2016/06/29

ある方が「心に未来のことってあまり聞かない方がいいんですね!」とさわやかな顔をして教えてくださった。

 

テストの前に「心よ!私は良い点数が取れるの?」と聞いたんです。

 

そしたら”心”が「取れるよ!」と言ってくれたから安心しちゃったんです。

 

安心しちゃったら、何だか勉強する気が起きなくなって、テストの直前になって「やばい!全然勉強していなかった〜!」と大変なことになってしまったんです。

 

「心よ!全然違うじゃん!」と思ったのですが、未来のことを知った段階で未来が変わってしまうんだな!って気が付いたんです(お〜!すげ〜!)。

 

”心に聞く”がインチキじゃんか!というクレームの話だと思ったら、ものすごい深い話をしてくださった。

 

多分、一度目に心に「心よ!私は良い点数が取れるの?」と聞いた時と2回目に聞いた時は答えが違ってくる。

 

それは、未来の結果を知ってしまったらその後の行動が変わるから。

 

確かに「良い点数が取れるよ!」と言われたら、私も安心しちゃって勉強しない(あるある!同じ経験が!)。

 

小学生の時に、いじめっ子に対する対応を一晩中、考えて学校に行ったら、まるでその対処方法をいじめっ子が知っていったかのように裏をかかれて、ますます酷い虐めにあって悔しい思いをした経験が何度もあった。

 

本当に、私の対処方法を知っていたかのようにいじめっ子が動いたのは、いじめっ子が無敵ですごいから、と思っていた。

 

でも、実際は、未来のことを考えてしまったら、その時点で考えている時間軸とは別の時間軸が作られてしまう。

 

未来のことを想像してるようで創造している。

 

考えているようで、いじめっ子にうまく対処している時間軸を作り上げてしまっている。

 

うまく対処している自分の未来を知っているからこそ、その知識があるがゆえに別の時間軸が出来上がってしまう(あ〜あ!もっと簡単に書こうと思ったのに難しくなっちゃった!)。

 

テストと同じで「いい点が取れる!」と安心しちゃったら、それを知らなかった時と、知っている時では結果が変わってしまう。

 

「いじめっ子にこれだったらうまく対処できる!」と想像してるようで、実際は成功している未来の自分の脳にアクセスしてその経験値を受け取る。でも、その未来の知識につながった時に勉強と一緒で未来が変わってしまう、という面白い考え方である。

 

「物事が裏目に裏目に出てしまう」という人生を歩んできた。

その”裏目”というのは”成功体験”を想像しているから”未来が変わる”という体験をしているだけ。

 

そんな風に考えてみると、あの有名な映画の女優さんが最後の最後で「明日は明日の風が吹く」と言ったセリフの深さがわかるような気がする。

 

アホが一番得をする(パンパンパン!)。

 

 

 

 


2016/06/28

ある方から「心に聞くって変ですね!」と言われた(確かに!)。

 

「だって、自答自問みたいなもんだもの」と仰っていた。

 

確か、無意識さんの本にも「自答自問みたいなものだけど、”心よ!”とつけるだけで」というようなことを書いていたかもしれないが、改めて他の人の口から”自答自問”みたいなものと言われると妙にこそばゆい感じがした。

 

自答自問をしているとぐるぐると頭の中で空回りをしてしまう、という体験を長年続けてきた。

 

でも、”心よ!と質問の初めにタグを付けることで”無意識さん”からの答えが得られて、いつの間にか空回りから抜け出せるのは興味深い。

 

この”心よ!”というのは、催眠のお師匠さんが観念運動応答法の時に使っていたのを「すごい!」と思って使ったのがきっかけだった。

 

お師匠さんは、ある学会の基調講演の記録のあとがきで「思えば、<無意識>という言葉自体が、ある文脈において間違いなくクライアントをそれだけでトランスに誘うのである。それは確かに、人の意識的な内容を次第に解体しうる作用を持っている」(ブリーフサイコセラピー研究10(2001))と書いていた。

