2018/11/30

「病院のお医者さんのうちはいいな〜!」と昔思っていました。

私が子供の頃にあった小児科のお医者さんは、奥さんも受付で働いていて「あー!優しそうな人だ!うちの母親とは全然違う!」って思っていたんですね。

 

でも、近所ではあの奥さんのいろんな噂話が流されてくる。

 

噂話を流しているみんなは「あんなにお金を稼いでいるんだから噂話しぐらい大したことないでしょ!」と思うんですね。

 

受付で働いている、奥さんはあんなに綺麗だったのに「どんどん大きくなる〜!」となるのは、嫉妬の電気でビビビッ!と脳のネットワークで伝わってくる電気で感電しちゃって「なんだかわからないけどストレスが溜まる!」となって「食べるのが止まらない!」となるわけ。

 

そして「旦那にイライラするのが治らない!」と病院内で旦那に怒鳴り散らすように(ビビビッ!)。

 

怒鳴り散らされた旦那は「こんなのでやってられるか!」と浮気をしちゃった。

 

すると奥さんはますます「ビビビッ!」の電気を帯電させちゃうから「どんどん険しい顔になっていく〜!」となるわけですね。

 

こうなったら奥さんは「弱者!」になるから周囲からの嫉妬を一気に浴びることになって「ビビビッ!」で脳の「判断力」の部位が感電させられっちゃって、判断力がどんどん欠如しちゃいます。「片付け!」とか「掃除!」もできなくなって「病院がどんどん汚くなっていく!」となるわけ。

 

すると、ますます奥さんに対する「噂話」の形をした嫉妬の電流がどんどん奥さんの脳に流されていって「チ〜ン!」という感じで「あ!動けなくなった!」と入院しちゃった、という状態になったんです。

 

あの病院で興味深かったのは「嫉妬を奥さんが一手に引き受けてくれたから子供達がまともに育った!」という感じになったこと。

 

他の病院のケースだと、奥さんが崩れないで受けたストレスを子供達に「ビビビッ!」と流すことで「勉強ができない!」という状態がちょっとでも作られてしまうと近所の嫉妬のエネルギーは子供の脳に流されていく〜!という感じになるんですね。

子供は「だるくて動けない!」となっているのに「そんなの甘ったれているだけです!」と母親から怒鳴られる。

 

子供が周囲からの嫉妬のエネルギーを全部引き受けているのに、そんなの目に見えないものだから、それに感電して「集中できない!」とか「勉強がちっとも頭に入ってこない!」と訴えてもわかってもらえない。

「お父さんはあんなに優秀なんだからあんたもできるはずでしょ!」と言われるのだが、その優秀な人が受けている嫉妬の電流を子供が引き受けていることを誰も知らない。

 

弱者になってしまった子供は突然学校に行けなくなって、周囲の嫉妬のエネルギーを一手に引き受ける役目になってしまう。

 

あのコンピュータやテレビゲームに没頭するって、一生懸命に「脳のネットワークから流されたストレスを処理しよう!」としている行為ですね。でも、残念ながらあれでは処理できないみたい。

よくゲームをずっとし続けている子供のお母さんが「あの子は人と接触しないで大丈夫なんでしょうか?」という質問を受けます。

この回答って微妙で「弱者のまま接触しちゃうと、嫉妬のエネルギーを浴びちゃうから脳が感電させられちゃう!」となりますよね。かといって、嫉妬のエネルギーは人に流さなければ処理ができない、という厄介なもの。コンピューター上のキャラクターにぶつけても「どんどん帯電するだけ!」だからやめられない迷宮に入っていくんですね。

 

ゲームをやっている優しい子供は「そんな人に自分のストレスを流すなんてできなない!」と思ってしまう。だから、ゲームをやり続けて自分が家族や周囲のストレスを吸収し続ける。

引きこもってゲームをやっている方って、あれも立派なお仕事。

その方のおかげで周り近所のストレスが処理されていて、たくさんの人が助かっている。

それなのに誰もそれに気がついてくれないし、感謝はされない。そこが問題ですね。

 

「うちの家庭は、両親も不幸だし家もボロボロなのになんで?」と私も思ったことがあったんですね。

 

食事だって納豆を1パック分けて食べるような生活だったり、着ているものだって、親戚のお下がりばかり。

まともに服を買ってもらったことがない。でも、私は「うーん、だるい!」と訳のわからないだるさを感じて動けなくて「ちっとも勉強に集中できない!」となっていた。

 

「え?近所から何も嫉妬される要素がなかったように思えるんですけど?」となるけど、やっぱり「隣の芝は青く見える」の法則で「ビビビッ!」という電流が流れてくるんですね。

 

母親は世間体をものすごくきにする人だから、外に出るときは「笑顔!」で「お前の母ちゃんは優しくていいな〜!」と近所の子供から羨ましがられていました(どんだけ〜!)。

 

そこから子供達や近所の人たちの想像は膨らむんでしょうね。

豊な食事が食卓には並んでいて、家族が笑顔で食事をしている、という想像が。

そんな想像から「ビビビッ!」と嫉妬の発作の電気が発生して、母親の脳がそれに感電すると「だるくて動けない」と家に帰ってくると真っ青な顔になって寝込んでしまう。

まともに食事が作れない。イライラしてとまならい!なんって素敵な症状が満載で子供の私もそれに感電して大変なことになっていた。

 

お互いの嫉妬の発作の連鎖で「どんどん能力が使えなくなっている」というのが今の日本。

 

嫉妬でちっとも能力が発揮できなかった人が海外に行ったら「あれ?全然頭の状態が違うぞ!」とびっくりするのは、日本が嫉妬で渦巻いているから。

 

昔は「徳川家!」と「豊臣家!」などの殿様とその家臣どうして「あいつ最低!」と島国の中で嫉妬をぶつけ合って「いくさじゃ〜!」とかやっていれば嫉妬のエネルギーはうまく循環していた可能性が。

 

日本は「敗戦」をしてから「隣国に嫉妬」ができなくなってしまったんですね。

近くの国では、その隣国に対する嫉妬のエネルギーをうまく使って国を回している(日本に対して向けてましたが、最近は日本では物足りなくなったのかターゲットをその都度変えちゃう。うまいな〜!)。

