2017/11/22

「短気は損気」という言葉があります。

 

意味は「短気を起こすと、人間関係も仕事もうまくいきませんよ!」ということなんですよね。

 

でも「怒りが無いと想像力が無い」という説があります。

 

怒る時に分泌されるホルモンがアドレナリンで、想像力の源であるドーパミンはその前駆体になります(前駆体って、アドレナリンが生成される前の段階の物質がドーパミン、と意味です)。

 

常に怒っている人は、アドレナリンがバリバリ分泌されているわけだから「ドーパミンも分泌されて想像力も豊かやろ〜!」となっているんです。

 

この想像力が「こんな仕事の企画はどうだろう!」とか「こんな効率的な動き方があるじゃない!」という方向に働けば「どんどんチャンスが巡ってくる〜!」となります。

 

でも、想像力って「あの人は私のことをどう思っているんだろう?」とか「この会社は私のことを陥れようとしている!ヒャ〜!」なんて方向に向いてしまうと魑魅魍魎になってしまいます(魑魅魍魎はちみもうりょう、と読みます「お化け屋敷状態じゃ〜!」と言う意味です)。

 

この怒りっぽい人は、想像力豊かだから、本当は「周りの人よりも仕事ができてまうやろ〜!」となります。

怒ってアドレナリンがバリバリ分泌されていたら、ドーピングをしてるスポーツ選手状態ですからね。

 

問題は、この怒りっぽい人のアドレナリンとドーパミンの醸し出す匂いで「周りの人が嫉妬の発作を起こしてまうやろ〜!」という現象が起きること。

 

他の人には注意しないのに「なんで私だけ!」という感じで注意をされたり、どうして私が提案したことは却下されるの?という現象が起きちゃって「怒りが魑魅魍魎の方に向けられちゃう〜!」という面白い現象が起きます。

 

周りの人たちが嫉妬の発作を起こして、怒りっぽい人の脳を刺激して「ますます怒ってまうやろ〜!」という状態にするのですが、それを人間関係の想像力の方に向けられちゃうから「仕事が全然できなくなる〜!」となります。

 

人間関係に注目させられちゃって、仕事に集中できなくなる、というのが仕事ができなくなる理由の一つです。

あとは、周りの人の嫉妬の発作で、怒りっぽい人の脳が刺激されて「記憶が飛んでまうやろ〜!」という現象が起きるから。

 

記憶を整理してくれる脳の部位は海馬ちゃんです。

そして、その海馬ちゃんの近くにあるのが怒りを感じる部位である扁桃体ちゃんです。

 

扁桃体ちゃんが周りの人によって刺激されちゃうと海馬ちゃんが「ビビビッ!」って刺激されちゃって「記憶が飛んでまうやろ〜!」となってしまう、って考えます(怒りっぽい人限定です)。

 

周りの人の嫉妬の発作に刺激されて「記憶が飛んでまうやろ〜!」となっているのですが、周りの人からは「なんであの人いつまでも仕事が覚えられないんだろうね!」とダメな人にされちゃうんですよねー(お〜!怖!)。

 

だから、この怒りっぽい人は「自分はダメだ〜!」という自信のなさがあるから「知識を仕入れなければ」と思っているのがスクリプトの中の「新聞を読まなきゃ!」という部分になります。

 

怒りっぽい人の想像力の象徴が「広告が好き〜!」という部分。

広告を見ているだけで、いろんな想像が膨らんじゃって「その想像力を使ったらお金持ちになれるじゃん!」という感じ。

 

怒りっぽい人が人間関係にまみれちゃうと「知識が足りない!」と周囲の人たちからの嫉妬で変な暗示を入れられちゃうけど「それは必要ないですから!」という暗喩もこのスクリプトの中には含まれています。

 

仕事なんか冷たい炭酸飲料と一緒だから「栓を開けたら冷たいうちに飲まなきゃ損よ!」という感じ。

周囲が炭酸の泡のようにシュワシュワ言っているかもしれないけど、時間と共にその冷たさも泡も消え去っていきます。

冷たさも泡も消える前に飲む爽快感!「あ〜!最高!」という感じが「お金持の方向なんですよね!」って入れてあります。

 

もうひとこえ説明しちゃいますと「嫉妬されて周りからシュワシュワ言われて冷たい対応をされるということはあなたには素晴らしいものがあるってこと!」ですよね。

それを豪快に飲み干すってことは「爽快!」なのかも、という暗喩(ゲップ!は爽快じゃなくて”豪快”か!)。

 

「そんなことを言ったって、過去には人間関係で怒らされて、私はその怒りに任せて間違った決断をたくさんしてきてしまった!」という後悔が足を引っ張ります。

 

そうなんです、あの人たちへの怒り、そして、その時にあの決断をしてしまった自分自身への怒りが、再び人間関係に結びついて魑魅魍魎の世界を作り出してしまうのでは?という不安があるんです。

 

人間関係で嫉妬されて攻撃されることで「せっかくいいところまで来たのに!」という感じの繰り返しで「お金持ちになれないやろ!」というループから抜け出せない!

 

そのループを打ち壊す、面白い仕掛けがこのスクリプトの中には隠されています(本当に隠れているのかな?)

 

オホホホホ〜!

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/11/21

大変お待たせいたしました。

 

第3回の嫉妬の連載をアップしました。

 

http://subarusya1.com/online/2017/11/20/20171115/

 

場所はこちらになります。

 

書いているとどんどん面白いことが見えてきますね。

 

やっぱり嫉妬って深いです。

 

これから自由になったらすごいことになるかも!という予感がしています。

 

これからが楽しみです。

 

いつも応援してくださってありがとうございます。

 

大嶋 信頼

 


2017/11/21

新聞を読んでいる人を見かけて「あ!新聞を読まなくちゃ!」と思っている自分がいます。

 

多分、政治や経済の記事を読みながら、世の中で起きていることを把握したい、と思っているのかもしれませんが、なぜか、本の広告欄とか、マンションや家を売り出しているチラシ広告などが真っ先に目に入ってきてしまいます。

 

チラシを見ながら「このチラシのデザインはどんな人がどんな思いを込めて作り上げているんだろう?」なんて考えていると、働き始めた頃のことを思い出すんです。

 

新聞なんか読む余裕が全くなかったあの頃。

 

人々が行き交う喧騒の中である感覚と共に私は歩いていました。

 

「働く」ということがどういうことなのかは、子供の頃から想像していたのですが、実際に働いてみると初めて冷たい炭酸飲料を飲んだ時のことを思い出すような、そんな感覚があったんです。

