2018/04/05

大リーグに移籍をした大谷選手は、昨日すごかったですね〜!

いきなりホームランですか!!

 

でも、やっぱり私が見るところはその後ですよね。

大谷選手が「わ〜い!」とチームのベンチに喜んで帰ってきたら「みんな無視!」という感じで、全く逆の球場の方を向いてる。

大谷選手は、それを見てあまり動じている様子がない。無視して球場を見つめている選手たちの中の一人(もしかしたら通訳かも?)の両脇を後ろからつかんでくすぐりはじめて、みんなも耐えられなくなって「ワ〜イ!」とみんなが寄ってきて「おめでとう!」と言う感じになっていた。

 

大谷選手はすごいな!

これですよね!ちゃんと周囲との一体感が感じられる人と、孤独で生きてきた人との違いって。

自分からちゃんと相手を信じて自分から集団に寄っていけるわけですからね。

いくら、日本で活躍してちやほやされた選手でもアメリカではアウェイですからね。

 

多くの人は「実力があって、自分に自信があるからあのようなことができる」というふうに判断するのだと思います(そこには当然嫉妬が含まれている)。

 

でも、私は”一体感”がちゃんとインストールされているから実力以上のことがみんなと一緒に発揮できて、そしてどんな状況になっても一体感を感じ続けることができるのでは?と考えるんですね。

 

そんな一体感を追い求めてみたいな〜!

なんだか、簡単に一体感がインストールできるような予感があの選手を見ながらしていたんです。

これからが楽しみ〜!

 

 

昨日の続きて「正しさを追い求める」ということをしちゃうと嫉妬の発作にまみれて破壊的な人格に変身しちゃう!という面白い現象が起きます。

ある素晴らしい治療者のところに、何人ものお弟子さんがいて「いいな〜!あんなところに入れて一緒に仕事ができて!」と羨ましく思います。でも、そのお弟子さんたちは「あれ?あの治療者の真似をしないんだ!」とちょっとびっくりします。「こっちの方が正しい!」といって自分なりの方法を見出してしまうんです。そして、どんどんクライアントさんが減っていってしまうのに「自分がやっていることが正しい!」となって変えようとしません(嫉妬の発作や〜!)。結局、素晴らしい治療者がみんなの給料を稼ぐため一生懸命に働かなきゃいけない感じになって「あれ〜!」となるわけですね。

 

それで成果を出していないのだから「これが正しい!」なんてことを言っていたってしょうがないじゃない!と、外から見ていて思うのですが、嫉妬の発作を起こしている人は「あの人が言っていることは間違っている!」と判断して、そして自分なりのやり方をアレンジしてしまうんですね。

 

見ていると「正しい or 間違っている」は嫉妬の発作に油をそそぐようなもの。

それに注目すればするほど破壊的な人格に変身してまうやろ〜!となってしまいます。

 

最近では、大物芸人さんが立ち上げた会社の社長さんが「正しいことをやってきた!」というような感じになって「いつのまにか足を引っ張っている〜!」という感じになっていましたよね。「これが正しい」と思ってしまった時はすでに嫉妬の発作の渦中にいるんでしょうね。

 

その嫉妬の発作から自由になるためには「美しさを追い求める」が一番みたいなんです。

 

ここでよく勘違いしちゃうのは「嫉妬は醜いから美しいものを追い求めるんだ」ということ。

この「美しいものを追い求める」というのは、醜いものに一切注目を向けない、ということですから「あの人は嫉妬の発作を起こしてていて美しくない」などと判断をしない、ということです。結局「醜い or 醜くない」は、いつのまにか「正しい or 間違っている」の判断につながってしまうから。

 

これって意外と単純な仕組みなんです。

 

私は、以前、道を歩いていて、必ずワンちゃんのう○ちを目にしてしまって「その形が頭に残って不快じゃ〜!」となり、電柱の脇に広がっている汚物を目にしてしまい「ぎゃ〜!それが頭から離れない!」となっていたんです。私が外を歩けば、必ず自分が苦手なタイプの人が視界に入ってしまい、それが頭から抜けなくなり「1日が台無しじゃ〜!」となっていました。

 

それって、嫌なことを気にするときに、私の脳は「嫌じゃ〜!」と過活動を起こします。「いやじゃ〜!」とか活動を起こしていると、不快なものに注目が向いてしまいます。不快なものに注目を向ければますます脳は過活動を起こして「不快が止まらないくなる〜!」という状態になります。

 

ジョギングをして帰ってきて、頭がう○ちや汚物だらけになって不快になったってすごい話ですよね。

私の人生ってそんな感じでした(LLIがあるんですよね。LLIって潜在抑制機能障害の傾向のことです)。

 

これまで、本を書きながらいろんな呪文を唱えてきました。すると「あ!私の脳の過活動がなくなっているかも!」という具合になります。すると、ジョギングから帰ってきても「あ!汚物に一切注目が向いていない!」となります。

以前だったら、道を歩いていた毛虫の形が頭の中にくっきり残っていたのに「それがない!」とびっくり。

いや、見なくなったんです。

以前だったら、道端に落ちていたゴミを全て覚えていたのに(ゴミを覚えないで単語の一つでも覚えろや!)。

 

脳のの過活動があったから、不快なものに注目が向いちゃって、さらにそれが脳の過活動を増幅していました。

 

逆に考えれば、不快なものに注目を向けなければ脳の過活動も増幅されないから治るのでは?と考えるんです。

 

だから、美しいものだけに目を向ける、ということなんです。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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