 

アメリカでは、大統領が「外国からの移民が仕事を奪っている!」と移民に嫉妬の発作を向けさせることで嫉妬のエネルギーを循環させようとしている。

 

単純に考えてみれば「あいつは敵!」と嫉妬のエネルギーを向けるターゲットを定めて、嫉妬のエネルギーを放電し続ければ「嫉妬のエネルギーが有効利用できる!」ということになる。

 

第二次世界大戦のドイツのあの方は「ユダヤ人に嫉妬を向けろ!」とやって、ある意味で非常にうまく嫉妬のエネルギーを利用したんですね。

 

でも、あの嫉妬のエネルギーの利用方法ってもう古いような気がするんですね。

インターネットで情報が共有できる時代に、あのやり方はどんどん通用しなくなる(私の予測ですけど)。

 

そこで嫉妬のエネルギーを有効に使えて日本を元気にする方法が必要になるんです。

 

日本の特性を生かして。

 

(つづく)

 

 


2018/11/29

「私ってイケてる!」と思っている人の陰に「私ってダサい!」という人が必要になる。

 

学生の頃は特に「私ってイケてる!」と思っているんだろうな、という女子の脇には「あれ?容姿が違う!」という子がいたりする。

 

一般的には「イケてる子」が自分の美しさが際立つように、自分とは違った容姿の子を置いている、と見てしまう。だから、周りの人から「あの子、本当は性格が悪いのよ!私、この子たちと付き合ってあげている!みたいな態度で!」という噂が流れてしまう。

 

でも、実際は、外見がイケてる、と見える子が「私はダメ人間」というように自己肯定感がものすごく低かったりする。

だから、過剰に食事制限をしていたり、家に帰ったら食べるのが止まらない!という感じで、見てくれとは全く違っていて「生きるのが本当に大変なんですけど!」という感じになっていたりする。

 

どういうことかというと脇にいる子たちの「嫉妬の発作」のビビビッ!を請け負っているから、脳がその電気刺激のストレスで前帯状回が活発に活動してしまって「優越の錯覚が全然ない!」となってしまう。優越の錯覚がなければ「私は平均よりも上!」と思えないから「鼻が変!」とか「顔がちょっと曲がっている!」などと細かいところが気になってしまって「私ってイケてない!」となるんですね。

 

その脇にいる子たちは「自己肯定感がめちゃめちゃ高いんですけど!」となっているのは嫉妬の発作を起こして、相手にストレスを流し込んで「スッキリ!」という感じになるから。

 

嫉妬の発作を起こして人の陰口とか悪い噂とかを流していると「相手に電流を流して私の脳はスッキリ!」という感じで脳の部位の血流は安定していて「優越の錯覚バリバリ」で「私ってイケてる!」という感じになるんですね。

 

ですから「人の悪口」や「陰口」というのは「自分の脳にストレスを溜めない」というために必要なこと。そして、相手にストレスを流して相手は「自分はダメだ」とか「自分は醜い」という感覚にさせて「私の方がイケてる!」という感覚になるんですね。

 

その悪口や陰口をやめてしまった途端に「弱者!」になるから「嫉妬の電流が流されてくる!」と脳の血流が乱れてしまって「私ってダメかも!」と思ったら、ますます嫉妬の電流が流されてくるから「どんどんダサくなる!」という状態になる。

 

多分ここで読んでくださっている方って「私は誰かを犠牲にするなんて嫌!」という人たちなんです。

誰かを犠牲にするぐらいだったら、自分一人でなんとかする!と思っちゃう。

自分一人でなんとかする、というのは「みんなのストレスを請け負いますよ!」ということなんですね。

 

そして、ストレスのシャワーを浴びて脳の血流が過多になるから「人からストレスをもらっている」という思考パターンにはなれなくて「自分が悪い」とか「自分さえいなければ」という感覚になっちゃう。

自責とか自罰も嫉妬の電流が脳のネットワークで流されてきて、脳血流が乱れた産物です。

 

ですから、容姿端麗な人を見て「あの人いいな〜!」とか「あんな風に背が高く生まれたらな!」と思うでしょ。

日本の場合は、そんな人になってしまったら「大変じゃ〜!」となるんですね。「嫉妬の嵐じゃ〜!」という感じで脳内がぐちゃぐちゃになってしまう。容姿が淡麗だからと言って自己肯定感が高いわけではない。

むしろ、嫉妬のシャワーを浴びるから「自己肯定感がめちゃめちゃ低くなるか」それとも「人をものすごく攻撃する性格になるか」という感じになるんですね。

 

綺麗な女優さんが、他の女優さんに対して「え?そんなにい酷いことをしちゃうの?」というのは「弱者!」になってしまったら、どんどん嫉妬のシャワーを浴び続けてみにくくなってしまう、ということになるから「嫉妬の発作を起こして美しくなれ!」という選択をしている(嫉妬の発作には破壊的な人格が必要不可欠です)。

 

嫉妬の発作を起こして、人の悪口や噂話を垂れ流している方が「脳にストレスを溜めない!」という感じで自己肯定感は安定するから炉端会議があったんですね。

近所の女性同士が集まって、隣の家の悪口を流すことで「ビビビッ」と放電する。そして「私は平均よりも上!」と思えちゃう。

 

ターゲットは「旦那さんの年収が高い」とか「家が裕福」や「容姿端麗」そして「知的な能力が飛び抜けている」という人になります。

 

やっている人たちは「噂話で人は殺せない!」と思っているんですね。

ところが脳のネットワークで「ビビビッ!」は確実に相手の脳に流れています。

流された方が極悪人でしたら「倍返しじゃ!」ということになりますね。 

それをまともに受けちゃう人たちは「家の中が大変なことになる!」という感じになるんですね。

 

だから、お医者さんとか教師の家庭なんか大変なことになる可能性が高いんです。

 

近所の嫉妬、そして学校の子供達の嫉妬、さらには学校のお母さん方の嫉妬。

奥さんや子供は大変なことになる。そんなことを誰も理解してくれないし、大変なことになって「弱者」になればさらに嫉妬のシャワーが降り注いできて「ひえ〜!」となるんですね。

 

私の場合は「父親が会社を経営している」というのでワンアウト。

祖父が「近所で目立つ教会の牧師をしている」でツーアウト。

借家街に住んでいたのですが、近所からは「一軒家に住んでいる」と勘違いされていたのでスリーアウト!で「ビビビッ!」のシャワーが降り注ぐ。

 

父親の会社の経営はボロボロで借金まみれになって、借金取りがやってくる〜!