 

それまでは甘くて優しい飲み物が「一番美味しい」と思っていたのですが、炭酸飲料を飲んだ時のあのシュワシュワッという音と共に感じられるあの感じが「あ!大人になったかも!」と思ったあの瞬間。

 

あの光の中で飲んだあの時の感じが働き始めの私の中で思い出されていたんです。

 

人々の声が静かに響く中で、電話対応や書類の作成の仕方、そしてコピーの取り方などを覚えなければなりませんでした。

 

それをしながら「自分がしたかったのはこんな仕事なのか?」と思いながらも「これがいつか大きな仕事をするための一歩なのかもしれない」と何かを信じながら仕事をしていたんです。

 

時折「仕事ってこんなに簡単でいいのか?」と思うこともありました。

そしたと思ったら、仕事の重さを感じる時もあったんです。

 

あの時、自分は、なんであんなことを思って、あんな決断をしたんだろう、とあの時の自分のことを振り返るんです。

 

そうなんです。あの時の私の想いはどこにあったんだろう、って興味が湧いてきたんです。

あの時は、単純に思えたのですが、今こうして、振り返ってみるとあの思いには何か深いものがあったのかもしれない、って振り返りたくなったんです。

 

あの靴を履いて、あの服装をしていた当時の自分を思い返して、振り返ってみると面白い感覚が浮かんできました。

 

もしかしたら、あの時の自分が、思い浮かべていたのは、今の私よりもさらに年齢を重ねて、長い長い眠りにつく直前の私の姿だったのかもしれません。

 

長い眠りにつく前の私は、その働き始めた時の自分を見た時に、なんて声をかけるのだろう?ってあの時の私は、考えたのかもしれません。

 

長い眠りにつく前の私があの当時の私にかけてあげたかもしれない、その優しい言葉が私の中に響いてきたときに、一つの感覚が感じられるのかもしれません。そう、不思議と手に優しくて温かい感触が、私をある気持ちにさせてくれたんです。

 

その私の手に感じたのは、誰かの柔らかい手の感触だったのかもしれません。

 

その優しい手の感触と共に「あの時の自分のあの決断って今の私のためにあったのかもしれない」と感じられるような気がしたんです。

 

あの当時の人々の声が響く中で、私は、私のために何ができるのか。そして、今の私が何を求めているのか、そんなことがその時の私は、はっきりわかっていたのか、いなかったのか。

 

その当時感じられた手の感触と椅子の感覚。そして、今の椅子との座り心地の違いはどこにあるのか、と感じながら、今、私は座っている椅子の感覚を確かめることができます。

 

そして、この座っている椅子の感覚を確かめていると、フッと、小学校の時に座っていた、教室の木の椅子に座っていたあの感覚を思い出したりするのかもしれません。

 

教室に響く周りの子達の声が聞こえてきます。

 

そして、窓の外にはあの時、ぼーっと外を眺めていた風景が広がっています。

 

そんな幼い私が、周りの活気ある声の中で、ぼーっと外を眺めている時に、フッと感じたあの優しい手の感触を思い出したりするんです。

 

誰から握られたわけでもないのに、そう、誰かが優しく手を置いてくれたあの感覚って、いつ感じたんだろう? あの当時の自分は気がつくこともできなかったのかもしれません。

 

今、私は、その手の感触を感じながら「私の中で、一本の優しい線が繋がっているかも」と気がつくのかもしれません。

 

そう、手と手が重なった時に、私の中で閉じていた蕾が開かれるように、花びらの一枚一枚が広がって、そこから優美が香りが広がっていくのかもしれません。

 

その優しい手の感触と共に。

 

そして、私は、私の体に流れていく爽やかな空気を感じていきます。

 

 

ひとーつ!爽やかな空気が頭に流れていきます!

 

 

ふたーつ!頭がだんだんと軽くなっていきます!

 

 

みっつ!大きく深呼吸をして、頭がスッキリ目覚めます!

 

お金持のスクリプト(怒りを脳に帯電バージョン)でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/11/20

真面目な人のお金持ちになるためのスクリプトの解説をしています。

 

カウンセラーは基本、5つの診断というものを使っています(また難しい話だ〜!)。

 

身体的な問題、精神的な問題、人格的な問題、そして社会的・家族的な問題、さらにはコミュニケーションの問題という5つの領域の“問題”を元に治療のプログラムを立てます。

 

真面目すぎる人がお金持ちになれない、というので「低血糖症の問題」と「強迫性障害(完璧主義)」があって、次は人格で「回避性パーソナリティー障害」というのがあるのでは?と考えるんです。

 

「回避性パーソナリティー障害」と読んでしまうと、なんとなく「あ!肝心な時に”逃げちゃう”タイプの人なんだ」という予測しちゃいます。

お金持ちになるためには「立ち向かわなければ」という場面があります。そんな時にも「ヒエ〜!怖い〜!」と逃げちゃっているからお金持ちになれないのかな?

仕事を続けて、虎視眈々とお金持ちになるチャンスを狙わなければいけないのですが「あの人意地悪だから嫌だ〜!」と逃げちゃうのがそれ?と名前から想像を膨らませちゃいます。

 

でも、この「回避性パーソナリティー障害」で注目するべきなのは「自分なんかふさわしくない」という感覚なんです。

「自分は社会的に不適格で、魅力に欠けていて、笑われること、恥をかくこと、排除されること、嫌われることを極端に怖がり、そのために社会的交流を避けようとする」(ウィキペディアの「回避性パーソナリティー障害」から)。

 

お金持ちになるスクリプト(真面目な人編)の中でブランコを後ろから押してもらいたい、というのが出てきます。

 

子供は「もっと押して!押して!」とおねだりすることができますが「私なんかが押してもらったら申し訳ない」というのが、多分、回避性人格障害の人なんでしょうね。

「私なんかふさわしくない」という感覚から、誰かに押してもらって、私が楽しむことなんて、ふさわしくない、と思ってしまいます。「遠慮している」と周りの大人たちはとらえますが、遠慮じゃ無いんです。

 

「自分は押してもらうことなんかふさわしくない」と思っているのですが「誰も私のことを押してくれない!」という怒りは十分にあります。

 

一般の人がこれを聞いたら「あんた!言っていることが矛盾しているけど!」と。でも回避性パーソナリティー障害の人にとっては感覚的な矛盾はないんです。

 

誰も、温かい手で優しくブランコに乗る私の背中を押してくれなかったんです。

でも、押してもらったとしても「私にはその価値がない」とすぐに辞退してしまうんです。

 

