2018/04/28

新刊の出版のお祝いでバラの花束をいただきました。

 

みなさんのリクエストに応えて「お金持ちになる!」という方法をここでは書いています。

 

「シナプスって何? ちょっとわからないんですけど!」

 

シナプスって脳の筋肉みたいなもの!と考えちゃいます(ものすごくざっくりですけど)。

 

筋肉を「鍛えちゃるぞ〜!」と運動すれば、筋肉繊維が切れちゃいます。

 

え?切れちゃダメじゃん!と思うでしょ。

 

でも、切れたらタンパク質がその切れた部分を修復しちゃいます。

 

そして、修復されたら以前よりも太くて強くなるから「筋肉がついた〜!」となる感じ。

 

お金持ちになるのも「脳の筋肉を鍛えればいい!」という面白いお話。

 

筋肉と同じように脳のシナプスも「御意!」というだけで「刈り込みされてスッキリした!」という感じになります。

 

「え〜!私、鍛えることとかトレーニングとか嫌いなんですけど〜!」となります。

 

まあ、私に期待されているのが「呪文を唱えればお金持ちに自動的になれる!」というものなのでしょうね。

 

今回は、その呪文が「御意(ぎょい)!」なんです(御意は「おっしゃる通り!」という意味でしょうね)。

 

ゴミ出しに行ったら近所のおばちゃんが「いやね!あの人って!いつもちゃんとゴミを分別して出さないのよ!」と言ってきたりしますよね(まあ、例えとしてですよ!)。

 

そんな時に、私たちの頭の中ではボッサボサのシナプスのままだと「人の悪口を言うのは嫌なんだよな!」とか「この人、私がいない時に私の悪口を言っているんだよな!」と色々考えちゃいますよね。

すると「嫌だな〜!」というのと「このおばちゃんムカつく!」という感じで「ビビビッ!」というストレスの電気が脳に帯電しちゃいますよね。

 

ボサボサの髪の毛のようにボサボサのシナプスが電気を帯電しちゃうと「雷雲じゃ〜!」という感じになります。

すると、旦那が家に帰ってきて、靴下を脱ぎっぱなしにしたのを見た時に「おりゃ〜!ドッカ〜ん!」と雷を落としてしまい「稼ぎが少ないあんたは何を偉そうにしているんじゃ!」と怒っちゃいますよね。

 

すると「稼ぎが少ない」という暗示が見事に旦那に入ってしまい「どうせ僕なんか!」という感じになって「う!貧乏!」という循環になるわけです。

 

こんなことを読むと「私の対応が悪いから、旦那が出世しないし稼ぎが少ないのかしら!」と考えちゃうのが「シナプスがボッサボッサだから複雑に物事を考えちゃう!」という性質なんです。

 

問題は、脳に電気が帯電して「う!貧乏神を引き寄せちゃう!」となること。

 

「次から次へと出費が〜!」とさらに帯電して、気がついたら貧乏神様が隣の席に座って仲良くしてた、という感じ。

 

「貧乏神!退散!」ということにするために「御意!」という言葉を使い人の話を聞いちゃいます。

 

おばちゃんの他の人の悪口を「御意!」と心の中でつぶやきながら聞いていると「なんだか面白くなってきた!」という感じになります(「家政婦の三田は見た!」的な感じ)。

 

姑から電話があって「あんた!いつこっちに来るの?」と場の空気が読めない発言があった時も「御意!」と唱えていると「あれ?姑の話を聞き流している!」となるわけです。

 

「御意!」って心で唱えていると「余計なことを言わない!」となるから「墓穴を掘らない!」となります。

すると、無駄な時間とお金を使わない、という不思議な循環になるんです。

 

それだけじゃなくて、もちろん「ボサボサだった頭がカリスマ美容師の手でスッキリした!」という感じで「頭がスッキリ!」となったのは「脳にストレスの電気が帯電していないから!」となります。

 

すると「あれ?貧乏神がいない!」となり「福の神がやってきた!」となるから面白い。

ここで興味深いのが福の神がやってきた時に「え?やっぱり貧乏神の方が落ち着くんですけど!」と「私なんてとんでもない!」という感覚になること。

 

こんな時も「御意!」で福の神をそのまま受け入れちゃいます。

「貧乏の方が落ち着く!」というのもシナプスがわさわさしているからなんです。「御意!」で刈り込んで行くと「お金が入ってきて当然!」と思えるから面白くなります。

 

まずは、筋肉にダメージを与えて、そして今度は「筋肉を太くしちゃう!」という手順を説明します。

 

それが「いいね!」を引き出す、ということを書いていましたよね。

 

ここで読んでくださっている多くの方が「私はいつも人の顔色ばかりうかがって生きてきたから、そんなことをしたくない!」と思ってしまうんです。

 

このような思考パターンになってしまう脳の特徴的な説明はたくさんできるのですが「簡単に!」と言われているので、面白いことだけ書いちゃいます。

 

それが「禁断の方法」です。

 

普段の私たちの会話って、相手に「YES」と言わせることを意識していません。

 

子供に対して「早く起きなさいよ!」と言ったら「うるせえな!」という不快な言葉が返ってきます。

 

逆にいうと「うるせえな!」という不快な言葉が返って来るってわかっていながら「子供のためだから」と自分を犠牲にしていることになります。

 

髪の毛がワサワサしている人って「複雑に物事を考えちゃう!」という傾向があるから「このまま子供が学校に行かなくなるのでは?」という「心配」をしちゃって「それを身を呈して止めなければ!」というストーリーで子供から不快な言葉が返って来るのがわかっていながら、「早く学校の支度をしなさいよ!」ということをやってしまうんです。

 

これが「相手の気持ちを考えてこれまでやってきた!」という不快感につながります。

 

「YES」を言わせる、という手法はこれとは全く違うもの。

 

子供が「YES」と答える問いかけをしちゃう、と「子供を自由にコントロールすることができる!」というのがこの禁断の方法になります。

 

子供がいつまでも寝ている状況で「YES」と言わせるのって意外と簡単。

 

「もうちょっと寝ていたいのね!」というと「おう!」と言います。

 

「静かに放っておいて欲しいのね!」というと「おう!」という「YES」の答えが返ってきて、そのまま部屋のドアを閉めると子供は「あれ?」となります。

 

子供は「いつもとパターンが違う!」と不安になって、時計を見たら「やばい!遅刻しちゃう!」となって慌てて支度を始めます。

 

そして、キッチンに降りてきて「なんだよ!もっと早く起こしてくれよ!」と言われたら、ここでも「もっと優しく早く起こして欲しかったのね?」と言ってしまうと「おう!」と子供は拍子抜けしたような感じで返事をして慌てて家から出ていきます。

 

これを続けていくと「あれ?これまで勉強をしなかった子供が一生懸命に勉強をするようになった!」という感じになってしまうんです。

 

これは何が起こっているのかというと「子供がYESと答えるような質問」を考える時に、髪の毛がニュルニュルと子供の方に伸びていく感じで、シナプスがどんどん成長して太くなり「子供の脳のネットワークにがっちりとつながる!」となります。

 

子供の脳に「YES」の質問で成長したお母さんの太いシナプスが接続した時に「思い通りに動かせちゃうやろ!」となるから「禁断の方法」なんです。

 

頭の中で「どれを言ったらYESになるかな?」と何度もシミュレーションしているうちに「シナプスがどんどん太くなる!」と筋肉質になって「がっちりと子供の脳を掴んで離さない!」となります(ヒッヒッヒ!)。

 

「え?そんな子供の人生を操作したらかわいそう!」と思うのだったら「旦那が生贄じゃ〜!」となります。

 

「あなた、今日も疲れた?」と質問したら「まあな」という答えが返ってきます。

 

「仕事の人間関係大変でしょ!」というと「そうなんだよ!」とYESが返ってきます。

 

さらに「あなたって人の気持ちをすごくよく考えるからね」というと「そうなんだよ!!」と返ってきて「がっちり掴んでマンデー!」となります(がっちりマンデーとは「がっちりと掴んで離さないからね!」という意味でございます!)。

 

頼まないのに旦那がお風呂の掃除を始めたり、いつも頼んでもやってくれない新聞の束を資源ごみに運んでくれたりします。

 

「YES」と3回返って来るように、質問のセットを作ると「シナプスが太く成長して相手の脳を掴んで離さない!」となります(怖〜い!)。

 

これは、本当は催眠療法で相手をトランス状態に入れる時に使う方法なんです。

 

その「YES」の質問の過程で、催眠療法家のシナプスが太くなって相手の脳につながりやすくする、というプロセスが起こっている、と考えられるんです(真面目な催眠療法かはね!)。

 

これをやっていくと「どんどんシナプスが太くなっていろんなところにつながることができる!」となるから面白いことになるんです。

 

貧乏脳から太いお金持ちの脳のパイプへとつなげて行きます。

 

みなさんが応援してくださっているので、嬉しくて、とんでもないことを書いちゃっています!

