2017/12/06

「求めているものが得られない!」と怒っていた方が車を運転していたら、車がぶつかってくる事故に4回もあってしまった、というのは非常に興味深い現象となります。

 

私も昔は「お金がない!」とイライラしていた時に限って、酔っ払いがぶつかってきて「なんだこの野郎〜!」と絡まれたりします。

 

こちらの脳に帯電した電気が、周囲の脳に干渉して「イライラの電気を増幅して不快な出来事を起こしちゃうぞ〜!」という現象が起きているのでは?ということを考えます。

 

イライラしている人のテレビが突然壊れてしまったり、「あれ?不具合を起こさないはずの携帯電話がおかしくなった!」というのはもしかしたら、脳の帯電した電気が電化製品に干渉して不具合を起こして、ということが考えられます。それと同じように、怒っている人の電気が電化製品に干渉しておかしくしたように、その電気が人に影響して周りの人におかしな行動をさせるのかも?ということを考えてみると興味深いんです。

 

求めているものを得たい、と思っている時に「求めているものが得られない!」と怒っていると脳に電気が帯電してしまいます。

 

その電気が周囲の人に干渉して「嫉妬の発作」を誘発させちゃいます。

 

すると今度は、周囲の人の嫉妬の発作の電気に干渉されて、肝心な場面で「頭が真っ白になる!」とか「行動しなきゃいけない場面でゲームや漫画を読むのがやめられない〜!」となるんですね。

 

自分が求めているものを掴むための行動が一切できなくなるのは、周りの人の電気に干渉されて、と考えると腑に落ちるんです。

 

だって、環境が変われば簡単にそれができたりするんですから。

 

そこで「求めているものを得るためには」ということを考えていくと「求めたって、宝くじの一等賞が当たらない!」と怒っていたら脳に電気が帯電します。

「どうせ当たるわけないんだから!」と言いながら「なんで私の宝くじはいつも当たらないんだ!」と思った時点で、脳内には「なんで当たらないんじゃ!当たる奴はずるい!」と怒りを帯電していきます。

 

そして、その電気が周囲の人の脳に干渉して負の連鎖を引き起こして「どうして私の周りでこんなに不幸なことが起きるんじゃ〜!」という感じになるんです。

 

求めていることを半分に折り曲げる、というのは「一等賞だったら3億円だけど半分だったら1億五千万円?」ということも考えられますよね。でも、昨日、それをはっきり書かなかったのは「どんな半分なのかを無意識に選択させる」ということ。

無意識では「一等賞の半分は、三等賞で100万」になるのかもしれません。そして、その半分だったら5等賞だったら300円だから「それだったら普通に10枚買ったら当たるよね!」となるから「当たらない!」という怒りの電気は帯電しなくなります。

 

脳に電気が帯電しなくなったら、周囲の脳とも干渉しなくなります。すると「無意識さんの力が使えちゃうやろ!」と一等賞の三億円を無意識で目指しちゃいます。

 

不思議とコンビニの募金箱に1000円札を入れている自分がいます。

 

それをすることで「お金がない!」というお金に条件付けされた怒りを帯電することを無意識に防ぐようになります。

 

簡単に言ってしまえば「執着をなくす」ですね。

 

お金で「ビビビッ!」が条件づけられていると、その電気が自分だけだったらまだしも、周りの脳にも影響してしまうから、その電気が干渉して、お金持になる確率を変えちゃう可能性があるのでは?と考えるんです。

 

お金に電気が条件づけられなくなると「自分だけが貧乏くじ」のおかしな状況がなくなり「お!みんなと平等にチャンスが巡ってくる〜!」となります。

 

そこで喜びを感じて、さらにお金に対する執着を「募金!」などで捨てることをしていけば「お〜!どんどんチャンスが巡ってくる!」という普通の人には当たり前の状況が訪れるんですよね。

 

そんなお話です。

 

「ジャニーズのアイドルみたいな子と結婚したい!」というのが頂点だったら、その半分は〜!って考えるのって面白いですよね。

 

吉本の芸人さんか!

 

そして、その半分だったら〜!

 

あはは〜!

 

考えてみると楽しくなります。

 

そして、そこからわらしべ長者的な展開を望んでいきます(誰と交換するねん!)。

 


2017/12/05

ギャ〜!

 

やってしまった〜!

 

メールをチェックしたら「あの〜?原稿の締め切りは本日となっておりますが、原稿の方はどうなったでしょうか?」と書いてあって「ひえ〜!すっかり抜けてた〜!」とびっくり!

3月号の雑誌だから「締め切りは来年だろ!」と自分の都合のいいように考えてしまっていました。

 

すみませんでした。

 

これから書きます!!

 

騒がしくてすみませんでしたゆう★

 

 

「自由に求める力!」の続きを書いちゃいます(お〜い!そんな時間があるのか〜い!)。

 

私のように「望んだものが手に入らない!」と思っている人は「自由に求める力」と書かれた時に「だって、宝くじは一回も当たったことがないじゃん!」という極端な発想に行ってしまいます。

 

過去の体験から「あの企業の就職面接を受けて落ちたじゃん!」とか「あの試験で合格できなかったじゃん!」なんという「願っても実現できなかった」ことがどんどん思い出されてきちゃって「自分がどんなに求めても、本当に求めているものは得られな〜い!」となってしまいます。

 

だから「自由に求める力」と言われたってにわかに信じられないんですけど!!

 

ここで偉い人は「あなたの本当に求めているものはすでに手に入っているはずです!」なんていことを言います。

 

「あなたはそれに気がついていないだけ!」なんてね!

 

気がついていないんじゃなくて、手元には実際に存在してないやんけ〜!