母親は体の調子が悪くてほとんどカーテンを閉め切って寝たきり!

そして、息子は全然勉強ができなくて落ち着きがなくて落ちこぼれ〜!頭がどんどんおかしくなっていく〜!あはは〜!

 

「ただ、人のせいにしているだけじゃない!」と思う人もたくさんいると思います。

 

でも、人は変なところで勘違いをして嫉妬発作を起こして攻撃的になり、相手には影響がない、と決めつけているのですが本当は影響があった、という衝撃の事実!ひゃ〜!

 

本当にあったら怖いでしょ〜!

 

まあ、まだ、現代の科学的では証明できないから「事実」ということはできないけど、それを踏まえてケースを見てみることが大切なんですね。

 

ちなみに、ケースを見ていると「お母さんの容姿が淡麗」でも近所からの嫉妬の攻撃で大変みたい。

 

このシステムを変えてみたい!

 

変えて、日本を元気にしたいんです。

 

(つづく)

 

 


2018/11/28

ある男性が「自分は外に出られないんです!」ということをおっしゃっていた。

 

「なんで?」というと「自分は醜いから」というお話。

 

身長は、180cm以上あって、体はがっしりしていて、顔も「かっこいい!」という感じ。

 

そんな人がどうして「自分は醜い」と思ってしまうの?という仕組みが非常に興味深い。

 

普通の精神科に行ったら「はい!身体醜形障害ですね!」と診断される。

身体醜形障害って極度に低い自己価値観に関連して、自分の身体や美醜に極度にこだわる症状(ウィキペディアから)なんですね。

 

この身体醜形障害の人ってうつ病、社会恐怖、アルコール乱用、薬物乱用、強迫性障害(潔癖症みたいなもの)、摂食障害なんかもあったりする。

実は、上に並べた強迫性障害などに共通する特徴があって、多分、うつ病以外は、脳の「気分を切り替える部位」である前帯状回(ぜんたいじょうかい)が過剰に活動をしちゃっている!となっているんですね。SPECT(脳の血流を見る脳画像)を撮ってみると「あ〜!真っ赤っかだ!」とウルトラマンのアイススラッガーのラインが過剰に働いているのがわかる(ちょんまげのライン、と書いたほうがわかりやすいか。そう考えると「ちょんまげ」って深いな)。

 

脳の気分を切り替える部位である前帯状回が過剰に活動をしていると「気分の切り替えができない!」となって「嫌なことが頭から離れない!」となってしまうんですね。

 

最近になって、脳の研究がどんどん進んで「自分は平均よりも上!」という「優越の錯覚」を持っている人は「前帯状回の活動が低い」という研究が出された(お〜!)。

 

逆に考えると、前帯状回の活動が活発になっている人は「自分が平均よりも上!」と決して思えない、となってしまう。

 

だから「自分は醜い!」となるんだ!ということがわかりますでしょ。

だって、前帯状回の活動が低ければ低いほど、どんな顔をしていても「俺ってイケてる!」と思えるけど、高ければ高いほど「俺って醜い!」になってしまうんですから。

 

この男性の脳の血流を見る脳画像を撮ってもらったら、血流の流れが低いのが青で表現されて、活発になればなるほど「赤」の色で写るんですけど、この男性の場合は「え!赤を超えて白になった!初めてこんなの見た〜!」となった。

 

そんなに脳が活発に活動をしていたら、そりゃ、どんなにイケメンでも「平均よりも上って思えないよね!」となる。

 

だったらどうすればいいの?という感じになりますね。

 

もちろん、優秀な精神科のお医者さんは、前帯状回の過活動を踏まえて的確にお薬を処方してくださって、その症状を治めてくださいます。

 

私らカウンセラーは「どうして前帯状回が過活動を起こすんだろう?」ということを考えるんですね。

脳の過活動ってなかなか変わらないみたいなんです(by. エイメン博士)。

 

でも、この前帯状回の活発な活動が問題になるアルコール依存症のケースなんかは「あれ?奇跡が起こった!」という不思議なケースが結構あるんです。前帯状回の血流量が変わらない限りは「お酒を止めるのが無理!」となるのですが「なんで?」という現象が起きる。

 

実は、変わったケースって「パートナーとか他の人間関係を総とっかえリニューアル」をしたケースだったんですね。

そしたら「ガラッと変わった!」となってびっくり。

 

「今までなんだったんだ〜!」という感じ。

 

そんなケースをたくさん見ていて「あ!パートナーの脳に影響されるんだ!」ということがなんとなくわかってきて「ミラーニューロン」とかいうことに注目するようになった。

 

ミラーニューロンで相手の脳の真似をしたり影響を受けちゃうから脳血流に異常が起きる、という仮説(ここでの仮説はあくまでもナラティブですね)。

 

でも、最近は「あ!嫉妬の発作をパートナーや周囲の人から受けていたから、脳の血流の異常が起きていたのかも!」という仮説が立てられるようになった。

 

イケメン男性の場合、脳のネットワークで周囲の人たちの嫉妬の電流を受けちゃうから「もーえろよ燃えろよ!」という感じで前帯状回が真っ赤になって「優越の錯覚がちっとも持てない!」となる(炎も温度が高いと赤だけど、もっと高くなると白くなりますもんね)。

 

嫉妬の影響を受けなくなれば、脳の血流が変わって「あれ?俺っていけてるかも!」と思えるようになって、外に出て「めちゃめちゃいけてる!」という感じになる。

 

この仮説ってとっても興味深くて「優越の錯覚」がバリバリある人って「嫉妬の塊!」だったりするんですね。

「自分が平均よりも上!」と思えているんだったら嫉妬する必要がないじゃん!と思うでしょ。

でも、嫉妬の発作が起きる条件って「自分の方が立場が上なのに、相手が自分よりも優れたものを持っている」という条件で起きるんですね。だから「優越の錯覚」って「自分の方が立場が上」という条件になる。でも、潜在的に相手の方が優れたものを持っていたら「ビビビッ!」と発作を起こして「破壊的な人格じゃ!」と変身しちゃう。

