2017/08/31

(事務方より)

FAP療法セミナー初級コースにたくさんの方にお申し込みいただきありがとうございます!

本日定員に達しましたので、本日以降ご希望される方は申し訳ございませんがキャンセル待ちとさせていただきます。

なお、仮申込の方でまだお振込されていらっしゃらない方は早急にお振込みくださいますようお願い致します。

仮申込の方でキャンセルをされる方は、インサイト・カウンセリング(03-3433-2721)までご連絡ください。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。


2017/08/31

今回「ずるい人」が周りからいなくなる本(青春出版社)の原稿を書いていて「あ!2・6・2の下の2割をみんな勘違いしているんんだ!」ということに気がついちゃいます。

 

2・6・2の下の2割は「働けない!」となって仕事をするストレスを請け負う側になってしまう、ということで貧乏くじを引かされてしまう不幸な人、というイメージがあります。

 

だから「もし、自分が下の2割から抜けちゃったら、他の人が不幸になるから嫌だ!」という高尚な方がいらっしゃるんです。

 

でも、下の2割って、会社の社長さんなんかがそうなんです。

 

働かないで「接待です!」と言いながら毎日ゴルフに行っていたりします。

 

会社の役員さんなんかも朝からオフィスで新聞読んで、それからオンラインの囲碁を一日中やっていたりします。

 

それから、何もしないのに人の業績を持って行ってしまう「ずるい人!」なんかもその2割だったりするんです。

 

原稿を書いていて「あ!私がせかせか働いてイライラしちゃうから、その私の脳に帯電した電気を受けて”ずるい人”というのが出来上がっちゃうのかも?」という気づきがありました。

 

ストレスを請け負う側が不幸か?といったら必ずしもそうじゃなくて、外から見たら「おいしい生活!」に浸っている人もたくさんいるんです。

 

ある意味で、2・6・2の働いているアリの美味しいところを働かないアリが全部持っていってしまう、というテイだったりするんです。

 

こういう人のストレスを請け負わされたり、搾取されたりする世の中の循環が嫌だから「その循環から抜け出しちゃおう!」というのが“解脱”でブッダが成し遂げた状態ですよね。

 

2・6・2のシステムから抜け出すのって意外と簡単で、全て捨てちゃえばいい!んですよね。

 

ブッダのように。

 

そして、“生”への執着も捨てちゃうと「ち〜ん!」と出来上がり!

 

「そんなの言うのは易し、行うのは難し」というダメ出しが頭に浮かんできます。

 

それも2・6・2のシステムからやってくるものだから「捨てちゃおう!」という感じで全てのダメ出しを切り捨てていくという単純な作業。

 

人からの批判、ダメ出しが脳のネットワークで伝わってきます。

一人になって、それを全て「いらない!必要ない!」と断ち切っていくと、やがて2・6・2の外に出ることができちゃいます。

 

やれたのはブッダとイエス、そして”ヨブ記”に出てくるヨブかな?

 

ブッダはマーラに邪魔されて、イエスは悪魔に試みられます。そして、ヨブは友達と奥さんからダメ出しをされて、不幸のどん底に陥れられようとしました(どのエピソードも圧巻ですよね!)。

 

私自身は「このシステム自体を何とかして日本を元気にしたい!」と思っているアホな子なのでいろんな可能性を探っています。

 

2・6・2のシステムの中で「ずるい!」と自分の座が人に取られるたびに嫉妬して、そして、自分自身がどんどん動けなくなっていきます。

 

ここで興味深いのは「ずるい!」と怒れば怒るほど、どんどん自分の周りにずるい人が増えていって、そして私はどんどん貧乏くじを引くことになります。

 

買い物で損をしたり、車をこすってしまったり、原稿で失敗して、そして腹痛を起こして苦しみます。

 

そして、私の周りでは、宝くじが当たった人が出て、高級車を何台も乗り回している人がいて、そして、努力していないのに本がバンバン売れているすごい人がいて「ずるい!」と悔しくなります。

 

単純に考えれば「ずるい!」と嫉妬をすることで脳に怒りが帯電して、判断力や決断力が鈍ってしまうから、買い物で失敗して、運転ミスを招いて、原稿も頓珍漢なことを書いちゃうんです。

 

「だったら怒らなければいい!」となるのですが「それができたら苦労しないだろ!」と私の中では不可能のように思えるんです。

 

だから「脳のネットワークで伝わってきている」という“外在化”が役に立ちます(外在化って原因を自分の中に設定しないで、外に設定すること)。

 

「この怒りは2・6・2で伝わってきていて自分のものではないんだ!」という外在化を使うことで「あ!本当に自分は怒っていないかも!」と思えて怒りの執着から簡単に解放されちゃったりするんです。

 

ここで鋭い人だったら「あれ?それってブッダやイエスもやっていたよね!」ということに気がついちゃいます。

 

ブッダの目の前に起こる恐怖の現象や誘惑は「全てマーラがやっている!」ってね!

 

イエスが荒野で低血糖状態や脱水状態で幻聴を聞いて幻覚を見ているときも「悪魔が試みをしている!」ってね!

 

脳のネットワークが本当に存在しているのかどうかなんて定かではないので、一般の人からしたら妄想でしかありません。でも、そんなことを言ったらマーラも悪魔も同じですよね!

 

マーラや悪魔は「脳のネットワークで伝わってきているなんて、ただ責任逃れをしているだけ!現実を見ようとしてないだけ!」と言うのかもしれません。

 

現代に合った脳のネットワークという外在化を使うことで、目の前の恐怖や不安が「全て脳のネットワークで伝わってきているもの!」と自分のものにしないことで、怒りや恐怖によって引き起こされる脳の過活動から解放されて、静かな脳の状態で世界を俯瞰してみることができるようになります(マーラや悪魔が時代遅れ、と言っているわけじゃありませんよ!)。

 

あの方々がやったように。

 

どんどん種明かしをしてしまっている〜!