 

どこにあるんじゃ!ボケ〜!と言いたくなります(失礼やろ!)。

 

「自由に求める力」と「求めていたものを手に入れる力」って結構、面白いんです。

 

これを書いていて浮かんできたのは「あ!催眠のお師匠様だ!」でした(なんでやねん!)。

 

「宝くじで一等が当たったことがない!」と思った時に、いろんな人がそれに対して回答してくださるのが頭の中で聞こえてきます。

 

「あなたはわざと不可能なことを求めて、それが得られなくて“自分はダメ人間だ〜!”と自分を貶めているだけなんです」なんていう人もいます。

 

「あなたの身の丈にあったことを望みなさい」という方もいらっしゃいました。

 

「あなたの信じる力が足りないからそれが実現できないんです」という厳しい方もいらっしゃいます。

 

この「一等が当たらない」というのは心理学的にも解釈をすれば、いろんな解釈をすることができるのですが「得られなければ意味がないでしょ!」というのが現実なんです。

 

お師匠さんの脳とつながった時に「宝くじの一等が」という話で、お師匠さんは「いいですね〜!」と一見、馬鹿げたような願いでも否定されません。

 

一般人のパターンとしては「そんなバカなことを!」というのが根底にあって、あとは「ムニャムニャ」と煙に巻くタイプなんですが、お師匠さんにこれを伝えた場合は「あれ?こんな馬鹿げたような願いで否定しないの?」となるんですよね。

 

お師匠さんは「宝くじの一等の願いはいいですね〜!」というところから始まり「その半分の願いだったら、どんな願いになるでしょうね!」と面白いことをおっしゃる。

 

私の頭の中では混乱が起きます。

 

「一等賞の半分って何?」とわけがわからなくなっているところに、お師匠さんは「さらにその半分の願いだったらどんな願いになるんでしょうね?」と優しく聞いてくださいます。

 

ますます私の意識は混乱してきます。

 

でも、無意識の中では、ちゃんと答えが見つかっているのですが、意識はそれに気がつきません。

 

さらにお師匠さんは続けて「その半分の願いだったらどんな願いになるんでしょうね〜!」と言われた段階でさらに混乱してきます。

 

するとアホな意識でも気がつきます。

 

「あれ?それって、すぐに手を伸ばせば手に入れられるような願いなのかもしれない!」と。

 

この時点で自分が本当に求めていたものが、無意識の中でなんとなく掴めたような気がします。

 

そう!宝くじの一等が見せてくれている、ある一つの求めていることが私の中でぼんやり見えてきて「もしかして!」という感じになるんです。

 

求めているものの半分、そしてさらに半分、という感じで折り続けていたら「あれ?これって一つの形になっているのかも?」という不思議なものが無意識の中にぼんやりと見えてくるような感じがします。

 

そう!まるで折り紙のよう。

 

私のアホなような願いが頂点にあって、そこに合わせてちゃんと、他の角を合わせて半分に折りながら、折り続けていくと「お〜!見事な形になった!」という不思議な情景が見えてきます。

 

一枚の薄っぺらい願いのような気がしていたのですが、その角と角を丁寧に合わせていくと、いつのまにか一つの形になって、一枚の紙からは想像できないような姿になっていきます。

 

そして、折り上がった形が、自動的に私をある一つの方向へと導いてくれます。

 

私が本当に求めている方向へと。

 

(つづく)

 

アマゾンの「無意識さんに任せればうまくいく」(PHP文庫)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

「この本はお師匠さんが書いた本だから」と私は思っていて「皆さんが気に入ってくださっているのは、お師匠さんですから〜!」とちょっぴり悔しい思いをしております(なんでやねん!)。そんな私もこの文庫本は何度も読み返しています。無意識につながることができて、不思議なことが起きるんですよね。本当にお師匠さんはすごいです。あの本との違いを見つけられるぐらい読んでくださったんですね。嬉しいです。私は、いつも催眠状態に入ってしまうので、読むたびに「あれ?これって新しい本?」という感じになっています。でも、カバンに入れてくださって嬉しいです。時折「パン!パン!パン!」と叩いてあげてくださいね。優しくカバンの上から。

 

いつも、応援してくださってありがとうございます。

 

大嶋 信頼

 


2017/12/04

私は子供の頃から「望んだものは手に入らない!」と思っていました。

 

もし、万が一望んだものが手に入っても「自分が本当に望んだ形では手に入らない!」と信じていました。

 

確かにそうだったんですよね。

 

ミニカーが欲しくて「友達の持っているミニカーいいな〜!」とずっと思っていて「あんなのが欲しいな〜!」と願っていると、母親から「人の持っているものなんか欲しがるものじゃありません!ビシ!」と頬にビンタを受けます。

 

まあ、親からしたら「人のものを欲しがって、盗んでしまって犯罪者になったらどうしよう?」という不安があるから「ビシ!」と叩くわけですが、叩かれた私は「こんなに酷いことをされるんだから、自分は犯罪者の素質があるんだ!」と思ってしまうんですよね。

 

人のものを欲しがって、盗みを働く子になってしまったらどうしょう?と心配するのは子供のことを信じていないから。

 

私は誰からも信用されないダメな子なんだ、と本気で思ってきました。

 

誰からも信用されない、ということは自分でも自分が信用できない。

 

だから、自分が求めているものが手に入ってしまったら、自分はとんでもない傲慢な人間になって「没落する〜!」という恐怖がありました。

 

ある意味で自分が望んでいるものが手に入らないのは、自分を常に正しい方向に向けておくために大切なこと、と思っていたんです。

 

幼い頃は、汚い平屋の借家だったんで「両隣の2階建ての家いいな〜!」とずっと思っていました。

 

友達の家に行って、部屋が2階にあると、そこから見下ろせる風景が羨ましくて仕方がありませんでした。

 

当時、借金まみれだった父親が、さらに借金をしてやっと購入した“2階建ての家”の2階には「祖母が越してきました!」となって「憧れの2階建ての家じゃな〜い!」となります。

家族は結局狭い一階で暮らすことになって、以前よりも惨めな感じ。

 

望んでいるものが手に入ってしまったら、自分はさらにダメ人間になってしまうから、このような現象が起きるんだろうな、と解釈していたんです。

 

だから、幼かった私は「クリスマスが大っ嫌い!」となっていました。

 

だって、周りの子達は「サンタさんがお願いしたものを枕元に置いて行ってくれた!」となるのですが、うちは「サンタさんなんかいません!」とピシャリ!

