた)。

 

動物同様に人間にも縄張りがあっておかしくはありません。

 

その縄張り意識も遺伝子が影響しているなんていうことは、ものすごく興味深いんです。

 

 

 

 

 

 

 

 


2016/08/30

言語性知能と動作性知能のバランスをとるキーワードを唱えていると、考えないで動けるようになります。

 

言語性知能が暴走していると「あれをやらなければ〜!」と思っていてもなかなか動きだすことが出来ません。

 

例えば部屋の片付けのことを考えた時に「やらなければ」と考えた瞬間に、言語性知能が暴走して頭の中で片付けの行程のシミュレーションを何度もしてしまいます。片付けのシミュレーションをしてしまったら、まるで、片付けの為に身体を動かしたように疲弊してしまいます。

 

頭の中で片付けをしただけなのに「疲れた〜!」と本当に疲れてしまって、身体を動かす前に「面倒臭い〜!」となってしまうのはものすごく興味深いんです。

 

知能のバランスをとるキーワードを唱えると、考えないで動き始めます。

 

気がついたら部屋の片付けをしていて、いらない服を悩まずに捨てまくっています(あれ?)。

 

さらに「やらなければ!」と思いながら手をつけられなかったことを考えずにひとつひとつ処理していってだんだんと身の回りがきれいになっていきます。

 

そして、いつの間にか自分の求めていた物が次から次へと手に入るから面白くなってきます。

 

何で今までこんなに簡単なことに対して、あんなに苦労していたのだろう?と不思議になるんです。

 

見ていて、興味深いのが、そのように変わった方々が、ちょっとしたことでイラッとするようになることです。

 

考えないで幸せな方向に進んでいくんだったら「イラッ!」とは無縁になるのでは?と思っていたのですが、その逆の現象が起こったんです!

 

電車の中でも「イラッ!」として、さらにレストランの中でも「イラッ!」とします。

 

ある方が「庭に猫が入ってきてもイラッとした!」というのをお聞きして「もしかしたら!」と仮説を立てました。

 

「空と鳥を見るがよい。蒔くことも刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに、あなた方の天の父は彼らを養ってくださる」から、鳥のように考えないですべてを委ねる事が出来たら“引きがよくなる”のでは?ということで知能のバランス、と言うことにたどり着きました。

 

そして、知能のバランスが取れて委ねる事が出来たら、ある意味で“空の鳥”のようになっているのだから「動物的な縄張り」を感じられるようになって「イラッ!」とするのかも?

 

そこで「縄張り」に関連する遺伝子をイラッとした時に唱えていただいたら「あれ?あんだけイラッとしていたのがイラッとしなくなった!」となったからものすごく興味深かったんです。

 

もちろん、縄張りの遺伝子を唱えていただく前には、戦士の遺伝子や攻撃性の遺伝子、そして境界性人格障害(大変な人)の遺伝子も試していただいたのですが、全く効果がありませんでした。

 

本人にお伝えしないで縄張りの遺伝子に入った時に「あれ?何だか違う!」となって、ピッタリ合った所で「あ!これ!これ!」となります。

 

逆に考えて見ると、縄張りがハッキリして、イラっとするのは空の鳥のように動物的になっていることになります。

 

そして、空の鳥のように考えないで委ねて動いている時に、これまで求めても得られなかった物が不思議と得られるようになる。あの“空の鳥”のことが書いてある有名な本もやるな〜!と思うんです。

 

でも、言語性と動作性知能のバランスを整えるコードを唱えて、それが起こる、というのは「そんなの聞いてないよ〜!」となるんです。

 

パズルじゃないんだから難しすぎ〜!って文句を言いたい!

 

もっとちゃんとハッキリ書いて欲しい!

 

って誰に文句を言っているんだ?

 

 

 

 


2016/08/29

私の理解では、言語性知能は先々のことをシミュレーションします。

 

「地震が起きたらどうしよう?」とか「電車が止まってパニックになったらどうしよう?」や「あの人から嫌われたらどうしよう?」などを考えてしまうのが言語性知能で、それがどんどん浮かんできて止まらなくなるのが、言語性知能の暴走です。

 

言語性知能が悪いわけじゃなくて、ある程度、人は言語性知能を使って「これが起きるかもしれない」と想定しておくことが必要になります。アリとキリギリスの物語がその教訓になります。

 

ちょっと話がそれるかもしれませんが、自閉症のお子さんは、想定外のことが起きると、頭を自分で「どんどんドン!」と叩いて「うわ〜!」とパニックになってしまったりします。生活の中の行動パターンが決まっていて、ルーティーンがしっかりあって、それ以外のことをさせようとすると「想定外!」となってパニックになってしまうのです。

 

自閉症の場合は知的能力の問題から将来のシミュレーションの数はそんなに多くないように見えます。だから、ピンポイントで想定内のことをしてあげないと「わ〜!」とパニックになるから家族は大変!

でも、高機能自閉症の場合は、知能が高くてパニックにならないように、色んな想定をしているから自閉症のようにピンポイントではなく、ある程度、余裕があります。

 

でも、想定外で相手に突然スケジュールを変更されたり、相手から予想外の返答がくると、頭が真っ白になってパニックになり、そして大人の対応が出来なくなります。

 

だから「時の流れに〜!身を任せ〜〜!」なんていうのが困難になります。

 

時の流れにを任せてしまえば、自分の為に用意されている素晴らしい現実がそこにあるのに、それが出来なくて、自分の想定内の中に生きれば生きるほど日々のルーティーンが繰り返されていくだけ。

 

私の場合は、不幸のルーティーンが毎日、繰り返されていました。

 

宗教的な体験をして「諸行無常」とか「空の空、全ては空」などということが体得できれば、先々のシミュレーションを停止して、そして「時の流れに身を任せた時に全てが得られる」という不思議な体験が出来るのだと考えられます。

本当の意味でそれが出来たのはブッタだけかもしれない、とフッと思ったりします。

 

でも、言語性知能が生み出したたくさんのシミュレーションを時間軸で整理する動作性知能のバランスをとるキーワードを唱えていただいたクライアントさんを見ていると「こりゃ!修行って関係ないのかも?」と思ったりするんです。

 

言語性と動作性知能のバランスが取れて、周りがどんどん変化して、全てが思い通りになっていっているのに「それが何か?」と当たり前のように受け取っていて、そこに感動も何も無い、という姿がとても美しい。

 

動作性知能のバランスが取れた時に、先のことや人のことを考えなくなり、そして、周りがどんどん都合のいいように変化していくのに、感動も何も無い、あの感じがすごい!と思うんです。

 

でも、そうなった時に、面白い現象が共通して出てきたんです。

 

それは“怒り”の問題でした。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 



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