 

でも、この優越の錯覚がある人が「明らかに自分よりもハイソな人たちのグループだぞ!」に入ってしまった時に、仮説としては前帯状回の血流がそれまで低かったものが、そのグループに入ったら高くなってしまった!という現象が起きるのでは?と考えるんですね(ハイソはハイソサエティの略で「上流社会」や「上流階級」の人が集まる社交の場)。

 

どういうことかというと「血流が高い!」ということは「ストレス!」なんですね。

 

優越の錯覚が高い人は嫉妬の発作を起こしやすい、ということは、発作を起こした時に脳内でストレスが発生します。でも、前帯状回の血流が低いままでいられるのって、その脳内で発生したストレスを嫉妬の相手に流しているから(ビビビッ!)。

 

ですから、前帯状回の活動が活発な人って嫉妬を請け負って「みんなのストレスを背負っている!」という感じになってる、と考えるんですね。

 

現代催眠のミルトン・エリクソン博士は、このシステムを催眠で変えていた。

催眠のお師匠さんは、スクリプトを読み上げて催眠に入れることで、このシステムを何気なく変えちゃって「あれ?」という状態を作っていたんですね。

 

この脳の過活動と人からの影響、というのを踏まえながら、先生方のケースを読み解いてみると本当に面白いんです。

 

(つづく)

 

 

 


2018/11/27

FAPの参加者からお花をいただきました。

とっても美しいです。

ありがとうございます。

 

昔、映画で「カラテキッド」というのがあって「おー!面白い!」と感動したものだった。

ナヨナヨの少年が空手をやっているマッチョ集団にいじめられて「悔しい!」となる。

そこで変な日本人のおじさんに出会って「空手を教えてください!」とお願いしちゃう。

変なおじさんは「カラテが上手くなりたいんだったら、車を磨きなさい!」と少年に伝える。

「ワックスオン!ワックスオフ!」っていいながら雑巾を持って右手、左手を回して、ワックスを塗り、それを拭き取る作業をやらされる。

少年は「カラテが強くなりたいのに、こんなことをやってもちっとも強くなれないじゃないか!」と痺れを切らして変なおじさんに文句を言う。

すると、変なおっさんが「パーンチ!」と少年に攻撃をしかけた時に「ワックスオン!」と少年はワックスをかける動きで、おじさんのパンチを凌ぐ。今度は変なおっさんが「キック!」としてきた時に「ワックスオフ!」の手の動作で、おじさんのキックを的確に防御しちゃう。

 

「おー!」あんな風に変なおじさんに教えてもらって強くなれたらいいな!と当時は憧れたものでした。

でも、私だったら、あんなことを続けられないだろうな、と思っていた。

 

大人になって、私は変なおじさんに出会った。

 

おじさんは「呼吸合わせ!」とか「イエスセット」と訳のわからないことを言う。

 

私は催眠療法を習いたいのに「こんなことをやったって催眠なんか使えないよ〜!」と文句を垂れていた(真面目にカラテキッドに出てくる生意気な少年のような態度でした「恥ずかしい!」)。

 

いつしか、わたしが変なおっさんになっていて「『イエスセット』がね、「催眠なんですね!」と変なことを書いているから笑えてくる。

 

催眠ってどこにでもある。

日常生活の中でもどこにでもあって、それを意識して使っていないだけ、と変なおじさんが教えてくれた。

 

「催眠」を意識した時に私の生活が変わった。

 

それまでできなかったことができるようになり、わからなかったことが自然と見えてくるようになっていた。

 

「誰に対しても催眠を掛けることができる」という言葉は心強いものでした。

 

ある時、変なおじさんのところに「私は催眠に決してかかりません!」と言う方がいらっしゃった。

 

私は変なおじさんがどのようにその人に対して対応するのかにものすごく興味があった。

 

変なおじさんは、その方に「催眠に決してかからないんですね!」と言うと「そうなんです!有名な先生のところに行ってもちっとも催眠状態に入ることができなかったんです!」とおっしゃった。

 

すると変なおじさんは「有名な先生でもあなたを催眠状態に入れることができなかったんですね!」とその方に伝えた。

 

その方は「そうなんです!その先生は一生懸命にやってくださったんですけど、催眠状態に入れなかったんです!」と変なおじさんに言った。

 

そして、変なおじさんは「催眠状態に入れなかった、と言うことは、催眠状態のことをなんとなく知っていらっしゃるんですね!」と伝えると、その方は「はい!なんとなく知っています!ぼーっとしたような感じで頭が働かなくなって、気持ちがいい感じですよね」と言う。

 

変なおじさんは「それに近い感覚って、普段の生活の中でありますよね」とその方に伝えると「はい!眠くなった時とか、暖かい陽射しでまどろんでいる時など」とおっしゃった。

 

そこから先の私の記憶が消えているということは、いつの間にか変なおじさんの催眠にかかってしまって「あ!寝ちゃった!」となっていたから。

 

多分、あの方は「私は催眠にかかっていません!話が退屈で寝ちゃっただけですから!」っておっしゃるんだろうな〜!

 

意識が働かなくなると、変なおっさんの前でも安心して眠れちゃう。

 

専門家たちは「そんなの催眠じゃない!」とおっしゃる。

 

そう!ただ「ワックスオン!ワックスオフ!」をしているだけ。

 

そして、車はピカピカに磨かれていき、その輝きに人々は魅了されていく。

 

催眠という美しさに。

 

(つづく)

 

 


2018/11/26

普通の人と話をしていて「最近、テレビを見ていて、マツコデラックスも有吉も飽きた!」と言われてショックを受けます。

 

「え?なんで?私は好きなのに!」

 

理由を聞いてみると「最近、視聴者に媚びを売るようになったから」という話(へ〜!)。

 

確かに、よくよく見ていると昔あった「毒舌」というものが影を潜めてしまったような気がする。

 

有吉さんは、アルコール依存症のクリニックで働いている時に職場の先輩が大好きだったので、私もその話題についていくために見ていた覚えがある。

 

