2019/05/21

昨日は動画撮影のテストをしていました。

しかし日焼けしているなー。

 

今朝は、雨が降っていたのでジョギングにはいけませんでした(ラッキー!)。

雨のおかげでサボれるぞ〜!

 

 

ある方とお話をしていて「体力の限界!」と仰っていた。

 

仕事を頑張りすぎちゃって「急にドーンときた!」と身体がボロボロで「もう動けない!」という感じ。

 

実は、私もその朝にそれと同じ体験をしていたんです。

 

走っていて「急にドーンときた!」という感じで「もう走れない〜」と身体がものすごく怠くなってしまった。

 

真面目に歩道の真ん中で倒れようかな、と思うぐらい辛くなってしまって「このまま走り続けられない」と苦しむ。

 

「昨日、サーフィンをやった後に、部屋の片付けを頑張ってしまって疲れちゃったからかな?」とか。

 

「もう、年齢的に無理をしてはいけないのかな?」や。

 

「心臓や肺に何か問題が生じているのかな?」と不安になってくる。

 

そんな時に、目の前を走っていた、ちょっとぽっちゃりとした男性を抜かした途端に「あれ?さっきの辛さが何処かに行ってしまった!」とビックリしました。

 

あれれ?

 

どんどんスピードが速くなってきた〜!というのが、昨日の写真の国立劇場前でした。

 

ふっと思い出してみたら、ぽっちゃりとした男性がものすごい勢いで私のことを抜かしていった、そのあとから「苦しい〜」と私は急に自分の体力の限界を感じ始めていた。

 

でも、それって、私のじゃなくてあのぽっちゃりとした男性が無理をして走っていて「苦しい〜」となっていたのを私が脳のミラーニューロンで受け取ってしまっていたから。

 

目の前を走られてしまって、ずっとその方の背中を見続けていた時に「あ!脳のネットワークで繋がって苦しみをもらっていたんだ」となっていた。

 

これって、職場や学校でも結構あったりします。

 

「あいつムカつく!」と思ってしまうときって、私がぽっちゃりした人の背中を見ながら走っている状態。

 

相手に注目を向け続けてしまうから「相手の不快感がどんどん伝わってくる〜」となっています。

 

不快感を感じたときって、人は「自分の身体の不快感だから、自分に原因がある」と思ってしまうんです。

 

だから「あれ?あいつに精神的なダメージを与えられたから辛くなっているのかな?」とか、いろいろ原因を考えちゃって「この辛さは自分のもの!」としてしまう。

 

これが意識が作り出す世界です。

 

意識では、いろんなことが瞬間的にわかってしまう。

 

そして、意識でいろんなことを考えてしまうと、意識は私を暗い狭い意識の檻の中に閉じ込める。

 

そんな時に「わからない!」と無意識を起動してみると「あれ?この苦しみって私のものじゃない!」となっていつの間にか狭い檻が幻想であったことに気がつく。

 

そう、意識の壁という限界がない無意識さんの世界で自由に楽しむことができる。

 

いろんなことを頭の中で考え出して、不快感が湧いてきたら「わからない」と無意識を起動してみると不思議なことが起きます。

 

「仕事や人間関係でプレッシャーを感じて苦しくなっている?」と思った時に「わからない」と意識じゃなくて、無意識に委ねてしまう。

 

「自分の無意識はありとあらゆるものに素晴らしい影響を与えることができる」という自己効力感を高めて無意識の力をもっと楽しく使いたい、という方は「あの人の背後に無意識が働いている」と唱えてみると面白いことが起きます。

 

確かに「わからない」と唱えて無意識を起動するよりも「あの人の背後に無意識が働いている」の方がお得な感じがします(お得ってなんやねん!)。

 

どんな人に対しても「あの人の背後に無意識が働いている」と唱えてみると「あ!自分の世界が変わってきた!」となる。

 

私は走っていて、目の前を走っている人に対して「あの人の背後に無意識が働いてる」と唱えればいい、とは思いつきませんでした。

 

でも、そういうことなんでしょうね。

 

無意識さんの世界って。

 

みんなの無意識を起動させて、自分の都合がいい世界を作り出すことができる。

 

(つづく)

 

「自分を苦しめる嫌なこと」から、うまく逃げる方法(光文社)がアマゾンから発売されました。

 

この本は、面白いです(自分で言うな〜!)。

 

サクッと読めちゃうんです。

短時間で読めちゃう本って「あれ?何も残っていない?」となるはずなんです。

 

でも、この本って、変な表現かもしれませんけど「自分が一段上がった」という感覚が出てくる(私が感じた感覚です)。

 

もしかしたら「泥沼状態から抜け出した」というか「足を洗うことができた」というか、なんかさっぱりした感じになっていて「あー!スッキリした!」という気分にさせてくれました。

 

自分に関係あるケース、無いケースと読み飛ばす感じじゃなくて、なんか、いろんなケースが中に散りばめられていて、それが自分の周りの人達の謎を解いていく感じでスッキリしていく。

 

あ!だから、母親は、あの父親と結婚したんだ!とか。

 

あの人って社交的なのは、そんな理由だったんだ!

 

そんなことがわかってくると、その人たちにかけられていた呪縛から解かれていきます。

 

いや、本当に人は、周りの人の影響を受けているんですね。

 

周りの人たちが「嫌なこと」から逃げられない仕組みが見えてくると、いつのまにか自分が自由になっていきます。

 

もちろん、自分のためにも役に立つのですが「あ!これってあの人のことだ!」と読んでみるのも面白い。

 

謎が解けていくと、その人たちとの付き合いが楽になっていくから。

 

この編集者の脳はすごいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/20

「自分を苦しめる嫌なこと」から、うまく逃げる方法(光文社)が令和1年5月21日にアマゾンから発売されます!!