 

ひや〜!

 

この子のことも応援してくださるとうれしいです。

よろしくお願いいたします。

 

大嶋 信頼

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2018/04/27

催眠のお師匠さんは「心よ!私は私のために何ができるの?真面目に、真剣に、教えておくれ!」という問いかけをしていました。

 

そうやって心に問いかけた時に「温泉に行く」というのが出てきたら「御意!」と従ってみると、ボサボサだった髪の毛がカリスマ美容師の手で刈り込まれたように、脳のシナプスが刈り込まれて「なんだか頭がすっきりした!」となるわけなんですね(こんな仕組みが隠されていたとは!)。

 

髪の毛がいっぱいあるからといって静電気が起きやすい、というわけではないのかもしれません。

 

でも、脳の中に張り巡らされている神経ネットワークが適切に刈り込みをされていない場合は「電気が帯電しやすい!」となって「発作が起きやすい!」となります。

 

自閉症スペクトラムの子が教室にいたら、なんかストレスとなる出来事があったら、自分の拳で「ドン!ドン!ドン!」って頭を思いっきり叩いでいたでしょ。

 

あれって「あ!脳内で電気の嵐が起きている発作!」という感じ。

 

シナプスの刈り込みの記事を見ていると、自閉症スペクトラムの子のシナプスの数が多い、となっていました。そして、ケースを見ていると「自閉症スペクトラムの子は発作を起こしやすい」ということで「シナプスの刈り込みをすれば、脳に帯電しにくくなる!」ということが考えられちゃいます。

 

人間関係の中で「御意!」を学べれば一番いいのですが、今の世の中がそれをさせない方向に進んでいます。

だから、刈り込みをされていない子供ばかりじゃ〜! 面白いことになっていますよね。

 

大人になってから刈り込みをする、というのも「御意!」と何でも言っておけばいいんだから!と説明しても「でも!」とか「だって!ムカつくんですけど!」となかなかできないことが多いです。

 

そりゃ、そうなんです。

 

脳の神経ネットワークがボサボサだと「複雑に物事を考えちゃう!」ということだから「他者の言動は素直に受け止められない!」となります。だから「御意!」って言ったって、となります。

 

そこで「心に聞く」があるんです。

 

「心よ!私は今日のお昼は何を食べたらいいの?」と聞いてみると「サラダ!」というのが帰ってきて、一瞬頭の中で「マジかよ!」というのが浮かんできそうになりますが「御意!」とサラダを買いに走ります。

 

そして、お昼にサラダを食べてみると「何だか頭も気持ちもスッキリする!」というのはサラダのせいだけじゃないんです。

 

「従う」で脳のシナプスが刈り込みをされて「美容室に行った後みたい!」と頭がスッキリするから。

 

心に聞いて、帰ってきた「思考」に対して「御意!」と頭の中でつぶやいて、実行した時に「従う!」でどんどん適切にボサボサだった頭が刈り込みされて「あ〜!シンプルに物事が考えられるようになった!」となります。

 

でも、自分で「シンプルに物事が考えられるようになった!」なんて気がつきません。

 

「何だか、人とのコミュニケーションが以前よりも苦痛じゃなくて、多少、長く続けられるようになった」と印象が変わるのが一番わかりやすいのかもしれません。

 

それは、脳の神経ネットワークがボサボサだと「複雑に物事を考えちゃう」から、話をしていると相手はこちらの話についてこれなくて「???」となって「チーン!」となります。

それとも、相手が「全然私の話に興味を持っていない」というのを意識じゃなくて体で感じとった時に、脳内で「ビビビッ!」と発作が起きてしまって「話が止まらない!」となって次から次へと話が続いてしまいます。

 

「会話をしている」という感じがないんですね。そりゃ、自閉症スペクトラムですから「コミュニケーションが苦手」が肝なんです。

 

でも、ボサボサが「御意!」で刈り込みをされて行くと「シンプルに話ができる!」となるのは、脳の神経ネットワークがシンプルになるから。

 

だから、以前よりは「話ができるかも!」とか「話していても緊張しない!」となります。

 

その理由で「心に聞く!」はとっても面白い。

 

心は「無意識で私たちを助けてくれる〜!」という単純な理由だけじゃあ〜りませんでした。

 

 

さあ!刈り込んだ後は「シナプスを太くする!」という作業があると「いいね!」となります。

 

「御意!」で刈り込めば刈り込むほど「いいね!」は得られやすくなる、というのが私の仮説です。

 

「いいね!」が得られやすい状態が、お金持ちの条件である「行動力」、継続力」、「思考の柔軟性」が増している、ということで「お金持ちになってまうやろ〜!」となるんですよね。

 

あ!刈り込みのことを書いていて思い出した!!

 

今日「その苦しみはあなたのものでない」(SIBAA BOOKS)が発売されます。

 

 

この原稿はものすごく長かったはずなのですが、見事に青山ライフさんが刈り込んでくれましたね〜!(それで思い出しました)

 

ものすごいスッキリしていてシンプル(あはは〜!)。

 

最初に、初校を読んだ時に私は「え?どんだけ刈り込み〜!」とショックを受けたぐらいですから(どんだけ〜!)。

 

この場を借りてちょっと最近のブログのことを説明させていただきます。

 

みなさんが本やDVDをブログやSNS、そしてアマゾンのレビューなどで応援してくださっているのを直接感謝するよりも、こうして文章の中に練りこんだメタファー(暗喩)を使った感謝の方がみなさんの中に届きやすいのかも?と思って、このような形にしております。

 

「こんな種明かしをブログでしちゃっていいんですか?」とよく聞かれるのですが、ここで読んでくださっていて、いろんなところで応援してくださっている皆さんに答えているだけですから、という感じ。

 

みなさんがアマゾンのレビューやSNSに書いてくださってることに直接的、そして間接的にメタファーを使いながら答えていけたら、という思いで、みなさんの脳とつながりながら、ここに全力で書いております。

 

いつも、みなさんに感謝しております。

 

そして、応援してくださっている皆さんとつながりながらここで書いている喜びを感じているんです。

 

本当にいつもありがとうございます。

 

レビューや本の紹介をSNSなどで書いてくださると泣くほど嬉しいんです。

 

その感謝を込めて、私はここで書いてはいけないことを書いていきます。

 

明日は、さらなる感謝を込めて、禁断の方法を書きまっせ!ヒッヒッヒ〜!(禁断だから魔女の笑いって安易やろ!)

 

みなさんの応援でどんどんやばいことを書いちゃう面白い流れ。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2018/04/26

「お金持ちになる」ためには“運”が必要になります。

 

そして“行動力”があるとチャンスを的確に掴むことができちゃいます。

 

さらに“継続力(けいぞくりょくは続ける力のことです)”があると「どんどんお金持ちになる!」ということがおきます。

 

そうしていると“思考の柔軟性(「あ!これも!あれも!できるぞ!」と状況に合わせて柔軟に考える力のことです」)”も自然とついてきます。

 

そこで「運」はどうやったら手に入れられるのか?