 

「無意識」という言葉を使うだけでクライアントさんを催眠状態に入れてしまう、という。

 

そのお師匠さんが使っていた”心よ!”という言葉にも”無意識”と同じような効果があって”意識=支配されている思考”を解体する力を秘めている、と考える。

 

だから、心から面白い答えが返ってくる。

 

「人間の本質は矛盾と葛藤と逆説である」と教えていただいたのもクライアントさんの”心”に聞いたからである。

 

「そんなこと知っていたの?」と聞いても「なんだかどっかで聞いたことがあるのかもしれないけど」となんだかうやむやな感じでリソースはモヤモヤするが、クライアントさんの心から聞いた答えはものすごく力強く聞こえている。

 

クライアントさんは”自答自問”のような感覚なので「え〜!自分がどこかで聞いたことを喋っているんじゃない!」と思うから「こんな答え大したことじゃないのでは?」と思うのだが、こうして私が書いていると「皆さんの心ってすごいですね〜!」と感心する。

 

内心「あなたの心もすごいんですけど!」と思っている。

 

隣の芝は青く見える。

でも、隣の芝にあこがれてせっせと手入れをしていると、芝の密度が上がっていつの間にかフカフカの芝に横たわることができる(なんのこっちゃ!)。

 

「みんなの心は凄いな〜!」と思いながらせっせと心に聞いていると、いつの間にか自分は違う次元に到達していた。

でも、自分ではそのことに気が付き難い。

 

だから、せっせと心に聞いて知らず知らずのうちにどんどん無意識さんとお友達になって自由になっていく。

 

 

 


2016/06/28

「FAP療法のセミナーってなにをやるんですか?」と質問をされた。

FAP療法って、トラウマ治療の為に編み出された方法で「誰でも簡単にトラウマが治療できる!」というもの。

 

当時は、クライアントさんのいじめのトラウマの話なんて聞いてしまうと、子供時代の惨めな体験が思い出されて、当時の惨めな感覚に引き戻されて苦しんでいた。

家に帰ってからも、惨めなあの感覚がよみがえってきてしまって自分の頭を叩きたくなる(ドン!ドン!ド〜ン!)。

 

「あ!そうだ!自分で治療しちゃえばいいんだ!」と思って、朝早く朝日が昇る頃にアパートの階段のところに座って「10歳のトラウマ」とかつぶやきながら治療をしていた。

 

「お!これって効く!」と自分で言うのもなんだったけど、どんどん惨めさが軽くなっていくのが自分で分かった。

 

あの時「あ!本当に過去って変わるのかも!」と思った。

 

あの惨めな悲惨な過去が幻想の世界としてちゃんと見られるようになる。

そして、未来の自分がどんどん自由に変わっていく。

 

自分自身にFAP療法を使ったあのとき、とても面白かった。

 

 

ちょっと話は変わるけど、催眠のお師匠さんのことを知ったのは「現代催眠入門」という本を池袋の大きな本屋さんの心理学コーナーで手に取ってからだった。

大学時代に友達が催眠療法の本を読んで、実験してみたら覚醒させられなくなって問題になった、ということから「お〜!催眠療法ってすげ〜!」と関心を持っていた。

 

お師匠さんの本には現代催眠の基礎の講座の案内のチラシが挟まっていて、それを大切に持っていた。

自分の性格からして「行きたい!」と言いながら実践しない、という傾向があった。

「勉強しなければ」と言ってもなかなか実践しない、と自分では「だらしない人間」と思っていた。

 

だから、このチラシも持っていながら申し込まないんだろうな〜!と内心思っていたが、ある時、家庭内暴力のケースで行き詰って、自分の臨床の限界を感じて、お師匠さんの講座の申し込みの電話をかけてしまった。

 