書店さんは22日になるかも。

 

「やりたいことがわからない」とか「楽しいことがわからない」という悩みがあるのは「自分の感覚が麻痺している」から。

 

なんで感覚が麻痺してしまうかというと「嫌なことがヤメられない」から。

 

「嫌なこと & 不快なこと」をしない!と全部やめてしまうと「お!自由になってきた!」となって、やりたいことが見えてきて、楽しい、と感じられるようになる。

 

でも、大人の社会では「嫌なことをしない、と甘ったれたことを言っていたら社会が成り立たないでしょ」と嫌な顔をされる。

 

「嫌なことを率先してやって、人は成長していく」と私はこれまで信じてやってきた。

 

だから「逃げちゃダメでしょ!」って、どんな時でも嫌なことに正面から向き合ってきた。

 

この「成長」というのが一つのポイントなのかもしれない。

 

人は、なぜ成長を求めるのか?

 

成長の先に、何があるのか?

 

それが、今回、この本を書いていて見えてきて「なるほど!」となっていました。

 

そして、私は、自然と不快なことは「もういいかな」と逃げられるようになります。

 

この本の編集者の脳をお借りして書いたこの一冊は、私を自由にしてくれました。

 

知らず知らずのうちに。

 

読んでくださる皆さんと共有できたら嬉しいです。

 

いつも、ありがとうございます。

今朝は、国立劇場前を走っていました。

起きた時は「あー、身体が重い」となっていたのは昨日のサーフィンのせい。

でも、この怠いまま身体を放置していたら、一日がだるくなってしまう〜、と思ったから外に走り出した。

何をやっているんだか!

 

人と会話をした後って「あー、あんなことを言わなきゃよかったのに」と自分が発言したことを検証したくなってしまう。

 

「あの私の一言はあの人にとって不快だったのでは?」

 

「なんであの時、あんな余計なことを言ってしまったんだろう?」

 

「あの私の発言は、的外れで相手から軽蔑されたかも?」と検証すればするほど、どんどん不快な感覚が押し寄せてきます。

 

私の場合「周りのみんなを不快にしたんじゃないか?」と気になってしまう。

 

そして、みんなから嫌われることがものすごく心配になる。

 

私の嫉妬の理論からすると、もし、脳のネットワークが存在しているのだったら「自分が相手に申し訳ないことをしたかもしれない」とか考えた時点で「弱者」になってしまうから、私が思い出していた人たち脳と繋がって、相手から嫉妬の発作の電流が「ビビビッ!」と流れてくる〜、となってしまう。

 

だから、過去の会話を反芻して、自分一人で「悪いことをしたのかも?」と検証している、と思っているのだが、実は「脳のネットワークで電気ショックが飛んでくるから、同じことを繰り返し考えてしまう」となっている。

 

興味深いのは、これを理論的にわかっていても「どんどん不快な感覚にはまってしまう」という感じで意識的には抜け出すことができない。

 

意識的に抜けよう、としても、不快な感覚は私に絡みついてきて、不快な沼へと引きずり込もうとする。

 

それを断ち切ろうと、私は一生懸命に自分のしてしまったことを反省したり、言い訳をしている。

 

でも、それをすればするほど不快感は増していく。

 

そんな時に「無意識に任せる」ということをする。

 

多分、多くの人が「無意識なんて目に見えないものにまかせることができない」と思ってしまう。

 

自分がコントロールすることができる意識を信じている。

 

そして、自分の意識だけじゃなくて周りの人たちの意識的な常識に頼って、自分が間違っていないことを検証したい、と思ってしまう。

 

意識で「無意識に任せる」と思っても、意識が働いているから「そんなの無理」となってしまう。

なぜなら、意識は常識的だから。

自分の常識から外れた無意識などに任せることは、意識は到底受け入れられない。

 

無意識に簡単に任せられる方法は「わからない」と頭の中で唱えてみること。

 

「あの私の一言はあの人にとって不快だったのでは?」

 

「わからない」と頭の中で唱えみると、あれ?不思議。

 

「なんであの時、あんな余計なことを言ってしまったんだろう?」

 

「わからない」

 

「あの私の発言は、的外れて相手から軽蔑されたかも?」

 

「わからない」

 

不快なことが浮かぶたびに「わからない」と唱えてみると「ちょっと自分が無責任になった気がする」という後ろめたさが出てくる。

 

その「無責任」という感覚が「無意識さんに任せているから」なんです。

 

私が責任を取らなければ、無意識さんが勝手に良きに計らってくれる。

 

「わからない」で無責任になればなるほど、無意識さんが責任をもって対処してくれる。

 

(つづく)

 

「本当の友達がいなくてさびしい」と思ったとき読む本 のアマゾンのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

一体感が少しつかめたかも、と書いてくださってありがとうございます。私は、子供の頃に寝る前に「植村直己さんのような冒険心とソロモン王の英知を与えてください!」と祈っていました。そしたら、上村さんまでとはいかないけど、英語が全くわからないまま、留学をした冒険心は得られた気がします。本当にアホですね。おっしゃる通り「〇〇の背後に無意識が働いている」が一番しっくりくるかもしれません。いろいろ試して、検証していくってとっても面白い。無駄なことをやっているようで、その背後に必ず無意識が働いている。意識が無駄だと思えば思うほど、そこには無意識が宿ります。どんなに遠く離れていても、無意識の力は無限ですからいけまっせ!遠く離れていても、みんなつながっていて「お友達」です。一体感の解釈は大正解です!!さすが!バラはいいですよね。嬉しいな。私も、さすがに暑くなってきたから早く走ることができなくなってきたけど、バラの香りは楽しめました。少子化解消大作戦!あはは〜。

 

いつも応援してくださってありがとうございます。感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/18

走っていたら「あれ?道端に若者たちが落ちている」となっていた(お前はどっちを見てんねん!)。

歩道で何人もの若者が、携帯が鳴っているのにも関わらず、それを手にしながら眠っていた。

ゴールデンウィーク明けなのに、みんなすごいな!と感心しながらそれを見ていた。

黄色いバラがものすごく綺麗!