うちは経済的にそんな他の子たちのような余裕はありません!と何一つ求めていたものって「あ〜!手に入らないんだよな〜!」と思っていたんです。

 

結局、おばあちゃんにおねだりをして、買ってもらうのですが、嫁姑間で問題があった母親にどこか申し訳ない気がしてしまって、どうしてか、自分の本当に欲しいものをおねだりすることができない。

 

だから、祖母から買ってもらっても「本当に欲しいものじゃないんだよな〜!これって!」と思って嫌な気分になっていたんです。

 

最近、周りの人を見ていて「あ〜!求めていたものがちゃんと手に入れられていて羨ましい〜!」と思うことが多々あります。

 

その方が願っていたものがいつのまにか手に入っていて「すげ〜!」と思うです。

 

でも、そんな方を見ていると、せっかく願っていたものを手に入れたのに「あれ?あんまり喜んでいないぞ!」となるのは「あ〜!自分のことを信用していないからね!」ということを感じるんです。

 

心のどこかで「望んでいるものが手に入ってしまったらダメ人間になる!」って自分のことを信じていない。

 

せっかく手に入れたのに!と外から見ていて、思うのですが、それに対してぞんざいな扱いをしてしまっていて「う〜ん!あの時の私と一緒だ!」と思うんです。

 

望んでいるものを手に入れてしまったら傲慢な人間になって、いつか痛い目にあう!というのを心のどこかで恐れているんでしょうね。

 

この暗示から解放されたら、いくらでも望んでいるものが手に入るような気がするんですよね。

 

なぜなら、心から望んでいるものを求めることができるから。

 

自分に対する信頼感がないから、求めることができない。

求めているようなんですけど「手に入れたらダメ!」とか「絶対に私のような人間は手に入れられない!」と暗示で思わされてしまっているから。

 

だから「望んでいるものを手に入れる」というためには、自分への信頼感をちゃんと構築する、ということが必要なのかも?と思うんです。

 

クリスマス前だから、そんなことをここで求めてみましょう。

「どうやったら、自分のことを信頼できるようになるのか?」ということを。

 

そして「自由に求める力!」を手に入れちゃいます。

 

(つづく)

 

「ずるい人」が周りからいなくなる本(青春出版社)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

ジェンさん、レビューを書いてくださってありがとうございます。いつも本を読んでくださってありがとう!!先日も「ずるい人」でインタビューを受けて「なんで”ずるい人”なの?」と聞かれて「え〜と?」となっていました。実は、この「ずるい!」ってこの編集者さんの口癖で「その口癖をなんとかしたい!」という話でこの「ずるい人」は書き始めたんです。本当は「支配されちゃう人たち」(青山ライフ出版)に書いてある「支配者」のことを中心に書こうとしたら「あれ?いつのまにか、ずるい人に反応する自分のことを書いている!」という感じになってびっくり!だから、おっしゃるように「あまりイメージがわかない」というのは当然なんです。私自身が湧いていなかったから。でも、だんだん書いていくうちに、嫉妬の問題とかが見えてきたんですよね〜!いつも繋がってくださっているおかげです。脳のネットワークって時間軸が関係ないんです。だから、今、読んでくださっても、この本を書いている当時の私の脳とつながってアイディアを分けてくださるんですよね。感謝です!!

 

いつもありがとうございます。

 

大嶋 信頼

 

 


2017/12/02

私自身、本当に“器が小さい”っていうのが「恥ずかしい!」とずっと思ってきました。

 

そんなことを考えていたら、寮生活をし始めた頃のことを思い出しました。

 

若かった頃って、銭湯に入るとか温泉旅行で温泉に入る、なんてことをしたことがなかったから「人前で裸になるのが恥ずかしい!」と思っていました。

 

人がいるところで服を脱いだことがなかったんですね〜!

 

ところが寮に入ったら、40人が生活するホールで共同シャワーが4台だけ。

 

それもトイレと一緒にあるシャワーだから、シャワーを浴びていると人が入ってくる。

 

そして、更衣室なんかないから、自分の部屋で裸になって、そしてシャワーまで腰にタオルを巻いて歩いていかなければならなかった。

 

私の部屋は、一番シャワーから遠かったので「うわ〜!みんなに裸を見られる〜!」と歩くのが嫌だった。

 

そこでみんながシャワーを浴びない時間、誰も廊下を歩いていない時間を見計らって、部屋から顔を出して「よし!誰もいない!」と確認をして、慌てて服を脱いで、シャワーがあるところまで翔っていっていた。

 

誰も見ていない、と思って、毎日のようにドキドキしながらシャワーを使っていたのですが、それをしっかり誰かが見ていたんですね〜!