「いやー!尖っているな〜!若いな〜!」と思いながら応援していた。

 

でも、ある時から「あれ?テレビで見なくなった!」となってしまう。

 

そして、最近になって有吉さんは「毒舌キャラ」で見事に復活を遂げて「テレビで見ない日はないじゃん!」という感じになった(すげ〜!)。

 

多分、一般的な見方だと「売れっ子になっていい気になってしまったから仕事を干されてしまった」という事になる。

「おごるもの久からず」とは「傲慢になってしまうと長続きしませんよ〜!」ということ。だから謙虚に生きなければあなた!大変なことになりまっせ!という感じ。

 

でも、不思議なのは「毒舌キャラで復活した」という現実。

謙虚とは、真逆のような気がする。

さらに、毒舌じゃなくなったら「視聴者に媚びを売っているような感じだから飽きた!」という一般の人の反応が面白い。

 

これってやっぱり「嫉妬の発作」というものが関係している。

 

嫉妬の発作って「自分よりも立場が低い人間が自分よりも優れたものを持っている」という条件で「ビビビッ!」という発作を起こして「破壊的な人格になる!」というもの。

 

だから「視聴者に媚びを売っている」というのが「自分よりも下」という条件になって「テレビで高いギャラをもらっている」ということで「ビビビッ!」と発作を起こして「あいつは面白くない!」となるんですね。最近では、嫉妬の発作を起こした人は「インターネットで書き込みをしたれ!」となる。

 

「どうしてあんな酷いことが書けるかね!」という内容を書けちゃうのは「発作を起こして破壊的な人格に変身しているから!」というのが条件。書いている本人は「自分は正しいことをやっている!」という“確信”がある。「相手はものすごいお金をもらっているんだからこれぐらいやっても罪はない!」というルサンチマンの感覚は嫉妬の発作から(ルサンチマンは弱者が強者に対して、憤りや非難の感情を持つことです)。

 

嫉妬の発作を起こしている人って「優越の錯覚」があるから「自分は平均よりも優れている!」という感覚がちゃんとある。

だから「私はあいつよりも優れているのに、あいつの方がギャラが高い!」と嫉妬の条件が揃っちゃう。

 

これらのことを考えてみると、インターネットで酷い書き込みをしたりする人って能力がないのに「自分には能力があるはず」と勘違いしている人で「弱者!」という話になるんですね。

単純に言ってしまうと「相手のすごさを理解する知的な能力が欠けている」から自分の方がすごいと思えちゃうアホ。

 

でも、私はその考え方は間違っている、という感じているんですね。

もしかして、批判、否定にまみれている人って、本当は素晴らしい能力を持っているのに、それを活かすことができない怒りを抱えて生きているから破壊的な人格に変身しちゃうのでは?

 

自分の優れた能力を見出してくれる優れた人が自分の周りにいなかったから。誰も私にチャンスを与えてくれなかったから、などの「不遇の人」がたくさんいて、その人たちが「なんで自分にはチャンスがないんだ!」と怒っている。

 

その人たちも周囲の「嫉妬の発作」で能力を潰されてきてしまった人だから「自分も他人のチャンスを叩き潰したってバチは当たらないだろ!」という論理になる。

 

ある意味で「破壊的な人格」に変身して「こいつは間違っている!」と勇気を持ってインターネットに書き込む、という行為こそが「高潔」なんですね。そして、それを見た人たちは「相手が高潔であればあるほど嫉妬の発作を起こしてしまう!」という感じで「ビビビッ!」と嫉妬の電流が脳内に流されてくるから「自暴自棄になる〜!」という現象が。

 

「自分なんか今更どうにもならないや!」という捨て鉢な感覚って、脳のネットワークで「ビビビッ!」と感電させられて学習性無力の状態なんですよ!(学習性無力は、ケージの中に入れられて電気ショックを与え続けられた犬が、ケージを外してもそこから出られなくなる、という状態です)。

 

一度弱者になると、嫉妬の電流が周囲から流され続けてきちゃうから「不遇の人」は変わらない!という感覚になる。

脳がネットワークで嫉妬の電流を浴び続けているので帯電状態で「何をやってもうまくいかない!」となる。不幸の連続になってしまう。だから、怒りがどんどん湧いてくる。

 

この嫉妬の悪循環を変えたいんですよね。

 

うー!書きたい。でも、12月のネタが〜!あ〜!ジレンマじゃ〜!(12月のネタって朝日カルチャーの講演の話です)。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2018/11/24

私が「イエスセット」を催眠のお師匠さんから習って「おー!これは便利だな!」と思ったのは「人との会話が楽になったから」なんですね。

 

私は、子供の頃から「人の気持ちを考えちゃう」という癖がありました。

しょっちゅう親から怒鳴られ、怒られていたのが理由なのか?

 

いつも家では「あ!母親の機嫌が悪い!」とか「父親がイライラしている!」と察知して「なんとかしなきゃ!」と学校の話を無理やりして場を和ませようとしたりしていました。もちろん学校ではいじめられていて、勉強が全くできなかったので、両親の前で話せるような話題がない。だから、無理やり絞り出すように話を盛って「笑顔になってもらおう!」としていたんですね。

 

そんな話をすると、たいてい両親は「何をくだらないことを言っているんだ!」と怒り出し「勉強はどうなっているんだ!」と怒られひっぱたかれて「ビエ〜ん!」と泣かされます。泣いていると「なんで泣くんだ!」と再びビンタを食らって、怖いから泣き止もうとするんだけど、止まらなくてビンタの連続、を食らっていたんですね。

 

これが週に何度もあったな〜!懐かしいな〜!(って懐かしいわけないでしょ!)

 

悪夢の毎日でしたね。

 

だから、人と一緒にいると、ちょっとでも相手が不機嫌だったり調子が悪かったりすると「なんとかしてあげなきゃ!」と自動的に相手の気持ちを考えちゃって、相手が喜ぶようなことを言ってしまう。

それで相手が喜ぶかと言ったら「NO!」で相手はどんどん調子に乗って「私が弱者の立場になってしまう!」という悪循環。

それがわかっているのにそれをやめられない。

 

「相手の気持ちを考えるのをやめよう!」と固く決心して挑むのですが、どうしても相手の表情を見て「なんとかしなきゃ!」と自動的にオロオロしちゃうんです。

 

「イエスセット」を連取していたら「あれ?相手の気持ちを考えなくなった!」というのは私にとって画期的。

 

相手が「イエス」ということだけを考えていればいいから「オロオロすることがなくなった!」ということで「弱者!」にならなくて済むようになった。

 

相手の気持ちを考えちゃって「弱者!」になってしまった時の、身体的、精神的な負担がすごかった!

