2019/06/14

私は、ちょっとしたことで傷ついて、思い悩んでしまう。

 

人に挨拶をしたのに「無視をされた」となった時に「ガーン!」となってしまって「もう自分は終わりだ」と絶望感が襲ってくる。

 

この世の終わり的な感じになってしまって、何もかもやる気を失う。

 

昔、こんな私の姿を見て、同僚から「お前、ナイーブだな」と言われた。

 

ナイーブって「傷つきやすい」という言葉だと思って、その時は「はあ」とスルーしていたけど、ちょっと「ナイーブ」という言葉を調べてみたら、語源はフランス語で「生まれたままの」という言葉の意味だった。

 

母親から生まれたばかりの姿のままだから、傷つきやすくて、常に人からの慰めを求めている。

それがナイーブと思ったら「あれ?」となってしまった。

 

自分ではショックを受けて反省して、そして人の気持ちがわかるやさしい人間のままでいられる、という「傷つきやすさ」の意味で捉えていた。

 

でも、ナイーブが「生まれたままの」という意味があることを知り、自分の優しさが誤解されたり、無視されたりした時に「ショックを受ける」って確かにちょっと変かもしれない、と思い始めた。

 

私がいつも感じていたのは「絶望感」で「自分は誰からも受け入れられないし、誰からも愛されない」というもの。

 

あ!これって、誰からも愛されないから「唯一私を産んでくれた母の愛に浸る」という行為だったのかも。

 

確かに「ガーン!」とショックを受けて「もう、ポワしちゃいたい」と子供の頃に思った時に、必ず浮かんできたのは母親の悲しむ顔だった。

 

あ!本当に傷ついてショックを受けることで母の愛に浸っていたんだ!と怖くなってきた。

 

「常に人に対して優しく、正しくなければ母親から愛されない」と思っていて、やさしい人間を演じている。

 

やさしい人間を演じているはずなのに、それが拒絶された時に「ガーン!」となって「自分は誰からも愛されない」となるのは「あ!ガーン!となって母の愛に浸っているんだ、と気がついてしまって「チーン!」となる。

 

よくよく考えてみたら、誰から批判されようと、無視されようと「他人」ですから関係ないわけです。

 

「ショック」となっていたのは、相手の中に母親を映し出していて、母親から拒絶されたような感覚になっていたから。

 

そして、ショックを受けて、自分のダメさ愚かさを反省している時は、自分では「苦しんでいる」と思っていたけど、その苦しみの裏に「母の愛に浸っている」という目的があった。

 

誰から慰められてもダメで、こんな自分は母親にしか愛してもらえない、という絶望感の裏にある唯一の愛。

 

その愛に浸る快感が苦しみの裏にあったから、ちょっとしたことでもショックを受ける、ということを繰り返していた。

 

優しさがゆえに、人の言葉に傷つき、弱っている、と思ったが、それが全て母の愛に浸るためだった、ということだったら「美しい」にはならないことが見えてきた。

 

ルーチンで「感情をオフにしちゃう」と書いてしまうと「ロボットみたいに動けってことですか?」と思われてしまうかもしれません。

 

「失敗しちゃったらどうしよう?」とか「みんなの前で恥をかいちゃったら最悪」や「いつも自分はダメダメ人間」と何かやるときは、いろんな感情を伴った思考がぐるぐると渦巻く。それが人間と思っていた。

 

ルーチンで感情をオフにして、淡々とやっていて無意識さんが起動してみると、こんな風に「あ!私は苦しんでいると思っていたけど、母の愛に浸っていたんだ!」ということがわかってくる。

 

確かに、脳的に考えてみると、私のナイーブさって「苦痛レベル」でしたから「苦痛で脳内麻薬が分泌されちゃう!」となっていて、それが母の愛の条件づけになっていた。

 

正直な話、感情をオフにして無意識に任せる、という意図が私自身もはっきりわかっていなかったけど、これって「お母さんの胎内から生まれ直す」という意味があったんだ、ということでちょっとびっくり。

 

生まれたばかりの赤ちゃんが「怖いよ!」とか「苦しいよ!」とオギャー!オギャー!と泣くのはある意味で母の胎内に戻りたいから。

 

人に傷つき、心の中で泣き叫んでいた時の私の姿がまさにそれ。

 

そして、苦しみの中、ぐるぐるとのたうちまわって、苦しみの中で眠ってしまった時に「母の胎内に戻る」という体験を繰り返していた。

 

無意識がそんな光景を見せてくれて「これでも感情に浸りますか?」と問いかけてくれる。

 

「いいや!結構です!」と断ったのは、別に母の愛を否定したかったからではない。

 

生まれたての私が、母親から愛される、という体験を何度も苦しみを重ねながら繰り返すのは美しいのかもしれません。

 

母親から愛されるために、清く、正しく、そして人のために生きる、ということを実践して、人から傷つけられて苦しみもがく。

 

そして母の胎内に戻る、そんな繰り返しの人生。

 

もう、さんざんやってきたから、母の愛は十分。

 

誰からも愛されない、という体験から得られる母の愛は、これまで嫌という程、浸ってきたから。

 

今は、無意識さんが見せてくれる、美しい世界に飛び出していきたい。

 

淡々と、ルーチンで感情をオフにして、そして無意識の力で、これまで母の胎内にいて見えなかったことが見えるようになる。

 

わからなかったことがわかるようになり、そこにある美しさに触れることができちゃう。

 

そして、その美しさの中に愛が宿ることを知る、その喜びよ。

 

(つづく)

 

おー!今日のブログを書いていて、次に出る本が、今日の話と繋がっていることにちょっとびっくり。

 

「一人で頑張る自分」を休ませる本(大和書房)がそれです。

 

この本って、本当は「いい人をやめる」というタイトルだったんです。

 

「いい人」って1997年の草なぎ剛さんが主演していたドラマの主人公のイメージがあって「いい人」ってやめる必要がないじゃん!と書き始めは思っていました。

 

あのドラマを観ていた時に「私は、こんな純粋ないい人にはなれない」と思っていて、ドラマを見るたびに「自分は薄汚れている」という感じがしていたのを今でも覚えていた。

 

私の場合は「中途半端にいい人」で今日も書いていたように「いつも人から裏切られて、傷つく」ということを繰り返していた。

 

草なぎ剛さんのあの役のように、純粋にいい人になれたらいいのに、といつも中途半端ないい人になってしまって、苦しむ自分がものすごく嫌でした。

 

今回、この「いい人」のことを書いてみて「おー、そういうことだったんだ!」となぜ、自分が「中途半端ないい人」しかできなくて、人から振り回されて傷ついてきたのかの仕組みが見えてきてびっくり。

 

「中途半端にいい人」でいつも断ることができなくて、大変なことになってしまっていた。

 

それがこの一冊で変わってきた、という面白い本です。

 

この本の編集者も「いい人」だった。

 

でも、一緒に本を書いていくうちに「この人はいい人じゃない!」という感じで変わってきた。

 

あはは〜!

 

タイトルまでガラッと変えちゃって!「おい!」という感じになっています。

 

読んでみると、自分を中心に世界が回るようになっていく。

 

面白い本です。

 

いつも、応援してくださってありがとうございます。

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 



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