その向こうに「あ!そうか!」と若者たちがなんで道端で力尽きていたのかの理由がわかった。

オクトーバーフェストというのはドイツビールのお祭りで、日比谷公園では昨日からスタートしたんです。

なるほどね!このお祭りであの子たちは楽しんじゃって、力尽きて道端で寝ていたのね。

私の中で謎が解けました。

 

感情は一瞬だけ。

 

一瞬で感情は湧いて、そして消えていきます。

 

私は、一つの感情を感じたら「いつまでもその感情を引きずっちゃう〜!」となっていた、

それは、一つの感情をきっかけに、ぐるぐると考えてしまって意識が作り出す幻想の世界に閉じ込められていたから。

 

「こうなったらどうしよう?」とか「あの人があんなことになったらどうしよう?」と感情をきっかけに先のことを考え始めてしまって、そこから未来に起きるかもしれないことで「ムカつく!」とか「不安だ〜!」や「絶望的だ〜!」とものすごい重い感情に取り憑かれてどんどん気分が沈んでいってしまう。

 

よく考えてみたら非常に興味深い。

だって、起きてもいないことでも絶望できちゃうから。

意識の作り出す幻想って本当にリアルだから、相手とのやりとりを頭の中でしていて「ムカつく!」と怒りを感じて、どんどん疲れてしまう。そして、相手の顔を見るのも億劫になり、仕事や学校に行くのも嫌になっていく。

 

これって無駄なことなの?と自分では疑問に思ったことがありませんでした。

 

なぜなら「石橋を叩いて渡る」と言うことわざがあるぐらいだから「頭の中でいろんなシミュレーションをしておいて危機に備えることが必要」と本気で信じていたから。

 

でも、私の場合、どれだけ意識的に考えて、頭の中でいろんな相手とやり取りをしても「自分の想定外のことは起きない!」となっていた。

 

想定内のことしか起きない、というのは「何も現実が変わらない」ということ。

 

頭のどこかでは「人生の一発逆転」のようなものが起きて欲しいのだが、頭の中で作られる幻想のやり取りで疲れ切ってしまって、想定外のことを起こす力が残っていない。

 

こんな風に書くと「頭の中でぐるぐる考えることがいけないのか?」と思ってしまう。

 

頭で意識的に考えてしまえば、幻想の牢屋に閉じ込められて、そこから抜け出すことができなくなってしまう、という感じ。

 

でも、この一つの感情をきっかけに嫌なことを考えるのが止まらない、というのは意識的にやっていることなの?というと「?」となる。なぜなら「不快なことを考えるのが嫌だな」と思っていても「自分ではやめられない!」となっているから。

 

そう、ここにも無意識が働いてる、と思ってみると展開が全然違ってくる。

 

私は、一人で頭の中でぐるぐる考えることは意味がない!と思っていた。

 

「意味がないのかわからない」とすればそこに無意識が働く。

 

そう、脳のネットワークで目の前に相手がいなくても、思い浮かべている相手とつながることができるから、ありとあらゆる情報のやり取りができちゃう。

 

無意識の世界では、意識が「無駄」とか「意味がない」と判断してしまうことにこそ意味があって、無駄が何一つない。

 

一つの感情をきっかけにどんどん想像が膨らんでいってしまって「嫌なことをどんどん考えちゃう!」というのを「意味がないこと」と判断しちゃうのが「意識」なんです。

 

ここで「これにも無意識が働いている」と思ってみると展開が全く違ってくる。

 

想定外のことがどんどん起きて「現実の世界が変わっていく〜!」となる。

 

「自分は変わらない」とか「変えることができない」という意識的な判断をきっかけに、周りの人たちに怒りや憎しみが湧いてきた時でも「ここにも無意識が働いている!」とすると「何一つ無駄なことがない!」という展開に変わっていく。

 

「自分はちっとも変わらない」という意識的な判断に閉じ込められていた、という所にも無意識が働いていた、ということを思うだけで想定外の展開が巻き起こる。

 

「変わらない」というためには、体内のホルモンのバランスを均等に保ち続けなければらない。

もちろん、そこには無意識が働いている。

そんな無意識がホルモンの均等を保ち続けながら「変わらない」を助けてくれている。

 

ちょっとでも無意識さんがいたずら心を出せば、ホルモンのバランスは大きく崩れてしまい、変わらない自分を保つことができなくなってしまう。

 

常に無意識はありとあらゆる方法を使って、均等を保つ助けをしてくれていて「変わらない」を助けてくれている。

 

無意識の力を感じた時に、いつのまにか無意識は私の味方となってくれて、私を助けてくれます。

 

その無意識の助けを求めた時に、私は、いつのまにか感情から解放されていることに気づくことができたんです。

 

不快な感情が何一つ自分のものじゃない、と気がつかせてくれた。

 

優しい無意識さんの力で。

 

(つづく)

 

「本当の友達がいなくてさびしい」と思ったとき読む本 のアマゾンのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

解放された、と書いてくださってありがとうございます。暗示から解放されたのは嬉しいです。この本って後からジワジワ効いてきますよね。やった〜!この本は、視力矯正じゃないけど、読んだ後に「あれ?ちょっと今までのことがクリアに見えてきた!」と私もなりました。本来の自分に戻ることができて、その本来の自分の感覚を使うことができるようになる、って素敵です。いや、本当に嬉しいです。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/17

昨日、帰ってきてから「あ〜!」と座椅子に座ってしまって、目を開けたら朝でした。

「あか〜ん!」と思って、慌てて走りに行く私。

でも、しっかりバラの香りを満喫してきました。

 

意識が作り出す現実があります。

 

「やりたいことができない」、「時間がない」、「周りにろくな人間がいない」、「自分だけいつも嫌な目にあう」など。

 

無意識には限界がない。

 

そして無意識の世界に入るには「やりたいことができるかどうか、わからない」としてしまう。

 

「時間がないかどうかもわからない」

 

「周りにろくな人間がいないかどうかもわからない」

 

「いつも自分だけ嫌な目にあっているかどうかもわからない」と”わからない”を連発しているとアホになった気分になるのですが、そこに無意識が宿ります。

 

「やりたいことができるかどうかわからない」と自分の中でしていると「お!隙間の時間にやりたいことをちゃっかりやっちゃっているじゃん!」という感じになっていた。

 