 

歌を歌いながらシャワーを浴びていたら「あれ?曇りガラスの向こうに人影が?」と思ったら、さっと消えました。

 

「気のせいかな?」と思って髪を洗って、そして、外にかけてあるタオルに手を伸ばしたら「無い!」となります。

 

脳裏には、アメリカ映画の学校でのいじめのシーンが浮かんできます。

 

裸のまま廊下を出た途端に、寮の連中が廊下に座って、裸で慌てて自分の部屋にタオルを取りに行くのをみんなが見物して「ヒュ〜!ヒュ〜!」ってやるシーン。そして、慌てて廊下を翔って自分の部屋にタオルを取りに行っても鍵がかかっているんで、そこで恥ずかしくて悶えて、見世物になるって場面。

 

そんなシーンが思い出されたら、なぜか怒りが湧いて「俺のタオルはどこだ!」と怒鳴ります。

 

普段は、ほとんど喋らず寮の部屋にこもりきっていたので、みんな私の怒鳴り声なんて聞いたことはなかったんです。

 

ちょっと廊下からザワザワした声が聞こえて「やっぱり!」となります。

 

トイレのドアを「バン!」と壊れんばかりに思いっきり開けて「誰が俺のタオルをとったんだ!」と怒鳴ります。

 

シャイな私が恥ずかしそうに股間を押さえてちょこまかとかけて出てくると思ったら、全く違った反応だったのでみんなが固まっています。

 

まるで秋田のなまはげの裸バージョン(もちろんお面なし!)で「誰が俺のタオルをとったんじゃ〜!」と廊下で見物をするつもりで座っていたやつの胸ぐらを掴んで持ち上げて、顔を思いっきり近づけて「お前か!お前が取ったんか!」と揺さぶります。

首を「ぶるぶる」と横に振って「僕じゃ無い!」という意思を表示します。「だったら、誰じゃ!」と怒鳴りつけると、あっさり「あいつです!」と指をさすではないですか。

 

犯人を指したそいつを廊下に投げ出し、逃げようとした犯人の服を捕まえて、床に投げ飛ばして、廊下で袈裟固めをしながら「おまえか〜!お前がやったんか〜!」と締め上げていきます。

 

周りの人間が、慌てて、私の怒りを収めようとしたのか、タオルを持ってきて、私の股間を隠そうとしましたが「今更遅いわ!」と私の怒りは収まりません。

 

すると、その犯人のルームメイトが「ノブ!これはアメリカのやり方じゃ無い!」とわけのわからないこと言います。

 

「うるさい!俺は日本人じゃ!」と怒鳴りつけ、さらに締め上げてリック(犯人)の顔が赤から青に変わっていきます。

 

ルームメイトが「アメリカではこれで戦うんだ!」とシェービングクリームのスプレー缶を持ってきたので「はあ?」となります。

 

私の力が緩んだ瞬間にリックは私の腕から抜け出して、みんなからシェービングクリームのスプレー缶を渡されて「対等に戦おう!」とボクシングのステップを踏みながらバカなことを言い始めます。

 

シェービングクリームの泡を手にとって、そして、相手にぶつけて塗りたくり合う、という趣旨だと思うのですが、私にはその文化がありませんでした。

 

さっきと同じ要領で、リック(犯人)を投げ飛ばして床に叩きつけてから、リックの上に馬乗りになって、そして、丁寧にシェービングクリームの泡で顔を埋めていき、みんなが「ワ〜!」と盛り上がります。

 

寮のみんなが「わ〜!勝者!」と言いながら私の両手を掲げて、ジャンプして喜んでいて、いつのまにか私も「わーい!」とみんなと一緒にジャンプをしながら、ぶらぶらさせていました。

 

シェービングクリームだらけの犯人に手を差し伸べて起こしてあげて、ハグしながら背中を叩きます。

 

そして、リックはとったタオルを自分の部屋から持ってきて、私の腰に巻いて、私はみんなの声援を背中に受けながら自分の部屋にがに股歩きでゆっくりと戻っていきました。

 

部屋にたどり着いたら、やっぱり鍵がかかっていたので「やつらめ!」と再び怒りが湧いて、部屋のドアを「バン!」と足で蹴飛ばして大きな音を立てたら、慌ててリックが鍵を持ってきて、こそこそと開けて「どうぞ!」と手をさして部屋に誘導します。

 

わたしは「なんじゃ!こりゃ!」と思いながら。

 

しばらく興奮して勉強も眠ることもできなかったのを今でもこうして覚えているんです。

 

そして、時折、こんな風に私の記憶の中に浮かんできて、私に何かを示してくれるんですね。

 

あいつら、どうしているかな?

 

そうなんです、私は、あれから「裸を見られて恥ずかしい!」ということがなくなったんです。

 

(この話は何度か書いていて、本だと確か「ミラーニューロンがあなたを救う」に書いていたかもしれません)

 

 

 

 

 

 


2017/12/01

「あの北海道の俳優さんっていいな〜!」と思ったら「あんな風になってみたいな〜!」と私自身思っているのかもしれませんね。

 

私生活のことは知りませんが、バラエティー番組のやり取りのあの受け答えがすごい!

 

「たいしたもんだ!」

 

自分があの状況になったらできないだろうな〜!と経験者は語ります。

 

どっかの本にも書いたけど、一度、駆け出しの頃にテレビに出て「あちゃー!」という感じになったことがあったんですよね。

 

「だから、あの俳優さんのようになるのは無理!」というのは意識的な判断でちっとも面白くないんです。

 

「いいな〜!」と思った人がいたら、多分、人は二通りのことを頭の中で自動的にやっています。

 

それは「あの人と私はここが違う!」ってことを探してしまう。

 

それと「あの人と私は、ここが似ている!」と共通点を探す。

 

昨日、あの俳優さんのことを書いていて「あ!自分はあのような人にはなれない!」と思っていたのですが「自分とあの俳優さんはここが似ているかもしれない!」と思った時に「もしかしたらなれるのかも!近づけるのかも!」って思えるから不思議〜!