 

なぜだ〜!

 

誰の脳がこんなことをさせるんだ〜!も〜!

 

あはは〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/08/30

「すげ〜!」の反対が「ずるい!」と考えると面白いですね。

 

「すげ〜!」の“尊敬”の反対が「ずるい!」で”嫉妬”になるわけです(ちなみに、尊敬の対義語は“軽蔑”や“侮辱”です)。

 

今回、この「ずるい!」の本を書いていて「へ〜!そうなっているんだ!」と感心しました。

これまで自然に「ずるい!」をやっていて、気がつかないことがたくさんあって、書いていて面白い発見が。

 

自分自身を振り返ってみて「ずるい!」と嫉妬をしているところがものすごく面白いんです。

 

子供の頃に「あの子!テストで100点取っていてずるい!」とわけのわからない嫉妬をしていました。

 

「これって、面白くないですか!」(それは、あんたの頭がでしょ!)。

 

今考えれば「だったら、勉強しろよ!」と思うのですが「ずるい!あんないい成績をとって!」と嫉妬をしながら勉強できなかったんですから。

 

「勉強ができない!」じゃなくて「勉強をしなかったんでしょ!」と多分当時の私を知る人から突っ込まれるのかもしれません。

 

私の中のこの「ずるい!」は「本来、私が取るべき良い成績をあいつが奪った!」というような感覚なんです。

 

「いや、いや、いや!ちゃんと勉強していないからでしょ!」と言われるのですが、私の中では「私の座るべき座を奪われた」という感覚が何処かにあるから「ずるい!」となっているんです。

 

クラスの中で可愛い子がいて「いいな〜!あの子!」と思っていると、女ったらしの男子が、その子にアプローチをしていて、いつの間にか手を繋いで歩いています。

そんな時に「ずるい!」となって「悔しい〜!」という感覚になるんです。

 

当時の私を知る人だったら「あんたみたいに勉強できないダメダメっ子があんな可愛い子に振り向いてもらえるわけがないじゃない!」と言われてしまいます。

 

本来はあの子の横で手を繋いでいるのは私のはずなのに「あいつに奪われた!ずるい!」というテイにどこかなっている感覚があるんです。

 

これを人は「妄想」と処理をしてしまいます。

 

想像の中で「あの子と仲良く手を繋げたらいいな〜!」という想像が膨らみすぎてしまって、まるで、それが現実のような錯覚を起こしてしまって「私のあの子を奪った!ずるい!」という感覚なんだ、ということ。

それが妄想になります(妄想=根拠がない想像)。

 

でも、ちょっと戻って100点を取ったやつに「ずるい!」となるのはなぜ?

 

それも妄想?

 

これをアリの世界の2・6・2で考えてみると「ずるい!」の嫉妬の構造が楽しくなってきます。

 

これまでに出版された本の中にもたくさん書いていますが、アリは巣に100匹いたとしたら働くアリは20匹しかいません。そのほかの60匹は働いているフリをして、その下の20匹は全く働いていないんです。

 

だったら働いているアリを集めてきて100匹の優秀なコロニーを作ろう!としても、必ず2・6・2になってしまって「やっぱり働いているアリは20匹しかいない!」となるんです(私はこのありの実験を実際にやったわけじゃないので社会学者の説を信じるしかないのですが、会社で働いているときは必ずそうなっていました。働ける人が倒れると、あ!あんなに働かなかった人が働くようになった!ってシフトチェンジ!が起きちゃうんです)。

 

私の説では、アリの世界でも脳のネットワークがあって、働くアリのストレスを働かないアリが処理をしている、という感じ。

だから、動かないアリは「何もしていないのにストレスがどんどん溜まるんですけど!」となるわけです。

 

そこで100点のテストの私の事例に戻ってみると「ずるい!」というのは、100点を取ったあいつは「トップ2割に居座っているから、私が下の2割にならされてずるい!」となってしまうんですね。

 

モテモテのトップ2割の座をあいつが奪ったから「ダサダサの座が私に押し付けられた!ずるい!」となっている、という話です。

 

こうして考えるとあの「持っているものはますます豊かになり、持っていないものは持っているものまで奪われる」というマタイの法則が見事に当てはまります。

 

「ずるい!」というのは、妄想なんかじゃなくて現実なんです(私の説では)。

 

でも、真ん中の働いているフリをしている6割の人たちにとっては、そんなことは無縁ですから「そんなの妄想やろ!」となります。

 

請け負わされている感が全くなくて淡々と生きているわけですから。

 

ここでの問題は、実際に貧乏くじを引かされたから「ずるい!」となるのか、それとも「ずるい!」と言うから下の2割の落ちていくのか?