「時間がないかどうかわからない」と唱えてみると「あれ?すっぽりと時間が空いちゃったじゃん!何をやったらいいのかわからない!」となったりする。

 

「わからない」で意識が作り出す現実が、無意識の世界へと塗り替えられていく。

 

5月に入って、仕事で疲れきっている旦那を見て「この人はもう仕事を続けられないかもしれない」と不安になるのが意識の世界。

 

これを「旦那は疲れているのかどうかわからない」としてみると面白いことが起きます。

 

「この人が仕事を続けたいのかどうかもわからない」と片っ端から無意識を起動していきます。

 

そして無意識を起動していくと「私はこの人と一緒にいたいかどうかもわからない」というところにたどり着いて「あ!自由かも!」となる。

 

ブッダのいう「執着から解放された状態」になるんでしょうね。

 

自由って。

 

意識的な常識では「家族は辛い時に支え合わなければ!」となっていますけど「相手が辛いかどうかもわからない!」が無意識の世界。

 

意識では「だって辛そうな顔をしているじゃない!」と突っ込みたくなる。

 

「本人だって”辛い”と言っているもん!」と文句を言いたくなる。

 

でも、そこで無意識の世界では「辛いっていうことがわからない」となる。

 

「辛いって、何が辛いのかわからない」としてみる。

 

「体調がすぐれなくて辛そう」と意識は現実を作り出します。

 

「現実に顔色だって悪いし」と思ってみると意識の現実は確実なもののように感じられます(さあ!どうする!無意識!)。

 

無意識は「人のことはわからない」という強力なカードを出します(確かに!)。

 

確かに、自分の体調がすぐれなかった時に、誰かに「辛そう」と言われた時に「あ!わかってもらった!」という感覚よりも「ちょっと違うんだよな〜!」と余計に辛さが増した時のことを思い出します。

 

「人の辛さはわからない」というのは意識的な世界では「相手の痛みがわからない冷たい響き」に聞こえますが、無意識の世界では「相手の無意識の中にある自己治癒力を信じる」という温かさに満ちています。

 

「わからない」で無意識の世界を生きると、現実の世界が変わっていくんです。

 

無意識によって世界が「美しく」変わっていきます。

 

意識的な世界では「辛そうにしている旦那のことを心配して精神的に支えてあげることが美しいのでは?」と思うわけです。

 

「旦那が辛いかどうかもわからない」としてしまったら”心配”という優しさに満ちた感情が排除されてしまって人間的に何かが欠けてしまったような気がして「感情を手放したくない!」となってしまう。

 

そんな時でも「旦那が辛いかどうかもわからない」と無意識に委ねてみると、バラの花を思い出したりするんです。

 

そう、一輪の花は、美しく咲き誇り、そしてその花びらは時とともに朽ち果てていきます。

 

その朽ち果てていく姿は「かわいそうかどうかもわからない」。

 

花びらが落ちて、そして控えていた蕾が開いて見事な香りを放つ。

 

次から次へと咲き誇るバラよ。

 

「あ!美しいバラには”心配”という感情が必要ない」と気づく。

 

そう、バラには感情があるかどうかわからない。

 

でも、そんなバラは美しく咲き誇り、それをみる人々の無意識に働きかける。

 

バラは、人の無意識に何を働きかけているのかわからない。

 

そんな風に無意識に委ねてみると、バラの香りが漂ってくるような気がしてきた。

 

そして、世界がどんどん美しく変わっていく。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/16

「意識には限界があるけど、無意識には限界がない」

 

人は意識で「もうだめだ!」とか「もう限界!」と判断しちゃう。

 

そんな時に、無意識の力を使うには「わからない」とする。

 

「わからない」というのは「ダメかどうかはわからない」とや「限界かどうかわからない」ということ。

 

「わからない」って否定的な言葉のように聞こえますけど「わからない」ということは”無限の可能性がある”ということなのかもしれません。

 

意識は「いろんなことがわかっている」となっていて「自分の限界をちゃんと知っている」と信じています。

 

例えば、職場の中で「あの人は私のことを見下していて、私のことを排除しようとしている」とちょっとした相手の言動でわかってしまいます。

 

そんな人は「これって私の被害妄想なの?」とか「私の態度が弱気だから、こんな状況になってしまうの?」という気持ちを行ったり来たりしちゃう。

 

意識的な専門家がこれを聞いたら「思い込みが激しい、被害妄想の傾向あり」と判断したりします。

なぜなら「相手から直接”あなたを見下している”とか”この場から排除してやる”という言葉を言われていないのに、そのように信じてしまっている」から。自分が考えたことが「真実である」と思い込んでいるから「病気の傾向があり!」と思ってしまう。

 

無意識的な専門家の場合「わからない!」となる。

「わからない」なんていうのは専門家としてどうなの?と普通の人だったら信じられなくなってしまう。

 

「わからない」というのは、それが思い込みかどうかがわからない、ということ。

 

なぜなら「脳のネットワークを通じて相手の考えていることが伝わっているかもしれない!」ということ。

 

それも、相手が「自分は嫌われている」とか「この場にふさわしくない」と思っているのをミラーニューロン(脳の鏡のように真似をする細胞)が真似しちゃって「相手の考えていることを自分のものにしちゃっている」という可能性だってある。

 

さらに「無意識が”見下している”とか”排除されそう”と思わせている」という可能性だってある。

 

無意識がそんなことを思わせて、反骨精神を掻き立て「会社全体を変えちゃる!」というエネルギーを燃やさせている、という可能性だってある(反骨精神とは、世の中の不正や、因習などに果敢に立ち向かっていく精神のこと)。

 

無意識は限界がないから、書いていくときりがないのですが、普通の人が「弱気」と思ってるようなことの中にも美しさを見出すことができる。

 

そのためには「わからない」とすることがとっても大切。

 

世間的には「知識がある方が美徳」となっているかもしれません。

 

テレビをつければ、頭のいい人たちがクイズ番組をやって正解を出している。

 

そんな時に「わからない」というのは「自分は劣っているのかもしれない」と不安になります。

 

でも「わからない」から知りたくなるし「わからない」からいろんな可能性を考えてしまう。

 

「それは不正解です!」と言われても「不正解かどうかもわからない」というのは、不正解を出したことで、ちゃんと正解の回答を記憶することができるから。

 

次におんなじクイズを見たら「あ!私、それ知っている!」と自慢げに答えを披露するのは「不正解!」を体験したから。

 

この「わからない」というのは、非常に面白いキーワードで「感情を打ち消す」という効果があります。

 

その場で怒りにまみれたり、パニックになったり、焦ったりした時に「わからない」とすると「あれ?不快な感情がなくなる!」という現象が起きます。

 

無意識の世界には不快な感情がなーい!