 

「器が小さい!」

 

「自分が中心じゃなきゃ嫌だ!」

 

「肝っ玉が小さくて断ることができない!」

 

なりたい相手に注目を向けて、共通点を見つければ見つけるほど、ミラーニューロンが活性化されて「相手の脳とつながっちゃう〜!」となります。

 

すると「あ!私との大きな違いは、私はこれらの特徴が“恥”と思っているのに、あの俳優さんは“美味しい!(笑いのネタになる!)”と思っているんだ!」ということが見えてきます。

 

多分、専門家だったら「育った環境で自分の弱点を“恥”と感じないようになった」という分析をするんでしょうね。

 

でも、私は「これってただの言葉なんじゃないの?」と思うんです。

 

「器が小さいからダメだ!」という言葉を使ってしまうのが私。

 

「器が小さい、って面白いでしょ!」というのがあの俳優さん。

 

ということは「器が小さいって、面白いでしょ!」という言葉を使っていると、それが定着して「あれ?恥ずかしいんじゃなくて、美味しいのかも!」と思えるようになるから”言葉”って面白んですよね。

 

「肝っ玉が小さいって、面白いでしょ!」という感じになると「笑える〜!」となぜかなってきます。

 

昨日も「先生は肝っ玉が小さくて断ることができないから、無理難題をお願いしちゃいます!」と言われて「確かに、これって好きだな〜!」と思っている自分がいました。

 

昨日の番組であの北海道の俳優さんのお父さんは「食べ物を無駄にするな!」という厳しい教えがあって「腐っているかも!」という残り物もお父さんが一度食べて「腐っている!」とちゃんと確認してからじゃなければ捨てられなかった、というエピソードがありました。

それを受けて、あの俳優さんも2週間前のポテトチップスが移動車に残っていて、それがいくら湿気っていても「無駄にしない」と食べていた、というのを見て「なるほど!」となるんですよね。

 

一言で言ってみれば「貧乏性」です(あの俳優さんの場合はお父さんの家系がそれを体験したのだと思います)。

 

極貧生活を体験したら「捨てられない!」となるから「断れない!」というのがちゃんと身について「チャンスを逃さない!」というのがあるんでしょうね。

 

どんな申し出でも「ありがたい!」と言って受けてしまうって、面白い!

 

本当に、人間って言葉でできているんだな、と思うんです。

 

言葉によって、それが恥ずかしいものになって、人から蔑まれる存在にもなりますし、その言葉一つでそれがみんなを楽しませるもので、自分のチャンスを広げるものにも変わるんだ!

 

いつかユングおじさんとこんな話がして見たいな〜!


2017/11/30

昨日、テレビを見ていたら、私が好きな北海道の俳優さんがバラエティ番組に出演していて「たこ焼きは冷ましてから食べる!」なんてことを言っていて「面白い!」と笑っていました(別に冷まして食べることが面白いわけじゃないんですけど)。

 

いろんな専門家が、その俳優さんの行動を分析していて「器が小さい」とか「自分だけが目立ちたがる」などと言っていました。

 

でも、その俳優さんの場合、周りの人からダメ出しをされればされるほど「この人やっぱり面白い!」ってなるんですよね!すごい!

 

私が「器が小さい!」とか「自分だけが目立っていなきゃダメな人!」とあんな場で言われたら、マジで発作を起こして涙目になるかも!!

 

そんな反応になってしまう私は、ここでも何度か書いていますが「人の言葉を真に受けちゃう」という問題が私にあるから?

「真面目すぎる!」という問題があるからかな?なんであの人のように楽しく面白く対応できないんだろう?とあの場面を自分に置き換えて考えてみます(真面目か!)。

 

あの俳優さんの番組を見ていると「結構、真面目なところがあるよね」と思うのですが、どこか私の真面目さとは違うんですよね。

 

憧れのあの人との「違い」ばかり見てしまうと、どうしたらあのような人みたいになれるのか?という解決策が見えなくなってしまうので、ここで「私との共通点はどこ?」と考えて見ます。

 

「器が小さい」

「自分が中心じゃなきゃ嫌だ〜!」

あと、あの昔の北海道のバラエティー番組を見ていて「ディレクターの無茶振り企画に嫌々乗っかっちゃう!」と言うのも「私もある〜!」となります。

ヨーロッパを短期間でドライブで縦断しよう!とか、カブ(ホンダの小さいバイク)でアジアの街を走り抜けたり、なんて「無茶でしょ!」という企画を次から次へとこなして行くのは結構私の中で参考になっています。

 

だから、出版社の方から「その企画は無茶でしょ!」というのがあっても「う〜ん!やってみます!」と受けてしまいます。

あの俳優さんはどうかわからないけど「あ!断るのができないんだ!」という特徴があるから無茶振りも受けちゃうのよね。そう考えると共通点は「やっぱり肝っ玉が小さいのね!」となります。

 

クライアントさんからの無茶振りも「やってみます!」と、今では変な遺伝子のコードまで使ってしまっています。そしてとうとう「過去も変えちゃうぞ〜!」と危ない発想まで(本当は真面目なカウンセラーなのに)。

 

こうして、憧れの人と「自分は違う!」というところを探すんじゃなくて「あ!同じところがあるのかも!」と共通点を探して行くことで、相手の真似をしていることになるからミラーニューロンが活性化されて「お!あの人と同じになるにはこうすればいいんだ!」ということが見えてくるんです。

 

あの俳優さんの場合、「器の小ささ」、「自己中心的」そして「肝っ玉が小さい」というのは「美味しいキャラクタ〜!」として受け止めています(私予測ですけどね)。私の場合は「それを持っていたら恥ずかしい、みっともない、人よりも劣っている」という劣等感につなげてしまっていたんですね〜!