多分、押してくれる相手が飽きてしまって「なんでいつまでも押させるんだ!」と嫌われちゃったり、相手を信頼したら、全く違う意図で背中を押していたので「恥をかいてしまった」というのが怖いから、相手に背中を任せることができないんでしょうね。

 

そんな寂しい幼少時代の自分に優しく背中を押してあげられる人がここにいたんです。

 

そうなんです、時空を超えて、鉄棒で冷たくなった手をその幼い自分の背中に触れた時に、期待と不安の入り混じった温かさを感じ、そして、その背中を押すたびに、冷めた手がどんどん温まって、そして、その子を高く、もっと高く、と押してあげることができるんです。

 

その手の温かさは、いつのまにか私の背中にと伝わってきて、ふっとした場面で私の後押しをしてくれます。

 

そう、いつもだったら入ることができなかった会話の中に、温かい手が押してくれて「あ!楽しい!」って感じさせてくれます。

 

社会的・家庭的問題については「景気が良くなってきている」とニュースで流れるけど「ちっとも自分の経済的には変わらないじゃないか!」というのが考えられます。

周りの人が変わっているのに「自分だけが変わっていない!」というのはものすごいストレスなんですよね。

そのストレスでますます血糖値の問題が起きたり、自己免疫の暴走が誘発されて強迫性障害がひどくなるやんけ!という感じになるんです。

 

「貧乏暇なし」と言いますが、時間が全くなくて、何をやるにしてもお金がかかって「貧乏になる〜!」という感覚に取り憑かれてしまいます。

 

周りの人の状況が良くなっていることが見える人ほど「なんで私は!」と貧乏くじを引かされている感覚で、ますます悪循環になってしまう可能性がある。

 

だから、誰もいない公園で楽しむ、ということなのかもしれませんね。

楽しむ、って実際に身体を動かして楽しむことだけではないんです。

そう、そこに幼かった頃の自分を想像して、その自分が無邪気に遊んでいる場面を優しい目で見ることも「楽しむ」ということなのかもしれません。

 

今現在「無意識」ということを題材に本を書いていますが、無意識って「そこにないものをイメージする」ということで発動するんですよね。そこにないもの、って、そこにいる幼い自分を想像すること。その自分を自由に想像の中で遊ばせる、ということをすればするほど無意識が活発になり「無敵!」になります。

 

そうなんです「なんで自分ばっかり貧乏くじを」と現実を見ていた時は、意識だけが働き、目の前に灰色の壁があるような感じになりますが、無意識が活発になると「あ!こんなことも、あんなこともできるんだ!」とどんどん可能性が見えてきます。

 

それだけじゃなくて、無意識は、いつのまにか不思議なことを巻き起こしてくれるんです。

 

「お〜!無意識ってすげ〜!」っていうようなことを。

 

無意識を活発にするために、ものすごく遊びたくなったりするんです。

 

 

コミュニケーション能力も書きたいのですが、時間がなくなってしまいました。

 

みなさんと一緒に書いていると楽しいです。

 

時間があっという間に過ぎてしまいます。

 

いつもありがとうございます。

 

「ずるい人」が周りからいなくなる本(青春出版社)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

ずるい人が気にならなくなる、と書いてくださってありがとうございます。正義感が強いって、わかります〜!いつまでも頭に残っていてグルグルって悪夢ですよね。言葉を唱えたら、ムカムカがおさまり、自然と気持ちが穏やかになった、ってうれしいです!!やった〜!「自分の制限をなくして楽しい人生」っていいですね!どんどん制限が無くなっていったらいいですね!私もこれから頑張って書いていきます。私も一緒の日本に生まれてよかったです!!いつも応援してくださってありがとうございます。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 


2017/11/18

「お金持のスクリプト(真面目すぎる人編)」は、どんな意図を持って作られたのか(真面目か!)。

 

短期精神療法のミルトン・エリクソン博士は、スクリプトを錬る時に、子供たちにそのクライアントさんの家まで行かせてカーペットの色まで調べさせた、という話を聞いたことがあります。

 

なぜ、お金持ちになれない?という理由って人によって全然違っていて「玄関のカーペットが赤だから運気を逃すんです!」なんてことがあったりするのかも(あるのか?)。

 

私たちはカウンセラーだから、別の調べ方、仮設の立て方をしていきます。

 

真面目すぎる人がなぜお金持ちになれないのか?

 

まずは、家族でおじいさんまでさかのぼって、親戚の中に「糖尿病の方、または甲状腺や婦人科などの内分泌の問題を持った方」がいらっしゃる可能性を探ります。

 

ここで、いた場合は「血糖値のコントロールが難しい!」という”低血糖症”などの身体的な問題があるのかも?という可能性を考えます。

 

これは、スクリプトを作るための仮設、なんです。

 

家系に内分泌の問題がある方がいらっしゃると「血糖値の乱高下が起こってまうやろ〜!」という遺伝子を持っていらっしゃる可能性が疑われます。

 

そうなるとどうなるかというと、子供の頃にお友達がお菓子を食べていると、急激に血糖値が下がって「甘いものを食いたい〜!」という衝動が起きます。「奪って食べたい!」ところまで行かないのですが「あれ欲しい!」という衝動がものすごく強くなる。

でも「そんな欲しがったらはしたない!」とか「人のものを欲しがるなんてみっともない!」と親から厳しく躾けられていると「自分の衝動ってみっともない!醜いものなんだ!」となってしまって、自分の衝動を抑制するようになります。

 

低血糖症の遺伝子があるから「あれ欲しい〜!」となっているのですが「それを思ってしまう自分は醜い!」と自己否定をして、その衝動を抑える、ということになってしまうんです。

 

だから、食欲、睡眠欲、性欲なども全て「みっともないもの!」と心のどこかで否定するので「うまくコントロールできない!」となり、そのコントロールに力を取られて「お金持になることなんか無理!」となってしまったりするんです。

 

もう一つは、自分の欲動に対して「みっともない」と思っているから「自分に自信が持てないやんけ!」となります。外に出す自分はどこか偽っているような感じがしているのは、常に自分の中にいる猛獣を抑えているから。自分の本性を出してしまったら、周りの人から受け入れられない!という感覚から「絶対に本性なんか出せない!」とどこかで自分を嫌ってしまっているんです。

 

