2016/04/14
子どもの頃から「人の話を真に受ける」という傾向があった。
「○○ちゃん家で一緒に遊ぼうよ!」と言われて、長時間掛けて○○ちゃんの家に行ってみたら誰もいなかった。
「あの時、みんな本気で言っていなかったのがわからなかったの?」と言われて「自分だけわからなかったかも?」と思ってショックを受けた。
キリスト教の家庭で育ったから「人に嘘を言ってはいけません!」があって。嘘を言ったら地獄に堕ちる、と教えられていたから「みんな嘘をつかない!」と思っていた。

大学の時に、運動部のいけてるグループの中に入って勉強をしたことがあった。
その時に「うちの学校がNewsWeekの雑誌でリベラルアーツのトップ10に入っていたんだぜ!」と言われて「へー!」とその時は思ったが、それを真に受けて図書館で調べまくったのは私だけだった。
みんなはその口調や表情で冗談だとわかっていたのだが、私だけが冗談と本気の判別ができず「これは重症だな〜!」と思った。

当時は、宗教的なバックグラウンドや英語力の問題があるのかもしれない、と仮説を立てていた。
でも、日本に帰ってきて企業で働いてた時、私以上に冗談が全く通じない人を見た時に「あ!これって色彩が判別できない問題と同じなのかもしれない」と思い始めた。

音痴というのは音の判別があまり得意ではない、色彩を判別するのが苦手な人もいる、そして味音痴の人は味の判別が難しい。
これって遺伝的なものだよね、と思っている。

それらの判別の中でも、本気の言葉と冗談を判別する、というのがものすごく一般社会でストレスなく生きていくのに重要な能力なのかもしれない、と思うことがある。

私の好きな海外ドラマでドクターハウスというのがあるのだが、その主人公の医者が最初に「患者は嘘をつくから直接あっても無駄である」と断言する。この言葉のニュアンスから人の会話の8割ぐらいが嘘や意味のない会話である、という感じになる。

もし、人の会話の8割が嘘や意味のない言葉だったら、それを真に受けてしまったら、ものすごくその言葉に振り回されてしまい、感情が常に乱されて、常に本来の自分自身でいることができなくなってしまう。

逆に考えたら、言葉の判別さえできたら、人の中でも自由に生きられる、と言うことになる。
人の会話の8割は意味がない、というのに楽に生きるための遺伝子のヒントがあるのかもしれない。

(つづく)
 

2017/05/29


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