 

「なるほど!」

 

開き直るのとはちょっと違っていて、がめつい大阪のおばちゃんが「がめつい私を見てて面白いやろ!」という感じで全面的にキャラクターとして出して行くと「お〜!愛されるキャラクターになるんだ!」と。

 

それを「隠そう!隠そう!」としているとおかしなことになるけど、それを全面的「面白いでしょ!」と出せばあんな風になるのかもしれない!って思うんです。

 

ポイントは「器が小さいのは面白いやろ!」という感じ。

 

ここで「私、器が小さいんです、すぐにちょっとしたことで動揺したり怒ってしまうんです〜!」と“弱み”として表現してしまうと「嫉妬の攻撃をされてしまいます〜!」となります。

それを聞いた周りの人は「そんなことないよ!」とか「そんな動揺しているってわからないから!」と否定してくれているのですが、脳内ではしっかり「ビビビッ!」の電気ショックが起きているので「あれ?慰められているのにどんどん惨めになって行く〜!」という面白い現象が起きるんです。

 

あの俳優さんのように「器の小さいの面白いでしょ!」と思うだけで「あ!こんなに違うんだ!」という世界を見ることができます。

 

「私の自己中って面白いでしょ!」と自分で頭の中で言って見るだけで「あれ?どんどん軽くなってくるかも!」とあの俳優さんの世界が見えてくるような気がします。

 

自分の短所を長所として見方を変えて見る、という心理療法のテクニックは「リフレーミング」と言います(フレームを変えて短所を見ると長所に見えた〜!というテクニック)。

 

でも、あれって真面目にテクニックとして使ってしまうと、結局、意識に阻まれてあまり心の中に入っていかないんでしょうね!

 

「肝っ玉の小さいのって面白いでしょ!」という言葉の方ががより無意識さんに近くて、あの俳優さんのように自由に私を導いてくれるような気がするんです(真面目か!)。

 

P.S

 

「行動できない自分からの脱出方!」(清流出版)の広告が12月10日の日曜日に日経新聞でど〜ん!と出ます。

「大反響4刷!」ですって!

いや〜!みなさんのおかげです。

すごいです。

いつも、日経新聞の本の広告の欄を見ながら「いつか、ここに自分の本も載せられたらいいな〜!」とずっと思っていたわけですから。

 

今では「ヒャ〜!恥ずかしい!」って当日の新聞開けられなくなっていますから!!

 

みなさんと一緒に夢を追っています。

 

いつも応援してくださってありがとうございます。

 

大嶋 信頼

 


2017/11/29

怒りから解放されて行って、豊かなお金持ちになって行くクライアントさんを見ながら「いいな〜!」と正直思うんです。

 

怒りから解放されると、本当に自由になって行くわけですから。

 

すると、周りが必ず嫉妬して「あー!自由になった人の足を引っ張っている!」というのが見えて来ます。

 

ここが厄介ですよね。

 

多分、ここでブログを読んでくださる方は「嫉妬のない世界を見たい!」と思っていらっしゃるのだと思います。

 

そんな世界を作りたいですよね。

 

ある方の場合は、怒りから解放されて自由になって行けば行くほど「上司が仕事を回してくれなくなった〜!」となるんです。

 

ある方の場合は、自由になってお金持ちになって来たら「意地悪をして来るやないけ〜!」となるんです。

 

ここら辺がカウンセリングの矛盾なんですよね。

 

自由になって行ったら、みんなと仲良くなれると思っていたのに〜!

 

置いていかれそうな人たちが、一生懸命に不快なことを言ったりやったりして「足を引っ張るようになったやんけ〜!」と。

 

以前は、この周りからのおかしいな反応で「自分は周りの人に受け入れてもらえないダメな人間なんだ」と自分に対しての誇りが持てなくなっていました。

 

自分に対しての自信が持てなくなると「周りの人が反応しなくなった」ということで「自信がないままがいい」と無意識で思ってしまうのかもしれませんね。

そして「自分は自信がないんです」というのがいつのまにか定着しちゃいます。

 

怒りから解放されて、様々な執着を捨てられて、真実を追求するようになると「みんなが私から離れて行くやんけ〜!」となります。

 

多分、そこで周りから影響を受けないで、追求し続けたら「ステップアップ!」となり、自分にとって必要ない人が自分から離れていき、そして自分にとって本当に必要な人だけが寄って来る、という現象が起きるんです。

 

そのためには「自信が必要!」となりますが、自信って周りからの「いいね!」に左右されてしまうから難しい。

 

ある高校生の子が家に引きこもって、漫画とかゲームをやり続けていました。

 

そしたら、今度は突然、哲学書を読み漁り「きゃ〜!私よりも哲学の知識があるかも〜!」という脅威になります。

 

この高校生の場合「勉強をすることに意味を感じない!」となります。

なぜなら、勉強すればするほど、周囲からの嫉妬を受けて、潰されて「自分は極貧生活を送るしかないんだ」とわかっているから(鋭い!)。

 

これまで散々周りの子からやられて来て、痛い目にあっているから「自信がない!」となっていたんですよね。

 

私も彼の知識を目の前にした時に脅威を感じるぐらいだから、父親からも嫉妬されて潰されているだろうな!と思うんです。

 

そんな高校生が、それまでの怒りから解放されて行くと「あ!少し勉強したくなって来た!」となり「ちょっと極めて見たい!」となって「やった〜!」と喜んでいました。

 

そこで、私が高校生にチェックします。

 

「なんのために勉強をするんですか?」と尋ねてみると「勉強によって自分の内面を見つめて真実を極めるためです!」と迷いもなくおっしゃった。

 

「あか〜ん!」

 

高尚なことを言えばいうほど、真実に近ければ近いほど嫉妬されるやんけ〜!というツッコミはカウンセリング中は入れません。

 

冷静に「その目標を周りの同年代の子や先生に伝えた時にどんな反応をしますか?」と高校生に尋ねて見た。

 

すると冷静な高校生は「みんなから嫌悪されて勉強をやる気がなくなっていきます」と答えた(わかっているやないか〜!)。

 

そこで私が「稼げるようになって真っ赤なフェラーリに乗るために勉強をしています」という回答を周りにしたらどうなりますか?と尋ねて見た。

 

すると高校生の表情が急に明るくなって「周りからは受け入れられるようになります!」と嬉しそうに答えた。

 

「下世話な目標をダミーで掲げていた方が、周りからの圧力が少なくなるんですね!」と高校生はおっしゃって、嬉しそうに帰っていかれた。

 

どうやら、高校生にはようやくお金持になる道が見えたみたいなんです。

 

真っ赤なフェラーリ〜!