「現代催眠入門」の本読んでから私の中ではものすごい”神聖化”が起きていた。

素晴らしい場所で、素晴らしい人たちと一緒に素晴らしい講師の方に催眠療法を教えてもらって、催眠療法を完璧に使えるようになって帰れる!と期待していた。

 

お師匠さんのオフィス?の住所に行ってみたら、普通の古いマンションの一角で、懐かしい鉄の扉を開けてみると、メガネをかけたサラリーマンのようなおっさんが受付をしていた。

 

神聖化から一気に私の中で”こき下ろし”に変わる。

 

「こんなところに居たくない」と逃げたい気持ちを一生懸命に抑える。

 

そんな私の気持ちをお師匠さんは多分見抜いていたんだと思う。

 

絨毯の上に鉄パイプの椅子があって、そこに参加者と思われる人たちが丸く座っていた。

 

「専門家じゃないじゃん!」と見て一発でわかってしまった。

 

「え〜!」と私の中で何かが崩れていく。

 

逃げたい気持ちを抑えて渋々、自己紹介までたどり着いたら「やっぱり専門家じゃないじゃん!」となって「こんなんでどうやってみんなで催眠療法を学ぶんだ!」という絶望的な気持ちになった。

 

そして、私の自己紹介の番になったら、急にお師匠さんが「大嶋さんは苦労人でして、若くして5人のお子さんを育てていらっしゃるんです」と勝手に紹介してしまった。

 

「ひえ〜!」

 

でも、この時、一瞬でお師匠さんの意図を受け取った。

 

「お師匠さんは、私がこの参加者の女性と男女関係のトラブルになると思って先手を打ったな〜!」

 

「や〜る〜な〜!このおっさん!」とお師匠様の見方が全く変わってしまった。

 

そして、みんなの前で「そうなんです、子供がたくさんいて貧乏で...」とお師匠さんの投げたパスをしっかりと受け止めてドリブルをする。

 

このとき、参加者の皆さんの見方が自分の中で全く変わった。

 

「なるほど!この場って実践の場にしろってことなのね!この方怖いかも!」と思った。

 

ほんの一瞬で、お師匠さんは状況をすべて変えてしまった。

 

そして、私の臨床のスタイルを変えて下さった。

 

私に足りなかったのは”リスペクト”だったとその時、衝撃的に気付かされた。

心のどこかで「自分には学ぶことなんかない!」とどこかで思い上がっていた自分がちょっと恥ずかしくなったが、5人の子供を抱えている身としては、そんなことはどうでもよくなっていた。

 

出会いって、本当に面白い。

 

あんな凄い技は私には無い。

私には何もないが、なぜか出会えるのは楽しみである。

 

そこに新しいものが生まれるから。

 

 


2016/06/27

アマゾンのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

やっぱり心に聞くっていいですよね〜!

確かに、遺伝子やホルモンは邪魔を排除するのに役に立つかもしれませんね!すごい!

本当は”心に聞く”が無敵の手法だからこんなホルモンや遺伝子のことを書いちゃって、と思うこともあるんです(正直)。

でも「邪魔の排除も簡単になり」と書いていただけると救われます。

 

何だか本当にうれしいです。

 

もうすぐ次の本の編集がやってきます(ひえ〜!地獄の日々だ〜!あの作業って大変なんです〜!)。

 

みなさんとの作品が本になるのが楽しみです。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼お礼

 


2016/06/27

簡単に言ってしまえば”支配者”という存在は”常識”や”ルール”で動きを重くさせる。

 

「あなたは父親なんだからもっと責任を持った行動をしなさい!」なんて妻に言われると”父親”という重圧が加わり自由に動けなくなる。

 

支配者は「子供を作ったんだからそんなの当り前じゃない!」という”常識”を作り、人を裁く。

 

ブッタは、家族である妻も子供も財産もすべて捨ててしまった。

 

家族を捨てることで”支配者”のネットワークを切り離すことで、自由になり、やがて「目覚めた人」となった。

 