 

そこが問題です。

 

(つづく)

 

 

 

 

 


2017/08/29

カウンセリングに8歳のお師匠様がいらっしゃると、ワクワクします。

 

別に8歳の師匠から何を得られるかな?なんて期待するわけじゃなくて、ただ、心が踊る感じ。

 

8歳の師匠が夏休み中に「夢を見たんです!それも楽しい!」と夢の詳細をお話しくださったら「あ!それ!私のことやん!」とびっくり(ちょっと内容はここで書けませんけど。あはは!)。

 

8歳のお師匠様は「他にも嫌な夢を見たんです!それはずるい動物が出てくるんです!」とおっしゃった。

 

列に並んでいたら、横入りをしたり、人のものを横取りして「ずるい!」と夢の中でなっていたんです、と教えてくださった。

 

「え〜と!師匠!それって私が最近まで書いていた本の内容そのままなんですけど!!」(もちろんまだ未公開です)

 

編集者さんからいただいた本の表紙のサンプルを8歳のお師匠様にお見せしたら「お〜!」とおっしゃっていましたが、お師匠様はあまり感動はしていませんでした。

 

一方の私は「鳥肌!鳥肌!」ってなっていて「すげ〜!師匠!」とびっくりするんです。

 

本の表紙のサンプルには、ずるい動物の絵が書いてあります(ひえ〜!師匠の夢のままやんけ!)。

 

脳と脳のネットワークって本当にあるんだな〜!と思える瞬間。

 

この「あ!本当に脳と脳はつながっているんだ!」と感じる瞬間って、私の場合、一つだけポイントがあります。

 

それは「リスペクト」です。

 

相手のことを「〇〇さんってすげ〜!」と尊敬すると脳と脳のネットワークはつながっている、って実感できる瞬間がでてきます。

 

普通の人は「そんな脳のネットワークなんてアホなことを言って!そんなの思い込みだ!」とおっしゃる方がたくさんいます。

 

「そりゃそうでしょ!」と思うんです。人をこれほど尊敬するっていう機会ってなかなか普通の人にはありませんからね!

 

ずっと弱者でいて、悩んで、苦しんで、壁にぶち当たって「自分ではどうすることもできない!」と泣き暮らしてきました。

 

「自分ではどうすることもできない!」

 

「自分は何もできない!」とどん底に至った時に「この人すげ〜!」と心からある人のことが尊敬できます。

 

その時に「あ!奇跡が起きた!」となるのは奇跡じゃなくて、すげ〜!人と脳がつながって、その人の真似ができちゃうから。

 

なんだか、その尊敬した時に、単に脳の反応レベルで真似をしているだけじゃなくて、遺伝子レベルで真似が起きる気がしているんですよね。

 

この間サーフィンに行った時も、サーファー達は「ここがいい波のポイントかもしれない!」と波を見ています。

 

でも、私は「あの人すげ〜!」という人を探して、少しでもその方の近くにポジションを取ります。

 

その“すげ〜!方”を見ていて「あんな波でも乗れちゃうんだ!すげ〜!」と感動していると、不思議と波に乗るタイミングがその方と同じようにできちゃいます。

 

自分で波に乗っていて「お〜!すげ〜!」と思うのですが「これは私の実力じゃない!」ということも知っているから、ひたすら“すげ〜!方”の後をついていきます。

 

この前の海は潮の流れが早かったので、あっという間に北から南に流されてしまうので、すげ〜!サーファーの方は、常に移動をしています。私もその後をストーカーのようについていきます(結局1時間で5kmぐらい海の中を移動していました)。

 

後をついていきながら「これって、ストーカーだよな!」と思いながらも「だって!すげ〜!んだもん!」と「やめられない!止まらない!」と頭の中で嬉しそうに歌っていました(完全に海の雑菌でアホになっています!)。

 

「すげ〜!」と言いながら脳のネットワークでつながって、相手の技術を使って楽しむこの喜び。

 

ジョギングするときはいつもこれを使って走る技術を拝借していたのですが、サーフィンでも使っている自分がいて「やっぱり、自分はずるいよな!」と思いながらも「やめられない!とまらない!」と歌ってしまうんです(あはは〜!)。

 

8歳のお師匠様にも「すげ〜!」でつながって、私は師匠の脳を使って文章を書いていきます。

 

リスペクトでつながって、自分自身が変わってしまう恐怖が自分の何処かにあることも私は感じることができます。

 

そう!これまで苦しんで培ってきたものを失ってしまう怖さを感じるんです。

 

でも、そんな怖さよりも、こうして感じられるみんなとの一体感の方が優っていることに気づいたんです、

 

8歳にお師匠様につながっていたら。

 

 


2017/08/28

「人と対等になって自由に生きられるようになりたい!」とずっと思っていました。

 

“対等になって”というのは「他の人と同じように人並みの幸せを感じられるようになって、人目を気にしないで生きられるようになりたい」っていう感覚。

 

周りの人と比べると、いつも私はどうでもいいことで怒ったり怖がってチャンスを逃し、みんなが簡単に手に入れられている”幸せ”を手に入れることができない、という感覚があります。

 

いつも、人目を気にして怯えていたり、怒って、人と「対等」という感覚を味わったことがなく「自分は周りの人と比べてだめだ!」という劣等感でいっぱいで「なんでもっとちゃんと努力をしないんだ!」と常に自分にダメ出しをしていました。

 

ダメ出しをすればするほど「片付けができない!」、「勉強することができない」、「運動しなきゃいけないのにそれもできない」となります。「やらなきゃ!」と思えば思うほど、不思議と体が動かなくなり「やろうとしていつもやらないダメな自分」となってしまっていました。

 

みんなはちゃんと片付けて綺麗にしているのに、自分はできない。

 

みんな勉強をしているのに、自分はいつまでたってもちゃんと勉強しないで、同じところをぐるぐる回っている。

 

みんな運動して健康的な生活を送っているのに「しなきゃ!」と言いながら言い訳ばかりしてやろうとしない。

 

どんどん自分が惨めで汚い存在に思えて醜くなっていく感覚がありました。

 

でも、どうすることもできませんでした。

 

なぜ、できなくなるのか?