2017/11/28

「お客さんが少なくなっているんです!どうしたらいいんですか?」と質問をされました。

 

頭の中には「あれも、これも、こんなことをやったらお客さんが増えるんじゃないか?」というアイディアが湧いてきます。

 

でも「やっぱり、”心”に聞いたほうがいいよな!」と思って「じゃあ、どうしたらお客さんが増えるのか、心に聞いてみましょう!」としてみたんです。

 

「え〜?普通のカウンセリングみたいに簡単にアドバイスがもらえるんじゃないんですか〜?」

 

「え〜?私の“心”に聞いて本当に信用できる答えが得られるんですか〜?」という微妙な表情をされたが、とりあえず心に聞いてみることにしました。

 

まずは「心よ!私と心の間に邪魔がありますか?」と質問をしてもらいます。

 

パッと、パートナーの顔が浮かんだから「心よ!パートナーからの邪魔を排除してください」とお願いします。

 

その後も、父親や母親からの顔も浮かんで来たので「心よ!邪魔を排除してください!」とお願いしてもらいました。

 

この邪魔の仕組みってだんだんわかって来た。

 

どんどん自由の方向にその人が向かっていくと「ずるい!」と嫉妬の発作で相手の脳が帯電する。

 

その帯電した電気に引っ張られて「相手の脳に引っ張られる〜!」と嫉妬をしている人の脳とつながってしまい「不安と怒りと恐怖の思考が次から次へと湧いてくる〜!」となってしまう。

 

心にお願いして、邪魔を排除する、ということは「嫉妬の発作で脳が帯電して引っ張られている相手を特定する!」ということが第一段階で、そして「心よ!パートナーの邪魔を排除して!」というのは、心が電気を受け流してくれるアースの役目をしてくれて、嫉妬の発作人間の電気を受け流して、脳のネットワークのつながりを遮断することができる、というもの。

 

子供の頃に友達が「ラジコンカー」というものを持っていた。

流行っていたので、何人もの子が同じラジコンカーを持っていると「あ!操縦が上手くいかない!」となります。

なぜなら、コントローラーの周波数がかぶるから。

 

右に曲がろうとしているのに、なぜか左に曲がって「ガッしゃ〜ん!」とぶつかってしまいます。

 

あ!あの子のコントローラーと周波数が被っているんだ!と思って「コントローラーの周波数を変えよう!」と変えてみると「お〜!思ったように運転できるようになった!」となるんです。

 

いろんな人のコントローラーの周波数と被ってしまっているから「心よ!」とお願いしてみます。

 

邪魔の排除が終わったら「心よ!どうしたらお客さんが来るようになるの?」と質問をしてます。

 

すると「温泉に行く!」という答えが返って来て「本当かよ!」となります。

 

以前、違う方は同じような悩みで、心から「森を歩く!」という答えが返って来て「本当かよ!」と思っていたのですが「本当に歩いたら、お客さんが来るようになったぜ!」となっていてびっくりしたことがありました。

 

今回は「温泉かよ!」と。

 

以前もこの話は書きましたが、その方は、温泉に行ったら「確かにお客さんが増えたかも!」と結果的に私がびっくりするほど年間で増えていたんです(ヒエ〜!)。

 

なんで温泉に行ったらお客さんが増えたの?という疑問が湧きます。

 

もちろん「心の言う通りにしたから、心が助けてくれた〜!」という楽しい理由でもいいのですが「なんかの仕組みや法則があるのかも?」と知りたくなるのが、この仕事の病気です。

 

一番考えられるのが、温泉に行けば脳に帯電した電気が放電できるから、というもの。

 

脳に帯電していると、電化製品が壊れたりして「損をする〜!」とますます頭に帯電していきます。

 

ある方の場合なんか、どんどん脳に蓄電して行ったら「車に4回もぶつけられた〜!」という現象が起きた、という話を聞かせていただきました。

 

「なんで私には不快な人ばかり寄って来るのでしょう?」と悩んでいらっしゃった方は、精神科では「妄想」と言われていましたが、土いじりをして放電するようになったら「あ!変な人が寄ってこなくなった!寂しい!」となったことがあって「なるほど!」と思ったことがありました。

 

でも、今回の温泉の一件で、もしかして、脳の電気を定期的に放電すれば、お金持ちを引き寄せるカリスマ性がアップするのかも!と思ったんです。

 

(つづく)

 

「ずるい人」が周りからいなくなる本(青春出版社)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

ずるい人がずるいとわかって来た、と書いてくださってありがとうございます。「人のことを悪く思ってはいけない」とか「いいところを見てあげなければ」や「私もずるいところがある」というのわかります〜!私もそれをやってた!!本当に割に合わないことをやって来ましたよね!!私なんかキリスト教の教育できてしまっていたから、これにどっぷり浸かっていました。これをもう、やらなくていいんだ!というだけでもだいぶ違いますよね。自分の軸が戻ってきている、というのはすごくうれしいです。すごいんだろうな〜!その軸って。これからが楽しみです。書いてくださってありがとうございます。

 

いつも応援してくださってありがとうございます。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼


2017/11/27

セミナーが無事終わりました!!

参加してくださった皆様、ありがとうございました〜!