そうなるとせっかく生まれ持った「カリスマ性」が使えません。カリスマ性って欲動の中に隠れていたりするんですよね。

それを抑圧してしまう、ということはカリスマ性も隠してしまうことになりますから「お金持になるためのカリスマ性が発揮できないやろ〜!」となっているんです。

 

お金持ちのスクリプトの中には「静かに自分の欲動を受け入れて従ってみる」という暗示が入ってます。

 

そして、この真面目すぎるタイプの人がお金持ちになれないのはなぜ?と精神科領域の分類でみると「強迫性障害」の可能性を疑います。

 

強迫性障害って、一般的に言ってしまうと「完璧主義!」です。

「曲がったものが大っ嫌い!」という感じ。「石橋を叩いて渡る」という感じなのですが、強迫性障害の方の場合、石橋を叩いているうちに「破れちゃった!」と感じの人。常に不安で、いろんなことを想像してシミュレーションしてるうちに「何もできない!」となってしまう「何もできない完璧主義者」とでもいうんでしょうかね。

 

スクリプトの中では「雨が降ってきたら靴が濡れちゃう」と心配になってしまう、というのがそれです。

 

昔だったら「神経質ね!あの人って!」と言われていたタイプ。

片付けができない、とか、ものが捨てられなくて、もので家が溢れている〜!というタイプの人もこの強迫性障害、という遺伝子を抱えていたりするんです。

 

普通だったら「それって治すの難しくない?」となります。

 

まあ、それを言ってしまったら、低血糖症も「普通、治せないでしょ!」となりますよね。

 

じつは、低血糖症も強迫性障害も繋がっている部分があるんです。

低血糖症は「膵臓とかの内臓の問題でしょ!」となるのですが、腸から栄養や毒素が漏れちゃう〜!という「リーキーガット」の可能性が最近では浮上しています(まあ、私の中なんですけどね!)。

 

どうして、腸から漏れちゃうの?というと「自己免疫が暴走して、自分で自分を傷つけちゃうから〜!」というお話。

 

普通だったら、自分を守ってくれるはずの自己免疫が「あんたは間違っている!」と自分自身の細胞を攻撃して「壊してまうやろ〜!」となっている現象。

 

強迫性障害の人って「汚いものをさわれない〜!」となりますよね。

すると腸が「汚い!」と敏感になり、ありとあらゆることに「反応してまうやろ〜!」となってしまう。

 

だから、あの本に書いてある「菌を採取しましょ!」というお話。

 

実は「子供たちが触った鉄棒を握る」というところにその意図が隠れているんです。

 

子供たちはトイレに行ってもあまり手を洗いませんでしたよね。

みんなでそんな手で鉄棒に触って、ということで菌を採取して自己免疫の暴走を防ぐ、ということができていたのかも。

 

菌の採取って、本当は子供のうちにしなければならない、っていう説があるんですが、大人の人たちを見ていると「大人からでも大丈夫かも?」と思えるんです。

 

このようにして「血糖値の問題」というのは身体的な疾患、そして「強迫性障害」というのは精神的な問題、さらには人格的な問題とつづきます。

そして、その人の社会的、家庭的な問題、が続いて、最後に対人関係スキルの5つがどのようにお金持になることを阻んでいて、そこからどうしたら自由になることができるのか?ということがスクリプトの中には含まれているんです。

 

(つづく)

 

 

「ずるい人」が周りからいなくなる本(青春出版社)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

「関係の更新」が教えてくれたこと、と書いてくださってありがとうございます。「名前負けしている!」っていいう劣等感わかります〜!私はコマーシャルで「信頼」と聞くたびに「嫌だな〜!」と思っていました。天皇家になぞらえてつけられた名前であの「玉音放送」が頭の中で流れた、ってすごいお話ですね〜!それまでの苦しんでらっしゃってきた過程を考えると感慨深いですね。読んでいて鳥肌が立ってしまいました。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」というのが、自分の関係の更新だ、という気づきを読んでしまったら涙が溢れてきました。本当にありがとうございます。うるうるきちゃってこれ以上書けなくなってしまいました。

 

いつも、ありがとうございます。

 

大嶋 信頼


2017/11/17

このようにしてスクリプトを意識的に解説してしまうと「やっぱり努力しなきゃお金持ちになれないんじゃない!キッー!」となってしまいます。

 

人に気を使ったり、しがらみ、という贅肉があるから「重くて、実行力が発揮できなくて、お金のある方向に動けない!」となっている、と意識は解釈してしまいます。

 

だから、時間をかけて「人のことが気にならないようにしなければ!」とか「人間関係の断捨離をしなければ!」となり「それをしなければお金持ちに近づけないんだ〜!」となってしまう。

 

「姿勢を正して美しくなって、そして礼儀やマナーに気をつけて、服装なんかにも気をつけなければお金持ちになる弾みとなる運気が巡ってこないんだ〜!」なんて面白いことを意識は考えてしまうんです。

 

たとえ、チャンスが巡ってきたとしても「自分にそれを継続する力があるのだろうか?」と意識は考えてしまいます。

 

一発屋芸人さんみたいに「こんな面白くないことをやっていて大丈夫なのかな?」と自分の中でテンションが下がってしまって「いつのまにかクオリティーが落ちてしまっているやろ〜!」とせっかく掴んだチャンスを逃しちゃう!的なことになってしまうのでは?と意識は面倒臭いことを考えさせる。

 

だから、お師匠さんのスクリプトは「あれ?何を読んだっけ?」と覚えていられない。

 

催眠を使って意識が働かない無意識状態に落としてから、スクリプトを奥深くに入れているから「何をやってもらったのかわからない!」となります。

 

でも、知らず知らずのうちに「あれ?背筋が伸びてるぞ!」となっていて、ご本人は「整体に行ったから背筋が伸びるようになった!」と帰属します(帰属って、原因をそこに結びつけること)。

 

いつのまにかLINEの人間関係を断捨離していて、そして「気楽な人しか付き合わない!」となっているのですが「あ〜!年を取ってきたから人間関係が面倒臭くなってきたからだ!」と「年齢」に帰属します。

 

自然と運動をしたくなって、痩せてきたら「あ!飲んでいるサプリが効いてきたから!」と思うんです。

 

お師匠さんのスクリプトは、まさにバラの詩人。

「いくつものまぶたを持ちながら、誰の眠りでもない喜びよ!」とバラの詩の中にありますが、まさに「いくつもの仕掛けで無意識さんに働きかけているだけで、無意識さんがいつのまにか素晴らしい力を徐々に発揮してくれますよ〜!知らず知らずのうちに」とお師匠さんは無意識さんに全ての功績を譲ります。