 

このメカニズムがちょっと面白いんです。

 

この「片付けられない」、「勉強できない」、「運動もしなきゃいけないのにやれない」というのがコンプレックス(劣等感)だとします。

 

すると、私の中では「これを見られたらみんなから馬鹿にされて蔑まれる!」ということで「隠さなきゃ!」というのが自動的に働いちゃいます。

 

私の中のコンプレックスを周りの人に悟られないように「まともな人を演じなきゃ!」となるわけです。

 

ここが問題で「まともな人!」を演じれば演じるほど、周囲の人は、そんな私を見て”嫉妬の発作”を起こして「ビビビッ!」となります。

 

「何この人、すかした態度をして!(すかした態度とは、気取った態度とかキザな態度、などと同じ)」と批判されちゃいます。

 

人って陰口を叩かれていても、精神的なダメージを受けます。

 

「”悪口を言われている気がする”というのは私の被害妄想なのかな?」と疑ったりするのですが、“嫉妬の発作”が起きている時って、脳のネットワークを通じて「電気ショック!」が伝わってくるので、本当に”痛い!”んです。

 

まともな人を演じれば演じるほど嫉妬されて、その人たちから「電気ショック!」の攻撃がやってくる。

 

すると、無意識の中で「まともになればなるほど痛い目にあう」という”恐怖”が植えつけられてしまいます。

 

学習性無力症の実験で「自由になろう!」と思って外に出ようとしたら「ビビビッ!」で電気ショックを受けちゃった犬のように「自由を求めて動いたら電気ショックがやってくる!」となって「ち〜ん!」となってしまうんです(「ち〜ん!」って無力状態のことです)。

 

「片付けよう!」と思う時に「ビビビッ!」の周囲の嫉妬の電気ショックが思い出されちゃって「ち〜ん!」となる。

 

「勉強をしよう!」とか「運動をしよう!」と思うと「気が重い!」となるのは、勉強が億劫なんじゃなくて、電気ショックが面倒臭いだけ。

 

でも、意識の中では「自分がまともじゃないから人から批判される!」となってしまいます。

 

だから「まともにならなければ!」と思って、まともな人を演じれば演じるほど「ビビビッ!」とショックを受けて、という悪循環。

 

私の「大人にならなきゃ!」というのは完全に間違っていた、ということになるんです。

 

「みんな子供なんだ!」という認識を持った時に「自分以外の何かにならなきゃ!」という演じる努力が必要なくなります。

 

演じなければ嫉妬される必要もなく「ありのままの自分」でいることができて「あ!自分のしたいことが自由にできる!」と。

 

自分のしたいことをしたってもう嫉妬を恐れる必要がなくなります。

 

なぜなら「みんな子供」だから。

 

大人が「あいつ生意気!潰してやれ!」と思っている、とずっと恐れてきました。

 

いや!違っていたんです。

 

「いいな〜!それ!」って子供が羨ましがっている姿がそこにあります。

 

「いいでしょ!これ!」

 

子供同士だったら無邪気に自慢している自分がいます。

 

「みんな子供なんだ!」

 

ただ、子供が羨ましがっていだけ。

 

そんなことを感じながら自由になっていくんです。

 

「みんな子供なんだ!」と認識するだけで十分だったんです。

 

アマゾンで「小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ」(PHP研究所)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

本当の自己への回帰方法、と書いてくださってありがとうございます。「え〜と、レビューが凄すぎます!」。なんじゃ〜!こりゃ〜!とびっくり。こんなすごい人と私の脳はつながっているのね!とちょっとうれしくなります。だから、次から次へと新しい展開が見えてきて、自分がどんどん変化して自由になっているんだ!と改めて納得しました。こうしてつながってくださる皆さんとどんどん変化して自由になっていく喜びを感じています。本当にありがとうございます。

 

アマゾンで「ちいさなことにイライラしなくなる本」(マガジンハウス)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

お勧めできますね!と書いてくださってありがとうございます。「今一番具体的で実践的な本かもしれません」と書いてくださったのはとっても嬉しいです。ちょいワル編集者の仕業です。脳のこととかも「私は専門家じゃないから!」と書く気は全くなかったのですがちょいワル編集者からの「質問です!」に答えていたら「え?脳のこと、あのまま載せちゃうの?」とびっくり。でも、あれがあったから「説得力がある」と書いていただけて「びっくり!」となります。正の怒りと負の怒りも、ちょいワル編集者からの無茶ぶりで書いていて、私は目からうろこでしたから。絞っていただいたポイントがものすごくてびっくりします。書いてくださってありがとうございます。

 

レビューを書いているときの邪魔がすごい、と書いてくださってありがとうございます。ここが編集者さんの脳を使って書く醍醐味なんです。私では届けられないところに届けられるような気がしています。そして、読んでくださって共感してくださった方々とネットワークがつながって、皆さんとのネットワークがさらに広がって可能性も広がっていくような気がしているんです。これからが楽しみですね。いつも応援してくださってありがとうございます。

 

ポプラ林の中の二人、と書いてくださってありがとうございます。「一般向けの本の出版のお祝いに思い出の地から来日」と書いてくださったのは本当にうれしいです。何だか本当に不思議ですよね!あの絵には本当に救われました。見た時は「誰が作者なの?」って本気でわかりませんでしたから。見て!、聞いて!、そして感じて!で楽しくなっていきまね。あの絵から何が聞こえてくるのだろう?いつも応援してくださってありがとうございます。

 

アマゾンで「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法(すばる舎)にもレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

自分に自信を持って、と書いてくださってありがとうございます。一言でめちゃくちゃ的確にポイントをついてくださって「凄い!」です!!本当に私たちが感じて考えている全ては他者からの視点なんですよね。「心よ!」と自分の視点にシフトしてみる、というのは素晴らしいです。他人からの決めつけ、が暗示となりますね。そこから、自由になる、って素晴らしいです。本当に感謝です。いつも助けてくださってありがとうございます!!感謝です!