楽しかったです。

また、お会いできるのを楽しみにしております。

 

お金持のスクリプト(怒りを脳に帯電バージョン)の解説の続き。

 

ある方とお話をしていて「どうしていい年齢なのに“自分は大人”って思えないんでしょうね」という話題になりました。

 

昔の文学を読んでいると、結構若い年齢なのに「大人!」という感覚がちゃんと定着しています。

 

自分自身と比べてみると「全然私って大人という認識がないかも!」と思うんです。

 

「どこか成長していないような」

 

いつまでも「大人ってずるい!」という感覚から抜けないような。

 

「どうして何でしょうね?」という話で、その方は「昔の人のように死の体験をしていないからなんじゃないですかね」とおっしゃった。

 

昔の人の周りでは人がたくさん亡くなっていく。

 

現代では「その臨終の時に相手の手を握って」という体験をすることがほとんどなくなっている。

 

人の“死”というものが、その人を成長させてくれて、脳に帯電した電気を解き放ってくれるのでは?

 

何も持たずに旅立っていく大切な人たちを見送っていると、自分がたくさんのものを「私のもの!」と抱えているのがバカらしくなっていく。

 

そして、私は、抱えていたものを自然と手放すことで“幼児”という檻の中から解き放たれて、自由に駆け回ることができるようになる。

 

やがて、老いて朽ち果てていく、この肉体を感じる時に、全ての怒りを手放して身軽になっていく。

 

様々な怒りから解放されて身軽になった私は様々なものを吸収していき、吸引力を高めていく。

 

怒りであふれていた私は、知識でもなんでも吸収しているようで、その怒りに邪魔されて十分に吸収しきることができなかった。

 

溜まっていた怒りが“死”を通じて“無”の世界へと吸い込まれていくと、私の中の通りが良くなり、たくさんのものを吸い込んでいく。

 

もうちょっと、ちゃんと解説すると、脳のネットワークは現代の科学で測定できるものじゃないから「光よりも速い!」と考え、そして、「時空を超える」と考えます。

 

過去にも未来にも、想いを馳せることで飛ぶことができます。

 

もし「臨死体験」というものが人を成長させてくれるのだったら、自分の臨終の時に想いを馳せれば、その時の自分に脳のネットワークで繋がることができます。

 

臨終の時の自分は、繋がってきた自分を見て優しく手を握ってくれます。

 

周りでそれを見ている人たちは「この人は夢を見ている」と思うのかもしれません。

 

でも、その時の私は「あ!来てくれたんだね!」と優しく手を握ってくれて、私がこれまで帯電して来た怒りをその手から全て吸い取って行ってくれます。

 

もう、何も必要ないのですから。

 

臨終の自分に帯電して来た怒りを吸い取ってもらって自由になった私は「あ!時空を超えて楽になれるのだったら、過去の自分の怒りを吸い取って自由にしてあげたい!」と思うのかもしれません。

 

教室の椅子に座って、一人だけ外を眺めていた自分を思い出して、その自分の手を優しく握って、臨終の時の自分へと中継していきます。

 

あの頃から今まで「無念」に感じていた、様々なことが全て臨終の私に吸い取られていき、幼かったあの自分と終わりの時の自分の間が一本の線で繋がります。

 

ものすごくショックなことがあって、稲妻が落ちたような感じになっても、その一本の線が終わりの時の自分につながって、まるでアースのように電気を地面へと流してくれます。

 

全て怒りの電気は、線を通じて地面へと流されていくので「帯電しない!」という無敵な状態になります。

 

怒りという電気で帯電していて何も吸収できなかった私が解放されてどんどん吸収できるようになり、そしていつのまにか「お金もどんどん吸い寄せてまうやろ〜!」という感じになる、というスクリプト。

 

怒りを帯電して「悔しい!悔しい!」って地団駄を踏んでしまうのが子供だとすると「子供だったらお金持ちになれるわけがない!」は当たり前ですよね(最近、たまに違うケースがあるけど)。

 

怒りの電気が少なければ少ないほど大人、ということであれば、このスクリプトは有効なんです。

 

大人になって豊かな金持になる、その喜び。

 

そんな仕組みのスクリプトになっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/11/25

「無意識さんの力で無敵に生きる」が文庫本になりました(12月2日発売予定です。タイトルは青山の社長の要望で変えてあります)。

 

PHPの素晴らしい編集者さんの手にかかって編集していただき、すごいことに。

PHPの編集者さんから「はじめに」を書いてください、と言われて、元の本と文庫ってどこが違うんだろう?ともう一度両方とも読み返して見て「お〜!」という感じ。

 

その感想をそのまま「はじめに」に書いてしまいました。

 

この「文庫本」って夢だったんですよね。

 

なんだか嬉しくて、ニヤニヤしながら何度も手にとって読んでは、また机の上に置いて、眺めては、また手に取って、を繰り返している珍しい私がいました。

 

編集が入るとこんなにも違うんだ!

 

ポケットの中に入れて持ち歩いています。

 

 

今日はFAP療法のセミナーがあるのでその用意をしています!!(きゃ〜!大変だ〜!)

 

本当は、心の傷の治療の職人みたいな感じなんですけど、最近は、どうしても「無意識さん」の方に引っ張られていくんですよね。

 

おそるべし、お師匠さんのスクリプト。

 

あれを入れられているから、どうも催眠療法の方に引っ張られてしまう。

 

ですから、今回は、クライアントさんの5軸診断をしてから、その症状に合わせてスクリプトを作ろう!なんていうこともやってみようかな?と思っています。

 

やっぱりスクリプトはすごい力を秘めているんですよね。

 

背中の温かい手や、優しく握られた手の感触が肝心な時に私を助けてくれて、お金持ちの方向へと押してくれたり、引っ張ってくれたりするんです。

 

興味深いです。

 

スクリプトの解説の続きは月曜日に書きます。

 

早く書きたい!でも、セミナーの用意をせねば。

 

いつも応援してくださってありがとうございます。

 

大嶋 信頼

 

 

 

 



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