永遠の命を求める青年にイエスは「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、私に従ってきなさい」と言った。

 

たくさんの資産を持っていた青年は哀しみながら立ち去った。

 

物には記憶が条件づけられているから、物を見た時に過去の自分と脳のネットワークでつながって、過去の自分のデータを持ってきてしまうから「変わらない自分」というのがそこにある。

物が多ければ多いほど、そこには大量の過去があるから「変わらない」となり、脳内では過去に戻って同じことを繰り返す”輪廻”がある(まあ、この輪廻の使い方は違うかもしれないけどわかりやすいから)。

 

こんなことを書いていると70年代のアメリカのヒッピーを思い出す。

物に執着しないで、常識に縛られないで Peace, happiness, Freedom なんて言っていた。

ヒッピーは哲学的には面白いのだが、家族などを全てを捨てても、捨てた後につながる人たちのネットワーク内に支配者が混ざっていたら、結局、そのコミュニティー内の常識、ルールが作られて、質量が増えて自由に動けなくなるのかもしれない、と考える。

 

現代の人が家族や友人のネットワークを切り離して、そして記憶が条件づけられているものをすべて手放して、なんてことは不可能に近いのかもしれない。

 

ちょっと前には断捨離(だんしゃり)なんて言葉が流行ったから、みんなはやっぱり心のどこかで自由を求めているのかな?

 

物を捨てることで、過去に戻る条件付けを断って、今の自分が過去に引き戻されなくなり自由に変わっていく。

そして未来の自分も過去の自分も連動して変わっていく、という面白いメカニズム。

 

そこでの問題は、人間関係の断捨離ができるか?ということになるのかもしれない。

 

人から過去の自分に引き戻され、過去の自分の脳につなげられてしまうことがある。

そう考えると、本当に自由になるって大変な作業になってしまう。

 

苦しんでいる方々が求めていらっしゃる”自由”って”すべてを捨てて”ということをしなければ得られないぐらい難易度が高いような気がしている。

でも、私たちが求められているのは「努力しなくても、無理をせず誰でも簡単に”自由”になる方法」である。

 

 

だから、ここで「”不自由”とは特徴的な遺伝子のスイッチがオンになってしまっているだけ」と大胆な仮説を立てみる。

 

特徴的な遺伝子のスイッチがオフになれば、現在の自分の脳にアクセスしてくる過去の自分も変わり、そして、未来の自分が自由に変化していくかも〜!という面白い考え方。

 

スイッチがオフになって自由になっていくと、それまで捨てることができなかった人が物も人間関係も自由に捨てることができるようになっていくから興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016/06/25

難しことを書くのを止めなければ!と思いつつも「みなさんの脳とつながるのが楽しい〜!」となって止まらない。

 

先日も「支配されちゃう人たち」の本では「支配者につながって不快な思考を入れられちゃう!と書いていたのに、なんで今回は過去や未来の自分なんですか〜?と質問された(ものすごい疑いの眼差し〜!もう!適当ばっかり言っちゃって!)。

 

これには“万有引力の法則”がヒントとなる。

 

過去の自分や未来の自分につながることで質量が増えてしまう。

過去や未来の自分の脳にアクセスしてデータを持ってきてしまうことでどんどん脂肪が増えて体重が増えてしまうようなイメージ(重くて動けないよ〜!)。

 

そして、支配者はその重くなった体重を地面に引っ張る地球の質量に例えられる。

 

地球の大きさと月の大きさは明らかに違う。

月は小さいので引っ張られる力が小さくて、重い物でも簡単に持ち上げられるが、月と比べたら地球では引っ張られる力が大きいので重い物は簡単に持ち上がらない。

 

 その人にとって支配者の存在が大きければ大きいほど引っ張られる力が大きくなり、すごいスピードでどん底に引き摺り下ろされてしまう。落ちたときの衝撃も大きい。重い体重で引っ張られる力も強くなれば自由に動くことなど不可能になる。

 

支配者の存在が小さければ引っ張られる速度も小さく「ハッピ〜!」と自由に飛び跳ねることができる。

 

自分自身の質量とそれを引っ張る支配者の質量で落ちる速度が変わる。

 

そんな法則に例えられます(ニュートンの法則ってなつかし〜!禁断の実つながりか!)。

 

だから本当は全部つながっている。

 

な〜んちゃって!