 

そうなんです。

 

ちょうど背中の真ん中あたり、そう、肩甲骨のちょっと下あたりに、暖かい手のような感覚を感じるのは「あ!ブランコを押してもらうときの暖かい手だ!」なんて誰も気がつきません。

 

その暖かさを感じていると、不思議と積極的になる自分がいて、そうかと思ったら、ふっと嫌な空気が周囲に流れたときに、すっと引くことができるんです。

 

積極的になる必要があるときは、暖かい手が後ろから絶妙なタイミングで優しく押し出してくれて、そして、いつのまにかチャンスを掴んで元の位置へと戻りながら、ということを繰り返して楽しくなってきます。

 

無意識さんが絶妙なタイミングで作り出してくれるチャンスを見るのが楽しくて、不思議と表情は幼子のような笑顔になります。

そして、逃げる必要あるときは、自然と引くことができていて「運を逃さなくなっている!」ということを無意識で感じていくのかもしれません。

 

背中の優しい手の温もりを感じていると、人の中で会話に入るタイミングがわからなかった私が「あ!自然に会話に入ることができている!」となり、引くとき、入るときの振幅を楽しみながら、いつのまにか「私がその会話をコントロールしている」という感覚さえ得られるようになったりするんです。

 

お師匠さんのスクリプトを覚えていない私は「あ!グループに慣れたから!」と思うのですが、不思議と背中にはあの優しい手の感覚を感じていたりするんです。

 

多分、お師匠さんの催眠療法の講座にただ参加していたときは、私にはこの仕組みがわかりませんでした。

 

本当に「え?何を今日は学んだの?」という感じになるのは全てお師匠さんの催眠のせい(私は誰?ここはどこ?それは大袈裟やろ!)。

 

でも、講座の後の懇親会でお師匠さんは、その種明かしを知らず知らずのうちにしていて、私は「お〜!こういうことだったんだ!いただき!」とお師匠さんの手法をパクリまくっていました(パクリまくる、という言い方はかなり下品ですが、盗みまくっていた、ということです。ほとんどネタは食事の時に語られることが多かったですね)。

 

あの本に書いた「菌を採取する」でお師匠さんの催眠菌を食事をしている時に受け取ったから「催眠って面白い〜!」となったのか、それとも、講座という意識の世界よりも、食事をしている無防備な無意識さんの世界にお師匠さんと一緒に浸ることができたから学ぶことができたのか。

 

いろんな可能性が考えられますが、一つ一つが私に取っての宝物なんです。

 

そうなんです。ここで書いているスクリプトのネタバレが、実はお師匠さんが講座の後の懇親会でやっていた、二段構えの催眠的な感じなんです。

 

意識的にネタをばらしいているようで、さらなる深い眠りへと誘われていきます。

 

お金持ちに向かって。

 

 

「行動できない」自分からの脱出法!(清流出版)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

地球にやさしい本、と書いてくださってありがとうございます。ものすごい深い内容のレビューですね。読んでいてものすごくよくわかります。私も年下の優秀な子らへの嫉妬が起きているのかもしれない、という怖さが時折襲ってきます。その理由を探っていくと、まさに書いていただいてることそのままじゃない!とびっくりしました。包み隠さず内面をぶっちゃけていくと、本当は「みんな同じ!」だったりするんですよね。表面的にいくらきれいごとを言っても、みんな中身は同じ、ということを改めて実感できて本当にうれしかったです。ここまで自己分析が素晴らしい、というか、正直に書いていただいているというか、すごいです!!本当はここに本質がありますよね。フロイトおじさんも「タナトス(破壊欲求)とエロス(性的欲求)」のことを言及していました。でも、面白いのが「心よ!この葛藤って私のもの?」と聞いてみると「え?!」となるんです。仰るように、私も以前は、そこら辺のことを言及して究極はそこをクリアすることなんだろうな、と思っていました。でも「心よ!」と邪魔を排除してから(ここが重要!)聞いたら「え?人って複雑じゃないんだ!」ということがわかります。まさにアッカムの剣だったりするんです。

「支配されちゃう人たち」に書いていましたが「支配する方法」がまさに“性”だったりするのです。多分、そこを理解してくださっていて、火の鳥が一度そこに「ドボン!」とマグマ(性的葛藤のるつぼ)の中に突っ込んで、そこから美しく輝いて出てきて自由になる的な本を確かに書いてみたいですね。面白そうですね!!書いてくださってありがとうございます。感謝!!

 

「ずるい人」が周りからいなくなる本(青春出版社)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

Kindle版待ってました!と書いてくださってありがとうございます。一日で読み終わっちゃいましたか!あは!タイプ別はもちろん私も全部当てはまってしまったので「仲間だ!」と思っていました。以前の私は、電車の中の「ずるい!」も長期で引きずっていました。ヤバいかも!見事にポイントを押さえてくださいましたね。こちらの反応でずるい人の行動が増幅するって。私の文章を読んで笑ってくださるのはめちゃめちゃうれしいです。警察官の話、ウケる〜!でしょ!でしょ!書いてくださってありがとうございます。感謝!!

 

いつも応援してくださってありがとうございます。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 


2017/11/16

お金持のスクリプト(真面目すぎる人編)解説の続きです。

 

いつも、私がジョギングで通り抜ける公園では、おじさんたちが遊具を使って懸垂とかしているんですよね(懸垂はちょっと高い鉄棒にぶら下がって、両腕だけで自分の体重を引き上げるを繰り返す運動)。

 

「いいなぁ〜!あれ!」と思って自分もやって見たんです。

 

やってみたら、きつくて「うわ〜!こんなの何回もできないや!このおじさんたちすげ〜!」と思いました。

 

ここら辺も「お金持になるスクリプト」のヒントになります(ヒントって、だから、スクリプトの仕掛けは知らない方がいいんだって〜!)。

 

子供の頃に「うんてい」をやった時は「途中で落ちるのは怖いけど・まあ落ちても怪我はしないか」という高さにありました。

 

うんていをやっていて「落ちるのは怖いけど挑戦してみたい!」とちょっとしたスリルを味わっていたような気がします。

 

大人用の「うんてい」がある公園があればいいのですが、子供用のうんていだと大人がやった場合「足を曲げなければ地面に着いちゃう」となります。

 

要するに「いつでも足をついてズルができる状態」だから「スリルがない!」ということで「足を曲げ続けて自分の体重を両腕にかけて前に進むことは難しい」となるんです。

 