 

みんなは「人に気を使っているから疲れてしまう」と思っていうのですが、私は「う〜ん?それだと計算が合わない!」と思っているんです。

 

いや、本当に人と接触してしまうと「はー!はー!ぜー!ぜー!」という感じで体力が消耗しちゃう。

私の場合、人と接触することを考えただけで「どんどん精神的にも肉体的にも疲れてしまう」となっていたんですね。

 

だから、これって「脳のネットワークが関係している」と考えたんです。

 

脳のネットワークを通じて、私が「弱者!」になった時に「ビビビッ!」と電流が流されてきて「感電しちゃった!」となる。

 

一般の人は「そんなことあるわけないじゃない!」と否定されます。

それは「ビビビッ!」の電気ショックを受けていないから。

 

ミラーニューロンの本では「2・6・2」のことを説明していて「人のストレスを請け負う係になってしまうからみんなのストレスが流されてくる!」と書いていました。

 

最近では、その正体がだんだんはっきりしてきて「嫉妬」が「ビビビッ!」の正体だった、ということが見えてきました。

 

だから「相手に気を使う!」という時点で「弱者!」となるから、相手は嫉妬の発作を起こして「ビビビッ!」と脳内でサージが発生して、それが脳のネットワークで「ビビビッ!」と流されてくるから「感電しちゃった!」という感じで疲弊しちゃう。

 

不快感でいっぱいになってしまう。

 

「イエスセット」の場合は「弱者じゃない!」という立場を自動的にとることができちゃう。

 

「相手に嫌われないように気を使う」とか「相手を不機嫌にしないように気を使う」は「弱者」になるから「ビビビッ!」を起こさせちゃう。

 

「催眠をかけるためにイエスセットを使う」という立場であれば「弱者じゃない!」から「ビビビッ!」と電流がこないから「自由に会話ができる」という、私がそれまで体験したことがなかった未知なる世界でしたね。

 

精神的な負荷がない!そして肉体的にも楽!

 

「催眠をかける」という立場でいれば「2・6・2」の下の2ではなくなるんですね。

 

自由に動くことができちゃう。

 

だから、嫉妬の世界から自由になるコツって「催眠」なんじゃないかな?と思ってこの流れになっているんですね。

 

そして、催眠で無意識さんの世界で「一体感」もついでに得られちゃう。

 

(つづく)

 


2018/11/22

「イエスセット」なんか考えるのが面倒くさ〜い!と思いますでしょ。

 

「いちいちそんなこと考えていたら会話ができないじゃない!」となりますよね。

 

「もっと簡単に催眠で一体感が得られたり、人生が楽しめるようになりた〜い!」と考えますよね。

 

私も「ローマ、1日にしてならず」という言葉が嫌いなんですね。

 

「コツコツ苦労を積み重ねなければ、あなたの欲しいものは手に入りませんよ!」というのは嫌!もっと簡単に手に入れたい!となるんですね。

 

だから私は「イエスセット」を練習しなきゃ無意識さんの力は使えるようになりませんよ!なんて絶対に書きません。

 

「自分の感覚がわからなくて人生を楽しめない!」とか「楽しいって感覚なんかちっとも感じられない!」となっている方たちへの「イエスセット」は布石なんです。

 

「あの人たちは楽しんでいてるのに、自分はちっとも楽しくない!」というのは、精神科のお医者さんが診ると「うつですね〜!」となったり「ストレスが溜まっていますね!」となります。

 

教科書では「ストレスの許容用を超えてしまうとうつや他の精神症状として表現されるようになる」というようなことが書いてありました。

 

ちょっと前だと「ストレスを受けた時に分泌されるホルモンの受け口がストレスで増えすぎちゃって、気分を安定させるホルモンがちゃんと使えなくなっちゃうからうつや不安になっちゃうんだ!」という仮説が立っていました(ものすごく簡単に書いています)。

 

最近では「遺伝子のスイッチがストレスで切り替わって、うつや不安になって自分の喜び楽しみが感じられなくなる!」というのがあったりします。

 

全部、これまでの本に書いてきたことですが、ラットの実験で「0−1歳の間に親から引き離されちゃうと、緊張のスイッチが壊れちゃって仲間に入れなくなっちゃう!」というのがありました。親から抱きしめられないとそのような状態になってしまって、脳は元に戻らない、と研究者が語っていました。

 

つい最近では「孤独」を感じる脳の部位が発見されて「孤立」を体験したラットは、群れに戻しても脳の孤独の部位である「背側縫線核」の神経活動が活発なままになってしまって、他のマウスよりもはるかに社交的になった、というのがあります。要するに「親から相手にされない」とか「仲間外れ」にされた体験とかがあると「人に気を使うのがやめられない!」となって人のことばっかり考えちゃって自分の感覚が感じられない、という状態に。

 

みなさんと一緒にこれまで自由を求めて探求してきて「嫉妬」というところにたどり着きました。

 

これまで「ストレスって何よ?」と教科書の中に書いてある知識ではモヤモヤしていたのですが、不快と感じるストレスの元には嫉妬というものがあるのかも!という仮説を立てたら「スッキリ!」。

 

ストレスの元になっている嫉妬のない世界をどうやったら作ることができるの?と考えてみたら「催眠じゃ〜!」とまた無意識さんの世界に戻ってきたわけです。

 

催眠のお師匠さんは、昔の風景を模型で再現する「ジオラマ」を作るのが好きだったみたいです。

 

嫉妬のない世界のジオラマを現在作っていて、そのジオラマの中の風景の一部として「イエスセット」を今、布石としておいています。

 

