2017/02/20

電車に乗っていると、周りにいる乗客の気持ちを考えてしまいます。

携帯電話をいじっているサラリーマンを見て「この人はゲームのことばかり考えていて仕事ができない人なのかな?」なんて考えてしまいます。「どうして、そんなに携帯ゲームをやるんだろう?」とその人の心情まで考えてしまいます。

「嫌なことから逃れるためにやっているのか?」それとも「ただ単にゲームが好きだから」と思った瞬間に、その人と母親との関係が浮かんで「ゲームなんてくだらないこと止めなさい!」って言われている姿が。

母親から否定されればされるほど、ゲームが止められずそれのことしか考えられなくなるダメな私、というサラリーマンの気持ちにいつの間にかなっていて、苦しくなってしまいます。

 

「何でこんなことを考えちゃうんだ!」と我に返ります。

 

何でいちいち、人の人生のことを考えて苦しくならなければいけないんだ?

人の中に入ると必ずこの症状が出てきてしまいます。

ちょっとした人の表情などで相手の気持ちを察してしまったり、その人の苦しみ悩みを探ってしまう。

 

そんなことをしたって何もならないのに、ついついそれをしていて、苦しくなって、サラリーマンの気持ちを考えるのを止めたら、今度は、携帯をいじっている女子高生を見てその子の今後の人生について考えてしまいます。

 

何でこんなことをしちゃうのだろう?と自分の頭で分析します。

 

幼い頃から不機嫌だった親の顔色を見ながら生きてきました。

3歳の頃に、父親が借金苦から一家心中を図ろうとしていたところを「自殺したら地獄に行くんでしょ!」と幼い私が父親に言った、というエピソードが思い出されます。

人の顔色を見て、その人の気持ちなどを察することで殺されずに生き残ってきたから、それが身についてしまっている。

だから、人を見るとサバイバル能力的に人の人生を瞬時に考えてしまう癖が残っている、と考えます。

でも、サバイバル能力といっても、これが私の人生でちっとも役に立っているとは思えません。

だって、人の人生を考えれば考えるほど暗い気持ちになるだけなんですもの。

 

ここで催眠のお師匠さんだったら「ほかにどんな原因が考えられますかね?」と顎に手を当てながら笑顔で質問してくださいます。

 

まあ、ベタな考え方だけど、カウンセリングの仕事をしているから、人の人生を考えるのが癖になっている?

でも、考えてみたら、この癖って子供の頃からなんです。子供の頃から、この癖が嫌で、電車の中で一所懸命に本を読んだり、切符に書いてある数字で足し算をしたり、という事をして人にできるだけ注目を向けないようにしていました。

さらに、カウンセリングの時は、その人の人生を考えるのではなくて、成育歴や症状などのデータに基づき、もっと客観的にとらえているので仕事をしていて不快になることはこれまでも一度もありませんでした。

電車やファミリーレストランの店員さんを見て、自動的に相手の気持ちや人生を考えてしまうのは、めちゃくちゃ不快なんです。

 

再び催眠のお師匠さんが笑顔で出てきて「ほかにどんな原因が考えられますかね?」と聞いてくれます。

 

自分のうつ的な症状に目を向けないために、人に注目している可能性もあるかもしれない?と考えます。

自分の人生を考えてしまったら、奈落の底に落ちていくような絶望感がありました。「この先自分はどうなってしまうのだろう?」って不安しか浮かんできません。

人に注目を向けていないと、自分の人生を考えてうつ状態になってしまうので、それを回避するために、人の人生を考えるから、絶望的な自分の人生を相手に映し出しているから、相手の不快な人生を作り出してしまうのかも?

 

この考え方は、ちょっと意外でしたけど、自分の中ではしっくりきました。

さっきまでの仮説だと、ちょっと目をそらすと窓際で立って外を見ている人の人生を考えてしまっていましたが、この仮説だと人に目がいきません。

でも、問題は「自分はやっぱりうつなのかも?」って暗い気分になること。

自分の絶望的な人生のことしか考えられないから、人の人生のことばかり考えて暗くなる気分をうすめているのかも?って。

 

ここで催眠のお師匠さんが私の頭の中で「では、それを”心”に確認してみましょうか!」と仰ってくださいます(おい!お師匠様!最初っからこれを言ってくださいませんか!そしたらこんなに暗い気持ちにならずに済んだのに)。

 

「心よ!私はうつを回避するために、人の人生を考えてしまっているのですか?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「違う!」と。

 

「心よ!だったら、この、人の人生を考えちゃう、って私自身がやっていることなの?」と聞いてみます。

 

すると”心”は「やらされていることであなた自身の感覚ではない!」と教えてくれます。

 

「心よ!誰にやらされているの?」と聞いてみると、祖父にやらされている、と教えてくれた瞬間に、私の中でパッと情景が浮かびます。

 

人の真っ暗い人生を作り出して、それを自分が救わなければと一生懸命にもがいている姿。

 

「うわ!自分って万能感バリバリなんじゃない!」と一瞬、そんな自分が気持ち悪くなった。

でも、”心”が「だから、それはあなた自身の感覚じゃないよ!」と優しくたしなめてくださった。

やっぱり、自分の頭の中で原因を考えてしまうと気分がどん底まで落ちてしまう。

 

“心”に聞いてみるとその苦しみからどんどん解放されていく。

 

そんな時に、ものすごい不安が襲ってきた。

「もしかして、このカウンセリングの仕事も”万能感”に憑依されてやらされているのかも?」って。

そしたら、みんなの迷惑になるから仕事を変えなければいけないかも?って。

 

すると”心”は「あなたはこれまで苦しみの時は必ず私に聞いてきたでしょ!」と仰ってくださった。

 

え?この職業になりたいと思ったときって、高校生の時だけど、その時の記憶がない。

ちょっと不安になる。

でも、待って!大学生の時に、一度、専攻を心理学から宗教学に変えようとしたことがあったっけ!と思い出した。

 

あまりにも心理学の授業が難しくて「もう駄目だ!」とすべてを投げ出し、得意だった宗教学に変えてしまおう!って決断したときに、ものすごい苦しみに襲われて、寮の壁を殴りながら「心よ!私は心理学を諦めた方がいいですか!」って聞いていた瞬間を思い出した。

 

あ!あの時も確かに「”心よ!”」って聞いていたっけ。

 

その後の記憶が抜けていて、いつの間にか心理学の専門に戻っていて、卒業した場面が浮かんできた。

 

その後も何度もあきらめそうになって苦しくなって「心よ!」って聞いていたんだっけ、とその場面が次から次へと浮かんでくる。

 

常に”心”はともにいてくれた。

自分一人で考えて決めてきたこと!って思っていたけど違っていました。

 

そんな時に「あ〜!もしかして!苦しい!って言うときって”心”に聞いたほうがいい時なの?」って気が付いちゃいました。

 

心よ!って問いかけて確かめてみます。

 

心はさらりと「そうだよ!」って。

 

もっと早く教えてよ〜!

 

えらい遠回りをして損をしている気持ちになったが、ちょっとおかしくなってきた。

 

あは!

 

 

 

 

 

 


2017/03/23


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