 

ちょっと前に「ある方が温泉に入るようになったらお客さんが来るようになった!」という話を書いていました。

 

あの現象で私が思っているのは「ああ!どうしよう!」とか「こうなったらどうしよう?」とヤキモキする感じで脳にストレスが帯電すればするほど「お客さんは離れていく!」となってしまいます。

 

ところが温泉に入って「ふ〜う〜!」と脳の電気が放電された〜!となった時に「あれ?尋常じゃない数のお客さんが来るようになったんですけど!」となります。

 

「空と鳥を見るがよい。蒔くことも、刈ることもせず、倉に入れることもしない」という私の好きな言葉があります。

 

要するに「心配すればするほど、う!びんぼう!」になるってこと(それは極端やろ!)。

 

「落ち着きがない!」、「衝動買いしちゃう!」、「片付けができない!」、「整理整頓が苦手!」という注意欠陥多動性障害の人が「見事にチャンスを逃すよね!」というのは落ち着きがないから。

 

そして「人とのコミュニケーションが苦手〜!」という自閉症スペクトラムの方は、シナプスの刈り込みがされていなくて、脳の神経ネットワークが鬱蒼としているから「脳に電気がすぐに帯電しちゃうよね!」となっていて、その帯電した電気が「運を見事に逃すよね!」ということをしていたりするんです。

 

帯電すればするほど強力な磁石に引き寄せられるように「不幸が引き寄せられてきた〜!」となります。

 

「お〜!チャンスが巡ってきた〜!」というときでも、脳の帯電が酷いと直前でクルッと「不幸に転じてしまった〜!」ということになるのでございます。

 

そこで、鬱蒼としたシナプスを刈り込んじゃいましょ!という感じで「御意!」と誰かに何かを頼まれた時に、心の中で言ってからやって見ると「お〜!頭の帯電がなくなってきたかも!」という面白い現象が。

 

「御意!」、「御意!」言っていると、ボサボサだった髪の毛を腕のいい美容師さんに刈り込んでもらったみたいに「あ〜!スッキリした!」という感じになるから面白い(顔もスッキリしまっせ!)。

 

「でも!」とか「だって!」の口癖を全部「御意!」にしちゃいます。だって「でも!」とか「だって!」って言ったってどうせみんなやる羽目になるんですから。シナプスの刈り込みをしちゃって、脳の帯電をなくしちゃお!と思ってやったほうが面白いです。

 

「御意!」でシナプスの刈り込みをしちゃうと脳にストレスが帯電しにくくなるから、あまりぐるぐる頭の中で考えて心配しなくなります。

いい意味でアホになる。

 

すると「お〜!どんどんチャンスが巡って来るぞ!」となるから面白い。

 

人が羨むような美味しい人生がそこにあります(うらやましい〜!)。

 

誰かが人の悪口を言っていても「御意!」と言いながら聞いているのって結構面白いです。

シナプスが刈り込みされるから「嫌な気分が残らない!」となりますね。

 

さあ、あとは「行動力」、「継続力」と「思考の柔軟性」なんですけど、これも「シナプスの刈り込み」の作業でついてきちゃいます。

 

その理由は「筋肉と一緒!」と考えてみましょうね!

 

筋肉って運動をすると「筋繊維が切れる!」という現象が起きちゃいます。

 

だから、運動した後って体が痛くなるんですね〜!

 

以前は、疲れを感じさせる物質である「乳酸」のせいだと言われてきました。

でも、最近では科学が進んで「筋肉や関節が運動によって傷つき、傷ついた部分を再生するために炎症が起きていることが原因」と言われるようになりました(中外製薬の「からだのしくみ」の筋肉から引用させていただきました)。

 

運動したら筋繊維が切れちゃう。

 

そして、たんぱく質で切れた部分が補修されちゃう。

 

すると「切れた筋繊維が以前より太くなる!」となります。

 

そんなイメージで「御意!」でシナプスの刈り込みをするのが「運動」って考えちゃいます。

 

すると切れたシナプスが補修されて「図太くなる〜!」という感じ。

 

図太いオバちゃんってたくましいですよね!

 

スーパーで「お肉のタイムセール」があったら「すっげ〜瞬発力!」という感じで、私の前にすっと入ってきて「一番いい肉を持って行った〜!」ということができます。

 

私は「あわわわ!」とオドオドしているうちに「ざんね〜ん!」という感じ。

 

まだまだ「御意!」が足りないのよね!という感じ。

 

シナプスの刈り込みがされて、そして補修されて「どんどん図太くなる!」となると「ちょっとやそっとの嫉妬なんかでびくともしませんから!」となります。

 

だから「継続力がハンパない!」となります。

 

継続していると、どんどん思考の柔軟性もついてきちゃって、以前だったら「ダメだ〜!無理〜!」となっていた状況でも「あれも!これも!こんなこともできるじゃん!」と思考を次から次へと展開して行って「お金持ちになる〜!」という感じになっちゃいますね。

 

そして、適切な筋肉であるシナプスを伸ばしていくために「いいね!」を増やしましょ!というお話をちょっと前に書きました。

 

赤ちゃんが「なぜ8ヶ月まであんなに急速にシナプスの数が増えるのか?」ということを考えてみると「あ!訴えた時に、お母さんが要求に応えてくれる」という体験が要因となります。

 

もちろん「母乳」というのも大切なのかもしれませんが、ここはあくまでも物語として。

 

この「いいね!」を増やす、というのは、おバカキャラで売っていたタレントさんのブログやインスタを見てみると「すごいな!これは!」と思うんです。

 

シンプル〜!わかりやすい!となっています。

 

あのシンプルさって、シナプスの刈り込みがあったからこそできることだと思います。

 

シナプスの刈り込みがされていないと「物事を複雑に考えてしまう!」という傾向がありますから「???」という反応が相手から返ってきてしまい「面倒臭い!」とその時に感じる、ということは「相手から嫉妬の電気を浴びている!」という証拠になります。

 

「この人面倒臭い!」と思う人って「嫉妬の発作の人!」です。

 

「面倒臭い!」って言葉は、嫉妬の発作の人センサーの役割をしています(これは面白いんです!って自分で言うな!)。

 

嫉妬の発作を浴びちゃうから「シナプスが適切に成長できない!」となるから「瞬発力がない!」となるんです(まあ、嫉妬の発作の電気ショックを浴び続けて起きる「学習性無力感」も関係しているんですけどね)。

 

「いいね!」を増やすのが面倒臭い!とか「自分には無理!」と思ったら「御意!」がまだまだ必要な可能性があるんです。

 

「私は誰とも接しないし、SNS(ブログやツイッター、インスタグラム、フェイスブックなどです)もやりたくないんですけど」という方もいらっしゃいます。

 

その方も「御意!」があったらシナプスの刈り込みがされて「脳の筋肉が太くなる!」となるから「面白くなるぞ!」となりますね。

 

でも、その「御意!」も親にするのも嫌だし、というケースもありますよね。

 

ある方が「だから”心に聞く”があるんですね!」と鋭いことをおっしゃっていました。

 

そうなんです。

 

「心に聞く」で心が教えてくれたことに対して「え〜?これって私の考えなんじゃないの?」と言わないで「御意!」とやってしまうんです。

 

すると「シナプスの刈り込みがされて、リミットレスじゃ〜!」となるわけです(「リミットレス」は無敵で能力の限界がないことを指します。心に聞いていると本当にリミットレスになるから怖い!)。

 

これまで書いてきた本の意味がどんどんここでつながっていきますでしょ。

 

科学は後からついてきます。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2018/04/25

今日は、ちょっとブレイク(休憩という意味です)で「本の選び方!」ということを書いちゃいます。

 

私は、脳のことを書いているのがものすごく楽しいのですが、読んでいる皆さんは「疲れる〜!」となるかもしれないから、ちょっと休憩をしちゃいましょ。

 

静かに本を読む時間。

 

いいですよね。

 

さあ、本を読む時って、皆さんはどのように選んでいるのでしょうか?