 

でも、世間的な常識では「感情がないと気持ち悪〜い!」となっている。

 

「わからない」で不快な感情にとらわれないでいると無意識が起動して「おー!美しいものが見えてきた!」となる。

 

そりゃそうだ!

 

不快な感情にとらわれていたら、不快なものしか見えてこない。

 

「わからない」で不快な感情から解放された時に、そこにある本質が見えてきて、その美しさを体験する。

 

「わからない!」は無意識さんへの入り口。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/15

バラはやっぱりいいですね!

香りがものすごく素敵。

日比谷公園にはいろんな種類のバラが咲いています。

 

「バラの花の香りはいい香りですよ!」と言われた時に、以前の私だったら「花粉症の私が花の香りなんか楽しめるわけがない!」と思っていました。

 

試しに、花の香りを嗅いだだけで「ヘックション!」とくしゃみが出ていた。

そこから花粉症の症状が出て「チーン」という気分と、私に花の匂いを嗅がせた人に対しての怒りが止まらなくなってしまう(確かに怒りが止まらなくなっていたな〜!)。

 

「無意識の力」で自己効力感を高めちゃおう!という話を書いていました。

 

でも「お金」というキーワードで、ぎゃ〜!となってしまって「無意識どころじゃないでしょ!」となってしまうのは、私の以前の花粉症と一緒。「無意識」という香しい匂いを楽しもうと思ったら「アレルギー反応が〜!」という感じになって「それどころじゃない!」という感じになる。

 

ちょっとでも「損をした!」ということがあると「パニックになって、まともに考えられない!」というのは、メンタルの問題とされているけど、私はそれだけではないと思います(おう!おう!強気の発言!)。

 

アレルギー体質になっているから「お金を損した」というきっかけで「悲観的な考えが止まらなくなる」という症状が起きてしまう。

 

ちなみに「時間を無駄にした」とか「感謝されない」も間接的に「お金」と関連している。

 

ですから自分とか他人を責める思考が止まらなくなった時って「あ!アレルギー反応なんだな!」という見方をすると興味深い。

 

思考パターンが「悲観的」なのではなくて、それ自体がアレルギー反応、と捉えてみる。

 

そして、その反応から解放されたら「あ!頭がスッキリした!」となっていく。

 

まあ、一般的には「アレルギー体質を改善するのは難しい」という感じになっています。

 

そんなアレルギーの反応が「私は〇〇を許します」という言葉で反応が止まったのは、非常に面白いです(もちろん個人差があります)。

 

このような現象があるから、最近の医療でも「物語(ナラティブ)」というものが注目されるようになっているんだと思います。

 

もう、鋭いみなさんは気がついていると思いますが、この「アレルギー体質」自体も「無意識的なアプローチ」になります。

 

意識的な世界では「そんなアレルギー体質なんかあるわけがない!」という常識的な判断が働きます。

 

意識の常識的な世界で生きるのは、素晴らしいことです。

 

常識という素晴らしい現実の中で生きられます。

 

そして、意識的な世界では「症状から抜け出せないのは、因果応報が関係しているから」という話になってしまう(因果応報とは、良い行いをすれば良い報いがあり、悪いことをしちゃうと悪い報いがある、です)。

 

「あの人が病気になったのは、不規則な生活をしていたから」とか「あの人が仕事ができないのは、素直じゃないから」など(まあ、ちょっと因果応報とは違う例ですけど、なんとなく分かりますでしょ。どんだけアバウトやねん!)。

 

意識的な判断って本当にシンプル。

そして、ベタな結果が得られちゃう。

 

無意識の世界というのは、限界がある常識的な世界を超えていきます。

 

意識には限界があるけど、無意識にはない。

 

そうなると「無意識的に生きる人って非常識なのでは?」と意識的な人は思ってしまう。

 

確かに、意識的な人には常識がある。

 

かと言って、非常識な人が無意識的な生き方をしているか?というと「わからない」というのが正直な答えです。

 

ただ、私のお師匠さんは無意識的な生き方をされていたけど、非常識ではありませんでした。

 

お師匠さんのことを振り返ってみると、意識的な人の基準は常識だけど、無意識的な人の基準は「美しさ」である、と思うんです。

 

無意識の持つ美しさ。

 

それが無意識的な人の基準。

 

どんなものの中にも、美しさを見出す無意識の力。

 

そう、意識的な私には、その美しさを見出すことができないから、私は無意識に委ねます。

 

だから「この人の背後に無意識が働いている」と頭の中で唱えてみる。

 

すると、相手の無意識と私の無意識が起動して「おー!美しい!」というものを見せてくれる。

 

無意識の力を使って見てみると、全てが時にかなって美しい。

 

自分の中に渦巻く悲観的な思考は「美しい」なんて思えません。

 

でも、そこで無意識的なアプローチを使って「アレルギー反応」としてみると「あ!自己免疫が私のことを過剰に守ろうとしてくれている!」という美しさがその背後に見えてきます。

 

そして「私はお金持ちを許します」と唱えてみると、あれだけ悲観的な思考が渦巻いていたのに、いつのまにか静かになり「あ!自己免疫が攻撃しなくなった!」という面白いアプローチができます。

 

そう、無意識は「罪と罰」の世界から解放してくれて、美しさと面白さが広がる世界を私たちに見せてくれます。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/14

今日は、公園でバラがものすごくたくさん咲いていて「あー!いい香り〜!」と香りを満喫していました。

バラのあの香りが大好きです。

 