 

あは!

 

 


2016/06/24

毎日、みなさんの脳につながってると面白いアイディアがたくさん出てきて、ブログを書いているのが楽しくなっている。

 

でも、あれれ?

 

ブログのアクセス数が減っていく〜!

面白〜い!

 

その原因が発覚する。

「大嶋さんは私のことをブログで貶めようとしている!」と言われた。

 

「え?!」

 

「考えない私を”考えないからダメなんだ!”とブログで貶めている」と言われた。

 

なるほど!これだからアクセス数が減るんだ!と内心納得した。

 

無意識さんの本を書いた時に「意識的な人に理解できるように書いて欲しい」というリクエストがあった。

無意識さんは、催眠療法の本なので、全てが催眠のスクリプトになっている。

それを意識的に理解しようとすればするほど混乱が生じて、眠ってしまう。

でも、眠っているようで、実は無意識さんが助けてくれるように、セットされていく、という本を催眠療法のお師匠さんとともに書いてみた。

 

どの本でも催眠的なスクリプトの手法を用いて書いているのだが、意識的な人にはわかりにくい!と「意識的な人にもわかりやすい内容を書け!」と言われたので、遺伝子コードの手法が出来た。

 

遺伝子コードで哲学的だった心理学を、理科的、算数的な手法に変えてしまう、という面白い試み。

その変化のメカニズムを理論物理学的に様々な仮説を使って説明しようとしていたのだが、やはり意識的に説明しようとすればするほど”善悪を知る木”が障害となる。

 

未来の成功体験を想像すれば、その時間軸に飛んで、その成功の背後にある苦悩まで脳はアクセスするから動けなくなる、というケースを紹介すると「私が間違ったことをしているって馬鹿にしている!」と怒ってしまう。

 

「あれ?」

 

正しい、とか間違っている、という話をしているのではなくて、脳の負荷を軽減して自由に生きるためには、という話をしているつもりなのに「『間違ったことをしている』と馬鹿にしてる」と、善悪を知る実は判断なさる。

 

だから、イエスは話をする時に喩え話しか使わなかった。

ブッタも同じような感じだったのだと考える。

 

「人間の本質は、矛盾と、逆説と葛藤である」と、20年前に妄想性障害の診断を受けたクライアントさんの中に現れた大きな存在が教えてくださった。

だから、意識的に何かを伝えようとしても、その意図は決して伝わらない、ということは何となくわかっていた。

でも、応援してくださるみなさんとつながって様々な発見が楽しくて書くのが止まらなくなっていた。

 

改めて、催眠のお師匠さんも催眠の物語をなぜいつも私に語ってくれていたのかがよくわかった気がした。

 

善悪を知る実を越えてみたいな〜!

 

そんな遺伝子コードはないか〜!(なまはげ風に)

 

 

 

 


2016/06/23

アマゾンのレビューを書いてくださってありがとうございます!

 

心に聞きながら、って素敵です!

心に聞きながら歩んでいくと本当に面白い方向に向きますよね。

 

そんな報告がとっても嬉しかったです。

 

感謝!