 

本屋さんにいくと「いっぱい並んでいて迷っちゃうよ〜!」となりますよね。

 

昔と今とを比べると、読めるものがたくさんある!ということですかね。

 

毎日のように新刊がでていて「あ!これも面白そう!」とか「あれも興味深いな!」という感じになっていますね。

 

たくさんいろんな本が出ていて、いろんな人が様々なことを言っています。

 

でも、私が好きなのは「同じ本を何度も読む」ということだったりします。

 

パール・バックの「大地」だったり、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」をもう一度読みたくなったり。

 

時々、読みたくなって、うずうずするのはシェイクスピアの「ハムレット」なんですよね。

 

素敵な本って、その場面のイメージが強烈に頭に残っていて、人生の大切な場面で「フッ!」とその場面が浮かんできてくれます。

 

それが「メタファー」になったりするんです(メタファーの説明はちゃんとここからしますね)。

 

ある時に、人の病から、お別れを想像して、寂しい気持ちになったことがありました。

 

そんな時にフッと私の頭の中に浮かんできたのはヘッセの「車輪の下」の川の場面でした。

 

ヘッセのあの書き方はすごいんです。

 

生き生きとした生命に満ち溢れた川の描写が美しい。

 

そして、嫉妬の攻撃を受けて「あ〜!」となってしまう少年の姿がそこに映し出されていきます。

 

あの、生き生きとした川があの少年の命をどのよう受け止めてくれたのか。

 

そんなことが頭に浮かんできて、私はいつのまにか、私の中に流れている川を感じていました。

 

そして「お別れ」と思って悲しんでいた気持ちが、その川に流されていき、いつのまにかキラキラとした輝きに変わって行った時に「不思議だな〜!」と思うんです。

 

ヘッセの「車輪の下」に書かれている「川」の描写は、一つのメタファー(メタファーは、手品のトリックみたいなもの)となって私の中にインプットされています。

 

「お別れは悲しいもの」という常識にとらわれていていた私が、実際に「お別れ」の場面に直面した時に「メタファー」が起動します。

 

辛いもの、苦しいもの、悲しいもの、そこからなかなか立ち上がれないもの、と思い込んでいた私が、あの川の場面を思い出した時に「お別れ」の意味づけがまったく変わってしまいます。

 

そう、命の満ち溢れている川に浮かぶ安堵の表情が、私の心を洗い流してくれます。

 

そして、私の中に流れるその生き生きとした川の流れを感じることができたんです。

 

その川の流れに手を入れた時に、中に息づく生命たちが「ブルブル」っと私の手に触れてキラキラっと光り輝きながら飛び跳ね、再び川の中へ戻っていく。

 

そんな命に満ち溢れた川に触れた私の手は、皆さんの心に支えられてこうして文章を書き続けています。

 

「メタファー」って「なんなのそれ?」と専門家でも「ちょっとはっきりとは説明ができないんですけど」となったりするぐらい面倒臭いものに思えちゃいます。

 

でも、本当は簡単で「メタファーは仕掛爆弾みたい!」という感じ。

 

ある時、私たちが困ったことが起こった瞬間に仕掛け爆弾が「ドッカ〜ン!」と爆破して意識的な思い込みを吹き飛ばしてくれて「あ!それまで見ていた風景とは全然違って見える!」としてくれるものです。

 

ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」の川がメタファー(川のシーンが仕掛爆弾になっていたということです)となっていて「悲しいお別れ」をきっかけにメタファーが起動して「悲しみ」を180度変えて「これから皆さんと一緒に生き生きとした生命に満ち溢れた文章を書くぞ!」ということに変えてしまったんです。

 

そう!命の源が私の中に流れているのを感じたから。

 

同じ本を何度も読むのって、本当に楽しいんです。

 

そこに隠れているメタファーに触れることができて、人生の様々な場面でそのメタファーが起動して、多分他の人が見ている風景とは違った風景を見せてくれるから。

 

今回、恋愛本を書いて「あ!ハムレットのメタファーが起動しやがった!」とシェークスピアさんの仕掛けた仕掛けに見事に私は引っかかってしまって「シェークスピアってすげ〜!」となっていました。

 

「恋愛の本を書いていて泣くって、アホでしょ!」と涙を流しながら思ったのですが、シェークスピアの仕掛けたメタファーが起動しちゃってて、恋愛の美しさにやられてしまいました。

 

本はいいですねー!

 

でも、シェークスピアはすげー!です。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2018/04/24

脳は、ものすごく興味深くて、ただ「脳を元気にしよう!」と脳内の神経細胞を活発に働かせても「思ったことができない!」とか「空回りしてちっともお金持ちになれないぞ!」という現象が起きます。

 

テレビなんかにでてくる「お金持ち」の方を見ていても「あ!考え方が意外とシンプル〜!」という印象があります。

 

神経を張り詰めて、一生懸命にいろんなことを考えちゃう、というのは脳の神経ネットワークが「張り巡らされ過ぎている〜!」という感じ。「え?それって減らすことができるの?」

      それをしていったら「シンプルに物事が考えられて、お金持ちになれる!」となります。

 

感覚的には、パズル本がありますでしょ。

本の中には「迷路」というのがあって、その迷路が複雑であればあるほど「脳のシナプスが刈り込みがされていない」という感じ。

ゴールにたどり着く道は一つなんだけど、そこまでの間にものすごいいろんな道が分かれていて「こっちに行ってもダメ!」や「あっちに行ったら行き止まり!」という感じ。

 

「シナプスを刈り込む」って「あ!迷路がシンプルになった!」という感じになります。

 

ある方が「シナプスを刈り込んじゃったら、それを後から伸ばす方法はないんですか?」と質問をされました(鋭い!)。

 

実は、それがあるんです。

多分、マウスの実験では、それができないのですが、人間では可能だと思っています。

 

それは何かというと、言葉を使って「相手に自分の要求が伝わる!」ということで「シナプスがどんどん成長しちゃうぞ!」となります。

 

赤ちゃんは「オギャ〜!」と泣いて、お母さんが「はい!おっぱいが欲しいんでちゅか〜!」とおっぱいをあげます。

 

「自分の要求が即座に受け取ってもらった!」という感覚で「シナプスが増えてまうやろ!」となります。

 

やっと本になる青山ライフの「その苦しみはあなたのものではない」の中では、この「泣いたらおっぱいがもらえる!」となった時に、赤ちゃんが感じているであろう「万能感(自分は神じゃ〜!という感覚のことです)」について詳しく説明してあるはずなんです。

 

自分の要求が通じなければ「シナプスが増えない」となりますね。

当然のことなのですが、自分から何も求めなくても「シナプスは増えない」となるんです。

 

赤ちゃんの場合は、母親が「言葉がまだ未熟だから私が受け取ってあげなければ!」と一生懸命に赤ちゃんの意図を読み取ります。だから、ほぼ100%で要求が通って「欲しいものがもらえる〜!」となるから「シナプスがバリバリ増えちゃう!」という感じ。

 

さあ、鋭い人はもうわかっていると思います。

 

赤ちゃんを抱えたお母さんは、ある意味で赤ちゃんの要求に対して常に「御意!」ですから「シナプスの刈り込みがなされる!」という感じになりますね。

 

ここでの一つの問題は、適切なシナプスは成長させなければいけないんです。

 

ですから、この状況で夫が妻の要求を敏感に感じ取って「ちゃんと要求に応えてくれる!」となったら、ちゃんとシナプスが成長する、となります。

 

ところが「アホな夫に何を言っても通じない!」と要求が通らない状況が繰り返されてしまって、逆に夫の要求に従順に従うことになってしまうと「シナプスが刈り込まれ過ぎちゃう!」となるわけなんですね。

 

こんな時に、赤ちゃんに対して「御意!」を続けてきたお母さんが「あれ?私の知能が低くなったかも!」という感覚を感じるんです。

 

もちろん、妊娠のホルモンや栄養の影響で知的能力的な変化を感じている可能性もあります。

 

でも、もしかしたら「御意!」を続けていて、刈り込まれると「アホになった〜!」という感覚になるのかもしれません。

 

そんなシナプスが刈り込まれた時に「言葉」を使って「自分の要求が相手に受け入れられた!」という体験をすると「お〜!」という感覚になります。

 

「お〜!」となることで適切なシナプスが適切に成長して「豊かになる方向へ!」と導いてくれます。

 

 

最近では、フェイスブックとかインスタグラム、そしてツイッターがありますね。

 

「いいね!」と押してもらうのが「自分の要求が受け入れられた!」という体験になりますから「シナプスが増えちゃる!」となるわけです。

 

ここから先は、あくまでも私の中の物語です。

 

テレビ番組などで活躍していたおバカキャラのタレントさんが「え〜!そんなにお金持ちになっているの!」という現象があります。

 

そのタレントさんって、テレビ業界の人間関係の中で「御意!」をやり続けるのは「生き残るため!」と「お金持ちになりたい!」という一心からなのかもしれませんね。

 

そして「御意!」によって適切にシナプスが刈り込まれていきます。

 

さらに、インスタグラムやフェイスブックなどで写真やコメントで「いいね!」をたくさんもらうと「適切なシナプスが成長しちゃうぞ!」となりますね。

 

あのタレントさんたちを見ていて興味深いのが、適切に刈り込みがされた方は「いいね!」をもらうと、どんどんSNS(ソーシャルネットワークシステムはブログやフェイスブックなどのことです)のコメントや写真の撮り方が上手くなる、という現象が起きます。

 

それは「いいね!」で適切なシナプスが成長しちゃうから。

 

すると、そのタレントさんたちのコメントを聞いていると「あ!どんどん洗練されて言ってお金持ちのコメントができるようになっている!」となるわけなんです。

 

あんなにおバカキャラだったのに!