 


2017/08/26

私が赤ん坊の頃に撮った一枚の写真がありました。

 

祖父の教会の庭で、母親が私を抱きかかえていて、アメリカ人の宣教師の老婦人が私のそばに笑顔で立っています。

 

この時のエピソードを祖父は嬉しそうに語ります。

 

宣教師が私の顔を見て「この子の顔が欲しい!」とおかしな日本語のイントネーションで言った!というのです。

 

それぐらい可愛い顔をした子どもであった、というエピソードだと思うのですが、私はこれをきっかけに「自分の顔は醜い!」と思うようになった、という感覚があります。

 

本当に「自分は醜い」と思っていて、そして「誰からも相手にされなくて忌み嫌われるような容姿をしている」とずっと思っていたので、人の顔をまともに見るのが怖いんです。

 

写真を撮ると「私は醜い」というのが顕著に出てしまって、顔が硬直するので「ますます醜く写ってまうやろ!」となります。

 

「私は醜い!」と思う時に、フッとあの宣教師が赤ん坊の私に対して言った言葉を思い出すんです。 

 

これまで「なんであの場面を繰り返し思い出すんだろう?」と色々自分なりに仮説を立てていました。

 

みんなに醜い、と思われていて苦しいから「一人でも私の顔を気に入ってくれた人がいた」と救いを求めたいから思い出す、というのが、一番わかりやすい説なのかもしれません。

 

でも、それを思ったところで「私は醜い!」という感覚は変わりませんでした。

 

最近になって「あ!あれって私を抱きかかえていた母の嫉妬の発作を受けちゃって“醜い”と思うきっかけになったから思い出すのかも!」と思ったら、私の中の全てのパズルが綺麗にはまって腑に落ちたんです。

 

あの微笑ましい写真に写っている母親は、姑からいじめられていました。姑が電車で2時間離れた家までわざわざやってきて、玄関に立って、玄関のドアのさんについた埃を指でなぞって、母の顔の前で「ふっ!」と指についた埃を吹いて何も言わずに帰っていき、母はそこで泣き崩れます。

 

父親は義理兄に騙されて、知らないうちにヤミ金に借金をさせられて会社の経営に行き詰まってしまいます。そして、家にはお金がなく、母は私を家に置いて、親戚の家に頭を下げてお米を借りにいきます。

 

容姿が端麗であった母は大手の企業で工場長秘書になっていて、いろんな出世頭の男性からアプローチを受けて迷いつつも、「クリスチャンになったら結婚できる」という話をまともに受けて祖父の教会にやってきてしまう猪突猛進の父と結婚してしまいます。

 

あの時に他の男性を選んでいたらこんな目に遭っていなかったのに、という母の後悔は、その写真には写っていません。

 

そんな大変な状況にある20代後半の女性に「この子の顔が欲しい!」と言ったって「イラっ!」としかなりませんよね!と今となったら理解できます。

 

ストレスで帯電した母の脳は、嫉妬の発作が起きやすくなっていて「ビビビッ!」と電気発作が起きて、赤ん坊の私にショックを与えます。容姿のことに注目が向けば「ビビビッ!」と電気ショックが与えられてしまうので、私はそれが恐怖になり「私は醜い」と思って実際にそうなることで「電気ショックを避ける」という状態になっていたのかも?と今では思うんです。

 

一般の人がこれを読んだら「母親の愛があるからそんなことが起きるわけがない!」となります。

「どんな状況でも子供を愛しているはず!子供のことを第一に考えているはず!」って。

 

おっしゃる通り、嫉妬の発作が起きていても「子供のことを第一に考えている」という体でいられます。

 

単純に母親は容姿端麗だったのだから「容姿で生きたら父親のような大変な人間に引っかかってしまって苦労する!」というのがあるから「この子は決して可愛くない!」と育てないと大変なことになる、という思考パターンが出来上がります。

 

「可愛い!」と思い上がっていたら大変なことになる!というのが「子供への愛!」になりますが、それは嫉妬の発作で歪められた思考ですから!となるんです。

 

でも、ストレス状態がマックスだから自分ではどうすることもできないです。

 

外に行って「いい子ですね〜!」と私が褒められると、賢い母親はその場では笑顔で答えますが、私にはその瞬間に「ビビビッ!」というショックが母から飛んできます。「この子って全然勉強をしないんですよ!」という母の思考が飛んできて「僕は全然勉強しないからいい子なんかじゃない!嘘つきなんだ!」となるんです。実際に家に帰ってから「あんたはちっとも勉強しない!」と怒鳴りつけられて天国と地獄。「いい子ですね!」と褒められて”天国”の気分の後は、必ず怒鳴りつけられる”地獄”が待っている、というパターンでした。

 

なんでこんなことを書いているかというと「弱者である」という思い込みを簡単に捨てる方法を見つけちゃったからなんです。

 

「みんな、子供なんだ!」という認識になれば「自分は弱者!」という感覚から解放されるんだ、ということを教わってしまいました。

 

私は「母親が立派なクリスチャンで常に正しい大人である」とずっと思ってきました。

そして、私はいつまでも成長できない醜い子供である、という認識がいつまでもぬぐえません。

醜い嫉妬深い子供で、常に「ずるい!」と人のことを怒っていて、怒りが止まらないです。

 

何か簡単にこの幼いまま成長が止まってしまった精神状態が変わる方法があるはず!とずっと思ってきたんです。

 

「どこか大人になれない!」という感覚が簡単に一瞬で変わる、という方法があって、それは難行苦行は一切必要ないのでは?と考えていました。

 

私は人から「大人になれよ!」と言われてきました。

 