「落ちたら怪我をするかもしれない!」というスリルがあったほうが「冷たくったって鉄棒を離せないぜ!」となりますでしょ。

 

それがなければ「握力」という「実行力」をなかなか発揮することができないんです。

 

無意識さんに対する暗喩は「チャレンジングな挑戦の方が実行力が発揮できますよ!」ということになります(チャレンジングって「自分にはできるかな?」とちょっと不安になるぐらいの挑戦のことです)。

 

多少スリルがあるチャレンジを何度も繰り返しているうちに、どんどん「握力」である「実行力」が身についてきて「チャンスを掴み取ることができるようになってるやんけ〜!」となるんです。

 

そんな環境がない場合は、子供用のうんていでも足を曲げればトレーニングができますよ!ということになります。

 

でも、この場合、長年培ってきてしまった「しがらみ」と「人に対しての気遣い」という贅肉が重くて「握力で自分の体重を支え切ることができない」となって諦めてしまうことがあるんです。

 

一般の人は「しがらみなんて切り捨てちゃえばいいじゃない!」とか「人になんか気を使わなければいいじゃない!」と簡単に言います。

 

それができてたらとっくの昔に自由になっているわ!

これらは、身体にくっついている贅肉のように「なかなか削ぎ落とせない!」という感覚が暗示としていつのまにか入っているんです。

 

怠惰な生活をしているから贅肉が削ぎ落とせないんじゃなくて、人に気を使いすぎているから「重すぎる〜!」となって実行力をうまく発揮できなくて動けない。

そして「挑戦したいのに挑戦できない!」という状況になっているのが意識的な世界なんです。

 

そこから、再び無意識の世界へと入っていきます。

今よりも、しがらみが少なくて、今よりも身体が軽かった子供時代へとイメージの中で戻って、ブランコに乗っている場面を思い出すことで「無意識」の世界へ。

 

催眠のスクリプトでは「意識」そして「無意識」と繰り返すことで、さらに深い無意識さんの世界へと誘っていきます。

 

私が子供の頃のブランコって「優しさを受ける」という象徴でした。

 

そうなんです。人気者の子とか周りから愛される子は、誰かに後ろから押してもらって、高みへと上がっていきます。

 

「私も押してほしいな」と思っていたのですが「私なんか誰からも押してもらえない」と思っていたので、あの子みたいに「押して!押して!」なんてねだることなんかできませんでした。

 

優しい子が「押してあげようか」と言って、いつも仲間はずれのようになっている私を哀れんで背中を押してくれたのですが、その優しい手の感触を感じながらも、あまりにも申し訳なくなって、涙が溢れてきそうになり「ありがとう!」と言ってすぐに降りてしまっていたのを思い出します。

 

「自分の背中を押させるなんて申し訳ない」と。

 

「自分なんか人から優しさを受ける権利がない」と思っていたのかもしれません。

 

ブランコって面白いんです。

力学では、押してもらったりして、外から力が加えられなければ「動かない!」し、押してもらって動いても外から力を加えなければ速さや高さを増すことができない、という「慣性の法則」というのがあります(これらの知識は全て無意識さんの中に詰まっていますが意識できないだけ)。

 

ブランコの場合は、外から力が加わらなくても(一人でも)、止まった状態から漕ぎ出すことはできるし、振幅を大きくすることだって一人で簡単にできちゃうんです。

 

ちなみにブランコというのは「所作の美しさが成功に導く」という暗喩が含まれています。

 

ブランコって、背筋を曲げてたり、足をバタバタさせてたら止まっている状態から動かすことができないんですよね。

胸を張って、そして、足を揃えて、そして動きに合わせて綺麗に足を上げたり、曲げたりして美しい姿勢によって、より振幅が、となっています。

 

所作の美しさは、一般人の嫉妬の対象になって「何にも役に立たない〜!」となることが多いんです。

 

下品な方が受けてるやんけ〜!ってね!

 

その所作って一人でブランコを漕ぎ続けるために身につけたもので、それは成功に導く振幅を大きくするためのものだった、という暗喩が含まれています。

 

問題は、高く上がって天を仰ぎますが、やがて底辺に戻ってきて、そしてまた後ろに下がり、ある一定の高さになったら、底辺に向かって落ちていくような形で、再び天を見る、ということを繰り返している、ということです。

 

一発芸人さんは「なんで一発屋なの?」ということを考えるときに、同じギャグを何度もリクエストされると、我に返って「なんでこんなことやっているんだろう?」と冷めてしまうから、と考えます。

 

周りの人の気持ちを考えてしまい「もう飽きられるのでは?」と不安になったりしたら「アウト〜!」ってなるんでしょうね。

 

子供はなぜ、ブランコを漕ぎ続けることができるのでしょう?

 

それは、もしかしたら、一人で漕いでいるようで、目に見えない力で後ろから押されている感じがして、その暖かい力を感じたくて、いつまでもいつまでもブランコを漕ぎ続けることができるのかもしれませんね。

 

書いているのが楽しくて、書きすぎてしまいました。

 

無意識さんが全てを受け取ってくれています。

 

そして、そう、いつのまにか後ろから押してくれている優しい力を感じながら、あ!面白いことを私はしているかもしれない、と気がつくのかもしれません。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/11/15

11月13日にタウンワークネットで


『「すぐ不安になってしまう」が一瞬で消える方法』が


紹介されたようです(ちなみに出版社には連絡が無かったみたいです)。


ツイッターでも配信され、大きく扱っていただいています。


https://townwork.net/magazine/life/47857/?vos=dtwnsnss1614717

 

これってすごいですね。

 

こんな風に取り上げられちゃってどうしましょ!

 

みなさんのおかげです。

 

感謝!!