   悔しい〜!と思ったりするのですが、やっぱり「御意!」ができるあの業界ってすごいんですよね。

 

そして、現代のSNS(ソーシャルネットワークシステムはブログやフェイスブックなどのことです)がシナプスの成長のツールになり得るからすごいんです。

 

よく見ていると「御意!」ができるタレントさんが「どんどんコメントが上手くなって“いいね”が増えている!」となりますね。

 

シナプスがワサワサしていると、思考回路が複雑だから、言葉が難し過ぎて「いいね!」がもらえない、という感じなんでしょうね。

 

言葉って面白いんです。

 

刈り込みもしてくれるけど、成長もしっかりさせてくれる。

 

そして、どんどんお金持ちに近づいていく〜!

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


2018/04/23

よく人から「カウンセラーの仕事って疲れませんか?」と質問をされます。

 

あれ?そういえば「疲れる」という感覚があまりないな、と思ったことがあります。

 

確かに、トラウマ治療をする時って「クライアントさんのトラウマを全身で受け取る!」というのがありますから、身体的には疲れます(トラウマ治療をやっているところに付き添いの人がいた場合は、たいていその人は、真っ青な顔になって、そして次の回までには円形脱毛症になっています)。

 

でも、クライアントさんのお話を聞いていて「疲れる」と思ったことはあまりないな、と思っていました。

むしろ、お話を聞かせていただければ、聞かせていただいただけ、私の中がスッキリしていく感覚があります。

 

「なんで?」と思っていたら「あ!そうか!」と気がつきます。

 

いつも「御意!」をクライアントさんに使っているから、私の脳の中のシナプスが刈り込まれて「スッキリする〜!」となるんだ!

 

クライアントさんが「若返らせてほしい!」と言ったら「え〜?ここはカウンセリングルームなのに〜!」とか言わないで、私の中では「御意!」と叫んでいて「その方法は?」と必死に考えます。

 

「御意!」でシナプスが適度に刈り込まれるから「どんどん太陽が見えてくる〜!」となり、夜になると「満天の星空が空一面に広がっている〜!」という感じで様々な可能性が見えてきちゃうんです。

 

子供の頃は、完全な発達障害の状態で「でも!」とか「だって!」で「素直に相手の話を聞いたことがない!」という感じでした。

 

「だって!自動的にそれが口から出てきてしまうんですもの!」という感じ。

 

だから、シナプスの刈り込みがなされずに、いつも頭の中には不安がいっぱいで、友達から言われた嫌なこととか、両親から怒られたことばかりがぐるぐると頭を巡っていて「もう嫌じゃ〜!」となっていたんですね。

 

でも、厳しい家で育ったから「自分は素直で従順だ!」と思っていました。

 

考えてみたら、素直で従順だったら、もっと勉強ができていたはず。

友達だって、たくさんいて、仲良く楽しく遊べていたはず。

両親からもあんなにひどく怒られることはなかったはず。

 

そっか!頭の中では常に「でも!」とか「だって!」で相手の言っていることと逆のことを考えたり、違う意見を言ってしまっていた。

 

それって「自己主張をしている」と思っていたけど、もしかして間違っていて、ただシナプスが刈り込まれていなくて、頭の中に雷雲が立ち込めているから「自動的に他の人が言ったことの逆のことを考えちゃう!」というだけだった。

 

自閉症スペクトラムの子に「これをやっちゃダメだよ!」と注意したら「ど〜ん!」とやっちゃダメなことをやってしまいます。

 

「反抗しているのかな?」とか「舐められているのかな?」と思うのですが、それは違っていて、シナプスの刈り込みがなされていなくて脳の中が雷雲状態になっていると「やっちゃダメ!」ということを言われると逆をやってしまう!という現象が起きちゃうだけなんです。

 

相手が怒っていて「ビビビッ!と感電させちゃうぞ!」となっていればなおさらのこと「相手が意図していることの逆をやる!」ということになってしまうんですね。

 

アパートの人と鉢合わせて一緒に階段を降りていて「今日はいい天気ですね」と声をかけてくれたら「そうですね!いい天気ですね!」と返せば会話が続くはずなのに、私は「でも、また曇ってくるみたいですよ!」と言ってしまうのは、シナプスの刈り込みがされていないから。

 

シナプスが刈り込まれていないから、他の人と同じような思考にはならず次の瞬間に「チ〜ン!」という沈黙が訪れて「なんかまずいことを言っちゃったかな?」と後悔しちゃって「不安!」となるのも、頭の中に雷雲があって、この会話でさらに帯電しちゃったから。

 

私の雷雲は「嫌われちゃったかな?」とか「おかしな人と思われたかな?」とぐるぐる考えちゃって、その時間と思考力を無駄に使ってしまうから「う!貧乏!」となるわけですね。

 

「また、近所の人なんか全然自分とは関係ないのに、その人のことを気にしちゃって、無駄な時間を使っちゃった!」と後悔をして、再び過去の同じような体験を引っ張り出して「時間の無駄!」をしちゃうのも雷雲のおかげです(これは雷雲に対しての嫌味です。こいつのせいで大変な目にあってきたぞ!モ〜!)。

 

頭の中で「御意!」と言って、実際に実行をしていると「シナプスがどんどん刈り込まれていく!」となって「頭の中がなんかスッキリしてきたぞ!」となります。

 

「御意!」でシナプスが刈り込まれていくと、人と会話をする前に「あれ?余計なことを考えなくなっている!」となっていました。

 

以前だったら「声をかけて無視されたらどうしょう?」とか「相手が突然怒り出したら!」なんてことを考えちゃって「そんな時はああ言って!」とか「こう言って!」なんてことをぐるぐる一人で考えちゃって、ということをしていたのはシナプスが密になっていて雷雲が頭の中に立ち込めていたから。

 

シナプスが刈り込まれていくと「あ!会話って考えないでできるものなんだ!」という不思議な体験をします。

 

そして、会話をした後に「あんなことを言わなきゃよかった!」とか「なんであんなことを言っちゃったんだろう?」という不快な感覚が残らないんですよね。

 

剪定されたシナプスの間から太陽の光が差してきて、私の本質的な部分がどんどん成長して太くなっていきます。

 

そして、満天の夜空に広がる星を目指して、ぐいぐいと神経のネットワークを伸ばして、無数に広がるアイディアを掴み取っていくんです。

 

「御意!」でシナプスを刈り込むって、こんなに素敵なことなんだ、とちょっと感動します。

 

いつもシナプスの密度が高くて、常に雷雲が立ち込めていた時って「夢も希望もない!」となっていました。

目先のアイディアは「ビビビッ!」と閃くのですが、長期的な展望がちっとも持てなくて「一寸先は闇」でしたね。

 

刈り込まれていくと、手を伸ばせばそこに無限のアイディアが散りばめられているのを感じ取ることができるようになります。

 

「これがお金持ちの感覚なのか!」とちょっと面白くなってきます。

 

お金持ちの脳って、本当に余計なことを考えないんですね。

 

お金持ちの脳は、その場でひらめくんでしょうね(ここでの“ひらめく”は楽しくなる方法で、それが結果的にお金につながります)。

 

お金につながる方法が。

 

(つづく)

 

 


2018/04/21

シナプスの刈り込みが他の人たちよりもされていないと「発作が起こりまくりじゃ〜!」となります。

 

刈り込みがされていない、入り組んだシナプスの電気が干渉しあって「不満」、「後悔」、「怒り」、「恨み」、「嫉妬」などが頭に渦巻いていて「ビビビッ!」と脳内で稲光が起きて記憶を整理する脳の部位である海馬が刺激されちゃって「過去の嫌な体験が思い出される!」となる。

 

「ビビビッ!」と帯電した脳内に稲光が起きて、あんなに「あの人いいかも!」と思っていた人が「あいつムカつく!」になってしまって「あいつをどう破壊してやろうか〜!」と破壊的人格になってしまう。

 

大人になった私の頭の中でこんなことが渦巻いていたから「自分はどうして頭の中が子供のままなんだろう?」とずっと悩んでいました。

 