「お金アレルギー」と「幸せアレルギー」があるかもしれない、という面白いお話。

 

私は赤ちゃんの頃から「お金がない」ということを親から聞かされ続けてきました。

 

だから、私の体内では「お金」に対するアレルギー体質ができてしまう。

 

「お金って思考が影響しているんだから脳の問題なんじゃないの?」と思われるかもしれません。

 

貧乏生活をしていて、周りの子供たちから虐められ仲間はずれにされた、というのが心の傷になった。

その心の傷が影響をして「お金!」ということをきっかけに「心の傷が痛む〜」となってしまいます。

 

そして心の傷がちゃんと癒えていないと「周りからいじめられるようなことをしてしまう」というのがトラウマの再上演ということ。

 

トラウマの再上演とは「心の傷を打ち消すために、傷ついた時と同じことをしてしまう」という症状のことです。

 

暴力的な親に育てられた人がいたら「絶対に暴力を振るう人は嫌!」となるはずでしょ。

 

ところが「あれ?暴力を振るう男性と結婚しちゃった!」というのがトラウマの再上演。

 

だから「お金がない」という家庭内の状況で「ポワするしかない!」と親が思ったりしたら、子供はそれを感じ取って「トラウマじゃ〜!」となってしまう。

 

「お金」が「死の恐怖」と結びついてしまう。

 

「だったら、お金を貯めればいいじゃない!」となるのですが、暴力を振るう人と結婚しちゃった、と同じ原理で「お金を失うことをしちゃう!」というのがトラウマの再上演。

 

要するに貧乏くさい両親とは同じにならないぞ!と思っていたのに、やることなすこと「あれ?どんどん貧乏になる!」となってしまうのはトラウマ化しているから。

 

そんなケースもあります。

 

 

もう一つは「本を読むことができない」という学習障害の問題がありますが「計算ができない」という学習障害があるから「お金がちっともたまらないで貧乏になる」です。

 

「計算ができない」というのは「そんな大したことはない!」と軽く見られちゃいます。

 

「100ます計算を毎日したら、計算ができるようになるよ!」と努力の問題として見られちゃいます。

 

いや、違うんですって!

 

信号の色を識別できない、となってしまう色彩認識と同じレベルで「計算ができない」という症状があるんです。

 

そして、もう一つの「お金」で症状になってしまうのが「花粉症と同じアレルギー反応」ですね。

 

なぜなら、昔から「貧乏臭い」と言いますでしょ。

 

今朝も花の香りを嗅いできましたが、アレルギーの人には花粉はきつい。

 

貧乏の臭いでアレルギー症状が起きてしまって、花粉症と同じ症状になってしまう。

 

花粉症の場合は「花粉という異物を排除するために、くしゃみ鼻水が止まらない!」となりますね。

 

お金アレルギーの場合は「お金を排除するために、余計なことをすることが止まらない」となってしまう。

 

そして、アレルギー症状になると「体がだるい」とか「やる気が出ない」となってしまいます。

 

頭痛がしたり、めまいがしちゃう人もいますね。

 

そんな症状が「お金」でも出ているんじゃないか?という疑いをかけているんです。

 

きっかけは、両親からの心の傷だったり、学習障害だったりするのですが「お金がない」という不快感を繰り返しているうちに「アレルギー体質」というものが出来上がってしまう(本当は抗体の説明をしたいのですが、ちょっと難しくなってしまうから控えます)。

 

だから「お金がない!ギャ〜!」とものすごく悲観的になったりすることがあります。

 

これって「アレルギー反応」として捉えます。

 

要するに「くしゃみ鼻水が止まらない!」のと一緒。

 

「お金がない!」と反応を起こせば、私の場合「お金を失うような余計なことをしてしまう!」という言動をしちゃうんです。

 

「損をした!」でも同じですね。

 

それが頭の中をぐるぐるしちゃう時って「アレルギー反応」として捉えてみると興味深い。

 

周りの人は平気なのになんで私だけ、こんなに頭の中をぐるぐるしているの?というのは「アレルギー反応を起こしてるから」と考えると「なるほどね!」となる。

 

私が花粉症で「くしゃみ、鼻水が止まらない!」となった時に「私は花粉を許します」と7回唱えます。

 

すると「あれ?症状が治まった!」となるのは、自分を守ってくれる免疫が花粉を「敵だ!」とみなして攻撃しなくなるから。

 

「損をした!」とか「損をさせられた!」ということでグルグルしたら「私はお金持ちを許します」と7回唱えてみると「あ!グルグルしなくなった!」となり心の中が静かになった。

 

ここで「何?唱えたからってお金持ちになるんじゃないの?」とがっかりされちゃうかもしれませんが、花粉症の症状で苦しんでいたことが「え?唱えるだけで症状が治まった!」となったら嬉しいでしょ。

 

それと同じ感じ。

 

お金アレルギーの症状って「絶望的」や「悲観的」そして「嫉妬や怒りにまみれる」とか「惨めな気持ちから抜けられない!」という思考からなかなか抜け出せない。

 

そして、トラウマの再上演と思われているものって、もしかしたらアレルギーの症状から起きるんじゃないか?と思うんです。

 

だから、症状が起きなくなったら「あれ?お金を失うようなことをしなくなった!」となるわけです。

 

アレルギーの症状が落ち着いた時に、一番の変化は「人間関係が変わった!」となることかもしれませんね。

 

豊かな人が自分に近寄ってくるようになった!という感じで変化します。

 

お金の不安」の本に書いていた〇〇神さまを「かわいそう」と思わなくなる。

 

お金アレルギーから抜け出しちゃうと「ドライ!」という感じになって、人間関係がものすごく整理整頓されていく(あー!スッキリ!)。

 

アレルギー体質から抜け出すと、体力は上がって、集中力や記憶力もアップして「どんだけ〜!」という感じになっていきます。

 

これまでの人生が手かせ、足枷、さらには首輪までついていた感じで常に息苦しくて不自由だったけど、それが外れてみたら「すっごいんですけど!」という感じになっていく。

 