その「布石」の意味がもしかしたら、後にわかってくるかもしれません。

でも、意識的には理解できなくても、無意識さんにはちゃんと届いて「なるほどね!」と知らず知らずのうちに内面から変えてくれる、スクリプト的な役割もイエスセットは果たしてくれるんです。

 

昨日、私がアパートから出たら、隣のおばちゃんもちょうどお出かけの時間で「こんにちは!」となりました。

 

おばちゃんと一緒に階段を降りていて「肌寒くなりましたね!」と1個目の「イエス!」を入れたんですね。

 

そしたらおばちゃんが「でも、やっと涼しくなってよかったよ!だってずっと私の家は暑かったから!」と言われて、私は「え?」と次のイエスセットが入れられなくなってしまいました。

 

私は思わず「最近、私ん家は寒かったけど、おばちゃんのところは暑かったの?」と聞いたら「うん!だって扇風機を今日やっとしまえたぐらいだから!」と言われて「え〜!」と私は固まってしまいます。

 

でも、私は「あ!まあ確かに窓の近くに座って日が照った時は暑いわ!」とおばちゃんに返して「そうでしょ!」とやっと2回目のイエスで「しまった!」となるんですね。

 

おばちゃんと階段を降りるちょっとした時間で3回のイエスセットを入れるはずが、途中で止まって結果2回(それもグダグダ。このおばちゃんは手強い)。

 

「あ〜!まだ自分を捨ててないな〜!」とちょっと悔しくなります。

 

おばちゃんから言われたあの時に「本当に暑かったよね!」と言えていたら「イエス」だったのに自分の「寒かった」という感覚を優先してしまった。

 

こうして「イエスセット」をやってみて、このようにエラーを起こすことで自分の中に気づきが生まれます。

 

あ!自分と人との違いを探しちゃっている!ってね。

 

それが「個人」というものを生み出す意識なんですね。

 

この意識を超えることができれば、いつでも無意識さんの力を使うことができちゃう。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 


2018/11/21

朝日カルチャーセンター12/9講演 <残席わずか>

朝日カルチャーセンター新宿教室主催で1日限りの講演

日時:2018/12/9(日)14:00〜15:45

会場:コングレスクエア日本橋 コンベンションホールA・B(13時30分開場予定)

 

 お金持ちになる仕組み 〜「無意識」の力で豊かに生きる方法

 

「どうやったらお金持ちになれるのだろう?」と真面目に考えてみたら「落ち着きのなさ」や「余計なことを考え過ぎちゃう」とか「すぐに決めつけちゃう」などの改善したい特徴が見えてきた。
親も同じような特徴があるので遺伝的な要素も考えられるが「お金持ち」の方向に進むときに足を引っ張られる周囲からの嫉妬の影響も無視することはできない。そんなお金持ちになるのを妨げている仕組みを「一つの物語」として耳を傾けてみると、いつの間にか本当に求めていた自分の姿に出会えるのかもしれない。
カウンセラーが注目している無意識を使ったお金持ちになる仕組みと使い方を紹介していきたい。(大嶋信頼)

 

※詳しくは、朝日カルチャー新宿教室

 

質問コーナーや抽選でサイン会もあります!

今回はかなり大きなホールで行います。質問申込みは11/30だそうですので、

ご希望の方はお早目にお申込みください。(事務方より)


2018/11/21

「一体感」は本当は常にそこにあるもの。

 

でも、意識がそれを感じられなくしています。

 

え〜?そこにいる旦那と一体感なんかあり得ないんですけど〜!

 

ちょっとキモイんだけど〜!

 

かっこいいイケメンだったら「一体感!テンション上がる↑」でいいかもしれないけど「そこにいるおっさんはちょっと〜!」と思うのは当然のことなのかもしれませんね。

 

でも「イエスセット」の練習だから考えなきゃ!と勇気を振り絞って考えようとするんですけど「いや!絶対無理!」となるから面白い。

 

「なんで?」

 

そりゃ、積年の恨みというものがあるんですよね。

 

これまで、私がいろんな意味で犠牲になってきても、あの人は助けてくれなかったし、労いの言葉をかけてくれたこともなかった。

 

それとか「イエスセット」で相手が勘違いして、近づいてこられたら気持ち悪い、なんていうのもあります。

 

「イエスセット」を使って相手が調子に乗って態度がでかくなったら面倒臭い!ということも頭の中では考えているんですね。

 

これらがみんな「意識」で一体感を阻むもの。

 

「なんで?」

 

「意識」は「個性」とか「個人」などで「人とは違うんだ!」というものを作っている。

 

もちろん、これはこれで必要なんですね。

 

長年連れ添ったパートナーであれば、もし「一体感」を感じ続けていたら「個性がなくなっちゃう!」という危険性があるから「どんどん恨みつらみが増していく!」という感じで意識の層が厚くなり「この人と一体感なんてきも〜い〜!」となるのが自然。

 

でも、あえてここで「イエスセット」を実験するのは、この厚い意識の層の下に、本当に「一体感」がある無意識の層が隠れているのか?を確かめるため。

 

例えばパートナーがテレビを見ているとします。

 

そこで「あなたはテレビを見るのが好きだよね」と相手に声をかけるところをシミュレーションします。

すると「あれ?なんか違う!」と思うのは「正解!」なんですね。

 

それは「好き or 嫌い」は相手の感覚だから、本当はわからないんですね。

 

「私はこの人がテレビが好きだということをわかっている」という意識が働いちゃっているから、相手を逆に意識的にしちゃって「俺は好きでテレビを見ているわけじゃない!」という可愛くない答えが返ってきちゃうんです。

 

できるだけ「ドライ」で客観的なものがいい、と無意識では感じているので「これはなんか違う!」とシミュレーションの段階で感じることができるんですね。

 

だから「あなたはボーッとしているよね」とか「あなたはいつも無駄に時間を過ごしているよね」とかの主観的な判断をする部分はシミュレーションをした時に「違う!」となるから面白い。

 

「あなたはテレビを見ているよね」で「イエス」になります。この時、相手がいちいち「はい」と言わなくても、体でちょっとでも反応をしたらOKです。

 

「時々、外から車の音が聞こえてくるよね」で「イエス」になりますね。これはテレビの音が聞こえている、でもいいです。

 