人よりもアイディアなどを出すのは早いし、うまい、という自負がありました。

でも、すぐに怒っちゃって、人間関係を破壊しちゃうし、嫌なこと、不安なことばかり考えちゃうから「自分は子供だな」と思っていました。

 

頭の中が子供だからくだらないことでお金を使っちゃって「ちっともお金が貯まらない!」と嘆いていたんです(貧乏脳ジャ〜!)。

 

シナプスの刈り込みの年齢を見てみると生まれてから急速にシナプスの数が増えていって8ヶ月で止まって、そしてだんだん刈り込まれていく。

 

必要なシナプスだけが残されて、そして残されたシナプスが元気良く活動することができるようになる。

 

この8ヶ月って「お母さんの母乳からだんだん離れていく〜!」という時期になります。

 

それまでは「オギャ〜!」と泣いたら「なに?おっぱいが欲しいの?」とお母さんが授乳してくれます。

 

泣けばおっぱいがもらえる!というのが赤ちゃんにとっては「自分は神じゃ〜!」という体験になります。

 

「自分は泣き一つでなんでもできるんじゃ!」という神状態が「万能感」となります(いみじくも、青山ライフから万能感について書いた本が発売されますね)。

 

ですから「泣いたらなんでも出てくる〜!」という神状態にある時はシナプスが広がり、母乳から徐々に離して離乳食に変えられちゃう時期が5ヶ月ぐらいで、このころからシナプスの数の伸びがゆっくりになります。

 

それを考えると「母乳でシナプスの成長が進む」とも考えられるんですが「なんでも自分の思い通りになるんじゃ!」という万能感でシナプスの数が増える、と考えた方が面白そう(これは後々、なぜ統合失調は刈り込み過ぎちゃうのか?というところでわかってきます)。

 

だいたい、離乳食を食べさせられること自体が、多分赤ちゃんにとっては不本意。

だって、自分が選んで食べているわけではなくて「両親が選んだものを口に入れられる!」というこれまでになかった体験をするわけなんですね。

 

お母さんは「あの子はこれが好きかもしれない!」と離乳食を選び、そしてそれをスプーンという異物で得体の知れないものを口に運ばれて、そしてあのドロドロとしたものを口に流し込まれる。

 

最初は「いやいや!」としていたものの、お腹が減って、口に流し込まれた時に「あれ?おいしい!」となります。

 

「もっと!もっと!」とジタバタするのですが、自分のペースでは食べさせてくれなくて、母親のペースで離乳食が運ばれてくる、というこれまでと違ったパターンになるんですね。

 

母乳の時は、飽きるまで自分のペースで飲むことができていました。

でも、離乳食になったら、自分のペースではなくて、母親のペースに「従う」ということをさせられます。

 

「従う」という不快感はあるのですが、空腹が満たされる感覚と、授乳から解放されるかも知れない、という母親の安堵の喜びで「よく食べられまちたね〜!」という笑顔が返ってくるので「従うことは悪くないかも知れない!」となるわけです。

 

これが、神経のネットワークが密で感覚が過敏な発達障害の子どもの場合「金属のスプーンがいやいや!」とか「匂い」や「舌の感覚」などが敏感で離乳食が合わない、となると「従う」ということに「いいかも〜!」という快の感覚が条件づけられない。

むしろ「従う」ということが不快感。

 

すると「シナプスの刈り込みが他の子と比べて進まない!」ということになるんでは?と自分のことを振り返っていると見えてくるんですね。

 

シナプスの刈り込みが離乳食の時にうまくされないと、脳のネットワークが他の子と比べて密(いっぱい枝があるということです)だから「他の子供が考えない余計なことを考えちゃう!」という特徴になります。

普通の子供だったら、シナプスの刈り込みが適切に進んで「〇〇ちゃん!食事の用意を手伝って!」と言われたら「は〜い!」と従順に従うことができるのに、私の場合は「でも!」とか「だって!」という余計な言葉が出てきてしまう。

 

「だって!今テレビ見ているのに!」となってしまうと「シナプスの適切な刈り込みがされない!」となる。

 

すると学校に行くと「みんなと同じことができない!」とか「授業中に余計なことを考えちゃう!」ということになるのは、シナプスが多過ぎて脳内で嵐が起きちゃっている!という状態だから。

 

余計な人の気持ちとかを考えて落ち着かない!とか、ちょっとしたことで「びくっ!」としてしまってみんなからバカにされる、という現象が。「これって、シナプスがみんなより多いから敏感なだけなのに!」ということになるが、当時は「自分は間抜けで臆病なダメ人間」ということになっていました。

 

ここで一つのポイントは「子供は気まぐれでいい!」ということ。

子供は「あれ?さっきまで従順だったけど、なんで今は“嫌だ!”となっているの?」と不思議な行動をとります。

 

それって、従順すぎちゃうとシナプスを刈り込み過ぎちゃって大変なことになる、と本能でわかるから「自己主張もしなくっちゃ!」ということをするんですね。

 

シナプスを刈り込みすぎて従順になりすぎてしまうと「嫉妬の雷を受ける避雷針になってしまう!」となるわけです。

 

近くにいるありとあらゆる人の怒りを受けちゃって「ひえ〜!」という感じ。

 

自分の脳のシナプス単体では嵐は起きないのですが、周りからの嫉妬の電流で嵐が起きちゃって「見えないものが見えちゃう!」とか「聞こえないはずのものが聞こえちゃう!」と他の人が体験できないことを体験しちゃいます。すると周りの人からすると「弱者」となりますから「ますます嫉妬しちゃうやろ!」となって「ビビビッ!」と感電させられちゃって、今度は神経のネットワークに重要な軸索にダメージが。軸索にダメージを受けて今度は「普通の人ができる当たり前のことができない!」となって、さらに弱者になり「ビビビッ!」と嫉妬の雷に打たれ続ける、という感じになるんですね。

 

一方、シナプスがうまく刈り込みをされなかった私は、雷雲を頭に乗せているような感じになります。

シナプスの間の情報の伝達は電気ですから、その密度が高くなればなるほど「雷雲じゃ〜!」となるわけですね。

 

遠くから雷雲を見ていたら「大きな白い雲で羨ましいですね〜!」となります。

 

あんた!その真下に年中居てみ!

真っ暗な気持ちになってすっごいことになっているんだから!となるんですよね。

 

「御意!」でこの雷雲の密度を下げていき、やがて、太陽の光を浴び、そして星空を眺められるようにしていきます。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


2018/04/20

お金持ちの脳って、適当に脳のシナプスが刈り込まれているから「どんどん豊かに広がっていく!」という感じになっています。

 

「あ!アイディアが浮かんだ!」と楽しくなっているうちに「あ!またお金になっちゃった!」という感じ。

 

お金のためにアイディアを出すんじゃなくて、楽しいからアイディアがどんどん浮かんできて、それが結果的にお金に結びついていく、という感じになります。

 

刈り込まれたシナプスが豊かなアイディアを生み出し、それが自然とお金に結びついていきます。

 

私のように貧乏性の脳は「ちっともシナップスが刈り込まれていない!」という感じになっていたから、鬱蒼と茂っていたシナプスはお互いに干渉しあって「ビビビッ!」という感じに帯電をしちゃいます。

 

帯電ってなに?と言ったら「お金がなくなったらどうしよう?」とか「この先、自分はどうやってお金を稼いだらいいんだ?」と不安と焦りでいっぱい!

いつも不安でいつもお金の心配をしている。

そして、帯電した脳は「損をした!」とか「あの人の方が私よりも稼いでいる!」や「あの人はズルをして私は損をしている!」なんてことをきっかけに「ビビビッ!」とサージ電流を起こして「破壊的な思考になってしまう!」となります。

 

発作を起こしちゃうと「相手を攻撃する」、「相手を恨み破壊することしか考えられなくなる」や「自分を責め続ける」とか「自分を破壊するような行動をしちゃう!」という破壊的人格に変身しちゃいます。

 

今だったらインターネットショッピングがあるから「ポチ!」っと「コンピューターを買っちゃお!」と買ってしまって、押してしまってから「なんでお金がないのにこんなことをしちゃったんだ!」と後悔しちゃうんですよね。

 

押入れを開けてみると「使っていない電化製品でいっぱい!」という感じ。

 

サプリメントとか飲んでいない賞味期限が切れたやつが山になっている。

 

そんな感じだから「ちっとも通帳にお金が貯まらず、来月はどうしたらいいんだろう!」と不安になって、脳に電気を帯電させちゃって、再び人の言動で「ビビビッ!」と発作を起こして、せっかく積み上げてきたお金を「ガラガラガラ!」と崩して、ということを繰り返して「このまま一生貧乏人!」という感じになってしまうんです。

 

もう一つ、お金持ちの特徴は「刈り込まれたシナプスが適切に伸びて人脈を広げていく!」という感じになります。

 

適切に刈り込まれたシナプスは豊かな人間関係を形成して、それがどんどん広がっていく〜!