私たちの悲観的な精神状態をアレルギー体質、と捉えてみると、面白い展開が見えてきます。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


2019/05/13

(事務方より)

FAP上級フォローアップセミナーにご参加のみなさまへ

 

この度は、FAP上級フォローアップセミナーにお申込みいただきまして誠にありがとうございます。

セミナー初日終了後に開催いたします懇親会のご案内を本日メールで一斉にお送りいたしました。

もしメールが届かない方がいらっしゃいましたら、以下の内容になっておりますのでご確認ください。

参加ご希望の方は、5/20(月)までにご連絡をお願い致します。

申込完了の方には確認のメールを弊社よりお送りいたします。

 

 

            記

    日時 :5/25(土)19:30〜21:30(飲み放題)

    場所 :「中国酒家;大天門」 浜松町1-24-7 第一田中ビル TEL:050-5796-8671

      (予約名:インサイト・カウンセリング)

    定員 :先着順(お店の都合上人数制限あり)

    会費 :5,000円

      ※会費は、25(土)当日セミナー会場にて受付時に集金させていただきます。

        大変恐縮ですが、お釣りのない様ご協力いただけると幸いです。

スタッフ一同、皆様とお会い出来るのを楽しみにしております。

どうぞよろしくお願い申し上げます。


2019/05/13

朝起きたら「うわ〜!なんかだるくて喉が痛い!」となっていました。

 

こんなことを誰かに喋ってしまうと「大丈夫?風邪でも引いたんじゃない?」と心配されちゃいます。

 

親だったら「ほら!あんた!昨日、北風が吹いていて寒かったのに、見栄を張って半袖なんか着てたから風邪を引いたのよ!」と言います。

 

「調子が悪い」という”弱者”になった時点で相手は発作を起こして破壊的な言動をしちゃいます(発作って何?は「嫉妬の本」に詳しく書いてあります)。

 

「破壊的な言動」って”病気になる暗示”のことです。

 

「風邪を引いたんじゃない?」と言われちゃうと「うん、確かに頭もだるいし、胃の調子も悪いかも?」と不安になってくる。

 

そして「熱っぽいし、あれ?仕事に行きたくないかも!」という感じで病気は作り出されていきます。

 

こんな時に私が仕事を休むと、ますます「弱者」になるから、周りの人たちがさらに発作を起こして、破壊的なメッセージを送ってくるから「ギャ〜!」という感じになってしまう。

 

今朝、私が体験したのは「喉が痛いのって風邪?ウイルス?花粉?それともP.M2.5?」という感じに確認します(心に聞く方法は「リミットレス!」で詳しく書かせていただきました)。

 

すると「え? PM2.5なの!」という感じでびっくり。

 

そんな時に「私はPM2.5を許します」と7回唱えます。

 

すると「あ!頭のだるさや喉の痛みが消えちゃった!」となるからびっくり!!

 

これって、私の体の中で「大嶋を危険なものから守れ!」と頑張ってくれている"自己免疫”が「PM2.5は悪者だぞ!」と間違った認識をしちゃっている。

 

だからPM2.5が体内に入ってくると「わーい!戦じゃ〜!」と自己免疫がウイルスが入ってきたときのように攻撃をしちゃうから「うー喉が痛い!」となる(「けんかをやめて〜!二人を〜止めて〜!」は竹内まりやさんの歌でした)。

 

面白いのが「私はPM2.5を許します!」といってしまうと「あ!止まった!」となった(私はこれを花粉とカビ、そしてハウスダストに使っています)。

 

いや、実は今日、書きたいのは、これってアレルギー症状ですけど、私たちが意識していないところでアレルギー症状って影響している、というお話。

 

例えば、私はこれがものすごいあったのですが「あと一歩のところでドジをして、成功をぶち壊してしまう」というやつ。

 

「あ〜!いいところまで行った!」という時に限って「余計なことをしちゃう!」という悪い癖が出て「やっぱり私は成功できない!」となってしまう。

 

もう一つは「お金を貯める」ですね。

 

お金持ちになりたい!と思って頑張っていた時に「あ!なんでそこでこんなことをしちゃうかな!」ということをやらかしてしまって「絶対にお金持ちになれない!」となってしまう。

 

これって先ほど書いた「自己免疫」が暴走しちゃって「お金」が入ってきそうになると「攻撃しちゃう〜!」と自分で自分のことを傷つけてしまうから。

 

「余計なことをする!」とか「わざと失敗をする」などが起きるのは「お金」を異物としてアレルギー反応を起こしているから、と考えてみると面白い。

 

「私はお金持ちを許します」と7回唱えてみる。

 

すると「あれ?」と普段の貧乏くさい感覚が消えていく。

 

「私は幸せを許します」と7回唱えてみる。

 

すると「あれ?幸せになれるかも!」と変わっていく。

 

アレルギー反応として捉えてみると、非常に興味深いことが起きてきます。

 

(つづく)

「本当の友達がいなくてさびしい」と思ったとき読む本 のアマゾンのレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

ジオラマの落とし穴が見えてくる、と書いてくださってありがとうございます。本がみんな大切なお友達、というのは嬉しいな!無意識が働いていますね〜。人間関係の距離って自己肯定感が低いと本当に難しい。謙虚になって、相手に優しくしちゃうと一般的には「相手が図に乗る」ですけど、この本の中では「発作を起こして破壊的な人格に変身しちゃいます」ですからね。美しい人が美しいなりに生きないと、嫉妬の総攻撃にあってしまって、四面楚歌になってしまいます。この本がそこから抜け出すために少しでも役に立ってくれたら、と思っています。確かに「優しくすると発作を起こす人達」という切り口は面白そうですね。なんだか、その流れになっていきそうな予感がします。いつも応援してくださって有難うございます。講演会、有難う御座います!!回りますよ〜!飛び出していきます!みなさんとともに!