そしてさらに「肘ではテーブルの感覚を確かめることができるよね」というと「うん?なんだ?」とそれまでだらだらテレビを見ていてちっともこっちを注目しようとしなかった旦那がこっちを向いたりします。

 

そんな時に「おー!」と一体感の恐れを感じたりするんですね。

それまで一体感がそこにあるのに意識で隔たれていたから。

 

ここで、もう一つの催眠的な要素は、鋭い方だったら気がついていると思います。

 

「見て!聞いて!そして感じて!」の順番になっているんですね。

 

この順番が違っていても構いません。

 

でも、3つが順番になっていると「催眠に入りやすい!」という感じになります。

 

「テレビを見ているよね」

 

「女優さんの顔が見えているよね」

 

「女優さんの髪の毛が動いているのが見えるよね」のように全部「見て!」でも構わないのですが「見て!聞いて!そして感じて!」をするとそれをしている自分も意識から解放されて、相手も同じようになります。

 

近所のおばちゃんと会った時は、

 

「今日はいい天気ですね!」

 

「ちょっと肌寒く感じられますね!」

 

「おばちゃんいい声しているよね!」(これは取ってつけたような感じですけど確実に入ります)

 

という感じになりますね。

 

子供だったら

 

「ゲームの画面が見えているよね!」

 

「コマンドボタンを指で押しているよね!」

 

「ゲームの音っていいよね!」

 

といってあげると、それまでゲームの画面から目をそらさなかった子がちらっとこっちを向いたりするんですね。

 

そこにある一体感を感じ取って。

 

そこでさらに「イエスセット」を続けていくと一体感の水脈に当たります。

 

(つづく)

 

いつも応援してくださっていてありがとうございます。

 

みなさんのおかげでどんどん面白くなっていきます。

 

 

 

 


2018/11/20

イエスセットは催眠療法のテクニック。

 

イエスセットを使って無意識さんの状態を作って「一体感」を得る。

 

そんなことを書くと「こやつは悪者じゃ〜!」と言われてしまうかもしれませんね。

 

でも、相手を操作するわけじゃないんですよ、本当は。

 

「無意識」の状態こそ、意識という呪縛から解き放たれた本来の自分の姿。

 

そこには「一体感」がある、というお話。

 

一体感は作り出すものじゃなくて、本来の姿に戻った時に「そこにあるもの」なんですね。

 

ブッダの世界では「無」で全てがつながっている一体感が見えていたんじゃないでしょうかね。

 

瞑想をして「すべての恐怖や欲が幻想である」と体験すること。

周りのもの全てから自分を切り離す「欲」と「恐怖」が「自分のものじゃない」とそこから自由になった時に「あ!みんなとつながっている!」という世界が見えてくるわけです(あまり瞑想は詳しくないのでブッダの世界から予測して書いてます)。

 

催眠も幻想の恐怖を作り出す「意識」から解放してくれて、無意識になった時に「すべてがつながっていて一体感!」ということが感じられるようになる。

 

もし、インターネットにつながっているように、脳もネットワークでつながっているのだったら「みんなとつながっている一体感」がそこにある。

 

手を伸ばせばつながることができて「一体感」をいつでもどこでも感じることができる。

 

その本来の姿に戻すのが、お師匠さんが教えてくれた「催眠療法」なんでしょうね。

 

このイエスセットは、多分、普通の方が読んだら「感情抜きのドライな方法だな〜!」と思われるかもしれません。

 

相手の気持ちを考えるんじゃなくて、相手の立場に立って「なんて言われたらイエスと答えるかな?」と質問を作り出していく。

 

さらには頭の中で相手とのやりとりのシミュレーションをたくさんして「イエス」と相手が言うものをとことんブレインストーミングしていく。そして、それを使って「イエス」を引き出して、データを収集する、という感じで「ドライ!」なんですね。

 

もっと相手の気持ちを考えてあげて、相手が本当に癒される、喜ぶようなことを言ったらいいじゃない!それが人間なんじゃないの。「思いやりと親切心」それが大切、と思うんでしょうね。

 

私はこの「イエスセット」の催眠的なアプローチを練習する時って、頭の中にある曲が流れてくるんです。

 

その曲はアメリカのロックバンドのChicagoシカゴ(もうクラッシックですね)の「Hard to Say I'm sorry」なんですね。

 

邦題がなんと「素直になれなくて」ですって!

 

この題名が深い〜!

 

「素直になれなくて」ということは、無意識では相手が「イエス!」という答えをなんとなく知っているんですね。

 

それが素直じゃないから口から出てこない!

 

こんなに一体感を求めているのに、そこに一体感が得られる言葉があるのに、それを相手に伝えれば一体感が得られるのに、素直になれなくてそれが伝えられない、というだけ。

 

逆に考えてみると「無意識」の状態が「素直な状態」なんですね。

 

「意識」が働いているから「素直」という相手が「イエス」という質問が繰り出せない。

 

無意識になれば、相手と本来はネットワークで繋がっていて「一体」なのでいくらでも「イエス」を引き出す質問ができちゃう。

 

「意識とはなに?」というと「相手がイエスという質問は私にはわかっている」ということ。

わかっているけど口から出てこない」というのが意識。

 

わかっている」は「断定」になります。

 

無意識の場合は、可能性が無限だから「わからない!」なんですね。

 

これをもし「自分はイエスと言わせる言葉が思いつかない」とか「わからない」という意図で断定すると「意識」が働いていることになるんです。

 

でも、誰の意識の下にも、一体感の水脈が流れています。

それに手を伸ばして触れるだけ。

 

多分、これを読んだ人は「だったら”素直”になるということでいいんじゃね?」と思うのかもしれませんね。

 

人間の仕組みって興味深くて「矛盾と葛藤と逆説」が本質になっているから「素直になる!」と思った時に、逆説が必ず働いて「素直になれない!」が前面に出てきちゃうんです。

 

だから、催眠のテクニックの「イエスセット」が一体感の水脈に触れるのに一番簡単な方法になります。

 

一見、テクニック的、というドライな側面を持ちながら、本質は、みんなの中に流れている一体感に触れるというあたたかいプロセスだったりするんです。

 

「イエスセット」を練習してみると無意識さんの力がどんどん増していく。

 

(つづく)

 

 



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