 

拡散していったらうれしいです。

 

大嶋 信頼

 

 

 


2017/11/15

お師匠さんの催眠スクリプトは、物語の中にタネも仕掛けもあって、それを聞いたり読んだりした後に、無意識の中に種がまかれて芽が出てきます。

 

そして芽が出て花が開いて「いつのまにかこれまでとちょっと違うことをしている〜!」と誰から言われたわけでもないのに,文章が無性に書きたくなったり「あれ?効率よく仕事ができるようになっている!」となるんです。

 

催眠のお師匠さんのスクリプトは効きが抜群でした。

でも、誰も「お師匠さんのスクリプトのおかげで変われた〜!」とは思わないのかもしれません。

なぜなら、そのスクリプト自体が催眠的な効果があって「意識」できないレベルまで落として、そして無意識の中にアプローチしていくから。

 

みんなお師匠さんのスクリプトを聞いた後に「あれ?変な話!」で終わっていたと思うんです。

 

でも、いつのまにか無意識に自分の環境を変化させて飛び立っていきます。

美しく、綺麗に。

 

私の場合、疑い深いので「あれ?あの自分がこんなことをするのはおかしい!」と探ってしまうんです。

 

探らなくていいのかもしれないけど、探らないといられないんですよね(多分これもお師匠さんから入れられているかもしれない)。

 

すると、私の中で「あ!あの治療法を見つけたのってお師匠さんのあのスクリプトからだったんだ!」とわかります。

 

さらに「あ!文章を書き始めたのは、お師匠さんがあのスクリプトを私のために読んでくださったからだ!」って。

 

もちろん、お師匠さんが読んでくださったスクリプトは巧妙でどんな内容だったのか、なかなか思い出せないんです。

 

お師匠さんが楽しそうに書いていたスクリプトって、こんな効果を狙っていたからなのね!と嬉しそうに、まるでジオラマを作るようにスクリプトを練り上げているお師匠さんの姿が浮かんできます(ジオラマって風景を立体的に表現する方法でお師匠さんは鉄道風景のジオラマを作っていらっしゃいました)。

 

お師匠さんは、私がこの先、どんな道を歩んでいくんだろう、と予測して、スクリプトに仕掛けを練りこんで、ちゃんとある時期に花が咲くようにセットされていたんです。

 

多分、他の人から見たら「効果が出るまで長すぎる!」と言われるのかもしれませんが、私にとっては「なるほど!この時期じゃなければいけなかったのね!」ということが理解できるんです。

 

そうなんです「すべては、時にかなって美しい!」となっていました。

 

スクリプトは、本当に面白いんです。

 

でも、多分、皆さんは「そんなに悠長に効果を待っていられない!」と思われると思うので、お金持のスクリプトをいろんな方向から書いています。

 

そして、スクリプトの解説を書いてみています。

 

スクリプトの中に「歩く」というのがよく出てきますが、これは「人生の歩み」という暗喩が含まれています(暗喩って無意識が「歩く」ということで「人生の歩みなんだな」と受け取るようにセットしている言葉なんです)。

 

そして「靴」というのは実は「職業」を暗喩していて、車のタイヤから湿ったような音、ということから「あなたの靴のグリップは大丈夫?」ということを問いかけています。

 

タイヤはすり減ってしまうと「思うようにスピードが出ない!」とか「燃費が悪くなる!」と同様に、靴の場合はグリップ(地面を掴む力)が弱いと「膝が悪くなる〜!」と体に支障がきたり「一生懸命に歩いているつもりなのにスピードが出ない!」となっていたりします。

 

でも、合っている靴を履いたら「あ!靴のグリップを意識してみたら、この靴って結構いいかも!」となって「グリップを感じながら歩いたら、結構早く力強く歩けるかも!」となります。

 

接客業の達人は、相手の「靴」と「時計」を見て「あ!お金持ちだな!」とか「やり手だな!」と判断をします。

 

靴が違っているだけで扱いが違ったりして、ということがあることはお金持ちは知っていたりするんです。

 

皆さんはもうわかっていらっしゃるかもしれませんが、天候は「景気」や「個人的な資金」を表しています。

 

そして「公園」と「遊具」は“無意識”を象徴しています。

 

なぜ? 意識的な大人は公園の遊具で遊ばないから。

無意識に一番近い幼子が公園ではしゃいで走り回り、想像力を使ってその遊具で様々な遊びを展開していきます。

 

公園の遊具は「どうやってうんていを攻略したらいいかな?」とそれをやっている姿を想像させます。

無意識に入るためには「そこにないものを想像すること」ということを以前ちらっとこのブログで書いていました。

自分がそれをやっている楽しんでいる姿を想像する、ということだけでも「無意識」に近くなり、無意識さんの世界に誘われていくんです。

 

そうなんです、不景気だとお財布の紐が閉まるでしょ(財布の紐が閉まるというのは、ケチになるということ)。

「お金を使える意識的な遊びができない〜!」となったら、お金を使わないで遊べる公園に吸い込まれていく〜!という面白いお話。

 

そして、意識的に生きてきた私が公園の「うんてい」に掴まった時に「体が重い!」となる、その重さは「大人になって人に気を使いすぎやろ!」という話。

 

「体重」というのは「人に対しての気遣い」や「世間のしがらみ」を象徴しています(世間のしがらみとは、自由に行動するのを邪魔するもの、という意味です)。

 

そしてうんていの鉄の棒を掴む「握力」は「行動力」を意味しています。

 

子供の体重は軽いし、確かにその軽い体を動かす、行動力も十分にあるのかもしれません。

なんせ、無意識さんに一番近いのですから。

 

さあ!この大人になった大きな手は、何ができるのでしょう?

あの鉄棒を握って冷たく、重い体重を支えて痛みを感じていた手が、子供の頃の自分の背中を優しく押す、暖かい手へと変わっていきました。

 

いつのまにか。

 

さらに、そこの解説を続けていきます。

 

(つづく)

 

「行動できない」自分からの脱出法!(清流出版)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

男性でも表紙のイラストにひるまず読んで正解、と書いてくださってありがとうございます。これを読んで「やったー!」と飛び上がって喜んでいます。めちゃくちゃ嬉しいです!本当にありがとうございます。「内面がいつになく”静か”」というのがものすごい嬉しいです。1日で45kmってすごいですね。考えずに動ける、って本当に素敵ですね。

「人からの謂れなき叱咤」のお話は深いですね。なぜか、読んでいて文章からお師匠さんの催眠の匂いがするんですけど、なぜだろう?すごいです。読んでいて、感動してしまいました。なんだか不思議と暖かい気持ちになって励まされて、これからも頑張って書くぞ!という気持ちにならせていただきました。本当に感謝です!!書いてくださってありがとうございます。感謝!!