 

毒親育ちにも効果あり、と書いてくださって有難うございます。皆さんと繋がってこの本を読んでくださったのは嬉しいです。私も改めてこんな形で読んでみると「結構、私にも役に立つ!ちょっと悔しい!」とこの本にちょっと嫉妬しております。しかし、うまいな〜!使い方が。さすがです。しかし、この方法を載せた勇気ある出版社がすごいと私は思っております。身近な人からの邪魔って本当に厄介ですね。これが日本の社会ではタブーとさているから厄介。「あなたの思い込みでしょ!」とか「言い訳」とされてしまう。でも、問題は「トンビが鷹を産んだ」時なんです。その時に、鷹は一番身近な人から嫉妬の発作を起こされて高く飛べなくなってしまう。獲物を捕ることに躊躇するようになっていく。そこから抜け出すには「無意識さん」が一番なのかもしれませんね。いつも繋がってくださって嬉しいです。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

大嶋

 

 

 

 

 


2019/05/11

あ!そういえば、今夜、00時30分からTBSラジオ「鈴木聖奈 LIFE LAB〜〇〇のおじ様たち〜」に出させていただきます。

 

おい!ラジオがないぞ!と私は焦ったわけですが「スマホのアプリで聴けるじゃないですか!」となっていた(コンピューターでも聴けるみたいです)。

 

先週は「5月病」についてのお話でしたが、今回は「ずるい人」になります。

 

前回は、台本があったのに鈴木聖奈さんが「え?台本は全然関係ないんだ!」と話がどんどん展開していって「うわ!この人面白い!」となっていました。

 

さて、今回はどうなることでしょう!大丈夫か!大嶋!あはは〜。

 

番組の最後に、私から皆さんへお知らせがあります。

 

お楽しみに!

 

 

さて、無意識を使って「自分が世界に影響を及ぼせるんじゃ〜!」という自己効力感を高めていきます。

 

「世界に影響を及ぼすって、そんな大げさな!」とか「そんな面倒臭いことはしたくない!」と思うかもしれません。

 

平和に、淡々と過ごすことだけが願い、と思う方もいらっしゃいます。

 

その「平和に淡々と」いう世界を作り出すために「無意識の力」がとっても有効なんです。

 

そして、その世界を作り出すために労力は必要ない。

 

ただ「この人の背後に無意識が働いている」と相手を見たときに唱えるだけ。

 

「この人の背後に無意識が働いている」と唱えるだけで、そうなる。

 

その人の無意識が起動して、ぱっと見で「え?その行動って全然私の平和とは関係ないんじゃない?」と思えるような行動をしても、巡りに巡って「あ!私の世界が変わっていった!」となる。

 

「バタフライ効果」というのは、力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化がなかった場合とは、その後の系の状態とは大きく異なってしまうという現象(ウィキペディアのバタフライ効果から)。

 

「この人の背後に無意識が働いている」と唱える、とは、蝶が一度羽ばたくようなもの。

 

それが相手に影響を与えて、やがて私の周りの世界を変えていく、という面白いことが起きちゃいます。

 

イエスがフォロアーの人たちと一緒に歩いているときに、婦人科系の悩みを長年抱えていて「ものすごい高い医療費を払ったのにちっとも治らなかった!」という女性がイエスに近づいていきます。

 

そしてイエスの着物のたもとに触れたときに「あ!治った!」となったときにイエスが「誰じゃ!私の着物に触った者は!」と振り返ってたずねた。

 

弟子は「ご覧の通り、群衆があなたに押し迫っていますのに、誰が触ったかと、おっしゃるのですか」と呆れてイエスに尋ねる。

 

それでも、イエスは触ったものを見つけようと、見回している。

 

女性は観念して「私です!」とイエスの前に出てきて、ありのままを話した。

 

イエスは「娘よ!〜 安心していきなさい。すっかり治って、達者でいなさい!」と女性に伝えた(寅さんかい!)。

 

これがイエスの自己効力感です。

 

着物を触られただけで「お!誰かが力を持っていって病気を治したぞ!」とわかってしまう。

 

「この人の背後に無意識が働いている」で相手の無意識を起動したときに「あ!力を使った!」という感覚が徐々に感じられるのかもしれない。

 

「そんな人のために力を使うなんて嫌〜!」と以前のケチケチな私だったらなっていた。

 

でも、気がついてしまった。

 

「無意識さんの力は無限だった!」って。

 

無意識の力を使えば使うほど「自己効力感が高まる〜!」となります。

 

すると「私があの人たちを幸せにしているのに感謝されない!」というような万能感にまみれてしまうのでは?と不安になったりする。

 

たくさん、みんなにいい影響を及ぼしているのに、自分はちっとも感謝されないって!イライラしちゃうかも!

 

いや、自己効力感は「無意識がすべてやってくれて私がやらなくても大丈夫!」と手放すことになるから、万能感がそこにはありません。

 

「この人の背後に無意識が働いている」と唱えて相手が、その後にどんな行動を取ってもバタフライ効果で巡りに巡って「しあわせになる!」となって、どんどん自分の周りが豊かに包まれていく。

 

「この人の背後に無意識が働いている」を唱えるのが抵抗があるのだったら「リズム」を合わせることだけでも自己効力感が高まります。

 

なぜなら、相手のリズムに合わせるだけで、相手の無意識が起動するから。

 

話を聞かないで、そのリズムだけに合わせていると、無意識が起動して「一体感!」が得られる。

 

そう、心地いいリズムをその人との間、または集団の中で探す作業は、カラオケの手拍子をしているような感じ。

 

ぴったり手拍子がテンポに合うと「一体感!」となり、1.1倍速にすると「どんどん無意識の力を使って盛り上げちゃう!」となります。

 

新聞を不機嫌そうに読んでいる旦那に向かって「この人の背後に無意識が働いている」というのも「私の幸せのため!」で旦那を無意識に任せて手放すことができる。

 

旦那が新聞を読んでいるときに、心地よいリズムを探って「タン、タン、タン」と自分の中で刻んでいくこともそれと同じ効果がある。

 

どちらにしても「誰が触った!」という自己効力感がどんどん高まっていく。

 

そして、自分がしなくても無意識がやってくれる、という絶大な信頼が徐々に持てるようになって、どんどんしがらみから解放されて自由になっていく。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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