 

その人脈が金脈になる〜!となっていますね〜!

 

貧乏人の私の脳は鬱蒼として帯電しているので、ちょっとしたことで嫉妬の発作を起こしてしまって「破壊的人格に変身じゃ〜!」となって「人間関係を破壊しちゃる!」となってしまいます。

 

いえ!自分で破壊しようとしているわけではありません!発作を起こして「あの人に裏切られた〜!」とか「いつまでたってもメールの返信ができない!」などの不義理をして「あの人にも嫌われたかも!」と関係が切れていってしまうんです。

 

私の貧乏脳の刈り込みをされていないシナプスに帯電された電気に引き寄せられて「次から次へと変な人が〜!」という状態になっていました。

 

電車に乗っても「あ!変な人がこの車両に!」という感じ。

 

そして、バスを待っていれば、列に「あ!また変な人が私の後ろに並んだ!」と真っ暗な気持ちになります。

 

お金持ちの人間関係は楽しそうなのですが、私の帯電した脳には「大変な人がたくさん引き寄せられてくる〜!」となっていて「ヒエ〜!」となっていました。

 

「さっさとシナプスの剪定方法を書け!」という声が頭に響いてくる〜!(幻聴か!)

 

東京大学大学院医学系研究科神経生理学分野の「生後発達期の小脳におけるシナプス刈り込みのメカニズム」渡邊、上坂、狩野先生らの書いてくださっているシナプスの刈り込みの時期のグラフを見ると、剪定方法のヒントが隠れています。

 

8ヶ月でシナプスの剪定が始まって10歳前後で終了、という感じになっています。

 

このグラフを見た時に「あ!10歳過ぎて大人になっても剪定は可能なのかも!」ってね!感じたんです。

 

統合失調症の子供時代の特徴って「従順さ」というのがあります。

そして、発達障害の子供の特徴って「従順さの欠如」だったりするんですよね。

 

もちろん発達障害の子供たちは「自分は親に従順に従っている!」と思っているんです。「それはしたくない!」、「いや!いや!」とか、いつも親が言うことに「なんで?とかどうして?」と聞いてきて素直に従うことがないんです、となります。

 

発達障害の子は「自分の興味を持ったことしかやらない!」とか「矛盾したことは嫌う!」があります。ちゃんと自分の中で納得できることしかちゃんと従わない(ここで「従ってるやろ!」となるんですけどね)。でも、親なんて子供を納得させる理由なんて説明する知能も言語的な機能もないから「いいから従いなさい!」と怒鳴る。「子供のくせに生意気!」という嫉妬の発作で「ビビビッ!」ですよね。そんな怒鳴りつける親を見下してしまうから、さらに「従順に従う」ということができなくなります。

 

そうなんです!

 

「従順に従う」ということをすればシナプスの刈り込みがされる!というのが私の仮説です。

 

統合失調の子供は「従順すぎる」となるからどんどん剪定が進んで「純粋性が増してしまう!」となります。

 

純粋性が増せば増すほど「嫉妬されやすい!」となることで嫉妬の雷の避雷針のような状態になり。

学校でも家でもみんなから嫉妬の発作を浴びて「軸索が壊れてまうやろ!」となって「どんどん機能が下がっていく!」となります。機能が下がれば下がるほど「弱者となるから嫉妬の発作を浴びる!」という悪循環から「壊されていく〜!」となるんですね。

 

逆に考えれば鬱蒼とシナプスの枝が茂っている人が「従順に従う」をすればシナプスの刈り込みが適切にされて「お金持ちの脳になった〜!」となる。

 

でも、鬱蒼と茂ったシナプスに帯電した電気が「従う」と思うだけで「発作が起きてまうやろ!」という感じになってしまいます。

 

そこで「御意!」という言葉を使います。

 

何かをする時に「御意!」という言葉を頭の中で唱えるだけでシナプスの刈り込みができるかも〜!と面白いことを考えるんです。

 

あーあ!書いちゃった!

 

(つづく)

 


2018/04/19

お金持ちの脳って「脳に怒りが帯電しない〜!」というシステムになっているんですよね。

 

普通の人だったら「ピンチ!」という場面で、お金持ちの脳って「チャンス!」という風にとらえることができちゃう。

 

貧乏性の人だったら「ピンチ!」という時に「あの時ああやっておけばよかったのに!」とか後悔しちゃいますよね。

それとか「あいつのせいでこんなピンチに陥ってしまった!」と他人に怒りが向いちゃいます。

 

過去と他人に怒りを向けたら「怒りがどんどん増幅してまうやろ!」となるのは、目の前のピンチの解消にはならないから。

 

怒りがどんどん増幅しちゃうと、どんどん脳が過活動を起こしちゃって、周りの嫉妬を起こすような人の脳と脳のネットワークでつながって「ほら!失敗しろ!」とか「ほら!やっぱりダメだ!」という失敗を望むような思考がいっぱい入って来ちゃって「何をやってもダメだ〜!」となってしまうんです。

 

脳って相手の真似をしているとどんどんつながりやすくなる、という特徴があります。

 

ですから「あいつのせいで失敗した!」と怒っている人が遠くにいたとします。

もし、私が「あいつのせいで失敗した!」と怒ってしまった場合、その人のせいにして怒っている人の脳とつながってしまいます。

その人の脳内では「あいつも惨めに失敗すればいいのに!」という思考で渦巻いています。

それが脳のネットワークで私の脳に伝わって来て「私は惨めに失敗する!」という絶望的な考えしかできなくなってしまうんです。

 

貧乏脳になって怒れば怒るほど「貧乏な人の脳につながる〜!」となってどんどんお金持ちになる想像力が失われていく〜!となるんです。

 

嫉妬する人たちの脳とつながって「嫉妬しあって潰し合いじゃ〜!」という地獄絵図の世界に(ヒエ〜!)。

 

でも、これって貧乏脳の人たちの現実なんです(お金持ちの脳の人にはわかるまい!えっへん!って威張るな!)。

 

いろんなお金持ちになるための本が出ていて「感謝しなさい!」とか「欲しがるのではなくて与えなさい!」というようなありがたいお言葉が書いてあります。

 

実は、それらの本は本当はとっても有効なんです。

 

でも、貧乏性の脳の人がそれを有効に使うには、脳の仕組みを知る必要があるんです。

 

なぜ、否定的な考えしかできなくなるのか?

なぜ、批判的な目でしか見れなくなってしまうのか?

どうして、人を仲間と認識することができないのか?

などなど。

 

でも、この貧乏性の脳の人がいつも否定的、批判的で人を尊敬できないのか?と言ったら違います。

 

「この人はすごい!」とか「これは素晴らしい!」と感動して「もしかしたら、自分もこのようになれるかも!」と希望を持っている時期もあるんです。

 

私もその特徴がありました。

「この先生はすごい!」と思ってめちゃくちゃ尊敬して「この人のようになって見たい!」と思ってものすごい希望を持っていたんです。すると、ある時に、その先生が鼻毛を人前で抜いているのを見て、私は「ビビビッ!」と発作を起こして「なんだ!このおっさんは!」とおっさん呼ばわり。「すごい!」や「かっこいい!」が180度変わってしまって「嘘つき!」や「醜い!」というような見方をするようになってしまうんです(面白いですね〜!)。

 

これは何が起こっているかというと「嫉妬の発作が起きている!」ということになりますね。

相手を「すごい人!」と理想化している時は天使のように美しく見えているんです。

ところが、相手が「鼻毛を目の前で抜く」というような「弱み」を出した時に「嫉妬の発作」が起きます。

相手を理想化していればいるほど「マナー的に自分よりも下」という場面を見た時に「嫉妬の発作が起きてしまうやろ〜!」となって、脳内でサージ電流(通常よりも過剰な電流がニューロネットワークに流れることをサージと言います)によって相手の認識が真っ黒に塗り替えられてしまって「醜い存在!」と蔑むようになってしまう。それは、嫉妬の発作で破壊的な人格に変身しちゃって「相手を破壊しちゃえ!」となるから。