その度に「どんなに努力をしても大人になれない自分がいる」と落ち込んでいました。

 

大人の思考をして「まあ、いいじゃないか!」と相手を許そうとすると、心の奥底で許せていない醜い部分があって、そこだけが自分の中でハイライトされてしまって「やっぱり中身はちっとも大人じゃない!」となっていたんです。

 

「大人になる!」というのに矛盾を感じていました。

 

逆に「みんなが子供」という認識を持った時に「あ!自分は大人じゃん!」と自然と感じられた不思議な感覚。

 

「なるほど!」

 

「これなんだ!」とちょっと感動。

 

有名な本の中に「義人(正しい人)はいない、ひとりもいない」と書いてあります。

 

それをもじって「大人はいない、ひとりもいない」と教えていただいた時に「あ!」となったんです。

 

パズルのピースがはまった瞬間の気持ちよさを感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/08/25

「人からの嫉妬から解放されれば自由になるかも!」と思って「どうしたら嫉妬から解放されるんだろう?」と一生懸命に考えていました。

 

そして、昨日、書き終えた原稿の編集作業をしていたら「あれ?嫉妬のことが書いてある!」とちょっとびっくりします。

 

そして「あれ?嫉妬から解放されて自由に生きる方法がちゃんとここに書いてあるじゃん!」とまるで他人の原稿を読んでいるかのように感心します。

 

すっかり忘れていたんです。

何を書いたか。

ちゃんと方法まで書いていたのに、頭から抜けていたってちょっと重症じゃありません?!

 

本当に気分的には、他人の原稿を読んでいるような感じでしたからね。

 

「へ〜!こんな方法があるんだ!」とか「あ!このやり方いいじゃん!いただき!」なんてことを思いながら、自分の原稿を読んでいる自分が情けない(あはは〜!)。

 

本当に編集者の人の脳を使って書いているんですよね。

 

興味深かったのが、ある編集者の方が、原稿を読んでいるうちに変わってきちゃって「あ!人間関係が変わってきた!」という体験をします。

 

その体験がとっても興味深かったので原稿に書いたのですが、2ヶ月前に書いた他の原稿をチェックしていたら「あれ?あの編集者さんが体験したこととまったく同じことがここにも書いてある!」とちょっとびっくり!!

 

その編集者さんから体験談を聞く前に書いた原稿に、全く体験談と同じケースが書いてあって「あ!違う本で同じケースが重なっちゃった!」となりました(デジャヴ〜!)。

 

編集者さんから体験談を聞いた時は「お〜!興味深い体験だ!」とまるで初めて聞いたような感覚だったのに、すでに違う原稿で書いていたって、本当に重症ですね(記憶喪失じゃ〜!)。

 

でも、同じようなケースでもアプローチの仕方は全く違います。

 

催眠のお師匠さんからあるとき「ここからニューヨークまで行くのに何通りの行き方があります?」と質問された時に、私は「う〜ん?」と真面目に考えてしまいました。

 

「飛行機か船」だから「二通り?」と思っていたら、お師匠さんは「無限なんですよ!」とおっしゃった。

 

そう!「箱根の温泉に寄ってからニューヨークに行ったっていいんだし」、「エジプトのピラミットを見学してからニューヨークだってあり」なんですよね。

 

そうなんです。意識では限界があるけど、無意識さんの世界ではなんでも可能性は無限。

 

アルファであり、オメガである、という具合なです。

 

だいぶ、余談が長くなってしまいましたが、昨日の続きで「弱者じゃない!」という自覚を持つ、という話。

 

「私自身も最近まで“自分は弱者”だと本気で思っていたんです!」というお話をした時に「え〜?嘘!」というリアクションが返ってきます。

 

本当なんですって!

 

だから、怒りが止まらないことがあったんですって!

 

そしたら「先生も本当にみんなと一緒に回復して行っているんですね!」と驚かれました。

 

だから、本にもここでも、ちゃんと私自身のことを書いているじゃないですか!!

 

ここで読んでくださっている多くの人が「自分の方が弱者だ!」という感覚があるから「嘘だ〜!”自分が弱者だ!”なんって言って!」と思ってしまうんです。

 

優越の錯覚がある一般人の方は、この「私は弱者だ」と読んだら「こいつ情けね〜!バッカじゃねえの!」という反応になるんですよね。多分、一連のことが理解できないと思うんです。

 

この“弱者である”という錯覚から解放されたら、嫉妬から解放されてものすごく自由になります。

 

だから「自尊心を高める方法」とかをカウンセラーが書いていたりするんですね〜!(いまさらかい!)

 

「自己肯定感を高める」なんていうことを中心に置いたカウンセリングなんかもたくさんありますね。

 

私の場合、トラウマ(心の傷)を治療することが大切、と思っていたので、それが癒されてくると自己肯定感や自尊心は自動的に高くなるのかな?と思っていました。

 

実際に、心の傷から回復して行った方は、自尊心が高くなって、飛び立っていきます。

 

自由に飛んで行く姿を私は、下から見ていて「羨ましいな〜!」って本気で思っているから興味深いんです。

 

かと言って、私が「自尊心を高める方法」や「自己肯定感を高める方法」などを使っても「表面的には変わるけど、根底の部分は変わらんだろうな!」というのがわかるんです(色々、試して見たからなんですけどね!きゃ〜!恥ずかし〜!)。

 

「弱者である」という感覚は、これまでの手法を使っても拭うことができなかったんです(多分、私だけなんでしょうけどね)。

 

(つづく)

 

アマゾンの「すぐ不安になってしまう」が一瞬で消える方法(すばる舎)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