 

少しずつ自由になっています、と書いてくださってございます。「たぶん、自由に近づいているのかな」というのがすごく嬉しいです。確かに締め付けでわかりますよね!「あ!こっちの方向でいいんだ!」って。家族をほめる、ってキツかったですよね。すみませんでした。怒りで執着させられちゃっていて、でも、その怒りを手放してしまったら「家族と離れちゃう!」というものすごい不安が襲ってくるから「怒りを手放せない!」と私はなっていました。ブッダの説いていたかもしれない「執着」ってすごく不思議なんです。友達のことが浮かんできたら「お返ししてください」とお願いするのはいいですね。あ!そうか!と私が気がつかされました。毎日楽しく過ごせるように頑張って書いていきます!!いつも応援してくださってありがとうございます。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017/11/14

曇り空を見ていると、こんなちょっと寒さを感じる時期に、ある道を歩いていたことを思い出すんです。

 

靴の裏にアスファルトを感じながら、もしかして、雨が降ってきて靴が濡れてしまわないか、と心配しながら、私は道を歩いていたんです。

 

すると、雨が降る前兆のようなあの匂いがしてきます。

 

近くを通る車のタイヤからは、湿ったような音が響いてきます。

 

こんな日にゆっくり一人で歩くのはおかしいかな?と思いながらも、私は、なぜか何の目的もなしに歩いている自分の足の動きを感じていたんです。

 

一歩、一歩、歩く時に伝わってくる地面の感覚。

 

そして、近くを通る車の音で、ビクッとする身体の反応を感じながら、いつもの道を歩いています。

 

すると、いつもの風景なのですが、大人になってからあまり入ったことがない公園が私の横に広がっているのが見えてきます。

 

晴れた日は、子供達が楽しそうにはしゃぎながら走り回っているかもしれない公園。

 

こんな日のこんな時間だから、子供たちもお母さんもそこには誰もいませんでした。

 

この曇り空の下に遊具が寂しそうに子供達を待っているような、そんな感覚を感じながら、私は思わず公園の中に入っていきます。

 

自分の中では、子供の頃からどれだけ体力がついたかな?と思って、鉄の棒にぶら下がって前に進む「うんてい」をやってみたくて中に入ってみたんです。

 

子供の頃は、高いうんていから落ちてしまうのが怖くて、しっかりと鉄の棒を握って「落ちまい」と踏ん張っていたのですが、成長した今は、足を曲げなければぶら下がることはできなくなっていました。

 

誰もいない公園で、鉄の棒は冷え切っていて、握った時に冷たい感覚が手のひらに伝わってきます。

 

「大人になったらこんなの楽勝で渡り切れるかも」と子供の頃に思っていたのですが、私の手は足を曲げて全体重を両腕に託した時に「あ!子供の頃とは体の重さが違うんだ!」ということを実感します。

 

無理、と諦めることもできたのですが、子供用の遊具で自分が諦めるのもなんだよな、と思いながら、冷たい鉄の棒が手に食い込んでくるのを我慢しながら、歯を食いしばりながら、私は渡りきろうとしたんです。

 

一つの鉄の棒から次の鉄の棒を握る時に、鉄の棒からあの音が聞こえてきます。

 

この音を最後まで聴き続けたい、と私は体を揺らして次の鉄の棒を掴みます。

 

息を整えながら、手の力を使って、この体を支えながら、一本、一本の冷たい鉄の棒を掴んでいると、ある感覚を感じたんです。

 

そう、子供の頃に、一人で公園で遊んでいた時のことを。

 

誰もいない、曇り空の下で、私は一人で遊んでいる、自分の姿を感じていました。

 

誰も見てくれていなかったのですが、私は、何度もなんどもうんていから落ちては、また始めから挑戦して、ということを繰り返していました。

 

最後まで渡りきったって誰も褒めてくれないし、誰からも認められるわけでもない、と思って、途中で諦めて、私は、いつもは他の子が使っていて乗ることができないブランコへと向かいます。

 

ブランコの座面に座って、両腕で冷たい鉄の匂いがする鎖をしっかりと握り締めながら、体の重心を前にずらして、そして足を思いっきり前に伸ばして、そして、この度は重心を後ろにかけながら、足を曲げて、を繰り返して、だんだん動きを大きくしていきます。

 

しっかりと両手で鎖を掴みながら、両足を思いっきり前に出して、そして今度は戻ってくるタイミングで、両足を曲げることを繰り返すことでどんどんスピードがついてきます。

 

揺れるたびに、心地よい鉄と鉄がこすれる音が耳に響いてきます。

 

私は一人でブランコに揺られて、一番高い位置になる時に、空に近づいたその時に、曇り空を見上げながら「誰かが後ろで優しく押して反動をつけてくれたらな」と思っていました。

 

暖かい手が私の背中を押してくれて、そしてその勢いで私は空に近づいていける。

 

暖かい手は、諦めずに何度もなんども私の背中を押してくれて、私を一定の高さへと導いてくれる。

 

そんな私は「もっと高く!もっと高く!」と背中の暖かい手の温もりを感じたくて、さらに高みへと押してくれるようにお願いしたくなるんです。

 

そんなことをイメージしていると、不思議なことに背中のあの部分が暖かくなってきます。

 

暖かい手で押されたいるような感覚と共に、私は前に行って、そして、暖かい感触を求めてかなのか、後ろに戻ってきます。

 

後ろに下がりきって、無重量を感じるようなその瞬間に、私の背中は不思議な感覚を感じながら、ブランコの底辺からグンと高みへと揺られていきます。

 

さらに高みへと登りたいのに、私は底辺へと戻り、そして後ろに引っ張られて反動をつけて、そして再び底辺から高みへと揺られていき、その高さはいつもでも自分の体の重心と両足で調節できたんです。

 

私は、そんな子供の自分を思い出しながら、いつのまにか頭の中で一人でブランコを漕いでいる幼いあの子の背中を押してあげていたんです。

 

さっきまで鉄棒をつかんで冷たかった手が、次第に暖かくなって、そして小さい背中の感覚を確かめていきます。

 

ゆっくりと優しく、動きに合わせ、その小さな背中に手を添えるように、押しながら、私はその自分にあることを伝えたかったのかもしれません。

 

そうなんです。

 

幼い頃に、私の心に響いてきたあの優しい言葉をこの子にかけてあげたくなったんです。

 

そんな時に、私は、いつか、また、この公園に戻ってきて、この雲梯に挑戦してみたい、と思ったのか、思わなかったのか。

 

なんだか、離れてしまうことが名残惜しい気もしながら、ここまできた道をしっかりと歩いていました。

 

そう、暖かくて優しい手で背中を支えられている感覚共に。

 

 

 

そして、私は、私の体に流れていく爽やかな空気を感じていきます。

 

 

ひとーつ!爽やかな空気が頭に流れていきます!

 

 

ふたーつ!頭がだんだんと軽くなっていきます!

 

 

みっつ!大きく深呼吸をして、頭がスッキリ目覚めます!

 

 

 

お金持のスクリプトでした。

 

(つづく)

 

 

 

 



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