 

お金持ちの脳は、この嫉妬の発作が起きる可能性がどうやら少ないから「真っ黒になる!」とか「絶望的になる!」ということが少なくて「お金持ちの脳とつながる続けることができちゃう!」という感じになるんですね。

 

この嫉妬の発作の起きやすさ。もっとはっきり書いちゃうと発作の起きやすさが「シナプスの刈り込み」と関係しているのでは?ということを考えています。

 

ちょっと考えたら、シナップスの枝が鬱蒼としてわっさわっさしていたら、そこに流れる電気が「ビビビッ!」と干渉しあって雷が起きてまうやろ!という感じで発作が起きちゃいますよね。

 

では、シナプスが刈り込まれ過ぎちゃった統合失調の子達は「なんであんな奇異な言動をするの?」ということになりますね。

刈り込まれちゃっているんだったら、脳内の電気の干渉が起きなくて、雷だって起きないはず、となるでしょ。

 

それは、刈り込まれ過ぎちゃったら「避雷針になっちゃう!」という感じになるから「ビビビッ!」という感じで周りの人たちの嫉妬のいなづまに当てられちゃって「ヒエ〜!」となるんですね。

 

「こいつおかしなことを言っている!」という段階で「弱者!」と認識されちゃうと、相手の脳内で「嫉妬の発作が起きてまうやろ!」となるから「ビビビッ!」となって電気ショックが与えられて「ヒヤ〜!」とますます行動が奇異になってしまう。どんどん嫉妬を受けて感電するたびに神経の軸索にダメージが、という感じになっているのかも!と思うんですよね。

 

統合失調症って、お医者さんとか教師の子供に多いんですよね。

普通、他の子達から嫉妬されちゃうでしょ!

あとは、なぜ、お医者さんと教師の子供のシナプスの刈り込みが進んでしまうのか?ということを考えてみると面白いことになるんです。

 

そこにシナプスの刈り込みを大人になってからでもやることができる、という可能性が。

 

そして、シナプスの刈り込みをすれば「頭から雷雲が去って行った〜!」となって嫉妬フリーのお金持ちの脳に変身できる、と考えるんです。

 

(つづく)

 

 

 

 

 


2018/04/18

脳のお話や心理学的、精神医学的な話を書いたらちょっと難しすぎちゃいますよね。

 

ここは簡単に「貧乏脳」と「お金持ちの脳」ということで簡単に書いて見ましょう。

 

どうやったら「貧乏脳」から「お金持ちの脳」に変えることができるのか?

 

お金持ちの脳って「嫉妬するんじゃなくてリスペクトしちゃう!」ということができます。

 

青山ライフの「あなたを困らせる遺伝子のスイッチオフ!」に書いてありましたが「大人になって性格を変える!」って結構難しいことなのかもしれません。

でも「尊敬」ということをしちゃえば、貧乏性の遺伝子のスイッチはオフになって「お!これまでと違った思考パターンができるようになった!」ということで「お金持ちの道が拓けた〜!」となるみたいですね。

これは、ケースを見ていて「やっぱりリスペクトってすごいな!」と思うんです。嫉妬していた時は「貧乏暇なし!」で「人からどんどん搾取される!」という状態だったのに、「リスペクト!」ができるようになると「どんどんおいしい仕事が舞い込んでくる!」となるんですね〜!あれは不思議。

 

温泉に入ったら新規のお客さんが増えた、ということから「ストレスで脳に怒りの電気が溜まっていると〜!変な人が周りに集まってくる!」という循環になります。温泉に入って怒りのストレスが「ふ〜う〜!」と発散されていくと「お客さんがどんどんやって来た!」という面白い現象が。

 

単純に嫉妬をしちゃっていたら「どんどん頭に怒りが帯電していく」となります。それが人と人を無線LANのようにつないでいる脳のネットワークに影響して「貧乏くじをいつも引いちゃう!」という感じになるわけなんです。「尊敬」は嫉妬の遺伝子をオフにしちゃいますから「脳にストレスがたまらない!」となり「温泉に入らなくてもストレスが発散されていく!」という面白い現象が。

だから、どんどん「お金持ちが引き寄せられて、自分も一緒にお金持ちになってまうやろ!」という感じになるですね。

 

これを実践することができたら「お金持ちの脳!」に変身することができます。

 

問題は「シナプスの刈り込み」なんですね。

 

母乳から離乳食にシフトするぐらいの時期から「脳の神経の剪定」が始まります(実はこの時期がとってもポイントなんです。う〜書きたい!)。

 

ちょっと話がずれるかもしれませんが「恋は盲目」っていうでしょ!

 

シナプスの刈り込みがうまくいっていると「あ!この人にはこんないいところもある!」といいところばかり目についちゃいます。

 

ところが、シナプスの刈り込みが少ないと「あ!この人の毛穴の黒ずみが!」とか「鼻毛がちょっと出ている!」などに注目が向いちゃいます(わかりやすく書いています)。

 

普通だったら「素敵!」と思って恋のホルモンが分泌されちゃって「恋をしているかも!」となるのですが、神経の剪定がうまくいっていないと「いろんなことに敏感すぎる!」となって「この人の匂いが気になる!」的なことで恋ができなくなってしまいます。

 

こんなことを書いていると、シナプスの刈り込みが進んでいないと「だからなんなのよ!」という反応になります。

貧乏性脳は「恋をしたからってなんなの?なんの得があるの?」という思考になってしまいます。

 

普通の人だったら、理屈抜きに感じたまま動く、ということができるのですが「論理的に正しくなければ」という感じで「興ざめじゃ〜!」となって恋をすることが難しいんですよね。

 

よって「お金持ちの脳」って「誰にでも恋しちゃえる!」という特徴がありますね。

 

浮気を繰り返しちゃう貧乏性の脳は“恋”じゃなくて「かわいそうな人だから助けてあげなきゃ!」という体で相手に巻き込まれて結果的に「浮気をしている」となってしまいます。だから、本人は浮気をしている、という自覚がなくて「相手を助けているだけ」で「正しいことをやっている」という面白い思考パターンになっています。これもシナプスの刈り込みが少ないおかげなんです。

 

シナプスの刈り込みが少ないと「良い or 悪い」や「正しい or 間違っている」を判断する神経細胞がわっさわっさしていて「感情的な神経細胞が発達しない!」となるわけなんですよね。

 

ですから、相手に感情的な表現が伝わらなくて「人が思った方向に動いてくれない!」という状態になってしまいます。

「こんなに正しいことをしているのに、周りはそれを理解しようとしない!」と怒りで「ビビビッ!」の電気が脳に帯電してお金がある人を近づけない、となってしまうんですね。

 

お金持ちの脳はシナプスの刈り込みがうまく進んでいて「感情の枝が適切に発達している!」となるから「周りの人の気持ちを動かすことできて、お金の波を作れちゃう!」となるんですね。

 

青山ライフの「遺伝子のスイッチオフ」には、これらのシナプスの刈り込みが少ないことを踏まえて「唱えるだけでいいですよ!」としているんです。

 

貧乏性の脳から脱して、お金持ちの脳に変わるには、論理的に考えちゃう神経細胞が適切に刈り込まれて、そして「感情的な枝がどんどん伸びて来た〜!」となる必要がある気がしています。

 

東大の先生方の研究のグラフを見てみると8ヶ月で刈り込みがスタートして10歳で終わっている感じになっているから面白いです。

 

10歳で終わってしまうのだったら、大人になってからでは無理なのでは?と普通だったら考えるんですけど、そしたら「10歳まででお金持ちになれるかどうかが決まっちゃう!」ということになります。

 

でも、カウンセリングの中では「あ!貧乏性だった方がお金持ちの脳になっている!」というのをみるから「刈り込みって後からでもいけるのかも!」という確信があるから、あの「遺伝子のスイッチオフ」の本があります。

 

あの「遺伝子のスイッチオフ!」と「リミットレス!」の本にもしかしたらシナプスの刈り込みの奥義が隠されているような気がしているんです。

 

これが本当に面白い!!

 

(つづく)

 

 

 

 



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