他人に馬鹿にされてる、と感じる心理がわかった、と書いてくださってありがとうございます。おっしゃる通り「破壊されてしまった自尊心に聞く呪文」は必要だと思います。さすが先ゆく方ですね。嫉妬のこともこれから詳しく書いていきたいと思っております。嫉妬が出ている時にお金持ちの呪文はさすがです。使っていただけていて本当にうれしいです。これからもがんばって書いていきます。書いてくださって本当にありがとうございます。

 

アマゾンで「ちいさなことにイライラしなくなる本」(マガジンハウス)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

事態を言葉で把握できた、と書いてくださってありがとうございます。怒りの解説と呪文で、楽になった、というのを読んでちょっとうれしくなってしまいました。「自分とシチュエーションが違っていても」というフォローはありがたいです。「自分とは違う」とするよりも「あるかもしれない」と引き寄せた方が有効に使えますからね。素晴らしいです。学校の「平等」の教育の話は勉強になります。視点が素晴らしいです。読んでいて、めちゃくちゃうれしかったです。いつも応援してくださってありがとうございます。

 

ごまかすために怒っていた、と書いてくださってありがとうございます。「怒り発見器」を使ってくださる人のフィードバックがうれしいです。そして「腹が立つことがダミー」と気が付けるようになった、はうれしいです。本当に使ってみると面白いですよね。指じゃなくて前頭筋の筋反射、というところも面白いです。アリだと思います。お師匠さんの催眠では多分そっちの方が「無意識さん!」らしいかもしれません。“嫉妬”の話を読んでから、人の認識がトイレのマークから人間に変わった、ってすごいです!!「将来の不安も、嫉妬されることが怖いからイメージできない」って心が教えてくれた、って「さすが心!」と思いました。ものすごく読んでいてうれしかったです。いお礼つも応援してくださってありがとうございます。

 

 

いつも助けてくださってありがとうございます。

 

本当に助かっています。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼お礼

 

 


2017/08/24

9月17日(日)の

大嶋信頼 すばる舎新刊発売記念トークショー


人間関係の悩みから解放! 他人に振り回されずにリミットレスに生きる!

 

皆さんのおかげで満席になりました!!

 

申し込んでくださってありがとうございます!!

 

皆さんとお会いできるのを楽しみにしておりますヤッタv


2017/08/24

今回、原稿を書いていて「ずるい!」と人に対する怒りが止まらな〜い!」と苦しんでいた時期がありました。

 

「あの人、僕よりも先を進んでいて、ずるい!」とか「なんで、あの人は交通ルールを守らないんだ!」や「どうして、僕ばっかり調子が悪いんだ!」なんて怒りがたくさん出てきちゃいます。

 

原稿のネタを探して怒っていたら、その怒りに飲み込まれて、怒りが止まらなくなってしまって、その怒りが周りの人に伝わっておかしな行動をさせちゃうんです。

 

カウンセリングの中で「先生!怨念(おんねん)ってあるんですか?」とクライアントさんに聞かれます(この場合の怨念って、深く刻まれた恨みが呪いみたいな感じで身体的、精神的に影響を及ぼすことだと思います)。

 

「え〜?それを私に聞く?」

 

なぜなら、職場の同僚の恨みのような不快感を職場にいると常にその方は感じていたんです。

そして「それって嫉妬なんだ!」ということがわかったら、その同僚と会話をしていて何気なく相手を褒めることができちゃったんです。

 

そしたら「あれ?憑き物が取れたみたいに身体が軽くなった!」とびっくり!

 

あまりにも楽になってしまったので「何?私って、あの同僚に呪いかなんかかけられていたの?」とちょっと怖くなります。

 

「何が起きたの?」と興味が湧きます。

 

その方は、誰に対しても謙虚な態度で仕事をしていて、仕事もバリバリやっていました。

すると、同僚が「コソコソ!」と影でその方の悪口を言ったり、仕事でわざとミスをする、というようなことをやって足を引っ張るようなことをやってくるんです。

 

その同僚はいつも仕事をサボっていて、仲間とつるんで人の噂話ばかりしています。だから「何あの人!」といつもイライラさせられていたんです。だから、その同僚のせいで「仕事に行くのが億劫だ!」となっていて「あいつの顔も見るのが嫌!」と気分が悪くなっていました。

 

嫉妬の発作って「自分の方が立場が上のはずなのに、相手の方が優れている」という条件でおきます(後は嫉妬の発作の遺伝子も必要かも!)。

 

その方が誰に対しても“謙虚な態度”をするために「私の方が立場が上!」とアホな同僚は勘違いをしてしまいます(実るほど頭を垂れる稲穂かな)。

 

でも、仕事は全然同僚よりもできてしまうので「ビビビッ!」って発作を起こして「何よ!あの人!」となってしまうんです。

 

嫉妬の発作を起こしているときは、能面のような顔になっておかしな行動をとります。

「仕事をちゃんとやらなきゃ!」と思っているのに発作時はそれができなくなり「やってられないよ!」と投げやりな感じになるんです。子供がいじけちゃっているあの状態が、それに近いのかな?