 

大嶋 信頼お礼


2016/06/23

未来のことを考えることで別時間軸が作り出されて、そのときの自分が体験したであろうストレスを脳のネットワークでもらっちゃう。

 

だから、将来の不安、これから起きるかもしれない嫌なこと、などは考えなくてもいいよ!という話を書いていた。

 

これを読んでくださった一人の方が「それって、旧約聖書に書いてある“善悪を知る木”が原因なんですか?」と質問してくださった(すごい!)。

 

エデンの園に植わっていた“善悪を知る木”の実を食べた時に、神と同じように善悪を知る者となる、とヘビがエバを誘惑し、そしてアダムもそれを口にした時に「裸でいることが恥ずかしい!」となった。

 

聖書によると神が人を造った時に「われわれのかたちに、われわれをかたどって人を造り...」となっている。

 

ここの所を大胆に解釈すると「人は神と同じように作られた」となると、神と同じように創造することが出来るかもしれない、となる(こりゃまた大胆な!)。

 

多くの人が大好きな「思考は現実化する!」というのは、神と同じように作られて神と同じような力を持っているから、考えたことが現実になる、という現象がある、と考えてみる。

 

そこでせっかくの神のような力を“善悪を知る実”が邪魔をする。

 

「それは正しい!」or「間違っている!」の判断をしてしまう。

 

「良いことが起きる!」or「悪いことが起きる!」の判断をした時に、“悪いこと”を想像することが止められず、その想像した世界が創られる(ひえ〜!)。

 

せっかく神が人間にとって最も心地よい世界を創っているはずなのに、人間が神を演じて善悪の判断をすることで、別世界が作り上げられてしまい「こんな人生嫌〜!」となってしまう。

 

でも、その「こんな人生嫌〜!」というのを作り出しているのが人の想像であり、それが単純に神の意思に逆らって、善悪の判断で世界を創造しているだけ、と考えて見ると面白い。

 

「思考は現実化する!」は魅力的である。

 

でも、人間は“善悪を知る実”を食べたときから、神を演じてカオスを作り出してしまう。

神が試練を与えているわけじゃなくて、自分が想像したことが現実になってるだけですから〜!なんて思って見ると興味深い。

 

だから、考えない、というのがとっても大切。

 

思い悩まない。

 

思い悩んでいる瞬間に、そこで想像した世界が創られてしまうから(ヒエ〜!)。

 

 

 

 

 

 


2016/06/22

昔、看板屋さんで取り付け工事のアルバイトをやっていたときに、銀座や表参道の歩道で作業をしていた。

 

表参道のタバコ屋さんの看板を付け替えていた時、作業をしている脚立の下にはスーツを着ている人たちが颯爽と歩いていた。

 

「いいな〜!」

 

自分は汚い作業服を着て、汗まみれになって作業をしている。

 

スーツを着た大勢の人が歩いているのに誰ひとり私のことを見ようとはしないで歩き去っていく。

まるで、ここではスーツを着ていなければ人間扱いされないような感覚になっていた。

 

あのおしゃれな街で自分が石ころのように感じたあの感覚はとっても新鮮だった。

 

おしゃれなスーツを着て、高い靴を履いて、そして高級時計を持っていなければ注目されないのかな?と看板を固定するボルトをレンチを使って締めながらそんなことを考えていた。

 

「きゃ〜!あの人のボルトの締め方カッコイイ〜!」なんてなればいいのに、とアホなことが頭に浮かぶ(暑さのせいかも)。

 

街を行き交う人を観察していると面白い。

 

スーツを着ている人を観察していたら、そんな、作業服を着た過去の自分が脳のネットワークを通じてアクセスしてくる。

 

「あなたはそのタバコ屋さんの角を曲がった2件先のオフィスで面白い仕事をすることになるから!」と炎天下のなか汗だくになって作業をして疲れ切っている自分に声を掛ける。

 

そう、あの時、自分はあんなスーツじゃなくてジーンズを履いてこの町のオフィスで仕事をしてるイメージが浮かんできて、惨めな気持ちが不思議と消えていったことを思い出す。

 

そんな夏のことを思い出していたら、涼しげな日暮の鳴き声が頭に響いてきて、何だか急にお腹が空いてきた。

 

脳って面白い。

 

 

 

 

 

 

 



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