 

それを見て「仕事をちゃんとしないで、ずるい!」とこちらが発作を起こしている同僚に対して怒れば怒るほど、相手の発作が酷くなり、という悪循環に陥っちゃうんです。

 

嫉妬の発作を止める方法は「私は弱者じゃないんだ!」って気づくこと。

 

こちら側の怒りが止まらない、ということは「相手の嫉妬が止まっていない!」という可能性があります。

 

でも「私の方が立場が上なのに!」という相手の中の矛盾を解消してあげると嫉妬の発作は簡単に消えちゃいます。

 

その方の場合「あ!私は弱者だと思っていたけど、相手にとっては私は強者だったんだ!」ということに気がつきました。

 

そしたら「同僚は仕事をサボっている、と思ったけど、能力的に私よりも低くて仕事ができなかっただけだったんだ!」ということがちゃんと見えてきたんです。

 

すると「よく頑張っているんだね!」と自然と子供を褒めるように褒めてあげることができました。

その瞬間に同僚の中の「私の方が立場が上!」という錯覚が解消されて「あれ!発作が消えた!」となるんです。

 

同僚の中の”嫉妬”が解消されると「あれ?憑き物が取れたように楽になった!」となります。

 

“嫉妬”って多くの人が「羨望(うらやましい〜!)」と勘違いしていますが、実は本来は嫉妬と羨望は違います。

 

”嫉妬”の方は「何かを失う不安や恐れ」が根底にあります。

例えば「彼氏を取られる不安」というのは”嫉妬”で一般的。

「地位が奪われるかもしれない恐れ」なんていうのも嫉妬の対象です。

「あの人に人気を奪われるかも?」なんていう不安も嫉妬になってしまいます。

 

どちらかというと嫉妬は「恐怖」が元になっていますから、小型犬が大型犬に「キャン!キャン!」と吠えているような感じになります。

 

でも、小型犬は「自分は小型犬だぞ!」という自覚が全くなくて「自分は相手と同じ大型犬なのに!」と吠えているから面白い。

 

そして、こちらは大型犬なのに「自分も相手と同じ小型犬」と思っていたら、キャンキャン吠えてくる小型犬に対して、対等に「グルグルグル〜!」と威嚇してしまいます。すると、小型犬はますます「自分の縄張りや地位が奪われる!」という”恐怖”が増幅するので「キャン!キャン!」と吠えまくる、という厄介な現象が起きちゃうんです。

 

犬を観察していると勉強になります。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/08/23

芸能人の人で「この人かっこいいな!光っているな!」と思っていると、芸能ニュースで「あ!あの人、大変なことになっている!」となります。

 

「せっかく、いいものを持っていたのに、あーあ!潰されちゃった!」とがっかり。

 

表面だけ見れば、売れてきて傲慢になってきたから「遊んじゃおう!有名人だから何をやってもいいんだぞ!」という感じになっていて「モテモテじゃん!」という勘違いが生じて「パシャ!」と写真を撮られちゃって「アウト〜!」となります。

芸能ニュースで商売をしている人たちは、狙っている芸能人が売れていれば売れているほど、そのスキャンダルが「お金になる〜!」となるから張り込んで「スクープゲット!」という単純な話。

 

私が興味があるのが「あれだけ光っていたのに!」と輝いていたあの人の光が奪われてしまう、という現象。

 

浮気でスキャンダルを起こしたんだから、当たり前でしょ!というのが世の中の反応なのですが、私としたら、その浮気って“嫉妬の発作”が原因していて、ほぼ病気であって自分ではコントロールできないもの。

 

前にもちょっと書きましたが、子役の女優さんが輝く笑顔で番組に出演していたのに、その子よりも知能は落ちるけど、同い年の演技が抜群に上手い子がその場にやってきたら「ビビビッ!」って“嫉妬の発作”が起きちゃって「あ!能面のような顔になっちゃった!」と輝きを一瞬にして失ってしまいました。

 

あれだけ、それまで頑張って輝いていたのに、あの瞬間「あ!あの子、性格が悪い子なんだ!ふてくされちゃうんだもん!」と勘違いされて落とされちゃいます。

 

違うんです!嫉妬の発作なんですって!自分ではコントロールすることが難しいんですって!

 

「もしかしたら、輝きを失う瞬間って、嫉妬の発作が関わっているかもしれない!」って推理するんです。

 

「嫉妬の発作がなかったら輝き続けられるかもしれないじゃないですか!」

 

多分、この“嫉妬の遺伝子”を持っていると、逆に人の嫉妬の発作を敏感に感じ取れちゃいます。

 

人からの嫉妬の発作って電気ショックのようなもの。

私は子供の頃に「コンセントに指を突っ込んじゃダメですよ!」と母親から「しちゃダメですよー!」と言われたら「それは振りですからね!」という芸人さん的な振りを受けて「じゃあ!やっちゃいますか!」とピンセットを突っ込んで「ビビビッ!」と感電して「本当に死ぬかと思った!」とショックを受けます。

 

恥ずかしい話、それから、コンセントにプラグをさすのが怖くなってしまったんです(ヒィ〜!)。

 

人からの嫉妬の発作って、電気ショックみたいだから「コンセントにさすのが怖い!」という感じになって「能力が思うように発揮するのが怖い!」となります。

 

ある女性は、母親からの嫉妬が怖くて「勉強するのが嫌!」となります。

だって「勉強しなさい!」と母親は言っているのに、勉強をし始めたら「ビビビッ!」って能面のような顔になって、母親の脳から電気ショックが飛んでくるんですから。

 

「勉強しなさい!」と言いながら「私の時なんて思うように勉強ができなかったんだから!なんで人に言われて勉強なんかしているの!」と嫉妬の発作でショックを与えられちゃうと、子供は混乱してしまいます。

「やりなさい!」と言われてやったら電気ショックを与えられる、ということを繰り返しているうちに「チ〜ん!」と学習性無力症で動けなくなります。

 

見事に「勉強ができない」子供が出来上がってしまうんです。

 

嫉妬の発作で輝くはずの子供が光を失っていく瞬間。

 

だから、逆に、嫉妬の発作がなくなったら、みんな輝きを失うことなく輝き続けられるのかも!って思うんです。

 

みんなで一緒に輝き続けられる、という世界が開けるのかも!という希望がそこにあるんです。

 

(つづく)

 

 

 

 

 



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